◎ドイツの軍人が賭博を好む理由
先日、たまたま、青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)という本を手にした。タイトルからして古くさいし、文章も読みやすいものとは言えないが、その内容は意外に興味深い。
青木昌吉〈ショウキチ〉のことは知らなかったが、明治・大正・昭和期のドイツ語学者のようだ(一八七二~一九三九)。ドイツ文学に精通していたことは、本書の「序」によってわかる。
ドイツ語学者であり、ドイツ文学に精通していた青木昌吉は、ドイツ人の国民性についても一家言を持っていた。本書には、その一家言が示されている。ナカナカ辛口である。本日は、その第一章「独逸人の尚武」の第一節「古代の独逸人」を紹介してみよう(ただし、途中まで)。
独逸文学と其国民思想
第一章 独 逸 人 の 尚 武
独逸人は剛健勇壮と云ふより寧ろ殺伐好戦の国民である。勇邁なる独逸の軍隊が、小勢を以て敵の大軍を打破つて、武名を輝かした例は歴史上屡屡〈シバシバ〉あるが、勤儉尚武〈キンケンショウブ〉を極端に奨励した結果、殺伐好戦の気象が余り盛んに成り、無用の師〔いくさ〕を起し無辜〈ムコ〉の民を殺して、武を汚すした例もまた少くない。斯くの如く独逸の国民が古今を通じて殺伐好戦の気象〔気性〕に富むのは、一部は其棲息する国土が欧洲の中枢に位して欧洲の天下に戦乱の起る毎〈ゴト〉に、常に其渦中に捲込まれて、屡々慘澹たる修羅の巷〈チマタ〉に成つたと云ふ歴史的影響に基づいて居らう〈オロウ〉が、其大部分は勇壮勇邁なる祖先の血統を受けて居るためであらう。
一、古代の独逸人
羅馬〈ローマ〉の歴史家タチツス〔Tacitus〕の古代の日耳曼〔ゲルマン〕民族に関する報道に依れば、『古来の独逸人は敵に向つて戦〈タタカイ〉を挑んで、血を流したり、疵〈キズ〉を受けたりすることは平気でするが、土地を耕作して気長に収穫を待つと云ふ様な悠長なことは却々〈ナカナカ〉しない。而して血を流しさへすれば、容易に手に入るものを、汗を流して獲得するのは、卑怯であると云ふ観念から、農業牧畜及家庭の一切の業務は婦人と奴隷に一任した。従つて独立自主の男子は、戦争と狩猟とを主要なる職業とし其余暇には飲酒に耽つた』としてあるが、最新の独逸の歴史家の間に、タチツスの此説は一班を見て全豹を推定したもので、悉くは信ずるに足るものでない。苟も〈イヤシクモ〉農業と牧畜とを本業とし、之を営まざれば生活が出来ない国柄に於て、農業と牧畜とを軽蔑して、独立自主の男子が自ら手を下すに足らざる賤業とする道理はないと唱へられて居る。夫れ〈ソレ〉は兎もあれ〈トモアレ〉、自由を好み、自然を愛する勇健剛壮の古代の独逸人が、尚武の気象を発揮する機会と、恣に〈ホシイママニ〉自然に接する機会とを兼備する戦争と狩猟とに無上の快楽を感じ男子の天職の如くに考へたのは当然のことであらう。而して戦争と狩猟との余暇には、熊の皮の敷物の上に寝そべつて、飲酒と賭博とに耽つたと云ふことは、如何にも自堕落な振舞で、尚武の気象に富むと云ふ事実と矛盾する様に思はれるが、独逸人の考へ方に拠ると、有らん限りの財産を一擲〈イッテキ〉の骰子〈トウシ〉に賭する賭博なるものは、相手と雌雄を決し勝負を極める点に於て戦争に類似して居る勇壮な娯楽であると云ふので、無智蒙昧〈ムチモウマイ〉なる下等社会は勿論、知識あり道徳ある上流社会、就中〈ナカンズク〉、軍人社会には大に持囃される〈モテハヤサレル〉傾向があ。自由戦争時代の独逸の軍人生活の裏面を覗いて見ると、戦争と賭博とが日々の日課の様に成つて居て、戦争が終ると賭博に耽り、賭博の片がつくと、また戦争に夢中に成ると云ふ風に、絶えず勝負を決する仕事に有頂天に成つて居た軍人も夥多〈カタ〉あつたのことである。或小説に、ブリュへル〔Blücher〕将軍が金銭財宝に頓着しない淡泊洒脱〈タンパクシャダツ〉な武人であることを描いて『私は甞て〈カツテ〉ブリュへル〔Blücher〕老将の収支の決算を見たことがあるが、夫れは「収入千馬克〈マルク〉、支出千馬克、相違無之」と云つた風な文面で簡単明瞭を極めたものであつた』と書いてある。私は此の記事を読んで、ブリュヘル将軍は金銭財産の事に淡泊な洒々落々〈シャシャラクラク〉たる古武士の風骨を備へた剛毅樸訥の武人であると思つて、崇拝敬慕して居た。
其後将軍の伝記を繙いて〈ヒモトイテ〉『将軍には是れと云ふ道楽はなかつたが、金銭と時間さへあれば賭博に夢中に成つた』と云ふ記事を読んで、其心事の陋劣〈ロウレツ〉を卑しみ、是迄崇拝敬慕して居たことを口惜しく〈クチオシク〉思つたが、将軍の伝記を段々読んで行く内に、将軍が一時軍職を退いて、農業家として活動した十五年間は、賭博を全廃し、勤儉貯蓄を旨として、極めて神妙に振舞つて居ながら、再び軍職に就くや否、睹博に耽る宿痾〈シュクア〉忽ち〈タチマチ〉再発し、十五年間に折角〈セッカク〉蓄積した財宝を瞬く〈マタタク〉間に蕩尽して了つたと云ふ記事を見て、独逸の軍人生活と賭博との因縁の深いことを悟り、また将軍の賭博を好むのは、金銭上の損徳には毫も〈ゴウモ〉関係なく、単に財産全部を賭する大博奕〈オオバクチ〉に、相手と雌雄を決すると云ふことに興味を催したのであることを知つて将軍の心事を疑ふ念は稍〈ヤヤ〉薄らいだ。是等の事実から推して考へても、古来の独逸人が戦争と狩猟との余暇には、飲酒と賭博とに耽つたと云ふタチツスの報道は決して虚伝でないことが解かる。【以下、略】
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