原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

先週見たリアルな夢

2014年12月15日 | 時事論評
 師走も半ばに差しかかった昨日(12月14日)“自民生き残り作戦”とも表現できそうな衆議院選挙が、巨額の税金(一説によれば昨日の選挙にかかった費用は800億円とも言われているが…)を注ぎ込んで実施された。

 自民党政権の“我が身息災”身勝手策略に一国民として辟易とさせられつつも、これを良き機会に国民総力挙げて“自民党安倍政権を潰そう!”との我が願いは、はかなくも「叶わぬ夢」との結論を叩き付けられてしまった…
 一体この国の国民達の多くは何を考え、自民党なる政党に貴重な一票を投じたのか!?! と憤ったところで、野党の不甲斐なさをも考慮した場合、やりきれなさのみが漂う…

 こんな日には、スカッと気持ちを切り替えて私が実際に見た「夢」の話でも綴ろう、というのが本日エッセイの意向だ。


 我が家(とは言えども現在に至っては私と娘に限られるが)が、この年末の時期に毎年実行している恒例行事がある。
 それはクラシックバレエ「くるみ割り人形」公演を鑑賞する事なのだが、今年に関しては大学生の娘の資格試験受験日程等との関係がありその予約が遅れていた。 
 遅ればせながら12月に入りその予約を実行しようとしたところ、映画にも「くるみ割人形」(人形劇に今を時めく若手俳優らによる音声を売り物にしているようだが)上演がある事を知り、早速上記映画「くるみ割人形」をネットにて視聴してみた。  そうしたところ、チャイコフスキー原作の素晴らしいクラシック楽曲がヘボく編曲されているのに加え、どうも“子供だまし”の範疇を抜けていない。 これは見るに値しないとひとまず判断した。
 その後、ネット上であれこれとクラシックバレエ「くるみ割人形」を検索したところ、(あくまでも観賞料に於ける我が“リーズナブル観点”から)二つの公演を発見した。
 その中でも、格安の「学生券」なる粋な計らいがある 東京バレエ団による「くるみ割り人形」(東京文化会館大ホール)を予約した。  参考のため、東京上野駅前に位置する東京文化会館はここしばらく建て替え中(リノベーション中?)だった。 あの会館が如何に立派に美しく蘇っているのかも今回の見どころだ。


 ここでやっと、表題に掲げた我が「リアルな夢」エッセイに入ろう。

 おそらく、上記「くるみ割人形」クラシックバレエ公演をネットにて予約した日の夜(というより明け方だったかもしれないが)に原左都子がみた夢が、実にリアルだった事に目覚めた後で驚いたのだ。

 (以下は我が夢の内容だが)
 私は娘と二人で我が家から(おそらく行楽目的で)出かけた。 しばらく二人が徒歩で歩いていると都内某箇所にたどり着いた。
 その場所とは決して都心にしてはさほどの文化力がないはずなのに、新しいオーケストラ施設が建設されている。 我々はその施設でその日開催されているチケットを予約していないのだが、何故か館内を見学できる事になった。
 そして会場内に入り、その設備や講演内容の斬新さに驚くはめとなる!
 何と、そのオーケストラ施設とは国内初との触れ込みで「舞台と観客一体化」型施設だったのだ。 これが凄い!  まず観客席よりも舞台の方がずっと大きい。 その舞台上でオーケストラ奏者達皆が立ち上がって笑顔で行進したり踊りながら演奏しつつ「客席の皆さんも、舞台で一緒に踊り歌いましょう!!」と誘い、観客を舞台に引っ張り込む。 もっと凄いのは、ピアノ等の大きい楽器までもが舞台の床を車輪を付けて回りながら楽団員が楽しく演奏しているではないか!

 (ここで原左都子の解説になるが、何故私がこの種の夢を見たのかと言えば、私自身が現在のクラシック音楽公演に対して異議を唱えたい立場であろう故と推し量る。 
 確かにクラシック公演に於いては、少しの音色も聞き逃さずその音響を堪能したい観客にとって、子供の泣き声やおしゃべりは禁物であろう。  ところがクラシック鑑賞とてことバレエなど、子供が楽しみたい演目が数多い。 そういう場合、今までの常識を破って、子供も一緒に舞台に上げ楽員と共に楽しむ演奏会が今時実行不能でない気もするのだ。 
 我が娘は既に成人に達していて静かにクラシック舞台を堪能できる資質を十分育成出来ているが、母である私自らが、もしもクラシック公演がもっとラフだったなら自分こそが舞台にしゃしゃり出て、一緒に踊ったり歌ったりしたいとの欲求を抱えているからこそのリアル夢だったと捉えている。)

 この我が“リアル夢”はまだ続く。
 そのオーケストラ施設から出た時、娘が「ポーランド展」に行くと言い始める。
 (現実問題として私自身は次の日に衆院選「期日前投票」を予定していた事が夢内脳裏にあり)、夢の中で娘に尋ねる。 「私は午後には期日前投票に行くが、あなたが行きたい『ポーランド展』とやらは何処で開催してるの?」   娘応えて曰く、「世田谷だよ。」
 (ここで再び原左都子の解説だが、何故我が夢内で娘が「『ポーランド展』へ行きたい」と言ったのかが朝起きて判明した。  クラシックバレエ公演「コッペリア」に関しても我々親子は精通している。故にその物語の舞台である“ポーランド”なる言語が我が夢内で登場したのも必然性があったと言えよう。
 さらには「世田谷」であるが、我が家より程遠いこの地の某お寺に我が夫婦の永代供養を志した時期があるのだ。 私自身はお墓不要と娘に伝えてあるものの、娘一人がこの世に生き残った暁に親の遺骨を抱えて右往左往したのではかえって娘に迷惑をかけるとの意思で、たまたまパンフレットで見た世田谷にある永代供養墓を頼ろうかとの希望が少しあることが、夢内に出たと解釈している。)


 話題を現実に戻そう。

 上記に掲げた我が夢の場合“悪夢”とは言えないものの、毎晩「リアル」な夢にうなされる国民がこの国にどれ程存在する事であろう。

 自民党政権は国民がかすかに希望を抱けるたわいない夢を犠牲にしてでも、自分らの「歪んだ」ポリシーを貫き通したいのか!?   自民党支持者の中には、(私の視点から見ると歪み切っていると判断する諸政策を)これこそが「我が国が欲する政策」と信じて疑っていない人種が、今の時代に至って数多く存在する事を今回の選挙で思い知った私だ。

 オーケストラ公演とは、今後も皆が客席で黙って聞かねはならないのか!? 
 そうだ! と答えるのが多くの国民の支持を受けて政権持続する自民党の今後に続く策略だったのならば、そこには明らかに大いなる時代錯誤がある事実を私は訴えたいのだ。

 一応先進国?で生きている私としては、今後も続きそうな夜な夜なリアルな悪夢でうなされる日々こそを解消したい思いで、今回のエッセイを公開した。