原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

洪水の都度水没する学校を現存させてはならない

2015年07月18日 | 時事論評
 徳島県阿南市立加茂谷中学校。

 義務教育課程である当該公立中学校が、昨年に引き続き今夏も大型台風11号による洪水被害を受け、グラウンド及び校舎の1階部分が浸水した。

 以下にネット情報「去年浸水の中学校グラウンドが再び浸水」を要約引用して、その状況につき記そう。
 昨年8月の台風で広い範囲で浸水被害が出た徳島県阿南市加茂谷地区では、土砂災害のおそれがあるとして一部に避難指示が出た。 住民によると、昨年2階まで浸水した加茂谷中学校のグラウンドが浸水し始めているということだ。
 7月16日午前1時20分ごろ中学校を撮影した写真と映像によれば、照明に照らされたグラウンドの水面が光り、サッカーのゴールとみられる設備が半分ほどまで泥水につかっているのが分かる。 阿南市の災害対策本部によると、中学校のグラウンドは午前6時現在も3メートルほどの深さまで浸水しているという話だ。
 写真を撮影した中学校の近くの住民は、「日が変わったくらいからグラウンドが浸かり始めるのが自宅の窓から見えた。 これからどうなるか不安で眠れない。 去年のような被害がないことを祈るばかり。」と話した。
 また、近くを流れる那賀川を管理する国土交通省那賀川河川事務所は、災害対策支部を設置して、警戒に当たっている。 当河川事務所によると、阿南市の堤防のない地区の一部では、去年と同じように水があふれている箇所も確認されていることで、今後雨が続けば、阿南市や那賀町の一部で浸水被害が出る可能性もあり、引き続き厳重な警戒をしている。


 ここで、私事及び私論に入ろう。

 教員経験がある我が身として昨年の浸水時から気になっているのは、当該中学校が近くの川の洪水氾濫により浸水する恐れが高いことが明らかな低地に建設されているとの事実である。
 何故このような地を敢えて選んで公立中学校を建設したのか?
 その経緯を知りたく思いネット情報をあれこれ検索してみたのだが、有用な情報は得られない。

 とりあえず、阿南市立加茂谷中学校に関するウィキペディア情報を以下に紹介しておこう。
 阿南市立加茂谷中学校(あなんしりつ かもだにちゅうがっこう)は、徳島県阿南市加茂町にある公立中学校。
 沿革[編集]
 1947年(昭和22年)4月1日 - 加茂谷村加茂谷中学校を創立。
 1955年(昭和30年)1月1日 - 那賀郡加茂谷村が那賀郡富岡町に編入し加茂谷村が消滅。富岡町加茂谷中学校と改称。
 1958年(昭和33年)5月1日 - 那賀郡富岡町と橘町と合併し両町が消滅。市制施行し阿南市が発足。阿南市立加茂谷中学校と改称。
 2014年(平成26年)8月10日 - 台風11号による大雨で那賀川が氾濫し、校舎の2階まで水に浸かった。
 2015年(平成27年)7月17日 - 台風11号による大雨で那賀川が氾濫し、校舎の2階まで水に浸かった。
 教育目標 …… ふるさとを愛し、心豊かにたくましく生きる生徒の育成。
           (  以下  略  )


 上記情報からは、加茂谷中学校建設の沿革は一切把握できない。

 それにしても、子供の生命を預かる公教育現場に於いて、校舎(及びグラウンド)水没なる大災害直面との同じ失敗を二度も繰り返すとは一体どうしたことか?
 幸いな事に、今年も昨年同様夜中の時間帯の浸水であったため、生徒をはじめとする教職員の被害者は一人として出ていない。 だから水没しても後片付けすれば済むとの安直な対応は如何なものか?

 一昨日からテレビニュース映像にて、水が引いた直後に学校教職員がその後片付けをしている場面を幾度も見せられて思う事がある。
 もしも学校現場や自治体の教委が、全国放映されているその映像を「美談」として捉えているとするならばとんでもない“勘違い”である。
 学校の教職員には、子供の生命を守り抜く使命はあれども、不意の災害の後片付けをする義務はないのではなかろうか?  いやもちろん、このような災害が発生すれば人道的観点から誰しも自分こそが後片付けをしよう!と志すであろう。
 この私とておそらく急いで勤務校に駆けつけ、後片付けの一端を担ったことと察する。(と言うのも、その行動を取らない事には後々教職員間での鬱陶しい仕打ちに遭う故だ。 あいつは来たがあいつは来なかった等々、組織内には必ずやせせこましい価値観をうだうだと表沙汰にする懐の小さい奴が存在して、いつまでも内輪もめにてバッシングされないとも限らなかったものだ。 その鬱陶しさを避けるためには、片付け作業に加わるのが一番手っ取り早いのが本音だ!) 

 さらに憂慮するべきは、昨年の浸水後の映像である。 
 浸水被害後片付けのために学校へ駆けつけて、教職員に交じり後片付けを手伝っている“生徒達の映像”が全国放映された。
 あれを見せられて教職経験がある私が一番に懸念したのは、夏季休暇中に学校へ出向いた生徒と、その行動を採らなかった生徒間での“校内評価”が二分してしまったのではなかろうか?なる観点だ。
 昨年の洪水被害の場合、上記の通り、生徒が後片付けする場面が“全国放映”されるに至っている。

 その辺の生徒間での行動の差が自ずと発生するであろう事態に関する、教職員間での憂慮が一切なかったのであろうか?  それ程に、加茂谷中学校内の治安は良いのであろうか?? 
 都会に暮らす私の懸念だが、こういう些細な事態が学内の“いじめ”の引き金となる事は大いにあり得ると考察するのだが…。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 如何なる災害が発生しようが、義務教育課程学校に通う子供達の生命は最優先して守られるべきである。
 これに関しては、誰しも異論はないものと思われる。

 次に議論するべきは、教職員の職務範囲だ。
 特に義務教育現場に通う子供の命を守る責務下にある学校教職員にとって、どこまでが職務範囲であるのかを確実に規定し直すべきであろう。
 少なくとも、昨年も今年も台風の洪水により水没する学校に勤めている教職員が、毎年その片付けを強要される事がその責務である訳がない。
 その責任の本体とは、学校を運営している自治体及びそれを統括する都道府県にある事実を明確にすることから出直すべきだ。

 これに関しては、現地中学校教職員氏の皆さんが言い出しにくいであろうことを想像し、当該自治体を統制する都道府県出身者の原左都子が、現地の教職員氏達及び生徒の皆さんに代わって、改善案を提示した今回のエッセイ内容である。

 もういい加減、洪水により毎年水没する公立中学校を本気で別の場所へ早期に移設して、全生徒の生命の安全及び安心して学業に励める環境を保障しては如何だろうか?!? 

恋愛の楽しみ方など人それぞれ千差万別でよい!

2015年07月15日 | 恋愛・男女関係
 今回のエッセイは、40近くまで独身の身にして数多くの恋愛三昧を繰り返した挙句の果てに「お見合い」にて晩婚に至ったとの経歴持ち主である原左都子が、勝手気ままに綴る内容である事を冒頭からお断りしておく。


 朝日新聞 2015.7.11“悩みのるつぼ”の相談内容は、23歳大学4年生女子による 「私には彼氏ができません」 だった。

 ここで私事だが、ちょっと待って欲しい。
 大学4年生“就活戦線真っ盛り”のこの時期に、この種の恋愛相談を新聞投稿する暇がある女子大学生とは、既に「就職内定」をゲット出来ているのだろうか?  
 もしかしたら、「就職先は内定したが、よく考えてみると私には彼氏がいないじゃないか!? どうしてくれる?」と突然焦り始めたのだろうか??

 あのねえ、我が娘も貴女と同じ大学4年生だが、未だ「就活内定」をゲット出来ずこの猛暑の中健気に就活説明会を足繁く回っているよ。
 そんな時期に「彼氏が出来ない」なる相談をするのって、内定を取れていない大学4年女子達に対してちょっと嫌味じゃないかなあ…。
 あるいはもしかしたら、貴女は“就職しない派”なのだろうか? 大学卒業後すぐにでも結婚を考えているにもかかわらず、未だ将来を契れる程の男性恋愛相手とは巡り合えない現状を嘆き、差し迫って新聞相談に投稿したのだろうか??
 もしそうではなく既に「就活内定」をゲット出来ているのならば、4大卒業者の使命として、ここは新卒採用で社会進出する身に立ち戻り、今後如何に社会貢献出来るのかを自身の最優先課題とするべきではあるまいか。

 とりあえず、大学4年生 23歳女性の新聞相談内容を以下に要約して紹介しておこう。
 23歳の大学4年生だが、今までに正式に彼氏がいたことがない。 かと言って恋愛経験が全くないわけでもない。 けれど最近、なぜ自分には彼氏が出来ないのかと悩む。 途中までいい感じだったのに友人が余計なことを言ったためこじれたり、あるいは好きな人から身体を求められて私が同意しなかったから結局仲のいい友達で終わったり…。   一方で、現在大学3年生の妹には1年半付き合っている彼氏がいる。 妹をはじめそういう人を見ると、何故自分の恋愛関係は進まず普通に付き合うことが出来ないのか、自分には恋愛テクニックがないのか、性格がダメだからこれからもずっと一人なのかと心配だ。…


 ここから、原左都子の私論に入ろう。

 冒頭にて記した通り、もしも当該相談者女子が大学4年生にして既に“就職内定ゲット”している立場であるならば、今現在20代前半の若さにしての自身の目標設定とは、今後しばらくは職業人としての使命を果たすことにターゲットを定めるべきではあるまいか? (参考だが、貴女が何処の大学を卒業する身分なのかは露知らないが、大学生を一人育てるために如何程の国庫金や自治体からの血税が投入されているかを、23歳にもなっているならば少しは慮るべきだよ!)

 と言うのも、私自身は就職直後から当然ながらその行動を採ったものだ。 実際問題、若気の至り新卒入社との未熟な立場で就職先での勤務に明け暮れる日々を過ごす日常の中、おそらく私の場合は自分の職責を最優先する日々だった記憶がある。 (その傍らに恋愛もしたが、それはあくまでも二の次の余力にて執り行ったものだ。)
 そんな中、相談大学4年生女子のごとく社内恋愛を経過しての“寿退社”を虎視眈々と狙う女子新卒者が私の周囲にも多数派だったことを思い起こす。
 もしも相談女子が就職先にて“寿退社”を狙っているのであれば、入社後にでも自宅の妹氏に長きに渡り恋愛関係持続可能なノウハウを伝授してもらえば済む話であろう。


 要するに原左都子の私論としては、うら若き女性達も自分なりの確固たる人生設計があってこその将来に及ぶ“恋愛選択肢”と心得るのだ。

 何故、(社内、学内等を含め自分の行動半径内のいとも狭い環境内での)つまらない男との結婚を目指したいのか?
 私にとっては自分の業務内容を充実させ自分自身こそがこの世で輝きたいとの切実な願望を内在させていた事は確かだ。 それ故、社内恋愛など二の次・三の次の課題だったと言える。
 ただ女性間のこの発想の差とは、育った環境によるものである事は十分理解出来ている。 おそらく幸せな環境下の家庭に育った女子達とは、自ずと両親に真似て早期に婚姻し家庭を築きたいのであろう。 

 そうだとして我が経験のごとく、結婚を意識しない恋愛を繰り返しつつ、とりあえずは職業上での成功を自分なりに勝ち取った後で、あえて晩婚を選択するのも乙な人生だよ。
 もちろん、若き頃より一人の男性に尽くす(共に人生を歩む)との選択肢も十分褒め称える価値があるのだろうが…。

 結論としては、老若男女を問わず、皆が個性豊かな恋愛を楽しめば済む話だ。
 特に若き時代には、自分自身の恋愛に対して自己肯定しにくい時期もあろう。 が、時を過ぎて大人に至り、過ぎ去りし時代の自分の恋愛遍歴を認められるならばそれで十分であろう。

 その意味では原左都子など、現在の年齢に至って尚自分が欲する理想的な恋愛人生を歩めているような“勘違い感”を抱けるのだから、我ながら凄い!?? 

国立大学文系学部廃止案を政権とは異なる観点で支持する

2015年07月13日 | 時事論評
 本日(2015.7.13)朝方、ネットニュースにて興味深い情報を一見した。


 早速以下に要約して紹介しよう。

 文部科学省が全国86の国立大学に対し、人文社会科学系の学部と大学院について廃止や他分野への転換など大規模な組織改編を行うよう求めていることが波紋を広げている。
将来的には国立大から文系学部が消えてしまう可能性さえ指摘され、国立大側の文科省方針への反発は強い。 ただ、一部の大学は既に文科省の意向に沿う形で文系学部の定員を減らす計画を打ち出すなどの動きもあり、国立大の文系学部の行方は混とんとしている。
文科省は2015年6月初旬、国立大に対し、「社会が必要としている人材の育成や地域への貢献を進めてほしい」として、文学部や法学部などの文系学部のほか、教員養成系学部などについて徹底的に見直すよう通知した。 少子化が急速に進み、国際競争が激しくなる中、文系学部は理系学部のように「技術革新」に直結せず将来に向けた目に見える成果がすぐには期待しにくい。 さらに、国の財政難から税金を効率的に使いたいという政府側の狙いがあるとみられている。
これに対し、国立大側から反発の声が沸き起こった。 国立大学協会の里見進会長(東北大学長)は6月中旬に東京都内で開いた記者会見で、「非常に短期の成果を上げる方向に性急になりすぎていないか。 大学は今すぐ役に立たなくても、将来大きく展開できる人材をつくることも必要」と述べ、文系学部の必要性を訴えた。実際のところ大企業の経営者や官僚の多くは法学部や経済学部の出身者だし、ネット業界では文系の起業家も少なくない。
京都大の山極寿一総長も、「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。(下村博文文科相が要請した)国旗掲揚と国歌斉唱なども含め、大学の自治と学問の自由を守ることを前提に考える」(6月16日の会見)と、強く批判している。
ただし、「大学の自治」と言っても、文科省は国立大向けの交付金について、取り組みや実績で評価が高い大学に対して重点的に配分する方針を示している。交付金配分をいう「制裁」や「与奪」の権を握る文科省に、真っ向から対抗するには容易ではない。 特にブランド力に乏しい地方の大学は厳しいところだ。
実際、既に文科省の求めに応じる形で具体的な対応に乗り出すところも出始めている。 徳島大学なども2016年4月に向け、再編を始める計画を明らかにしている。 「交付金をもらえないと困るから、文系学部の定員は今後、減らさざるを得ない」と話す国立大は複数に上る。
文科省の顔色を見つつも、したたかな対応を模索する大学もある。 滋賀大は、文科省通知にある「社会的要請の高い分野」として、「ビッグデータ時代の人材養成」を目指すデータサイエンス学部の創設(2017年度予定)を打ち出しているが、これは「未来志向と文理融合」という理念に沿って、大半は広義の社会データであるビッグデータの分析のため、人文社会系の学識とデータ解析能力を融合した人材を養成するというもの。「学際」に光を当てることで、文系、理系という枠組みを超越しようという試みといえようか。
こうした対応がどこまでできるか、国立大も総合力を試されるところだが、交付金ほしさに文科省の方針通りに対応すれば、いずれ全国の国立大から文系学部が一切なくなってしまいかねないとの懸念は残る。 特に、金儲けと縁遠い文学部や社会学部は狙い撃ちにされる可能性も指摘される。
旗振り役の下村文科相は安倍晋三首相に近いということもあり、大学関係者からは「文系学部をなくしてしまえば、批判する力も社会から奪われてしまう。 現政権の深い狙いがそこに隠れているようにさえうかがえる」との恨み節も漏れてくる。
 (以上、7月13日Niftyニュースより要約引用。)


 冒頭から引用が長過ぎた事をお詫びするが、学問好き故に理系文系両方の国公立大学(及び大学院)在籍卒業(修了)経験がある原左都子としては、実に興味深いニュース内容である。

 当該ニュース内容に関しては、既に安倍政権発足時点の2,3年前より政権内で取り上げられていた課題であるらしい。
 それが証拠に、上記引用のごとく国立大学によっては既に安倍政権の指示に従い動いている大学が存在している様子だ。 その動向の程に於いて国立大学間で明暗が分かれてしまっているのが少し辛い。
 例えば、過疎地徳島大学の事例など、「交付金をもらえないと困るから文系学部の定員は今後減らさざるを得ない」。 これに追随する国立大学が複数に上っているとの報道は、過疎地出身故に我が身にも沁みる…。
 私の認識によれば、徳島大学とは国立大学にして既に理系大学として特化した存在ではなかろうか。 一昔前に文系である「教育学部」を内在していたが、教育学部は既に単科大学として独立させ、今となっては理系国立大学として過疎地にて君臨中と捉えているのだが。

 それにしても、安倍政権文科省側の言い分も“自己矛盾”をあらわにしているとしか言いようがない。
 上記情報によれば、文科省は2015年6月初旬、国立大に対し、「社会が必要としている人材の育成や地域への貢献を進めてほしい」として、文学部や法学部などの文系学部のほか、教員養成系学部などについて徹底的に見直すよう通知した。 少子化が急速に進み、国際競争が激しくなる中、文系学部は理系学部のように「技術革新」に直結せず将来に向けた目に見える成果がすぐには期待しにくい。 国の財政難から税金を効率的に使いたい。…


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 安倍政権は国立大学文系学部廃止を訴える以前の問題として、成すべき課題が盛沢山だ。
 その一つとして、現在新国立競技場建設に於いて巨額の追加金を(都税含め)国民の血税により投じさせてまで建設続行を優先しようとしている政策に関し、国民に対し更なる説明責任を今すぐ果たすべきだ!
 安倍さんは、もしかしたら将来五輪で活躍して世界に名を売れる立場にある、大学「体育学部」(おそらく理系に分類出来るのだろう)を特待化したいのか?

 あるいは安倍氏自身が私立大学文系学部出身でおられるが、国立大学が置かれている現状を一切認識不能の立場にして、他人事のごとく国立大学文系廃止案を提示したのであろうか。
 さらには、文科相大臣下村氏も私立大学文系学部のご出身のようだ。
 私立大学文系学部出身閣僚同士でタックルを組み、虎視眈々と国立大学文系学部廃止なる政策を打ち立てたのか??

 ただ、現在我が娘を理系(正確に言えば理系文系融合分野)単科私立大学内学科へ進学させている親の立場で思う事がある。
 私立大学理系学部とは、おそらく文系学部に比し2倍以上の学費負担が発生するのが実情だ。(実験・実習等々を実施するための設備建設維持費は実際相当の金額に達するであろうことは想像がつくが。)

 ならばむしろ、理系学部に要求される施設設備費を国家がすべて請け負っては如何なのか?
 要するに安倍政権が国立大学をすべて理系学部に移行したいのならば、その施設設備負担こそを国庫金で賄うべきだ。(そこまで太っ腹覚悟で、安倍政権はこの議論を持ち出しているのか!?)
 残された学部(すなわち文系学部)をすべて私立大学に任せるとの方策であるならば、自分の子を国公立・私立に進学させる親間での“学費負担不公平意識”も多少薄れるのではないかと単純に考え、評価したい思いにもなる。

 いや実際、国立大学に文系学部など要らない気がする私だ。
 (その理由をここで説明するならば、特に長き独身時代に我が身を打ち立てた“食い扶持”のほとんどを国立理系で学んだ学問に頼る現実だった故だ。)
 上記引用部分で京大総長が懸念されている「幅広い教養と専門知識を備えた人材を育てるためには人文社会系を失ってはならない。」とのご見解に関しては、私も賛同申し上げる。 大学とは「学問の府」であるべきであり、将来の“食い扶持”稼ぎ目的は本来二の次の課題であろう。  この課題に関しては、「一般教養課程」こそがその役割を重点的に果たすべきかとも考える。 現状の大学は(国公立も含め)この過程が貧弱と言えないか?  私の学生時代の経験からも周囲の若き学生達は単位取得に必死で、肝心の学問内容を素通りしている感があったものだ。 

 ただ、実際我が子を大学に進学させねばならない底辺親達の懐具合までも勘案した上で、安倍政権が「国立大学文系学部廃止案」を提示した訳ではない“身の程知らずぶり”に嫌気がさす私でもある。

嫌われる理由

2015年07月11日 | 人間関係
 私自身は、「人から嫌われる」事自体が必ずしも“悪”であるとは考えていない人間である。

 当「原左都子エッセイ集」バックナンバー内でも、このテーマに関して幾度か考察している。

 例えば「嫌われてこその我が存在感」なる決まり文句を、我がエッセイ集内で多発している。
 毒舌辛口論評公開を主軸としてる本エッセイ集の場合、我が論評に対し異論反論・バッシングを頂けることが今後の執筆作業の力強い源となる場合も大いにあり得る。

 あるいは2011.9.3バックナンバーに於いて、 「決断力とは嫌われる勇気だ!」と題するエッセイを公開している。
 これなど、組織上部で全体を統率する立場にある人間が組織員に嫌われまいと迎合した結果、統制がままならなくなる事態はよくある話、と綴り公開している。  ある時は組織員に嫌われる勇気の下に決断を下さねばならない事もあろう、云々のオピニオンを述べた内容だ。

 さらに普段の人間関係の中で、「あいつとは金輪際縁を切りたい」なる相手と出会ってしまう不運が誰しもあろう。
 こういう場合、相手方から“嫌われる”事が一番の縁切り手段と私は捉えるのだが如何だろうか。
 もちろんこちらから「お前が嫌いだ!」と言い放つのがもっと手っ取り早いのは承知だ。 が、これが特に男女関係の場合、“嫌いは好きの裏返し”などと相手方に身勝手に解釈される場合も無きにしも非ずだ。  ここはストーカー犯罪防止のためにも本気で相手から嫌われるに限る! 決して八方美人ではない原左都子の場合、これは得意技かもしれない。 


 ただそんな私にして、人からこういう風には嫌われたくないと感じる「嫌われ方」 がある。

 実は昨日、他者の会話を通してその場面に偶然出くわした。

 場所は、普段から通っているジム内女子ロッカールームに於いてだ。
 当日出会ったばかりと思しき見知らぬ二人の女性が会話をしている。 主に喋っていた40代程の女性をAさん、聞き役だった60代程の女性をBさんとする。 ついでに、二人の会話をロッカー内の少し遠い場所で“他人事”として聞いていた原左都子の感想を(  )内に記する形で、以下に紹介しよう。

 Aさん 「私って嫌われキャラなんです。」
 Bさん 「あら、そうなの。」 (少し驚いた様子。)
 (初対面と思しき関係に於いて、いきなりこの会話の切り出し方は不作法で唐突だよ。 普通、「ジムで何のトレーニングをされているのですか?」等々、相手の様子を伺う言葉を選び会話の糸口とするべきだろう?)

 Aさん 「例えば女性の仲間に旅行を提案したりするのですが、どうも皆が乗って来ないの。 私の誘い方が悪いのかとも思うのですが…」
 Bさん 「……」 (沈黙状態が続く。)

 Aさん 「だいたい、女って皆勉強が嫌いですよね。 私が勉強好きだから皆が敬遠しているのかもしれない。 だけど勉強嫌いな女達と話しても少しも楽しくなくて、私の方こそが嫌気がさしたりもするし。」 
 (おいおい、そこまで話が急に飛ぶか??  Aさんはお勉強好きと言うけれど、どんな分野が好きなのかな? 私も勉強好き、正確に言えば学問好きな人種だけど、Bさんに代わって私が貴女の話相手をしようか~??)

 Aさん (反応の乏しいBさんに対し少しイラつき始めた様子で)「私も一人っ子だから我儘かもしれないけど、結局女同士の付き合いって面白くないんですよ! こんな所で女同志で集団プログラムのヨガをしたってちっとも面白くない!」
 Bさん (帰り支度が整い)「お先に失礼します。 また今度ジムでお会いしましょうね。 汗を流せばすっきりしますよ!」
 (う~~~ん。 Bさん、人間が出来てる!! 私もBさんを見習わねば。) 

 その後、Aさんは太った体とロングヘアを揺すりながら、一人でふてくされつつロッカールームを退出した…。


 いやはや、驚かされた。
 
 上記ジム内のAさんとは、残念ながら まさに周囲から「嫌われるべくして嫌われているキャラ」のようだ。  その事にご本人が一切気が付いていない事実がこれまた辛い… 

 ここでAさんの外見を紹介しよう。(と言うのも、一般人女性達とお近づきになる場合、今の時代は外見的要因から入る場合が多いのではないかと認識している故だ。)
 Aさんはロングヘアがいきなり目立つ女性だが、決してお洒落とは言い難い。 しかも決定的欠点として、太っておられる。 お顔は拝見出来なかったが、大変失礼ながら一見して洗練された女性として他者が受け止めるには大いに無理がある外見だ…。
 もっと重要課題は、初対面の人との会話内容が上記のごとく身の程知らずの失礼かつ貧弱ぶりでは、たとえ寛大なBさんとて今後ジム内で本気で付き合ってくれるのかどうか…。
  

 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 嫌われるべくして嫌われつつも、その傍らで自分自身の人生にとって悪影響が少ない人間関係も多々存在し、その是非を個々が選別しつつ人と付き合えるご時世であろう。
 そんな時代に適合するべく、自らの人間関係を個々人の判断で“ふるいにかけ”る事が可能な一方、各自が相手からも“ふるいにかけ”られ選別される社会へと現在は変遷している感がある。
 
 多少寂しい思いもするが、ここは皆が利口になり、少なくとも現実世界で会いまみえる他者との関係をつつがなく執り行える能力を自ら培っては如何か? 

 他者から嫌われていいが、自分が嫌われる理由を本人自身が分析出来る能力を備えた後に嫌われても、少しも遅くない。

金融機関の本人確認、個々の事情に即し融通対応出来ぬものか?

2015年07月08日 | 時事論評
 介護付き有料高齢者施設に住む義母の保証人代行を引き受けて以来、自治体役所等公的機関も含め各種法人対応に於いて無駄な労力を強要され、翻弄され続ける日々だ。


 本エッセイ集2015.5.21バックナンバー「今時の電話会社は“殿様商売”に走りたいのか?」に於いても私は以下の記述をしている。
 現在義母が使用している固定電話サービスが “利用者減少に伴い廃止される”との事である。 その代替として新たな固定電話サービスを推奨するため、それに契約し直して欲しいとの要件だ。
 電話会社(今回の場合はKDDIだが)から“老い先短い高齢者”の電話契約を今更変更しろと言われても、その契約を本人が単独で成せるすべもない事実を理解した上で、このような封書を大手企業であるKDDIは要介護老人に送り付けてきたのか!? この種の要件を“介護が必要な高齢者”に叩きつけられたなら必ずやその保証人が動かねばならない宿命にある。 その事実を巨大企業が理解しての措置なのか?!
 自社の都合で採算が取れない電話サービス契約を“廃止”すると簡単に言うが、公共性をも経営主眼としている大手企業が、その措置が及ぼす顧客側の迷惑を少しは慮れないものなのか。 特に老い先短い高齢者に対しては、特例として死ぬまでそのサービスを続行するとの方策も企業側の少しの努力で採れそうにも考察するが如何なものだろう?
 私はやむなく歩行もままならない義母を引き連れてKDDI関連企業であるauショップへ向かい、痴呆症状もある義母にやっとこさの思いで契約書にサインをさせ、契約締結まで持ち込んだ。
 ところが auショップ係員が言うには、「契約者(義母)に一週間後KDDIからの電話が通じて初めて契約が成立します。」とのことだ。 その電話を保証人である我が家にかけてもらえないかと私から嘆願しても、どうしても“ボケ老人”である義母の電話番号に最終電話を掛けない事には契約が成立しない」との係員のお達しである。(結局、案の定この最終確認電話の内容が本人には理解不能だったため、改めて私の方からKDDIへかけ直すはめとなった。)
 とにもかくにも、今回KDDIによる固定電話再契約強要に際して、義母の保証人の立場として様々な意味合いでとことん疲労困憊させられた。
 今現在電話会社間競争が激化しているようだが、それでもこんなご時世に於いて「電話業者」とはアベノミクス経済政策の歪んだ恩恵の下に最大限潤い「殿様商売」が叶う渦中にあるのだろうか???
 電話業界が自分本位で潤うのは勝手だが、貴方達の業界を現在底辺で支えているのはまさに“底辺庶民”に他ならない。  それら庶民の生き様や懐具合をしかと観察しつつ、今後の展望を大手電話会社どもこそが率先して推量し直すべきではあるまいか?!?
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用。

 上記KDDIによる固定電話廃止措置の後処理が未だ終了していないのが現状だ。
 KDDI側が杓子定規かつ強力頑固にも、「新たな電話回線に必要なアダプターを保証人宅である我が家宛にはどうしても送付不能。あくまでも痴呆症状がある義母の元に届ける。」と最後の最後まで言い張った事で、結局その受取がままならず、最終的には新たな固定電話契約を解約する事態と相成っている。

 そんな中、また新たな困難が発生してしまった。

 次なる課題は、火災保険である。
 3年程前に既に解体した元々義母所有の建物に関して、未だ火災保険料が発生していて月々その保険料支払いによる多額の損失を計上している事実を私がたまたま発見したのだ。
 これに関しては、義母本人及び火災保険対象物件を相続及び贈与にて引き継いだ親族にも大いに責任がある事は確かだ。 
 ところが相続人であった義理姉が既に死去し、その後の贈与人である義理甥とも付き合いがない現状に於いて、ここはまた私が一肌脱がねばならない立場だ。(参考のため、義母所有不動産管理に関しては税理士試験一部取得者である私に一任されている現状だ。)

 義母曰く、「あ~~ら、建物を取り壊した場合こちらから保険会社に届けなければいけないの? 私はてっきり保険会社の方がその状況を把握して保険契約が自然消滅するものと思っていたわ…。」(以上、私なりに専門用語に置換して記載。)
 まあそれでも、当該火災保険契約を締結していた事実を義母が覚えていただけでも助かる思いだ。 

 そして私は、早速火災保険会社に電話を入れた。
 その回答とは、まったくもって上記電話会社KDDIが取った態度と“瓜二つ”だった事実に、実に驚愕・落胆させられた…
 フリーダイヤルに出た担当女性氏曰く、「保険契約ご本人様の本人確認が必須となります。 今回お電話を頂いたのは義理の娘さんとのこと、この場合は契約変更取扱不能です。」
 私が応じて、「義母は既に介護付き高齢者施設に入居の身でして、本人が単独にての法律行為は不能です。 そのため保証人を立てて我が夫婦が代行を担当しているのですが、その立場でも契約解約は無理ですか?」
 「無理です。どうしてもご本人様よりの申し出がなければ保険解約は成立しません。」


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 特に保険会社の場合、民間企業も含めその競争の現実たるや正に激烈な事態であろう。 
 中途半端な立場の“半官半民共済組織”とは言え、その収益率こそが今後の組織体存続にかかっていることは十分に想像がつく。

 その理解の下での話だが、ここまで(保険会社を含めた)金融機関が「本人確認」にこだわる意向とは、今となっては老いぼれた高齢者と昔交わした契約を死守してでも、少しばかりの月々保険料を(悪徳業者のごとく)チマチマと稼ぎたいのかと勘繰られてもやむを得ないのではなかろうか??

 そうでないのならば、既に取崩している建物の火災保険料解約を、保証人からの解約処理で認めて欲しいものだ。
 参考だが、当該保険企業が言うには「物件解体証明書」があればその時期に遡って保険料を返還してもらえるとの事らしい。 我が義母事例の場合、現在に至ってはその種の証明書が一切ない。 そのため(今まで支払った保険料をチャラにしていいから)単に今後の保険料を支払い続ける事を回避する目的で保険契約を解約したい、と私から重々申し出ている。
 保険会社曰く、その事案に於いても、どうしても義母本人確認がないと処理不能との回答だ。 
 一体全体、保証人にどうせよ!と言いたいのか。 
 もしかして、このまま年老いた人間を食い物にして、時間経過と共に保険料をぶったくろうとの魂胆なのか??

 実際問題、我が国に於いて「高齢化」が急速に進んでいる現実を政権及び(国家と大いなる癒着がある)金融機関こそが少しは慮り、その現実に即した対応可能システムを早期に創設するべきではあるまいか?