これは、非常に優れた番組であった。保守系や右翼の人々がNHKを盛んに攻撃する理由は、こうした優れた番組をNHKが作成するからであろう。
この番組は、国民主権(裏を返せば天皇制)と戦争放棄の二つを主軸に、新しい資料や生き残りの関係者の証言(なかには以前録画したものも含む)、残存する関連テープを駆使して、構成されている。新しい知見を中心にこの番組の内容を紹介したい。
1.GHQは一貫して、日本政府みずからが憲法草案を作成し、制定していくことを願っていた。草案作成に関わったミルトン・エスマン氏はインタビューに答えて、「当初われわれは、日本政府が自ら作成することを期待していた。そのほうが、われわれにとっても望ましいと考えていた」、と述べている。この事実は他の多くの資料からうかがい知れる周知の事実である。
2.幣原喜重郎首相・マッカッサーの二人だけの会談
- 戦争放棄は幣原喜重郎首相が言い出したのだ -
幣原喜重郎首相は1946年1月24日、GHQを尋ね、マッカーサーと会談した。その内容は、枢密院顧問の大平小松氏の娘が克明に記録していた。幣原は大平に詳細を報告し、大平が自分の娘に口述して記録させていたのであった。ここには未知の事柄が記されていた。
幣原の「天皇制を自分生きている間は維持させたい。協力してくれ」との要望に対し、マッカーサーはできるだけのことは協力すると約束している。さらに、「世界から信用をなくした日本にとって、戦争を放棄するということを世界にはっきり世界に声明すること。それだけが日本が世界から信用してもらえる唯一の『ほこり』(メモには平仮名でそう書いてある)となるのではないのか」という幣原発言に、「二人は大いに共鳴した」そうだ。
マッカーサーはこれを「憲法に戦争放棄を入れる、と幣原が発言した」と後に証言しているが、マッカーサーはそう受け止めたのであろう。
3.その方針の転換
- GHQ草案の作成へ -
日本政府は、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会のなかで憲法草案を検討・作成していた。1946年2月1日、毎日新聞がその内容をスクープした。その内容が明治憲法の一部手直しにすぎないことを知ったマッカーサーは、すでに周知のとおり、2月4日、GHQ民生局の関係者に緊急招集をかけ、1週間で憲法草案を作成することを命じた。
4.マッカーサーは何故急いだのか
対日戦争参加国11ヶ国で構成される極東委員会の発足と、関連していたのだ。オーストラリア、中国、ソ連は天皇制の廃止を主張し、天皇の戦犯訴迫も考えていた。この番組では、オーストリアの極東委員会理事であった人物のインタビューで、そのへんの状況を描いている。
アメリカはポツダム宣言時に、バンーンズ(国務長官)回答書で「天皇を残した形での間接統治、その後の天皇制については日本国民の意思にまかせる」と日本政府に約束していた。この番組では触れていないが、私の前投稿にその点は詳しく記載してある。さらに、マッカーサーは幣原の要望に答えて、天皇制を残すことに協力すると約束していた。マッカーサーも国務省も占領統治のために天皇は必要という判断をしていたのだ。
GHQの上に立つ極東委員会が発足すると、天皇制廃止の意見が多数を占める情勢のなかで、マッカーサーはどうしても、既製事実を作る必要に迫られていたのだ。
5.GHQ草案は鈴木安蔵らの「憲法研究会」の案「憲法草案要綱」を下敷きにしていた
トルーマン・ライブラリーに残されているマイロ・ラウエル中佐のテープがその事実をあからさまに語っている。彼は民生局のなかの法律関連の課長であり、GHQ草案作成の実質的統括者であった。
まだ、日本に憲法草案作成をまかせていた段階でこの草案に目を通し、「私はこの民間草案を使って若干の修正を加えれば、マッカーサー最高司令官が満足しうる憲法ができると考えた」、「これで憲法改正は大きく前進できる」と考えたと、彼は語っている。
GHQ草案の作成にはいった段階についてのラウエル中佐の証言では、「私たちは確かにそれを(「憲法研究会」の案のこと)使いました。意識的に、また無意識的に」と語っている。私の前投稿では、「だろう」と断定を避けたのが。
6.憲法第9条の問題と関連して
この問題では、私の知らなかったことが、この番組では続出した。民生局へ草案作成を指示したとき、マッカーサーはその指針となる文書(マッカーサー・ノート)を渡していたが、そのなかの戦争放棄に関する文面では、自衛権を放棄する内容が明記されていた。民生局次長のケーディス大佐は、「どんな国であれ、攻撃されたときには守る権利を持っていることは、当然の権利である」(生前のインタビュー)として、マッカーサーの指示を修正して、草案では「国権の発動たる戦争は、廃止する。いかなる国であれ他の国との紛争解決の手段として武力による威嚇または武力の行使は永久に放棄する」とした。
7.政府案確定にいたるGHQとの折衝
この点についても、詳しく折衝過程が描かれているが、省略する。
8.国会での審議と修正
3月6日、政府は突如新憲法草案を公表した。その内容をめぐって、極東委員会は激しく反発した。発足後10日にして、この事態に直面して、既製事実を突きつけられたのだから、アメリカ以外の10カ国理事がびっくり仰天し、怒ったことは理解できる。さらに、天皇制が象徴とはいえ残されていたこと激しく反発したのだ。極東委員会の記録によると、のべ100回の会議が重ねられることになった。
並行して日本の国会の審議も進行した。小委員会での審議過程のなか政府案はいろいろ修正されていくこととなった。その主要点のみ挙げておく。
・第25条の生存権が付け加えられたこと。
・義務教育の年限を引き上げたこと。(GHQ草案では、初頭教育のみ)
・戦争放棄条項の修正 小委員会では、「日本は平和を愛好し、国際信義を重んずることを国是とする」、「泣き言的な消極的な形でなく、自ら積極的に戦争を放棄するのだ」「高らかに世界に宣言するのだ」というような意見が圧倒的な支持を集めて、9条は大きく修正され、憲法前文とともに平和主義を鮮明にしたものになったのだ。
この国会審議過程も詳しく描かれているが、詳細は省略する。
この番組は、国民主権(裏を返せば天皇制)と戦争放棄の二つを主軸に、新しい資料や生き残りの関係者の証言(なかには以前録画したものも含む)、残存する関連テープを駆使して、構成されている。新しい知見を中心にこの番組の内容を紹介したい。
1.GHQは一貫して、日本政府みずからが憲法草案を作成し、制定していくことを願っていた。草案作成に関わったミルトン・エスマン氏はインタビューに答えて、「当初われわれは、日本政府が自ら作成することを期待していた。そのほうが、われわれにとっても望ましいと考えていた」、と述べている。この事実は他の多くの資料からうかがい知れる周知の事実である。
2.幣原喜重郎首相・マッカッサーの二人だけの会談
- 戦争放棄は幣原喜重郎首相が言い出したのだ -
幣原喜重郎首相は1946年1月24日、GHQを尋ね、マッカーサーと会談した。その内容は、枢密院顧問の大平小松氏の娘が克明に記録していた。幣原は大平に詳細を報告し、大平が自分の娘に口述して記録させていたのであった。ここには未知の事柄が記されていた。
幣原の「天皇制を自分生きている間は維持させたい。協力してくれ」との要望に対し、マッカーサーはできるだけのことは協力すると約束している。さらに、「世界から信用をなくした日本にとって、戦争を放棄するということを世界にはっきり世界に声明すること。それだけが日本が世界から信用してもらえる唯一の『ほこり』(メモには平仮名でそう書いてある)となるのではないのか」という幣原発言に、「二人は大いに共鳴した」そうだ。
マッカーサーはこれを「憲法に戦争放棄を入れる、と幣原が発言した」と後に証言しているが、マッカーサーはそう受け止めたのであろう。
3.その方針の転換
- GHQ草案の作成へ -
日本政府は、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会のなかで憲法草案を検討・作成していた。1946年2月1日、毎日新聞がその内容をスクープした。その内容が明治憲法の一部手直しにすぎないことを知ったマッカーサーは、すでに周知のとおり、2月4日、GHQ民生局の関係者に緊急招集をかけ、1週間で憲法草案を作成することを命じた。
4.マッカーサーは何故急いだのか
対日戦争参加国11ヶ国で構成される極東委員会の発足と、関連していたのだ。オーストラリア、中国、ソ連は天皇制の廃止を主張し、天皇の戦犯訴迫も考えていた。この番組では、オーストリアの極東委員会理事であった人物のインタビューで、そのへんの状況を描いている。
アメリカはポツダム宣言時に、バンーンズ(国務長官)回答書で「天皇を残した形での間接統治、その後の天皇制については日本国民の意思にまかせる」と日本政府に約束していた。この番組では触れていないが、私の前投稿にその点は詳しく記載してある。さらに、マッカーサーは幣原の要望に答えて、天皇制を残すことに協力すると約束していた。マッカーサーも国務省も占領統治のために天皇は必要という判断をしていたのだ。
GHQの上に立つ極東委員会が発足すると、天皇制廃止の意見が多数を占める情勢のなかで、マッカーサーはどうしても、既製事実を作る必要に迫られていたのだ。
5.GHQ草案は鈴木安蔵らの「憲法研究会」の案「憲法草案要綱」を下敷きにしていた
トルーマン・ライブラリーに残されているマイロ・ラウエル中佐のテープがその事実をあからさまに語っている。彼は民生局のなかの法律関連の課長であり、GHQ草案作成の実質的統括者であった。
まだ、日本に憲法草案作成をまかせていた段階でこの草案に目を通し、「私はこの民間草案を使って若干の修正を加えれば、マッカーサー最高司令官が満足しうる憲法ができると考えた」、「これで憲法改正は大きく前進できる」と考えたと、彼は語っている。
GHQ草案の作成にはいった段階についてのラウエル中佐の証言では、「私たちは確かにそれを(「憲法研究会」の案のこと)使いました。意識的に、また無意識的に」と語っている。私の前投稿では、「だろう」と断定を避けたのが。
6.憲法第9条の問題と関連して
この問題では、私の知らなかったことが、この番組では続出した。民生局へ草案作成を指示したとき、マッカーサーはその指針となる文書(マッカーサー・ノート)を渡していたが、そのなかの戦争放棄に関する文面では、自衛権を放棄する内容が明記されていた。民生局次長のケーディス大佐は、「どんな国であれ、攻撃されたときには守る権利を持っていることは、当然の権利である」(生前のインタビュー)として、マッカーサーの指示を修正して、草案では「国権の発動たる戦争は、廃止する。いかなる国であれ他の国との紛争解決の手段として武力による威嚇または武力の行使は永久に放棄する」とした。
7.政府案確定にいたるGHQとの折衝
この点についても、詳しく折衝過程が描かれているが、省略する。
8.国会での審議と修正
3月6日、政府は突如新憲法草案を公表した。その内容をめぐって、極東委員会は激しく反発した。発足後10日にして、この事態に直面して、既製事実を突きつけられたのだから、アメリカ以外の10カ国理事がびっくり仰天し、怒ったことは理解できる。さらに、天皇制が象徴とはいえ残されていたこと激しく反発したのだ。極東委員会の記録によると、のべ100回の会議が重ねられることになった。
並行して日本の国会の審議も進行した。小委員会での審議過程のなか政府案はいろいろ修正されていくこととなった。その主要点のみ挙げておく。
・第25条の生存権が付け加えられたこと。
・義務教育の年限を引き上げたこと。(GHQ草案では、初頭教育のみ)
・戦争放棄条項の修正 小委員会では、「日本は平和を愛好し、国際信義を重んずることを国是とする」、「泣き言的な消極的な形でなく、自ら積極的に戦争を放棄するのだ」「高らかに世界に宣言するのだ」というような意見が圧倒的な支持を集めて、9条は大きく修正され、憲法前文とともに平和主義を鮮明にしたものになったのだ。
この国会審議過程も詳しく描かれているが、詳細は省略する。