◎内村鑑三と小野武夫の接点
昨日の続きである。小野武夫博士の「青年良心と宗教問題―偉大なる伝道師を憶ふ―」という文章の第二節「始めて女史を知る」の後半部分を紹介する。
当時日本の基督教界には非教会派なるものがあり、内村鑑三がその旗頭〈ハタガシラ〉で、月刊雑誌「聖書の研究」を発行し、同氏一流の神学評論と、アメリカ式教会の排斥論とが日本青年の間に反響を呼び、我々の属した同仁教会員の如きも内村氏からはアメリカ式教会主義者として攻撃せられてゐた。私も「聖書の研究」を愛読し、殊に同誌毎号の巻頭に掲げられた内村氏の英語の短文随想はその頃の私達へ深い感銘を与へてゐた。かうした当時の基督教界の渦中に在りながら、我々はハサウェー女史に対しては信頼を棄てず、如何なる世間の冷笑た攻撃があらうとも、寸分も動かず求道生活に聊か〈イササカ〉の弛み〈ユルミ〉もないのであつた。これほど我々は女史を敬慕し、信頼してゐた。併し振り返つて考へると、当時我々は女史の指導により一応は基督教の門に入つたけれども、それは単に一介の求道者であつて、未だ心眼もて神を見るまでに至らず、日夕〈ニッセキ〉我等に接近する指導者を通じてのみ、神の教への一端を味ひ得る〈アジワイウル〉程度の初心者であつた。
キリスト教思想家の内村鑑三と農学者の小野武夫とは、イメージとしては、何の関わりもないようだが、雑誌『聖書の研究』の発行者とその読者という形で、わずかな接点があったことを知った。
内村鑑三が雑誌『聖書の研究』に載せた「英語の短文随想」は、機会を改めて紹介してみたいと思っている。
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