◎狂言の姿勢と運歩について(六代目野村万蔵の「万蔵芸談」より)
昨日の続きである。六代目野村万蔵は、狂言における「姿勢」について、次のように語っている。
詞は腹、姿勢は腰が基礎となり、この両者が演伎〈エンギ〉の基本根幹を成すものであります。姿勢を整へる為には、腰の堅固〈ケンゴ〉さが絶対に必要となりますが、これは独り〈ヒトリ〉狂言ばかりでなく、あらゆる舞台芸術に共通し、又運動競技などにも当てはまると思はれます。たとへば野球に於いて投球の際のあの腰の力、又相撲に於ける打棄り〈ウッチャリ〉の瞬間の腰の粘りなどが、その最も顕著な例ですが、要するに何事によらず腰に基礎を獲て〈エテ〉、始めて全身が揺ぎ〈ユルギ〉のないものになるのでせう。腰を入れるといふことは、私どもでやかましく申しますが、これは修練によつて自然に会得〈エトク〉されるべきもので、単なる説明では覚えられない性質のものです。しかし大切なことですから、ほんの御参考までに、狂言の姿勢について少し具体的に申しして見ませう。
一、腹を張り腰を後〈ウシロ〉へ引いて力を入れること。
一、膝をやや屈曲すること。
一、胸膈〈キョウカク〉を開き両肱を張ること。
一、顎を胸の線まで引くこと。
大体こんな心得で、上半身は肱を張り、手先に力を入れず、肱を主に手先を従にして、あらゆる型を行ひます。手先を働かせるのは歌舞伎や舞踊の方のことで、狂言では最も禁制とされて居ります。
姿勢、特に、「腰を入れる」ということについての説明である。
引用文中に「顎」という漢字があるが、これは原文では、前回と同じく、偏がニクヅキ、ツクリが「顎」の右側という難字である。
それにしても、ソニーが開発した二足歩行型ロボットは、なぜ、「膝をやや屈曲」して歩いているのか。これは、あえて「日本風」にしたというよりは、むしろ、その姿勢が理にかなっていたためではないのか。
ついでに、「運歩」〈ウンポ〉について解説しているところも引用しておこう。
運歩には大体次のやうな種類があります。
一、爪先を上げ、摺り足〈スリアシ〉をするもの。
一、爪先を上げないもの。
一、足をやや浮かして歩くやうな形のもの。
一、足を大きく上げて歩くもの。
一、安定の無い酔人の足。
一、左右の足を互違ひ〈タガイチガイ〉にして、横歩きするもの。
一、両足をゆるやかに上下して、上半身を柔らか〈ヤワラカ〉に揺がし〈ユルガシ〉ながら、所謂〈イワユル〉浮かれる形のもの。
一、左右何れか一方の足で飛ぶもの。
一、爪立ちしながら、左右の足を送つて小刻みに横歩きするもの。
一、左右の足を交々〈コモゴモ〉上下して、飛びはねて走るもの。
その他抜き足差し足だの、両足を揃へて飛び上る双足飛だの、飛び上つて坐るグヮッシ――能の方で平臥とも安座とも言ふ――だのがありますが、何れ〈イズレ〉の場合にも膝が基調となるのであります。要するにその姿勢は腰を軸心として、上下の半身は様々に動きますが、腰は飽くまで固定して居ります。腰まで動揺する舞踊とは、ここに大きな相違が在るわけであります。
引用はここまでにしておくが、狂言の身体技法が、きわめて高度なものであること、六代目野村万蔵による説明がわかりやすいことなどが、おわかりいただけたと思う。
これを筆録した古川久の力量にも敬意を払う必要があるが、ただ欲を言えば、後学のために、漢字には徹底してルビを振っていただきたかった。最後に引用した部分で言えば、双足飛の読みがわからない。〈モロアシトビ〉と読むような気がするが、もちろん特に根拠はない。
なお、最後に引用した部分に「グヮッシ」とあるのは、広辞苑で「臥し」〈ガッシ〉あるいは「合膝」〈ガッシ〉と表記されている言葉であろう。これをあえて「グヮッシ」と表記しているところをみると、六代目野村万蔵あるいは筆録者の古川久は、「臥し」、「合膝」とも、表記としては適切でないと判断していたのではあるまいか。
今日の名言 2012・7・27
◎会社を根底から作り替えるぐらいの心構えだ
野村ホールディングのグループ最高執行責任者に就任することになった永井浩二氏が、26日、記者団に述べた言葉。本日の東京新聞による。日本を代表する証券会社である野村證券が、「会社を根底から作り替える」必要がある会社だったとは知らなかった。
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