九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「よたよたランナーの手記」(119) お恥ずかしい飲み過ぎ?  文科系

2015年05月31日 16時19分52秒 | 文芸作品
 前回書いたのは5月12日で、ずいぶん日数がたった。その後もジム走り4日に加えて、外走りとロードレーサーとを各1日と楽しんできた。暑くなったので無理をせず、ゆっくりと長距離を走っている。ジム走りはすべて1時間を超えて、90分で13キロとか、70分で10キロ近くとかのLSDである。調子は可もなく不可も無し。

 話は違うが、ちょっと肝臓か胃を痛めたらしい。来週医者に行ってくる積もりだが、この4日間は走るのも控えている。5月14日から壱岐・対馬へ旅して、それ以降も含めて美味しい麦焼酎を少々飲み過ぎ、それに夏風邪が重なったようだ。毎年受けている市の無料特定健康診断で肝臓関係の数字も押さえているので、たいした心配はないと思う。ガンマーGTPという数字がやや高く、去年は47あった。この数字も医者が進める正常値に40以内と51未満とがあるようで、ちょっと迷ってしまう。GOTとGPTは正常値以内である。

 ただ、こんな時に限って飲む機会が重なってしまった。28日が高校同期有志の定期的飲み会。31日が僕の誕生祝い家族会食会。5日には、音楽関係の新しい仲間4人の会食会だ。今日と5日は、飲む前にしっかりタンパク質をとって、それからワイン1杯か、せいぜい2杯程度にとどめておくつもりでいる。28日もかなり抑えたのだが、抑え足りなかったかと反省しつつ、あわてて2日禁酒日を持ったという体たらくだった。

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「翁長さん、国策捜査・逮捕に気をつけて!」  文科系

2015年05月30日 03時13分38秒 | 国内政治・経済・社会問題
 週刊朝日6月5日号に表記のような記事が載った。06年に起こった「収賄額ゼロの賄賂逮捕事件」の被害者、佐藤栄佐久・元福島県知事が語った言葉だ。その記事を阿修羅掲示板から紹介する。

『 佐藤栄佐久元福島県知事「国策捜査に気をつけて!」 週刊朝日  2015年6月5日号

 一部週刊誌では早くも翁長雄志(おながたけし)知事(64)へのバッシングが始まっている。これは“国策”に反発して政府・与党と対決する知事の宿命ともいえる。かつて国の原発政策に異論を唱えた佐藤栄佐久元福島県知事(75)は、2006年に身に覚えのない談合疑惑の追及を受けて辞職後、逮捕された。その佐藤氏が、翁長知事を支援するために立ち上がった。自身の思いをこう語る。

*  *  *
 私と一緒に逮捕された弟は、取り調べのときに検事にこう言われました。
「知事(佐藤氏のこと)は日本のためにならない。いずれ抹殺する」
 担当検事が、“国策”に反する政治家は許さないと認めたということです。

 1988年に知事に就任したときは、私は決して「反原発」ではありませんでした。むしろ推進する側だったといえます。
 それが変化したのは、就任から4カ月後の89年正月です。福島第二原発3号機で冷却水再循環ポンプが壊れ、30キロの部品が原子炉内に落ちる事故が起きました。
 ところが、東京電力から福島県や地元住民にそれが伝えられたのは1週間後。最も大切な関係者である地元住民は無視されたのです。この構造は、沖縄の基地問題と共通しています。

 原子力政策に疑問を抱いた私は、東京電力の隠ぺい体質を批判し、情報公開を求めて国に異議を申し立てました。政府や自民党議員とも激しくやりあい、「闘う知事」と呼ばれたこともあります。
 談合疑惑を受けたのは5期18年目の06年。ある建設会社が、弟が経営する会社の土地を買ったことが、公共事業を受注するための見返りだったというのです。逮捕容疑に身に覚えはありませんでした。
 結果として裁判で認定された収賄額はゼロ円でしたが、12年に懲役2年、執行猶予4年の有罪となりました。前代未聞の事件でした。

 いま、「辺野古新基地建設」という国策に対峙している翁長知事にも、同じことが起こらないとは言い切れません。そのことを心配しています。

 私が住む郡山市では、保守・革新のイデオロギーを超えて、辺野古新基地建設阻止を訴える「沖縄・福島連帯する郡山の会」が発足し、私も相談役に就任しました。沖縄県民だけでなく、多くの日本人が翁長知事の行動に注目すれば、不当な圧力を防ぐことにつながります。みなさんで翁長知事を守ってほしい。それが私の願いです。

(本誌・西岡千史)』
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琉球新報より    らくせき

2015年05月29日 09時03分56秒 | Weblog
訪米中の翁長雄志知事は27日(日本時間28日)、ハワイに到着した。翁長知事は同日、同州選出で米上下院の軍事委員会所属議員2人と会談し、名護市辺野古の新基地を「絶対に造らせない」と伝えた上で、計画見直しに協力を求めた。会談したヒロノ上院議員は「ハワイにも基地はあるが、力ずくで造ることはない。日本政府は沖縄の意見を聞くべきだ」と述べた。ガバッド下院議員は「(新基地が)できない場合に日米両政府と沖縄で妥協点を探る必要がある。次は提案を持ってきてほしい」と話した。知事は「まずは作業を止め、話し合う場をつくってほしい」と協力を求めた。

 ヒロノ氏は翁長知事の説明に「理解した」と同調したが「沖縄はもっと日本政府に訴えるべきだ」と述べ、基本的に新基地建設は日本の国内問題だとの認識を示した。

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随筆紹介 「家族葬」   文科系

2015年05月27日 17時32分25秒 | 文芸作品
 家族葬   H.Tさんの作品

私は、名古屋市東部に四十数年前に作られた集合住宅に住んでいる。靜かで日当たりもよく満足しているが、耐用年数を過ぎ、壁は色褪せて、痛んだ台所や風呂の修理も大変である。それでも、住人の変化も少なく、鍵一つで外出できたりして、”住めば都”と過ごしている。入居した頃は子どもの声もよく聞こえたが、今ではそれぞれに老い、静かに暮らしている。
 団地で不幸があると、葬儀場も今のようになかったから、団地の集会室でみんなして送った。それぞれの棟の入り口横にあるボード板に“○号室○○さんがご逝去されました”という書き出しで、集会室での葬儀日程が書いてあり、みんなして手伝い、送ったものだ。それがいつの頃からか、家族葬という言葉を知るようになってから様子が一変した。ボード版に不幸の知らせを見ることがなくなった。個人情報とか個人責任という言葉も聞くようになり、いろんなことが大きく変わった。
「団地の子ども会の世話をして下さっていたKさん、この頃お顔を……」
「御存じなかったの。……か月前に亡くなられました。ご家族だけで、家族葬で送られたそうです」
こう言われて、驚いた。

 “家族葬”。今は、知らない人も、それを驚く人もいない。昔は、村八分と言って、お付き合いはなくても、火事と葬式だけは村の人たちが助け合ったというのに。集会室もこのために使われる事はなく、病院で亡くなると住み馴れた家にも帰らず葬儀場へ。そこには家族葬の小部屋まであるのだそうだ。
 でも今は人の生き方もそれぞれ、ひとり暮らしの人も多い。私もそのひとりだ。幸い保険制度も充実している私たちの国。ひとりでも、自分なりに生きていくことはできる。
 でも死んだあとは、自分ではどうにもならないこともある。数年前、団地の中でひとり暮らしの老人が亡くなり、家族とも絶縁で、市の福祉課の方と団地の方が……という事を聞いた。

 死は、生まれた時と同じで、自分では何も全く分からないという。それは大きな恵みではないかと思っているけど、身体は氷のように溶けて消滅したりはしないから、困る。
 “あとは野となれ。山となれ”
 “生きているうちが大事。精いっぱい”
 そう口にしたり書いたりしている私も、野にも山にもなれない。静かに消え去りたい。これだけの願いも、どうにもならない。

 県内の医学部六大学で、死後献体という名で利用して貰えることを知った数年前、手続きを済ませた。医学の勉強のために役立てていただくということで、行く先ももう決まっている。月々の会報が送られ、野となれ山となれも一安心している。
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中央日報より     らくせき

2015年05月26日 19時09分16秒 | Weblog
こんなコラムを掲載していました。

韓国と日本の関係が日増しに悪化している。両国関係はなかなか改善される兆しが見られない。歴史認識など両国が抱えている問題はすぐに解決するのが容易でないためだ。こうした状況は基本的に両国の政治指導者の認識の違いから発生するが、国民感情を刺激するメディアの役割も小さくない。

日本人として韓国メディアが報道する日本関連ニュースに接する時にたびたびいぶかしさを感じることになる。以前に日本の人工衛星打ち上げと関連して韓国メディアは「日本の人工衛星がミサイルに転用されかねない」という点を強調した。人工衛星を軍事力膨張や戦争と結びつけようとする意図がうかがえるものだ。日本国内で軍国主義を主張する極右勢力は確かに存在する。しかし多くの国民は軍事力増強や戦争を望まない。日本政府がこうした方向に進む場合、これを支持する国民がほとんどいないという点は明らかだ。

日本国内の「嫌韓デモ」関連の報道もこうした脈絡で解釈することができる。嫌韓デモがあるのは事実だが、相当数の日本人はこれを恥ずかしいと考えているということを韓国メディアは見逃している。まるで嫌韓デモが懸念すべき水準で発生しているような報道を送り出している。日本の知識人と一般人は嫌韓デモを非難する。だが、これと関連した報道は相対的に少ないため韓国人は日本に対し誤解しやすい。

日本メディアの態度も大きく異ならない。韓国内の「反日デモ」と関連し、歪曲と誇張報道に明け暮れる。極端な反日の人たちの過激な行動をそのまま伝える。これにより日本人と韓国人の互いに対する感情はますます悪化している。私もやはり韓国に対し正しく知る前にはこうした報道によって漠然とした恐れを持ったのは事実だ。留学のために韓国に住み感じたことは非常に平和で安全な社会ということだ。現在両国メディアのスタイルはほとんどテレビ番組『世の中にこんなことが』に出てくる水準だ。ごく少数のとても特別なケースを一般化してはいけない。私は日本を訪問するたびに親切な韓国人と平和な韓国社会に対し多くの話を聞かせている。だが、依然として「韓国は危険なところだから早く勉強を終えて帰国しなさい」と忠告する知人がいる。歪曲されたマスコミの報道が両国民の誤解の谷間をさらに深くさせているようで苦々しい。

メディアは社会の監視者として大きな影響力を持っている。特にインターネットの発達は一般の人たちにもメディアに直接参加する幅をさらに広げた。歪曲されたマスコミの報道はインターネットを通じ急速に広がりその歪曲のレベルを深める。ブレーキのない自動車のように制御できず盲目的に走ることになる。こうした場合結局韓日両国の対立は「チキンゲーム」へと突き進むことになるかもしれない。こうした破局を防ぐためにはまず両国メディアの正しい報道姿勢が先行しなければならない。事実に基づいた報道ではない国民感情に訴える報道は止揚されなければならない。韓日両国のメディアは本来の役割と姿勢を改めて反芻しなければならない時だ。

安藤純子国民大大学院国際地域学科博士課程
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随筆 「今時の共働き仲間たち」   文科系

2015年05月24日 21時18分04秒 | 文芸作品
 僕の正面二〇メートルほどにある大型滑り台には、四人ほどの子ども。赤青黄色など何本もの滑り台が付いている二つの塔を吊り橋で繋いだ大きな遊具だ。その上をあちこち行き交っているのだが、速い子、所によりおそるおそるに近い子と様々であるのに思わず目を細めたりしていた。一人の男性が、その場面のあちこちをカメラで撮ってまわっているのが見える。その向こう二十メートルほどに、今まさに高速で回っている黄色くて丸いジャングルジム。大人の男性二人を上の方に乗せて、子どもたちだけでジムの同一円周上を汗水垂らして走り回っている真っ最中である。

 四~五歳ほどが主体と思われる子どもが十人近くと、父親四人。その内の一人はベンチに座って、赤ん坊にお茶を飲ませている。街中のちょっとした公園、五月のある日曜日昼のこの光景を僕は今、全体が見渡せるベンチから眺めている。さっきから何度も微笑みが浮かび、心が温かくなっていた。僕の孫娘、ハーちゃんの保育園同級生とそのお父さんたちなのである。先程までハーちゃんの家でこの全員でハーちゃんパパが作った焼きそばの昼食を平らげ、好きなお父さんたちは缶ビールを一本ずつほど干しあって、ここに遊びに来てからでもほぼ二時間近くになる。お母さんたちはといえば、今日はイタリアンランチの昼食会で、あるトラットーリアに出かけている。今頃はきっと、お喋りも大詰めでさぞ盛り上がっていることだろう。お父さんの何人かと僕が子守を引き受けたから成立した企画であって、こと更にイクメンなどと連呼される今の日本だが、こんな光景は昔からあるところにはあったと僕はよく知っている。ある種の保育園では年中行事になっているとでも言えるように。

 ここにやってきてからでも二時間は経って十五時に近くなった頃、公園の一角がにわかに賑やかになった。大型のワゴン車二台が到着して、車から続々と出て来た十人を越える若いママたち。それぞれおしゃれした姿は最近の流行なのか黒を基調とした中でも、人によって色とりどりで眩しく、またまた微笑ましく眺めることになった。子どもたちが一斉にそこに駆け付けていく。大急ぎの子、ゆっくりの子と、様々であるのに、又目が細くなっていた。

 さて、僕はここまでで家に帰ったのだが、その後も娘の家で有志によるパーティーが続いていたようだ。今度は父母合同だったのだろう。家に帰ってかなり経ってから、こんな電話があったから分かったことだ。電話に出たらいきなり「ハッピーバースデー・トゥー・ユウ」の混声合唱が聞こえる。暫くして娘の声で「まだみんなでやってるよ! おめでとう!」。僕はすっかり忘れていたのだが、この日は僕の七十四歳の誕生日だった。
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「東海放送人九条の会のホームページから」

2015年05月23日 19時29分23秒 | Weblog
<ものみやぐら>「ポツダム宣言を詳しく読んでいない」でどんな70年談話を出そうとしているのか

2015.5.22 代表委員 大西 五郎

20日に衆議院で党首討論が行われ、20日夜のテレビ・ニュースで、21日の新聞朝刊で詳しく報道されました。
民主党の岡田代表、維新の党の松野新代表、共産党の志位委員長が安全保障関連法について日本が戦争をすることになるのではないかなどと首相の見解を質しました。政府が国会に提出した「国際平和支援法」や武力攻撃事態法やPKO協力法、自衛隊法など10本の法律の改正を一まとめにした「平和安全法制整備法案」では自衛隊が戦闘に参加する危険がある問題などが指摘されました。首相は「戦争に巻き込まれることは絶対にない」と云いましたが、首相の発言に「具体的な裏付けはなく」(中日新聞)「リスクを語らず」(毎日新聞)、「質問に正面から答えず」(読売新聞)、「不誠実な首相の答弁」(朝日新聞)でした。
共産党の志位委員長が「戦後70年の節目の年に、日本が歴史認識にどういう基本姿勢を取るかは非常に重大な問題だ。過去の日本の戦争は、間違った戦争だったという認識はあるか」と質しました。これに対して安倍首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない。不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間、平和国家としての歩みを進めてきた。その思いに変わりはない。村山談話、小泉談話など政府の談話を全体として受け継いでいく。」と答えましたが、「間違った戦争であったのかどうか」には触れようとしませんでした。
そこで志位氏がさらに「戦後の日本はポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争を世界征服のための戦争で侵略だったと判定している。」と指摘すると、安倍首相は驚いたことに「ポツダム宣言のその部分をつまびらかに読んでいないので、論評は差し控えたい。」と云いました。
“つまびらか”は「詳しいさま、事こまかなさま」(広辞苑)という意味ですが、ポツダム宣言は何も何ページにも亘る膨大な文書ではなく、後に示すように外務省が邦訳した文書で43字40行です。しかも安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えていますが、安倍首相が“敵意”を燃やす戦後の政治・社会体制はポツダム宣言から始まっているのです。安倍首相が「つまびらかに」とはいえ読まなかったはずはないと思います。宣言の内容を認めたくないのでそのように答えたのでしょう。
安倍首相は「間違った戦争だった(国策を誤り)」「侵略戦争だった」とは認めたくないようです。
だから、「不戦の誓い」とか、「平和国家として過ごしてきた」というように、問題を摩り替えて、国会での質問に答弁しています。
朝日新聞が「70年目の首相」というシリーズ企画をスタートさせました。「首相をかたちづくった思想やその背景を探る」企画ですが、安倍首相が尊敬する祖父の岸信介元首相は「あの戦争は欧米にとりかこまれた日本が自立、自尊するための戦争で、侵略戦争ではない」と主張していました。その影響を強く受けていると指摘しています。70年の首相談話ではどんな歴史認識を示すのでしょう。
それでは日本に無条件降伏を迫った「ポツダム宣言」とその中に出てくる「カイロ宣言」の主要部分をご紹介しましょう。

ポツダム宣言 1945年7月26日 トルーマン米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中国主席が日本
に無条件降伏を求めた宣言。のちにスターリンソ連共産党書記長が加わる。
(抜粋)
四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国ニ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトンナカルヘシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ
得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤
ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマ
テハ聨合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保ス
ルタメ占領セラルヘシ
八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国並ニ吾等ノ
決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ム
機会ヲ得シメラルヘシ
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモ
ノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加エラル
ヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活教科ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去
スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スル
コトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ
在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易
関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任
アル政府が樹立セラルルニ於テハ聨合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
十二、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス
(外務省編「日本外交年表並主要文書」より)
カイロ宣言 1943年12月1日 ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中国主席が対日要求を決めて宣言した。
第一次世界大戦以降に日本が獲得した太平洋の島々を剥奪する。
満州、台湾及び澎湖島のような中国から奪った一切の地域を中国に返還する。
朝鮮の自由・独立をもたらしめる
日本を無条件降伏させるために重大且つ長期の行動を続行する
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典型的な「歴史修正主義」  文科系

2015年05月23日 10時39分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
また、解説氏が愚にも付かない「歴史修正主義」見解をご披露してきたので、反論を加えたい。

『1日本式の謝罪? とドイツ式の謝罪? は両立しないというのが私の意見。両方をさらに推進・強化すべしというのが文科系の評価。「意見」の相違と対立があるのは当然だが、「事実」として、多くのアジアのリーダーたちが戦前戦中の日本の振る舞いをほめたたえていることに対しては、軽視した発言をするゴツゴウシュギ的な態度が許せない』

 最も被害を受けた中韓を除かなければ『戦前戦中の日本の振る舞いをほめたたえている』等とは到底言えないよね。つまり、右の方々は「褒め称えない国は向こうが悪い」と決めつけているだけだ。驚くようなご都合主義の論理である。こうしてつまり、どっちがご都合主義なのか。

  
『2「すべての人にヒトラー的志向がある」と述べたのが(は)私の最初のコメントだ(どうも誤読が多過ぎるので、三回ほど熟読してほしい)』

 何が誤読か。僕が述べていることを貴方がこれっぽっちも理解できないだけである。「ヒットラー的志向」に対して、僕は終始こう書き続けてきたが、これを踏まえた貴方の反論は1行もない。僕はこう書いたのだよ。
(権力とか支配とかへの)志向という「人間内面のもの」では人を非難したり、裁いたりはできない。そうできるのは人の行為についてだけである。それどころか、行為を見なければその「志向」が人間内部にあるかどうかさえあやふやなままのはずだ。
 人を裁く典型が裁判だが、まず「事実」、「行動」の認定を徹底し、それが終わって初めて動機、犯意、計画性、情状酌量など「内面」に入って行くのであって、その逆こそまさに見込み操作というもの。貴方のドイツ、ワイツゼッカーへの言い分はこれに近いと、僕は言い続けてきたのである。
 ドイツを「内面」で裁いて、日本の「行為」に1のように口を閉ざす人は、これまたご都合主義というしかないと述べてきた。


『3アジア、アフリカにおける白人、三百年の支配の歴史、中国が周辺国・地域に侵略を繰り返してきた歴史を不問に付すのはただの「連合国史観」である。さて、記事本文には「ワイツゼッカーの父のことは、ワイツゼッカーとは無関係です」と述べつつ、確か、「父の罪を背負っていくべきだ」といったような文科系氏のコメントがあったはずだが??』

 まずこのこと。「連合国史観」って、20世紀半ば以降のものでしょ。20世紀最初までは戦争違法に関わる国際法さえなかったのだ。つまり、それまでは戦争をしかけたって基本的に罪ではなく、道徳的悪ね。そういう歴史を何も知らないで、「300年の支配」の罪とかよく言うよ。
 これに対して、日本が朝鮮、満州、中国に仕掛けたのは朝鮮への初期の行動を除いては20世紀になってからのこと。道徳的悪の戦争が、国際法上の悪に既にとっくに変わっていたのね。満州事変以降はもう完全に国際法違反ばかりだ。そういう歴史や発想をあなたが何も知らないのは、上の文章で明らかである。
 こういう調子だと、こんなことさえも言えるよね。豊臣秀吉の朝鮮出兵を現在の国際法で裁いたら、やっぱり国際法違反の正真正銘の「侵略」だよね。と、こんなことを語ってなんになるの。
 以上はこういう条件付きの言い分であるとも、断っておく。勿論、今の法や道徳で過去を見るという視点があっても良い。が、それとは全く別の視点として、「当時の法で、当時の『悪』を判断しなければいけない」。8時間労働法がない時代に「10時間労働は悪である」と言える人は、先見の明がある人だけである。現在の道徳的悪のなかで、やがては法律で確実に禁止されるのはどんなことだろうって、君は考えた事があるか? そういう歴史を先取りするタイプの人は、歴史修正主義なんかには染まらないものだと、僕は考えている。
 なお、この3への以上の応えは内容上難しいものだから、理解するまでよく読んで欲しいと申し上げておく。
 なお、ワイツゼッカーの下りはあまりにも馬鹿馬鹿しく、応える気にならないが、一言。父の罪を子が背負う必要はないが、国家とか会社とかの責任は後継者が背負わねばならないのである。そうでない国家、会社など誰が信用するか。
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「通貨戦争」で「米欧5行に 罰金6800億円」     文科系

2015年05月22日 14時01分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 5月6日の拙稿『弱肉強食の「通貨戦争」、その実態』に関わって、耳寄りな話が載っていた。昨日の中日新聞夕刊3面下に小さな記事があって、見出しは「米欧5行に 罰金6800億円」とある。彼らの行動は常に秘密裏に行われて、なかなか表には出てこないから、こんな「御用!」の沙汰でもないかぎり見えてこないので興味深かった。今回のように「談合」まで行っていてさえ、儲けを大きくするためにいつも極秘裏に行動しているからである。

『【ワシントン=斉場保伸】米司法省などは二十日、外国為替市場で談合してレートを意図的に操作し、不正に利益を上げたとして、米欧の大手銀行五行に対し計五十七億ドル(約六千八百億円)の罰金を科すと発表した。
 対象となったのは米JPモルガン・チェース、シティグループ、英バークレーズ、RBS、スイスUBSの五行。このうち四行は、談合して為替操作したことについて有罪を認めることで米当局と合意したと明らかにした』
 なお、RBSは、ロイヤル・バンク・スコットランド。スイスUBSは、スイスのユニバーサル・バンクのこと。

 それにしても、凄い罰金だ。それも、前2社は自国の政府から掠め取るという荒っぽい遣り口である。それだけに極秘裏の行動に徹していたろうに、どんな操作をして、どうしてばれたのだろう。ドル高操作というよりも、値下げ・空売りの操作なのだろうなとか、空売りは特に憎まれるよなーとか、談合に参加していない一社はこういう動きをどこでどうやって嗅ぎ付けたのだろう、などなどと考え込んでいたものだ。ここらは、この問題の長年のウヲッチャーとしては、非常に興味がある。過去において、こういう経験が少なく、防御情報、知識も、適用法律さえない国家などは、イチコロでやられてきたのだろうなとと改めて思った次第だ。過去のこういうことの結果が何度もここに紹介してきたこれなのだとも噛み締めていた。

『実際、リーマン・ショックとほぼ同時期、2008年9月に発表されたIMF(国際通貨基金)の一調査によれば、1970年から2007年までの38年間に、208ヶ国で通貨危機が、124ヶ国で銀行危機が、63ヶ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません。第二次大戦後に限れば、金融危機は1970年以降の現象だったのです』(岩波ブックレット「金融危機は再びやってくる」伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授著)

 どこも外貨が欲しい現世界情勢における日米などの大国は、自国大金融が他国からこんなやり方で大金を稼いでくることについてなかなか取り締まりなどしないのだろうとか、小さな被害国がそもそも防御的取り締まりなどできるのか等々、そんなことも考えていたもの。世は確かに、弱肉強食、百鬼夜行である。いずれこういう事実の進展についても、人間的道義に合致した新たな国際規制法が設けられるだろうが、それまでは各国が取り締まるしかないわけだ。小さい国などはまだまだ、一金融の画策に対してさえ、どうしようもなかったのではないだろうか。つまり、IMFも述べているように、こういう搾取が既にされ尽くされたとも言いうるだろう。その国の社会インフラ整備費も含めて、世界現物経済などが疲弊し、世界の有効需要がそれだけ消えていったということだろう。第一次世界大戦までは国際的禁止法がないという意味で「合法」だった戦争とおなじように、今はまだ通貨戦争が一定合法なのである。経済を正しく考える目にも、30年ほど先を想像する力が必要だということだと思う。
 
 

 
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随筆紹介 「天候異変」   文科系

2015年05月22日 01時34分23秒 | 文芸作品
 天候異変   H.S さんの作品

 四月初め、長雨が続きいつになく寒い日の夕方。友人、裕美子が自家栽培のみかんを持ってきてくれた。デパートの大きな紙袋二つ分。それも満杯だ。
「わるいけど、助けてくれない」と遠慮がちに言う。
 毎年春先、裕美子から文旦、はるみ、八朔、デコボン等、何種類もの柑橘類のプレゼントを楽しみにして受け取り、種類別の味を満喫している私だ。
 市役所に勤めていた裕美子が、定年退職後、自宅の畑でミカン栽培をするようになった。作るのが楽しくて園芸は趣味だと割り切り、収穫したものは全部、知り合いに配っている。
 八十歳を過ぎた今も脚立にまたがり、高いところに実ったみかんも、平気で摘み取る技は、誰もがやれることではない。
 その元気と明るいのが取り柄だと、自他ともに認めている裕美子が、どうして、私に気兼ねするような発言をするのだろうと、訝った。
 裕美子は、袋から何個かのみかんを取り出し私の手ひらに乗せた。
「みかん、長雨でこんな汚い顔になっちゃった。毎年、味が良いと喜んでもらってくれた
人に、こんな屑みかん持ってくるなんて失礼だと言われ、落ち込んじゃった」と、情けない顔つきをして言葉を繋いだ。
「一年だけの事でしょう。来年は綺麗なミカンが収穫できるわよ。みかん大好きの私は面なんか気にしないわよ。沢山いただけてうれしいわ」と、つい本音が出た欲張りな私。
「事情をわかってくれる人に、少しでも食べていただきたいの。全部廃棄処分ではみかんに申し訳ないもの」と、裕美子が言う。

 収穫直前の天候異変。大雨や長雨の影響で農作物が全滅することはよくある。私も体験している。
〈レタス三十株が大きく育った。明日収穫して近隣に配ろうと私は計画していたのに、夜中に大雨に見舞われ、レタスは溶けて消えてしまっていた。夕方取りこんでおけばこんなことにはならなかった。自分のうかつさを悔やんだ〉
 たった三十株のレタスでも、時間をかけて大きく育ち、実ったものが駄目になる。気持ちのいいものではない。
 天候異変のせいとはいえ、丹精込めて育てたみかんを、廃棄せざるを得なかった裕美子は、ほんとに悔しかったことだろう。
 戴いたみかんは、容姿端麗ではないが、味は去年と同じはず。細かい傷があるはずだから、冷蔵庫で上手に保存すれば長持ちするだろう。
 木に実る果物が、こんなに被害を受けているのだから、露地栽培の葉物野菜はもっとひどいことになっているだろうと、覚悟した。

 温泉に併設され、近隣の農家から持ち込まれる野菜で、鮮度とお値打ち価格が評判の店の陳列台から野菜が消えてしまった。ここに出す野菜が全滅したようだ。
 四月終わりごろから葉物野菜が、毎日のように値上がりし始めた。半端な上がり方ではない。
 五月初めには、レタス一玉三百円。キャベツ一玉四百円。ほうれん草一把四百円。白菜に至っては、四分の一カット二百円。一玉手に入れるのには八百円の支払いになる。
 ここにある野菜は、天候異変の被害から免れた貴重品なのだ。それにしてもめちゃめちゃ高い。思わずため息が出た。

 天候異変は、野菜、果物だけではなかった。
 人の体にも変化は起きていた。友人文子はずっと前に交通事故で右脚大腿骨を骨折していて、二十三年もたった今年、厳しい寒さの日が続いて右足の太腿が疼きだした。すっかり回復して痛みが起きることはなく、痛みも後遺症も残らなかったと喜んでいたのに。
「あんた腰の調子はどうなの、痛まない」と、文子は電話をかけてきた。
 八年前、私は階段から転げ落ち、腰椎を圧迫骨折した。そのことを文子は思い出したのだろう。
「正月から左足の痛みで悩まされているわ。整形外科で治療を受け、ロキソニンテープをべたべた貼って、使い捨てカイロをシャツの前後ろに貼り付け、温泉にも通い詰めてどうにか生きているわよ」と私。
「お互い丈夫なのは口だけか……」受話器から、文子の忍び笑いが聞こえてきた。
 文子と私は、同い年。七十八年も毎日こき使われた体は、天候異変に敏感に反応するようになってきた。
 五月半ばになり、気温は上昇、暖かくなってきているのに、文子も、私も、まだ痛みから解放されていない。
 この分では、寒くなれば、古傷の痛みと共存しながらの生活が続くことを覚悟しなければならないようだ。
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「尺度を方便で変える権威の軽さよ」  文科系

2015年05月20日 10時49分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 本日の中日新聞一面コラム「中日春秋」に、はなはだ興味深く、かつ時事問題として重大過ぎる内容が載っていた。いつものように、一地方紙の見事な記事内容を他地方、全国におおいに知って欲しい、大宣伝したいと思い立った。

『 「権」という字には、「はかりのおもり」との意味がある。かつて度量衡を変えることは権力の象徴的な行為であったが、度量衡は今、国際的な約束事となり、簡単には変えられぬようになった▼しかし尺度を恣意的に変えたがるのは、権力者の変わらぬ習性なのだろう。目を凝らしていないと、彼らは自分の都合のいいよう、しかも気づかれぬように物差しを変えるようだ▼例えば経済産業省が示した試算によると、ニ〇三〇年の時点で、原発の発電コストは、風力発電の半分以下で、火力や水力よりも格安になるという。福島の惨事がいまだ収束せず、除染や賠償の費用は膨れ上がる一方なのに、なぜそうも低コストなのか▼物差しを変えたからだ。同様の試算は二○一一年の暮れ、脱原発を掲げた政権下で行われたが、今回はその時より事故の発生確率を半減させた。当然、専門家から異論が出されたものの、役所が押し切ったという▼もう一つ例を挙げれば、米軍の輸送機オスプレイ。「寡婦製造機」と揶揄されるほど事故を起こしていたが、米軍は事故の重大さを示す損害額の基準を倍に引き上げていたそうだ。尺度を変えれば、重大事故の数など簡単に減らせるのだ▼権を『日本国語大辞典』で引けば、「はかりのおもり」に続いて「臨機応変の処置。便宜的な手段。方便」とある。尺度を方便で変える権威の軽さよ。    2015・5・20 』

 これへの感想というか、愚考を少々。日本は官僚独裁政治なのだなと、これが一つ。今一つは、その官僚が安倍政権にどんどん進言、入れ知恵しつつ、そういう奴が出世していくのだろうな、とも。「AIIBにG7はほとんど入らない見通しだ」などと事前に「入れ知恵」した奴は誰なんだろう。後世、アメリカとの世界史的心中路線のスタートだったとならねばよいのだが。このツケは将来的に凄く大きいと予感した。正常に続くわけもないマネーゲーム主体で喰っていこうという根性が透けて見えた気がしたものだ。
コメント (4)
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随筆紹介 「パコちゃん、リンちゃん」   文科系

2015年05月18日 11時02分44秒 | 文芸作品
 パコちゃん、リンちゃん  H.Sさんの作品

大型電気店、ノートパソコンの展示品の前。おばちゃんが立ち尽くしたまま動かない。どうやらお気に入りのパソコンを見つけたようだ。相当なお歳のおばちゃんは、近くにいる店員さんを手招きで呼んだ。
「十五年使ったワープロが壊れちゃった。パソコンに換えたいの。この歳で覚えられるかどうかわからないけど。作文書きたいから挑戦するわ。この番号のパソコンで白いキイボードのものが欲しいの。在庫品はあるの」と、駆けつけた若い店員に聞いた。
「御座います」 即座に答えた店員は、展示品の下の棚に置かれた段ボール箱に収納されたパソコン、パコちゃんを引っ張り出した。
「印刷機も新調しないと、これも白いボデーがいいわ」。おばちやんは、前から予定していたのだろう、迷うことなく印刷機リンちゃんを選び出した。
「印刷機はショックに弱いですから、水平にしてそっと運んで下さい。上下逆様にするようなことは絶対しないでください」、店員にきつく言われていた。
 おばちゃんは言われたことをきちんと守り、パソコンのパコちゃんと印刷機のリンちゃんを車のトランクに入れた。

「変な人に気に入られちゃった。今日からこのおばちゃんのお相手をするの。七十七歳だって、何だか無茶苦茶やられそうだよ」、隣に置かれたリンちゃんに話しかけた。      
「印刷とコピーやるだけのわたしには関係ないと思うよ」と、リンちゃんからのんきな返事が返ってきた。
〈あーあ、前途多難を極めそうだ。もっと若い人に買い上げてもらいたかった〉、パコちゃんは大いに嘆いた。
 途中、おばちゃんは書店により『必ずできる』というタイトルの指南書を手に入れ、意気揚々とパコちゃんとリンちゃんを自宅に運び、机の上に置いた。大型の椅子に腰かけパコちゃんの前に陣取った。
「習うより慣れろだわ。機械は滅多に壊れるものではない。触って、触って、触りまくれ」と、おばちゃんに教え込んだのは、十二歳年上のお兄ちゃんだ。〈触って触って触りまくれ〉は、道具を使いこなすための金科玉条の格言だとおばちゃんは固く心に決めていた。
 作文は縦書きなので指南書を見て縦書きの画面はどうにか立ち上げたが、四十行、四十字のページ設定が出来ない。この行数・文字の設定のやり方は案内書には記載がないのだ。
 おばちゃんは兎に角、ページ設定を作ろうと必死になり、マウスと指先で画面をいじりまくった。
 のべつ暇なく命令されるパコちゃんは大忙しで息をつく暇もない。とうとう頭がこんがらがって、気絶してしまった。
「なんで画面が消えちゃうのよ。電源は入っているのに。いくらスイッチいれても画面が立ち上がらないじゃないの。あー。あー。パソコン壊れちゃった。夕方電気屋に壊れたと言ってこよう」おばちゃんは画面のたちあげを諦め、夕食でも作ろうと、パコちゃんをほったらかしにして台所に移動した。
 気絶したパコちゃんは、おばちゃんがひっきりなしにタッチして指令を出した一つ一つをおさらいして、纏めたりほぐしたりしながら、縺れた紐を解くようにして解除し続け、ようやくにしてあるべき姿に戻していった。

 夕食の用意がすむと、再度パソコンを動かそうと戻って来たおばちゃん、懲りた様子もなく電源を入れた。
「あれ動くじゃないの。ちょっとやそっとの事で、機械は壊れることはないのだ」、納得し自分のやり方に自信を持ったおばちやんは、仲間と合評するための作文に着手した。
 どうにかそれを打ち上げ、パコちゃんと印刷機のリンちゃんを繋いだ。電源を入れ印刷機に紙をセットして、印刷開始ボタンを押し指示を出した。リンちやんが動かない。
「パコちゃん最悪、紙詰まりなの。苦しい」リンちゃんが悲鳴をあげているのだが、パコちゃんはどうすることも出来ない。
「ああー。紙が詰まっちゃった。困った。どうすりゃいいんだ。メーカーに電話して聞くとするか」、おばちゃんは、印刷機のメーカーに電話を入れた。
 電話を受けたメーカーの案内嬢は、印刷機をひっくり返せと言う。
「天地無用だと言っといて。ひっくり返せとは何事だ。そんなことしたら壊れるじゃないの。電器屋の店員さんに厳しく言われているのよ」とおばちゃんは反論した。
「紙詰まりの場合はそうするしかないの」と案内嬢はきつい言葉で返して来た。
 おばちゃんは不承不承印刷機をひっくり返し、詰まった紙を引っ張り出した。
 印刷機のリンちゃんは、ようやく持てる力を発揮して小作文を椅麗に仕上げた。
「パコちゃん。私死ぬかと思ったよ」とリンちゃんのため息が聞こえてきた。
「今日は一件落着だけど、先が思いやられるね」とパコちゃんはリンちゃんに返事をした。

「また紙詰まりなの、苦しい」リンちゃんの悲鳴だ。おばちゃんは印刷機をひっくり返し紙を引っこ抜いた。リンちゃんの紙詰まりは二回でおさまった。

 毎度、毎度、画面設定の手順を忘れる。そのたびに、おばちゃんは、無茶苦茶にタッチを繰り返すので、パコちゃんの頭は、タッチの数や速度で狂わされる。
 パコちゃんの指令解除は、まだまだ続きそうだが、おばちゃんはどうにか作文の画面設定だけは出来るようになった。おばちゃんは文章を書くことで心が寒くなることから逃れているのだという。おばちゃんの大事にしていることを取り上げるのは残酷だ。
 パコちゃんとリンちゃんは難儀なおばちゃんだけど、これからも付き合ってやるかと最近は思うようになっている。
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橋下さん惜敗    らくせき

2015年05月18日 09時04分25秒 | Weblog
大阪市の住民投票は1万の差で橋下の野望を砕いた。
橋下さんのサバサバした顔。
都構想を阻止した自民党のリーダーの顔に喜びはありませんでした。
今日の日本を象徴するようなコントラストでした。

民主主義が成熟した、という橋下さんのコメントにも感ずるものがあります。

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琉球新報<金口木舌>訪米の流儀  らくせき

2015年05月17日 08時51分40秒 | Weblog
 知事の訪米行動を取材していつも引っ掛かっていたことがある。米ワシントンの要請最終日には現地記者向けの会見が設定されるが、参加者はほとんどが日本人記者。ついぞ米主要メディアの姿を見たことはなかった
▼会見場を設定するのは日本の外務省で、場所はホワイトハウス近くのナショナルプレスビル内に外務省が契約する一室。会見の案内も日本大使館に登録されている日本人記者にメールでお知らせが届く。これでは日本で会見しているのと変わりない
▼だからというつもりはないが、訪米中に米メディアに沖縄県知事の動向が取材され、記事に掲載されることはまずない。そもそもがニュースバリューとして興味を持たれているのか疑わしい
▼極東の小さなジャパンのさらに小さな島からの要請団が、どう米国の利益につながるのか。米国の日本研究者と話していると「沖縄は被害だけしか言わない」との愚痴も漏れる
▼翁長雄志知事が27日から知事として初めて訪米する。「オナガは何を持ってくるのか」。米国では別の“本音”があるのでは、との憶測が依然くすぶっていることだろう
▼待ち構える米国に向けて、知事はどんな初球を投げるか。その方策に米メディアもどんどん使っていい。辺野古基金によるロビー活動も一策かもしれない。ただ一番注目しているのは実のところ、日本政府かもしれない。


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何と粗悪な「解説」か!(2)  文科系

2015年05月16日 20時13分20秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 同名の表題エントリー拙稿に対して、ご当人さんから二つのコメントが付けられています。これへの批判も追加します。『 』は、彼の文章。

①『ヴァイツゼッカー(1985年)「罪の有無、老幼いずれかを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」といった言葉を評価する人間もいるが、この発言は単なる一般論であり、演説内では「ヒトラーのポーランド進駐」という表現を使い、「ドイツの侵略」とは言っていない。』
 前にも僕が述べたことが理解できないのでしょうか。改めて言うがこういうこと。
 「軍部、特に東條一派など陸軍が原動力になって天皇を動かし、アジア・太平洋侵略戦争をやった」から特に重い罪があるということが一つ。また「これと同時に」、以下も別の問題として十分に言いうることである。「罪の有無、老幼いずれかを問わず、われわれ(日本人)全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」
 後者を解説さんが「一般論」などと語っているのがおかしいと思う。後者のこの文章に「罪の有無」という言葉が入っていることにご留意願いたいもの。東條らは罪が重い戦犯だが、一般人は戦犯としては罪はないという違いを表しているのでしょう。その上でこの文章は、一般人の責任をも語っているわけです。ドイツという国全体が他国に対して後々まで責任を負わされているということを。日本国が他国に認めた過ち、その責任というものは、後世の国民も負うという意味なのでしょう。そうでなければ、その国は信用ならぬということでもありましょうか。先代の借金は知らないなどという会社は信用ならぬということです。

②『 またユダヤ人の虐殺については、「この犯罪は少数の者の手によって行われました。世間の目から遮られていたのです」と、一般のドイツ人は知らなかったことだと述べているが、(中略)』
 事実知らされていなかったのだし、知った人がいてもどうしようもなかったのは、小林多喜二が逮捕後あっという間に殺されてもどうしようもなかった日本と同じことでしょう。また、ワイツゼッカーの父のことは、ワイツゼッカーとは無関係です。封建時代の家父長の罪・お家断絶じゃあるまいし、家族のことなど持ってくるなと言いたいですね。

③『「5月8日は解放の日でした。ナチズムの暴力支配という人間蔑視の体制から、あの日はわれわれすべてを解放したのです」とし、またナチ体制が多くの国民を虐げたことを認めつつ、「苦しめられ、虐げられ、辱しめられた最後にもう一つありました。私たちドイツ国民です」とドイツ人をも被害者の側に置くなど、実際にはそれまでのドイツ政府の見解との差違はあまり見受けられない。』
 これも①で述べた「区別」が理解できていない文章だと思います。何度でも言いますが、当時の権力者たち、戦犯の責任は重い。これに対して、国民の責任は遙かに軽いし、権力者たちから被害を受けた存在ということも十分に可能です。ただ、その責任が遙かに軽くとも、戦後の日独国民全員が「過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」というわけでしょう。

 戦犯の罪を軽くするような1億総懺悔論が誤りで、それでもあの戦争を起こした責任を「罪の有無、老幼いずれかを問わず」国民が後々まで負わねばならないと書いてある通りです。

コメント (14)
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