原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大震災被災者支援強化に向けての一提案

2011年03月17日 | 時事論評
 表題のテーマにつき原左都子の私論を綴る前に、前回の記事「大震災を追討ちする 原子炉爆発 の地獄絵図」に関する続報と、若干の私論を追加することとする。

 本日(3月17日)午前中、福島第一原発3号機に上空から自衛隊ヘリより海水が放水された。
 今回3号機のみをターゲットにしたのは、3号機には水蒸気が立ちこめ水位低下が進んでいることが予想され緊迫性が高いと判断されたためである。 放水後のプールの水位は不明であり、放射線量も放水前と比較して測定値には有意な変化は見られない様子とのことである。 
 隣接する4号機のプールも依然熱が高い状態が続いており、水が無くなると3号機より深刻な状態に陥るとみられている。 1~3号機の原子炉内の核燃料棒は依然として露出が続いている状態だ。
 今後は陸上からの放水を予定しているそうだが、その詳細は未だ未定とのことのようだ。

 ここで、先だってより報道されている放射線量に関する原左都子の若干の私論を述べることにしよう。

 報道を見聞していると、今回原発から放出された放射線量を医療行為において使用されている放射線量と単純比較して 「やれ、どっちが高い」 「やれ、こっちが低いから安全だ」 等々の安易なコメントをまことしやかに伝達している場面によく出くわす。
 このような場で比較対象として医療行為を持ち出すことは、確かに報道受信者である一般市民にとって分かり易いことは認める。 だが、その単純比較は大いに正確性に欠けているのではないかとの一抹の懸念を抱くのだ。
 一例として「胸部X線検診」が挙げられている。 一度の検診によって浴びる放射線量が50μシーベルトであるのに対し、現在原発から放射されている線量の方がよほど低い値であるから安全だ、との報道が多発している。 原左都子なりに少し解説すると「胸部X線検診」の場合放射線を浴びる時間はわずか2、3秒に過ぎないであろうし、大方の人は1年に一度程度の頻度であろう。 それに比し、今回の原発事故により放出されている放射線量の測定値とは1時間当たりの測定値を表している。確かにその測定結果は微量と判断できよう。
 ところがここで気を付ける必要があるのは、福島第一原発の原子炉は1号機から4号機まですべてが爆発して、津波発生以降もう既に数日間に渡り放射能が周囲に“放出され続けている状態”を余儀なくされている、という現状だ。
 被爆線量とは人体内に蓄積される「積算量」で捉えられねばならず、放射線取扱従事者の間ではその「積算量」こそが身体ダメージの目安となるのだ。 今回の福島第一原発爆発においても、現地の作業員の被爆量は「積算量」で捉えて安全確保に尽力している状態である。 
 それ故に一般市民においても、今回の大津波発生後の福島第一原発爆発より数日間放出され続け今後もしばらく続くであろう放射能放出量の「積算量」で、安全の如何を判断する必要があるのだ。
 故に、東電が記者会見で述べる“現在生じている一過性の放射線放出線量データ”を一時捉えたのみで、今後市民に及ぼす影響の程を報道機関が語れるはずはない、と原左都子は言いたいのである。

 本日昼間の報道によれば、福島第一原発周辺では被爆したと思われる1万人に及ぶ周辺市民一人ひとりの放射線量を測定したとのことである。その結果、重篤な被爆は未だ検出されなかったとの事でとりあえずは何よりだ。
 また(我が住居地の東京都を含めた)周辺自治体の健康安全センター等でも、現在検知できる放射線量や風向き情報を一般に公開する等の動きがあるとのことだ。
 今後共、報道関係者の安易な判断による情報を公開して市民を混乱させるよりも、科学的なデータを一般市民に提供し続けて欲しい思いが強い原左都子である。


 
 それでは、今回表題に掲げた「大震災被災者支援強化に向けての一提案」に話を移そう。

 本日(3月17日)昼間NHKテレビニュースで見聞したところによると、今回の大震災により避難生活を余儀なくされている市民の皆さんの総数は31万5千人以上に達し、避難所総数は2287箇所とのことである。
 特に津波被害地においては、今尚ライフラインの復活もままならず、交通手段の遮断により救援物資の運送も難儀を極めているとのことである。
 そして、全国各地から被災者救援ボランティアに応募する人は多かれど、現地まで行く交通手段が途絶えている状態とのことである。
 昨夜見聞したテレビニュースにおいては、福島第一原発に程近い自治体の某市長氏が嘆くように訴えておられた。
 「我が市の避難所では、政府からも県からも何らの支援がないまま、支援物資が大幅不足状態でそれを運送するガソリンもないまま、福島原発避難者の受入を強要されている。今後の見通しがまったく立たない状況に追いやられている……」


 ここで原左都子の私論に移ろう。

 被災現地の大いなる苦悩を慮って余りある中、国民は“発想の転換をしよう!”との提案である。

 被災者の避難所を“被災地域内”に設けていることに大いなる無理が生じているのではあるまいか?  それだからこそ、ライフライン及び交通網が遮断され救援物資が届かない中、避難所での生活を余儀なくされている皆さんが窮屈な思いをされているのではないのだろうか??

 日本国民全体が本気で被災者を救済したいと志すのであれば、今回の大震災の“被災地域ではない地域に避難所を設営”して大震災被災者を受け入れるという方策が取れるであろうとの原左都子の提案である。

 もちろんその場合、被災者ご本人の意思が尊重されるべきである。 例えば、ご家族や近親者等が未だ行方不明状態のため現地でその確認を続けたい人も多数に上るであろう。 はたまた、ご自身が生まれた土地に思い入れがあるためその地を離れたくはないとのご意思もあろう。
 もしもその種の障壁がなく、日本の他の土地で避難生活を送りたいとの意思がある避難者が存在するならば、そのご意思を今回の大地震被災地ではない日本全国の自治体が快く受け入れてはどうであろうか??と思うのだ。
 日本の自治体には必ずや公設体育館があるはずだ。 大震災被災地ではない南の地方自治体(私が住む津波被害の無い東京も含めて)は、今現在厳寒を強いられている東北地方よりも数段暖かいはずである。 そしてその地方にはライフライン(「計画停電」実施地域を除いて)は整っているし、生活物資もある程度不自由ないことであろう。
 そのような場を、今回の30万人を超える避難民の一部を受け入れる施設としてはどうなのか??

 あるいは、“ホームステイ”という手段も取れるのではあるまいか。
 日本には国や自治体からの補助金を得て外国人留学生のホームステイを受け入れている家庭が存在するようだが、現在発生しているこの国内の大惨事にこそ、国内の避難民のホームステイを受け入れるという手立てもあるであろう。


 今回の大震災に関しては、日本国内において「私も何らかの力になりたい!」とのボランティア意識の大いなる向上があるようだ。
 そのボランティア意欲を実現するにあたり、被災地域へのボランティア精神の押付け等“自己満足”に留まらない方法論の議論が欠かせないことであろう。
 やみくもに被災現地に駆けつけたところで、この厳しい状況下において“無駄足”あるいは“現地の足手まとい”結果となることも憂慮されよう。

 今回原左都子が提案した、希望者を対象とする被災地域外での“避難所設営”あるいは“避難者のホームステイ”案は実現可能性が高く、しかも即刻実施可能と考えるのだが如何であろうか。 (一部において、既に実践している自治体もあるようだが。)
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大震災を追討ちする 原子炉爆発 の地獄絵図

2011年03月15日 | 時事論評
 1000年に一度という歴史的大震災の発生から3日目を迎えた昨日(3月14日)の早朝、我が家のFAXから受信音が鳴り響く。
 夜中に幾度も余震が続く中、浅い眠りのままその音に叩き起こされた私は、朝早くから一体何の連絡か?との悪い予感と共に重い体を引きずって電話器に近づいた。

 連絡元は我が子の学校である。
 「首都圏の交通網が運休等混乱状態のため、本日と明日は休校」 との緊急連絡網だった。

 地震発生から3日が経過した今尚、あの時の家屋内の大揺れの影像が脳裏にフラッシュバックする等PTSD(心的外傷後ストレス障害)気味の原左都子であるが、我が家は津波被害もないのだからもうそろそろしっかりしなくては、と気持ちを奮い立たせようとしていた矢先である。
 (もう3日も経過したのに、一体何で未だに交通網が混乱しているのだろう??) との不可解感を抱きつつテレビのスイッチを入れたとたん、その原因が判明した。

 一昨日から報道されている東京電力の「計画停電」の影響が、早々に首都圏の交通網に波及しているのだ。
 一昨日そのニュースを見聞して、我が家でも1日3時間程度の停電には協力しようと家庭内で話し合っていたのであるが、それが交通網等公的機関にも及ぶ考察がすっかり抜け去っていることにやっと気付いた私である。

 そろそろスポーツジムにでも行って体から元気を取り戻そうか、とも考えていたのだが、やはり「計画停電」の影響でジムは17日まで臨時休業とのことである。
 その他ネット上を検索してみると、多くの施設や店舗が「計画停電」の影響でしばらく閉館(閉店)とのことのようだ。 
 参考のため、昨日震災後初めて自宅近くのスーパーマーケットへ足を運んだのだが、噂通り食品の品薄は激しいものがある。 いつもは店内一杯に陳列されている食品棚のほとんどがガラガラ状態だ。(しかも節電のため、店内は薄暗い。) 特に著しく品不足であるのは、パン、牛乳、野菜、豆腐類、魚肉類等の生鮮食料品だった。 保存食であるカップめん類や冷凍食品、缶詰、レトルト食品、そしてペットボトル類が品切れ状態であるのは、おそらく今後大震災被害が長引く場合に備えて家庭内の備蓄を確保しようとの市民の計画性に基づくものであろう。 (その点我が家は既に大幅に出遅れてしまっているようだが、首都圏における食糧供給は時間経過と共に改善されると楽観視をしている原左都子の判断は甘いのであろうか?)


 津波被害を受けた地方の被災の甚大さや苦悩に思いを馳せると「計画停電」ごときは当然受け入れるべきであるが、昨日の東京電力及び国の対応のまずさには、その対象地域である我が家も大いに混乱させられた。
 我が家が位置する東京23区の区役所の“防災放送”からも、「計画停電」に関する連絡はあった。 ♪何時何分から何町何町、そして何時何分から何町何町において「計画停電が実施されます」♪ (幸い、我が家が位置する町はその対象ではなかったのだが。)
 ところがその後の報道において東電及び政府の「計画停電」実施が右往左往し、昨日は関東地方全域に渡って大混乱状態を余儀なくされたのである。


 その混乱と平行してもっと恐怖であるのが、表題に掲げた東京電力福島第一原子力発電所に設置されている4機の原子炉の壊滅状態だ。
 大津波の被害だけでも破壊を余儀なくされている東北地方に、さらに追い討ちをかけるがごとく、福島原発の原子炉が爆発して人体に影響するレベルの放射能を放散し続けている。
 少しは心身を休めたい原左都子であるのだが、今回の大地震において“最悪の事態”とも捉えられる福島原発破滅状態にも目が逸らせるはずもない。

 本日見聞したテレビニュース報道によると、福島第一原発に設置してある原子炉の4機全部が順を追って壊滅状態に陥っているようだ。
 その原因は水素爆発であったり、格納容器の損傷であったり、火災発生であったりするらしいが、それらの破損により検出された3号機近くの放射線量が400mシーベルトであるとの報告である。

 元医学関係者である原左都子も過去において仕事上の関係でRI(放射性同位元素)を取り扱った経験があるのだが、専門家とはある程度のRIに関する知識があるからこそ、その扱いに関して慎重な行動が可能なのである。

 今回報道が繰り返し伝えている通り、放射性物質とはその被爆量が少量であるならばすぐさま人体に際立った症状が出るという性質のものではない。(それ故に、何らの痛みも出なければ何の症状も表出しない。)
 そういう認識をふまえているからこそ、東京電力も政府も「落ち着いて行動して下さい」とのみの報道に留まっているのであろう。
 それでも原左都子が報道に望むのは、今現在福島原発が放出している“人体への影響が決して少ないとは言えない”放射性物質が将来に渡って国民に及ぼすダメージにまで触れて欲しいということである。 そうすることによって半径30km圏内の住民は将来に渡る危機感を抱け、避難行動あるいは隔離行動を即刻実行できると思うのだが…。


 1000年に一度の大震災とは言え、何故に大昔の過去から津波が多発することが自明である地域に、地域住民の大反対に逆らってまでもこの国は東北のこの地に津波地震で崩壊する運命にある原子炉を打ち建てたのか??

 大地震は「天災」であるが、今回の原子炉爆発は「人災」であることは否めない事実であろう。
 
 その責任を叩きたい思いが山々なれど、今現在はそこまで議論を拡大している場合ではないことは原左都子とて十分に承知している。
 
 とにもかくにも津波被災者の方々の無事と安全を祈ると共に、大津波に耐えて生き延びられた被災地の皆様は、今後放射線の被害からも身を守るべく行動されますように。
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悪夢の大震災、その時私は…

2011年03月12日 | 時事論評
(写真は昨日3月11日午後2時46分頃、東北・関東地方で発生したM9,0大地震一波大揺れ直後に撮影した我が家の被災状況の一部。 棚からCD類が大量に落下し床に散乱した。 余震中の撮影のため大きく手振れしています。)


 その時、外出予定があった私はその準備に取り掛かろうとしていた。
 「あっ、揺れている。これは地震だ。」
 通常地震発生直後には地震速報は出ないため、もうしばらく様子をみてから後テレビのスイッチを入れようとしていたら、どんどん揺れが大きくなる。 (これは尋常な地震ではないぞ)と思い始めるのと同時に、和室に設置してある高さ230cm程の書棚が前後に大きく波打ち始め、上部が後ろの壁にぶつかってはドーンと大音量を発し開き戸が全開してしまった。 咄嗟に(中の書籍が飛び出したら大変だ!)と思った私がその扉を閉めようと和室に駆けつけたところ、横の机の上に山積みにしてあった書物や資料等々が机の揺れと共に和室一面に放り落とされてしまった。 そして、書棚の揺れはますます大きくなるばかりだ。
 この時私は、ここで書棚を押さえていたのでは必ずや倒れて、もしかしたら我が命を失うであろう事がやっと想定できたのだ!
 (書棚が倒れる心配よりも自分の命をつなぐ心配をするべきだ!)と少し冷静さを取り戻してみるものの、和室から見えるリビングルームの置物はすべて床に放り落とされ、壁に掛けていた絵画等も落ちて散在している。
 尚、揺れがおさまる気配はない。
 とりあえず自分の命を守ることを優先した私は、自宅内の物が落下しない場所に立った。 立っていられない程の揺れであるのだが、座ると上から物が落下してケガをする恐怖感で座る気になれないのだ。

 やっと一波が通り過ぎた後に尚小さな揺れが続く中テレビのスイッチを入れると、東北地方の大津波警報が発信され 「すぐに高台に避難して下さい。しっかりした高いビルの上階に避難して下さい!」 との悲鳴にも似たアナウンサーの指示が流れている。
 私自身は東京地方に特化した情報こそが知りたいのだが、そんなことよりも大被害を及ぼす津波警報が優先されるのは当たり前である。

 これは自分で今取るべき方策を判断するしかないと悟った私は、とりあえずベランダから周辺地域の状況を観察した。(参考のため、いつもは手で開けるにも力がかかる程の重量があるベランダ側の大型二重ガラス窓が、先ほどの大揺れで開いた状態である。)
 一見したところ近隣住居の中に倒壊した家屋はなく平静を保っている様子で、近くの公立小学校から児童向けの地震発生のアナウンスが聞こえては来るものの“古い校舎”が崩れている様子もない。
 
 おそらくこのまま自宅にいるのが一番安全だと悟った私は、まだ大揺れ余震が続く中、家中の見回りを開始した。
 台所に行けば食器棚の下段から食器が転がり落ちている。(食器棚上段に関しては開き戸を固定できる構造であるため、棚内部での落下にとどまっている。)
 娘の部屋でも、やはり学習机の上の教材や書棚の中身が部屋に落下し散乱している。
 そして、身内の部屋では(上記写真のごとく)オーディオ棚の上に積み上げてあったCD類が床一面に散乱している状況だった。
 (その後の我が複数の知人等からの情報収集によると、我が家は集合マンションの“上階部”に位置しているために低層部、あるいは一戸建て住居より“揺れ”が激しかったと考察できるのだろうか…??)


 次の心配は我が娘! であるのは親として当然である。
 首都圏の交通網は全面マヒ状態だ。 そろそろ娘の下校時かと思い早速携帯通話を試みたものの、報道で見聞しているごとく携帯電話は一切繋がらない。
 16時を過ぎてパソコンからメールをしてみると、やっと繋がった! どうやら学校の指示で学内に留まった方が安全であるため学校で待機しているとのことで、娘からそのメール一報を受けて一応安心した私である。
 もし娘が早い時間に帰宅した場合、自宅内の惨状を見せてトラウマに陥らせることは避けたいと考えた私は、結構激しい余震が続く中果敢にも散乱物の“片付け”行動に入ったのだ。

 ある程度の片付け後、今度は夕食の準備をしようとするとガスが付かない。(そりゃそうだろうなあ。この余震が続く中“火”など使ったものなら被害を拡大するだけだ。)と悟った私である。 我が家では電気と水道が寸断されていなかったことが大いなる救いだった。

 娘に話を戻すと、首都圏の交通網は昨日中の復旧が不可能状態のようだ。
 「下手に大混乱の首都で“帰宅難民”になるよりも、もしも学校で一夜を明かせるならばそれが一番の安全策!」との私の指示に素直に従った我が娘は、所属高校の体育館で「緊急対策グッズ」を配られ眠れぬ中何とか一夜を凌いだようだ。
 今朝から復旧したJR等を大混雑の中乗り継ぎ2時間程をかけて帰宅した我が娘は、今回の記録的大震災により人生初めての惨劇を自らの体で経験して疲労困憊した様子で今現在眠りこけている。 (目覚めたら、今後のトラウマとならぬよう親として重々フォローしてやるつもりだ。)


 今回の記事では、東京地方に住居を構える原左都子が昨日より経験している大地震の現況について伝えてきた。

 東日本の太平洋側各地では、今尚津波警報対処を余儀なくされている。
 そして原子力発電所の放射能漏れの事態も深刻である。

 日本の歴史上最大級である今回の大震災の被害状況は、今後の調査と共に大幅に拡大するであろうことを察していたたまれない思いだ。
 東京の我が家でも今まだ余震が続いていて、油断できない今後の日々である。
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まさに “学級崩壊” 状態の民主党政権

2011年03月10日 | 時事論評
 自民党の小池百合子氏も、なかなかうまいことを言ったものだ。
 「今の民主党政権は、“学級崩壊”状態」… 
 一昨日(3月8日)のテレビニュース報道でこのフレーズを見聞した私は、まさに的確な表現!と唸ったものである。


 担任である菅先生に学級を統率していく力量がないならば、学級委員達が少しはそれをフォローすればいいものを、クラスのリーダー的立場にある“ポスト菅”の閣僚達が総崩れ状態を余儀なくされている。
 この学級の下っ端の生徒達も自分が属するクラスの混乱状態をプラスの方向に改善する意欲など一切ないようで、自分勝手にハチャメチャ好き放題の行動を取っている。
 「我々は16人で結託してこのクラスから出て行くぞ!」 「ボクだって担任が嫌いだから学級委員なんか辞めてやるよ」 「私はこの学校を退学するわ」……

 てんやわんやの大騒ぎの民主党学級であるが、担任の菅先生は23年度の学校予算案成立に向け、その指導力のなさにより他の複数の学級の担任どもから日々吊るし上げられる始末であり、それに対応していくことが精一杯の有様である。
 頼るはクラス委員の生徒達であるのだが、これまた他の学級の担任から、学校の規則に違反したことを責められた前原クンが突然クラス委員を辞めるといい始める。焦った菅先生は「お願いだからクラス委員を続けてくれ…」と嘆願するものの、前原くんはとっとと委員を辞めてしまった…  厚生委員の細川クンも前委員であった長妻クンからの引継ぎがうまくいっていない(?)等々の理由で他の学級担任から「お前も辞めろ!」と責められるわ… 


 幹事長の岡田氏は、“学級の元ガキ大将”であり実質的実力者であった小沢氏の処分を主導してはいるものの、それが元で小沢氏支持勢力から大いなる批判を浴びる結果となっている。  民主党比例代表選出小沢氏支持派議員16名が、先陣を切って「民主党・無所属クラブ」離脱届けを提出したのは先月のことであった。
 岡田氏の幹事長にしての党内統制力のなさは端で見ていても辛くはあるが、今回の小沢支持派議員16名達の“離脱届けの茶番劇”には呆れ果てた原左都子である。 民主党執行部の小沢氏に対する対応が気に入らないのであれば、選択肢としては「離党」しかないであろうに党派離脱とはどうしたことか? 執行部の対応は気に入らないが民主党にはしがみついていたい野心が露呈したのみの愚かな行動であった。 

 同じく小沢氏の側近である松木謙公前農水政務官も、民主党執行部が小沢氏の党員資格処分を決めたことに反発して、2月に政務官を辞任した。 今尚国会内で記者団に「菅直人首相には1秒でも早く辞めてもらいたい。」と強調しているらしい。
 それは自由にすればよいのだが、この人が辞任を表明するタイミングがちょうどニュージーランド大地震で日本人が倒壊ビルの中に取り残されている直後の報道と重なったのが、端で見ていて大いに印象が悪かったものだ。(国会議員たるもの、自らの辞任のタイミングぐらいは考慮するべきだよなあ。)

 民主党の佐藤夕子衆院議員も小沢支持派の衆院1回生「北辰会」メンバーとのことであるが、この人は名古屋市の河村たかし氏を支援する意向で新会派「減税日本」を立ち上げることを目的に、離党届を岡田幹事長に提出したようだ。 「離脱」先陣組16人と「北辰会」のメンバーが、今後民主党を離党して合流することが予想されるとのことである。
 好きにすればいいと言いたいが、民主党議員として国民に選出された後さほどの年月が経過していないことを勘案すると、その責任を取るためには早期に議員辞職し出直した後に自らの理想を追うべきではないのか? 


 ここで一番気になる前原誠司前外務大臣の辞任劇に話を戻そう。

 今回、前原氏が野党自民党から辞任を迫られた“外国人からの寄付”は政治資金規正法によって禁じられている。
 民主党は小沢氏の“政治とカネ”問題を今尚引きずっているからこそ野党から容赦なくつつかれていることを、政権閣僚たる者は神経をすり減らしてでも認識しておくべきであった。
 にもかかわらず「ポスト菅」後継者レースの筆頭に位置していたとも言える前原氏が、何故にこの種の初歩的なミスを犯したのであろうか??  実に理解に苦しむ今回の政治献金騒動であるが、献金者は前原氏とは中学生の頃から親交がある在日韓国人女性であるとのことだ。 それ程親しい関係であるならば、尚更その女性からの献金を想定して対処しておくべきだったはずだ。 その落ち度を勘案した場合、野党から辞任を要求されても致し方ないであろう。
 ところが、前原氏の辞任の判断が早急過ぎたとも捉えられるのが今回の“辞任劇”の特徴でもある。 予算関連法案成立の目途が立たない菅総理にとって、前原氏の辞任は大いなる痛手であることは前原氏自身も当然認識していたことであろう。 そんな菅総理より外務大臣慰留を強く要請されたにもかかわらず、前原氏はそそくさと辞任を表明した。
 上記在日韓国人女性からの献金額とは、4年間でわずか20万円であったとの報道である。 金額にはかかわりなく違法は違法なのだが、それにしても釈然としない辞任劇だった。 
 もしかしたら議員としてはまだ年齢が若い前原氏は、菅政権の下で大臣を続けるのがとことん嫌になっていたのかと原左都子など勘ぐってもしまうのだが、どうだろう…??


 それにしても、学校教育現場のみならず国政を担っている政党内においてすら“学級崩壊”現象が生じてしまう今の時代を、国政こそがどうにか対処出来ないものなのか??
 これはやはり、子どもの教育論から出発し直すしか他ないのであろう。

 それ以前の問題として、国民の貴重な一票から国会議員に選出された大の大人達が自らが所属する与党政権内で“学級崩壊”ならぬ“党内崩壊”状態を作り出してしまうことの愚かさを、自らが大いに反省し出直すことから始めるべきであろうことは明白である。

 現状の醜態を今後も国民の前で晒し続けるのならば、貴方達には日本の将来を背負って立つ子ども達の教育論など語れる資格は一切ない!、と原左都子は結論付けるのだ。
           
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原左都子が選ぶ 「みんなのうた」 トップ10

2011年03月07日 | 音楽
 今回の記事は、3月5日付朝日新聞 別刷 「be」 “beランキング” の記事  「私の好きな懐かしの『みんなのうた』」 の形式をそのままパクらせていただいていることを、あらかじめお断りしておきます。

 上記朝日新聞記事によると、NHKテレビ番組「みんなのうた」の放送が始まって今年で50年になるそうだ。
 この半世紀の間に「みんなのうた」において放送された楽曲総数は1300曲に及ぶとのことである。 あまりにも多い楽曲数の中から、今回の朝日新聞記事では初期の1961年から79年までに放送された歌に絞って読者アンケートを行ったとのことである。


 テレビ放送の歴史と共に歩んできたとも言える長寿番組「みんなのうた」であるが、原左都子も子ども時代に「みんなのうた」を見聞して育った児童の一人である。
 両親が共働きだったため“おばあちゃん子”であることを余儀なくされていた私は、学校の放課後近所の子らと外で思い切り遊んだ後、夕刻母の帰りを待つ束の間の時間帯に、NHKにて放映されていた子供向けテレビ番組を見るのが日課だったものだ。
 私の記憶によると、1960年代の「みんなのうた」の放送は夕刻17時55分からであったとの認識があるのだが違っているだろうか? この「みんなのうた」の後、「ひょっこりひょうたん島」等の人形劇が放映されていた記憶もあるのだが…??

 当時の「みんなのうた」は1ヶ月を通して毎日放送する主たる楽曲と、曜日により曲目を変える歌との2部構成だった記憶があるのだが、どうであろうか? 
 
 
 それでは、まず最初に上記朝日新聞“beランキング”読者調査による「みんなのうた」トップ10を紹介することにしよう。

    1位    大きな古時計            
    2位    北風小僧の寒太郎  
    3位    山口さんちのツトム君    
    4位    ドレミの歌
    5位    手のひらを太陽に    
    6位    おお牧場はみどり
    7位    アルプス一万尺   
    8位    虹と雪のバラード
    9位    南の島のハメハメハ大王
   10位    ドナドナ 


 へえ、そうなんだ。 ふ~~ん。
 このトップ10結果を一見して、今回の朝日新聞アンケートに回答した読者とは私よりもひと回り以上若い世代が多数を占めていたのではなかろうか、と原左都子は推測するのだ。
 
 上に記した通り、1960年代前半を中心に「みんなのうた」を楽しんでいた原左都子の想い出の楽曲は、今回の朝日新聞アンケートとは趣を異にしているようだ。


 いよいよそんな原左都子が選ぶ “「みんなのうた」トップ10” を以下に発表することにしよう。
 今回の“トップ10”選抜基準とは、あくまでも1960年代に「みんなのうた」放送を見聞したことによる大いなる“偏り”があることをご了承願いたい。
 (今回私が選曲したすべてが、1960年代の楽曲です。) 

 1位   もえあがれ雪たち
  ♪ もえあがれ雪たち ぼくらの街に降る ススに汚れた雪たち
    君たちの結晶が ガラスより鋭く 貫いて刺す時
    もえあがれ雪たち  青い炎の色に            ♪
 「みんなのうた」と言われて原左都子の脳裏にまず浮かぶのはこの楽曲である。 
 1960年代高度経済成長期の当時、公害に対する法的規制など一切ないままに国政が工業化を推し進めた挙句人が住む街に工場が乱立し、冬に降る雪とて汚染されていた時代背景だった。
 そんな日本の1960年代に降る雪を的確に捉えている歌詞であると思うのは今になってのことであるが、メロディーラインもすばらしく、これぞ1位に匹敵する名曲である。!
 (折りしも今日の東京も早春にして季節はずれの雪模様…。 我が脳裏にこの曲を思い起こさせてくれるのだ。)

 2位   勇気の歌
  ♪ 熱い砂漠に風が吹き 稲妻光る地平線 ♪
 子どもを勇気付ける歌詞の力と共に、メロディラインがすばらしい楽曲である。

 3位  ピエロのトランペット
  ♪ ピーピリピー ピリピー ピリピー  返してあげてねピエロのトランペット ♪
 この楽曲は、サーカスのピエロが自分のトランペットをなくしてしまいそれを探している情景を歌った曲だと記憶しているのだが、そのメロディラインの切なさに心を打たれたものである。

 4位  さあ太陽を呼んでこい
  ♪ 暁の空 明けの空 もうじき明日の陽がともる  ランラランラランラ… ♪
 2位に選曲した「勇気の歌」共々、子どもを勇気付ける力があった楽曲である。

 5位  トム・ピリピ
  ♪ トム・ピリピは5隻お船を持っている  
    幸せなトム・ピリピ 大金持ちのトム・ピリピ  ♪
 ところが、このトム・ピリピは大ほら吹きでもあることが歌詞の最後にバレる展開の楽曲で、当時の私は子ども心に「トム・ピリピは馬鹿だよな~~」などと素直に感じたのだ。 それもトム・ピリピの持ち前の明るさだったことを後に認識し、ストーリー性がある楽曲とも言えるのだ。

 
 6位以下は、楽曲と原左都子の多少のコメントだけを紹介することにしよう。
 
 6位  地球を七回半回れ
 この楽曲にはスポーツカーが登場するのだが、まさに1960代当時の「カー、クーラー、カラーテレビ」3C時代を象徴しつつも、ドラムスの軽快なリズムに乗せて最先端文化を表現しようとする歌だったのではなかろうか。

 7位  誰かが口笛吹いた
 
 8位  ゆかいに歩けば

 9位  踊ろう楽しいポーレチケ

 上記3曲は、「もやは戦後ではない」と言われた時代に生を受けた子ども達を勇気付けるがごとくに“前進”を促す趣旨の楽曲だったと言えるであろう。

 10位 クラリネットこわしちゃった
  ♪ ボクの大好きなクラリネット  パパからもらったクラリネット
    とっても大事にしてたのに  壊れて出ない音がある
    どうしよう  どうしよう
    ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない        ♪
 この楽曲は上記朝日新聞記事に於いても13位にランクインしているように、今尚スタンダード名曲としての地位を築いている。
 中学進学後ブラスバンド部に入部した原左都子にとっても忘れもしない曲であるため、あえて下位にランクインした。
 

 皆さんは如何でしょう? どんな「みんなのうた」の楽曲に思い入れがありますか??



 P.S. 
 最後に余談であるが、それにしても今のネットの検索力は恐ろしい程である。
 今回、原左都子がこの記事を綴るに当たり1960年代「みんなのうた」に関して記憶している“わずかな歌詞”をキーワードにネット検索を試みた。 そうしたところ、50年の年月を経た今すべての楽曲の影像を見聞することが可能だったのである。
 それは一瞬うれしくはあるものの、こうやって人の想い出がリアルに顕在化され過ぎ、想い出が想い出でなくなり陳腐化されてしまい、人の感性までもが色褪せてゆく寂しさも実感させられる思いだ……

 それはそうとして、上記に掲げた「みんなのうた」バックナンバーはネット上の“ユーチューブ”等を通して気軽に楽しめますので、もし思い入れがある楽曲がありましたらご検索されますように。 
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