原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人と話したい、でも相手がいない、そして孤独死……

2011年07月14日 | 時事論評
 大震災の発生後、仮設住宅に単身で移った後に孤独死するお年寄りの報道を見聞するのは、今回の東日本大震災が初めての事ではない。

 例えば過去における阪神大震災でも、同様に仮設住宅で孤独死したお年寄りの総数は悲しいかな230人を超えていたとの報道である。


 体育館等の避難所で暮らすお年寄りにとっては、事務的所用等何らかの用件で現場担当者や周囲と話す機会はあろう。 もしその機会がなくとも、同じ建物内に人がいて、そこがたとえ避難所という過酷な空間であれ人々が生活を営んでいる実態を間近に見ることが出来るだけでも、今後自らが生きていく少しばかりのエネルギーのお裾分けがもらえるということなのではあるまいか。

 ところが一人暮らしのお年寄りが仮設住宅に入居した時点で、“孤独死”の危険性が大きく拡大する実態の程は重々想像できる。
 朝日新聞7月6日の報道においては、仮設住宅に入居以降 「一ヶ月誰ともしゃべっていない」 お年寄りの実態を捉えていた。 そのお年寄りの地域では、自治会が立ち上がっておらず住民同士が集う機会がないらしい。 上記の年寄りは無言でテレビの前に座る日々を一ヶ月間耐えた後、さすがに限界だったのだろうか、自転車に乗って震災前からの知り合いが多く住む地域まで足を運び、やっと人と喋る機会を得たのだと言う。
 上記のお年寄りは、自転車で遠出可能な身体能力が備わっていたからまだしもよかった。 
 別の仮設住宅で手押し車に座ったまま一人で暮らすお年寄りは、地震発生時に胸と腰を骨折した痛手も抱えており、トイレに自由に行く事もななまらず紙おむつ生活の現状だそうだ。 せっかく抽選に当たって入居した仮設住宅だが知り合いもおらず、結局はそこでは暮らせない事を悟り、今は老人ホーム入居希望だと言う。

 この記事によると、自治体リーダーによる見回りや、仮設住宅に住む住民の交流の場となる集会所の設置などが重要であることが掲げられている。
 そして国政もこれらのお年寄りを「孤族」と呼び、それを支援するために特命チームを立ち上げてはいるらしい。 (その活動の程に関する報道を、一度たりとて見聞したことがないのだが…


 原左都子の見解も、被災地で孤立しているお年寄りに是非“愛の手”を差し伸べるべく対策を練るべき、という点では当然一致している。
 ただ、私の見解は上記朝日新聞記事が掲げている対策とは多少異なるのだ。

 と言うのも、私自身が現在「孤族」とも言えるお年寄りを身近に2人抱えている。
 それは我が母であり、そして義母である。 二人共被災地からは遠い地方に住み、日々一人暮らしをしている。 両人共に現在80歳近い年齢故にその年齢相応の若干の身体的不具合を抱えているものの、一人暮らしをするにあたって特段の障壁はない様子である。
 その2人がそれぞれに口を揃えて言うのだ。 「“老人会”のような集会に自治体から誘われて参加してみても、皆が同じ事を上から指示されてやらされるだけでどうもつまらない。ああいうのに参加するのはまだまだ先のことかもしれない…」
 そして、2人はそれぞれに自分の趣味に励んでいる様子だ。
  過疎地の田舎に住む我が母は、得意の手芸の腕を活かしてボランティアで老人ホームに手芸の指導をしに行ったり、あるいは週に一度俳句の会に通い、優秀作を会誌に掲載してもらっては充実感を得ているようだ。 
 はたまた大都会に住む義母は昔から社交ダンスを習っている。今尚ハイヒール姿が似合うスリムな義母は、ダンス会場では男性にモテモテのようだ。 美人で華やかで元々“舞台向き”素質の義母は最近合唱も始め、先だって舞台に立ったようだ。

 それでも、元々“お喋り”の我が母に関しては、“人との繋がり”を絶やさぬために日々工夫をしている様子を母からの電話での会話で私は感じ取っている。
 その一つが“病院通い”“接骨院通い”等、健康維持と会話のセットが叶う目的地に出向くという手段である。 特に接骨院では院長とすっかり仲良くなり、暇を見ては接骨院でマッサージをしてもらいつつ会話に励んでいる様子である。


 我が身内と大震災被災者とを比較してみても、らちが明かないことは承知している。
 それを承知の上でさらに原左都子の見解を述べるならば、仮設住宅の「孤族」を救済しようとして“通り一遍の地域論”を持ち出したところでそれは既に時代遅れではないかということだ。
 自治会リーダーによる見回りに関しては、もしかしたら孤立死に至る気配があるお年寄りを救えるかもしれない。
 ところが、大震災被災者とて“個性ある存在”であるという発想がまったく欠けているのが、「集会所」を設けたらどうにかなるだろうとの自治体の旧態依然とした案である。  もちろん、そこに集ってくるお年よりも存在するであろう。その種の人々にとっては「集会所」も有益であろうことは私も認める。

 世の文化や学術芸術そして科学の発展によりそんなことでは満足出来ず、付き合う相手は自分で選びたいお年寄りが現在増えている現状ではあるまいか?
 その一例として挙げたのが我が身内の母であり、義母である。

 東日本大震災被災者のお年寄りの中にも、自治体がしつらえた集会所に行きたいという発想が湧かないから、仕方なく仮設住宅に引きこもるしかないお年寄りも存在するかもしれない。 
 それを、まさか「被災者のくせに我がままだ」と叩く国政や自治体職員がいないことを望みたい。
 
 何故ならば、この原左都子も我が母や義母を超越しそうな “我が道を行く”タイプであるからだ。
 原左都子が老いても、自治体からの「老人会に入ろう」なる指示に大人しく従おうなる発想は皆無であろう。
 そのようなお上の指導に従って自らが欲しもしない場で自治体が指示するくだらない老人体操やパソコン教室に励んだり、お茶をすすりながらつまらない会話に耐えるならば、「孤族」の立場で死んだ方がよほどマシであることは目に見えている。


 どうか国や自治体は、仮設住宅における孤独死防止にあたって“お年寄は皆馬鹿”との発想に基づいた集団主義的救済策を提示することを考え直し、お年寄り個々に応じた対応策を吟味して欲しいものだ。
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ストレステストの内容及び結果の詳細公開を

2011年07月12日 | 時事論評
 本日(7月12日)昼間のNHKニュースによると、玄葉国家戦略担当大臣は第3次補正予算案において「節電誘導予算」を盛り込みたい旨を発表した。
 福島第一原発事故を受け、使用電力節減のため国民皆が日々努力を重ねて来ている訳だが、玄葉国家戦略相曰く「今後は“我慢の節電”ではなく、国家が政策制度を構築することにより国家体制として節電を実行していきたい」云々… とのコメントを述べたようだ。

 菅政権の大震災復興に向けての対応の遅さに今さら驚くでもないが、原左都子がこのニュースを見聞して「えっ、震災発生後4ヶ月が経過したこの期に及んで、節電に関してお国は未だ何ら制度的対策を練っていなかったの??!」 と、またもや唖然とさせられたものである。
 
 6月下旬から既に猛暑続きの日本列島であるが、この猛暑の中、下手に節電に励もうものなら“熱中症”により命を落とす国民が例年の比ではなく発生するであろうことを私は既に懸念していた。 個々人の節電対策とは健康第一を主眼として実行しないことには命に繋がることを、近々このエッセイ集で訴えようと思っていた矢先である。

 お国が節電対策目的で今までに具体的に実行した政策(政策と表現するのもおこがましいが)とは“スーパークールビズ”だけなのではなかろうか?

 その点、民間大手製造業などは“工場稼動日変更”との思い切った対策を打ち出し、6月末より既に実施している。
 我が家の身内もその煽りを受けているのだが、木金という平日に身内に休まれることによる“弊害”をこの原左都子も被っている。 それでも、電力使用料が莫大な製造業の稼働日変更による節電対策は国全体に大きな節電効果をもたらしているであろうことを肝に命じ、9月末までは我慢の木金である…


 話が変わって、本日のNHKニュースでは福島第一原発の「汚染水浄化設備」から汚染水が漏れ出す故障が発生し、またもや装置が停止を余儀なくされているとの情報も伝えていた。(この装置における故障が繰り返されるニュースを日々聞き飽きた感もあるのだが…) 
 原発事故回復に向けた東電による短期工程計画の“ステップ1”の期限が間近に迫っている今、その達成は困難とのニュースであった。(これだけ故障が多発してれば、そりゃそうだろう

 昨日の別のニュースでも見聞したが、福島原発事故対応のため設置した汚染水処理用のパイプが“老朽化”のためか破損して高濃度汚染水が漏れ出している事態がその影像と共に報道された。 その他にも、事故対応のために建設した建屋類も既に“老朽化”していてより頑丈な素材の事故対策建屋や部品に交換する必要があるとのことだ。
 東電や政府は一体全体、福島原発事故に対して如何なる復興計画を立て、現地にその建造物を建設し装置を設置したのか?  レベル7の原発事故が“安普請(やすぶしん)”の対応で成り立つはずもない事は歴然であろうに…。
 事故発生からわずか4ヶ月にして、事故対応の建屋を建設し直したり装置を取り替える事による経済的損失や、高濃度汚染水の土壌や地下水への放散の実態、そして作業員の皆さんの無駄な放射能被爆の程を推測して心が痛む思いである。


 そしていよいよ表題に掲げた「ストレステスト」に話題を移そう。

 本日の国会に於ける論議において、菅総理は野党から玄海原発再起動に関する混乱や「ストレステスト」のあり方に関する質問を受けたようである。
 それに対し菅総理は「玄海原発再起動に関して総理である自分からの指示が遅かったり不十分であったため、皆さんに迷惑を掛けたことをお詫びする」云々と述べ、ストレステストに関しては「最終的な責任は国家が担う」ことを表明した様子である。

 福島第一原発事故という世界の歴史上稀なレベル7の放射能汚染を発生させ、世界中を恐怖と不安に落としいれ多大な迷惑をかけている当該国である我が国が、未だに原発の安全性に関して何の政策をも採っていなかった事実に呆れ果てると言うものだ。 
 (EU諸国の中には既に原発廃止を国民投票や政府の判断において決定した国も複数ある中、原発事故を引き起こした日本において未だに原発推進を掲げる政治家が存在することに愕然とさせられる思いである…)

 玄海原発を再起動すると海江田経済産業相が突如として発表し、それによる様々な波紋を受けた後に、やっと我が国でも「ストレステスト」を実施するに至った事にとりあえずは安心と言ったところである。

 ところが蓋を開けてみれば、菅政権が言うところの「ストレステスト」の内容が一切吟味されていない現実であるようだ。
 昨日の枝野官房長官の会見によると、原発が建設上の想定を超える地震や津波にどこまで耐えられるかを調査する1次評価を実施した後に再起動の是非を判断する、との表現に留まっている。
 さらにそのテスト結果を一体誰が評価し判断するのかと言えば、昨日の枝野官房長官会見によると経済産業省の「原子力安全保安院」であり、はたまた「原子力安全委員会」であるとのことだ…

 ちょっと待ってくれよ。 

「原子力安全保安院」と言えば、大震災発生直後から原発事故に関してテレビニュースでよく顔を出す国の独立行政法人だよね~~。 要するに官僚の天下り先だろ?? なんか、ニュースによく顔を出していた人物が女性問題で更迭されたという話もあるし??
 それから、「原子力安全委員会」……。 これは政権が扱い易い著名人を集めた諮問委員会ではないのか? その著名人達にどれだけの原発に関する専門力があるのだろうねえ~~???

 原左都子に言わせてもらうと、こういうのにはほとほとウンザリだよ。
 つい先だっての5月にも、菅政権は政府の福島原発事故に対する事故調査・検証委員会委員長として、東大出身の畑村氏なる工学博士を任命したようだ。 この方とは、「失敗学」なる一種“奇をてらった”理論を持ち出して世に知名度を挙げた人物であることは私も承知している。 ただ、畑村氏の原発事故やその放射能汚染に対する知識の程は如何なるものか私は心得ていないし、その情報も得られない。

 菅さん、自民党政権時代から存在するこの手の“知名度だけが取り得の人物を集めた諮問委員会”など、それこそ政権が交代したのだからそろそろ廃止してはどうなのか! 

 その代わりに政府が打ち立てた「ストレステスト」の内容及びその結果の詳細に渡るデータを、国民皆に即時に逐一公開して欲しいのだ。
 その方が、世に名を売らず地道に研究を続けている学者や研究者達から建設的で信憑性が高い反応が得られるであろうことは間違いないよ。
 そして知名度だけが取り柄で何ら役にも立たない諮問委員会の委員達に対し、無駄な報償を出すことにより国税を食い潰す弊害もなくなるというものだよ!
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放射能汚染から我が子を守って何が悪い?!

2011年07月09日 | 時事論評
 本日(7月9日)昼間のNHKニュースによると、福島第一原発の遠い将来における廃炉に向けた中長期工程表が発表されたとのことだ。

 ニュースによれば、各号機からの核燃料取り出しまでにおよそ10年を要し、その後原子炉解体撤去までさらに数十年の年月を要するとのである。 
 米国スリーマイル島原発事故に比して、福島第一原発事故の場合事故直後に炉心がメルトダウン状態に陥り、その後の水素爆発により原子炉格納壁が破壊されてしまっていることが大きな痛手のようだ。 そのため放射能処理に難儀を極め、廃炉まで長い年月を余儀なくされるらしい。
 原左都子が推測するに、数十年後の原子炉解体撤去後の土壌や地下水汚染状況の調査にさらに年月を要するであろうどころか、悲しい事に原発跡地周辺は永遠に人が近づくことが不能な“不毛の地”となるのであろう。

 これ程悲惨な原発事故を起こしその後始末に難儀を極めている当該国である日本において、九州電力管轄内の玄海原発を再起動すると海江田経済産業相が発表した時には、原発反対派の私は心底愕然とさせられた。
 その後政府はストレステストを実施した後に再起動を改めて考慮する等々と発表し直したことは、皆さんもご存知の通りである。
 誰が玄海原発再起動にゴーサインを出したのかもうやむや、ストレステストの内容も未決定、等々で菅政権は今までにもまして大混乱の渦中である。 さらには九州電力が提携格下企業等に対し再起動に向けて賛成を促すメールを送りつける不祥事までが発覚する始末だ。
 福島第一原発事故の痛手を真に理解できている国の指導者や電力会社が、この国には存在しないことを見せ付けられた思いである。


 そんな折、我が子を連れて病院に行った待ち時間に週刊誌 「AERA」 に目を通す機会があった。
 私は朝日新聞のファンではあるが、同社が発刊している「AERA」を普段購読することは皆無である。 「AERA」に限らずこの手の週刊誌とは、その記事内容において客観性に欠ける要素が大きいのに加え、娯楽色を狙ってデフォルメがなされている感が否めないためである。
 
 その「AERA」の記事の中で、子どもを持つ母親の日頃の放射線汚染対策が取り上げられていた。
 この記事自体もデフォルメ感が強いことは承知の上で、私の記憶の範囲で紹介してみよう。
 千葉県に住む某母親は、小学生の子どもの学校給食で出される食材の放射能汚染を心配して毎日手作りで弁当を持たせているとのことだ。 子どもが一人だけ弁当を持参することに対して疎外感を抱かないように、毎日学校給食と同じメニューの弁当を手作りしているとのことである。 手作り弁当を持たせる理由として学校には「放射能汚染食材を避けたいため」とは言えず、「アレルギー対策」と偽っているらしい。
 東京都に住む別の母親は、中学生の子どもの学校が放射能汚染が比較的高い地域である関東地方に何泊かの予定で校外学習に行く事が決まった折、「今なぜその地域であえて校外学習をする必要があるのか? 地域を変更してはどうか」との意見を述べたらしい。 そうしたところ、「この地域の公立中学では皆そこで校外学習を実施しているから、我が校でも変更の予定はない」との返答が学校から来たとのことである。

 これらの母親の我が子の放射能被爆を避けるための切実な行動に対する周囲の反応が、あくまでも「集団主義」の範疇から出ていないことを原左都子としては実感し、唖然とさせられるのだ。
 例えば給食の例の場合、一人だけ弁当持参であることに対する周囲の目を幼い子ども本人が気にするのは致し方ないであろう。(その周囲とは年端もいかない子ども達なのだから。)  一方で、放射能汚染対策として弁当を手作りしている母親が、その理由を「アレルギー対策」と偽らねばならない点が大いに気に掛かる。 ここに日本の学校における“集団主義第一思想”を見せ付けられる思いだ。
 校外学習の事例に関しても、学校からの回答は「もし行きたくなければお宅だけ休ませて下さい」とのことのようだ。 これも集団主義の範疇を何ら超越できない短絡的な回答であり、子どもの放射能被爆に対する保護者の不安感に一切対応できていない。

 NHKテレビ報道でも同様の場面を見聞したが、福島原発に程近い小学校では子どもを校庭に出して遊ばせるか否かを学校が自ら判断できず、保護者各々の判断に任せているらしい。
 う~~ん。 
 確かに公立小学校の教員やそれを管轄している教育委員会レベルでは放射能の被害の程が理解できないのであろうが、レベル7放射能汚染地域において公教育機関が子どもを外で遊ばせる判断を「保護者に任せる」との責任逃れ対応は一体どうしたことか??!  そして、現実に土壌、外気共に汚染が激しい外の校庭で無邪気に遊ぶ子ども達の影像を見て“空恐ろしい”感覚を抱くのは私だけなのだろうか……


 上記「AERA」記事に戻ろう。
 子どもの放射能汚染に関して親が学校の対応を迫ると、学校から“モンスターペアレント”としての扱いを受けそうとのことである。
 これは過去において学校教育に対し何度か意見書提出を実行した原左都子も“モンスターペアレント”扱いだったのだろうと、我が身に替えて理解できる。 放射能汚染に限らず、グローバルな視野で子どもの教育にご意見申し上げたところで、そもそも公立学校とは“門前払いシャットアウト”のバリアを張りめぐらせているようだ。 保護者からの意見に対し返答を寄こさない強力な武器が、“モンスターペアレント”とやらの学校側が作りあげた造語なのである。 

 この「AERA」の記事においては、放射能から我が子を守ろうとする母親達の日々の闘いが何やら“歪んで”いるようにも伝わるのだが、福島原発事故のレベル7現状を捉えた場合、我が子を守ろうとして切磋琢磨している母親達の日々の努力こそに私は軍配を挙げたい思いだ。

 原左都子の私事に移るが、我が子の場合中学から私立に通い既に高3になっている暁においては大学受験一色である。 学校の給食もなければ校外学習とやらで放射能汚染地域に連れて行かれる事もない。
 それに比して、義務教育課程の公立学校に我が子を日々通わせ“均一指導”を余儀なくされるご家庭の苦悩を重々ご理解申し上げる。


 さらに怖いことに、「AERA」の記事によると放射能汚染に晒された人間に初期に襲う症状は“倦怠感”とのことである。
 これを医療機関に訴えても「単に疲れているのでしょう」「怠け癖ですよ」などと軽くあしらう医療機関の体質も、元医学関係者である私は分かる気がする…
 福島第一原発に程近い地域住民にこの倦怠感症状が出始めるのは、事故から半年程が経過するこの秋頃からではないかと「AERA」は推測しているのだが、もしその症状が多発した場合、医療機関は「単に疲れているのでしょう」で片付けず、必ずや内部被爆等放射能汚染を精査することを望みたい。

 
 レベル7の放射能被害とは、放射能汚染から子どもを守るべく学校に意見する保護者を“モンスターペアレント”扱いして済むような、そんなに生易しいものではないよ、公教育さん。
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生命体の継承と繁栄  -ベビーラッシュ編-

2011年07月07日 | 雑記
(写真は昨日撮影した我が家のメダカの様子。 とは言ってもメダカ自体が見にくい写真で恐縮なのだが…。 メダカの稚魚の写真は、左欄の最新フォトチャンネル内に別途掲載しております。)


 「原左都子エッセイ集」において我が家で飼育しているメダカの生育状況を綴るのは、これで5編目になろうか。

 大震災発生後間もない頃の4月4日には 「放射能の影響か?我が家のメダカに異変!?」 と題して、目が飛び出て2日後に死に至った一匹のメダカの様子を紹介した。
 あのバックナンバーには予想以上の反響を頂いたものだ。 「メダカの目が飛び出たのは放射能のせいではない」 「いや、やはり福島原発事故の影響は否めない」 等々、コメント欄において物議を醸した記事だった。
 その後の報道において、3月11日の大震災発生直後には既に福島第一原発原子炉はメルトダウン状態であったにもかかわらずその事実が隠蔽されていたことが、3ヶ月以上も経過した後に東電より発表された。 そして3月15日の水素爆発により、原左都子が住む東京にも大量の放射能が流れ込んだ時間帯があったことを、つい最近になって知った。
 水道水で飼育している我が家のメダカはやはりその放射能汚染により死に至った事を、今になって再度実感させられる思いである。
 神奈川や静岡のお茶葉のセシウム汚染も同様の理由であろう。

 ただうれしい事にはその他のメダカの目の突出症状は軽く済み、すっかり回復している。
 そして今年の初夏から沢山の卵を産卵し始め、この夏は“ベビーラッシュ”状態なのだ!


 ここで上記写真について、順を追って解説していくことにしよう。

 2009年9月に、おそらく春の産卵で生まれたのであろうクリームメダカの稚魚3匹を近くの農協で購入して、インスタントコーヒー空き瓶の中で飼育し始めたメダカ達である。
 その年の秋には早くも産卵を始め、その中から孵化した稚魚のうち3匹が成魚に成長した。
 ところが2010年春にはその6匹混合水槽の中で産卵は見られるのだが、どうしても孵化しない原因を原左都子なりにあれこれ探ってみた。
 その様子を本エッセイ集において公開したところコメント欄に様々なアドバイスをいただき、結局その原因が“近親相姦”故であると断定した私は、近くの農協に再び出向いて“異なるDNAグループ”のクリームメダカの稚魚を新たに3匹購入して来たのだ。
 そして秋が来て“異なるDNAグループ”メダカが成魚となり産卵を始めた。 この産卵により新たに4匹のメダカが育ち今年の春を向かえた。
 写真の解説をすると、一番左が初代及び“異なるDNAブループ”の成魚の生残りグループ4匹である。 次が昨秋生まれ孵化して成魚となった4匹のグループだ。 その他は稚魚達である。


 そしてこの春から夏にかけては、今に至るまで“ベビーラッシュ”と表現出来る程に産卵した卵が孵化するのである。(現時点でのメダカ総数は23匹である!)

 メダカを飼う事に詳しい人物の話によると「放っておいても繁殖力が凄いのがメダカだ」との事のようだが、飼育歴2年の道程はそう簡単ではなく、我が家では2年が経過した今やっとその域に達したかと思える段階に入ったようだ。
 ただ、あくまでも自身の医学的バックグラウンドに頼り“自己流メダカ飼育”を貫いている私にとっては、まだまだ油断は大敵だ。 例えば、孵化したての稚魚は虫眼鏡で見なければ分からない程に小さい。(生まれたてのメダカ程キラキラと透明で実に美しい!のだが…)  飼育親である私として、それをどうやって保護して生き延びさせてやるかの知恵と労力との格闘の日々なのだ。

 その知恵の一つが、写真のごとくの発育段階、生育状況に応じた瓶による“クラス分け”である。
 実は現在、上記写真に映っていない瓶も含め6瓶を台所のカウンターに並べてメダカを飼育している。 と言うのも、メダカの産卵は2ヶ月程に渡って続く。 その稚魚が孵化した時期によりメダカを分別してやらないと、大きい稚魚の激しい動きが小さい稚魚の睡眠や摂食活動を阻害するようなのだ。(人間だって赤ちゃん程睡眠時間が長いでしょ。) そのストレスや栄養不足より死に至る小さい稚魚が多発することに気付いた私が導入したのが、写真のごとくの“発育段階による瓶分別方式”である。


 お陰様で3月の福島第一原発事故による水道水の汚染にも一匹を除き耐え抜き、昨年異種DNAメダカ混合方式により仲間が増えた我家のメダカは、その継承と繁栄を今尚続けてくれているのである。
 
 ここで突然左都子自身の半生を振り返ると、結婚など二の次だったし、我がDNAを引き継いでくれる次世代の子供を設け後世にDNAを継承することなど、実際どっちでもよかった。

 ところがどうしたことであろう。
 我が家のメダカを飼育し観察していると、“生命体の継承と繁栄”とは手放しで素晴らしいことに今さらながら気付かせられるのだ。
 雌メダカが数多くの産卵することを単純に喜び、その卵から少しでも多くの稚魚が孵化し、その稚魚が皆成魚となることを日々心待ちにしている原左都子がここに存在するのだ。
 結局この世に生を受ける生命体とは「継承と繁栄」観念を本能的なものとして持ち合わせていることに、遅ればせながら気付くというものだ。

 となると、子宝に恵まれることを単純に喜ぶ人種程、生命体の存在本質の理に叶っているのか? 
 
 太古の昔より人類の発展において継承と繁栄が本能として望まれ、その継承と繁栄の過程における人類の弛まぬ努力の歴史があってこそ、人が人としての今現在の実存在があることに今さらながら思いを馳せてみたりもする。

 天邪鬼でへそ曲がりの原左都子にとっては、自分自身のDNAの継承などどうでもいい事には間違いないが、今後も末永く我が家のメダカの継承と繁栄を見守っていこう。     
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松本さん、復興で大事なのは“ハート”と“知能”だよ。

2011年07月05日 | 時事論評
 本日(7月5日)辞任表明したからよかったようなものの、一昨日(3日)の松本復興担当大臣の被災地における暴言には腹が立つというよりも、被災地の岩手、宮城両県に私が身代わりに即刻謝罪に伺いたい程、一国民として恥ずかしい思いだった。
 

 松本龍復興担当相は5日、東日本大震災で被災した岩手、宮城県知事との会談で失言した責任をとり、菅直人首相に辞表を提出し受理された。
 同氏は大臣として任命された直後の今月3日に両知事と面会した際、 「知事は大臣より先に来て待ってろ!」 「(私は)九州の人間だから東北の何市がどこの県か知らない」 「知恵を出さないやつは助けない。突き放す時は突き放す」等々と暴言を吐き散らし、被災地住民の感情を逆なでする言動だとして野党より厳しい批判を受けていた。
 
 本日午前中に行われた辞任会見で、松本氏は首相と首相官邸で会談し、「言葉が足りなかったり荒かったりして被災者の心を痛めたことを本当にお詫びしたい」と自らの失言を陳謝したとのことである。

 この様子の一部を昼間テレビニュースで見聞した原左都子の印象を述べよう。

 松本氏は辞任を決めた理由について「個人的な都合」とだけ語り、結局その詳細を明らかにしなかった。 それに加え、辞任を決めたこの期に及んでまるで“ガキの暴走族”のごとくさらに暴言を吐いたのには呆れ果てたものだ。
 例えば 「いろいろ言いたい事がある」、 「与野党共に“嫌い”だが被災者には寄り添っていたい」 「今後は一兵卒として復興に努力したい」 「感謝したいのは我が妻子だ」……
 結局はこの人物、今回の暴言に対しまったく反省がないのか、あるいは人付き合いに恵まれない人生を送った“天然馬鹿”としか言いようがない。

 この記者会見の場で松本氏が言及するべきは 「いろいろ言いたい事がある」ではなく、「すべては私の至らぬところです。ごめんなさい。」 だったであろうに。
 そして“嫌い”発言については既に野党より十分突かれているのに、まだ懲りないのだろうか? 松本氏は“嫌い”という言葉がとことんお好きなようだが、もう既にいい年なのだから少しは大人としての知能を働かせ、この言葉を客観的に捉えてみてはどうなのか? 子どもじみた“嫌い”発言ではなく、その種の私見を表現する適切な言葉は他にいくらでもあるだろうに。
 「今後は一兵卒…」 この発言はおそらく小沢氏の模倣であろう。 民主党に政権を奪取させた原動力である張本人の黒幕小沢氏が発する分にはこの言葉にも輝きがもたらされようが、既に潰れかかった菅政権から一時だけ大臣に任命され自滅した輩が持ち出す表現ではなかっただろうに…。
 「感謝したいのは妻子…」 大臣としての暴言を叩かれての辞任会見の場で自身のプライベートを持ち出し、その身内に感謝するとは一体どうしたことか? 持ち出された妻子こそが迷惑というものだよ。 そうではなく、大臣の発言として、ここは「ご心労をお掛けした被災者の皆様にお詫びします」であるべきだろう。
 
 菅政権が野党をはじめ与党内菅反対勢力から退陣を要求されて尚、人材不足に難儀している様子は原左都子とて重々承知している。
 それにしても迅速な復興推進を掲げて政権維持を図らねばならない菅首相にとって、その要となる復興担当相の辞任は大きな打撃でもあろう。 
 政権が切羽詰ったこの後に及んで、現在その活躍が被災地は元より全国民の間から切望されている所轄大臣に、暴言を吐いて3日で辞める運命にあるごとくの偏りが激しい“低脳”人物を、何故菅氏は任命したのだろうか???
 その背景には、おそらく首相である菅さんが“扱い易い人物”を人選しているとの事情があるのかもしれない。


 今回の松本氏の“暴言事件”で元教育者でもある原左都子が思い浮かべるのは、学校現場における「熱血教師」である。 この時代錯誤とも言える「熱血教師」が私の教員時代に実在していたことに、民間企業経験が長い私は辟易とさせられたものである。
 今回の松本氏の暴言発言が、当時の単純馬鹿「熱血教師」と瓜二つなのだ。
 たとえば「先生より先に来ていろ!」と年端もいかない生徒にいきなり怒鳴る。 現在の学校現場において暴力は禁止されているものの、言葉の暴力は続き「知恵を出さない奴や頑張らない奴はくたばれ!」 「親や先生に感謝しろ!」… 
 この種の「熱血教師」の中には、もちろん真に子どもを育てたい意向の人物も存在した。 ただその理想があるのならば、子どもの個性が多様であることをもう少し自分自身の“経験や知能の幅”で捉えて言動を選択できないものかと、感受性が強い私は端で見ていて愕然とさせられたものだ。


 当然ながら、今回の松本復興担当相の不祥事に対し、被災地地元や野党より反発が湧き出ている。

 たとえば福島県知事の見解であるが、「国と地方は対等であるにもかかわらず、松本大臣の失言から“中央集権的”な思想を見て取れたことが許せない」 
 松本氏の暴言は単なる暴言ではなくその背景に何やら幼稚な“権威意識”を嗅ぎ取った原左都子も、この福島県知事のコメントにまったくもって同感である。

 身内であるはずの鳩山前首相が「菅政権の任命責任を問う」とホザいている事に関しては、もはや勝手に内紛してろよ!と言いたいだけだ。

 もちろんのこと、野党各党より痛烈な批判が飛び交っている現状だ。

 原左都子エッセイ集における前回の記事において少しは菅政権を擁護する意向の記事を綴ったものの、これ程の“体たらく”ぶりを見せ付けられた暁においては、もはや菅政権を擁護している場合ではない。

 (玄海原発の再稼働を誰が後ろで糸を引いたかに関して私は未知だが)福島原発事故の収拾がまったく目途がたたない今、他の地方の原発再稼働に容易になびくような、国民に対して“ハート”も“知能”もない菅政権を、もやは見限る時が来ているということであろう。                                
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