原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ゲス川谷とやら、この愚男の一体何がいいの!?

2016年10月06日 | 恋愛・男女関係
 “ゲスの極み”とは、まさにコイツのことだ。

 ここのところネット画面を開くと、毎日のようにコイツの写真が見たくなくとも視野に入ってくる。
 私の場合、コイツが所属していたバンド名も知らなければ、最初写真を一見しただけでは、「このパッとしない醜男、誰?」程度の印象しかなかった。 
 それを日々見せられるうちに、「ああ、コイツが例の女性ハーフタレントと不倫したっていうあれね」との事情が分かって来た。

 それにしても、どうでもよい話題だ。
 音楽ファンの一部では人気があるらしいが、さして有名でもない一バンドメンバーがしでかした三の次、四の次で済ませりゃいい出来事を、何故メディアは執拗に取り上げ続けているのか!?? とそのアホ臭さにいつものことながら辟易とさせられていた。 

 そんなある日、女性週刊誌がレポートしたコイツに関する話題をネット報道が取り上げていた。
 その内容によれば、コイツ(川谷ナンタラ)が今度は未成年女子タレントに飲酒させた上、自宅に連れ込んだとの話題だ。
 それも私としては「どーでもえーわ」とホザきたいところだが、コイツの“悪質な魂胆”がその女性週刊誌レポートから見えて来たのだ。
 要するに、コイツは今回の不倫騒動によりメディアで自分がピックアップされたことを好機と読んで、売名行為に走ろうとしているようだ。  何でも週刊誌が事件スクープ現場で、「インタビューに応えてくれますか?」とコイツに依頼したところ、喜んで堂々と応じたのだと言う。
 通常このようなスクープ場面では、サングラスにマスク姿で身を隠すように逃げるものだが、何と!コイツは懇切丁寧に週刊誌の取材に応えた後、自分の名刺まで差し出して「何がありましたらご連絡下さい、ナンタラカンタラ」と自分を売り込んだらしい。


 では、コイツの愚男ぶりを更に掘り下げるべく、ウィキペディア情報よりコイツに関してかいつまんで以下に紹介しておこう。
 川谷 絵音(かわたに えのん、1988年12月3日[2] - )は、日本のボーカリスト、ギタリスト、キーボーディスト、作詞家、作曲家、ミュージシャンである。 長崎県出身。ゲスの極み乙女。やindigo la Endのメンバーであり、ボーカルおよびギターとして活動している。 東京農工大学工学部応用分子化学科卒業。
 1988年、長崎県で生まれる。 父親は高校教師で母親はキリスト教徒。 
 大学に入学後、軽音部に入り、ギターと曲作りを始める。 軽音部の1年生だけで、ACIDMANのコピーバンドを結成。 その後、mixiでベーシスト、ギタリスト、ドラマーを募集して、本格的なバンドを結成したが軽音部の部員達から叱責され退部。 またバンドも自然消滅。 その後お笑い芸人を目標にし、養成所スクール入学金を貯める為にアルバイトを始める一方、新たにバンド結成したが、ほどなくして川谷以外のメンバーが諸事情で辞めていき、バンドは休止状態になった。 そのため、川谷は、mixiでメンバーを募集し活動を再開した。 2014年と2015年には、他アーティストへの楽曲提供も行なっている。
 2016年1月、既婚者であることを隠してベッキーと不倫をしていたことが『週刊文春』にスクープされた。 これにより2015年12月ごろに内定していたアニメ映画『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』への映画主題歌の提供が取り下げられた。
 2016年5月9日に離婚したことを発表。
 2016年5月13日、ベッキーがテレビ復帰したことを受け、川谷は今回の騒動について不倫関係が事実であったことなどを初めて報告。 また、ベッキーが活動停止に追い込まれているときに、自分が活動していたことに対する批判については「待ってくれているファンがいたからに他なりません。音楽を聴きに来てくれる人がいるのに裏切ることはできない」と説明した。
 2016年9月29日発行の『週刊文春』で、タレント・ほのかりんと新たに交際を始めたことをスクープされるが、このとき未成年だったほのかに飲酒させた疑惑も生じた。 これを受けて、10月3日に行われたライブにおいて、事実関係を認め観客に謝罪するとともに、ゲスの極み乙女。のライブツアーの最終公演が開催される同年12月3日をもって活動を自粛することを発表した。
 (以上、“何で原左都子がコイツの情報を公開して売名行為の片棒を担いでやらにゃいかんの??” なる不快感を抱きつつ、ウィキペディア情報より一部を引用したもの。)


 更には、昨日(10月5日)に放映されたフジテレビの番組内で、コイツが当時未成年だった新恋人と飲酒したことを認めバンド活動を自粛すると発表した事について、議論したようだ。
 坂上忍氏曰く、「公演が終わってからの自粛っていうのは、言葉悪いけど、稼いだ後に自粛ってこと。ミュージシャンですから(自粛期間は)曲作ってればいいんですよね?」と痛烈皮肉。 更に、坂上は「離婚してないのに新しい人を実家に連れて行く間の悪さ。謝ればいいのに誰に謝れば?という人。社会人の常識外の間の悪さを持っている人なんですよ」と、今回の自粛発表も含め、やることなすこと全てタイミングが悪い川谷の“間の悪さ”を糾弾した。
 ゲスト出演した女優の奈美悦子は「公演終えた後は自粛じゃなくて、休み。 全然いい男じゃないし、どこがいいの? 私たちの年代だと、ゲスの極み乙女。の曲は寝言みたいな曲」と容赦なかった。
 (以上、ネット情報より一部を引用。)

 上記テレビ番組の中での奈美悦子氏の「全然いい男じゃないし、どこがいいの。」発言と、我が意が見事にダブる。 


 さてさて、どうしましょうかね、コイツ。
 こういう奴って、世のバッシングに反して案外のらりくらりと生き延びるものだ。 
 本人が過去に音楽活動で行き詰った時に“お笑いタレント”を目指したというが、まさに“間の悪さ”を武器にして、しぶとく芸能界に蔓延りそうな予感もある。

 それにしても、東京農工大出身だと言うが、その専門は一体どうした??
 ちゃんと「応用分子化学」を学問して卒業したのか? 他人事ながら学問好きの私としては気になる。
 未だ28歳との若さのようだが、心機一転、自分の本来の専門に立ち戻ってその分野を極めてはどうだろう?  まあ無理だろうねえ。 学生時代から音楽活動に明け暮れているようだし、今後も芸能界との特殊な世界で音楽を食い扶持とするしか方策は無いであろう。
 不倫騒動に関しても反省の色が一切無いようだし、今後も“ゲスの極み”を自で通しつつ芸能界を彷徨う意向なのだろう。

 繰り返すが、アンタには何の興味もない私にして、こうやってエッセイ題材に取り上げ宣伝してやった事に感謝して欲しいものだよ。

都心と過疎地の不動産価値格差に今更ながら驚愕!

2016年10月03日 | 時事論評
 今回、私が不動産物件を売却するのは何件目だろう??

 住居買替のため亭主と共有名義物件を2件、賃貸運営していた自己単独所有物件を1件、そして今度は郷里の実母所有物件の売却だ。

 既に手慣れた不動産売却だが、ネットの発展により少し前よりその “売り方” が大幅に変化している。

 
 ここで2年前に売却した、我が単独所有賃貸物件の“売却劇”を思い起こさせていただこう。
(まさに、“売却劇”と表現するにふさわしい不動産会社間での争奪戦が繰り広げられたのだ。 あれには実にびっくりポン!だった。)

 当時既に、“ネット入札方式”とでも表現すればよいのだろうか、要するにネットで売却不動産に関する詳細情報を登録すると、その売買を仲介したいと申し出る複数の不動産会社と売り手側個人が詳細を直接交渉出来る制度が存在した。
 2年前の6月下旬の朝、(もちろん売却したい意思があった)私としては「ためしに登録してみようか」程度の軽い気持ちでそのネットサイトに我が所有物件の詳細を登録した。

 そうしたところ、その5分後から我が家の固定電話と私の携帯電話が鳴りっぱなしになるではないか!
 電話主は、有名・無名・その中間程度の不動産会社数社だ。 
 そして、各社が異口同音に告げる。 「査定値が出ました!〇〇〇円です。 是非とも我が社に売却依頼をお願いします!」
 まさに唖然とした私が、「他社からも同様の電話を数多く頂いておりますので、少し検討する時間を下さい。」  電話はその後も絶え間なく続く。 「では他社の査定額は幾らでしたか? 我が社はそれより高額で仲介しますのでお伝え下さい。」  それに正直に「一番高額査定をした会社は〇〇〇円です。」と言うなり「それでは査定値を引き上げます!」と、これまた各社が続く……
 (参考だが、この査定値が大幅に食い違った。 それには事情がある。 我が売却物件が「オーナーチェンジ物件」であったからに他ならない。 オーナーチェンジにての売却の場合、下手をすると通常売却より5割低下する事実を私は既に周知していた。)

 そんなこんなでその日の午前中は、不動産ネット売却の電話にての商談を繰り広げるはめと相成った。
 その時、その中の一社が、「午後にご自宅へ直接伺い商談をしたいのですが。」と申し出る。
 「えーーー! 今日直ぐに来るのですか!」と慌てる私に、「是非とも伺いたい!」との熱意の程が尋常ではない。 その熱意にほだされた私は、午後にはその不動産会社担当者を自宅に招いた。
 既に午前中に物件現地に行って見て来たとの担当者氏曰く、「都心部にしてあれ程立地条件に恵まれている物件はまたとはないのですよ。 それ故に多くの企業から売買仲介申し入れがあった事でしょう。 で、オーナーチェンジ物件である事を承知の上で一番高値を付けた企業の査定額をお聞きしたい。 それよりも上乗せして我が社は是非共この物件を仲介します!」 
 私も負けてはいない。「そうおっしゃいますが、売却時期がいつになるのかも大きな課題です。 査定額が高くとて何時売却出来るのか不明の企業に任せる訳にはいきません。」
 担当者氏応えて曰く、「実は既にリノベーション物件として買い入れたいとの業者が存在します。 もしも原様が本日我が社と専任売却契約を申し出て下されば、明日にでも売買契約に持ち込みます!」

 それが実行され、我が売却物件はネット公開後わずか2日にして売買契約が成立した。 いやはや、何とも驚くべく“売却劇”だった。 (参考ながら、買い手と直に会っての実際の売買契約及び司法書士による登記簿書換えはその後に至るのは当然だが。)


 その記憶が未だ新しいまま、私は先だって過疎地郷里に住む実母の現在の住まいを、ネットにて売りに出した。 
 (参考だが、この度実母の高齢者有料介護施設入居が決定し、実母自身が自宅の早期売却を私に告げた故である。 確かに実母が認知症状を示し始めて後に私単独の意思で売却するより、本人の脳がある程度しっかり機能している内に自らが売りたいと申し出てくれる方が、娘の立場としてはずっと嬉しい。)

 そして、2年前に自己所有物件の売買時に実行した “ネット入札システム” に、実母所有物件を登録したのだが…
 なんと、その後3日間“なしのつぶて”…… 
 やっとこさ先週金曜日になって、郷里の某不動産業者より売却にかかわりたい旨の連絡が東京の我が家にあった。  ところが、それも本人ではなく娘の私よりの依頼となると反応が鈍い。

 その間に、実は郷里の母自らが自宅を売りに出そうと積極的に動いていた!
 これには娘として拍手ものだ。
 しかも、水面下で娘の私なりに郷里の売却物件の相場を調査していた金額よりも高額にての買い取り申し出の様子だ。
 「それで売却を決定しましょ!」と電話で告げる私に、実母も喜ぶ。
 何だか、私が勧めた「高齢者施設入居」を実行せんとそこまで無理にでも志している実母を不憫にも思え、複雑な心境に陥ってしまう……

 
 最後に、表題に掲げたテーマに本題を戻そう。

 それにしても、都心部と田舎過疎地の不動産価値の格差たるや壮絶なものがあり、今更ながら驚愕させられる。
 この格差を如何なる方策で国家や自治体は縮めるのか??
 我が郷里では国家省庁の一つの移転招致をするとの懸案も、既に計画倒れに終わっている……

 今回実母が高齢者施設に入居の意思を固めてくれたお陰で、私としてはその命の終焉を見届けたならば、我が郷里との縁が完全に途絶える。
 この事実は40年近く前に郷里を捨て去り上京した私にとって願うべき初心だったのだが、さて、あの過疎地郷里がその後如何に彷徨うのか、少しは気がかりでもある……

曖昧な主題設定で ”駄作” に終わったNHK連ドラ「とと姉ちゃん」

2016年10月01日 | 時事論評
 本日(10月1日)、表題のNHK連ドラ「とと姉ちゃん」が最終回を迎えた。


 もしも、連ドラ「とと姉ちゃん」を9月頃より見始めた視聴者がいたとして、あの雑誌編集室の場面を如何に捉えたであろうか?
 いつも編集室には、“ちょいブス”若手女優達とこれまた初めて目にする決してイケメンではない男優達が大勢集まっている。
 そして、自分達が戦後まもない時期から出版し続けている「あなたの暮らし」が売上100万部を突破したと自己満足的にはしゃいでいる場面ばかりが放映され、マンネリも甚だしいとダレていたら、このドラマは本日終焉した。
 最後の最後まで、何らのどんでん返しも無く、あくまでも主役のとと姉ちゃんを「成功者」として奉りたかった趣旨のようだ。


 上記の雑誌編集室の場面に関してだが、私の場合、(つまらないドラマだなあ)と半年間ゲンナリしつつも4月からずっと視聴している故に、彼らが何故ドラマ内で自己満足に浸っているかの背景を説明せよと言われたなら、苦渋な要求ではあるが嫌々ながらもそれが可能かもしれない。

 そんな中、終盤に入って以降、特に「異様」に感じたのは、主役女優を筆頭に脇役・端役陣の全員が一向に老けない事だ。
 それもそのはず、どうやら編集室内の特に女性の皆が “ちょいブス童顔” 故だろう。 (これに関しては主役女優が“ちょいブス”のため、それ以上の美人女優を部下役にする事を避けるとのドラマ制作側の苦渋の策だった故だろうが。)
 彼女らに老けメイクを施すのは困難な課題である事には想像が付く。  老け役も本体が美人であるならば“老け姿”も様になるのだろう。 例えばドラマ前半に登場した大地真央氏など総白髪頭演出にして実に美しかった。
 ところが、“ちょいブス童顔”女優を老け顔に仕立て上げたものなら、おそらく喜劇ドラマとなりそうだ。  故に、敢えてドラマの最後まで、女優達全員を“ちょいブス童顔”のままで通そうと監督氏は志たものと推測する。 
 要するに、ドラマ出演者達の“外見的”要素に於いてもレベルが低すぎたとの理由で、半年間ゲンナリし続けた一視聴者としての私的事情を紹介した……。


 次に、このドラマ「とと姉ちゃん」は一体何を訴えたかったのか? とのテーマ本題に関する私論を展開しよう。
 
 今回のドラマ主題の一つは「サクセスストーリー」である事には間違いないだろう。
 ドラマ内説明によれば、主役のとと姉ちゃんは苦労を重ねた設定になっているようだ。 本日の最終回に於いても、何故かずっと昔に病死した西島秀俊氏演じる父が突如登場して「常子は苦労を重ねたからこそ成功したのだ!」としつこく繰り返すシナリオだ。 そのように演出せねば常子の苦労の程が説明出来ない程に、特に終盤はドラマ内容がダレていたことを物語ったものと、私は再度落胆させられた。

 ところが、事業や仕事で成功するためには並々ならぬ苦労を背負うなど至って当然の事だ。
 私とてそうだ。 現役独身時代には、私なりの「成功」を目指して自ら苦労を受けて立つ連続の日々だった。 それに比し、とと姉ちゃんの苦労の程が何とも甘っちょろい。 必ずや周囲の誰が氏かが助け舟を出したり、おだてたり等々の他力本願手段ばかりを見せられても、何らの同情心も湧きようがない。

 一度だけ、常子の雑誌編集長としての「失敗」を効果的に描いた場面があった。
 それは俳優石丸幹二氏演ずる新聞記者が、雑誌「あなたの暮らし」に対し “メディアの責任論” をぶちまけ新聞紙上にて公開した場面だ。
 あれは見ごたえがあった。 現在にも十分通じる命題である故だ。
 このテーマだけでも半年中2ヶ月程掛けてドラマ内でじっくりと議論しても、現在この国の主たるメディア媒体であるNHKとしては損はなかっただろう。 なのに、ただの一度だけ洗濯機の欠陥を見抜く「公開試験」を実施したのみで、雑誌「あなたの暮らし」常子側の勝利として簡単に片付けてしまったのには、大いに落胆させられた。 (もしかしたら超安倍派の籾井NHK会長が、その場面を削除させたのか??)
 その後、更にこのドラマに対する興味が消え失せたのも当然だ。

 その“メディアの責任論”場面に於いて、敗者扱いとされてしまった “安価販売”を主たる経営戦略としていた「アカバネ電気」のその後の姿を是非ドラマ内で描くべきだった。  
 高度経済成長期時代には、確かに欠陥家電を販売している業者も多かったことだろう。 私自身がその頃の記憶が鮮明であるため、それを是非とも見たかったものだ。
 例えば、私が40年程前に上京して一人で買い求めた家電の中にも欠陥品が存在した。 なけなしの初任給をはたいて安価で購入した家電が立派にその性能を果たしていた中、当時有名メーカーだった大手家電が発売した高額の冷蔵庫がたった4年で壊れたのには参った。
 結局、何を信じるかは消費者の自由意思で良いはずだし、メーカーの著名度にかかわらず販売された個々の家電の中には故障する個体が必ずや販売されているものと悟った。
 その意味でも、私としてはどうしても「アカバネ電気」のその後が見たかった。 本日最終回には昭和60年代にまで歴史が変遷したにもかかわらず、NHKドラマ内にてそれが叶えられなかったことも実に残念だ。 


 ドラマ「とと姉ちゃん」の本来の主題とは、「家族を守る」事だったのであろう。

 ところがこれに関しても、最終回の最後の最後までとと姉ちゃんは「カネ」でしか家族を守れなかったことが歴然だ。
 日本が敗戦後貧しかった時代背景に於いては、“金力”こそが、家族を守る絶対にして必須の手段だったことは歴然なのだろう。
 確かに、とと姉ちゃんは妹達を嫁に行かせた。(ここで注釈だが、当時“嫁に行かせる”との解釈とは、娘が嫁に行く“カネ”を出すとのことだ。
 そしてとと姉ちゃんは確かに、家族全員が住む家を自らの“カネ”により建てた。


 今時の時代に話題を移すと、「とと姉ちゃん」が放映された想定世界の時代から既に我が国に暮らす庶民は大いなる変遷を遂げているはずだ。
 一家の主からカネだけ出され “一族が皆一緒に住もう!” と言われたものなら、“勘弁してよ!” と困惑する家庭が大多数の現在であろう。 (私とて40年前から、貧乏などいとわないから血縁親兄弟とは断固として別に暮らしたい派だったからこそ、単身上京して今に至っている。)

 その意味でも、NHK「とと姉ちゃん」は何とも時代錯誤の主題を掲げたドラマだったことが「駄作」に繋がったものと、最後に付け加えておこう。
 「家族を守る」と一言で言おうが、その守り方とは種々多様・千差万別である事態をもう少し繊細な感覚で描いて欲しかったものだ。