原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昔は私もメッシー君、アッシー君のお世話になったなあ

2015年08月19日 | 人間関係
 冒頭より、用語解説をしておこう。

 “メッシー君”とは飯(メシ)に英語で「~する人」という意味にする接尾辞「-ee」をつけ、さらに人名っぽくするために「君」をつけたものである。 この場合の飯とは食事(特に外食)をさし、メッシー君で女性に食事を奢る男性を意味する。 男性側が食事以上の関係を望むか否かに関係なく、女性側にとって暇なとき食事に付き合ってくれ、それを奢ってくれるだけの男性をさしてメッシー君と呼ぶ。 バブル期に流行語になったメッシー君はアッシー君、ミツグ君とセットで都合のいい男性の代名詞として使われたが、バブルが崩壊し、時代が厳しくなるとともに、これらの言葉は死語となっていった。
 (以上、ネット上の日本語俗語辞典より引用)

 “アッシー君”とは、女性に自ら運転する自家用車で送り迎えを任される男性のこと。 語源は移動手段としての自動車を俗に「足」と呼ぶことに由来する。 
 (以上、ウィキペディア情報より一部を引用)


 早速私論に入ろう。

 「キープ君」や「ミツグ君」も含め、これらの用語とは、要するに未だ“男尊女卑思想”が日本に蔓延っていた1970年代終盤頃から80年代の時代背景下に於いて、経済的にも人格的にも独り立ちし切れない独身女性陣が、自分に都合よく男を利用せんとしていた頃の流行り言葉である。

 これらと並行して、当時「3高」「4高」なる用語も流行した。
 これも上記同様まさに“男尊女卑思想”に基づき、女性側が自分自身が自立する以前の課題として、自分より優れた男を結婚相手として選択せんと欲した思想に基づく用語だ。
 参考のため、「3高」とは、“高学歴”“高収入”“高身長”だったと記憶している。 
(更に参考だが、私自身も“高身長”だけは外せない理想男性像として目指していたなあ…。 これが結構厳しいのよ。 何分私自身が165㎝の身長に加えて、10㎝程の高さのハイヒールを履くと自ずと175㎝になる。 パートナーをそれ以上身長がある男性に絞り込む作業とは、実に大変だったものだ…。


 話題を大幅に変えよう。

 本日も朝から我が娘が「就活」に出かけると言う。
 「お昼はどうするの?」との母の我が質問に対し、「たぶん外で食べてくる。」との回答。
 それに私が応じて曰く、「就活者同士で昼ごはん一緒に食べよう!などとの話題は出ないの? 食事の場で個々人の就活状況を学生同士で話し合ったりしないの?」
 応えて娘曰く、「個人的に食事をする学生はいるかもしれないが、その場で個人情報である自分の就活実態を食事時の話題として出す人など今は一人とていない。」
 いや、確かに娘が言う通りだ。 私自身も街中で2人連れ程度の女性同士就活学生に出会うことはあれども、数人以上の就活学生団体に出会うことは一切ない。 まさに、個人情報保護・プライバシー保護観念が徹底した時代を実感だ。

 表題の「メッシー君・アッシー君」に関しては、娘に我が実経験を話した事がある。 私が若き独身時代はこの“恩恵”に十分に与ったとの事実を、私は娘につい最近も語った。

 例えば上京した後の話だが、私が業務を終えて退社しようとすると「一緒に夕飯食べよう」と誘ってくれる男性がいる。ちょうど帰宅時間が重なったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。 何はともあれく“料理嫌い”な私としてはラッキーだ。 調子よく同意して、夕食を一緒したものだ。
 あるいは会社から帰宅後、タイムリーに我が家に電話を寄越す同僚先輩男性もいた。 「これから車で迎えに行くから夕食を一緒に食べようか?」 これもまたまたウェルカムだ。 
 (参考だが、当時の時代は職場に於いても電話番号等々の個人情報を大っぴらに全社員に公開していた。)
 それら職場の独身男性達と夕餉の場で何を話し合ったかと思い起こすに、おそらく私自身が当時集中していた自らの職務内容を熱く語ったものと振り返る。 当時色気の端くれもないと自覚していた私に対し“メッシー君”を申し出てくれる男性陣は数多かったものだ。
 それが証拠に、その中の誰氏からも求婚などされたことはない。 ただただ私を食事に誘ってくれ私側としては対等な関係で有意義な時間を過ごせた事に今更ながら感謝申し上げよう。 (あっ、失礼。 夕食料金は相手方男性が全部支払ってくれたかなあ??

 そんなこんなの我が「メッシー君」「アッシー君」人生は、まさに晩婚直前のバブル崩壊期まで続いたと言えよう…。


 最後に、私論でまとめよう。

 確かに「メッシー君」「アッシー君」文化が我が国に蔓延っていたバブル前後の頃とは、未だ日本女性が自立とは程遠い過程を彷徨い、“男依存傾向”を余儀なくされた時代だったと結論付けらるかもしれない。

 それでも私は、もっと以前の「ナンパ」文化をも含め、我が国は貴重な人と人との出会いのチャンスを喪失し続ける人間関係時代へと後退の一途を辿っている感が否めないでいる。
 とにもかくにも、人間関係のきっかけとはどちらかが声を掛けなければ始まりもしない事は歴然だ。 声掛けの理由は何であれ相手を気に入ったならば素直に声をかける。 これは「メッシー君・アッシー君」「ナンパ」文化を底辺で支えていた人の出会いに関する貴重な我が国の所産だ。 

 諸外国は如何なものか? しばらく海外を訪れていない身にして残念ながら論じられないテーマだ。
 とにもかくにも、日本国内に於けるこれ程までに歪んで成長を遂げた「プライバシー保護」及び「個人情報保護」政策が人間関係の希薄化に拍車をかけ、国内の犯罪を多発させる元凶と化している感を私は抱く。

 「メッシー君」「アッシー君」の是非はともかく、お互いに好意を抱いた人と人とがもっと自由にかかわれるチャンスを得て、その関係を充実させられる平和な時代に戻る事に期待したいものだ。

高校新科目の 「公共」 とは一体何??

2015年08月17日 | 時事論評
 私自身が一時高校教員を経験している身だ。

 その関係で教員現役当時より、特に「社会科」関連教科に於いて、文科相(当時は文部省だったが)の新学習指導要領の改編と共に、学校現場に於いて教科内容を目まぐるしく改定せねばならない教員側の“被害”を直接受けた立場である。

 「国語」「数学」に関しては、時代の変遷に関わらず、(学問伝授を使命とする大学は別として)高校までの高等教育レベルではさほどの改編がないのが実情ではなかろうか? 
 それでもまあ、こと「英語」に関しては“読み書き”中心教育から“聞く・話す”教育へと変遷させたい文科省の期待に翻弄され続ける学校現場の苦悩が多少理解出来ないでもない。
 話を戻して、実際問題「国語」「数学」担当教員達とは、毎年毎年同じ「授業ノート」を使用して授業を執り行っているのが事実だったと記憶している。
 それらに対し、「理科」「社会」は科学や国内・国際社会の急速な発展の影響を直接大きく受けざるを得ない科目である事は事実だ。


 私の場合、高校にての担当教科が「商業」及び「社会」の一部科目だった。
 元より私が勤務したのが(大変失礼な表現ながら)「底辺高校」だったため、学校の指導方針がさほど学習指導要領に準拠せず、教員個々の自由度を尊重してくれた事はラッキーだったかもしれない。
 それにしても「商業」「社会」のいずれの科目も、時代の流れに触れない事には立ち行くすべもない。
 そこで私が活用したのは、当時大学院を修了したばかりの我が脳内に燦然と存在する“ホットな学術情報源”だ。  これぞまさに利用価値があると私は判断した。
 当時の高校の教科書内では陳腐な内容しか記載されていなかった「商業法規」や「商業経済」等に於いて、我が修士論文をしたためるために活用した最新の諸情報を、底辺高校生にも理解可能にアレンジしつつ授業内でフル活用したものだ。 
 当時はまさにバブル経済最盛期、少し崩壊期に差し掛かろうとしていた時代背景だ。 底辺高校生とて、時代の流れを自分自身の生活の一部として個々が把握しているのを私は確かに感じ取っていた。 私の授業を聞いてくれた高校生達が、教科書を読むより私の授業を受けた方が自分が生きているまさに今の時代の社会情勢を把握し易いと感じてくれた、と信じたい。

 その傍らで、私は「現代社会」なる、自分自身が高校時代に一切経験していない授業をも受け持った。
 とりあえず何を生徒達に伝える趣旨の科目なのかを把握するため、当時の勤務校にて使用されていた教科書一冊を幾度となく読み込んだ。
 なるほど。 これ「社会科」の基本として優れた科目ではないかと、私は高評価したものだ。
 要するに、現代社会が如何にして成り立ちこれから如何に発展するのかに関する「歴史」「文化」「経済」「政治」「国際問題」「青年の今後のあり方」等々、様々な学術視点から基本項目を1年間で総括する授業と私は理解した。
 そうだとしても1年間の授業ですべてを網羅するのには到底無理があるのは歴然だし、表面だけカスッたとて生徒に何を訴えられるのかと模索した私は、自分なりに得意分野を絞り込み、私なりの「現代社会」を構成し生徒に伝えたものだ。


 ここで、表題に戻ろう。

 朝日新聞8月6日付一面トップ記事の題目は、「高校新科目に『公共』22年度 近現代史も必修」だった。 
 その内容を、以下に要約引用しよう。
 2020年度にスタートする新学習指導要領について、文科相は8月5日、22年度をめどに高校に必修の「公共」「歴史総合」(いずれも仮称)などの新科目を設ける案を公表した。
 公民科の「公共」は選挙権年齢が18歳に引き下げられたことを受け、選挙等政治参加について学習する。 将来成人年齢が引き下げられるとの意見も踏まえ、社会保障や契約、家族制度、雇用、消費行動といった社会で必要な事を学ぶ。 これにより「倫理」など別の科目を学ばなくなる可能性もある。
 「公共」とは、現代の課題と過去とのつながりを理解し、グローバルな視点で日本の歴史を捉える狙いがある。 これの新設により「世界史」は必修でなくなる見通し。 他科目の扱いは中教審が今後詳細を話し合う。
 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。
 
 上記朝日新聞記事によれば、要するに新学習指導要領内で高校にて新科目として「公共」なる科目を新設する主たる理由とは、選挙権が18歳に引き下げられた事と、今後「成人年齢」が18歳に引き下げられそうな事に対する事前策と捉えられよう。

 確かに成人年齢が「18歳」に引き下げられた場合、その年齢に達するに該当する若者達がそれに関する法律規定を理解していない事には、「成人」としてのその後の人生がままならない事であろう。

 ただ、その命題とは何も成人年齢を18歳に引き下げる案が浮上する以前より大きな課題だったはずだ。
 話を元に戻すと、安倍政権が何故「18歳選挙権」及び「18歳成人」案を焦ったのかと言えば、それを実行する事により自公民政権こそが、“選挙の際により多くの得票が得られる”と身勝手に目論んだに他ならない。

 ところが時代は急変してしまっている。
 安倍政権は、もはや自堕落の過程に陥っていると私は認識している。

 安倍政権が(似非)活況化にあった少し前の頃に論議した「新学習指導要領」など、一旦白紙に戻しては如何か。
 私論としては、日本の若者が成人するのは「20歳」で必要十分と判断している。
 ここは今まで通り、「現代社会」の授業を更に充実させることに精進するべきだ。
 更には、日本も真なる国際社会として今後君臨したいのならば、高校現場に於いて「世界史」の授業こそを重点的に発展させる事に期待したいものだ。

戦後70年安倍談話を受け、今後も日本は侵略の歴史を償い続けよう

2015年08月15日 | 時事論評
 昨日私はいつも通っているジムへ行った。
 ちょうどお盆休暇時期のためか、トレーニングに励む人が少なくジム内が閑散としている。

 そんな静寂な環境下に於いて、体力作りよりも四方山話で盛り上がりたい人達の声がいつもより大声量で我が耳に響いて来る。

 その一例として、50代程の女性をAさん、60代程の男性をB氏と記し、以下に二人の会話内容を紹介しよう。
 Aさん 「今は中国からの飛散物質が多量日本に舞い降りて大変ですね。」 
 B氏  「いやいや、昔はもっと凄かったと思うよ。 昔は単に飛散物質の測定技術が発展していなかっただけの話で、今よりもずっと多量の有害物質が中国から日本に飛散していたと思うよ。」
 Aさん 「そうですか? 現在経済急成長を遂げている最中の中国は、広い国土の至る場所に工場を建設して、日々有害飛散物質をまき散らしていると私は解釈しているのですが…。」
 B氏  「中国は一昔前には石炭を多用していたから、それこそ、その粉じん被害を日本は多大に受けていると思う。」

 ここで原左都子の私論に入ろう。
 上記二人の会話をトレーニングがてら聞いて(聞かされて)いた私の脳裏に、二人に共通の「論点基盤」を見抜いた。 それは、“日本は中国から「迷惑行為」を受けている”との認識ではなかろうか。

 ちょっと待って欲しい。
 確かに中国は日本よりも国土面に於いても人口面に於いても「巨大」である事には間違いない。 だからと言って単純に中国を一方的に“悪者”と見立て、自分達「日本」はその犠牲下にあると言いたげなその会話内容は、大の大人にして如何なものか? 
 日本とて、同じ道を歩んで現在の経済発展に辿り着いている。(それも残念ながら斜陽の現実下だが…) 島国故そして国土が小さい故に、必然的に近隣諸国には迷惑を掛けずに済んだと身勝手に勘違いしているだけの話だろうが! 
 昭和40年代の高度経済成長期に、我が国日本も公害被害に明け暮れた歴史がある。 工業地帯からは日々黒煙が上り、河川や海には汚染水が蔓延り、ヘドロ被害で農業も漁業もままならず、「水俣病」を主とする公害過失事件が多発し、国民の尊い命が如何程に失われて来たことだろう。
 安直に中国を責める以前の課題として、我が国も同様の過ちを犯して来た歴史がある事実を、熟年層日本人にこそ慮って欲しいものである。

 にもかかわらず、何故、国民の主導的立場にある熟年層がこれ程に公衆の面前で“中国バッシング”会話を恥ずかし気もなく繰り広げるのか? (聞かされる方こそが恥ずかしい思いを 一応“国際人の一人として”私など抱くのだが。)
 少し前にも私は朝日新聞「声」欄で、“中国バッシング”をする場面に出会い心苦しい思いをした”との投書に触れている。 その内容を端的に説明するなら、「日本国内の居酒屋に中国人がいると嫌だ」と大きな声で語る日本人を発見して、「今の国際時代に於いて、それを言う側こそが恥ずかしいから慎みませんか?」とアドバイスしたかったが出来なくて今も悔やんでいる、との内容だった。 私も同じ思いだ…。


 さてさて、昨日発表された「安倍談話」に話題を移そう。

 その前に我が見解とほぼ一致する 「主語『私は』は使わず 安倍談話 歴代との違いは」 なるネット情報を以下に紹介しよう。
 
 安倍談話は注目された「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」について、首相自らの歴史認識はあいまいにしつつ、言葉を盛り込む手法をとった。「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にした村山・小泉両談話の姿勢とは大きく異なる。 戦後の歩みで中国の「寛容」に触れて配慮を示す一方、慰安婦問題は明記せずに「女性の人権」を強調する表現となった。
 約3300文字に及ぶ安倍談話は、「侵略」や「植民地支配」というキーワードについてこう言及した。
 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓った」 この表現は有識者会議「21世紀構想懇談会」が提出した報告書に沿う。 報告書は「満州事変以後大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」「特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した」と指摘していた。
 さらに注目されたのは、先の大戦についての「反省」「おわび」の表現だ。 村山・小泉両談話は「わが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と明確に認め、「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明している。この点、安倍談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と触れた。
 しかし、同じ単語が盛り込まれたとはいえ、村山・小泉両談話と安倍談話には大きな違いがある。
 談話を語る「主語」が 安倍談話にはなかった事実だ。
 (以上、8月14日夕刻に発表された「安倍談話」ネット報道より一部を引用。) 


 それでも私論としては、ここのところ安倍政権に対する国民支持率が低下の一途の現実世論に、政権側が軟弱にも迎合しつつあると見ていた。

 ラッキーにもまさにその時点で、戦後70年「安倍談話」が世界に発信された事を“不幸中の幸い”だったと捉える。
 何と言っても談話直前期を控えた時点で尚、安倍氏は近隣他国に対する「植民地支配」「侵略」に対する反省や「お詫び」の意思が一切かなったのが事実だ。  その安倍氏を改心させた一番の要因は「国民支持率」低下だったことに間違いない! これにより、煮え切らないまま旧態依然としていた旧与野党幹部達が動いた。 それらの動きに動じ安倍首相は、談話内容を変更したものと私は解釈している。

 元々その引き金を引いた大本とは、おそらく2020東京五輪新国立競技場建設反対派国民が8割以上に上った事態だったのだろう。
 世論とは、国家を動かす事が可能な事を国民も今回周知した事であろう。 その後、普天間基地移設先の辺野古工事も一時中断措置が下された。 

 何だが、我が国日本が私が期待する国民主導の方向へやっと動き始めた気もする。
 安倍政権が弱気になっている今こそがチャンスだ!
 今後の「集団的自衛権論争」にも更に国民が目を光らせ、島国日本にして何が平和なのかを主眼とし、近隣諸国に対し過去の侵略を後世に至ってまでお詫びしつつ、我が国が真の意味で国際発展を遂げる事に期待したいものだ。

子育ても高齢者介護も経験と ハート♡ が勝負だね

2015年08月13日 | 人間関係
 今朝方、高齢者有料介護施設に入居中の義母より、電話が入った。

 義母からの電話は特段今日に限った事ではなく、下手をすると一日3度電話を私宛に掛けて来て、様々な不都合を訴えて来る。
 いつもの事ながら、決して切羽詰まった用件ではない。 義母の場合、入居介護施設のケア体制が充実していることもあり、真に義母が切羽詰まる状況に陥った場合は施設のケアマネジャー氏より自宅まで連絡を頂戴出来る体制は整っている。


 さてさて今朝の義母の用件とは、通例通りだ。 届いた郵便物の内容が把握しかねるとの内容である。
 それを以前より重々承知している我が家は、私の判断により義母宛の郵便物を我が家まで転送する手続きを郵便局に申し出ている。
 ところが一部の杓子定規対応に固執する公的私的組織団体は、この「郵便物転送」を一切認可していない。 どうしても本人居住の住所地宛のみに郵便物を届けるとの方策に執着している諸企業は、今尚少なくない。

 本日も義母からの電話内容に関して私なりにその詳細を確認しようにも、とにかく耳が遠い、痴呆症状はある、それに伴い今となっては如何程の会話力や文書読解力があるのやらないのやら…、 恐らく“無い”と私は判断している。
 そんな義母相手に、我が亭主(義母の長男)は、未だに義母に新聞購読を勧める有様だ…。 本人がもう読みたくないと訴えているのに、「やっぱり社会と通じているためには新聞は読むべきだよ」などと自分の母が置かれている現実を知ろうともせず、母の知力を信じつつ(信じたいのだろう…)、他人事のように綺麗ごとを言う亭主のアドバイスに対しては、何故か素直な義母だ。

 ところが、こと嫁である私に対しては“恥を知らない”(善意に解釈すると“素直な”)義母である。
 分からない事は分からないと、明瞭に訴えてくれる。 これは好都合だ。 そうでなければ、我が義母の介護支援は今後に至ってままならない事であろう。 
 今朝の郵便物の内容が理解できないとの義母からの電話内容に対しても、私は事前対応を施している。 内容が分からない郵便物はそのまま返信用封筒(我が家の住所を書き切手を貼った大型封筒を義母に持たせているのだが)に郵便物を入れてポストに入れてくれれば、私宛に届くと指導している。(幸いな事に義母が住むケアマンションの程近い場所に郵便ポストがあるのだ。)


 私が現在、何故義母相手に適切な対応が可能かとの命題に関して、以下に考察してみよう。

 これぞ、微小ではあるが“障害”を持って出生せざるを得なかった我が子を「サリバン先生」の立場で育てた(現在まだ子育て進行中とも言えるが)経験が、大いに活きていると結論付けられそうな気がする。
 もしも、我が娘が大した苦労もなくして育ち今現在社会人として飛び立とうとしているのなら、私は単に普通の母親としてその成長を見守るだけの陳腐な存在だったのであろう。

 我が娘はラッキーな事に、生まれ持ってのDNA面で義母家系も含め様々な良質DNAに依存して、予想をはるかに超える成長を遂げられた事と自負する。
 それでも私がサリバン先生として我が娘をここまで導いた道程とは、決して尋常な過程ではなかったのは確かだ。

 その道程を思い起こすと、私にとって義母のケアをする事など大した仕事ではないのが事実だ。
 何分、義母は自身の判断(及び自己資金力)で既に高齢者有料介護施設へ自主的に入居してくれている。
 そして嫁である私に訴えてくる事象も、さほどの手が係る課題でもない。 それでも実の息子である亭主は、私が義母の相手が嫌ならばその場で「電話を掛けてくるな」と義母に宣言してよいとも言う。
 まったくもって、自分自身で要支援の娘や要介護者の実親と一切かかわっていない人間とは、とてつもなく馬鹿な発言をするものだ…


 ここで少し古くなるが、朝日新聞6月掲載“悩みのるつぼ”の相談内容を以下に紹介しよう。
 47歳女性だが、お年寄りをいたわったり優しくしようとの気持が全く持てない。 寝たきりになったり車椅子でボーッと座っている老人をみると、いけない事だが、「生物学的にも社会的にも死んでいるのに、この人たちは何で生きているのだろう」と思ってしまう。 これから死ぬ年寄りの介護のために膨大な税金を投入し、がっぽり年金をもらう年寄りがいる事に対し許せない気持ちになる。「どうせ数年で死んでしまうのに」と思ってしまう。 ただ、障害をお持ちの方や身体が不自由な方に対しては当たり前だがいたわってあげたい気持ちになる。 とにかくお年寄りにだけ嫌悪感を抱くのだ。 自分自身で分析してなぜそうなのか分からない。 今後自分も老人の仲間入りをすることを思うだけで嫌な気持ちになり、生きて行きたくなくなる。 とのように年を重ねていけばよいのかアドバイスをお願いしたい。


 最後に、私論に入ろう。

 上記“悩みのるつぼ”相談者女性とは、ご自身が人を愛したり愛されたりとの経験に全く欠如している感覚を抱く。 人とのかかわりに於いて相当希薄な人生を歩み、今に至って尚、世の常識を四角四面に形式としてのみしか捉えられないままに、現在47歳との熟年期に突入してしまったのではあるまいか??

 もしかしたら、ずっと独身を貫いておられるのだろうか? 
 それは我が希望でもあった。 それにしても40近くまでの我が独身時代とは人間関係に溢れていた。その時代に於ける人とのかかわりは、その後の我が人生に続く貴重な所産だ。

 何故相談者女性は、高齢者の存在を頭から拒絶し今後も拒絶し続けるのか?? 
 貴方がもしも高額所得者であり巨額の公的年金料をずっと支払っているとすれば、それに甘んじて現在生き延びている高齢者連中が憎たらしいのかもしれない。 ただ我が推測によれば、貴方は決してその身分ではなさそうだよねえ…
 子育て経験もなさそうな貴女とは、今後ご自身が老後に至った時点で国家財源を一番食い潰しそうな輩だよ。 貴女の老後を支えるために、今後如何程の国民の財源が係ると推測しているの??

 少しは自身の老後を推し量れば、現在貴女が老人虐待せんと欲する年代間での差別化魂胆に基づいた虐待思想のみすぼらしさの程に、少しは目覚めるのではあるまいか?

人間の心の拠り所とは時の経過と共に移り行くもの

2015年08月11日 | 人間関係
 お盆の時期に郷里へ帰省しなくなってもう何年の年月が流れただろう。

 テレビニュースにて、故郷への帰省(及びUターン)ラッシュの話題に触れる都度、そんな感覚が我が脳裏にカムバックする。


 独身時代には、(望郷の念のかけらもない)天邪鬼気質のこの私も、盆暮れには結構“生真面目に”故郷を訪れたものだ。
 あの行動は如何なる心理に基づいていたのかと今考察すると、要するに郷里の親達が私に会いたがる思いに応えるためだったとの結論に至る。
 (こちらとしては親などとっとと捨て去って上京したつもりでも)親側にとっては自慢の娘だったようだ。 当時まだまだ若かった親達(特に母親)にとっては、都会で一応の成功を遂げしかも親の欲目では美しく成長(??)した娘の私を周囲に誇りたい様子だった。 帰省の都度我が親がいつも私を車に乗せては親戚・知人宅を訪れ、一時娘自慢を繰り返した事に、私もまんざらでもなくその気になって付き合ったものだ。

 その後、郷里を訪れたのは我が娘を産んで以降だ。
 娘誕生後8ヶ月時点より10歳頃までその習慣が続いた(と言うよりも我が意思で習慣を続けた)。 その理由とは、上記同様、郷里の親が我が娘である孫を見たいとの要望に応じて執り行った儀式である。
 ただ我が家の場合、娘が特殊な事情を持って生まれていた事が一番のネックとなり、その後すぐさま一家にての帰省を終焉させた。 
 これに関しては、私にとっては今思い出しても辛い出来事だ。 我が娘が郷里帰省時に40度を超える高熱(我が娘は幼少の頃より中学生に至るまで、度々原因不明の高熱に苛まれた)を出してしまい、数日の滞在中ずっと郷里の実家にて寝て過ごす事態と相成った。 そんな娘の病状は母親の私としては“日常茶飯事”だ。 ところが、突然の娘の発熱にパニックを起こした実母(娘にとっては祖母)が娘の私に言い放ったのは、「孫の具合が悪い時に郷里に連れて帰るな! 孫の調子がいい時に帰省して可愛い姿だけを見せろ!」
 (参考だが、決して娘の調子が悪い状態で郷里へ連れて行ったのではなく、おそらく郷里にての環境変化等が引き金となり不明熱を出したものと推測する。)

 この一言が、すべてを物語っていた。 「失言」の範疇を超えた我が母親の咄嗟の発言に、私としては「こいつは親じゃない…」なる判断を再び下さざるを得なかった。
 私はそれ以前より、我が実母はもしかしたら天然阿呆でないかと思っていたのも事実だが…  私として実母から返して欲しかったのは、「この子を授かって貴女も日々苦労しているんだね…。」たったのに、我が母の口から出た阿呆過ぎる一言を私は今後の教訓とした。 その教訓とは「この馬鹿親に今後一切娘を会わせるべきではない!」との結論だ!

 それでもどうしても自分の孫の成長を見たいという、郷里に一人暮らしの実母(実父は既に他界)の希望に沿い、現在に至って尚盆暮れの時期を避け、私は実母の孫である娘を引き連れ二人で郷里を訪れている。
 ただ必ずや実母が住む実家には絶対に宿泊せず、娘と二人でホテルを予約し、我が実家に長居せずしてホテルに舞い戻る習慣が付いている。
 その理由が未だ分からず、「何で実家に泊まらないのか??」と我々を責め続ける実母だ。 自分自身が娘と孫相手に犯した罪の深さを一生理解しようともしない愚かな実母を、私側も今後一生に渡って恨み続ける事であろう。


 話題を大幅に変えよう。

 朝日新聞8月8日付“悩みのるつぼ”の相談内容は、40代女性による「息子がスマホから離れない」だった。
 その相談内容を以下に要約して紹介する。
 50歳前の女性だが、息子は中学後半から現在在学中の高校を目指し、塾通いと先生方に恵まれたお陰で難関を突破して進学高に入学出来た。 高校入学後スマホが必須という息子に対してそれを与えたら、それに四六時中没頭する日が続く有様。 私が注意すると暴動行為に出る息子に対し、堪忍袋の緒が切れた夫が息子のスマホを折ってしまった。 息子は「学校におカネを振り込んでくれ、住む環境と食べるものがあれば自分一人で生きていける。 親はそのためのもの。」とはっきり言う。 そんな息子のために今後毎日弁当を作る気になれず、一切かかわりたくない気持ちが高まるばかり。 どうするべきなのか、相談に乗って下さい。


 私論に入ろう。

 こんな親子にこそ、盆暮れには親の郷里へ息子さんを連れて帰る事をお勧めしたい思いだ。

 もしも実際、現在高校1年生になったばかりの息子さんを持つ相談者氏のいずれかに郷里があるのならば、そこのに住む祖父母こそを活用するべきだ。
 私が推測するに、相談者両親の親御さん達は未だ痴呆が進む程の高齢域に達しておられないことであろう。 相談内容から、既に高校生になっている息子さんは(原左都子の娘とは大いに異なり)まさか生まれ持っての事情など露持っていないと推測する。 まだまだ息子氏の柔軟な思考が叶う時期にこそ、故郷が置かれている現実に触れる体験をさせるだけでも大いなる刺激を受けると想像する。

 (自分の息子は頭が良いのよ、と言いたげな)相談者氏である40代母親女性側も、たかが高1の息子氏から吐かれた暴言を真に受けて、ご亭主まで伴い親二人で結託して未だ幼い息子氏を敵に回す必要もなかろうに…。 息子氏が吐いた発言は、ある意味では正論だ。 子供が学業を終えるまでは、親の責任として学校にカネを支払い、住む環境を整え食べるものを与えるのは当然の親の義務だ。
 ここは、息抜きに(未だ素直な年代と思しき)息子氏を連れて郷里の盆祭りを楽しまれては如何であろうか?

 相談者の息子さんは進学高に入学出来、現在既に愚かな二人の親どもに抵抗できる力を培っておられるとの事。
 心配せずとも、将来は独り立ちして親元から離れる事であろうと想像する。
 その時点に於いて、親の方こそが息子氏に“捨てられた”感覚をちまちま抱くのではなく、喜んで息子氏を旅立出せて欲しいものだよ。