同人誌に孫と遊ぶ自分を長短の作品にし続けてきた。そんな作品合評のいろんな声から、熱心すぎるという意味でどうもかなり珍しい態度のようだと気づき、考え込み始めた。
「孫は疲れるというおじいさんも多いと言われたが、そんなこと思ったこともないよなー」
「構い過ぎと言われたが、確かに頼まれたこと以上に随分多く、自然に手を出している」
ここからさらに、そう言えば、我が子ともこんな風に付き合ってきたよなー。それもごく自然な成り行きとして・・・。自転車も水泳も、正しい走り方や娘のピアノ教室曲さえ、俺が教えてきたはずだ・・・。完全共働きの子育て時代は、仕事も忙しかったけど、その前後の二人の子の保育園送迎や夕食後にまた職場に赴いた時間を含めれば、一日平均して一五時間以上も働いてたけど、土日など暇があればほとんど子供に使っていたはずだ・・・。ここまで来たら、当然こう訝ることになった。なぜあれが疲れることもなく、ごく自然にできたんだろう?
ここでまた、ふっと思った。俺自身が幼少期にいろいろ可愛がられてきた。母親にはもちろん、他の大人たち、とくにおばあさんたちに・・・。彼らに可愛がられた? とそこまで回想と思考が進んできたとき、たちまち閃いたのが、このこと。幼少期から小学入学過ぎまでの俺は、お経をいくつか唱えることができたのである。あれは、当時は同居に等しかった母方の祖母の影響なのだが、その周辺の人々を随分喜ばせたもんだ! 「お経やって!」という注文にいつもニコニコと答えていたのだから。ちなみに、ここでもまた思い出したことがある。このお経が俺の人生にもう一つ重大な影響を与えたという、そのことを。我が父母、兄弟妹四人の合計六人の中でただ俺だけが音楽が得意になったその理由について過去に考えたことがあるその結論なのである。考えてみればお経って、音楽だ。音程もリズムもあるし、合唱まであって、音楽の要素をすべて含んでいる。そして、音楽、音感ってほとんど幼少期に育つものだから・・・。
〈俺が幼少期にされてきたように、子供や老人に対して居る。『そんな感情、対応』がごく自然にわいて来て・・・〉
このように広く自分の幼少期を振り返ってみたのは初めてのことだったが、この連想全体がこんどは関連する過去をいろいろ思い出させてくれることになった。
〈周囲の老人で肩もみをしなかった人は一人も居なかったはずだ。あの祖母、俺と連れ合いそれぞれの両親・・・〉
〈老人には、特におばあさんには、どこでも、いつでも可愛がられたよなー。きっとどこかがババ泣かせの子供だったんだ〉
〈小学中学年の夏休みなどには弟の幼稚園へ出かけていって、幼児を遊ばせてたよな。いまはこの同じことを、孫の保育園や学童保育でもやっている。それも、それぞれをお迎えに行く日々のことだ・・・〉
はてさて、こういう俺の生い立ちは良かったのか悪かったのか、そんなことを考えてみても、今はもうどうしようもない。月木には学童保育にお迎えに行き、金には保育園へ。二人の走り方も自転車も、保育園の竹馬競争も教えて来た。水泳教室はいつも見学に行き、そのテスト前には熱心な特訓をしたからこそどんどん進級できた? ピアノ教室曲のレッスンも日々手伝って、学校の授業参観にも代理参加が度々と、そんな生活にごく自然なってきたんだよな・・・。