本エッセイ集 2014.9.18 バックナンバーに於いて、「リクルートスーツの『過ち』と『憂鬱』」と題するエッセイを綴り公開している。
以下に、その一部を要約して再び紹介しよう。
学校嫌い・集団嫌いで“誉れ高い”原左都子が、「リクルートスーツ」なるものの存在を好意的に捉えている訳もない。
私自身が就職して社会に旅立った40年近く前の時代には、「リクルートスーツ」なる用語は元より、それらしき“皆お揃い”のスーツを着用せねばならない(義務とも表現可能な)慣習すらなかったように記憶している。 私の場合新卒での就職先が「医学国家試験取得専門職分野」と特殊だった事も大きな理由であろうが、そもそも私は「就職活動」なるもの自体を一切経験していない。 3月卒業前の秋口に自分自身で就職先候補を選択し、当該事業主体が実施する新卒対象入社試験日に11月頃試験会場へ直接出向いたものだ。 その際に何を着て行ったかの記憶すらないが、少なくともそのためにスーツを仕立てたり購入した記憶は全くない。
話題を現在大学3年生の我が娘に移行するが、娘曰く、「そろそろ自分の大学でも後期授業が始まった後に、大学のサービスで“リクルートスーツ”着用の上での就職用写真を撮影してくれるようだよ。」
う~~~ん。 集団迎合を忌み嫌う母の下に育っている我が娘にも、いよいよ「リクルートスーツ」なる(学校の制服に準ずる集団服)を強制される時が忌まわしいまでも到来してしまったか… そうだとして、今の時代に迎合してでも我が娘の就職を成就してやらねばならない親の責任の程も実感させられる。 で、その親の責任とは何なのか? 世間に迎合して我が娘に「通り一遍のリクルートスーツ」を着せる事が親の責任であるはずがないのだ!!
そこで原左都子は考えた。 少なくとも、我が娘には“娘に似合うリクルート風スーツ”を是非共着せて就職活動に臨ませたいと! これこそ、あくまでも新卒学生に「一律にリクルートスーツで就職活動や就職試験に臨め!」と指示・命令する雇用側事業所に対する原左都子のせめてもの反撃である。
新卒者受入れ側組織体は、新卒者である若い世代から「何故リクルートスーツで就職試験に臨まねばならないか?!」との質問に、適切な答えが返せるのか!? その自信が一切無くて、まさか「これが日本企業の採用常識だ」とか「我々も皆その常識に従って行動してきている」等々、答えにならない答を新卒者に返しつつ、それに従順に従う主体性無き若者のみを採用している現実と言えないだろうか?!? いつ経営破綻するかもしれない企業内で採用者側こそがいつまで自分の身がこの企業で持ちこたえられるのかと怯えているからこその、現在の新卒者採用実態ではないのか!??
20歳を過ぎた(既に成人に達している)若者相手に「リクルートスーツ」着用義務を煽り続け、国政さえもが旧態依然として(と言うよりも旧時代に逆戻りしようと企んでいるようだが)日本国民の個性を潰し続けて、この国の将来発展・存続が可能とは到底思えない私だ……
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約して引用。)
その後、秋口より娘と共に(娘に似合いそうな)リクルートスーツを求めて店舗を彷徨い、試着を繰り返させてきた。
ところが、“娘に似合う”以前の問題として、ウェストが特異的に細い娘は5号のスカートさえもダブダブ状態だ。 体全体のバランスがいいのか悪いのが、誂え済みのスーツでは娘の体型にフィットしない。 ここはオーダーに切り替えるべきかと頭を悩ませていたところ、某店の店員氏より、「スーツ専門店に行かれてはどうですか。その方が品揃えが豊富です。」とのアドバイスを頂いた。
実はその手段を私が心得ていない訳ではなかったのだが、スーツ専門店とはまさに「制服屋」であり“皆が横並び”のスーツを買わされる羽目になることを恐れ、敢えて避け通して来ていたのだ。
ただ娘の大学にての履歴書掲載用の写真撮影が迫った暁に於いて、親としてここはとにかく何でもいいからリクルートスーツを用意してやらねばならない使命感を抱いた。
そして年末が差し掛かったクリスマスの日に、私は娘を伴って某スーツ専門店へ足を運んだ。
そこで把握したのは、「専門店」ならではの“商法”(法律の方ではなく“売り方”との意味だが)が存在する事実だ。
店内にはほとんど顧客がいない。 そこに訪れる客個々に必ず店員氏が一人専属で付く。 そして時間をかけてあれやこれやとアドバイスしつつ、“抱き合わせ”商法でスーツ以外の附属品(鞄、靴、ワイシャツ、コート、ベルト等々)の購入を煽って来るのだ。 (これはまるで呉服屋と同じである事に、私はすぐさま気付いたのだが。)
そして自社が販売している商品の優位性を宣伝する事も忘れない。 「お母様、娘さんが今後就活に於いて集団面接に挑んだ場合、数人が横一列に並ぶ事になります。 そうした時に、必ずや弊社のスーツが一番高級である事を面接者は見抜くでしょう!」
海千山千の原左都子など、こんな話を聞かされてもアホらし過ぎて思わず吹き出しそうになるだけだ。 (えっ、何処の面接者がスーツの価値の程を一見して見抜けるの? もし見抜けたとしたとて、スーツが高級だからと言って、それで新人を採用する訳などないだろ!!)と内心はせせら笑いつつ、店員氏が一生懸命訴えて下さる事に報いねばならない義務を年長者として負っていると思い直した。
救いだったのは、確かにさすが「スーツ専門店」! サイズのバリエーションが豊富だった事実だ。
娘の体型に合う上着、スカート、スラックスを、娘の体型を一見して揃えて下さった事には感謝した。 それでも尚スカートのウェストを縮める“直し”と、スラックスの裾上げをお願いした。 加えて“抱き合わせ商品”である就活用バッグと靴、ワイシャツ(就活写真撮影の際には必ずや「白」が鉄則であるらしいが)、そしてベルト(スラックスには必ずベルトを締めねばならないらしい)すべてを買い揃え、合計数万円也の会計を済ませて帰宅した。 (呉服屋にて着物一式を買うより2桁安価だった事実に、庶民としては心より安堵したのだが…)
昨日の12月30日に、直しが終了したすべてのスーツを引取りに娘がスーツ専門店を訪れた。
その際、「もう一度、試着しますか?」との店員氏の言葉に娘が応えたのを、母としては双方を評価するべきと考える。
そして、娘が昨日持ち帰ったスーツ一式は店舗内で見るより確かに「黒色」が美しいと感じた。
娘もまんざらではない様子だ。 秋口から(母の意向により)難航したリクルートスーツ選びが年内に集結して安堵した様子でもある。
とりあえず、今後娘が就活に臨まねばならない事実に対する親の「入口」責任を果たせた感はある。
ただ、娘よ。 今の時代に於ける就活とはそれ程甘くはない。 リクルートスーツの“黒色”が美しかった人物が優先的に採用されるなど絶対にあり得ない!!
貴方は確かに(先だって歯科医先生がお褒め下さったように)“見た目”に於いておそらく得をしていることであろう。 そして対人能力に於いても成長しつつあると母も評価する。
それでも尚、自分の専門力を最大限開花するべく大学卒業まで精進し続けよう。
その精進こそが貴方の輝かしき将来に繋がる事を、この大晦日の日に母から今一度伝授しておこう!
以下に、その一部を要約して再び紹介しよう。
学校嫌い・集団嫌いで“誉れ高い”原左都子が、「リクルートスーツ」なるものの存在を好意的に捉えている訳もない。
私自身が就職して社会に旅立った40年近く前の時代には、「リクルートスーツ」なる用語は元より、それらしき“皆お揃い”のスーツを着用せねばならない(義務とも表現可能な)慣習すらなかったように記憶している。 私の場合新卒での就職先が「医学国家試験取得専門職分野」と特殊だった事も大きな理由であろうが、そもそも私は「就職活動」なるもの自体を一切経験していない。 3月卒業前の秋口に自分自身で就職先候補を選択し、当該事業主体が実施する新卒対象入社試験日に11月頃試験会場へ直接出向いたものだ。 その際に何を着て行ったかの記憶すらないが、少なくともそのためにスーツを仕立てたり購入した記憶は全くない。
話題を現在大学3年生の我が娘に移行するが、娘曰く、「そろそろ自分の大学でも後期授業が始まった後に、大学のサービスで“リクルートスーツ”着用の上での就職用写真を撮影してくれるようだよ。」
う~~~ん。 集団迎合を忌み嫌う母の下に育っている我が娘にも、いよいよ「リクルートスーツ」なる(学校の制服に準ずる集団服)を強制される時が忌まわしいまでも到来してしまったか… そうだとして、今の時代に迎合してでも我が娘の就職を成就してやらねばならない親の責任の程も実感させられる。 で、その親の責任とは何なのか? 世間に迎合して我が娘に「通り一遍のリクルートスーツ」を着せる事が親の責任であるはずがないのだ!!
そこで原左都子は考えた。 少なくとも、我が娘には“娘に似合うリクルート風スーツ”を是非共着せて就職活動に臨ませたいと! これこそ、あくまでも新卒学生に「一律にリクルートスーツで就職活動や就職試験に臨め!」と指示・命令する雇用側事業所に対する原左都子のせめてもの反撃である。
新卒者受入れ側組織体は、新卒者である若い世代から「何故リクルートスーツで就職試験に臨まねばならないか?!」との質問に、適切な答えが返せるのか!? その自信が一切無くて、まさか「これが日本企業の採用常識だ」とか「我々も皆その常識に従って行動してきている」等々、答えにならない答を新卒者に返しつつ、それに従順に従う主体性無き若者のみを採用している現実と言えないだろうか?!? いつ経営破綻するかもしれない企業内で採用者側こそがいつまで自分の身がこの企業で持ちこたえられるのかと怯えているからこその、現在の新卒者採用実態ではないのか!??
20歳を過ぎた(既に成人に達している)若者相手に「リクルートスーツ」着用義務を煽り続け、国政さえもが旧態依然として(と言うよりも旧時代に逆戻りしようと企んでいるようだが)日本国民の個性を潰し続けて、この国の将来発展・存続が可能とは到底思えない私だ……
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を要約して引用。)
その後、秋口より娘と共に(娘に似合いそうな)リクルートスーツを求めて店舗を彷徨い、試着を繰り返させてきた。
ところが、“娘に似合う”以前の問題として、ウェストが特異的に細い娘は5号のスカートさえもダブダブ状態だ。 体全体のバランスがいいのか悪いのが、誂え済みのスーツでは娘の体型にフィットしない。 ここはオーダーに切り替えるべきかと頭を悩ませていたところ、某店の店員氏より、「スーツ専門店に行かれてはどうですか。その方が品揃えが豊富です。」とのアドバイスを頂いた。
実はその手段を私が心得ていない訳ではなかったのだが、スーツ専門店とはまさに「制服屋」であり“皆が横並び”のスーツを買わされる羽目になることを恐れ、敢えて避け通して来ていたのだ。
ただ娘の大学にての履歴書掲載用の写真撮影が迫った暁に於いて、親としてここはとにかく何でもいいからリクルートスーツを用意してやらねばならない使命感を抱いた。
そして年末が差し掛かったクリスマスの日に、私は娘を伴って某スーツ専門店へ足を運んだ。
そこで把握したのは、「専門店」ならではの“商法”(法律の方ではなく“売り方”との意味だが)が存在する事実だ。
店内にはほとんど顧客がいない。 そこに訪れる客個々に必ず店員氏が一人専属で付く。 そして時間をかけてあれやこれやとアドバイスしつつ、“抱き合わせ”商法でスーツ以外の附属品(鞄、靴、ワイシャツ、コート、ベルト等々)の購入を煽って来るのだ。 (これはまるで呉服屋と同じである事に、私はすぐさま気付いたのだが。)
そして自社が販売している商品の優位性を宣伝する事も忘れない。 「お母様、娘さんが今後就活に於いて集団面接に挑んだ場合、数人が横一列に並ぶ事になります。 そうした時に、必ずや弊社のスーツが一番高級である事を面接者は見抜くでしょう!」
海千山千の原左都子など、こんな話を聞かされてもアホらし過ぎて思わず吹き出しそうになるだけだ。 (えっ、何処の面接者がスーツの価値の程を一見して見抜けるの? もし見抜けたとしたとて、スーツが高級だからと言って、それで新人を採用する訳などないだろ!!)と内心はせせら笑いつつ、店員氏が一生懸命訴えて下さる事に報いねばならない義務を年長者として負っていると思い直した。
救いだったのは、確かにさすが「スーツ専門店」! サイズのバリエーションが豊富だった事実だ。
娘の体型に合う上着、スカート、スラックスを、娘の体型を一見して揃えて下さった事には感謝した。 それでも尚スカートのウェストを縮める“直し”と、スラックスの裾上げをお願いした。 加えて“抱き合わせ商品”である就活用バッグと靴、ワイシャツ(就活写真撮影の際には必ずや「白」が鉄則であるらしいが)、そしてベルト(スラックスには必ずベルトを締めねばならないらしい)すべてを買い揃え、合計数万円也の会計を済ませて帰宅した。 (呉服屋にて着物一式を買うより2桁安価だった事実に、庶民としては心より安堵したのだが…)
昨日の12月30日に、直しが終了したすべてのスーツを引取りに娘がスーツ専門店を訪れた。
その際、「もう一度、試着しますか?」との店員氏の言葉に娘が応えたのを、母としては双方を評価するべきと考える。
そして、娘が昨日持ち帰ったスーツ一式は店舗内で見るより確かに「黒色」が美しいと感じた。
娘もまんざらではない様子だ。 秋口から(母の意向により)難航したリクルートスーツ選びが年内に集結して安堵した様子でもある。
とりあえず、今後娘が就活に臨まねばならない事実に対する親の「入口」責任を果たせた感はある。
ただ、娘よ。 今の時代に於ける就活とはそれ程甘くはない。 リクルートスーツの“黒色”が美しかった人物が優先的に採用されるなど絶対にあり得ない!!
貴方は確かに(先だって歯科医先生がお褒め下さったように)“見た目”に於いておそらく得をしていることであろう。 そして対人能力に於いても成長しつつあると母も評価する。
それでも尚、自分の専門力を最大限開花するべく大学卒業まで精進し続けよう。
その精進こそが貴方の輝かしき将来に繋がる事を、この大晦日の日に母から今一度伝授しておこう!