原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

マチュピチュ、アンコール遺跡 壮大なるCGの旅

2013年01月07日 | 芸術
 (写真は、東京池袋サンシャインシティ コニカミノルタプラネタリウム満天 に於いて2013年3月まで上映予定の「世界遺産宇宙への祈り」をパンフレットより転写したもの)


 昨年末にアルゼンチンへ旅行した原左都子であるが、新年に入ってまたもや南米への壮大な旅行に旅立つことが叶った。  ただし、それは上記プラネタリウムにてのCG画面を通しての話であるが…

 私がプラネタリウムファンであることに関しては、本エッセイ集バックナンバーにおいて幾度か紹介している。
 同じく影像観覧娯楽である映画に比し、プラネタリウムは上演時間が短い故に、時間面でのコストパフォーマンスを考慮した場合料金的に割高感があるのは否めない。
 それでも何故私がプラネタリウムファンであるかと言えば、リクライニングシートに身を委ね天空の巨大スクリーンを眺めるゆったりとしたあの時空間は、到底映画館では味わう事が叶わない“癒しの場”を私に提供してくれる故である。  (ただし今回に限って言うと、快適であるはずのリクライニングシートが、年末アルゼンチン旅行の片道30時間に及ぶ過酷なまでのロングフライトを、多少なりとも私の脳裏に呼び起こしたとも言えるのだが…


 正月3日間を自宅で比較的のんびり過ごした私は、一昨日の4日に大学が冬休み中の娘を誘って自宅からメトロ乗車で程近い場所にある上記の“プラネタリウム満天”に出かけた。
 
 この“プラネタリウム満天”に於いては、いつもメインプログラムの前にその時期の季節に夜空に輝く星座の放映がある。
 冬の星座の代表格は“オリオン座”であるのは皆さんもご存知の通りだが、ギリシャ神話に登場する猟師である“オリオン座”のオリオンと、その周辺の“大犬座”“子犬座”等々が紹介された。
 そして今回の星座紹介場面では、オリオン大星雲に注目して星の誕生、そして近い未来に起こると言われているオリオン座の「ベテルギウス」の超新星爆発を通じて星の死の様子を壮大な映像表現で描いていたのが特徴であろう。
 私が過去に見聞した新聞報道によると、当時既に冬の星座の王者である一等星「ベテルギウス」は超新星爆発へ向かうと見られる兆候が観測されていたとのことである。 
 その報道によると、ベテルギウスの大きさがわずか十数年で15%減ったという報告もあり、専門家は「爆発は数万年後かもしれないが、明日でもおかしくない」と話していたようだ。 もし爆発すれば満月ほどの明るさになり昼でも見えるようになるとの事だった。
 話を繰り返すと、冬の大三角の一つでもあるオリオン座のベテルギウスは赤色超巨星であり、直径は太陽の一千倍。 重いため一生は短く既に寿命は近い。 最後は超新星爆発を起こしブラックホールなどになるとされる。  一昨年米欧の研究者が3本の論文を発表し、ベテルギウスが大量のガスを放出していることや大きさの急減が示された。 ガスの放出によって星の表面が梅干のようにでこぼこに膨らんでいるらしい。 ある研究員は「爆発がいつかはわからないが、我々は地球からその死の直前を見ているのは間違いない。 今まで想像するしかなかった星表面の様子も実際に見て確かめられるようになってきた」と話しているそうだ。
  (以上、朝日新聞過去記事より引用)
 ただし、もしも明日オリオン座ベテルギウスが超新星爆発を起こそうが、地球からの距離が膨大であるためそれを地球上から観察できるのは何百年(正確な年数を記憶しておらず恐縮だが)後との今回の満天プログラムでの説明だった。


 それでは、いよいよ今回のメインプログラムである「世界遺産宇宙への祈り」が描いたCGによる壮大な世界遺産への旅へ皆さんを誘(いざな)おう。

 まずは、コニカミノルタが提供している今回のプログラムのコピーを以下に紹介することにしよう。 

 マチュピチュ、アンコール遺跡、東大寺。  さぁ、「超」臨場感の旅へ出掛けよう!
 私たちの祖先は、今では想像もつかない圧倒的なスケールで巨大な建造物を造り上げました。
 彼らはなぜ、どうしてこれらの建造物を造ったのか?
 最新のコンピュータグラフィックス技術を駆使して、その迫力ある世界遺産を全天360度ドーム映像に再現。 その謎に迫ります。 
 地球という奇跡の星で、わたしたちの祖先がつくりあげた「世界遺産」という奇跡の結晶を旅するものがたりです。
 謎の空中都市「マチュピチュ」、繊細な造形美が魅了する「アンコール遺跡バイヨン寺院」、そして迫力に満ちた「東大寺大仏殿」。 
 各々の世界遺産映像は、3次元計測や高精細なCG表現によって精緻につくられており、まるでその場に本当にいるかのような臨場感を体感できます。 
 なぜ、彼らはこのような遺跡を作ったのか? 遥か遠い昔に生きた私たちの祖先に思いを馳せ、その謎に迫ります。
 また、それぞれの世界遺産の世界観や思想を表現した幻想的な映像表現が、作品の随所に盛り込まれています。
 (以上、コニカミノルタプラネタリウムがネット上で提供している当該番組についての紹介文章より要約引用)


 既に幾度も国内外へ旅行に出かけ、世界中の文化遺産の中の幾つかをこの目で実際に見聞してきている原左都子である。
 そうであるとしても、今回の“プラネタリウム満天”プログラム「世界遺産宇宙への祈り」が放映したまたとはないCG影像は素晴らしかったの一言に尽きる。

 と言うのも実際に世界遺産への旅に出かけてみたところで、何処も観光客でゲロ混みである事は避けられない事態だ…。  はたまた、現地ガイド氏によるたどたどしい日本語説明を配られたイヤホンで聞こうとしても、その語学力やイヤホンの性能に左右され聞き取りにくい事この上ない…。  しかも時間とカネをかけて現地を訪問しようが、我々観光客が足を踏み入れられる場所は遺産保存目的で特定されているのが常でもあろう。
 そうした場合、観光客とは遠目にそれを見たような気がしているだけで、実はほとんど何も見ずに帰国し、後にネットや絵葉書等で認識した事実を元に周囲に自慢話を展開するのが一般海外旅行経験者が行う“関の山行動”ではあるまいか???
 まあそれでも、実際に現地へ出向き旅行者それぞれの五感で感じ取った現地への思いこそが旅の醍醐味であることは間違いないし、それこそが旅行者の優越感を煽るのであろう事実は原左都子も理解範疇だ。


 それを前提としても、今回私が観賞したプラネタリウム番組「世界遺産宇宙への祈り」に於いて取り上げられた、南米ペルーのマチュピチュ遺跡、及びカンボジアのアンコール遺跡バイヨン寺院の壮大なCG影像は“実に実に素晴らしい!”の一言に尽きる。 現地へ旅をしてもこんな風景は到底堪能できないであろう壮大な画面を、十分に楽しませていただけた。

 今後、“コニカミノルタプラネタリウム満天”に原左都子が個人的に期待申し上げたいのは、このような世界遺産CG大スペクタクルプログラムを充実拡大していただくことである。
 それが少しずつでも叶うようなら、私は後々何度でも“満天”に足を運ぶつもりである。

人の生命力こそ医療の限界に打ち勝ちたい!

2013年01月05日 | 医学・医療・介護
 昨年末より、本エッセイ集の著者である原左都子自らが親族に余命短い末期癌罹患者を抱える身となっているため、新年早々から読者の皆さんに明るいエッセイ話題を提供できず恐縮である。

 そうとは言いつつ、私は比較的マイペースを貫く日々を送っている。 
 それは決して、突然末期癌宣告を受けた義理姉を軽視せねばならない事情や思想によるのではない。 むしろ元医学関係者としては、義理姉が医療現場で患者として置かれている立場を私こそが一番理解できているものと内心自負し続けている。
 ただ現在義理姉の容態が悪く、親族が面会することも叶わない現状を受け入れざるを得ない現実である。

 
 今を遡る事40年程前、私は生まれ育った過疎地で医学関係の学問に励み、新卒後医学分野の国家試験に合格すると同時に、臨床現場の病院ではなく自らの希望で医学関係民間企業を選択して東京に本社がある当該企業へ就職した。 
 元々「医学」分野とは私にとっては親から強要されたが故にやむなく進学したのであり、自分が希望して選択した進路ではないとの思いを引きずり続けていた。 そのため、身勝手にも臨床現場である病院への就職のみは何が何でも避けたい思いが強く、当時あえて民間企業への就職を望んだといういきさつだ。
  
 そんなマイナス背景が存在したものの、(元々負けず嫌いの私は)上記民間企業で最大限の精進を続け自分なりの地位を築いてきた。 
 ところが、30歳直前にして新たな学問分野への大幅な進路変更を目指す目標を掲げることと相成った。
 その後は、我が次なる分野の大学及び大学院への合格を次々とゲットしつつ学問に没頭した結果、30代後半にして「経営法学修士」を取得するに至っている。 (参考ではあるが、自力で苦労して取得したこの学位が、我が後々の人生の各方面に於いて有形無形の輝かしきご褒美を与え続けてくれている。 やはり学位とは様々な意味合いで取得しておくべきであることを今更ながら実感の日々である。)
 その間の我が独身時代におけるあくまでも“食い扶持”としての就職先を選択するに当たっては、過去に業績を積み上げてきた医学分野を利用するのが一番の方策であろう。 ところがその期に及んで私は尚、臨床現場である病院を徹底的に避け続けて、やはり民間企業への派遣社員として割高な収入を得てきている。


 前置きが長くなってしまったが、そんな半生を歩んできたが故に、今後の人生も含め一生に渡り病院現場を忌み嫌い続けるであろう原左都子であるとも言えるのだ。

 病院現場の何がそんなに私にとって嫌なのか??
 現在に至っては、徹底して基本的に「病院へ行かない主義」の私である。 この理由に関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバーにおいて幾度となく記載しているため、それを参考にして頂きたく思う。
 簡単に一言で説明するならば、私は医療における政府と医師会と製薬業界等々との癒着故の無駄な医療行為の現状を基本的に否定的に捉えている、というのが正直な回答であろうか。 (どうか医学素人の皆さんは決して私の真似をせず、必要に応じて適宜に病院受診をされますように。)


 人間が突然死に至る病に苛まれるか否かは、産まれ持って備えているDNAによるところも大きいであろうか。 
 あるいは、自分が産まれ持ったDNA体質を人生早期に捉え理解し、冷静に対処しようと努力して身体改善に励んでいる人物はある程度長生きできると考察するべきか??

 まずは、現代医学が既に解明を終了している病理分野DNAに関しては、最先端医療が既に太刀打ちできるまでに進化しているのであろう。

 片や、現代医学が未だ解明できていないDNA分野の病に不幸にも突然取りつかれてしまった場合、自分の命はないものと覚悟を決めねばならないのか……
 と言うのも、何故人間が自分の意思とは裏腹に欲さない疾患に罹患し命を落とさねばならないのかに関して、DNA観点を含め考察して私が思うに不可思議この上ない感覚を抱かせられる故だ。


 そんな我が考察の前提として、やはり医療とはまだまだ発展途上であることを思い知らされる。
 医療という科学の一分野が今後市民の命をどれ程助けられるのかを改めて慮った場合、初心に戻って今この世に生命を宿している市民の健康を保つ事からスタートし直すべきなのは言うまでもない。

 何故人間がそれを望まないにもかかわらず若年にして突然命を落とさざるを得ない病に苛まれるのかに関しては、ある程度の遺伝子分析科学が進展している時代背景ではあろう。

 そんな現在までの医学の歴史におごることなく、今後はあらゆるDNAを持ってこの世に生まれ出て来る多様性ある生命体が、現代医学の限界を超越して、できるだけ長い生命を宿せるごとくの社会的文化的視野を含め多面的発想で医学発展がなされることに期待したい思いである。

新年にこそ身近な周囲に愛と人情を注ごう!

2013年01月02日 | 人間関係
 (写真は、我が家が今年購入したお節料理。 今年は上記“洋風おせち”を2箱購入し本日2日昼までに一家3人で2箱をほぼ完食した。 出来合いのお節にしては予想以上に分量が多く、食べ応えがあった。
 上段左から、パストラミビーフ、帆立貝柱のマリネ、パンチェッタのミートローフとチキンとチーズのテリーヌ、サーモンとベーコンのロースト、 中段左から、栗のブランデー煮と若桃の甘露煮、海老、ローストビーフ、豚角煮、  下段左から、大根ピクルスのスモークサーモンロール、生ハムのマリネ、フルーツカスタード、ポークグリラーのサワーソース和え)


 2013年の新年は私の居住地 東京では、本日やや風が強いものの比較的穏やかな晴天が続いている。
 年末突然の出来事が相次ぎ慌しく過ぎ去った師走を駆け抜けた後、この正月期間を利用して少し腰を落ち着け、現在小休止中の原左都子である。


 先程昼間にテレビで垣間見た「箱根駅伝」では、日体大が26年ぶりの往路優勝を遂げた様子だ。  何でも往路5区の日体大最終ランナーでありキャプテンでもある3年生の男子学生氏は、昨年父親を癌で亡くしたにもかかわらず、その葬儀の翌日から駅伝ランナーとして気丈に練習を続けてきたとのアナウンサー氏の解説でもある。

 素人ランナーの私自身が昨年初めて公的な陸上競技会やロードレースに出場して完走するとの経験を積めたお陰で、テレビ報道を通しての駅伝やマラソン中継が今まで以上に楽しめることが嬉しい! 
 一素人初心者ランナーの立場ではあるが、テレビ画面を通して、こういう場面では如何なるレース展開にするか、あるいは沿道からの声援にどう応えるか等々、自分が走っている気分でレース観戦が楽しめることが実際にレースに参加した身としての特権でもあろう。
 加えて、今回の箱根駅伝日体大5区ランナー氏のお父上が癌で亡くなったとの情報も、現在の我が身に滲みる思いで本日のレースを見守ったものだ。


 という訳で、ここからの新年初頭「原左都子エッセイ集」は、昨年12月初旬頃より末期膵臓癌にて闘病中の義理姉に関する第3報に入らせていただく事としよう。
 
 昨年末の12月29日に義母に会い義理姉の容態を尋ねたのだが、その段階では義理姉は2度目の開腹手術直後だったこともあり正確な情報を得られないでいた。
 昨日の元旦に義母を我が家に招待し再確認したところによると、短期間内の2回に及ぶ開腹手術のダメージが甚大な様子で、現在義理姉は体力消耗状態を強いられ到底人に面会出来る状態ではないとのことだ。
 既にご存知の方も多いであろうが、膵臓癌とはあらゆる癌の中でも完治に至る確率が低く予後が期待できない癌の一つである。 いくら定期健診を毎年真面目に受けていようが、発見しにくい性質の癌なのであろう。
 それが故に膵臓癌に罹患した以上、本人は癌部位からの出血による貧血症状や突然の激しい腹痛等が起こって初めて病院の診察を受けるしか方策が取れないようだ。 そうしたところ医師から告げられるのは、既に癌が末期状態……

 そうだとしても昨日我が家に招待した義母が、膵臓癌の厳しい現状や義理姉が現在置かれている医療的立場を重々わきまえた上で、私と対等に話し合ってくれることに大いに助けられた元医学関係者の私である。
 義母が毅然と私に告げる。 「娘(義理姉)の命は膵臓癌の厳しさから推し量って後3ヶ月と考えるべきだ。 そうした場合、やはり今後の事は今から計画的に考えて置きたい。」云々…
 既にその話を年末にも義母から聞いて承知していた私だが、改めて義母の気丈さに感謝すると同時に、もはやベットから起き上がれるのか否か不明の義理姉の現状を思い、今後ますます一族の一員として役立てるべき行動を取るのが私に課せられた任務と再確認した。


 この種の差し迫った事象が自分の身近に勃発しない限り、現在の国全体の社会や自治体、あるいはもっと狭い地域コミュニティにおいてすら、人と人との関係を見直す機会など皆無であるのが現在の日本国民が置かれている実情ではなかろうか?

 昨日の元旦、私は多少足が不自由との理由で要介護ケアマンションに入居中の義母を我が家に招待するため、駅近くのタクシー下車場所まで迎えに出かけた。 
 そこを通り過ぎる地域市民の人々の姿が、一部の子どもを除き正月にして皆“暗い”ことこの上ない。 この国の市民達はいつの間にこんな暗い表情で街を歩かねばならなくなったのか??
 正月だと言うのに、まるで墓場にでも行くかのごとくの市民の有様だ…… 

 いやいや、それはあくまでも先だってアルゼンチンを訪れたばかりの原左都子の主観的観測に過ぎず、一見“暗く”見える市民の皆さんとて、それぞれに初詣等々を楽しまれるために元旦から街に繰り出しておられるのであろう。
 それにしても、まさか皆さんの家族すべてが癌罹患者を抱えている訳でもあるまいに、一家揃って元旦の日に街に繰り出せるならばそれを「幸せ」と考え、もう少し穏やかな微笑を少しでも周囲に示して欲しい思いの私だ。


 私とて身内の切羽詰った不幸は辛い。
 それでも、少なくとも本人の不幸後にこの世に残される我が身内達には出来る限りの笑顔で接し続けたく考えている。

 常に私に遠慮がちだった義母が元旦早々我が家を訪問する決断をしてそれを実行してくれた事に感謝しつつ、今後少なくとも身近にいる周囲の人々には私なりの人情と愛を注ぎ続けよう! との所信を掲げた今年の正月である。

 日本の皆さんも新たな年を迎えた事を契機に笑顔を取り戻そうではありませんか?!