礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東京スタジアムと大毎オリオンズ

2024-03-26 02:33:52 | コラムと名言

◎東京スタジアムと大毎オリオンズ

 今月21日、東京新聞朝刊「あけくれ」欄に、「見上げてごらん」というタイトルのエッセイが載った。投稿したのは、荒川区の主婦・宮代美佐子さん。荒川区の図書館で、松竹映画『見上げてごらん夜の星を』(1963)の上映があった。定時制に通う若者たちを描いた映画で、主演は坂本九(1941~1985)だった。以下は、引用。

 主人公が通う高校、都電、神社、対岸にお化け煙突の見える隅田川沿いの工場など、東京五輪前夜の荒川の貴重な風景が映し出されます。
 特に印象的なのは、重要な背景として頻繁に登場する東京スタジアム。冒頭の空撮映像の中心に浮かぶナイター照明と芝のグランド。そう、ほんの短い間、この街にプロ野球の球場があったのです。

 主人公が通っていた定時制高校は、何という高校だったのか。都電というのは、今も健在の都電荒川線を指しているのか。神社はどこの神社だったのか。映画『見上げてごらん夜の星を』は、まだ観たことがない。宮代さんのエッセイを読んで、ぜひ観たくなった。
 映画の冒頭にに出てくる「東京スタジアム」は、「光の球場」として知られていた。1962年(昭和37)6月2日、毎日大映オリオンズの本拠地として開場。毎日大映オリオンズは正式名で、日常的には、大毎(だいまい)オリオンズの通称が使われていた。
 午後4時から始まった開場式には、パリーグ全球団(大毎オリオンズ、南海ホークス、東映フライヤーズ、西鉄ライオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バッファローズ)の選手が集まった。この開場式で、毎日大映オリオンズの永田雅一(まさいち)オーナーが、スタンドを埋めた観客に向かって、「皆さん、パ・リーグを愛してやって下さい」と叫んだ話は有名である。
 同日午後7時から、大毎対南海の公式戦から始まった。いわゆる「ナイター」である。この試合は、9-5で、大毎が勝利した。
 エッセイにもあったが、同球場の歴史は短かった。十年後の1972年(昭和47)に閉鎖、最後の公式試合は、同年10月15日のヤクルトアトムズ対阪神タイガース戦だったという。
 今日、その跡地は、荒川総合スポーツセンターとなっている。なお、警察庁長官狙撃事件で有名になったアクロシティは、荒川総合スポーツセンターから至近のところにある。

*このブログの人気記事 2024・3・26(2・9・10位は、いずれも帝銀事件関係)

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礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト50(24・3・25)

2024-03-25 00:44:30 | コラムと名言

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ワースト50(24・3・25)

 本日は、当ブログへのアクセス・歴代ワースト50を紹介する。
 順位は、2024年3月25日現在。これは、あくまでも、アクセスが少なかった日の順位であって、アクセスが少なかったコラムの順位ではない。なお、ブログ開設当初のデータがほとんど残っていないので、正確な順位というわけではない。

1位 2023年12月4日  ここの調査は君一人でやってくれないか(平山輝男)
2位 2023年8月31日  枢密院本会議を休会し陛下の録音放送を拝聴した
3位 2023年12月3日 橋本進吉博士の薦めに従い國學院大學で国語学を専攻
4位 2024年2月6日 【この日、記事の更新なし】
5位 2023年7月1日 日本の社会は情をもって成り立つ(内村鑑三)
6位 2020年9月26日 【この日、記事の更新なし】
7位 2024年1月12日 OCRソフトで表示された漢字(2024・1・12)
8位 2023年7月2日 日露戦争より余が受けし利益(内村鑑三)
9位 2023年12月1日 平山輝男博士とアクセント分布の研究
10位 2023年6月13日 日本人は暇つぶしの娯楽に耽っている(M・W・ヴォーン)

11位 2023年9月1日 九月一日忘られず(大正震災かるた)
12位 2024年3月22日 『民法典との訣別』では、検索結果0件
13位 2023年11月28日 朝夕の往復だけで7~8時間を要した
14位 2017年12月23日 成功の秘訣は万人に率先して実行すること
15位 2015年8月17日 大谷美隆「ナチス憲法の特質」(1941)を読む
16位 2015年8月11日 総統、あなたはアーリア系ですか(1945・4・29)
17位 2016年6月16日 日本人は血縁が等しい大家族民族(古畑種基)
18位 2016年6月19日 我国都市における防空上の二大弱点
19位 2014年8月15日 煩を厭ひてすべてはしるさず(滝沢馬琴)
20位 2015年1月8日 伊藤昭久さん、田村治芳さん、松岡正剛さん

21位 2015年12月25日 大佛次郎『ドレフュス事件』は、なぜ龍頭蛇尾なのか
22位 2016年6月23日 生長の家、安倍晋三首相の政治姿勢を批判
23位 2015年9月7日 松川事件、現場に停車した一台のトラック
24位 2015年12月23日 ドレフュス事件とデュ・パチイ・ドゥ・クラン少佐
25位 2015年8月1日 ケルロイター教授、美濃部達吉博士を危険視
26位 2016年6月22日 『日本会議の研究』をめぐる「騒動」
27位 2016年1月21日 結婚奨励のスローガンは「結婚報国」
28位 2023年5月25日 ジャニー喜多川問題と資料集『男色の民俗学』
29位 2015年12月2日 眠ってる時間分だけ長生きする(水木しげる)
30位 2023年11月30日 山口幸洋博士と「一型アクセント」の研究

31位 2015年12月17日 家永三郎教授に、遡って名誉教授を発令
32位 2016年6月24日 新日本宗教団体連合会1200万票のゆくえ
33位 2015年11月4日 そんな中央公論社は今すぐにでも潰す(鈴木庫三)
34位 2016年1月25日 警戒警報が発令されると入場券の発売は停止
35位 2016年6月12日 「君達は、この戦争に日本が勝つと思うか」
36位 2016年7月5日 「日本ファシズム」の理論はあまりに貧困
37位 2023年6月16日 文学作品は、具体的であることで生命を持つ(青木茂雄)
38位 2015年7月29日 「ワイマール憲法」から「ナチス憲法」へ
39位 2023年5月28日 先生は一切指を差してはいけないと注意された
40位 2023年8月1日 藤本弘道著『陸軍最後の日』(1945)を読む

41位 2023年7月22日 日産リバイバルプランは誰がつくったのか?
42位 2023年7月15日 「アジアは一つなり」大東亜会議、開催さる
43位 2024年3月23日 ヒロシマで『民法典との訣別』を購入した吉田さん
44位 2017年7月22日 映画『陰謀のセオリー』とポケモンショック
45位 2022年1月10日 天皇制論には二つの流れがある(網野善彦)
46位 2015年8月2日 ケルロイター教授、政治指導と軍事指導の一致を説く
47位 2024年2月23日 飛行機から「兵に告ぐ」のビラがまかれた
48位 2023年10月24日 二・二六事件について美人記者の取材を受けた
49位 2016年1月15日 藤村操の自殺前後(山名正太郎)
50位 2015年12月20日 源頼義、集めてきた戦死者の片耳を埋める

*このブログの人気記事 2024・3・25(10位の永井荷風は久しぶり、8・9位に極めて珍しいものが)

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ナチス法学と民法典訣別論

2024-03-24 01:06:22 | コラムと名言

◎ナチス法学と民法典訣別論

 本日は、舟橋諄一訳著『民法典との訣別』の「序」を紹介したい。

      
 民法乃至民法典が、はたして『さやうなら』をされるのかどうか、されるとしてもそれには限度があるか、また、限度があるとすればそれはどの程度か、といふやうなことは、民法の将来について関心を有する者にとつてはもちろん、生成の途上にある経済法の研究に志す者にとつても、甚だ興味ある課題であり、また、何らかの意味において解決を迫られてゐる問題でもある。ところで、『民法よ、さやうなら』といふ標語の典拠と目されてゐるのは、シュレーゲルベルゲル教授の『民法典との訣別』論であるから、ナチス法学に対し同情的態度をとると批判的態度をとるとを問はず、その所論を知ることが、問題へ近づく第一歩であらう。本書の「第一」として同教授の所論を紹介したのは、かやうな意図に基づくものである。
 しからば、われわれの立場において、このナチス法学的民法典訣別論を、いかに理解し、いかに評価し、いかに批判すべきか。これに対する解答は、見る者の立場々々によつて、それぞれ異なるものがあらうけれども、わたくしには、同教授の所論がその表現の甚だナチス的なるにかかはらず、これを客観的に考察するとき、統制経済の段階における民法の機能変化の現象を説いたにすぎないもののやうに思はれる。本書の「第二」は、これを論證しようとする一つの未熟なる試みである。
 最後に「附録」として収めたレンホフ教授の所説に拠る私法変遷論は、――同教授の原文も、それに関するわたくしの所論も、ともに十余年前の執筆にかかることとて――いささか時代遅れの感があるかも知れない。しかし、それゆゑにこそ、かへつて、独占経済の段階における私法変遷の現象を忠実に描き出してゐるともいへるのであつて、統制経済が独占経済よりの発展でありそれと切り離しては考へられぬ以上、右の論議も、今日の問題と密接なつながりをもつわけである。
 かくて、本書は、両教授の所説に拠りつつ、独占および統制経済の段階に対応する私法の変遷につき論述したものとも見ることができ、この意味からいへば、一種の「私法変遷論」ともなるであらう。だが、かやうなものとしては、一つには両教授の所説による制約もあらうけれども、主としてはみづからの力の足りないため、説いて尽くさず、考へて及ばざる点も少なくない。わたくしとしては、ただ、この小稿により、私法の変遷に関する論議に対して、何ほどかの寄与をなしうるならば、幸ひだと考へてゐる。
 本書の成るについてまづ第一に感謝すべきは、畏友菊池勇夫教授があらゆる機会に示された友情である。また、訳文の補正その他印刷に関する一切については、法学士佐久間正一君より献身的なる御助力をいただいた。深く感謝の意を表したい。
  昭和十九年九月十七日    九州帝国大学法文学部研究室にて
                        舟 橋 諄 一

 末尾に「菊池勇夫教授」に対する謝辞がある。菊池勇夫(きくち・いさお、1898~1975)は労働法学者。1943年から1945年まで九州帝国大学法文学部長、1949年から1953年まで九州大学総長を務めた。

*このブログの人気記事 2024・3・24(9・10位の緑十字機は久しぶり、8位に極めて珍しいものが)

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ヒロシマで『民法典との訣別』を購入した吉田さん

2024-03-23 01:17:39 | コラムと名言

◎ヒロシマで『民法典との訣別』を購入した吉田さん

 舟橋諄一の『民法典との訣別』は、惇信堂(大坪惇信堂)という福岡市の出版社から刊行されたが、印刷は東京都牛込区の大日本印刷だった。著者の舟橋諄一は、当時、九州帝大法文学部の教授であり、福岡市菰川西町に住んでいた。東京で発行された自著を確保するために、上京する教え子の手をわずらわせたことを、「私の八月十五日」(初出1976)に書きとめている。
 一方で、この本の一部が、配給ルートに乗り、読者の手に渡ったことも、ほぼ間違いない。私が架蔵している『民法典との訣別』は、表紙のあとの白ページのところに「吉田」という認印が捺されており、裏の裏表紙の前の白ページのところには、青鉛筆で「1945.5.9/Hiroshima」という書き込みがある。吉田さんという旧所有者が、その日に広島で(たぶん広島市内の書店で)、この本を買い求めたのであろう。
 吉田さんというのは、几帳面な方だったらしく、赤鉛筆と青鉛筆、そして定規を用いて、傍線を引きながら、この本を読み込んでいる。

 さて、本日は、『民法典との訣別』の「目次」を紹介し、明日は、その「序」を紹介してみたいと思う。

   目  次
第一 民法典との訣別(シュレーゲルベルゲル)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一
第二 『民法典との訣別』論について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥五三
  序  説‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥五五
  シュレーゲルベルゲル教授所論の要約‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥六三 
 (一)『民法典との訣別』論の内容‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥六三
 (二)右の所論における論点の要約‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥八九  
  訣別論の客観的意義‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥九三 
 (一)序 説 ―― 民法の本来的性格‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥九三  
 (二)民法非難の各論点について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥九七 
 (三)いはゆる革新立法の構想について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一〇七 
  結 び 民法典訣別の限界と民法の将来‥‥‥‥‥‥‥‥‥一一七
附録 レンホフ教授の私法変遷論 
  序  説‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一二五 
  レンホフ教授所説の紹介‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一二九
  同教授の所説を資料とせる私法変遷論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一七七 
 (一)実質関係の変動に伴なふ私法の変遷‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥一七八
 (二)私法の実質的変遷に対応する法技術の変化‥‥‥‥‥‥‥二四〇
  結 び‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥二五三

*このブログの人気記事 2024・3・23(8位のぴよぴよ大学は久しぶり、9・10位に極めて珍しいものが)

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『民法典との訣別』では、検索結果0件

2024-03-22 00:36:54 | コラムと名言

◎『民法典との訣別』では、検索結果0件

 一昨日のブログでは、舟橋諄一の「私の八月十五日」という文章を紹介した。その中で舟橋は、『民法典との訣別』という著書に触れ、この本は、ほとんど配給のルートに乗らなかったと述べていた。
 いま、国立国会図書館サーチで「詳細検索」のページを開き、「図書」の欄にチェックを入れ、「タイトル」のところに「民法典との訣別」と入力してみる。すると、「検索結果0件」と出る。一瞬、この本は、国会図書館にも納本されなかったのかと思う。
 念のため、「著者・編者」のところに「舟橋諄一」と入力して再検索すると、19件がヒットする。その中に、『民法典への訣別』が含まれている。すなわち、国立国会図書館のデータには、「民法典への訣別」という書名で登録されているのである。

 今から数年前、私は、古書店でこの本を入手した記憶がある。探してみると、すぐに見つかった。
 背表紙には、「民法典との訣別 舟橋諄一訳著」とあり、表紙には、「民法典との訣別/舟橋諄一訳著/福岡 大坪惇信堂 発行」とある。しかし本扉には、「九州帝国大学教授 舟橋諄一著/民法典への訣別/法政研究叢書⑴」とある。
 すなわち、国立国会図書館は、本扉にある「民法典への訣別」を、同書の書名として登録していたのである。
 参考までに、奥付には、次のようにある。

 昭和十九年十二月五日初版印刷
 昭和十九年十二月十日初版発行 (一、五〇〇部)
 民法典との訣別 停 定  価    弐円七拾銭
         特別行為税相当額 弐拾八銭
                     合  計       金弐円九拾八銭
 著 者     舟 橋 諄 一【ふなばしじゆんいち】
 発行者     福岡市黒金町八番地 
         大 坪 敏 吉
 印刷所     東京都牛込区市谷加賀町一丁目十二番地
         大日本印刷株式会社
 印刷者     東京都牛込区市谷加賀町一丁目十二番地
         (東京一)安達信雄
 発行所     福岡市黒金町八番地 
         惇  信  堂
 配給元     東京都神田区淡路町二丁目九番地
         日本出版配給株式会社

 奥付にも「民法典との訣別」とある。書名としては、やはり『民法典との訣別』を採るべきであろう。国立国会図書館に是正を求めたい。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2024・3・22(9位になぜか山田宗睦、10位になぜか荒木貞夫)

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