礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

クライストの戯曲に見る「独逸人の徹底」

2018-04-12 02:51:28 | コラムと名言

◎クライストの戯曲に見る「独逸人の徹底」

 青木昌吉著『独逸文学と其国民思想』(春陽堂、一九二四)を紹介している。本日はその二回目。本日は、同書の第二章「独逸人の徹底」の第五節「文学に現はれたる徹底」の全文を紹介してみよう。

  五、文学に現はれたる徹底
 十九世紀の独逸の戯曲小説家の中で、徹底主義を最も極端まで発揮した作家はクライスト〔Heinrich von Kleist〕である。クライストの作つた戯曲小説は、内容に於ても、趣向に於ても、果た〈ハタ〉文体に於ても、徹底主義を以て終始一貫して居る。クライストは歴史上の事実を捉へて、之を戯曲小説に作り替えるに方つて〈アタッテ〉、其歴史的事実に現はれる主義、思想を敷衍〈フエン〉して極端まで徹底させねば措かない、彼の芸術上最も完全なる戯曲『プリンツ、フリードリヒ、フオン、ホンブルグ(Prinz Friedrich von Homburg)は其最も顕著なる一例である。フリードリヒ大王の著作の内に、下の如き歴史的事実が載つて居る。『大選帝侯は或時侍臣に向つて、法律に従つて峻厳に処分すれば、プリンツ、フオン、ホンブルグは当然軍法会議に廻はして処罰すべきものである。然しあの様に勇敢に戦つて、味方の勝利を得るのに与つて〈アズカッテ〉大に力のあつた男に対しては、法律を斯の如く峻厳に適用する考は毛頭ないと言はれた云々』大選帝侯〔フリードリヒ大王〕の此言葉の内には、普魯西〔プロシャ〕の如き軍国主義を励行する国家に於ては、上官の命令には絶対に服従することが一番肝要である。幾等〈イクラ〉戦場で奇功を立てゝも、上官の命令に服従しないで樹てた抜駈〈ヌケガケ〉の功名手柄には,唯に恩賞を与へないのみか、時と場合に依れば軍法会議に廻はして厳罰に処することもあると云ふ思想が含まれて居るのであるが、クライストが此歴史的事実を土台にして戯曲を作るに方りては、此歴史的事実を徹底的に敷衍して、大選帝侯が軍法会議に命じて、上官の命令に違背〈イハイ〉したと云ふ罪名の下に武勲赫々〈カッカク〉たるプリンツに死刑の宣告を下すと云ふことに作替へて、軍国主義の思想を極端まで徹底させた。プリンツは此度の挙には抜群の功名手柄を立てたこと故、定めて君主の御覚えも目出度〈メデタク〉、特別の恩賞にも預かることならんと予想して、意気揚々として凱旋する刹那に、寝耳に水の死刑の宣告に接したので、其沮喪落胆は一層甚だしく、三軍を叱咜して勇戦奮闘した英雄の面影は俄かに消え失せ、卑怯未練の臆病者の如くに死を怖れて、只管〈ヒタスラ〉生命の助からんことを求め、仮令〈タトイ〉今回の戦功の恩賞に預からぬまでも、是迄の功労に免じて死刑の免除あらんことを哀訴嘆顧したが、軍国主義の権化〈ゴンゲ〉なる選帝侯は頑として其願を容れない。プリンツはまだ諦め切れず、日頃眷顧〈ケンコ〉を受けてる大選帝侯夫人に縋つて〈スガッテ〉、執成〈トリナシ〉をして貰はんと依頼して見ると、兼てよりプリンツを贔屓にして居られる夫人は、プリンツの依頼を待つまでも無く、極力大選帝侯に向つて執成を試みられたが、更に其甲斐ななかつたと聞いて、プリンツは愈々失望落胆するのてあつた。最後にプリンツとは許婚〈イイナズケ〉の間柄であるナタリー姫が、恋人の目も当てられぬ悲惨な境遇を見るに見兼ねて、妙齢の少女でありながら、雄々しい勇気を振起〈シンキ〉して、選帝侯の怒〈イカリ〉を冒して、正々堂々プリンツの命乞〈イノチゴイ〉をすると大選帝侯は書面をプリンツに送つて、軍法会議の判決を甘受するや否やを、全然プリンツの自由意志に一任し、普魯西の如き軍国の国柄に於て、上官の命令に違背しても差支ないと思ふなら、プリンツには何等の罪が無い事になるから、プリンツは軍法会議の判決に服従するに及ばない由〈ヨシ〉を申渡した。プリンツは此書面を見て沈思黙考の末始て、大選帝侯が一時の情実を排して国家の将来を慮り給ふ深意を悟り、普魯西の如き軍国(ein Kriegerstaat)に於ては上官の命令に違背した罪は、戦場に於て立てた如何なる功績に依りても償うことの出来ないものである。戦争の好果さへ収めさへすれば上官の命令に背いても構はないと思つて、猪武者〈イノシシムシャ〉の勇気に駆られて抜駈の功名を立てたのは、自分が重々悪かつたと大悟徹底し、潔よく軍法会議の判決に服従して死刑の処分を受けようと決心して、其旨を大選帝侯へ申上げる。大選帝侯は、プリンツが軍国主義の精神を了解して、自ら進んで死に就くと云ふ料簡を起せば最早満足で、夫〈ソレ〉以上プリンツに望む所はないので、プリンツに特赦の恩典を与へ、死刑を免除した上、互に思ひ思はれてるナタリー姫と目出度華燭の典を挙げさせる。普魯西の軍国主義の精神を発揮した戯曲小説は他に幾等もあるが、芸術的完全の点から云へば、此戯曲が止〈トドメ〉を刺して居ると考へる。

 ここに紹介されているクライストの戯曲は、「公子フリードリッヒ・フオン・ホンブルグ」というタイトルで、中島清による翻訳が一九二九年(昭和四)に出ている(世界戯曲全集第一三巻)。また、一九四二年(昭和一七)には、健文社から、『公子ホンブルグ』 というタイトルの児童書も出ているらしい(北村寿夫著、 山本一郎絵)。ただし、どちらも未確認。

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