九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

和人さん 大賛成です。   ( おたまじゃくしちゃん )

2005年11月29日 02時24分31秒 | Weblog
和人さん その通りなのです。
 私の友達にも「護る君」がいますが、いつも こう言います。「この憲法のおかげで軍事費が抑えられ戦後の復興があった。・・・おかげでこれ位の軍拡で済んでいる。・・・おかげでサマワで死人が出ない。etc」と
 つまり、護憲が軍事力の抑止力になっているから必要だと言うのです。おかしい
ですよね。
 護憲派は憲法の完全実行、自衛力の廃絶しか評価しないはずではないですか。しかし、現実に目をやれば、今や日本国民は守らねばならぬ豊かさの中に生きています。だから、自衛隊は必要なのです。安保で護らせ、最小限の自衛力でしたたかに豊かになったのです。護憲は、今では「護憲のおかげ」でとしか言えないのです。

 護憲派の人達に言いたい。戦後の一時期だけでなく、あなたたちは声高に言い続けるべきだ。①安全保障条約の即時破棄! ②自衛隊の即時解散! それが 筋でしょう。
やってごらんなさい。 国民に支持してもらえる勇気がありますか。
 庶民はしたたかに生きなくては。
                 僕は もうじきカエルだ!!

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌いたくない歌を?

2005年11月27日 22時27分11秒 | Weblog
歌いたくない歌を歌わないために・・。それが憲法九条を守るのですか?理解不能です。
とにかく答えて欲しいのは、憲法九条を改正反対というのは、今の自衛隊の存在を認めるのですか。認めないのですか?絶対的な平和主義なら改正反対ではなく、廃止し自衛隊を解散というのが筋ではないでしょうか。あるいは日米同盟を即刻破棄すべきではないのでしょうか。アルイハイラクかクエートヘでも行って、それこそ自衛隊員に帰国せよと叫んだりビラ撒いたりしたらどうですか。また、シナや北朝鮮にも、軍備拡張や核兵器破棄を要求したらどうですか。
何と言うか、結局、「守る」さんは、混乱していませんか?九条廃止、戦力保持廃止をいうべきではないのですか。国家の自衛権もいらないというべきなんです。
和人としては、一体何を主張したら良いのかわからないのです。日本が行なった歴史上の対外戦争のどこを認め、どこを認めないのでしょうか。とにかくどんな理由にせよ戦争は駄目なんでしょうか。どうもここがはっきりしないと、明治以降の歴史を語る手が止まるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び歌いたくない歌

2005年11月26日 00時26分11秒 | Weblog
 戦争の足音                  (昭和万葉集より)

   はじめより憂鬱なる時代に生きたりしかば
        然かも感じずといふ人のわれよりも若き   土岐善麿

   大陸主義民族主義語調よかりき
        呆然として昨夜は聞ききたり        土屋文明

   晩き夕餉をへてよみやる子の本に
        戦ひの絵の多きにおどろく         福田栄一
 
   雪道をわれのいそげる夜明け前
        ゑみつつ友は引かれゆきたり        松坂二郎

   新聞の戦争記事は日をつぎて
        大き活字の数ましにけり          竹内 獏

   声をとし話来る人はすぎゆけり
        灯火のなき街の暗さよ           安永信一郎

   満州に新国興れども幾千の
        尊き犠牲思ひみるべし           吉川常治
                     

   
  ※ 続きの歌は、この投稿の「コメント欄」に載せていきます。

  

   
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続き、和人より

2005年11月22日 21時13分02秒 | Weblog
まだ明治は始ったばかりです。でも国家としては、国民と国境を定めないといけません。1875年に、ロシアと千島と樺太を交換して北の国境を確定します。続いて台湾も清との交渉(かってに侵略したのではありません)をして、また琉球もと、これで南の国境が確定します。さて問題は、朝鮮半島の李氏朝鮮でした。ロシアはひたひたと満州方面への侵略が始り出します。そこから朝鮮半島への野心が見えてきます。それが征韓論の始まりですね。
アメリカも19世紀終末の頃、ハワイも併合し、フィリピンをメキシコから取ります。
そして1899年シナへの門戸開放を宣言します。とうとうこの極東に新興の帝国主義者であるアメリカと旧の帝国主義国が揃い踏みしたわけです。それが日清戦争(ただし三国干渉あり)を終えた日本の近隣というか状況だったのです。シナ・満州を何処が、朝鮮を何処が、ついでに日本もどうかと・・。そして20世紀、イギリスは、ボーア戦争に追われています。ロシアの満州・朝鮮への侵略の意図はありありとしてきました。英国もご存知のように、ロシアの南下防止政策は、地中海、インド洋などは抑えてきましたが、この朝鮮・満州・シナへのロシアへの進出を抑えないといけません。それが、日清戦争で勝った日本を同盟国に選んだ理由でしょう。二つの国の国益が合致したのです。所で満州は漢族の国ではなく台湾同様に化外の地であり、満州族である清の故郷でしたし、清は満州へ漢人を入れないようにしてきました。満州は、当時、がら空きで誰が収奪しても良い地と言って良いでしょう。
いよいよ李氏朝鮮も国内が混乱し始めます。日本へついたりロシアへついたりと、民衆は貧困の極みにあり、統治力は、もう限界にきていました。ただ、ただ初めて日本の後押しで1897年大韓帝国として、シナ帝国の長い長い服属国の位置から独立します。
そして、いよいよ日露戦争へと。今年は、日露戦争戦勝100年でした。
やっとこれで日本は、欧米に、やっと国家(近代)として認められるのです。これまでの道には明治維新での内戦による犠牲者、日清戦争・日露戦争による犠牲者によって達成されるのです。当時、戦争は嫌いですなんて言っていましたら、この国は、列強の植民地というか、悪くとも列強に分割統治されていたでしょう。
日露戦争勝利の結果、日韓併合は、必然として生まれたものです。これは当時、国際的に十分認められたものです。非難した国はありません。そして起きてきたのがアメリカ各地でのシナ人移民の禁止とか日本人移民への排斥運動の激化です。これは、洲でやっている間はまだ良かったのですが、連邦として制限と排斥をし始める、何故、東洋人(有色人)は駄目なのかという人種差別の様相になってくるのです。確かに、日本人とし考えるなら、アフリカ・アジア・南米などの殆どが植民地になって収奪されているということに、同じ有色人としての憤りを持ったことは、極めて、倫理性の高いものでした。なお欧米はの植民地と日本の朝鮮・台湾統治とを同じものと、見ない方がいいです。これは是非、当時の統治状態を書いた本が、幾らでもありますから読んで見て下さい。ではここまでで。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和人・・の続き

2005年11月22日 14時14分58秒 | Weblog
ご存知のように、ペーリーが来るのは、幕府はオランダを通じて事前に知っていました。
でも国論は割れます。朝鮮のように、攘夷思想も幕府にも、またとりわけ朝廷に根強くありましたから・・。いろいろありましたが、幕府は遣欧使節団を出すど、欧州の実情調査やパリ万博にみ出典します。昔から、日本はかたくなではないのです。
当時のアジアはご存知ですね、イギリス・フランス・オランダ食い散らされていました。
ロシアも南下政策の一貫として。満州へ。もうこんなのは、教科書ですから辞めますが、この東アジアが西欧・ロシア・アメリカの最後の植民地獲得の地域だったのです。
そのことに一番敏感に反応したのが日本だったわけです。
戊辰戦争という政権交代による内戦がありましたが、その犠牲者は他国の革命などと異なって、大した死者ではありません。しかも官軍などが徹底的に幕府側を殺戮もせず、明治新政府でも幕府側の人材を当用していきます。明治天皇の発布した「五箇条のご誓文」は海外からも高く評価されたものです。はっきりいって江戸時代に、すでに日本は近代化というか資本主義の精神や制度をもっていましたから、かつ資本を各地で蓄積していましたし、各藩は経済的な自立の為に、それぞれが工業・陶業・栽培など、産業革命の下地さえ出来ていまし。将軍は、象徴であって話し合いで統治と行なっていましたから、議会制度にもそう抵抗がなかったのでしょう。ただ軍事力については、さすが欧米にはかないませんから、富国強兵は当然の国家政策です。かつ国境を定めないといけないし、米収入から税金収入へなど、いわば中央集権体制が急がれました。廃藩置県・排刀令・身分差の廃止など矢継ぎ早です。凄いのは、明治4年11月12日には、国内情勢が落ち着いていたわけではないのですが、例の岩倉欧米への全権団を出します。107人です。その中には津田梅子8歳も入っています。要は、近代化を急ぐという認識というか危機感が、この日本に充満してたのでしょう。廃藩置県を行なったのが、その年7月です。しかも政府の首脳の殆どが出払ってしまうのです。この時の派遣メンバにも前幕府の役人・あるいは商人も参加しています。実力主義です。こいうことが出来る国がアジアの何処にあったでしょうか。
これが李氏朝鮮も清もできない、しない、それどころか内紛・陰謀・敵国への内通などと、とんでもない状態なんです。その隣国の状態を憂え、国家存亡の危機感を持ったのが明治日本なんです。また。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和人の平和ボケは、歴史的なんです。

2005年11月20日 23時33分43秒 | Weblog
憲法といわれる有名なのが、聖徳太子の17条憲法ですね。この17条(日本書紀)を作ったの聖徳太子かどうかわからないのですが、まあこれを読んでも、軍事のことは何処にも書いてありません。でも紀元前4世頃に神功皇后の高句麗遠征があります。これが日本の初めての半島への武力進出の始めでしょう。これでも何も自らが行ったのではなく、朝鮮の百済救援というものでした。また百済の要請で唐と新羅の連合軍と戦って、白村江の戦いで負けてしまって、びっくりして大津天智天皇は都を持っていってしまいます。思っても見て下さい、紀元前からエジプト王朝・ギリシャ・ローマ帝国・シナ大陸では、戦争というか侵略のしあっこの歴史です。そして平安時代には、穢れというのを畏れて死刑制度はなくなるのです。
とにかく日本は、まあ概ね国内の国家統一の為の戦争です。基本的に外国との戦争は、仕掛けられたモンゴル・高麗・南宋連合軍(正確にいうと朝鮮やシナが初めて日本に攻めてきたのです。)との戦いしかないのです。それから340年位たってから、やっと豊臣秀吉の朝鮮侵略が始ります。でもあれも結果、明と李氏朝鮮との連合軍に負けてしまいます。長い長い平和な江戸時代を迎えます。その間に、正確にいうと、16世後半からポルトガル・スペインなどの西欧の侵略が始り、植民地の争奪戦が始ります。カソリックもそれに加担します。日本の西(イギリス・オランダ・フランス)から東(アメリカ)から極東へやってきたのです。北からはロシアが・・。
明治維新前後はまさに東アジアは危機的な状況に置かれていました。その危機を敏感に感じたのが、幕府であり、薩摩・長州・土佐藩の武士であり、豪農・豪商などほぼ全国民がその危機感を持ったのです。でもぼーっとしていたのが清であり、李氏朝鮮だったのです。是非せめてこの明治維新までの世界の歴史を(推薦吉川弘文館の世界史年表・地図)眺めて下さい。さあ明治維新が始ります。白人列強への有色人の日本の孤独な戦いが始まります。(続く)



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史年表と「ゆでがえる」             まもる

2005年11月18日 12時16分52秒 | Weblog
 このブログのコメントを読んでいて、確かめたい事があり、久しぶりに「日本史年表」を眺めました。
 1900年から1910年にかけての10年間だけを眺めてみても、日露戦争から韓国併合へと歴史は急速に展開しています。この頃人々は戦勝気分の中で大国の国民として満足していたのかもしれません。その頃わたしが青年なら日の丸を振り提灯行列に酔いしれたかもしれません。しかし、この後年表の一行一行にあの日への臭いが濃くなっていきます。
 止めようの無い歴史の奔流に巻き込まれていきます。しかし人々はその一日一日を笑い、泣きながら一見何事もなく過ごしていたかもしれません。
 最近「ユデガエル」という言葉を知りました。「茹で蛙」と書くらしく、意味は茹で釜に入れられた蛙は元気に泳ぎ、だんだんお湯になり茹でられていっても、ゆるやかな変化に気づかず、そのまま死んでしまうと言う事らしく教訓に富んではいます。
 戦後の年表を見るとき、六十年間、日本が直接関わった戦争は見当たりません。政治・外交面ではゆるやかな変化の中に推移したように見えます。それは何故か。
 急速な変化を押し止める国民の平和志向があったからでしょう。
 しかし、急速に年表が書かれ始める予感がします。
 再び我々が「ゆでがえる」にならないように日々動く歴史を見据え行動したいものです。           
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「憲法・川柳」練習板            ゴングQ          

2005年11月13日 00時11分12秒 | Weblog
 川柳を始めました。 俳句よりは簡単だろうと思ったのが大間違い。才能の無さを思い知らされています。憲法なんぞを論ずる皆様はさぞ川柳センスが豊富と見受けました。
 そこで 下記の川柳を一句でも完成させて、コメントください。

   いつの間に ○○〇〇〇○○ 自衛隊

   改憲も護憲も言わぬ ○○○○○

   改憲し○○○○○○○ ○○○かな

   護憲して○○○○○○○ ○○○かな

首を長くしてお待ちしております。

   また 皆様のエスプリのきいた独自の「憲法川柳」ご披露ください。


                    
                     
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想なき「かえる」へ まもる拝

2005年11月10日 01時34分03秒 | Weblog
 なかなかのご挨拶恐縮です。
 君は現実・現実と言うが、誰が今のような危険極まりない金食い虫の自衛隊に肥大化させたのかね。君の信頼するアメリカ? 君の賞賛する戦後の驚異的な復興の立役者・大企業? 無理やり無理無体な拡大解釈で九条を捻じ曲げ、都合よく九条を利用したのは誰だろうね。ぎりぎりまで九条を利用して、誤魔化しきれずに、選挙の予想外の大勝で絶好のチャンスとばかり改憲に血の道上げ始めたのが現実だろう。「現実」なるものは、自民党が作り上げたもので、それに何故 崇高なる日本国憲法を合わせなきゃならんのだ。
 理想無き現実羅列の憲法なんか、憲法ではない。 憲法は理念。法律は現実。
そう有るべきでしょう。
                   
コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしき「まもる君」へ 友情かわらぬ「カエル」より一言

2005年11月09日 23時29分48秒 | Weblog
 まもる君。久しぶりのクラス会とても楽しかったな。君は相変わらずで驚いたよ
学生の頃とソックリだ。悪く言えば進歩無しだぞ。
 特に「護憲・九条まもれ!」の演説には辟易したぜ。
 
 現実をよく見てみろよ。中国・韓国とりわけ北朝鮮の脅威をどうかんがえるのかね。今の自衛隊でも日本は守り切れんぜ。そんな自衛隊さえ認めないの?
 確かに自衛隊は君の言うとおり違憲だよ。だったら合憲の存在にしようじゃないの「戦争は仕掛けません、しかし 攻めて来たら戦いますよ。」こんな当り前のことが、何故いけないの??
 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする