4 アベ安保法制と中国脅威論
さて、アベ安保法制政権は、以上のような侵略性を有するアメリカにぴったりと付いてきた政権なのである。いや、新たにより主体的に付いて行き直そうとしている。武器輸出三原則放棄・兵器輸出・開発協力などなど、この実体経済世界不況下でまともな職業を国内に作れない窮状に対して、自らの商売がらみとも明言しつつのことだから、僕は怖い。
軍事で儲け出すと、アメリカのように後戻りが出来なくなると恐れる。軍事縮小はすぐに失業者をもたらすのだから、実体経済不況が続く中では拡大の一途を辿る必然性があるはずだ。ヒットラー時代のドイツのように。また、これが拡大の一途を辿るように国家予算を付けさせるべく、軍需会社が各級の議員をも育成していくものである。ちょうど原発村のように。また、このことは、アイゼンハウアー以来この50年以上もアメリカで続いてきたことでもあって、産軍政複合体として私たちには強い既視感があるはずだ。
これらすべての流れを「正当化」するための(中国)脅威論というのが、この「仮想敵国」創出、安保法制策定の実像だと言いたい。
5 大日本帝国国防方針で振り返る仮想敵国の役割
大日本帝国国防方針改訂は「第一仮想敵国」を、こう替えていった。それまではロシアだけだったのを「ロシア、アメリカ、中国」と替えたのが、1918年6月。この3国対等から、新興経済大国・アメリカ筆頭となったのが1923年2月である。そして、29年の世界大恐慌を控えたこの直後には、以下のようなことが起こっていく。31年満州事変からアジア・太平洋戦争、もしくは41年の太平洋戦争に向かって、文字通り雪崩を打つ勢いだと、今改めて振り返ると唖然とする思いだ。問答無用・戦争まっしぐらの内外政治と言える。また、以下の出来事の中で現代との共通性がいかに多いか。それがまた、怖いと思う。
23年2月 帝国国防方針の第一仮想敵国が、ロシアを含んだ3国対等から、アメリカ単独になる。
25年1月 日ソ基本条約調印(北の憂いを無くして)
同年2月 治安維持法公布(国内反対派を抑える)
28年6月 張作霖爆破事件(満州への手始め)
31年9月 柳条湖事件、満州事変勃発
32年2月 満州国建国宣言
32年11月 国際連盟リットン調査団報告書審議開始
柳条湖事件を日本の自衛行動とは認めず、満州国建国を、自然な民族自決運動の産物とも認めなかったものである。
33年3月 帝国、国際連盟脱退の詔書発布
世界に対する問答無用の宣言とも言える。今アメリカが当時の日本のように国連をほぼ無視しており、イラク、シリア攻撃を国連の制止を振り切って有志国を募ってやって来た状況と酷似していないか。