礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

命さへあれば何とかなるさ(長谷定丸さん)

2020-12-16 00:00:06 | コラムと名言

◎命さへあれば何とかなるさ(長谷定丸さん)

『主婦之友』一九四五年六月号から、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を紹介している。本日は、その五回目(最後)。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

 わが家の安否を尋ねて戻つてみると、定丸さんが警防団服をずぶ濡れにして焼跡に立つてゐた。火に追はれ、見知らぬ群衆に交【まじ】つて逃げ廻つた康子さんも、程なく背中の妹におむすびを持たせて帰つて来た。康子さんは両親の顔を見ると張りつめてゐた勇気も挫【くじ】けてしまつたのであらう、ワーッと泣き出してしまつた。『よかつたよかつた。』親子は煤【すゝ】けた顔を真黒にして嬉し泣きに泣くばかりであつた。
『なあに、命さへあれば何とかなるさ。お父さんは工場の仕事があるから、どうしてもこゝへ残らなきやならないが、お前達はどうする?』とつおいつ思案してゐたかつさんは、『やつぱり一緒に暮しませう。皆も、お父さんに心配をかけないやうにね。‥‥お父さんに一生懸命働いて頂かなくちや、お国に申訳がないよ。』決心がついたその日から、かつさん達は知人の家に身を寄せ、定丸さんは朝の暗いうちから焼跡整理に出かけて行つた。――〝いつまでも人の好意に甘えてゐてはいけない。一日も早く我家を作るらう。〟一生懸命の力ほど恐ろしいものはない。定丸さんは、たつた二日間で焼跡の整理を済まし、そこへ六畳敷もある掩蓋壕【えんがいがう】を作り上げてしまつたのである。〝子供たちに、こゝはお家【うち】なのだという安心感を持たせるために畳も敷かう。蝿帳【はへちやう】の一つもおきたい。雨の日でも炊事にこと欠いてはならぬ。玄関代りに靴脱ぎ場も入用【にふよう】だ。そんなことを次から次へと考へてゆくうちに、定丸さんはだんだん面白くなつてきた。
 壕が出来上ると、裏の方に物干場【ものほしば】、その脇には畠も作つた。今では便所も台所もできて、一家にとつては心持よい安住の場所の場所となつてゐる。
 南西に向いてゐる表の入口から四段ほど階段を下りると、二尺ほどの土間。こゝで履物を脱ぐと次が四畳敷の座敷。その向うが台所で、土間の片隅【かたすみ】には焼け残つた鉄の竈【かまど】などが並んでゐる。座敷の壁面【へきめん】には、トタン板を張つた上に白地の襖【ふすま】が当てゝあるせゐか、とても明るい。畳の上に坐ると退避壕の中にゐるやうな重苦しい感じは少しもない。『これだけできたので、日常生活は前とちつとも変りません。たゞ夜は灯【あかり】が不自由なもんですから早く寝てしまひます。その代り朝は暗いうちから起きて、炊事や洗濯です‥‥ 
 配給物は焼け残つた町会の配給所へ登録してゐますんで、そこへ取りに行きます。夜は全然使へないものとして、昼間のうちに繕ひ物でも何でも一生懸命追ひ込んでおくんですよ。』かつさんは豊かな乳房を赤ちやんに含ませながら、再出発の希望に目を輝かすのであつた。

 すでに紹介した通り、『主婦之友』一九四五年六月号の表紙には、「本土決戦/勝利の防衛生活」という文字がある。しかし、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を読む限り、「勝利」というイメージは浮かんでこない。この記事のどこを読んでも、「勝機」というものが見出せない。
 にもかかわらず、この記事には、妙な「明るさ」がある。おそらくこれは、遠からぬ「終戦」そして「復興」を意識した「明るさ」なのではないかと思ったが、もとより、深い根拠があるわけではない。

*このブログの人気記事 2020・12・16(8位に珍しいものが入っています)

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長谷康子「お父さんを呼んでくるわ」

2020-12-15 00:01:10 | コラムと名言

◎長谷康子「お父さんを呼んでくるわ」

『主婦之友』一九四五年六月号から、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を紹介している。本日は、その四回目。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

   瓦礫の下に明るい一家
  これこれ杉の子起きなさい 
  お日様にこにこ声かけた声かけた
 無邪気な子供の歌声が聞える。振り返つてみると、白い洗濯物が靡【なび】いてゐる下で、三人の女の子が焼けた茶碗やブリキの板を並べてまゝごとの最中であつた。十二三の可愛いお嬢さんに声をかけて用件をお話すると、『お父さんを呼んでくるわ。』と、でこぼこした焼土【やけつち】の山の上を馴れた足取りで軽々と駈けて行つた。その後について行くと、トタン板の向うから戦闘帽を被【かぶ】つた人が鍬【くは】を振り上げてにゆっと顔を出した。
『あゝ、そんな御用ですか。いま畠を耕してゐるところですよ。南瓜【かぼちや】をうんと増産しようと思ひましてね。』と鬚【ひげ】の顔を綻【ほころ】ばせつゝ迎へてくれた。
 この長谷定丸【はせさだまる】さん一家は、妻女のかつさんとの間に国民学校六年生の康子さんを頭【かしら】に、二年生、七つ、四つ、乳呑児【ちのみご】の五人の子供さんといふ賑【にぎや】かな家庭である。小さな弟妹【ていまい】が多いので、康子さんは集団疎開にも参加しないで、小さい妹達のお守【もり】やお母さんのお手伝ひに働いてゐた。そんなことで家族の疎開もまだできないうちに班災に遭つてしまつたのである。
 発火と同時にかつさんは、康子さんに四つの子供を負ぶはせ、自分は乳呑児を背負ひ、あとの二人の手を引いて近所の学校へ避難した。主人の定丸さんは、最後まで現場【げんじやう】に踏み止まつてゐたために、かつさんは子供達だけを避難させるだけが精いつぱいであつた。
 そのうちに学校へも火がかかつた。右往左往する群衆に交つて、あちこちと避難するうちに、かつさんはいつか康子さんを見失つてしまつた。右も左も火の壁である。『もう駄目だ。康子はどうしてゐるだらう。‥‥お父さんは。‥‥どうか無事でゐてくれますやうに。』一心に祈りつゞけながら三人の子供を両の腕の下に抱き締めて、とある壕の中に坐つてゐた。――永い永い時間であつた。猛焔【もうえん】が次第に勢【いきほひ】を納め、東の空が仄【ほの】かに明るくなつてきたとき、かつさん達は死線を越えた喜びに呆然【ぼうぜん】とするのであつた。【以下、次回】

 文中、「現場」という語に、「げんじやう」(ゲンジョウ)というルビが振られていることに注意されたい。これが、本来の読み方である。「げんば」という読み方は、たぶん、マスコミ関係者などが用い始めたものであろう(「現状」や「原状」と区別するためだったか)。

*このブログの人気記事 2020・12・15(10位になぜか穂積八束)

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まるで潜水艦の中のやうですね(『主婦之友』記者)

2020-12-14 02:40:47 | コラムと名言

◎まるで潜水艦の中のやうですね(『主婦之友』記者)

『主婦之友』一九四五年六月号から、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を紹介している。本日は、その三回目。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

 田中さんはなほ言葉をつゞけて、『壕の内部は、体をゆつくり休められるやうにといふことを第一に考へました。休養がよく取れないと、仕事の能率が挙【あが】りませんからね。それから雨が降つても炊事に困らないやうにとも考へました。南を開【あ】ければ一日中明るいですし、夏冬共に風通しもいゝやうです。あちらが南ですよ。』と後【うしろ】を指【ゆびさ】された。振り返つてみると、さつきの小さい窓には針金入【はりがねいり】の厚いガラスが嵌【は】められ、前後へ回転式になつてゐるらしく斜め前方に開【あ】いてゐた。
『窓の外に青い物を植ゑたから、こゝにゐても眺められるでせう。なかなか風情がありますよ。アゝゝゝゝ。』田中さんは戦災を受けた人とは思へないほど明るく笑はれた。『雨の降る日は、あすこで炊事をするんです。』と指【ゆびさ】される方に行つてみると、こゝは鳩尾【みづおち】の高さほどの台になつてゐて、横に一畳敷ほどもあらうか。その上には筵【むしろ】が敷かれ、囲炉裏【ゐろり】も切つてある。枝を落した生木【なまき】が丁度自在鈎【じざいかぎ】のやうに天井から下つてゐる。
 通路を戻つてくると、その両側の壁が、これはまた殆ど一寸の無駄もなく利用されてゐるのに驚いた。まづ左側の押入のやうに刳【く】つたところに竈【かまど】が据ゑられ、この煙突は戸外へ突抜けてゐる。これがために家の中は少しも煙らないといふことである。次には小さい刳棚【くりだな】、右側の壁には針金を張つて手拭、布巾などが干してある。立つて丁度よい高さのところには小さい鏡が古針金【ふるはりがね】でくるくると結【ゆは】へつけてある。一つところに立つて前後左右に手を伸ばせば万事用が足りてしまふのである。
『まるで潜水艦の中のやうですね。』記者が思はず嘆声を洩らすと、
『なあに家財道具といふものがないんですから、棚さへ工合【ぐあひ】よく吊つてゆけば結構整理がついてゆくもんですよ。北側は全部塞ぎましたが、通風のため土管を一本通してあります。平常【ふだん】はかう して古綿【ふるわた】を布【きれ】で包んだ栓をしておきますが、夜は窓も入口も締めるから栓を抜いておくんです。するといつでもいゝ空気を吸つて寝てゐられます』
『金具類も皆【みん】な焼けたものゝやうですが‥‥』
『さうです。皆なこの焼跡から掘り出したものばかりですよ。あの火で焼かれたんですから少し見場【みば】は悪いですが、性【しよう】さへ抜けてゐなけば充分役に立ちますよ。それには表面のざらざらしたのを削り落して、油の布でよく拭くんです。』
『本当に御器用なんですね。もともと大工さんのやうなご経験‥‥』
『いやあ全然素人です。たゞ好きでやつただけなんです。』田中さんは始終にこにこしながら、
『皆【みんな】どつしりと腰を据ゑて働かなけりやならんときですからね――。一日も早く飛行機を作りに行かなきやならないので、自分の家が焼け落ちたあの明方【あけがた】の三時半から始めたんです‥‥
 何でも人に言う前にまづ自分がやつてみせるですよ。それで、一人殖え二人殖えしてゆけばいいんです。‥‥近所の人も大分【だいぶ】ぼつぼつ帰つて来るやうですよ。』
 黙々と率先垂範する実行の人、半ば伏目【ふしめ】がちに終始朴訥な態度で語られるのであつた。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・12・14

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壕は爆風に耐へる頑丈なやつをと考へました(田中さん)

2020-12-13 02:07:02 | コラムと名言

◎壕は爆風に耐へる頑丈なやつをと考へました(田中さん)

『主婦之友』一九四五年六月号から、「灰燼の中に起ち上る人々」という記事を紹介している。本日は、その二回目。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

 やがて田中さんが作業服姿で戻つて来られた。来意を告げると、『おゝ、それはそれは‥‥いやあ、お見せするほどのものでもありませんが‥‥まあお入りなさい。』と、謙遜しながら先に立つて壕の中へ入つてゆかれた。記者もつゞいてその後から入る。とんとんと二段ほど下りると、一坪ほどの部屋がある。周囲の壁面は全部板張りで、白い塗料が刷【は】いてあるから思ひのほか明るい。右側半分の約一畳敷のところは一尺五六寸高さの板張り、左半分は土間。土間につゞいて左手に三尺幅の通路があり、その突当りには小さい窓が開【あ】いてゐて温【あたゝか】い日射しが流れ込んでゐた。窓の下のところはどうやら台所らしい。田中さんは右手の台のところへ腰を下すと、『こゝが、私【わたし】の萬【よろづ】兼用部屋ですよ。かうしてお客様もお迎へすれば食事もする。縫物【ぬひもの】もする。夜はこゝが寝台です。さあ一つお茶を入れませう。』
 田中さんが傍【そば】の壁を何か探るやうにしてゐられたかと思ふと、約一尺幅の板が壁面から倒れて来て、台の上に橋を架【か】けた。田中さんは腰を掛けたまゝ上に左と手を伸して、この板の上に茶碗、土瓶などを並べられる。田中さんの手の行【ゆ】くところには、あらゆる空間を利用して棚が吊られ、身の廻り品や日用品らしい品物がきちんと納められてゐる。支柱の横桟【よこざん】の上も勿論ぎつしりと利用されてゐるのである。この橋式代用食卓は、壁の凹味【くぼみ】へ縦にぴつたりと嵌込【はめこ】み式になつてゐて、下方が蝶番【てふつがひ】で取附けてあり、上方は小さい留木【とめぎ】で押【おさ】へてある。留木をくるっと回転させると板は前へ倒れる仕組になつてゐる。
『私は徴用で〇〇の飛行機工場へ通勤してゐるもんですから、どうしてもこゝを離れられない。それで親父の代から住んでゐたこの焼跡で最後まで頑張つてみようと決心したんです。家内と子供は田舎へ行つてゐますからこゝは私一人なんです。やもめ暮しは‥‥なんて言ひますが、かういふ簡易生活もなかなか面白いものですよ‥‥
 壕はまづ、できるだけ爆風に耐へる頑丈なやつをと考へました。土盛【つちも】りはなるべくなだらかに、裾を長く引くやうにする方が爆風の当りが少い。壕の中も、こんな風にコの字形にとる方が安全です。時限爆弾が落ちたときにも、こゝはちつとも揺れませんでしたよ。土の湿気を防ぐために、板の外側にはトタン板を張り、一寸ほどの隙間を作つて外側にもう一側【ひとかは】トタンを廻らし、その周囲に四尺幅に砂を詰め、天井も同様に板とトタンを張つた上に砂を一尺盛り、またトタンを並べ、これを石で押へてから更に土を盛つたんです。砂は湿気を吸い取りますし、かうして一尺五六寸も上の方へ寝ますから、湿気の点では全然心配はありません。夜でもとても温【あたゝ】かですよ。』【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・12・13(10位に珍しいものが入っています)

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城北の某町の焼け跡で目をみはった(『主婦之友』記者)

2020-12-12 00:36:43 | コラムと名言

◎城北の某町の焼け跡で目をみはった(『主婦之友』記者)

 本日も、『主婦之友』一九四五年六月号を紹介する。本日、紹介するのは、同誌の「灰燼の中に起ち上る人々」という無署名の記事である。
 原文は、総ルビに近いが、ここでは、その一部のみを、【  】によって示した。

  灰燼の中に起ち上る人々

   戦災家庭の生活建設
 見渡す限り赤黒く焼け爛【たゞ】れた土、煉瓦、トタン板、黒焦げの立木【たちき】。これこそ敵アメリカのあくなき暴虐の爪跡だ。この焦土には、母の、子の、兄弟の血が沁【し】みついてゐるのだ! この仇【あだ】はきつと討つてみせるぞ! どんなことがあつても戦ひ抜くぞ! こゝを離れるものか。こゝに家を作らう。われらの要塞を。復仇【ふくきう】の闘魂に燃えて焦土に起ち上つた人々は瓦礫【ぐわれき】の原の一隅に黙々と円匙【ゑんぴ】を振ひ、焼け残つた材木を拾ひ集め、工匠の技も心得ぬ素人【しろうと】でありながら、たゞ努力と創意とによつてわが家【や】を再建つゝあるのだ。記者はこの逞しい建設の槌音を探ねて、その人々の底力から萌え上る戦意の太々しさに強く打たれたのであつた。
   街 の 潜 水 艦
 魔の劫火【ごふくわ】が家を街を一夜のうちに舐【な】め尽してから一週間あまりも経過した或る一日、記者は城北の某町【ぼうちやう】の焼跡に、これは思はず目を瞠【みは】つたほど、さつばりと取片附けられた一角を発見した。
 こんもりと盛り上つた低い築山【つきやま】の上に、目に沁みる葱の青さ、菜の花の黄色が春風に揺れ、一羽の蝶さへそのあたりをひらひらと舞つてゐるではないか。近づいてみると、築山と見たのは壕の土盛【つちも】りであつた。
 少し屈めばらくらく入れるほどの小さい入口には、トタン板ですつかりくるんだ頑丈さうな扉がぴちんと締つてゐる。その中央に、『只今お風呂へ行つてゐます。』と白墨で書いたトタン板の札がぶら下つてゐた。上の方には、『田中和雄、田中覚郎【かくろう】』と仲良く並んだこの家の主【あるじ】の新しい表札がかかつてゐる。玄関らしく体裁を整へてゐる入口の上の鬼瓦、両脇にきちんと据ゑられてゐる防火用水槽、小さい納屋からコンクリートの塵芥箱【ごみばこ】。裏へ廻つてみると、十五六坪の焦土は早くも開墾を終つて、畝【うね】が幾条【いくすじ】も作られてゐる。畑の隅【すみ】には、肥料小屋をも兼ねてゐるのであらう便所もできてゐる。【以下、次回】

 文中に、「城北の某町の焼跡」とある。おそらく記者は、「城北大空襲」(一九四五年四月一三日~一四日)の焼け跡を訪ねたのであろう。だとすれば、記者のいう「某町」とは、豊島区、滝野川区、荒川区あたりの町ということになる。

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