◎口は災いのもと、または、安倍首相と森友問題
昨年の二月二八日、私は、当ブログで、「田中金脈問題(1974)と森友学園問題(2017)」というコラムを書いた。このとき私は、安倍晋三首相を含む政府関係者が、森友学園問題を、〝「軽く」考えているとすれば、それは大きな誤りである〟と述べた。それから、一年余が経過した本年三月一二日、この問題に関し、大きな動きがあったようだ。
まず、昨年のコラムをそのまま、引用させていただきたい。
《◎田中金脈問題(1974)と森友学園問題(2017)
森友学園に対する国有地払い下げ問題に対する国会での追及、および、この問題を扱った報道が、日を追うごとに激しくなっている。
これを見て、四十三年前の田中金脈問題(一九七四)を思い出した。
田中角栄が関わる田中ファミリー企業群は、一九六九年から翌年にかけて、信濃川河川敷を四億円余で買収した。その土地が、建設省の工事によって、時価数百億円となった。これが、不当な資産形成であると指摘されたのが、いわゆる「田中金脈問題」である。発端となったのは、一九七四年一〇月九日に発売された月刊誌『文藝春秋』一一月号に載った立花隆〈タチバナ・タカシ〉執筆の記事「田中角栄研究―その金脈と人脈」であった。
この問題が浮上した時、首相だった田中角栄は、同年一一月二六日に退陣表明をおこない、一二月九日、内閣が総辞職した。
この問題と、今回の森友学園問題との共通点・相違点を整理してみよう。
共通点
・ともに、「土地」とその利用が絡んだ問題である。
・ともに、その土地が「ワケあり」である。信濃川河川敷は、ツツガムシの発生する場所だった。森友学園が買収した国有地は、大量のゴミで汚染されていたという。
・ともに、事後、マスコミの報道などによって、初めて問題が浮上した。
・ともに、首相の政治手法に関わる案件である。信濃川河川敷問題は、「土建屋」的国土開発至上主義に関わり、森友学園問題は、「日本会議」的復古主義的イデオロギーに関わっている。
・ともに、首相の進退に関わる問題となった。田中角栄は、疑惑を払拭できず、首相の座を降りた。安倍晋三首相は、自分あるいは妻が、この問題に関係しているなら、「首相も議員も辞める」と表明している(二〇一七年二月一七日)。
相違点
・信濃川河川敷は私有地であった。一方、森友学園が払い下げを受けたのは国有地であった。
・信濃川河川敷の買収に関しては、高級官僚の関与はなかったと思われる。一方、森友学園への国有地払い下げに関しては、少なくとも、財務省近畿財務局の高級官僚が関与している。
・信濃川河川敷の買収に際し、田中角栄の政治力が行使されたことは明らかである。一方、森友学園への国有地払い下げに関しては、安倍晋三首相は、それへの関与を強く否定している。
・田中角栄が関わる田中ファミリー企業群は、信濃川河川敷の買収によって、結果的に、巨額の資産形成が成されたと指摘された。一方、森友学園問題では、安倍首相の関与があったと推定している論者も、この関与によって、安倍首相が「利益」を得た、とまでは指摘していない。
この事件の今後の展開は、予断を許さない。
田中金脈問題が浮上した時、田中角栄首相は、その政治力を高く評価されており、国民的人気も根強いものがあった。また、『文藝春秋』の記事に対する大手メディアの政治記者たちの反応は、「そのくらいのことは、皆知っている」というものだったという。つまり、当時はまだ、問題が問題として採り上げられないような風潮があった。
にもかかわらず、問題は拡大し、ついに田中角栄は退陣に追い込まれている。
安倍晋三首相を含む政府関係者は、この「史実」に学ばなければならない。もし、今の問題を「軽く」考えているとすれば、それは大きな誤りである。
なお、仮に、このあと、安倍晋三首相が財務省近畿財務局などに対して、何らかの「働きかけ」をおこなっていた事実、さらに、それに絡んで、森友学園側から、何らかの「利益」を受けていた事実が判明したとする。そうした場合には、「首相も議員も辞める」では済まなくなるだろう。この場合に、学ぶべき「史実」は、田中金脈問題ではなくして、一九七六年に発覚したロッキード事件である。》
昨一二日にあった大きな動きというのは、財務省が、森友学園への国有地売却問題をめぐって、計十四の決裁文書で「書き換え」がおこなわれた事実を認めたことである。
この「書き換え」=改竄の詳細は、このコラムを書いている時点(一二日夕)では明らかではない。しかし、決裁時には「安倍昭恵夫人の名前」が記載されていたのが、あとから削除されていた例もあったらしい。また、「書き換え」の時期は、森友問題が表面化した「2017年2月末以降」だったという(Fuji News Network、最終更新3/12(月) 11:44)。
一年前のコラムで、「この事件の今後の展開は、予断を許さない」と書いた。おそらく、そのころに、「書き換え」が始められ、その一年後に、「書き換え」が発覚したのである。いったい誰が、このような展開を予想できたであろうか。
安倍晋三首相は、二〇一七年二月一七日、衆議院予算委員会の席上で、自分あるいは妻が、この問題に関係しているなら、「首相も議員も辞める」と発言した。推測するに、この不用意な発言が、近畿財務局の官僚による忖度(ないしは、閣僚による「圧力」)を生み、「安倍昭恵夫人の名前」の削除という措置につながったのではなかったか。
オリジナルの決裁文書に「安倍昭恵夫人の名前」があったということは、すなわち、この問題に「妻」が関係していたということである。だとすれば、安倍晋三首相は、「首相も議員も」辞めざるを得ないことになる。首相の不用意な発言が、公文書の「書き換え」=改竄を招き、その改竄が首相を追いつめることになった。
このあと、首相が「首相も議員も」辞めることになるとすれば、それは、公文書の改竄が明らかになったからではない。一年前に公の場で、自分あるいは妻が、この問題に関係しているなら、「首相も議員も辞める」と発言したからである。まさに、「口は災いのもと」である。
また、その近畿理財局の職員は誰のために亡くなったのか、また佐川理財局長は誰が辞める代わりに辞めたのかその中心人物に対する責任が厳しく追及されるべきと考えます。