九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

論争における「義」とプライド  文科系

2024年12月25日 09時31分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 同人誌の編集長を長くやっていて、文章編集に携わっていると、いろんな「修正すべき」「難点」に出くわす。これが、細かい字面の問題というだけなら良いのだが、作品全体のテーマそのものに関わる「焦点箇所」の表現において、不十分を通り越して、「誤解される」とか「意味が伝わらず、作品がおおぼけ」とかの言葉選びがあったら、本当に当惑する。そんな場合は作者自身も作品テーマである問題の性格を正しく把握していない場合も多いのだし。「修正など一切無用で、プライドが強い?」と分かっている筆者には、当惑など捨て去って手直しなんか端から放棄しているが、それこそ「義」を受け入れうると分かっている人の文章は、時間が無かったりする時無断で変更することがある。この場合の相手のプライドという表現が良いかどうかは分からぬが、これはとにかく大変厄介な場面になっていく。これに対する言葉も色々探してみたが、義という用語が最も相応しいから使おうと思い立ったのである。

 さて、形式論なら「無断修正」が誤りとは、誰にも分かる。が、内容上どうしてもたまりかねてとか、毎月の編集となると断りの時間も無かったりするので、そこに「義」の登場である。ちなみに、付き合い六四年になる僕の連れ合いが「途方もないプライドの人」なので、色々苦労して見つけた関係の言葉だ。義とは、しっかりした美しい正しさというような意味である。
 近頃は、安倍晋三のような馬鹿な政治家よろしく理屈で負けかけることが多いかして、「上から目線」とかの遠吠え「批判」に逃げこむ「プライドだけの人」も多く、「『上から目線』大大流行時代」とさえ言える。が、義のある正論を通さねば、安倍の周囲のように馬鹿を放置することになってしまう。上からでも下からでも義のある正論は正論だろう。逆の「村社会における中身なしの上から押しつけとその受け入れ」を素直・美徳という風潮が強い日本だからこそ、対話における「義」は大切にしたい。「社畜全盛」日本は、義が吹っ飛んでいる習慣も多いのである。「上意下達と忖度」の日本・・・。



コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプという人間、その初紹介本「炎と怒り」から⑥  文科系

2024年12月16日 06時14分04秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
トランプという人間、「炎と怒り」の総集編⑥  文科系

 今回を、この本の内容紹介最終回とする。以下は、この書評第4回目「この本の輪郭」とも重複する部分もあるが、要するに粗筋、概要、結論ということだ。

①大統領としてのトランプは、こんな事をやった。
・地球温暖化対策の枠組みから抜けた。
・エルサレムを首都と認定し、シリアを爆撃し(この4月で2回目である)、サウジの皇太子交代(宮廷革命?)にも関わってきたようだ。
・メキシコとの国境に壁を築き、移民に対して厳しい施策を採るようになった。
・ロシア疑惑によって、コミーFBI長官を解任し、モラー特別検察官とも厳しい関係になっている。
・続々と閣僚、政権幹部が辞めていった。

②これらを推し進めたトランプは、こういう人物である。
・知識、思考力がないことについて、いろんな発言が漏れ出ている。「能なしだ」(ティラーソン国務長官)。「間抜けである」(財務長官と首席補佐官)。「はっきりいって馬鹿」(経済担当補佐官)。「うすのろ」(国家安全保障担当補佐官)。
・その代わりに目立ちたがりで、「他人から愛されたい」ということ第1の人柄である。マスコミの威力を信じ、これが大好き人間でもある。
・対人手法は、お世辞か恫喝。格上とか商売相手には前者で、反対者には後者で対する。大金持ちの父親の事業を継いだ後、そういう手法で世を渡ってきた。
・反エスタブリッシュメントという看板は嘘で、マスコミと高位の軍人、有名会社CEOが大好きである。よって、閣僚にはそういう人々がどんどん入ってきた。

③本人に思考らしい思考も、判断力もないわけだから、政権を支えていたのは次の3者である。バノン他ボストンティーパーティーなど超右翼の人々。共和党中央の一部。そして娘イヴァンカ夫妻(夫の名前と併せて、ジャーバンカと作者は呼んでいる)である。トランプへの影響力という意味でのこの3者の力関係は、30代と若いジャーバンカにどんどん傾いて行き、前2者の顔、バノンもプリーバス首席補佐官も1年も経たないうちに辞めていった。つまり、トランプ政権とは、「アットホーム」政権、家族第一政権と言える。なお、二人の息子もロシア疑惑に関わる場面があり、アメリカではこれも話題になっている。

④よって、期せずして棚から落ちてきて、何の準備もないままに発足した政権の今までは、言わば支離滅裂。選挙中から「アメリカファースト、外には手を広げない」という右翼ナショナリズムが戦略枠組みだったのだが、エルサレム首都宣言をしてアラブの蜂の巣をつつくし、発足3か月でシリア爆撃も敢行した。ロシア疑惑でコミーFBI長官を解任して、大変な顰蹙も買っている。閣僚幹部はどんどん辞めていく。「馬鹿をさせないために側にいる」位置が嫌になるいう書き方である。

⑤こうして、この政権の今後は4年持つまいというもの。ロシア疑惑が大統領弾劾につながるか、「職務能力喪失大統領」として憲法修正25条によって排除されるか、やっとこさ4年任期満了かの3分の1ずつの可能性ありと、バノンは観ている。

 なお、何度も言うようにこの本の執筆視点は、バノンの視点と言える。全22章の内4つの題名に彼の名がある上に、プロローグとエピローグとがそれぞれ「エイルズとバノン」、「バノンとトランプ」となっているし、そもそも内容的に「バノンの視点」である。ちなみにこのバノンは今、次期の大統領選挙に共和党から出馬しようという意向とも書いてあった。


 以上長い連載を読んで頂いた方、有り難うございました。これで、このトランプシリーズは終わります。なお、外信ニュースによるとコミー元FBI長官がトランプに解任されたいきさつなどを書いた本を最近出したそうです。日本語訳を楽しみに待っている所です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプという人間 その初紹介本から その4  文科系

2024年12月13日 08時39分02秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
トランプという人間(10)「炎と怒り」、その「輪郭」 ④  文科系

大統領大統領初当選直後に出たこの500ページ近い本の内容を3回に渡って大急ぎで紹介してきてまだその途中であるが、今日は閑話休題として、この本の最も大きい輪郭、狙いに触れてみたい。そもそも200件の聞き取りをも経て書いたと言われて、その内容はいわば激しい政争話だ。ついては、この争いの何を取り上げ何を落としたかという著者の立場の客観的概括がなければ、公平な読み方とは言えなくなる。本自身の中身としても「・・・という話だ」「・・・と誰それは述べていた」というある意味無責任な印象批判とも言える表現もかなりあることだし。

 さて、この輪郭、狙いを僕なりに客観的に推察すればこんな事があると読んだ。
① バノンのサイドの目で書いており、トランプの娘夫婦を批判する内容になっている。この内容なら、バノンの復帰すら形としてはまだ残っているという程度の内容だと読んだのだが。

② ということはつまり、こういうことだ。米大統領トランプ政治の1年が結局、娘夫婦とその周辺の財界人らによってこう動かされてきたという内容になっている。なお、行方も定まらぬ泡沫候補上がりのトランプ政権内の娘夫婦にどんどん近づいてきた人物には、こんな人々が居る。マスコミ人でFOXテレビのビル・マードック。ゴールドマン・サックスの現役社長だったゲイリー・コーンはトランプの経済閣僚になった。また、超高齢政治家ヘンリー・キッシンジャーも所々出てくる。

③ ①②を併せると、こういうことになる。ここに書かれた「全体像」が真実か否か、どれぐらい真実かなどは分からないとも。つまり、当然のことだが、「裁判になっても言い逃れできる程度の内容」ばかりだとも言えるのである。

 ちなみに、8月にバノンが大統領府を退いた瞬間に、こんな声明も発表されている。
『バノンが首席戦略官および上級顧問を辞任すると、古巣のブライトバート・ニュースは直ちに同年8月18日付でバノンが会長に復帰すると発表した。このときバノンはブルームバーグ・テレビに対して次のように話した。「自分はホワイトハウスを去り、トランプのために、トランプの敵との戦争を始める。その敵はキャピトルヒル(連邦議会)やメディアやアメリカの経済界にいる。」翌19日、トランプ大統領はツイッターに「バノンに感謝したい。彼は不正直なヒラリー・クリントンに対抗して立候補した私の運動に参加してくれた。それは素晴らしいことだった。Thanks S」と投稿した。』
(ウィキペディアから、文科系引用) 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプという人間(その初紹介本から) その3   文科系

2024年12月11日 10時23分37秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
前回の最後に書いたのが、「(政権首脳の)組織図とブレーン3人」。今回はこの続きとして、彼らの力関係の在り様、その流動と結果ということになる。以下の場面は、政権発足後わずか2か月あまりでバノンが凋落していくまでのことだ。トランプ大統領誕生の最大功労者にして、政権の主席戦略官が、わずか2か月で実質解任! そのちょっと前に、ホワイトハウ内幕についてこんな文書が流れていたが、大統領に次ぐ権限を持った人物が、責任を取らされたというかたちになるのだろう。
 この電子メールは、この本の著者も同意する内容と言える。

 政権内幕暴露メール

『四月には、当初は十数人に送信された電子メールがどんどん転送され、かなり広範囲に広まってしまった。その内容は、ゲーリー・コーンの見解を評しているとされ、ホワイトハウスのスタッフが感じた衝撃を簡潔に表現している。メールの文面にはこうある。
 想像も及ばないほどひどい。まるで道化師に囲まれた愚か者だ。トランプはたった一枚のメモも、短い政策文書も、何一つ読もうとしない。世界各国の首脳との会談でも、退屈だからといって途中で席を立つ。部下も同じようなものだ。クシュナーは赤ん坊が地位を与えられたようなもので、何一つ知らない。バノンは傲慢なひどい男で、それほどでもないのに頭がいいとうぬぼれている。トランプにいたっては、もはや人間というより不愉快な性格の寄せ集めだ。一年もすれば、家族以外、誰も残っていないだろう。この仕事は嫌いだが、トランプの行動を知っているのは私だけだから、辞めるわけにもいかない。欠員が非常に多いのは、馬鹿げた“適性試験”に合格した人しか採用しないからだ。日の目を見ることのない中堅レベルの政策策定業務のポストですら、そんなことをしている。絶えずショックと恐怖にさらされる毎日だ』(P300~301)

 ここに言うコーンとは、現役のゴールドマンサックス社長だった人物。ニューヨーク財界人をバックに抱え始めた娘婿クシュナーが、大統領経済補佐官としてを引き抜いてきたお人だ。クシュナー自身は、ユダヤ人で億万長者の御曹司で民主党支持者。メディア王として知られるルパート・マードックも彼のブレーンになっていた。
 こうして、大統領府内の実権が、バノンや、プリーバスが代表した共和党中枢部から、クシュナー・ニューヨーク財界主流へと移っていく流れができたのである。

 バノンの凋落
 
 トランプ政権発足直後の乱暴すぎるような新移民政策は、バノンの力が示された。が、次のオバマケア問題が、バノンの最初のつまずきだったと述べられた後、こんな展開になっていく。折りしも、4月4日午前中に、シリアでの化学兵器攻撃に関する情報が、ホワイトハウスに集まってきた。
『バラク・オバマは、シリアの化学兵器攻撃に直面しても行動を起こさなかったが、いまなら行動を起こせる。限定的な対応になるだろうから、マイナスの影響はあまりない。それに、事実上アサドを支援しているロシアに対抗しているように見え、国内での受けもいいはずだ。
 当時、ホワイトハウス内での影響力が最低レベルにまで下降し、辞任は時間の問題だと多くの人から思われていたバノンは、軍事的対応に反対した唯一の人間だった』(P306)

 こういう事実が最後のきっかけとなって、シリア政府軍の攻撃の翌日、バノンを国家安全保障会議から外すと発表されたのである。


(あと5回は続きます)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トランプという人間(その初紹介本から) その2   文科系

2024年12月11日 06時55分31秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 第一次トランプ大統領府の発足直後の内幕を暴露した書物、「炎と怒り」、2回目の紹介である。先回は、「当選が分かった時のトランプの七変化」、「トランプの会議の進み方」、「トランプの性格」の三つを書いたが、今回は以下を紹介したい。「続、トランプの性格」、「就任演説」、「組織図とブレーン3人」。ここまでで、この本の4割ほどの紹介になるはずだ。

「続、トランプの性格」

『バノン(選挙戦中盤以降大統領府に至ってからも、トランプ最高位のブレーンだった人物。大統領府では、主席戦略官、上級顧問)はトランプを、ごく単純な機械にたとえた。スイッチオンのときはお世辞だらけ、オフの時は中傷だらけ。卑屈で歯の浮くようなお世辞があふれるように口から出てくる──何々は最高だった、驚くべきことだ、文句のつけようがない、歴史に残る、等々。一方の中傷は怒りと不満と恨みに満ち、拒絶や疎外を感じさせる。
 これは、トランプ式経営術のコツでもあった。見込みのありそうな顧客候補はとにかく褒めそやす。だが、相手が顧客になる可能性が消えたとたん、屈辱や訴訟を雨のように降らせる。押してもだめなら引いてみよ。バノンはこう思っていた──トランプを簡単にオンにもオフにもできる』(P68)

『ホワイトハウスで、トランプは自分の寝室に閉じこもっていた。・・・・トランプは入居初日に、すでに部屋に備えられた一台に加えて、さらに二台のテレビを注文した。ドアに鍵を付けさせ、緊急時に部屋に入れないと困ると言い張るシークレットサービスと小競り合いを起こしたりもした。・・・スティーブ・バノンと夕方六時半のディナーをともにしない日は、その時間にはもうベッドに寝転がって、チーズバーガー片手に三台のテレビを観ながら何人かの友人に電話をかける。電話は彼にとって、世界とつながる真の接点なのである』(P148)
 なお、上記のような三台のテレビと頻繁な電話がトランプの学習、情報収集手段なのだが、以上以外で彼が本を読むという習慣は皆無だと紹介される。一冊の本さえまともに読み通したことはない人物と書かれていただけでなく、本書の中には、こんな下りさえあった。
『ミスタートランプは、オバマのスピーチなど一度たりとも最後まで聴いたことがないとおっしゃっています』

「就任演説」

 就任式演説内容は、こんな風に描かれている。
これはほとんどバノンが文章化したものである。因みにこの本の著者は、トランプはまともに構成された文章など書けないと観ている。
『これらのメッセージは、トランプの好戦的な”カウンターパンチャー”としての側面には響いたが、もう一方の”愛されたがり”の側面には受け入れがたいものでもあった。トランプに内在するこの二つの衝動を、バノンはうまくコントロールできていると自負していた。前者を強調し、ここで敵をつくることはよそで仲間を増やすことにもつながると説得したのである』
 こういう演説への、ご本人とある有名人物一人との評価を観ておこう。
『このスピーチはあらゆる人の記憶に残るだろう』
『一方、貴賓席にいたジョージ・W・ブッシュは、トランプの就任演説に対して歴史に残るであろうコメントをした。「クソみたいなスピーチだったな」』 

「組織図とブレーン3人」

 従来の政治集団が何もないままに思いもよらず当選したこの大統領陣営には、組織とか、組織を作る人々というのがほとんど欠如している。父から譲られた会社が上手く行っただけのトランプも同じ事だ。そこにあったのは混乱のみだが、その混乱の中から選挙にも貢献した3人の人物が浮かび上がってくる。以下は、そういう様子に関わることだ。
『トランプ率いる組織ほど、軍隊式の組織から遠い存在はそうあるまい。そこには事実上、上下の指揮系統など存在しなかった。あるのは、一人のトップと彼の注意を引こうと奔走するその他全員、という図式のみだ。各人の任務が明確でなく、場当たり的な対処しか行われない。ボスが注目したものに、全員が目を向ける。・・・・大統領執務室はあっという間に、トランプ側近が日々入り乱れる喧噪の場に変わってしまった。大統領のそばに近づける人間がここまで多いのは、歴代政権を見わたしてもトランプ政権くらいだろう。執務室で大統領を交えて会議をしていると、ほぼいつも大勢の側近が周囲をうろつき、何かと割り込んでくる。事実、側近の誰もが、どんな会議にも必ず居合わせようとしていた。彼らははっきりした目的もないのに室内をこそこそと動き回るのがつねだった。バノン(筆頭秘書と言える人物)はいつも何かしら理由をつけては執務室の隅で書類をチェックしつつ、会議の決定権を握ろうとした。プリーバス(共和党重鎮)はそんなバノンに監視の目を光らせ、クシュナー(娘婿)は他の側近の居場所をつねにチェックする。』
『トランプがジェームズ・マティスやH・R・マクマスター、ジョン・ケリーといった誉れ高い軍人(それぞれ、元海兵隊大将。元陸軍中将。元海兵隊大将であり、国防長官、安全保障補佐官などになった)にへつらうことの皮肉。そのほんの一端が、そこには表れている。彼らは、基本的な指揮原則をあらゆる面で害するような政権のもとで働く羽目になったのだから』

 なお、上で述べられた政権当初の頭脳、バノン、プリーバス、クシュナーについて、紹介しておこう。
 バノンは、超右翼団体の、いわゆるボストンティーパーティーから台頭してきたジャーナリストで、大統領主席戦略官、上級顧問。プリーバスは、共和党全国委員長を経てトランプ当選に貢献し、大統領首席補佐官。この首席補佐官という地位は、内閣総理大臣にも当たるものだ。そして、トランプの娘婿、クシュナーは、大統領上級顧問である。
 なお、このうち、バノンは後に辞任して政権から離れるし、プリーバスに至っては解任されている。この辞任、解任続きというのがまた、この政権で有名な出来事だが、広報部長などはこの本が出た時点ですでに3回も交代させられている。それぞれ、辞任、辞任、解任ということだ。

(後数回続きます)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去最初に出た「トランプ紹介」本の要約 その1   文科系

2024年12月10日 11時15分36秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 トランプがまた、大統領になった。これは、ある本の書評ならぬ、内容紹介。前に大統領になったときに以下の書評を書いた物だが、もちろん瞬く間に全米ベストセラーになったその署名は「炎と怒り  トランプ政権の内幕 」。この本を、6~7回に分けて紹介していく。


トランプという人間(7)「炎と怒り」から  文科系
2018年04月08日 12時42分53秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 今年1月発刊なのに瞬く間に全米170万というベストセラー「炎と怒り」。それも、この日本語訳が出た2月下旬に既にこの数字! 読み進むうちに、それも当然と、どんどん感慨が深くなって行った。この本を読むと、何よりも、「今のアメリカ」が分かるのである。こういう人物が大統領選挙に勝ってしまったというアメリカの現状が常軌を逸しているというそのことが。そういう内容紹介を、ほぼ抜粋という形で始めていく。泡沫候補の時代からトランプ選挙陣営の取材を許可されていた著者マイケル・ウオルフは、何回か全米雑誌賞を取った著名なフリージャーナリスト。そんな彼が経過順に22の題名を付けて描いたこの本の紹介には、エピソード抜き出しというやり方が最も相応しいと考えた。

 さて初めは、既に有名になった大統領当選が分かった時のトランプの様子。
『勝利が確定するまでの一時間あまり、スティーブ・バノンは少なからず愉快な気持ちで、トランプの様子が七変化するのを観察していた。混乱したトランプから呆然としたトランプへ、さらに恐怖にかられたトランプへ。そして最後にもう一度、変化が待ち受けていた。突如としてドナルド・トランプは、自分は合衆国大統領にふさわしい器でその任務を完璧に遂行しうる能力の持ち主だ、と信じるようになったのである』(P43)

 次が、「トランプの会議のやり方」。「初めて出席した時には本当に面食らった」とこの著者に話したのは、ラインス・プリーバス。政治や選挙の素人ばかりが集まったトランプ選挙陣営に選挙終盤期に初めて入ってきた玄人、共和党の全国委員長だ。彼の協力もあって当選後は、大統領首席補佐官になったが、間もなく解任された人物でもある。
『プリーパス自身はトランプに望みはないと思っていたが、それでも万一の保険にトランプを完全には見捨てないことにした。結局は、プリーパスがトランプを見捨てなかったという事実がクリントンとの得票差となって表れたのかもしれない。・・・・それでもなお、トランプ陣営に入っていくプリーバスには不安や当惑があった。実際、トランプとの最初の会合を終えたプリーバスは呆然としていた。異様としかいいようのないひとときだった。トランプはノンストップで何度も何度も同じ話を繰り返していたのだ。
 「いいか」トランプの側近がプリーバスに言った。「ミーティングは一時間だけだが、そのうち五四分間は彼の話を聞かされることになる。同じ話を何度も何度もね。だから、君は一つだけ言いたいことを用意しておけばいい。タイミングを見計らってその言葉を投げるんだ」』
(P67)

 さて、今回の最後は、トランプの性格。選挙中からトランプに張り付き、200以上の関係者取材を重ねて来た著者による、言わば「結論部分」に当たる箇所が初めの方にも出てくるのである。
『つまるところ、トランプにだまされまいと注意しながら付き合ってきた友人たちがよく言うように、トランプには良心のやましさという感覚がない。トランプは反逆者であり破壊者であり、無法の世界からルールというルールに軽蔑の眼差しを向けている。トランプの親しい友人でビル・クリントンのよき友でもあった人物によれば、二人は不気味なほど似ている。一つ違うのは、クリントンは表向きを取り繕っていたのに対して、トランプはそうではないことだ。
 トランプとクリントンのアウトローぶりは、二人とも女好きで、そしてもちろん二人ともセクハラの常習犯という烙印を押されている点にはっきりと見て取れる。ワールドクラスの女好き、セクハラ男たちのなかにあっても、この二人ほど躊躇も逡巡もなく大胆な行動に出る者はそうそういない。
 友人の女房を寝取ってこその人生だ、トランプはそううそぶく。・・・
 良心の欠如は、トランプやクリントンに始まったことではない。これまでの大統領たちにもいくらでも当てはまる。だがトランプは、誰が考えても大統領という仕事に必要と思われる能力、神経科学者なら「遂行機能」と呼ぶべき能力が全く欠けているにもかかわらず、この選挙を戦い抜き、究極の勝利を手にしてしまった。トランプをよく知る多くの者が頭を抱えていた。どうにか選挙には勝ったが、トランプの頭では新しい職場での任務に対応できるとはとても思えない。トランプには計画を立案する力もなければ、組織をまとめる力もない。集中力もなければ、頭を切り替えることもできない。当面の目標を達成するために自分の行動を制御するなどという芸当はとても無理だ。どんな基本的なことでも、トランプは原因と結果を結びつけることさえできなかった。』(P51~2) 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャイアンツ吉川尚輝の記事紹介   文科系

2024年12月06日 13時11分27秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 本日の毎日新聞15面スポーツ欄に標記の記事が載っている。スポーツ好きとしてとても面白い記事と感じたので、要約して紹介したい。スポーツは大好きでも、今の日本プロ野球は嫌いで、最近はテレビ中継も意識して全く避けている僕だから、余分なことは書けないので、ほぼ記事紹介に徹することにして。

この選手の今は巨人の遊撃手、「侍ジャパン」代表と言うだけではなく、今期は彼の特徴を表す守備でゴールデングラブ賞からベストナインに選ばれている。とこれだけならちっとも面白くないことだが、吉川選手の野球経歴がとても面白かったのだ。

中学は僕の住んでいる愛知県名古屋の直ぐお隣、岐阜県の羽島市だ。ただし、お父さんがリトルリーグの監督で教えを受けていたようだ。岐阜中京高校に入り、一年で三塁手レギュラー、後に遊撃手に代わったとあった。ただ、彼の高校3年間のチームは、甲子園には出られなかったらしい。大学は強豪・亜細亜大学を選ぼうとしたが、その春季沖縄キャンプに出て、亜大入部は自分から取りやめたとあった。この彼を拾ってくれた大学が、同じ岐阜の中京学院大学。ここでも一年でレギュラーになり、所属リーグのベストナインにも選ばれている。中京学院大学というのは、こんなに近くに住んでいる僕も知らないのだが、急に強くなったチームらしい。なんせ吉川が4年生の時に、大学選手権に初出場・初優勝を遂げているのだから。ちなみに、この時の準決勝で当たった亜細亜大学には5対1で勝ったのだが、ゲームの前に亜大監督に往時キャンプ参加のお礼に赴いていたとあった。ちなみに、広島の菊池涼介選手も、この中京学院大学の出身のようだ。彼もまた、若い頃から守備の名手だったようだ。
16年のドラフトではジャイアンツの「外れ、外れ、一位」と言う執念を通して入団。17年春季キャンプは巨人3軍からスタートしている。

それにしても、今時初出場初優勝チームが出る日本の大学野球って、いわゆる名門はなにをやっているのか? それとも、中京学院大学に何か特別な強豪理由があった?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行の思い出  文科系

2024年11月09日 10時28分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 連れ合いの弟が小さな旅行会社に勤めていたので、いろんな旅行に誘ってもらったし、さらには有志で注文して好みの旅を作ってもらったりした。これが、僕の人生に大きな彩りを添えてくれて、人生というものへのある本質的な充足感を与えてくれたと言って良い。これがきっかけとなって、海外旅行は20回は体験していると思う。そのいくつかのことを書いてみよう。

 その最初が「オーストリア・ザルツブルグ音楽祭と、イタリア歌劇観劇の旅」。ロミオとジュリエットの舞台として有名なイタリアはヴェローナの野外円形競技場で観たのは確か、ベルディのオテロ、夜の天空に響き渡るオテロの嘆きの歌が今でも鮮やかに蘇ってくる。ザルツブルグの領主のお城の、領主の間で演じられた弦楽四重奏の一曲は、モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」。連れ合いが評するには、
「日本で聴いてきた演奏とは全然違うね。爽やかに羽毛が軽々と飛んでいくような美しさだ」

 そしてもう一つは、中国南西部の旅行が3度。一度は、桂林・麗江・大理の旅。今ひとつが、九寨溝・黄龍。最後が、ベトナムを北に登って、中国南西部に入り、シーサンパンナなど少数民族地帯を巡ったもの。イタリア旅行も中国の時も、僕は彼に特別な注文をしている。
「いわゆるホテルではなく、民族旅館に泊まりたい」
  麗江と大理のその旅館は特に趣があった。低い建物で囲まれた中庭が大きくって、そこで持参のクラシックギターを弾いた体験は、僕の一生の思い出になった。ちなみに、イタリアからザルツブルグに向かうときのドロミテ山系はコルチナ・ダンペッツォの「ラ・ポスト」と言う旅籠に泊まった。日本で言えば、東海道53次の中の大きな関所の本陣旅館のようなところだ。ベトナムからシーサンパンナ方面への旅行は、南の「絹の道」を辿りたいという希望から作ったものだが、両国国境の川を渡ったときのことは今でも忘れない。中国名は河口、ベトナム名は確かラオカイと言ったと思う。ちなみに、途中の田陽の夕陽に輝く棚田の膨大な光景は「途方もない人類開墾の歴史」を感じさせたもの。それぞれ、近辺の少数民族と親しく接した交流も良い思い出になっている。

 これで味を占めて、さらにいろんな旅行の思い出を作った。娘が海外青年協力隊で赴いた中米ホンジュラスにも、夫婦で出かけた。その時の最高の思い出は、ロアタン島と言うところのカリブ海でスキューバ・ダイビン教室教室)を初体験したこと。短い講習を受けてから直ぐに潜ったのだが、素人は僕一人だったらしく、講師がずっと僕に付いてきてくれたものだった。
 夫婦で行った南ドイツの旅は、いわゆる「ロマンチック街道」物だが、南ドイツの街並みの美しさには驚嘆した。この時はベルギー、オランダにも行ったのだが、ブリュージュで、二人乗りのタンデム自転車を借りて海まで出かけた思い出が強い。
 連れ合いが日本語教師として出かけたのに同行した、シドニーとトロント滞在旅行も、格別な物になっている。自分で買い物をしていろんなワイン、料理を作るのが楽しみだった。オーストラリアでは、あのエアーズロックにも登ってきた。なお、ランナーだった僕は、それぞれの街を走って、そこの思い出を深めてきたと言う体験も持っている。ナポリの港では野犬に追いかけられて、近くの軽トラックの屋根に逃げ込んだ怖い思いもしているのだが。
 
 旅というのは、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今一度「霊」は存在しない  文科系

2024年11月07日 14時44分42秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 10月31日に、こういう前文で標記のことを書いた。
「霊という言葉が、新聞などの広告も含めて当たり前に、実在するもののようにますます多く使われるようになった。心霊スポット、心霊現象という場合の心霊、背後霊や水子の霊。よく言われるスピリチュアルもその存在を認めてこそ成り立つものだろう。」
  霊とは、その漢字の意味はこういうものだ。
人間の肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい」

 これについて改めて考えたことがない人でも、存在するとしてもどのようなものかということを確かめる方法がある。「自分の肉体が生まれる以前の、自分の心、魂」を考えてみれば良い。なんの記憶もないはずだ。中には、「自分の前の世の姿」を感じることがあるなどと語る人が居るが、それを否定することはできはしない。そもそも「ないものを語る人に、それがないと証明することなど論理的にできはしない」。さらには、「そう感じた物は全て存在する」としたら、ドラキュラも玄武、朱雀、鳳凰も存在することになる。これを言い換えればこういうことだ。肉体が死んだら、その後のその心があるとしてもそれは「自分の赤子出生以前の心」でしかないはずだ。赤子以降自分に生まれたものは、この世や自分の肉体と結びついていて、「生前の自分の骨身などを元にして生まれたもの」でしかないはずだから。この世で大人になった心を、さも永遠に存在してきたもののように、描き上げるのはおかしいことだろう。
 なお、肉体の世界を離れてその心がどこかにあるとすれば、その心はどこから生まれたのかと言う問いから、神の世界まで創造されうるものである。つまり、「この世ならぬ心」は神の世界のものになるだろう。つまり、宗教は霊の存在を前提としているのである。

 そしてもう一つ、宗教って死の問題と結びついている。死が怖い人が、「永遠の命」を考え出したのだろう。ところで、僕は「永遠の命」がなくとも、死は怖くないようになった。死が怖いのは若い人だ。将来への渇望が大きくある人はものすごく死が怖い。が、一応この生を生きて「大体の人生、楽しみは味わったと言える」とか「もうこの先は何もなさそうだ」と言う老人は、「永遠の命」などに執着はしない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊は存在するか?  文科系

2024年10月31日 19時10分29秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 霊という言葉が、新聞などの広告も含めて当たり前に、実在するもののように使われている。心霊スポット、心霊現象という場合の心霊、背後霊や水子の霊。よく言われるスピリチュアルもその存在を認めてこそ成り立つものだろう。
 漢字には一つ一つ意味があるわけであって、霊を辞書で調べるとこうあった。「肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい」。ところで僕は、この存在などずっと認めてこなかった。「肉体を離れて存在する心」などないと考えてきた。僕の生前に、つまり肉体誕生の前にも僕の魂があったとか、肉体死滅後もこれが残るとか。だからこそ、永遠の命を説く宗教も信じないのである。霊などと言うものはおそらく、往古の昔の夢の説明に使われたものだろう。肉体が寝ていても、心が「動いている」のだから、霊があると考えたにちがいない。だが今は、夢はもちろん、赤子の肉体が経験を経ることによって「心」を持っていく筋道も科学的に解明が進んできたはずだ。人の心は、その肉体を離れては存在し得ないという科学と宗教との関係いかんという問題は、今でも難しいように、霊と科学の関係も難しい問題なのだろう。例えば、肉体を離れて霊が存在するとすれば、その霊はどこで生まれたのかという必然的な問いから、神の世界も想定されるというものだ。

 ここでただ、科学と宗教の関係について一つだけ問題提起をしておきたい。アメリカのキリスト教福音派が、旧約聖書の創世記と進化論とを二つとも認めるおかしさである。神が万物を造ったということは、進化論と矛盾するのである。それを福音派は、一方を信仰として認め、他方を科学として認めると述べてきたはずだが、これはおかしいだろう。

 こんなことを書くと、いろんな大科学者が宗教信者である例などを挙げた反論、あるいは「そういう人が魂の不死をこう述べている」という反論なども続出するはずだ。「霊の科学的実在証明がある」とか「仮の死後体験として、霊が存在したという科学的証明」とか。逆にだからこそ、この文章を書かねばならぬと考えた。現代人は、霊などという言葉をあやふやに使うべきではないと力説したい。
 最近の日本では、青少年の自殺が急増しているが、そこにこういうあやふやな感覚、「知識」が漠然と影響しているのではないか。「死んでも、僕の魂は存在するのだから・・・」。こんなのは「魂実在論者」が世に流す害悪の典型例じゃないかと思う。霊実在論者は、肉体の死を実質軽視することになる? ちょうど、無罪のあの世に憧れれば、この世や肉体が「たましい」に比べて醜い、罪深いものと感じられるように。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 少子化問題が騒がれているが・・・  文科系

2024年05月02日 15時48分00秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 少子化問題がやっと、やっとのことでマスコミの話題になり始めた。というのは、この問題を20世紀から国の重大事として追いかけてきた家族社会学の専門学者らの著作などがマスコミなどから、疎外されてきたからである。その疎外を、政府がはっきりと方針として作り出してきた。これは、思えば統一教会改名問題と同じ構造である。政府が「問題なし」との政治工作をしてきたのである。もっと言えば、「話題にするな」と、強力に動いてきた。その次第を、この問題を古くからここでも追いかけてきた者として、学者の書評としてあげてみたい。
 ちなみにこの問題は今まさに、「自治体の消滅」などという形で、話題になっているが、そんなことも知る人ぞ知る社会問題だったのである。今日の羽島慎一モーニング番組でこんなことも言われていた。「通える小中学校、日用品販売店がなくなる」。これは「買い物弱者」として、話題になり始めた。「自治体のゴミ収集作業など、公共サービスが消滅する。」
 以下は、2020年8月15日の当ブログ・エントリーである。なお、上記モーニング番組からは、人口も若者も増えている地方自治体もあると学べたものだ。島根県の海士(アマ)町、富山県の舟橋村などだが、起業誘致、学校重視などの特徴があると言われていた。


『 山田昌弘・中央大学文学部教授(家族社会学専門)の光文社新書2020年5月に発行されたこの本( 「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」 )の問題意識は、こういうものだ。合計特殊出生率1・6以下の状況が30年続き、1・5以下でさえ25年続いているその原因を考えようというもの。そして、少子化の初期10年の段階において政府が採った欧米風対策が全くのピント外れだったから、少なくなった女性が産む子はまた少ないということが重なって、今はもうなかなか取り返しが付かなくなっていると証明した著作である。ちなみに、合計特殊出生率とは、女性1人当たりが一生に産む平均子ども数とされ、これが2・07人を上回れば人口が増加し、下回れば減少するとされてきた数字とあった。それが1・5とか1・6とかが長く続いては・・・というわけだ。
 71~74年の第2次ベビーブームでちょっと持ち直したかという以外は戦後一貫して下がり続けてきたのがこの数字と示されている。90年代に入って「1・57ショック」とか「少子化社会の到来」とかの標語で国家の重大問題としてきた議論が何の役にも立たなかったという現状なのである。政府対策がどうピントが狂っていたのか。
 この少子化の最大原因として、何よりも若者の大変な貧困化から来た「未婚化」等の経済問題があるという正しい見方を、国家が少子化対策の審議会などでタブー視してきたと、この本は語っている。政府が代わりに鳴り物入りで対策を出した若者の西欧風現状分析が、①若者は1人で暮らし、②愛情があれば結婚するはずで、③相手を見つけるのは簡単であるというもの。この三つが全く現状に合っていなかったという説明が、以下である。
①日本の若者は西欧と違って、親元で暮らすパラサイトシングルが多い。地方などは特にそうだ。
②③については、何よりもこんなことを言う。男女とも、育った家庭並みの生活を望むのだが、1人の収入で子どもを大学にやれるような男性は非常に少なくなった。次いで、仕事による自己実現を求める西欧女性と違って「日本女性は仕事よりも(育った親の家庭並みの)消費生活を求めている」という現実があるなどなどと、この本は現状分析するのである。

 僕、文科系は、このブログでこう述べてきたが、それを肯定してくれるのがこの本であった。日本では今、50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人に近づいている。それは、結婚相手に選んでもらえない低収入男性が増えたからだ。
 こうなった原因はこの30年近くの日本の貧困化にあって、国民1人当たりの購買力平価GDPがわずか25年ほどで世界5位あたりから31位にまで落ちたことによってもたらされた。そして、このことを原因と見ないような少子化対策ばかりを政府がやって来たとこの本も述べているのである。該当箇所に、こんな文章があった。長い引用になるが・・・・。
『私は1996年に出版した「結婚の社会学」(丸善ライブラリー)の中で「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という現実を指摘している。・・・・・
 当時、これほど評判の悪かった指摘はなかった・・・1990年代後半のマスメディアや政府は、この事実への言及を避けていた。
 政府関係の研究会で、私がこの指摘をしたところ、政府のある高官から、「私の立場で、山田君が言ったことを言ったら、首が飛んでしまう」と言われたことがある。
 当時、大手の新聞では、私の発言の該当部分は記事にならなかった。
 ある地方公共団体に依頼され執筆したエッセーに関しては、担当課長が、削除を依頼しにわざわざ大学までやって来て、頭を下げられたこともある。
 その理由は、「収入の低い男性は結婚相手として選ばれにくい」という指摘は事実であっても差別的発言だから(たとえ報告書であっても)公で発表することはできない、それだけではなく、それを前提とした政策をとることはできない、というものである』(48~49ページ)
 少子化対策がこのようにピントがずれていては、どれだけ年月をかけても何の効果もなかったということなのである。』
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫崎享「つぶやき」の推奨  文科系

2023年10月23日 10時31分03秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 ここ一週、ブログ原稿が欠けたのは標記のものへのコメントに没頭していたから。当ブログ17日にもここに載せた彼の「日中外交論」を例にとっても、「政権党政治家らのスネの傷がアメリカにつつかれて動いているだけのような日本政治」やさらに酷い外務省などに対して、際だった説得力を感じている。この「つぶやき」には外部から膨大なコメントがつき、そこに連日のように僕も書き込むようになっていたのである。週累計アクセス1000~3000程度はあっても、いつもマスターベーションかなー?などと気になっている拙ブログだけよりも、社会に対してより貢献できるだろうという、そんな意図も湧いてきている。コメントへの反応も多くて、とても面白いし。

 9条バトル。ブログを読んでいる皆さんにも、是非「孫崎享 つぶやき」をお勧めしたい。このブログは、健康維持のこと、芸術のことなどなども時々載っていて、その点僕の内容によく似ている。政治も生活も語ろう、生活人が政治を語るのだからという自然体なのだ。

 他ブログを推奨したついでにもう一言。前に述べたマイクロソフトビーイングの「Web検索画面」のことだが、9月の拙稿は全部掲載、10月も今のところそうなっていると報告しておきたい。ただ、同じ原稿になぜか「載せたり、落としたり」が何度か繰り返されることがあったということも確認されているとは、お知らせしておきたい。

 この文章は後で追加した物
 今確認したところ、マイクロソフトビーイングWeb検索画面で、10月拙稿で落ちているものが三つありました。6日の「ウクライナ報道偏向が笑止」と、13日「統一教会解散請求と国会議員資格」、及び「日本プロ野球はスポーツに非ず(2)」です。ただこれも、確か前は載っていたはずで、間なくまた載るかもしれません。僕の原稿題名と執筆者をそのままをドラッグして「Web検索」にかけると分かるのです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイクロソフトのブログ検閲傾向  文科系

2023年10月08日 06時58分48秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 僕、文科系のブログ記事の「題名と作者」をドラッグしてそのまま「Web検索」に掛けると、ほとんどが「Microsoft Bing」の検索画面に紹介されて、出てくる。8、9月で言えば、それぞれ載らなかった記事は、4つと3つだ。そこに載るというのは、それをクリックすると即、僕のそのブログ記事画面そのものに移行できる形でなのだが。そこで、「検索にかからない原稿内容の傾向」のことはここに書いてきたが、さらに今の段階でこれを報告し、論じてみたい。
 面白いことに、「初め載せなかった記事を何日か経って載せたり、それをまた消したりなどして、結局載せている」というのも同数ほどあるから、ますます興味深いのである。

・ウクライナ戦争について僕が最近多く書くウクライナ側不利情報の関連は落ちる事が多い。
・「日本サッカー盛り上げ」記事、対照的に、「日本プロ野球批判」記事がよく落とされる。
・日本の新聞名を上げた記事批判などの記事はほぼ落とされる。
・極少ない例だが、10月1日の「日本右人士の盲点・国連」が落とされた。力を入れて書いたものだったから、僕にとっては落ちたことが意外という意味で特筆ものだった。
・逆に、明らかに日本政治記事でも載るのは、自民党批判。これは事実なら何でも載るから面白い。


 以上から言える事はこんな感じなのか。この検閲はやはり、アメリカサイドの「『政治的あるいは商売的』検閲なのだ」。例えば、安倍派ら日本超保守派が大嫌いな「南京」や「慰安婦」もほとんど載るのだから。こうしてこの「Microsoft Bingの検索画面」の役割というのは、アメリカサイドのブログ監視・調査というものだろう。そう思った。
 ただし、別の角度、視点からの保留が一つだけある。内容的検閲などではなくて、「以下のこういう単語がいくつ以上入っている記事ならば紹介、掲載する」というやり方の可能性も大きい。そして、僕の記事は長いから、そういう単語が含まれる確率も高いから掲載が多いということ、だ。だとすると、大山鳴動鼠一匹ということになるが、この通りならば全く解せない事実が一つある。載る記事は発送後10分で載るのに、ある記事が何日か載らずその後載ってまた落ちるとかがあるのが解せない。このことは、「掲載基準単語一覧表」が日々換わるということなのかな? 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何度目かの、『 随筆 僕の「死生観・人生観」』  文科系

2023年09月28日 00時32分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 僕は、「あの世」、つまり死後の僕が存在しこれが行くべき世界があるとは考えていない。僕の肉体とともに僕の心も死滅し、死後の魂は存在しないと考えるからだ。ちなみに、肉体を離れてその心が存在すれば、この世以外の心の来し方、行く末が存在することになり、それがこの世ならぬ神(の世界)なのだとなる理屈だろう。と語ると、昔からすかさずこんな反論が返ってくるもの。
「ということは、牛飲馬食だけで、罪や愛は存在しないと?」
 これに対してはこう答えることにしてある。
「飲食は大事だが、例えば、罪や愛はもちろん、真善美なども存在する」
 これを言い換えればこういうことか。人生に予め決まった目的などはないが、これまで生きてきた人々は皆それぞれ何かを求めてきて、そういう人々の生活、歴史の中には、真善美、あるいは偽悪醜と言えるようなものは存在してきたと。その上で自分自身は、前者寄りに生きたいと考えてきた。

 この真善美に関わって、話は変わるが、三つの学問(対象)がある。例えば日本の旧帝大学制などではこれを自然、社会、人文と分けて、三種の科学の名を冠してきた。自然科学は自然とその応用の学問、社会科学は経済、政治など人間社会の学問、人文科学は哲学、歴史学、文学など人間文化を研究対象とする学問というように。そして、善や美は、直接扱う学問がそれぞれ倫理学、美学であるにしても、医師の倫理とか社会的正義つまり公正とか、全ての学問に不可分なものと言えるだろう。

 さて、以上を理論的前提とした僕の死生観だが、上のように生と死を観ているから現生をこう生きてきたし、今後もそうしていく積もりだ。
 活動年齢を延ばし、できるだけ長くしなやかな身体でありたいという目的を含めて生涯スポーツを意識したのは48歳の頃だった。これは今、「八十路ランナーの手記」や100キロサイクリングという形で続いている。この二つの関係は、こういうものだ。若い頃からサイクリングをしていたから、59歳にして容易にランナーになれたと。ちなみに、(長距離)サイクリングは最高の有酸素運動スポーツである。
 楽器をやろうとも若い頃から準備していたのだが、これが2003年からのクラシックギター教室通いになっている。そして定年を意識した55歳頃、文章を仕入れようと考えてある同人誌に加わり、小説、随筆などを学び始めた。これも現在継続しているわけだが、この同人誌執筆活動が2006年以来のこのブログ参加にも役に立つことになっていく。ちなみに、同人誌やブログでは、僕なりにこの日本社会に関わっているつもりだ。また、このグローバル時代には日本だけ観ていても良い政治にはならないと考えてきて、特にアメリカの国連無視悪政を批判してきた。ここ20年の日本政治は、アメリカの経済的・軍事的暴力政策への追随が酷すぎると考えている。
 なお、ギターやスポーツに込めた僕の思い(人生目的と言っても良いような思い)などは、明日から各一回ここに書いて行くつもりでいる。


(2021年11月30日 ブログ初出)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイクロソフト流検閲?  文科系

2023年09月17日 00時08分33秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 ブログの記事一つ一つの紹介をマイクロソフトビーイング画面で行っていること、それで僕のブログ記事がこの「webネット検索」画面に出てくるかどうかを調べてきたことなどを、ここで何度か報告してきた。その結果分かったのが、僕の記事はほとんど紹介されていること。その上で、最近の不掲載傾向2点を論じてみたい。

 一つは、代表サッカーの賛美記事、これは人気から言っても内容的にも掲載が当然と考えたが、最近僕にとっては大事なものが二つ落とされている。一つは、「今年面白い日本サッカー」(8月25日)と「まさに『空前』、代表サッカー」(9月14日)である。

 今一つは、ウクライナ戦争に関するもので、8月29日の「ウクライナ、二つの人道回路頓挫」と、この7日「〝ウ戦争のオカシサ〟解禁」などであり、昨日16日の「小泉悠論文に一言」もその日の内には載らず、怪しい。

 記事紹介の多くが、掲載と同時にとか直後にとかに紹介されており、怪しいものは何日か経って掲載ということもある。例えば8月28日の「ネイマールをめぐる〝サッカー文化〟論」は、何日か経ってから載っている。逆に、上記「ウクライナ、二つの人道回路頓挫」は、不掲載から掲載、そしてまた不掲載へと二転していたから面白い。ちなみに、普通は一度載ったものはほぼずっと紹介されたままになっているものだ。数年前と古い物でもそうだから、驚くのである。

 以上から僕は、こんな事を疑う。マイクロソフトがアメリカ政府には秘密はないという形でぴったりと繋がっていることはスノーデンの告発で有名になったけど、ウクライナ戦争と日本サッカー(の発展とか大人気とか)に関わる情報についてはどうも、自己規制、検閲がかかっているようだ。サッカー記事不掲載は、日米協力し合った「世界的な野球の普及、宣伝」と結びついているのだと思う。

 

17日正午ごろの追加

 このエントリー掲載は17日午前0時9分。その後今までの間に、マイクロソフトビーイング検索画面に、こんな変化が起こった。「史上空前、代表サッカー」は掲載、16日の「小泉悠論文批判」も掲載された。が、ウクライナ戦争関連の二つは不掲載。やはりどうも、ウクライナ関係は検閲がかかっているようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする