3・11以降、どこかぎこちなく、落ち着かない苛立ちの中で、饒舌になった。
饒舌になって失ったのは「言葉」!
今日の新聞・テレビは、相変わらず「がんばろう ニッポン」と叫んでいる。
この叫びに相変わらず私は落ち着かないが、その私と同じ思いの人と新聞歌壇で出会った。
“「がんばろう」「がんばります」の乱用に 苦々しくてテレビを切りぬ”宮沢昂
“「ガンバレヨ」「ハイ、ガンバリマス」と誰も彼も いつでもどこでこ鳥語は寒し” 林成一郎
このフレーズは、なぜ寒いのだろう。
先ずは空疎だからなのだろう。空疎とは中味がないからであり、中味がないのは主体がないからなのだろう。
「がんばろう」とか「がんばれ」は高見からの発語であり、そうした観客席からのかけ声は、
〈安易に希望を語る〉こと多く、〈容易に歴史を忘却させる〉ことしばしばである。
こうした安易で容易なお喋りを許すまじ、とするのは、
「胸元を突き上げてきて声になる」といった発語(言葉)なのだろう。
しかしそうした「言葉」をなかなか生み出せない私は、当分は自己嫌悪甚だしい「饒舌」をくりだすしかないが、その場合、これはまだ饒舌の域を出ない、という自覚だけは、持ち続けたいと思う。
それにしても、歴史はいま瀬戸際に……。
饒舌になって失ったのは「言葉」!
今日の新聞・テレビは、相変わらず「がんばろう ニッポン」と叫んでいる。
この叫びに相変わらず私は落ち着かないが、その私と同じ思いの人と新聞歌壇で出会った。
“「がんばろう」「がんばります」の乱用に 苦々しくてテレビを切りぬ”宮沢昂
“「ガンバレヨ」「ハイ、ガンバリマス」と誰も彼も いつでもどこでこ鳥語は寒し” 林成一郎
このフレーズは、なぜ寒いのだろう。
先ずは空疎だからなのだろう。空疎とは中味がないからであり、中味がないのは主体がないからなのだろう。
「がんばろう」とか「がんばれ」は高見からの発語であり、そうした観客席からのかけ声は、
〈安易に希望を語る〉こと多く、〈容易に歴史を忘却させる〉ことしばしばである。
こうした安易で容易なお喋りを許すまじ、とするのは、
「胸元を突き上げてきて声になる」といった発語(言葉)なのだろう。
しかしそうした「言葉」をなかなか生み出せない私は、当分は自己嫌悪甚だしい「饒舌」をくりだすしかないが、その場合、これはまだ饒舌の域を出ない、という自覚だけは、持ち続けたいと思う。
それにしても、歴史はいま瀬戸際に……。