保育園玄関出入り口を開けるとすぐの廊下に、今年入学予定で六歳のハーちゃんが早帰りの準備万端を整えて待ち構えていた。手早く靴を履きながら「ジジ、遅いねー!」、その全身が喜びを表しているから嬉しくなった。歯医者に行くための早迎えだと言ってあるのに。
娘夫婦は、我が家のすぐ近くに住まいを決めて、こんなふうにいろんな育児仕事に僕を引っ張り出してきた。0歳の時にもうそうだったし、単に育児仕事だけではなく、運動会とか「親子」キャンプなど女男二児の保育園行事にもどんどん。若い頃の僕が保育園参加も含めたイクメンの走りと娘自ら体験してきたからのことなのだが、パパだけでなく、まだ健在のババを差し置いたジジのこれだけのイクメンって、ちょっと珍しいはずだ。
イクメンと言う以上に教育パパならぬ教育ジジもやってきた。と言っても、まだこんな程度だが。自転車に乗れるようにしたり、運動会のための竹馬も僕が作って、僕も教えた。週一土曜日の水泳教室はほとんど、若いママやパパに混じって見学しに行きたくなるのだし、二か月に一度のその教室進級テストの一~二週前などは二人で市営プールに行って欠点を修正してやったりもする。そんな帰りの公園で運動会の前などは正しい走り方まで教えてきた。だからこそなのだと確信しているが、水泳は二五メートルがクロールできるクラスだし、運動会リレーではアンカーとしてクラス一バネの利いたダイナミックな速さを見せているなーと、教育ジジは目を細めていた。ただし僕にとっては、これらすべてが、我が子に日曜日などにやってきたことを繰り返しているに過ぎないのである。ハーちゃんが習っているピアノ・レッスンも、娘にしてきたようによく付き合っている。「小学校前教育は、何かスポーツと芸術一つずつ。それが一番」という教育方針も僕と娘夫婦で一致しているのである。もちろん、お婿さんもこれらを僕とともにやってきた。彼と僕が仲が良いのもこうして、ハーちゃんの御陰なのである。孫もカスガイということだろう。
「恋人同士みたいだね」。これは、去年白樺湖の大きな遊園地に出かけた時に娘夫婦が僕らにかけた言葉だ。ほぼ全ての遊び遊具目指して、僕と二人であちこち飛び回っていたその光景を評したもの。こんな時は、「ランナー現役を続けていて良かったー!」と自分ながらしみじみと思うのである。〈日々一緒に遊んできて教育ジジやってきたけど、恋人ねー……〉。
日曜日の午後、玄関のブザーが鳴る。パパが開けた扉の鍵音諸共、居間でビデオ・サッカーを観ている僕の膝めがけてハーちゃんが駆け込み、飛び込んでくる。こんなところも確かに、恋人みたいなのだ。膝の上のハーちゃんは時にお姫様抱っこの体勢も取るし、僕の首筋に両手を回したりもするから、大好きな「ごっこ遊び」であり、その恋人同士。ただ、CDがいっぱい揃えてあるディズニー・アニメの男女場面のごっこ遊びかも知れぬと気付いてからは、途方に暮れてしまうようになった。そう気付いたのは、こんな場面があった時だ。
四〇歳を超えた僕の息子と我が家で出くわしたときには、ハーちゃんの恋人役はたちまち彼に替わるのだ。僕に対してよりもかなりべたべたしている。アニメのごっこ遊びと思えばこの全部が理解できるのだが、ちょっと際どいこんな「遊び」がはて何歳まで続くのか。そう想いを馳せると、ちょっと寂しく、一種切ない気持ちになった。
娘夫婦は、我が家のすぐ近くに住まいを決めて、こんなふうにいろんな育児仕事に僕を引っ張り出してきた。0歳の時にもうそうだったし、単に育児仕事だけではなく、運動会とか「親子」キャンプなど女男二児の保育園行事にもどんどん。若い頃の僕が保育園参加も含めたイクメンの走りと娘自ら体験してきたからのことなのだが、パパだけでなく、まだ健在のババを差し置いたジジのこれだけのイクメンって、ちょっと珍しいはずだ。
イクメンと言う以上に教育パパならぬ教育ジジもやってきた。と言っても、まだこんな程度だが。自転車に乗れるようにしたり、運動会のための竹馬も僕が作って、僕も教えた。週一土曜日の水泳教室はほとんど、若いママやパパに混じって見学しに行きたくなるのだし、二か月に一度のその教室進級テストの一~二週前などは二人で市営プールに行って欠点を修正してやったりもする。そんな帰りの公園で運動会の前などは正しい走り方まで教えてきた。だからこそなのだと確信しているが、水泳は二五メートルがクロールできるクラスだし、運動会リレーではアンカーとしてクラス一バネの利いたダイナミックな速さを見せているなーと、教育ジジは目を細めていた。ただし僕にとっては、これらすべてが、我が子に日曜日などにやってきたことを繰り返しているに過ぎないのである。ハーちゃんが習っているピアノ・レッスンも、娘にしてきたようによく付き合っている。「小学校前教育は、何かスポーツと芸術一つずつ。それが一番」という教育方針も僕と娘夫婦で一致しているのである。もちろん、お婿さんもこれらを僕とともにやってきた。彼と僕が仲が良いのもこうして、ハーちゃんの御陰なのである。孫もカスガイということだろう。
「恋人同士みたいだね」。これは、去年白樺湖の大きな遊園地に出かけた時に娘夫婦が僕らにかけた言葉だ。ほぼ全ての遊び遊具目指して、僕と二人であちこち飛び回っていたその光景を評したもの。こんな時は、「ランナー現役を続けていて良かったー!」と自分ながらしみじみと思うのである。〈日々一緒に遊んできて教育ジジやってきたけど、恋人ねー……〉。
日曜日の午後、玄関のブザーが鳴る。パパが開けた扉の鍵音諸共、居間でビデオ・サッカーを観ている僕の膝めがけてハーちゃんが駆け込み、飛び込んでくる。こんなところも確かに、恋人みたいなのだ。膝の上のハーちゃんは時にお姫様抱っこの体勢も取るし、僕の首筋に両手を回したりもするから、大好きな「ごっこ遊び」であり、その恋人同士。ただ、CDがいっぱい揃えてあるディズニー・アニメの男女場面のごっこ遊びかも知れぬと気付いてからは、途方に暮れてしまうようになった。そう気付いたのは、こんな場面があった時だ。
四〇歳を超えた僕の息子と我が家で出くわしたときには、ハーちゃんの恋人役はたちまち彼に替わるのだ。僕に対してよりもかなりべたべたしている。アニメのごっこ遊びと思えばこの全部が理解できるのだが、ちょっと際どいこんな「遊び」がはて何歳まで続くのか。そう想いを馳せると、ちょっと寂しく、一種切ない気持ちになった。