原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

誕生日だと言うけれど、一体何を祝うのか?

2016年10月16日 | 自己実現
 いえいえ私は、人間とは年齢を重ねる毎に一段一段と素晴らしく発展し続ける動物と考えている人間だ。
 その観点から、毎年誕生日を迎える事がとても楽しみである。

 その私見に関しては、毎年誕生日を迎える都度、年々の感慨深い思いをエッセイに綴って公開している。
 例えば、今からちょうど5年前の2011年に本エッセイ集にて公開した「誕生日雑感」と題するバックナンバーの一部を、以下に再び紹介させて頂こう。

 私は、昔から年齢を重ねていく事を好意的に捉えている。 そしてよもや生命の危機が訪れるような場面に直面しても、“命乞い”をしてまで生き延びようとの発想もない。
 子どもの頃とにかく学校嫌いだった私は、日々自己を押し殺して義務感で生真面目に学校へ通いつつも、さっさと学校を卒業して自由になりたい思いから、子供心にも早く年をとりたいと考えることがよくあった。
 残念ながら子どもの頃の私が年をとることを肯定的にとらえていた理由とは、上記のごとく“後ろ向き”思想に基づいていたことを今となって実感させられる。 年端もいかない子どもが“早く年をとりたい”などと欲する現状を、周囲の誰かが気付いて助ける社会の受け皿など昔も今も存在し得ないのであろう。 ただ、私の場合自殺願望がさほどなく、自分の将来は必ずや花開くべく未来像が描けそうな“奇妙な図太さ”が根底にあったのが幸いとも言えるのだが…
 “適齢期”(当時の表現であり今や死語と化しているが)を過ぎて30代に突入する時など、既に27歳頃からとっとと30代になりたい思いが強靭だった。 その後の我が人生において結婚などせず独り身で自立して生きる場合、さっさと30代に突入した方が世間の様々なしがらみから解放され、更に自由に羽ばたけそうに思えたものだ。 (事実そうだったと振り返る。)
 そして我が人生の中で最高に輝かしき“華の時代”30代を煌くばかりに通り過ぎ、40歳を過ぎた頃、私は癌を患った。  この時、私は初めて「死」というものを直接的に意識するはめと相成る。 だが、産んだ子どもが未だ2歳であるが故の母親としての今後の責任を除き、我が人生に悔いも未練もなかった。 もし万一近いうちに命を落とすことになろうとも、私は心より「いい人生だった!」と思えるような40年間を主体的に歩んで来たと自負できたからである。
 ところが癌など屁とも思わない私は命を落とすどころかその後も図太く生き残り、50歳になろうとした時にも早く50になりたかったものだ。 その時の心理状態について今分析するに、今後も心身共に自分なりの“若さ”を保ちつつ、主体的に生きていける自信があったからに他ならないように思う。
 朝日新聞2011.10.15別刷「be」に、「100歳まで生きたいと思う?」と題する記事があった。 この質問に関する原左都子の応えは、「何歳まで生きてもよいが、生命の危機に直面するがごとく事態が訪れた時にみっともなくも“命乞い”などせぬよう、常に自分が欲する生き方を貫きたい!」 これに尽きる思いだ。
 本日(2011.10.17)は私の誕生日である。  子どもの頃には母の仕事故に“放ったらかされて育てられた”印象を我が郷里の母に対して抱き続けている私だが、その母は私が上京後必ずや誕生日に電話を寄こす。 その日も母が私の誕生日を祝って曰く、あくまでも自分勝手な懐古趣味の観点から「あなたを産んだ日のあの出産の苦しみを今でも鮮明に覚えている」との事だ。 それは分かる。 私も我が娘を超難産で産んだ日を一生忘れる事はないであろうからだ。(ただそれを自分が産んだ子供に平気で言う実母の愚かさ加減がほとほと嫌になる…)
 誕生日とは、特に親からは我が子がこの世に産まれ出た奇跡こそを第一義に祝福して欲しいものであると思いつつ、既に年老いた我が母が“愚かな”誕生祝いを寄こす事を、我が還暦に近づく今となっては受け入れねばならないのであろう。  自分の子を産んだ事をそんな気持ちで祝福したい年老いた親が存在する事を、今受け止めてやるのが現在の私の親孝行というものなのだろう。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2011年10月バックナンバーより一部を引用したもの。)


 さてさて、私は明日またもや一つ年齢を重ねることが叶いそうだ。
 還暦を迎えた1年間も、まさに様々な出来事と遭遇した。

 最近の出来事で記憶が鮮明なのは、8月の台北旅行中にバスタブ内で転倒して後頭部を強打した事件だ。 あの直後、本気で(早くも車椅子生活か……)との危惧感が我が脳裏にその不運を嘆かせたものだ。 ただ、もしそうなったとしても決して家族をはじめ誰にも迷惑をかけまい! と内心強い決意も抱いていた。 
 ところがどっこい、今となっては我が不死身ぶりに自分で感激出来る事が何より嬉しい。 レントゲンの一枚も撮影することなく、私は現在、来たる11月のロードレース出場・完走を目標にランニング練習を強化している。 
 (このバスタブ転倒後頭部強打の件でご心配を頂戴した読者の皆様、誠にありがとうございました。 この通り私は日々元気に活動を続けております。)
 
 更には、年々身内高齢者である義母・実母の介護責任の重圧が増すのも私にとって大きな試練だ。 これは今後ますます我が身に重くのしかかって来る使命であろう。 
 実際問題、介護保証人の任務とはストレスばかりが溜まり、それを遂行したからといって“達成感”が得られる対象ではない事はバックナンバーでも述べている。
 それでもそれをやり遂げねばならない。
 私が未来に於いて70代に突入した頃には、介護重圧から解放されて「よく頑張り抜いた! 自分を褒めよう!」と晴れて言える時期が来るのだろうか? 
 その後再び我が青春時代が蘇るだろうか? あるいは、私こそが親達より先に命を閉じるのだろうか……
 前者である“再びの青春”を視野に入れ、それを今から楽しみにしつつこの局面を頑張り抜きたいものだ!!
 そして70代に達した暁には、またもや素晴らしく発展を遂げている自分に感動出来る日が来ると信じたい。



  - P.S. -
 
 明後日から、郷里の実母を高齢者有料介護施設へ入居させる引越のため旅に出ます。 

 夏頃まで入居を「監獄に入れられるようだ」と渋っていた母も、秋の訪れと同時に「〇子(私のこと)がせっかく入居に向けて一生懸命動いてくれたから、私も入居の決断が出来た。 施設への引越をよろしくお願いします。」と発言するまでに至っている…。
 未だ日々マニュアル車の運転を実行している母だが、その長年の車依存生活がたたり足腰が極度に弱ってしまった…。  そんな母が施設でリハビリを続けながら歩行力を保ち、少しでも元気に生活してくれることに期待したいものだ。

 留守中は、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをご訪問下さいますように。

“学究肌”人種は後々ダメ人生を歩むか?

2016年10月15日 | 自己実現
 今回のエッセイ題材は朝日新聞2016.10.8 別刷「be」 “悩みのるつぼ” の相談内容より引用し、それを論評せんとするものだ。

 その我が結論を先に記しておこう。
 結局、相談者である66歳女性は、単に“亭主自慢”をしたかっただけじゃないのか??


 それでは早速、上記“悩みのるつぼ”の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 66歳の女性だが、私の夫はいわゆる一流国立大学の博士課程を出て、大学教授をしている。 「学究肌の人」にひかれて、その頃大学院生だった彼と23歳だった私は結婚した。 しかし、現在60歳半ばを過ぎて、これは大きな間違いだったのではないかと思う時がある。
 まず、大酒飲み。 旅行好きでよく一緒に出掛けるが、ツアー旅行の時などいつもチビチビと酒を飲んでいるので、他のツアー客の人達に「あの人は酒好きだ」と知られてしまう。 周りの大学教授達もほとんど「飲兵衛」だ。 普段真面目そうなのに、お酒を飲んで「!?」と私が目が回りそうな事を言ったこともある。 ある先生の奥さんが言うには「主人はATMでお金もおろせない。」 テレビや新聞でよく見る有名教授の奥さんは「気難しくて嫌になる」とこぼしていた。 皆でないと思うが、「夫」としてはダメ人間が多いのでは?
 今後の主人の扱い方になど、ご助言頂ければ幸いだ。
 (以上、“悩みのるつぼ”相談より要約引用したもの。)


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 相談者女性が66歳とのことは、私より5歳程上。 まあ、大まかに捉えれば、戦後生まれとしてほぼ私同様の教育を受け、大人になられたものと心得る。
 23歳で結婚されたとの記述だが、おそらくほとんど社会経験を積まない間にご主人と出会われ、ご成婚に至ったのであろう。

 この事実こそが根本的なネックではなかろうか?
 要するにこのご婦人の人生に於ける関心事が、いつまでも“学究肌のご亭主”にある事には間違いなさそうだ。  それが証拠に、旅行好きでお二人一緒によく旅行に出かけられているらしい。 その時に見せるご亭主の“酒好き”に嫌気がさし、ついでにまわりの大学教授の酒の醜態にまで話題を拡大して、しかも知り合い奥さんの同じく学究肌のご亭主がATM操作が不能な話題にまで発展してしまっている。

 この現実を如何に考察しようと、相談者女性の人生経験の幅が少な過ぎとの結論を導けそうだ。 
 ご亭主の酒好きが嫌ならば、何も一緒に旅に出ずとて別行動をすれば済む話だ。

 しかも婚姻後43年の年月を経ているにもかかわらず、いつまでもいつまでも、ご亭主の事を「学究肌」としか見られないその貧弱さでは、返ってご亭主の方が可愛そうな気すらする。
 奥方である相談者女性こそが、もう少しご自身が経験を積む人生を送られて視野を広く持てたのならば、66歳にもなってこのような相談をせずに済んだであろうに……

 
 ここで私事を語るのも嫌味ったらしい事を承知で、少し述べさせていただこう。

 そう言えば、我が亭主も“学究肌”であることには間違いないだろう。 (本エッセイ集バックナンバーに於いて我が亭主の事を稀ながら取り上げているため、ご存知の読者の方々もおられることであろう。)
 私が亭主と知り合ったのは、お互いに40歳前後の頃にお見合いをした時に遡る。 実は、私も結婚相手の理想として“学究肌”男を求めていた。 それは同じく“学究肌”(?)の私自身と話題の共通項が多く会話が盛り上がるだろうと考えたからに他ならない。 確かにその通りだった。 何故私が最終的に亭主を結婚相手として選択したのかと言うならば、学問に関する共通項が多く一緒にいて違和感が無く暮らせそうだと判断した故だ。
 その共通項は今尚続行している。
 ただし、その他の分野に関しては日々軋轢が発生するのも当然だろう。 それでも我が夫婦は比較的難なく機能していると私は判断している。 
 軋轢が発生する分野に関してはお互いの自主性を尊重すればよい話だ。 要するに、衝突が起こりそうな事象に関してはお互いに独立独歩を基本とするとの暗黙の合意により、距離を置く事で何とか解決するものだ。


 ここで、今回の“悩みのるつぼ” 回答者であられる 社会学者 上野千鶴子氏ご回答の一部を以下に紹介しておこう。 
 (ここで私論だが、現在バリバリに“学究肌”を通されておられる上野氏の視点からのご回答であり、私のような一般人が読んだ場合違和感が否めないのだが……)
 そう思いつつ、上野先生のご回答表題から紹介するなら。  「自分の領域にこもってもらえば」
 一般人としての原左都子からの意見だが、それは違うんじゃないですか?? と言いたくもなる。
 確かに上野千鶴子先生の場合、未だに現役にて“学究肌”を貫いておられ、このように朝日新聞相談コーナーの回答まで任されている「売れっ子」学者であられることだろう。
 片や、相談者のご亭主の現在の地位が不明だ。 相談女性が66歳との事を想像するならば、おそらくご亭主は一旦主たる大学教授を退任された後に、(失礼だが)ショボショボと他大学の講師でもされているのではなかろうか? どうせ自らの過去の業績に頼り、低レベル大学にて既に形骸化した自らの専門を語っているものと察する。
 結局、元学究肌とは言えども日々の暮らしの世話は妻に頼るしかなく、妻から疎んじられている事も気付かず、哀れな老後を向かえる事が目に見えるようだ。

 まあ確かに、妻側は亭主の“学究肌”恩恵により今まで生計を維持して来たのであろう。
 上野先生が回答されている通り、その経済力により現在ご亭主が貰っている年金資金にて、ご亭主に早期に有料介護施設へ入居してもらう事が一番の方策であろう。

 で、その後、相談者であるご婦人は、本気で自分の今後の人生を単独で渡って行けるのだろうか??
 あくまで相談者が言うところの “学究肌”のご亭主に43年間もの長い月日に渡り、ご自身の人生を一存して来たとのこと。
 それならば、高齢に至ったご亭主の少しの酒癖など許容してあげる事こそが、貴女に残された一番の仕事なのではあるまいか???

ついにテロか?!昨日大都会東京を襲った大規模停電

2016年10月13日 | 時事論評
その時私は、自宅から徒歩にて17分程の都内某所の商店街へ買い物に出かけていた。

 銀行ATMへ立ち寄った後、小規模の100円ショップ店内を物色していた時の事だ。
お店のずっと奥、文具コーナーの商品を見ていたところ突然店内の照明が全部消えた。 バックミュージックも途絶え異様な静けさと共に、窓の無い店内は暗闇に襲われた。
 すぐさま店内に数名いた店員氏達が、口々に「しばらくその場でお待ち下さい。」「電気系統の点検に入ります。」等々と顧客の混乱を避けるべく対応したり、暗い店内の電気設備がある場所へ急いだりし始めた。 その連携プレーの手際の良さは拍手ものだった。

 私がいた場所が店内の奥だったため、特別暗い。 これは安全のために少しでも明るい場所へ移るべきと考え、少しの明かりを頼りつつ入口のレジ付近へ移動した。 その我が行動に周囲にいた客達も追随したようだ。
 既にレジで並んでいた人達に店員氏が説明している。「停電のためレジが使用出来ません。今しばらく並んでお待ち下さい。」
 幸い私は未だ買い求める商品を一つも手にしていなかったため、そのまま店から外へ出た。 そうしたところ、店員の一人が「周辺のお店すべてが停電している様子だ。」と話している。 確かに周辺店舗を見てみると、すべての店内が暗闇状態だった。

 その時は未だ停電の規模をわきまえないまま、昨日購入予定だった商品を売っている店舗を覗いてみると何処も店内が真っ暗闇状態だ。 少なくともこの商店街一帯は停電状態であることを悟った私は、さらに歩行を進める。
 私鉄西武線(ちなみに我が家の最寄の駅は東京メトロなのだが、西武線近辺にも徒歩で行ける距離範囲)の駅の横を通り過ぎようとすると、やはり「停電のため現在電車が止まっています」とのアナウンスが流れている。 
 そこも通り過ぎて環七(環状七号線)に出てみると、都心の大動脈ともいえるこの幹線道路の信号機は故障していない。 既に停電は解消したのか? あるいは幹線道路の信号機は補助通電設備でもあるのか??などと思いつつ、環七沿いにあるスーパーマーケットに立ち寄った。
 そうしたところ、やはり店内では「どうしたのだろうね?この停電」などと嘆き合っている。 どうやら私は運よく、ちょうど停電が解消した時間に入店したようだ。 おそらく30分間ほど続いたらしき停電中、顧客の皆がレジ行列を作っていたものと推測する。

 さて無事買い物を終えて外に出てみると、上空で複数の(報道?)ヘリコプターが旋回している。 ははあ、これは私の予想よりもはるかに大規模な停電だったなと把握しつつ自宅集合住宅へ帰りつくと。

 今度は集合住宅管理室内の警報装置が作動しているようで、自動アナウンスが鳴り響いている。
 自室へ戻り部屋にいた亭主に確認すると、今回の停電は都内広範囲に及んでいて、我が集合住宅内でも事故が発生したとの事だ。
 ちょうど、亭主が1階の正面玄関先の集合郵便受より郵便物を取り入れていた時、小学生位の幼き児童2名が「お隣のおばあちゃんが大変ですから助けて下さい!」と亭主に申し出たのだと言う。 亭主が直ぐにその部屋へ駆けつけると、一人暮らしの高齢者女性が突然の停電に驚き、どうやら緊急警報装置を室内で作動させてしまったようだ。 それに気付いた亭主が、すぐさまそのけたたましいばかりの警報音作動を止めたところ、一応高齢者女性も落ち着いたとのことだ。
 我が家の集合住宅の場合、被害はその程度で済んだことが幸いだ。 
 ところが自宅に帰りついてみると、民放テレビによれば「集合住宅内でエレベーター内に住人が閉じ込められる被害が多発している」とのニュース報道である。 都心にてこのような大規模停電が起きると、集合住宅が膨大な被害を受ける事を再認識だ。


 さて、ここで昨日発生した東京都心大規模停電事故に関する今朝見たネット情報を紹介しよう。
 東京都内の約58万6000戸に影響が出た大規模停電で、原因とみられる火災が発生した埼玉県新座市の東京電力施設内のケーブルについて、東電が設置から約35年間、一度も取り換えていないことが13日、同社への取材で分かった。
 ケーブルの経年劣化が火災につながった可能性があり、埼玉県警などは同日午前、火災現場を実況見分。詳しい出火原因を調べる。 東電によると、火災が起きた施設は都内の変電所に送電するケーブルが入った地下トンネル。ケーブルは地下約6.2メートルの地点にあり、計18本が3本ずつ六つの束になった状態で通っている。ケーブルは敷設されてから約35年が経過しこれまでに交換された記録はないという。
 東電は停電が起きた12日の記者会見で、施設内に第三者が侵入したとは考えにくく、漏電によりケーブルから火花が飛び、絶縁用の油に引火した可能性があると説明した。
 ケーブルについては目視や打音検査などで年1回点検しているが、今年6月15日に行った直近の点検で異常は確認できなかったという。 敷設から35年たっているので、火災との因果関係を調査したい」としている。 
 (以上、本日朝見たネット情報より一部を引用。)


 ここから、原左都子の私論に入ろう。

 東電施設の老朽化の程は理解出来た。
 そうだとすると、結局東電東京都内の施設内設備はすべて同様に老朽化しているという事実ではないのか?

 ここで2020年東京五輪反対派の私からの、別の視野からの私論を述べさせていただこう。
 もしも、今回の発表による東電施設設備が老朽化しているとの真の結論に達したならば、それを2020五輪までに東電の責任に於いて整備し直すのか? そうではなくて、東京都の税金からその整備を食い潰すつもりか??  いやどちらにせよ、東電とて税金により成り立っている組織との立場だろうから、何処からの税金からそれを整備し直すということだよね? 結局どう転んでも、今後の都民の負担が増大するということだよね!?

 それよりも原左都子が大いに気になるのは、冒頭の表題に掲げた通り、今回の都心大規模停電がもしかしたら「テロ」ではなかったかのとの事だ?!
 考えられなくはない事実であろう。
 都民のライフラインを断絶する事態程大規模な「テロ」は他に無いと私は心得る。1000万人を超す都民をどん底に突き落とすには、ライフラインをぶち切ること以外に方策は無いであろう。
 
 ところが、どうしたことか昨日の大規模停電に関し民放テレビを含め「テロ」なる言葉に禁止命令が出されている気がする。
 どこの誰がそれを指令しているのかは不明だ。 が、もしも2020東京五輪実行決定した安倍政権が今回の東電東京大規模停電に関し「言論統制」を施し、自らが企んでいる衆院来年1月解散選挙実行を志していると考えられなくもない。
 そうした場合、ここで「テロ」なる言葉が公になるよりも東電の劣化過失にするべく躍起になって政権が狙っていると原左都子が考察しても、誤りではない気もする。

 何はともあれ、都心であれ何処であれ突如とした原因不明の大規模停電発生など、断固として勘弁して欲しいものだ。
 それでも大規模停電が発生してしまった場合、責任者こそが速やかにその“原因の追究”及び今後の適切な対応策こそを追跡して欲しいのはもちろんの事だ。

過労死犠牲者が味わわされた地獄の日々

2016年10月10日 | 時事論評
 広告大手の電通が、再び引き起こした「過労死事件」。 
 今年社会人新人として世に出た同じ年頃の娘を持つ親として、何とも身につまされる……


 早速、冒頭より当該事件について朝日新聞2016.10.8 一面報道より内容を抜粋して以下に紹介しよう。
 電通に勤務していた女性新入社員(当時24歳)が昨年末に自殺したのは、長時間の過重労働が原因だったとして労災が認められた。
 電通では1991年に入社2年目の男子社員が長時間労働が原因で自殺し、最高裁が会社側の責任を認定。 過労自殺で会社の責任を認める司法判断の流れをつくった。 その電通で、またもや過労自殺が繰り返された。
 亡くなったのは入社1年目だったTさん。 Tさんは東大文学部を卒業後、昨年4月に電通に入社。 インターネット広告を担当する部署に配属された。 代理人弁護士によると10月以降に業務が大幅に増え、労基署が認定したTさんの1ヶ月の時間外労働は約105時間に上った。
 Tさんは昨年12月に都内の電通の女子寮で自殺。 その前からSNSで「死にたい」などのメッセージを同僚・友人らに送っていた。
 電通は、先月インターネット広告業務で不正な取引があり、広告主に代金の過大請求を繰り返していたと発表した。 担当部署が恒常的な人手不足に陥っていたと説明し、「現場を理解して人員配置するべきだった」として経営に責任があるとしていた。 
 その電通は、「社員の自殺については厳粛に受け止めている。労災認定については内容を把握していないのでコメントは差し控える」としている。

 引き続き同日の朝日新聞34面内記事より、当該「労災自殺認定事件」に関す記述を要約引用する。
 Tさんが電通内で配属されたのは、自動車保険のインターネット広告等を担当する部署。 クライアント企業の広告データ集計・分析などが主な業務だったという。 
 業務が大幅に増えたのは、試用期間が終わり本採用になった昨年10月以降。 部署の人数が14人から6人に減った上、担当する企業が増えた。 月100時間を超える時間外労働をこなしていた。
 電通では、社内の飲み会の準備をする幹事業務も新入社員に任せている。 飲み会の後に「反省会」が開かれ、深夜まで先輩社員から細かい指導を受けていた。 上司から「君の残業時間は会社にとって無駄」などと注意もされていたという。 
 Tさんは自殺した12月25日朝、母に「今までありがとう」とのメールを出した。 母が電話で「死んではだめ」と呼びかけると、Tさんは「うん」と応えた。 それが最後のやりとりとなった。
 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


 ここから原左都子の私事及び私論に入ろう。
 この事件に関して言いたい事が山程あるが、その論点を分類しつつ以下に私論を記していこう。


 まず、Tさんご本人は、何故「ブラック企業」と結論付けられそうな劣悪企業に敢えて入社したのか? との課題に関して。
 1991年に既に過労死者を出している電通とは、「ブラック企業」と位置付けて異論無いものと心得る。
 いや、私も知ってるよ。 バブル経済の前頃だろうか、テレビ全盛期時代に電通、博報堂と聞けば、それはもう若き世代がそこへ就職したいと活気付いた記憶が鮮明だ。 まったく異分野で活躍していた私にとっては一生縁の無い世界ではあるとは心得ていたものの、そういう分野の経験を一度位ならしてみたいものだと一時心が揺さぶられた時代がこの私にもあった。
 ところで、Tさんとは東大卒とは言えども「文学部」ご出身との事。 おそらく他大学の学生であるならば、失礼ながら就職先に難儀したことであろう。 そんな中、Tさんは兼ね備えている美貌をも武器にして、電通より内定を取ったものと推測する。
 ただ、入社後の配属先がネットにての自動車保険会社の広告データ集計・分析とは、どう考慮してもお粗末だ。(再びの失礼をお詫びするが。)
 6か月間の試用期間が終了し残業が月100時間を超えた時点で、何故退社を視野に入れなかったのだろうか?  それを考慮する時間すら取れず過重労働で脳が朦朧とする中、もはや「自殺」しか思考できない程に心身が衰弱していたのか??
 時間外労働が月100時間ということは、月23日稼働にして毎日4時間以上残業させられるとの事実だ。 18時終業とした場合毎晩午後10時過ぎまで働き、翌朝また同じ職場へ通いパソコンの前で同様の仕事に明け暮れる日々…。 これが3ヶ月も続けば誰とて鬱症状を発症し、生きていく意味を喪失して当然だろう。

 次に、Tさんのお母様に関して。
 Tさんが電通の寮に入っていたとの事実は、お母様とは別居状態だったと推測できよう。
 で、12月25日にTさんから最後のメールが届くまで、お母様は未だ若き娘さんであるTさんの危機に気付いていなかったのであろうか? そんな事はないと信じたいが…
 いえいえ、決してお母様を責めるつもりは毛頭ない。 ただ、社会人となってまもない未熟な娘など、原左都子にとっては未だサリバン先生対応対象と入社前より捉えていた。 毎晩仕事より帰宅後娘と会話の時間を設け、何らかの問題が発生していないか確認の日々だ。  案の上、我が娘も入社直後に社内でとある問題を引き起こして(引き起こされたと言うべきか)いる。(これに関しては当該エッセイ集5月頃のバックナンバーでも公開しているが)、それにサリバンとして最大限のアドバイスを娘にしたものだ。
 ただ何と言っても、我が娘の就職先が(電通程の)大規模でない事に救われる思いだ。 経営者や上司との距離が近く、たかが新人と言えどもその存在を気遣い尊重してくれる体制に親として安堵している。 就活時点より我がサリバン指導に従い、規模は小さくとも自分の特質に相応しい体質の企業を探し求める事に邁進した娘の努力が実ったものと、今は捉えている。


 最後に、過労死者を世紀を超えて2名も出してしまったブラック企業「電通」に対して。

 確かに、今や世はネット時代へと変遷してしまっている。
 そんな世を操るには、ネットにろくでもない宣伝を執拗に掲載し続けねば成り立たない広告企業の実態なのだろう。
 その業務を担当させるのが「新人社員」だって???  勘弁してやってよ。 真面目な若者ほどそのドツボにはまり苦しむよ。
 しかも、社員の飲み会を新入社員に担当させているって? しかもしかも、それをショボれば反省会で深夜まで先輩が説教するんだと??   何だか、4、50年程前の体育会系のノリでしかないね……。 そんな悪習など、幹部自らがとっとと廃止に向けて動くべきだ。
  
 電通の経営陣が自分が受けたその「体育会系のノリ」経営体制に恨みつらみを今更抱き、新人相手に逆襲しているのかどうかは私の知った事ではない。
 が、いつまでも力無き若者社員をいたぶって成り立つ経営方針を貫くのではなく、ここは経営陣をすべて入れ替え、近代化した諸企業のごとく経営体制を刷新しては如何だろうか?

“達成感”に餓えた時には風を切って野外を走ろう!

2016年10月08日 | 自己実現
 2、3ヶ月程前からだろうか、いつも通っているジムへ行くと必ず声をかけてくれる男性がいる。  
 この方、現在76歳との事だが、真面目にジム通いをしている人達の例外ではなく、年齢に比してとてもお若い。 耳の聞こえもよろしく背筋がまっすぐならば頭の回転も速く、ひと回り以上若い私との会話が途切れなくテンポよく続くのにいつも脱帽させられる。

 (以下この方をA氏とするが)、A氏の存在はもう数年前より認識していた。 フレンドリーな性格のようで、ジム内の誰にも気軽に話かけておられるようだ。
 高齢者が多いジム内でおそらく若手に分類出来るであろう私に声を掛けてくれるのは、大抵高齢女性だ。 男性はやはり遠慮があるのか、それを実行する人は極度に少ない。

 A氏が私に声を掛けてくれた最初のきっかけとなったのは、トレーニング走路に於いてだ。
 この走路でいつも5㎞のランニング練習をしている私だが、タイムは遅いものの全力完走をモットーとしている。 そんな私は5㎞を走り切った直後に必ずや床に倒れ込んで、息絶え絶え状態となる。
 ちょうどそれを見ていたウォーキング練習中のA氏が、「大丈夫ですか?」と尋ねて下さったのが事の始まりだ。
 それに応えて私曰く、「大丈夫です。走り終わった後はいつもこうなりますので心配なさらないで下さい。
 A氏曰く、「どうしてそんなに一生懸命走っているの? 五輪に出場する訳でなく単に健康維持目的ならば何も倒れる程に頑張らなくても、もっとゆっくり走ればいいじゃないの?」
 私応えて、「いえ、それでは私なりの“達成感”が得られないのです。 年に2度市民ロードレース大会出場も実行していますし、とにかく究極自分の限界を確認せねば気が済まない性分です!」

 そんな私の受け答えをA氏が気に入ったのかどうかは不明だが、とにかく、それ以降ジムへ行くと必ずやA氏は私の姿を発見しては声を掛けて下さるのだ。 その会話が回を重ねる毎に長くなり、現在に至ってはお互いの個人情報まで差し障りの無い範囲で語り合うに至っている。

 と言う訳で、私は分野を問わず(あくまでも自己能力範囲内での)“達成感”にこだわりながら生きている人種である事には間違いない。
 それ故に結婚も出産も遅かったし、その後も我が人生の目標は 自己の“達成感”にあると分析している。


 そんな私にして悲しい事に、現在、両母(義母及び実母)の介護保証人を担当せねばならない立場にある。
 これが実に大変な事態だ。
 常に私なりの目標を持ち未来を見つめている私の集中力を途切れさせてくれるのが、この両人だ。
 律義で真面目でもある私は両人から電話があると、それに応えるべくいつも自ら取り組んでいる目標実行を中断し、それら事案に早速取りかからねばならない。
 
 例えば一昨日の義母からの電話内容とは、いつもの事ながら自らの認知力低下を物語るものだった。
 「あのね、私の住民カードは〇子さん(私の事)が保管しているのかしら? 3年前に亡くなった娘に持たせたままかと気になって…」  応えて私曰く「この前、お義母さんから住民票を取って欲しいと依頼され実行した後、私がカードを保管する事になっていますので私の手元にありますよ。ご安心下さい。」
 これで済まないのが常だ。 事情を把握出来ず幾度となく同趣旨の電話を寄越して来る義母に対し、初めて聞くふりをして懇切丁寧に回答せねばならないのが介護保証人の仕事の一つである。

 実母とて、形は違えど同様だ。
 再来週に郷里へ行き実母の高齢者有料介護施設への引越を控えている私だが、既に決定している事項に関して幾度となくクレームを付けてくるのに日々参っている。
 例えば、義母と同じく一昨日実母が私に寄越した電話によれば、「引越当日には親戚の〇子(母の妹・私の叔母)にも来て欲しい。 当日は貴方と親戚の〇子の二人で引越をして欲しい。」
 これに関しても、既に親戚の〇子さんに私から連絡を取り、娘の私一人で引越しを決行するとの合意に至っている。  と言うのも引越しとは大変な重労働だ。それをさほどの付き合いの無い二人が右往左往するより、主たる責任者を一人に絞り込むべきと私は考えるからだ。(その私の提案に親戚の〇子さんも同意してくれた。)
 ところが(はやり少し認知力低下症状がある)実母は、引越当日は二人に来て欲しいと言って譲らない。
 これに怒り心頭の私は、「引越を牛耳る“親分が二人”いたのでは返って支障を来す事を何で貴方は分からないの!! 娘の私が一人で引越を牛耳ると言っているでしょ!」
 私が真に言いたいのは、(貴方は世話になる身でしょ。 ならば世話をする立場の人間を信じてそれに一任しなさい。)なのだが、さすがにそれは抑えた。 後日私側から親戚の〇子さんに「申し訳ありませんが、母がどうしても引越に同席して欲しいと申しますので来て頂けますか?」なる不本意な電話を掛けそれの同意を取った。
 さて、実家の親戚筋とはDNA要因が大きいのだろうが皆が良く言えば“責任感旺盛”、悪く言えば“親分肌”気質……。 一体如何なる引越し劇と相成るのやら……


 最後に、表題に戻ろう。

 達成感欲求が強過ぎるDNAに恵まれている(苦しめられている?)私は、明日もまた自己の“達成感欲求”成就に邁進するのだろう。 

 そんな私は、実に素晴らしい趣味を“50の手習い”にて見つけた。
 それはまさに、冒頭にて紹介した「ランニング趣味」に他ならない。
 これぞ今後の我が生き甲斐の一つでもある。 何せ、ランニングとは一人でいつでも達成可能な事象だ。 こんな便利は趣味は他に無いであろう。
 
 しかも、ランニングを野外で実行する事の“達成感”とは、まさに風を切り大自然と一体化しながら励める凄さにあると実感する。
 時には藪蚊に刺されアレルギー反応を起こそうが、現在介護人を二人も抱えている私にとっての最大の達成感確認事象とは、野外でのランニング完走に他ならない。