「組織的に走れるサッカー」。オシムのこのスローガンの出所は以下だろう。全選手が上手くて、強くて、大きくて、速ければ何も文句はないが、日本人はどうしても強さ、大きさに欠ける。個人のはしっこさだけに賭けるなら、これを過信しすぎて体力で粉砕されたジーコ・ジャパンのオーストラリア戦に突き当たる。協調的な判断・予測を速めつつ、組織的に走り尽くす。日本民族の得意そうなスタイルをオシムは採っている。
「敵の球を奪うべく全員協調して走り回る」。ホワードが防御の最前線にもなるということだ。その分オシムは、得点がない場合でもけっしてホワードだけのせいにはしない。奪ったその球を素早く組織的に敵陣に運ぶ。「ボールを持った人、受け手に見える人の他に、第三、四とどんどん前へ走る」、「ディフェンダーが時に攻め上がるリスクを冒すのもよし。そのかわりその跡には誰かがカバーに入る」、「ボール保持者は、球離れを早く」などなどが徹底された。「少しの手抜きも見逃さない」と選手たちは驚いているようだ。
さて、このチームで異色の常連・骨格アスリートを眺めてみよう。誰よりも先ず浦和レッズの鈴木啓太。守備陣も攻撃をというように「ポリバレント(一人複数役)」が要求されるなかで、守備専門の異色中盤である。彼の守備はどんな局面になっても絶対に裏切るまいと、絶大な信頼が示されている。オシムの言う「チームに水を運ぶ選手」の典型である。次いで、川崎フロンターレの中村憲剛。無名チームの急上昇に乗ってぱっと現れ、そのまま定着してしまった初の選手と言える。自チームでは鈴木啓太と同じ守備的中盤というポジションにいながら、テンポと球離れ良く、流れるように攻撃にも参加していく人物だ。オシム曰く、「サッカーをよく知っている頭の良い選手」だそうである。
さて、こういうチームが、中村俊輔、高原直泰が入ってみて、どう変わったのか。二対ゼロで勝利しても、オシムの評は辛かったのである。去年十月にゼロ対一で破れたガーナ戦の高評価とは好対照をなす。そう、確かに練習マッチで結果オーライを語るだけでは将来性も何もないではないか。何が悪かったのだろう。
前半はボールが流れていず、ぎくしゃくしていたとオシムは語った。この関連なのだろうが、中村俊輔への風変わりな講評があった。「彼は百%のスーパーパスばかりを狙っている。そんな事が成功する選手はこの世にはいないはずだ」と。つまり、良いパッサー、走り込み上手がそろっているのだから普通は簡単に繋ぎ、敵を崩すまでラストパスなどは待てという意味ではないか。対してその中村はこう述べている。「とにかく今日はゲームの流れをとめないことを意識した。サッカーをよく知っている選手が多く、とくに中盤の連係はスムーズだった。もっといろいろできたと思うが、オレ個人はまず結果を出さなきゃいけなかったし」。高原もこのチームを高く評価した。「非常に面白いサッカーをやっていて、将来が期待できるチーム」。この高原は後半からはチームの流れに乗っていたようだが、俊輔が中村憲剛に代わってからはボールがさらにスムーズに流れだして良かったと、オシムは暗に述べたのである。
なお、日頃口うるさい評論家たちも去年十一月のサウジアラビヤ戦辺りからはおしなべてオシム絶賛である。六勝二敗という対外仕合結果も関連していようから、今後負けた時に「結果オーライ批評論」か否かを見てみたいものだ。また、オシムの就任以来、彼の逆質問攻めもあって、マスコミのサッカー眼もどんどん向上しているようである。
以前にも当ブログに書いたことだが、オシムという希有の人物を紹介しておく。
オシムは初め、数学で大学院、学者を薦められていたサラエボ大学学生兼プロフットボーラー。旧ユーゴ国内一流を経てフランスで活躍後に、監督、人間としての「活躍」が凄い。ストイコビッチなど世界的名選手の宝庫と今でも語り草になっている国代表監督に上り詰めた実績。その実績の頂点を継続中に、旧ユーゴ国家が祖国(当時はユーゴの一地方)サラエボを包囲したことに抗議して、辞任、亡命。なのに祖国の憎み合う各地方やその選手の誰からも愛し、尊敬された人物。以降、隣国のギリシャやオーストリア、そして日本でも優勝経験を重ねた希有の監督。これが大の日本びいきときているのである。東京オリンピック参加時の想い出が好感触だったと語っている。そんな人物をこのせせこましくなった現代日本という土地で身近に見つめ、探求できる機会などめったにあるまい。日本の専門馬鹿たちに、彼の「人間として芯が通った」爪の垢でも煎じ飲んで欲しい。
「敵の球を奪うべく全員協調して走り回る」。ホワードが防御の最前線にもなるということだ。その分オシムは、得点がない場合でもけっしてホワードだけのせいにはしない。奪ったその球を素早く組織的に敵陣に運ぶ。「ボールを持った人、受け手に見える人の他に、第三、四とどんどん前へ走る」、「ディフェンダーが時に攻め上がるリスクを冒すのもよし。そのかわりその跡には誰かがカバーに入る」、「ボール保持者は、球離れを早く」などなどが徹底された。「少しの手抜きも見逃さない」と選手たちは驚いているようだ。
さて、このチームで異色の常連・骨格アスリートを眺めてみよう。誰よりも先ず浦和レッズの鈴木啓太。守備陣も攻撃をというように「ポリバレント(一人複数役)」が要求されるなかで、守備専門の異色中盤である。彼の守備はどんな局面になっても絶対に裏切るまいと、絶大な信頼が示されている。オシムの言う「チームに水を運ぶ選手」の典型である。次いで、川崎フロンターレの中村憲剛。無名チームの急上昇に乗ってぱっと現れ、そのまま定着してしまった初の選手と言える。自チームでは鈴木啓太と同じ守備的中盤というポジションにいながら、テンポと球離れ良く、流れるように攻撃にも参加していく人物だ。オシム曰く、「サッカーをよく知っている頭の良い選手」だそうである。
さて、こういうチームが、中村俊輔、高原直泰が入ってみて、どう変わったのか。二対ゼロで勝利しても、オシムの評は辛かったのである。去年十月にゼロ対一で破れたガーナ戦の高評価とは好対照をなす。そう、確かに練習マッチで結果オーライを語るだけでは将来性も何もないではないか。何が悪かったのだろう。
前半はボールが流れていず、ぎくしゃくしていたとオシムは語った。この関連なのだろうが、中村俊輔への風変わりな講評があった。「彼は百%のスーパーパスばかりを狙っている。そんな事が成功する選手はこの世にはいないはずだ」と。つまり、良いパッサー、走り込み上手がそろっているのだから普通は簡単に繋ぎ、敵を崩すまでラストパスなどは待てという意味ではないか。対してその中村はこう述べている。「とにかく今日はゲームの流れをとめないことを意識した。サッカーをよく知っている選手が多く、とくに中盤の連係はスムーズだった。もっといろいろできたと思うが、オレ個人はまず結果を出さなきゃいけなかったし」。高原もこのチームを高く評価した。「非常に面白いサッカーをやっていて、将来が期待できるチーム」。この高原は後半からはチームの流れに乗っていたようだが、俊輔が中村憲剛に代わってからはボールがさらにスムーズに流れだして良かったと、オシムは暗に述べたのである。
なお、日頃口うるさい評論家たちも去年十一月のサウジアラビヤ戦辺りからはおしなべてオシム絶賛である。六勝二敗という対外仕合結果も関連していようから、今後負けた時に「結果オーライ批評論」か否かを見てみたいものだ。また、オシムの就任以来、彼の逆質問攻めもあって、マスコミのサッカー眼もどんどん向上しているようである。
以前にも当ブログに書いたことだが、オシムという希有の人物を紹介しておく。
オシムは初め、数学で大学院、学者を薦められていたサラエボ大学学生兼プロフットボーラー。旧ユーゴ国内一流を経てフランスで活躍後に、監督、人間としての「活躍」が凄い。ストイコビッチなど世界的名選手の宝庫と今でも語り草になっている国代表監督に上り詰めた実績。その実績の頂点を継続中に、旧ユーゴ国家が祖国(当時はユーゴの一地方)サラエボを包囲したことに抗議して、辞任、亡命。なのに祖国の憎み合う各地方やその選手の誰からも愛し、尊敬された人物。以降、隣国のギリシャやオーストリア、そして日本でも優勝経験を重ねた希有の監督。これが大の日本びいきときているのである。東京オリンピック参加時の想い出が好感触だったと語っている。そんな人物をこのせせこましくなった現代日本という土地で身近に見つめ、探求できる機会などめったにあるまい。日本の専門馬鹿たちに、彼の「人間として芯が通った」爪の垢でも煎じ飲んで欲しい。