昨日昼間テレビを見ていたところ、「終活」が一つのテーマとして取り上げられた。
その番組によれば、今時は早くも50代半ば頃から「終活」に勤しむ市民が増殖しているとの事だ。
そう言えば、先月出かけたバス旅行後部座席のご婦人方も、まさに50代半ばの若さにして「終活」話題“井戸端会議”に花を咲かせていた事を思い出す。
どうやら(特に子を設けた女性)にとってその子が無事に社会人として旅立った暁の関心事とは、老後を如何に過ごすかに尽きるようだ。 例えば、いつ仕事を辞めるか、両親の介護を如何に施すか、はたまた自分自身の余生に於いて如何なる趣味を堪能するか、等々…。 もう少し年代が深まると、自分の葬儀やお墓の心配もこれに加わるようだが。
新聞等各種マスメディアに於いても、「終活」は現在高齢域に達しようとしている年代層にとって欠かせないテーマとして随時取り上げられている。
確かに、こと老後の「生活資金」に関しては、本人自身が早めにその試算に入るべきであろう。 その蓄えが叶わない切羽詰まった層に於いては「終活」どころの騒ぎではないことは危機感を伴って想像が付く。
ただ現在の我が国では、(私の経験則に基づく認識によれば)おそらく底辺に位置する庶民(私もその一人だが)の多くは、ある程度の老後の資金を保有されている事であろうとも想像する。 老後の資金さえ確保しておけば、何も特段「終活」に必死にならずとも、今まで通りの暮らしを遂行可能かと私など考えるのだが…
そうした場合に「終活」なる言葉が如何なる意味をなすのかを問いたいのが、今回の我がエッセイのテーマとなろう。
ここで、「終活」なる言葉の定義を、ウィキペディア情報より引用して紹介しよう。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。
主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。 世間へこの言葉が広まってきている事実と並行して、2010年の新語・流行語大賞にもノミネートされ、2012年の新語・流行語大賞でトップテンに選出された。 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)
いや、まさにそうだ。
「終活」とは自分自身の“人生の終わり”のためにする活動であり、今まだその年代には程遠い原左都子とは無縁の用語であったのは自明の理のようだ。
何故こんな言葉が2012年の流行語大賞になど選出されたかの元を辿れば、私よりもずっと上世代がその“大仕事”を次世代の子孫に任せ平然としている慣習が、今尚この国の常識としてまかり通っているからに他ならない。
ただ、これこそとんでもないのだ!
一部富裕層に於いては親本人が成すべき「終活」を、子孫がその代償としてまとまった遺産を受け継ぐのと引き換えに、代替わりして我が事として担って立ってもよいのであろう。
ところが現生の現実を鑑みれば、戦後高度経済成長期より現在に至るまで相次ぐ政権の経済政策失策の連続下に於いて、若い世代がその負担を未来に渡って担い続けるのはとてもじゃないが難儀な時代背景だ。
それをわきまえずに、高齢者達が次世代に自分の「終活」を子孫に一任しているとしたなら、これは許し難き事実としか言いようがない。
高齢者が次世代に課す大いなる迷惑を回避するべき役割は、他にもある。
それは病気を患い素人考えで下手に医療に頼った挙句、その看護なり介護を次世代親族に任せるなる不始末だ。 「介護保険制度」適用が叶った暁に於いては、介護を要する身の高齢者は専門介護組織に自分の介護を頼るべきではなかろうか。
これに関しては、「原左都子エッセイ集」前回のバックナンバー「『医師いらず』を国民に動機づける方策とは」 に綴り公開済みだ。
そうしたところ早速我がエッセイ集一ファンの方より、上記エッセイに対して好意的反応を頂いたのだ。
以下にその内容を要約して紹介しよう。
父は、先々週、96歳で亡くなりました。 最後まで病院に行かず、 亡くなる前日に家具を一つ修理して、
とうとう母が、起こす力がないので、 病院に連れて行くよと言って、わかったと言って、その朝、すぐ家で亡くなりました。 倒れて起き上がれないというだけで、 最後まで苦しまずに死にました。 おむつも、トイレに行けないので、 三日前に認めたばかりでした。 でも、オムツをしたら、 今度は楽だねえ、と母に言ったそうです。 そういう父でした。 自分の意思で死んだのだと、ぼくは思っています。 遊びも好きでしたが、 意志の強い父でした。 以前、父は、90過ぎて、大病の胆石で入院したとき、 点滴が入らなくなり、 医者が僕に喉に穴を開けることを提案しました。ぼくは、即座に断りました。 病室で起きた父に報告したら、父に褒められました。(笑) しんでもいいから、そんな辛い思いはしたくないという患者の意見を、 治療のために無視する医者が多いようです。
認知症の研究会でも、 認知症患者の講師が、 患者の敵は、医者、くすり、家族だと言っていました。 医者は、身体拘束、オムツなど、 権力で行使する。 周りの人は、この患者はこれができると理解できることでも、 家族は理解できないで、 可能性を封じ込める、そういう理由です。 今年度中には、成果をまとめて発表します。
(以上、我がエッセイ集ファンとして時折メッセージを寄せて下さる大学教授M氏より頂戴した記述より、一部を引用させていただいたもの。)
最後に、原左都子の私論に入ろう。
まさに、我が人生もこうありたいものだ。
今は未だ“若気の至り”範疇であるため、私が96歳に至らんとした暁に如何なる余生を導けるのだろうかの方策も自信も一切ない。
むしろ自分勝手極まりなくこの世を生き延びている私の余生の程は短いのか??、とも想像している。
それでも、私は世間が言うところの「終活」などはしない。 通り一遍の陳腐な内容の「終活」(例えば老後資金の蓄積)は既に実行済みとも言える。
私は死ぬまで出来るだけ「医者いらず」を貫き通す所存であり、たとえ野垂れ死にかかろうが助けず放置して欲しい事や、死んだ際には火葬のみで済ませ葬儀はせず誰にも連絡しない事、及びお墓も要らない事は既に娘に伝えてある。 身辺整理も早めに自分一人で実行するから、私の事など一切放っておいて貴方は自分の生き甲斐に集中しなさい、とも娘に忠告している。
私は上記M氏より頂戴したお父上の生き様を、我が死生観美学の下に見習いたい。
私が96歳に達するまでには、まだ37年もの大いなる年月がある事に今一度感謝したくもある。
まだまだ末永く自己実現を実行しつつ主体的にこの世を生き長らえそうな我が心身に感謝しつつ、今後共なるべく原左都子のポリシーである“自助努力”の下に「医者いらず」を貫き通したいものだ。
その番組によれば、今時は早くも50代半ば頃から「終活」に勤しむ市民が増殖しているとの事だ。
そう言えば、先月出かけたバス旅行後部座席のご婦人方も、まさに50代半ばの若さにして「終活」話題“井戸端会議”に花を咲かせていた事を思い出す。
どうやら(特に子を設けた女性)にとってその子が無事に社会人として旅立った暁の関心事とは、老後を如何に過ごすかに尽きるようだ。 例えば、いつ仕事を辞めるか、両親の介護を如何に施すか、はたまた自分自身の余生に於いて如何なる趣味を堪能するか、等々…。 もう少し年代が深まると、自分の葬儀やお墓の心配もこれに加わるようだが。
新聞等各種マスメディアに於いても、「終活」は現在高齢域に達しようとしている年代層にとって欠かせないテーマとして随時取り上げられている。
確かに、こと老後の「生活資金」に関しては、本人自身が早めにその試算に入るべきであろう。 その蓄えが叶わない切羽詰まった層に於いては「終活」どころの騒ぎではないことは危機感を伴って想像が付く。
ただ現在の我が国では、(私の経験則に基づく認識によれば)おそらく底辺に位置する庶民(私もその一人だが)の多くは、ある程度の老後の資金を保有されている事であろうとも想像する。 老後の資金さえ確保しておけば、何も特段「終活」に必死にならずとも、今まで通りの暮らしを遂行可能かと私など考えるのだが…
そうした場合に「終活」なる言葉が如何なる意味をなすのかを問いたいのが、今回の我がエッセイのテーマとなろう。
ここで、「終活」なる言葉の定義を、ウィキペディア情報より引用して紹介しよう。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。
主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。 世間へこの言葉が広まってきている事実と並行して、2010年の新語・流行語大賞にもノミネートされ、2012年の新語・流行語大賞でトップテンに選出された。 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)
いや、まさにそうだ。
「終活」とは自分自身の“人生の終わり”のためにする活動であり、今まだその年代には程遠い原左都子とは無縁の用語であったのは自明の理のようだ。
何故こんな言葉が2012年の流行語大賞になど選出されたかの元を辿れば、私よりもずっと上世代がその“大仕事”を次世代の子孫に任せ平然としている慣習が、今尚この国の常識としてまかり通っているからに他ならない。
ただ、これこそとんでもないのだ!
一部富裕層に於いては親本人が成すべき「終活」を、子孫がその代償としてまとまった遺産を受け継ぐのと引き換えに、代替わりして我が事として担って立ってもよいのであろう。
ところが現生の現実を鑑みれば、戦後高度経済成長期より現在に至るまで相次ぐ政権の経済政策失策の連続下に於いて、若い世代がその負担を未来に渡って担い続けるのはとてもじゃないが難儀な時代背景だ。
それをわきまえずに、高齢者達が次世代に自分の「終活」を子孫に一任しているとしたなら、これは許し難き事実としか言いようがない。
高齢者が次世代に課す大いなる迷惑を回避するべき役割は、他にもある。
それは病気を患い素人考えで下手に医療に頼った挙句、その看護なり介護を次世代親族に任せるなる不始末だ。 「介護保険制度」適用が叶った暁に於いては、介護を要する身の高齢者は専門介護組織に自分の介護を頼るべきではなかろうか。
これに関しては、「原左都子エッセイ集」前回のバックナンバー「『医師いらず』を国民に動機づける方策とは」 に綴り公開済みだ。
そうしたところ早速我がエッセイ集一ファンの方より、上記エッセイに対して好意的反応を頂いたのだ。
以下にその内容を要約して紹介しよう。
父は、先々週、96歳で亡くなりました。 最後まで病院に行かず、 亡くなる前日に家具を一つ修理して、
とうとう母が、起こす力がないので、 病院に連れて行くよと言って、わかったと言って、その朝、すぐ家で亡くなりました。 倒れて起き上がれないというだけで、 最後まで苦しまずに死にました。 おむつも、トイレに行けないので、 三日前に認めたばかりでした。 でも、オムツをしたら、 今度は楽だねえ、と母に言ったそうです。 そういう父でした。 自分の意思で死んだのだと、ぼくは思っています。 遊びも好きでしたが、 意志の強い父でした。 以前、父は、90過ぎて、大病の胆石で入院したとき、 点滴が入らなくなり、 医者が僕に喉に穴を開けることを提案しました。ぼくは、即座に断りました。 病室で起きた父に報告したら、父に褒められました。(笑) しんでもいいから、そんな辛い思いはしたくないという患者の意見を、 治療のために無視する医者が多いようです。
認知症の研究会でも、 認知症患者の講師が、 患者の敵は、医者、くすり、家族だと言っていました。 医者は、身体拘束、オムツなど、 権力で行使する。 周りの人は、この患者はこれができると理解できることでも、 家族は理解できないで、 可能性を封じ込める、そういう理由です。 今年度中には、成果をまとめて発表します。
(以上、我がエッセイ集ファンとして時折メッセージを寄せて下さる大学教授M氏より頂戴した記述より、一部を引用させていただいたもの。)
最後に、原左都子の私論に入ろう。
まさに、我が人生もこうありたいものだ。
今は未だ“若気の至り”範疇であるため、私が96歳に至らんとした暁に如何なる余生を導けるのだろうかの方策も自信も一切ない。
むしろ自分勝手極まりなくこの世を生き延びている私の余生の程は短いのか??、とも想像している。
それでも、私は世間が言うところの「終活」などはしない。 通り一遍の陳腐な内容の「終活」(例えば老後資金の蓄積)は既に実行済みとも言える。
私は死ぬまで出来るだけ「医者いらず」を貫き通す所存であり、たとえ野垂れ死にかかろうが助けず放置して欲しい事や、死んだ際には火葬のみで済ませ葬儀はせず誰にも連絡しない事、及びお墓も要らない事は既に娘に伝えてある。 身辺整理も早めに自分一人で実行するから、私の事など一切放っておいて貴方は自分の生き甲斐に集中しなさい、とも娘に忠告している。
私は上記M氏より頂戴したお父上の生き様を、我が死生観美学の下に見習いたい。
私が96歳に達するまでには、まだ37年もの大いなる年月がある事に今一度感謝したくもある。
まだまだ末永く自己実現を実行しつつ主体的にこの世を生き長らえそうな我が心身に感謝しつつ、今後共なるべく原左都子のポリシーである“自助努力”の下に「医者いらず」を貫き通したいものだ。