大震災の発生後、仮設住宅に単身で移った後に孤独死するお年寄りの報道を見聞するのは、今回の東日本大震災が初めての事ではない。
例えば過去における阪神大震災でも、同様に仮設住宅で孤独死したお年寄りの総数は悲しいかな230人を超えていたとの報道である。
体育館等の避難所で暮らすお年寄りにとっては、事務的所用等何らかの用件で現場担当者や周囲と話す機会はあろう。 もしその機会がなくとも、同じ建物内に人がいて、そこがたとえ避難所という過酷な空間であれ人々が生活を営んでいる実態を間近に見ることが出来るだけでも、今後自らが生きていく少しばかりのエネルギーのお裾分けがもらえるということなのではあるまいか。
ところが一人暮らしのお年寄りが仮設住宅に入居した時点で、“孤独死”の危険性が大きく拡大する実態の程は重々想像できる。
朝日新聞7月6日の報道においては、仮設住宅に入居以降 「一ヶ月誰ともしゃべっていない」 お年寄りの実態を捉えていた。 そのお年寄りの地域では、自治会が立ち上がっておらず住民同士が集う機会がないらしい。 上記の年寄りは無言でテレビの前に座る日々を一ヶ月間耐えた後、さすがに限界だったのだろうか、自転車に乗って震災前からの知り合いが多く住む地域まで足を運び、やっと人と喋る機会を得たのだと言う。
上記のお年寄りは、自転車で遠出可能な身体能力が備わっていたからまだしもよかった。
別の仮設住宅で手押し車に座ったまま一人で暮らすお年寄りは、地震発生時に胸と腰を骨折した痛手も抱えており、トイレに自由に行く事もななまらず紙おむつ生活の現状だそうだ。 せっかく抽選に当たって入居した仮設住宅だが知り合いもおらず、結局はそこでは暮らせない事を悟り、今は老人ホーム入居希望だと言う。
この記事によると、自治体リーダーによる見回りや、仮設住宅に住む住民の交流の場となる集会所の設置などが重要であることが掲げられている。
そして国政もこれらのお年寄りを「孤族」と呼び、それを支援するために特命チームを立ち上げてはいるらしい。 (その活動の程に関する報道を、一度たりとて見聞したことがないのだが…)
原左都子の見解も、被災地で孤立しているお年寄りに是非“愛の手”を差し伸べるべく対策を練るべき、という点では当然一致している。
ただ、私の見解は上記朝日新聞記事が掲げている対策とは多少異なるのだ。
と言うのも、私自身が現在「孤族」とも言えるお年寄りを身近に2人抱えている。
それは我が母であり、そして義母である。 二人共被災地からは遠い地方に住み、日々一人暮らしをしている。 両人共に現在80歳近い年齢故にその年齢相応の若干の身体的不具合を抱えているものの、一人暮らしをするにあたって特段の障壁はない様子である。
その2人がそれぞれに口を揃えて言うのだ。 「“老人会”のような集会に自治体から誘われて参加してみても、皆が同じ事を上から指示されてやらされるだけでどうもつまらない。ああいうのに参加するのはまだまだ先のことかもしれない…」
そして、2人はそれぞれに自分の趣味に励んでいる様子だ。
過疎地の田舎に住む我が母は、得意の手芸の腕を活かしてボランティアで老人ホームに手芸の指導をしに行ったり、あるいは週に一度俳句の会に通い、優秀作を会誌に掲載してもらっては充実感を得ているようだ。
はたまた大都会に住む義母は昔から社交ダンスを習っている。今尚ハイヒール姿が似合うスリムな義母は、ダンス会場では男性にモテモテのようだ。 美人で華やかで元々“舞台向き”素質の義母は最近合唱も始め、先だって舞台に立ったようだ。
それでも、元々“お喋り”の我が母に関しては、“人との繋がり”を絶やさぬために日々工夫をしている様子を母からの電話での会話で私は感じ取っている。
その一つが“病院通い”“接骨院通い”等、健康維持と会話のセットが叶う目的地に出向くという手段である。 特に接骨院では院長とすっかり仲良くなり、暇を見ては接骨院でマッサージをしてもらいつつ会話に励んでいる様子である。
我が身内と大震災被災者とを比較してみても、らちが明かないことは承知している。
それを承知の上でさらに原左都子の見解を述べるならば、仮設住宅の「孤族」を救済しようとして“通り一遍の地域論”を持ち出したところでそれは既に時代遅れではないかということだ。
自治会リーダーによる見回りに関しては、もしかしたら孤立死に至る気配があるお年寄りを救えるかもしれない。
ところが、大震災被災者とて“個性ある存在”であるという発想がまったく欠けているのが、「集会所」を設けたらどうにかなるだろうとの自治体の旧態依然とした案である。 もちろん、そこに集ってくるお年よりも存在するであろう。その種の人々にとっては「集会所」も有益であろうことは私も認める。
世の文化や学術芸術そして科学の発展によりそんなことでは満足出来ず、付き合う相手は自分で選びたいお年寄りが現在増えている現状ではあるまいか?
その一例として挙げたのが我が身内の母であり、義母である。
東日本大震災被災者のお年寄りの中にも、自治体がしつらえた集会所に行きたいという発想が湧かないから、仕方なく仮設住宅に引きこもるしかないお年寄りも存在するかもしれない。
それを、まさか「被災者のくせに我がままだ」と叩く国政や自治体職員がいないことを望みたい。
何故ならば、この原左都子も我が母や義母を超越しそうな “我が道を行く”タイプであるからだ。
原左都子が老いても、自治体からの「老人会に入ろう」なる指示に大人しく従おうなる発想は皆無であろう。
そのようなお上の指導に従って自らが欲しもしない場で自治体が指示するくだらない老人体操やパソコン教室に励んだり、お茶をすすりながらつまらない会話に耐えるならば、「孤族」の立場で死んだ方がよほどマシであることは目に見えている。
どうか国や自治体は、仮設住宅における孤独死防止にあたって“お年寄は皆馬鹿”との発想に基づいた集団主義的救済策を提示することを考え直し、お年寄り個々に応じた対応策を吟味して欲しいものだ。
例えば過去における阪神大震災でも、同様に仮設住宅で孤独死したお年寄りの総数は悲しいかな230人を超えていたとの報道である。
体育館等の避難所で暮らすお年寄りにとっては、事務的所用等何らかの用件で現場担当者や周囲と話す機会はあろう。 もしその機会がなくとも、同じ建物内に人がいて、そこがたとえ避難所という過酷な空間であれ人々が生活を営んでいる実態を間近に見ることが出来るだけでも、今後自らが生きていく少しばかりのエネルギーのお裾分けがもらえるということなのではあるまいか。
ところが一人暮らしのお年寄りが仮設住宅に入居した時点で、“孤独死”の危険性が大きく拡大する実態の程は重々想像できる。
朝日新聞7月6日の報道においては、仮設住宅に入居以降 「一ヶ月誰ともしゃべっていない」 お年寄りの実態を捉えていた。 そのお年寄りの地域では、自治会が立ち上がっておらず住民同士が集う機会がないらしい。 上記の年寄りは無言でテレビの前に座る日々を一ヶ月間耐えた後、さすがに限界だったのだろうか、自転車に乗って震災前からの知り合いが多く住む地域まで足を運び、やっと人と喋る機会を得たのだと言う。
上記のお年寄りは、自転車で遠出可能な身体能力が備わっていたからまだしもよかった。
別の仮設住宅で手押し車に座ったまま一人で暮らすお年寄りは、地震発生時に胸と腰を骨折した痛手も抱えており、トイレに自由に行く事もななまらず紙おむつ生活の現状だそうだ。 せっかく抽選に当たって入居した仮設住宅だが知り合いもおらず、結局はそこでは暮らせない事を悟り、今は老人ホーム入居希望だと言う。
この記事によると、自治体リーダーによる見回りや、仮設住宅に住む住民の交流の場となる集会所の設置などが重要であることが掲げられている。
そして国政もこれらのお年寄りを「孤族」と呼び、それを支援するために特命チームを立ち上げてはいるらしい。 (その活動の程に関する報道を、一度たりとて見聞したことがないのだが…)
原左都子の見解も、被災地で孤立しているお年寄りに是非“愛の手”を差し伸べるべく対策を練るべき、という点では当然一致している。
ただ、私の見解は上記朝日新聞記事が掲げている対策とは多少異なるのだ。
と言うのも、私自身が現在「孤族」とも言えるお年寄りを身近に2人抱えている。
それは我が母であり、そして義母である。 二人共被災地からは遠い地方に住み、日々一人暮らしをしている。 両人共に現在80歳近い年齢故にその年齢相応の若干の身体的不具合を抱えているものの、一人暮らしをするにあたって特段の障壁はない様子である。
その2人がそれぞれに口を揃えて言うのだ。 「“老人会”のような集会に自治体から誘われて参加してみても、皆が同じ事を上から指示されてやらされるだけでどうもつまらない。ああいうのに参加するのはまだまだ先のことかもしれない…」
そして、2人はそれぞれに自分の趣味に励んでいる様子だ。
過疎地の田舎に住む我が母は、得意の手芸の腕を活かしてボランティアで老人ホームに手芸の指導をしに行ったり、あるいは週に一度俳句の会に通い、優秀作を会誌に掲載してもらっては充実感を得ているようだ。
はたまた大都会に住む義母は昔から社交ダンスを習っている。今尚ハイヒール姿が似合うスリムな義母は、ダンス会場では男性にモテモテのようだ。 美人で華やかで元々“舞台向き”素質の義母は最近合唱も始め、先だって舞台に立ったようだ。
それでも、元々“お喋り”の我が母に関しては、“人との繋がり”を絶やさぬために日々工夫をしている様子を母からの電話での会話で私は感じ取っている。
その一つが“病院通い”“接骨院通い”等、健康維持と会話のセットが叶う目的地に出向くという手段である。 特に接骨院では院長とすっかり仲良くなり、暇を見ては接骨院でマッサージをしてもらいつつ会話に励んでいる様子である。
我が身内と大震災被災者とを比較してみても、らちが明かないことは承知している。
それを承知の上でさらに原左都子の見解を述べるならば、仮設住宅の「孤族」を救済しようとして“通り一遍の地域論”を持ち出したところでそれは既に時代遅れではないかということだ。
自治会リーダーによる見回りに関しては、もしかしたら孤立死に至る気配があるお年寄りを救えるかもしれない。
ところが、大震災被災者とて“個性ある存在”であるという発想がまったく欠けているのが、「集会所」を設けたらどうにかなるだろうとの自治体の旧態依然とした案である。 もちろん、そこに集ってくるお年よりも存在するであろう。その種の人々にとっては「集会所」も有益であろうことは私も認める。
世の文化や学術芸術そして科学の発展によりそんなことでは満足出来ず、付き合う相手は自分で選びたいお年寄りが現在増えている現状ではあるまいか?
その一例として挙げたのが我が身内の母であり、義母である。
東日本大震災被災者のお年寄りの中にも、自治体がしつらえた集会所に行きたいという発想が湧かないから、仕方なく仮設住宅に引きこもるしかないお年寄りも存在するかもしれない。
それを、まさか「被災者のくせに我がままだ」と叩く国政や自治体職員がいないことを望みたい。
何故ならば、この原左都子も我が母や義母を超越しそうな “我が道を行く”タイプであるからだ。
原左都子が老いても、自治体からの「老人会に入ろう」なる指示に大人しく従おうなる発想は皆無であろう。
そのようなお上の指導に従って自らが欲しもしない場で自治体が指示するくだらない老人体操やパソコン教室に励んだり、お茶をすすりながらつまらない会話に耐えるならば、「孤族」の立場で死んだ方がよほどマシであることは目に見えている。
どうか国や自治体は、仮設住宅における孤独死防止にあたって“お年寄は皆馬鹿”との発想に基づいた集団主義的救済策を提示することを考え直し、お年寄り個々に応じた対応策を吟味して欲しいものだ。