原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“Yes,we can!”  と民衆にエールを贈り米大統領の座を去ったオバマ氏

2017年01月12日 | 時事論評
 日本時間の1月11日午前、来る20日に2期8年の任期を終えて退任するオバマ米大統領が、シカゴで退任演説を行った。

 昨夜、テレビニュースでこの演説映像を垣間見た私は、米国民衆が一丸となって“Yes,we can!”の大合唱の下に大統領の退任を見送る姿に大いなる感銘を受けた。

 日本の歴代首相の中で、これ程までに民衆と共に意気投合して大合唱しつつ退任した人物が果たして存在するだろうか?  我が記憶によれば一人としていないばかりか、(やっと辞めてくれたか…、次もどうせろくでもない奴だろうなあ)なる悲観的感覚しかいつも抱けないものだ。


 早速、朝日新聞2017.1.11夕刊に掲載された 「多様性・寛容さ 米国の強み」と題する一面記事より、オバマ大統領退任演説の内容を要約して紹介しよう。
 大統領の退任演説はホワイトハウスで行うのが通例だが、オバマ氏は自身の政治活動の原点であるシカゴを退任演説会場に選んだ。 演説では、「庶民が参加し、共に要求した時に初めてチェンジが起きると学んだ、と強調。 「米国の若さ、活力、多様性、寛容さ、危機に対する無限の能力と改革が、未来にも我々にある」と訴えた。 
 トランプ氏が不法移民の強制退去など排他主義的主張を繰り返していることを念頭に、「米国は(移民など)新参者によって弱まることはなかった。彼らは米国の教義を受け入れ、それを強化している。」と主張。 
 一方、8年の政権の実績を振り返り、経済面で金融危機から復活し失業率も改善した等、景気の回復を強調した。 外交では、キューバとの国交回復、イランの核兵器開発停止等、軍事的手段ではなく外交努力により問題解決に道筋をつけたと胸を張った。
 そして演説の締めくくりには自身の政治スローガンだった「Yes,we can」に加え、8年を振り返り「Yes,we did」と語り、未来に向けてもう一度「Yes,we can」と訴えた。
 (以上、朝日新聞記事より要約引用したもの。)


 一旦、私見に入ろう。

 オバマ氏は、1961年生まれとの事。 という事は現在未だ55歳。 47歳にて大統領に選出された実に若き人材だった。 
 (そう言えば、クリントン旦那氏も米国過去の若き大統領だった記憶があるが、見た目はイケメンだったものの、その功績の程に関してまったく記憶が無いなあ…。  失礼ながら、覚えているのは不倫騒動だけ…

 オバマ氏のその若さと、まさにオバマ氏が退任演説で強調した通り、米国もまた若き国である事実が相乗効果となり、オバマ氏の8年間に及ぶ大統領としての活躍が叶ったのではあるまいか。
 しかも米国とはその人種を始めとする宗教・慣習等々の多様性により、民衆間で自然と“寛容さ”が育まれている事が最大の魅力ではなかろうかと私も捉えている。(いや、残念ながらその軋轢により衝突も勃発するようだが…)
 米国に30年余りの年月に渡り暮らしている実姉が言うにも、この“寛容さ”こそが何よりも居心地が良いとの事だ。 下手な差別意識等々の歪みや島国感情が未だ蔓延っている日本へ帰国するなど到底考えられない、居心地が良い米国に骨を埋める!、が姉の口癖でありそれを実行する事だろう。


 もう一本、オバマ氏退任演説に関してその要点をまとめた 「恐怖に屈したとき、民主主義は崩れる オバマ大統領演説要旨」と題するネット情報より、一部を以下に引用しよう。

 オバマ米大統領による最後の国民向け演説の要旨は次の通り。
 ○民主主義の維持には相違を超えて結束することが重要だ。
 ○あなたたちが私をより優れた大統領にしてくれた。
 ○この地(シカゴ)で、市民が関与し結束した時にだけ変革が可能になると学んだ。大統領を8年間務めた後でもそう信じている。
 ○トランプ次期政権への可能な限り円滑な移行を確実にする
 ○全ての国民に機会を創出できなければ米国の分断は深まる。
 ○移民の子どもたちを大切にしなければ、私たちの子どもたちの未来も損なうことになる。
 ○気候変動問題を否定することは、次世代への裏切りだ。
 ○私たちが恐怖に屈したとき、民主主義は崩れる。 民主主義は当然あるものと見なせば、必ずその存在が危うくなる。
 ○米国が民主主義などの価値観を堅持する限り、国際社会でのロシアや中国の影響力は、米国に及ばない。
 ○大統領としての最後のお願いは、あなた自身に変革を可能にする力があると信じることだ。イエス・ウィー・キャン(私たちはできる)。


 最後に私論でまとめよう。
 
 昨日のオバマ大統領退任演説は、まさに「民主主義」のあり方に関して力説した事に命があろう。
 特に私が印象的だったのは、トランプ次期大統領へのエールとも思える発言だった。  

 それにしても、やはり世界一の超大国アメリカ合衆国の大統領として、8年間もの長きに渡り一国を統治して来たオバマ氏の政治家としての力量の程は評価したいと考える。

     “ Yes, we can !! ” 

渋谷 青の洞窟

2017年01月10日 | 旅行・グルメ
 (写真は、昨日1月9日まで東京渋谷 代々木公園ケヤキ並木で開催されていたイルミネーション 「青の洞窟」)


 実はこの旅行記は昨夜のうちに公開したかったのだが、gooに接続不能となり本日朝の公開となった。
 (またもや言論統制にはまり「原左都子エッセイ集」のみがブログ界から抹殺されたのか!?! と一瞬恐怖心を抱かされた。 それにしてもここ最近は旅行記を連発していて、大したオピニオンエッセイも書いていないのにおかしいなあと思いつつ、こんな事で恐怖心を抱かされるよりも、いっそブログやめようかとの考えすら一時頭をよぎったのだが…。)


 旅行記と言えども、渋谷は我が家から東京メトロ乗車で20分程度(途中急行に乗り換えると10分)で行ける場所だ。
 ただ年末年始の大都会東京の街は、帰省や旅行等々で人口が大幅に少なくなっていて開放感があるし、移動がスムーズとのメリットがあるのだ。

 そんな中娘を引き連れて出かけたのが、これらの場所である。
 代々木公園のこのイルミネーションのすぐ真横にNHK放送センターがある。 大晦日にはNHKホールを訪れた観客達で大混雑だったことであろう。


 何故渋谷で「青の洞窟」イルミネーションなのかは不明だが、同名のパスタ製造企業の提供によるイベントのようだ。

 残念ながら昨夜までで終了したため、ご覧になりたい方は来年までお楽しみを取っておいて下さいますように。


 (gooブログは未だ調子が悪いですね……)

恵比寿 バカラのシャンデリア

2017年01月09日 | 旅行・グルメ
 (写真は、東京恵比寿ガーデンプレイスにて本日1月9日まで展示されているバカラのシャンデリア。)



 昨年末に三浦半島を旅した私だが、年明けにはまたまた娘を引き連れて東京近辺のイルミネーションを観賞しに出かけた。

 (時事論評エッセイを主眼とする我がエッセイ集に於いて)旅行記が長引く事を避けたいがため、当初このイルミネーションツアーに関しては非公開扱いを目論んでいた。

 ところがFacebookに先行して写真公開したところ、バカラのシャンデリアを昔からよくご存知の方々を中心に好評を博した。
 
 そこで遅ればせながら、当エッセイ集に於いても公開する次第だ。



 まずは、恵比寿ガーデンプレイスのバカラシャンデリア前に展示されていた説明書きを紹介しよう。

  Baccarat ETERNAL LIGHT   — 歓びのかたち -

 バカラシャンデリアが初めて恵比寿ガーデンプレイスで灯されたのは1999年冬のこと。
 以来、東京を代表する冬のイルミネーションとして多くの人々に愛され、感動をお届けしている。
     ( 中略 )
 今回展示されているのは、クリスタルパーツ総数26,471ピース、ライト総数410灯のバカラの歴史史上最大の大きさ。
 「大人の街・恵比寿」にふさわしいエターナルな煌きをお楽しみください。



 さてさて庶民の我が一番の関心事は、このシャンデリアが  How much?? かという事に尽きる。
 残念ながら、その問いに関する説明書きは現地ではどこを探しても見当たらない。

 そこで先程ネット検索して、その価額の程を調査してみた。
 その結果、2014年版のバカラシャンデリアが 4億1000万円也 で一般販売されているとの情報を得た。

 おーー、そうか、そうか。 
 空母ロナルド・レーガン (建造費48億ドル) を購入しようと思わなければ、 バカラのシャンデリアなど 1000個以上買えるじゃん!!


 馬鹿は休み休み言うとして、バカラのシャンデリアにご興味がある皆様、本日夜まで公開中との事、恵比寿ガーデンプレイスの現地を訪れてご鑑賞されては如何でしょうか。

三浦半島めぐり旅 - 横須賀軍港めぐり編-

2017年01月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、横須賀港で “ご当地クルーズ YOKOSUKA軍港めぐり”に乗船し、観覧船から見た空母ロナルド・レーガン。)


 三浦半島方面旅行に出てから既に一週間以上が経過し、駆け足で綴る我が「三浦半島めぐり旅」旅行記もこれが最終編となる。

 
 冒頭から、空ロナルド・レーガンに関する情報をウィキペディアより引用しよう。

 空母ロナルド・レーガン (USS Ronald Reagan, CVN-76) は、アメリカ海軍の航空母艦。 艦名は、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンにちなんで付けられた。 存命中の人名が付いたアメリカ合衆国で3番目の空母である。
 ロナルド・レーガンは1998年2月12日にニューポート・ニューズ造船所で起工した。 就役式典で、レーガン夫人は艦の乗員に対して伝統的な指令「Man the ship and bring her to life.(総員乗艦、艦に生命あれ)」を命じた。 本級に命名された他の人物と違って、レーガン元大統領はその任期中に最高司令官であった以外に海軍との関係はなかった。 艦の建造費は度々増加し結局45億ドルが費やされた。 2003年7月21日に処女航海を行った。
 レーガン元大統領は艦の就役から11か月後の2004年6月5日に死去した。
 2006年1月29日、オーストラリアのブリスベン南東200kmの海域で、夜間に着艦訓練を行おうとしたF/A-18戦闘攻撃機がフライトデッキに激突し、その後海へ落下するという事故が発生した。 
 2011年3月11日、東日本大震災後に他7隻の艦船と共に支援活動「トモダチ作戦」のためとして関東〜東北沖に出動した。 同年3月14日、搭載のヘリコプターの要員17人が仙台市近くで救助活動を行った際に福島第一原子力発電所事故の影響か、被曝したことがわかった。 これを受けアメリカ海軍は、空母と展開中の艦船を福島第一原子力発電所の風下から離脱した。 2011年4月4日、ロナルド・レーガンは「トモダチ作戦」での任務を終了し、震災前に行っていた任務に復帰した。
 2014年1月16日、アメリカ海軍は、横須賀基地配備のジョージ・ワシントンを定期点検および燃料棒交換のため米バージニア州に移動し、交替空母としてロナルド・レーガンを充てると発表した。 2015年8月31日、横須賀に向けサンディエゴを出港、10月2日から横須賀基地に配備予定だったが、天候の悪化を避けるため、10月1日に入港した。
 2015年10月18日、安倍晋三首相は米海軍横須賀基地に配備された原子力空母ロナルド・レーガンに乗艦した。
 (以上、ウィキペディア情報より空母ロナルド・レーガンに関して一部を引用したもの。)



 さて、我が横須賀旅行に話題を戻そう。

 横須賀を語るには、米海軍基地を抜きにしては話が成り立たないであろう。

 繰り返すが、決して断じて軍艦趣味など一切無い私だが、横須賀に訪れたならば、米海軍基地や日本の海上自衛隊の軍艦類を見学せずして帰れないと横須賀軍港めぐりを志した。


 上記、空母ロナルド・レーガンに話題を移すと、その建設総額は日本円に換算して国家予算規模ではなかろうか?
 このような超存在物を作り上げる経済力がある米国に今更驚愕すると共に、これを作らねば国際平和が望めない地球の混乱状態を再確認させられる。
 当空母が、2011年3月11日、東日本大震災後に他7隻の艦船と共に支援活動「トモダチ作戦」のためとして関東〜東北沖に出動し、同年3月14日、搭載のヘリコプターの要員17人が仙台市近くで救助活動を行ったとの事実に関しては、一国民の立場でお礼を申し上げるべきとして……
 2015年10月18日、安倍晋三首相は米海軍横須賀基地に配備された原子力空母ロナルド・レーガンに乗艦した。  とあるが、安倍氏は何を目的に空母に乗艦したのやら……


 いずれにせよ、横須賀とは、他の日本の地に比しても特異的で興味深い地だった。

 我が過去に通った大学・大学院のすぐ近くに、このような特異的な地が存在している事実を改めて実感させられ、遅ればせながら少なからずの衝撃を受けた今回の旅行だった。

三浦半島めぐり旅 ― 三浦半島の海編 ―

2017年01月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、三浦半島最南端近くの左湾に位置する油壷の海を撮影したもの。)


 何と言っても、他の日本の半島同様に三浦半島の海も美しい。


 対岸に薄く写っている半島は、おそらく伊豆半島であろうと想像する。
 三浦半島より、葉山、逗子、鎌倉、茅ケ崎、平塚、小田原、熱海を経過した先に伊豆半島が位置している。


 
 写真は、油壷から見た海を撮影したものだが、横須賀から見た海も美しかった。


 観光地には必ずや100円玉を投入すると遠方が見渡せる望遠鏡が設置されているものだ。

 今回横須賀港でこの望遠鏡を覗いて、驚かされた事がある。

 それは、望遠鏡の倍率が昔に比して格段に高くなっている事実だ。
 例えば横須賀三笠公園から猿島やもっと遠くの島を見たら、これが何と! 人の動きまで見てとれるのだ!!

 これ、個人情報に抵触しないのだろうか???
 なる、余計な心配をさせられたりもしたものだ。