◎J・S・ミルのモルモン教観(『自由論』より)
共和党の大統領候補であるW・M・ロムニー氏が、モルモン教徒であるということで、日本でもモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)に対する関心がたかまっている。
モルモン教史上、特筆すべき事件に、マウンテンメドウの虐殺とそれをきっかけとするユタ戦争(一八五七)があるが、ちょうどこのころ、イギリスの地から、アメリカにおけるモルモン教徒の動向を気にしていた思想家がいた。『自由論』や『功利論』で知られるジョン・スチュアート・ミルである。
ミルの主著『自由論』は、一八五九年に刊行された。日本の年号でいえば、安政六年、吉田松陰が処刑された年である。
同書でミルは、モルモン教の歴史と特徴を語っているが、ユタ戦争には触れていない。おそらく執筆は、ユタ戦争よりも以前だったのではないか。
多少長いが、モルモン教について論じている部分を引用してみる。柳田泉訳『ミル自由論・功利論』(春秋社、一九四〇)の一七八~一八一ページより。
以上は人間自由が重視されなかった普通の実例であるが、私はこれに対して次の実例を加えざるをえない。すなわち、わが国〔イギリス〕の新聞紙が、モルモン教なる異常な現像に公衆の注意を惹く必要があると感じた場合に、よく紙上から発するところのあの思い切った迫害の言辞のことである。かのいわゆる新啓示とこれに基く一宗教、明白に欺瞞〈ギマン〉の所産であってその開租〔ジョセフ・スミス・ジュニア〕の異常な資質によって支持されてさえいないこの宗教が、新聞、汽車、電信のある時代に、幾十万という人々によって信仰され、一社会の基礎とされたという、意外にしてかつ意味多き事実については、幾多の語るべきことがあろう。だが、われらのここで関心することは、この宗致も、他のしかもより善き宗教と同じく、その殉教者を出したということ、その予言者たり、開祖たる人物が、その説教のために暴民によって殺されたということ、モルモン教徒の他の人々も同じく無法なる暴力によって生命を失ったということ、彼らが、その生い立った故郷から一団として追放されたということ、しかして彼らが砂漠の真中の淋しい僻地〔ソルトレイク盆地〕に追い込まれるや、わが国人の中にはモルモン教徒に向かって遠征軍を送り、彼らをして他の人々の意思に服さしむべく暴力をもって強制するのが当然であろう(もし都合がつけられるならば)と公言する者がたくさんいるということである。モルモン教義のうちで、かく普通の宗教的自由の制約を破ってほとばしり出る反感を何よりもまずそそる条項は、かの一夫多妻制の允許〈インキョ〉である。一夫多妻制はマホメット教徒、インド教徒、シナ人には許されているが、英語を話す人々、キリスト教徒と自称する人々がこの制度を実行すると、掻き消しがたい反感をあおるもののように見える。モルモン教徒のこの制度を深く詰責〈キッセキ〉する点においては私は人後に落ちるものではない。それにはいろいろ理由があるが、ことこの制度が、何の点かで自由の原理に支持されるどころではない、真向〈マッコウ〉からこの(白由)の原理を侵犯するためである。【中略】他の諸国は、かかる婚姻制度を認めるよう要求されてもおらず、またモルモン教の思想を抱くからとて住民の一部分を自国の法律より解放するよう要求されてもいない。しかるに、モルモン教徒が他人の敵意ある感情に対して正当に要求される以上に譲歩したものであり、その教説を受け容れぬ国を去って、癖遠〈ヘキエン〉なる世界の一角に定住し、この地をして始めて人間の居住に適するよう開拓したのである以上、他の国民に対して侵略を行わず、彼ら〔モルモン教徒〕の風習に満足せぬ人々には、完全な退去の自由を許す限り、彼らがその好むがままの法律の下に生活することを禁止しうる原理があるかどうか。もしありとせばそれは圧制の原理であろう。最近、ある点においては相当の重きをなすところの一文学者が、この一夫多妻国に向かって十字軍(Crusade)ならぬ「文明軍」(彼らの言葉を用いるならば)(Civilizade)を起して、彼にとっては全く文明の退歩としか思われぬところのものを撲滅したら、という案を出している。なるほど、私にもそう思われる。しかし私はいかなる社会といえども他の社会に向かって文明化を強いる権利があるとは思はない。悪法に苦しめられている人々が、他の社会からの救助を求めぬ以上、全然彼らと無関係の人々が乗り出して、かかる社会状態が、たとい直接利害関係をもつ人々が満足しているらしく見えるにせよ、幾千マイルの彼方〈カナタ〉にいて、それに関心も何の関係ももたぬ人々にとってスキャンダルにほかならぬからとて、廃止さるべしと要求するのは、私は許しえない。彼らは宜しく宣教師を派遣して、かかる社会制度を非難せしめるがよい。彼らはまた宜しく公正なる手段(モルモン教の宣教師の言論を圧迫するのは公正なる手段ではない)を用いて、彼ら自身の社会に同様な教説が蔓延するのを防圧するがよい。【後略】
なによりも、同時代の論評であることが貴重である。当時のイギリスで、モルモン教に対して「遠征軍」を送るという提言があったという事実を知ることもできる。最も興味深いのは、この宗教に対するミルの冷静かつ寛容な態度である。
一五〇年も前の文章だが、今日なお、読むに堪えるし、学ぶべき視点があると思う。
ちなみに、モルモン教における一夫多妻制は、一八九〇年に廃止されたとされている。
今日の名言 2012・9・1
◎歴史は等身大の“実験室”です
地震考古学者の寒川旭〈サムカワ・アキラ〉さんの言葉。本日の東京新聞「社説」より。寒川さんは、防災対策にもっと地震考古学を活用すべきだと語っている。
> マウンテンメドウの虐殺とそれをきっかけとするユタ戦争
この部分、逆に「ユタ戦争を時代背景として起こったマウンテンメドウの虐殺」とすべきであると指摘させていただきます。
コメント入れます。
モルモン教の一夫多妻の実態は「一夫一婦」「一夫多妻」「乱婚」が混在していました。
一夫多妻は神の律法という事で説明できますが、乱婚、つまり一夫一婦状態の婦人と関係を持つことの正当性は対外的にも対内的にも説明不可能です。
どうも「一夫多妻」という単語のみが独り歩きしてイギリスに伝わったように思えます。
もうひとつ
モルモン教の多妻婚が「啓示」として記録されるのは1843年。
(実際の多妻婚実施は遅くとも1840年に開始)
モルモン教徒が当時メキシコ領のユタ移住開始は1846年。
米墨戦争終結により西部地域がアメリカ領に編入されるのは1848年。
多妻婚教義が公式に宣言されるのは1852年
アメリカにおける反多妻婚法(エドモンド法)の成立は1882年。
モルモン教徒が誰も領有権を主張しない未開の島に移住し、そこに国家を樹立したとするならモルモン教に遠征軍を派遣せよというのは暴論だと思いますが。
>教祖である人物は、その教えのために暴徒に虐殺された。信徒のなかにも不法な暴力によって命を奪われたものがいる。
逆に信徒は一致団結して不法な暴力で非信徒の命と財産を奪っています。
>モルモン教徒が他国を侵略せず
ユタ地域の合衆国編入にあたり、合衆国側は連邦から派遣された知事の受け入れを条件に準州格上げでモルモン教側と合意を得ていたにもかかわらず、実施段階においてモルモン教側がこれを拒否したことで連邦は軍隊を派遣します。
またモルモン対連邦の緊張状態が高まる中で、モルモン教民兵団がカルフォルニアへの移民団120名を虐殺し所持品を略奪した事実を無視しています。
歴史は反芻せねばならないとの教訓をミルさんは示してくれました。
コメント入れます。
モルモン教の一夫多妻の実態は「一夫一婦」「一夫多妻」「乱婚」が混在していました。
一夫多妻は神の律法という事で説明できますが、乱婚、つまり一夫一婦状態の婦人と関係を持つことの正当性は対外的にも対内的にも説明不可能です。
どうも「一夫多妻」という単語のみが独り歩きしてイギリスに伝わったように思えます。
もうひとつ
モルモン教の多妻婚が「啓示」として記録されるのは1843年。
(実際の多妻婚実施は遅くとも1840年に開始)
モルモン教徒が当時メキシコ領のユタ移住開始は1846年。
米墨戦争終結により西部地域がアメリカ領に編入されるのは1848年。
多妻婚教義が公式に宣言されるのは1852年
アメリカにおける反多妻婚法(エドモンド法)の成立は1882年。
モルモン教徒が誰も領有権を主張しない未開の島に移住し、そこに国家を樹立したとするならモルモン教に遠征軍を派遣せよというのは暴論だと思いますが。
>教祖である人物は、その教えのために暴徒に虐殺された。信徒のなかにも不法な暴力によって命を奪われたものがいる。
逆に信徒は一致団結して不法な暴力で非信徒の命と財産を奪っています。
>モルモン教徒が他国を侵略せず
ユタ地域の合衆国編入にあたり、合衆国側は連邦から派遣された知事の受け入れを条件に準州格上げでモルモン教側と合意を得ていたにもかかわらず、実施段階においてモルモン教側がこれを拒否したことで連邦は軍隊を派遣します。
またモルモン対連邦の緊張状態が高まる中で、モルモン教民兵団がカルフォルニアへの移民団120名を虐殺し所持品を略奪した事実を無視しています。
歴史は反芻せねばならないとの教訓をミルさんは示してくれました。