この28日、愛知県営名古屋空港の名古屋市民高齢者などモデルナワクチン注射の初日に予約を取ることができて、行ってきた。ネット予約がいち早く成功したのだからと意気込んで、予約が取れた初日開始時間12時45分の最初の方でやってもらおうと、車ではなくお得意のロードレーサーで11時15分に千種区の家を出る。車は相当混雑するだろうし、駐車場探しも面倒だと考えたのである。国道41号線から東に入った時の空港への道が少し手前過ぎて東に行きすぎて迷ったが12時過ぎにターミナルビル到着、そのすぐ下の駐輪場に留めた。案内役がそこら中にいる感じで、みんな丁寧に誘導してくださった。会場入り口で必要書類を見せると予約時間を確認されてから、「あそこで待機してください」とのこと。待機場第1コーナーひとつひとつの椅子に番号が付いていて、僕は15番目だ。待つこと20分程で時間前にもう注射態勢に入っていく。書類を確認し、医者コーナーで健康状態をあれこれ問答、その後に注射コーナーで女医さんの注射を受けた。その後は、待機場があって、しばしそこに座ることに。「異常があったら手を上げてください」とのことだった。その終了時間が僕の場合「13時3分」とあって、それですべて終了、帰ってよしということだ。
全体として、交通案内も含めて非常に手厚く人が配置され、丁寧にテキパキと誘導してくれる。初日だったから、以降のための実習も兼ねている人が多かったのかも知れない。愛知県の意気込みが伝わってきたものだ。二回目の注射は4週間後の12時45分と指定された。「明日は筋肉痛が出るだろう」と言われたが、2日たった30日もまだ左肩が腫れている。でも、たったそれだけのことだったから、30日日曜日には5年生女子の孫と名東区牧野が池緑地まで25㎞程のサイクリングをやってきたほどだ。
余談になるが、この孫の体力成長ぶりに驚いた。元々50㎞サイクリングをやる体力は持っているが、今日は凄い坂も平気で上ってきた。東山公園南裏の鏡が池・高針線が往き、帰りが西山本通から星ヶ丘に向かう急坂を3段切り替えだけのどれだけ調整してもやや小さくなっていた子供用自転車で何の文句も言わず付いてきた。まー僕はどんだけ嬉しかったか! この強さはメガロスの水泳選手コースで心肺機能を鍛えてきたこの半年間の成果に違いないのである。ほどなく良いロードバイクを買ってやることになるだろう。
2回目は熱が出る人も居るようだからとお医者さんに訊ねてみた。「また、自転車で来てもよいですか?」。対して、「熱が出るとしても次の日のことです」と言われた。またロードバイクで行くことにした。自転車が本当に好きなのである。パナソニックオーダーの紫がかった青一色、クロムモリブデン・トリプルバテッド車体にブルックスの赤いバーテープを巻いた、島野のデュラエースフルセット1997年製ビンテージ物である。
「マスコミに載らない海外記事」サイトの一昨日分に、「ミャンマー軍、権力奪取」という記事が載った。ミャンマーの「軍クーデター」には、米による中国対策という側面が大いに関わっていると。今のアメリカはこのように、他国の政権転覆などの暴力干渉を、親中国阻止とか、離米阻止とかで自由自在に操っているのである。先ず、記事の一部を抜粋する。
『アウン・サン・スー・チーが権力の座についたのは、彼女と彼女の党や、アメリカ政府に資金供給された複数組織の巨大ネットワークに対し、全米民主主義基金(NED)を通した、何十年ものアメリカ資金供給と政治支援の結果だった。
アメリカのNEDウェブサイトは、アメリカ政府が資金供給しているのを認める約80のミャンマーでのプログラムを掲載している。掲載されていないが、アメリカ政府資金を受け取っているプログラムや組織や個人や運動もある。
これら団体は、人権擁護フロント組織や、法律組織、メディア操作や、環境保護政策擁護団体まで、様々な社会政治活動に及んでいる。
アメリカがミャンマーで資金供給している活動は多種多様だが、彼らは全て、いくつかの共通目的に役立っている。
第一に、彼らはアウン・サン・スー・チーと彼女のNLD党の強化に役立っている。
第二に、彼らは、直接的、間接的に、ミャンマーと中国の協力を攻撃し、傷つけ、逆転させるという、より広範な狙いに役立っている。
直接活動をしているのは、ダム建設、パイプラインや港湾や輸送インフラなどに反対する特定プロジェクトを専門に行っている組織だ。間接活動には、分離主義をあおり、不安定化や安全保障上の脅威を生み出し、中国企業のプロジェクト建設を遅延させたり、完全に止めたり、中国が所有する鉱山の操業を止めたりするものがある。この例には、中国がチャウピューに、広範な地域的な一帯一路構想の重要な要素となる深海港を建設しようとしているラカイン州でのロヒンギャ危機がある。
中国・ミャンマー国境沿いの武装過激派戦士による不安定化をアメリカが資金供給する報道機関や「人権擁護」団体は一方的に政府の「虐待」を報じ、アメリカが支援する「人権」団体が、シリアのような場所でしているように武装集団を犠牲者として描いている。』
アメリカのこういう行動は、ここでも再三述べてきたとおりに昔なら戦争とおなじもの。実質自己都合の戦争を戦争ではない形で行っているのである。近頃有名な「制裁」「民主化闘争支援」もそれで、最近は特にその類例が多く、キューバ、シリア、イラン、ベネズエラ、ボリビア、アフガニスタンなどなど、枚挙にいとまがない。日独などにさえやはり同様のことを密かにやっているのだが、日本分は近日描き出すことにする。
ドイツに対しては例えば、メルケル首相の私的電話の盗聴。一国の首相への盗聴って、入手情報によっては強力な脅迫に使えるものであって、外国首相に密かに言うことを聞かせる手段になり得るのである。他国に対してこんなことができれば、戦争などやる必要がないではないか。
モリカケ桜、日本学術会議会員任命拒否、そして今回の自民党重鎮・森喜朗の不見識の極み発言。これらが出るたびにマスコミも、猛烈批判をする。が、選挙になると結局国民は安倍に入れて来た。自民党に投票するということは今でも「嘘つき常習犯政治」代表・安倍晋三に入れるということである。安倍の嘘つき常習犯政治とは、「選挙当選勝利だけ、他はどうでも良いという権力願望政治」というやり方を続けてきたからおこったもの。国民がそういう本質を忘れて安倍に入れてきたので、彼の政権が戦後最長になったのである。よくある「権力欲だけ政治」をすぐに忘れてしまい、他の何か「口だけ」に目を付けて自民党候補者に入れてきたということだろう。
弱小野党も口だけということなのだが、その口だけと違って、面白い行動ニュースが、毎日新聞サイトにあった。
『 「黙るもんか」森氏辞任求めJOC前でホウキデモ 女性蔑視の「粗大ゴミを掃く」 2/7(日) 19:23配信
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)による女性蔑視発言を巡って7日、日本オリンピック委員会(JOC、山下泰裕会長)が入る東京都新宿区のビル前で、森会長の退任を求める抗議活動があった。
森会長が4日の謝罪会見で「(自分が)粗大ゴミになったのかも。そうしたら掃いてもらえば」と話したことから「ホウキデモ」としてツイッターなどで参加が呼びかけられた。集まった十数人が小さなホウキや抗議のメッセージを無言で掲げる「サイレントスタンディング」で、2時間ほど抗議した。
呼びかけ人となった千葉県内のパート従業員女性(45)は初めてデモ活動に立ったといい、「女性蔑視であり、自分より弱い立場の人への圧力を感じる恐ろしい発言。政府やJOCなどは『謝ったから許そう』としているが、このままではそれを容認したことになる」と訴えた。賛同して参加した埼玉県坂戸市、自営業、渡辺好造さん(65)は「あの蔑視発言を笑いで済ませてしまう、容認してしまうのが日本社会の現状。世界から問題視されており、五輪開催国の組織委トップとして辞めて責任をとるべきだ」と話した。
「黙るもんか」という紙を持って抗議した東京都内のITエンジニアの女性(34)は「どうせ(日本社会は)変わらないだろうという空気感を変えたい。ここで声を上げないといけないと思って初めてデモ活動に来た」と話した。【大島祥平】 』
「選挙の時まで忘れないぞ!」という意味で、どんな政治家の演説よりもこれは何か嬉しかった。
今の日本人は政治のことを、自分らに押しつけられた悪政のことをすぐに忘れるから、こんな苦労があるのだから、忘れないためには、聴かれもしない演説、言葉よりもこういう行動。
国民一人当たりGDPが世界5位前後から33位にまでわずか25年で落ちぶれた国と、そういう政治。そのせいもあって、50歳まで一度も結婚できていない男性が4人に1人に近づいていて、日本史上かってなかった少子化、人口減少が起こっている国。就職などほとんど不安がなかった70歳以上の男性が、今自分の子ども、孫の就職、結婚などでとても苦しんでいる日本なのである。孫がいないから、子孫が絶える爺婆もどんどん増えているはずだ。8050問題の50にも、50歳代未婚男性が無数に含まれているのである。わずか20年で誰がこんな国にしたのか、忘れないことだ。
あれだけ酷い言動を吐いて叩かれていても、森喜朗五輪組織委員会会長は居座る方向を決め込んだようだ。「モリカケ桜」、「学術会議」に対しても、与党特大失点というような野党実績はほとんど上がっていない。政治とは、何かを語ることではなく現状諸悪を少しでも変えて、生活を改善していくことのはずなのに、こんな与党自滅言動、失点に対して、野党は何の得点も挙げられないでいるのである。
この愛知でも、大村知事リコール署名のネトウヨや維新の大失態に対して、こういう動きへの抵抗勢力はやはり、何の得点も挙げられていない。ちなみに、このリコール運動の事務局長だった県議が維新から国会議員候補になっているとは、愛知ではよく知られた話だ。こうして、あのリコール署名運動が野党が強いこの愛知への維新による浸食運動とも観られる面があるのではないか。だからこそ、あんな醜態でよかったのだが。
こんな調子だと、森喜朗、安倍らがその顔である日本会議流儀で日本をどんどんファッショ化させていく動きに対して、歯止めを掛けられる勢力が一体存在するのかと言いたくなる。この世界で40年ほど続いた金融株主資本主義が完全に行き詰まっている現在、保守の道はファッショ化しかないように見えるというのに、一体誰がこれを止めうるというのか。野党はあらゆる形で団結、協力し合って、ネットでも何でも使って、「神の国」目指す森を退陣させるべきだ。彼の女性蔑視発言は「神の国」思想ともきっちりと結びついているのである。
政治は演説するものではなく、生活改善、そういう実績。与党のこれだけの自滅点に関わってそういう実績を野党が作れなければ、「無力」「何もできない」「存在していると言えるのか」とあちこちで語られ、さらにより広い人々にそう思われていくだけである。その末は、アメリカと同じ二大保守体制?
野党が生活に根ざしていない演説、言葉だけの浮いた集団になっているから、こんなことになるのだと思う。一例、日本会議の草の根保守にどんどん負け続けているわけだ。
愛知県大村知事をリーコールすると称して鳴り物入りで大々的に展開された署名は、偽造が多すぎて全国に大恥をさらした。これについて本日の中日新聞に『リコール偽造署名 告訴 弥富市議5人「勝手に名前」』という記事が載った。主要部分を抜粋してみよう。
『同県弥富市議五人が三日、私文書偽造・同行使と地方自治法違反の疑いで、容疑者不詳の告訴状を名古屋地検に郵送で提出した。・・・・・
県選管は一日、提出された署名の83・2%が無効とする調査結果を発表。弥富市分は、3618筆のうち3340筆(92・3%)が無効だった。
これまでに弥富市議のほか複数の県議や碧南市議、田原町長らが署名に名前を勝手に使われたと本紙の取材に明らかにしている』
さて、これほどあからさまな大々的不法行為の「容疑者」らは、一体何者か。大村知事の「表現の不自由展覧会」への反発を叫んでいたいわゆる右翼団体が疑われることになるが、それにしてもなんと非常識かつお粗末な結末であることか。こうなることが分かっていた組織的大々的政治活動? それも民主主義の名において不法な権力者を裁く仕組を活用した政治活動??
街頭演説に立つなどしてこの活動を率先して応援した河村たかし名古屋市長も、この2月市議会で裁かれることになった。当然のことだろう。南京大虐殺否定発言なども含めて、河村たかし氏は右翼思想の塊。僕には、あの日本会議呼びかけ文章への賛成者としか思えないのである。だからこそ、こんないい加減な運動に見境なく飛び込むことができたのだ。この市長は、名古屋市民の恥である。
トヨタの社長が標記のことを猛烈に叫び始めた。この批判論法に少々、疑問。「EV中心に早く替わりすぎれば、日本の場合は火力発電からCO2が増えるだけ」というのがその批判論法なのだが、この批判は正当な正攻法批判とは言えず、派生的問題での批判に過ぎないと言いたい。世界の趨勢を見誤り、時代に合う商品開発が遅れたと思い知って、慌てているだけではないのか。
トヨタに言いたいのは、このこと。そもそも何故もっと早くにEVに切り替えずに、ハイブリッドなど化石燃料に拘っていたのかということだ。つまり、既得権益に拘っていて、開発イノベーションに遅れるということが既得権益大企業には時にあるものだが、その責任は自分自身にあるだろうということだ。それを「早すぎるノーカーボンは、日本の雇用を減らすだけ」とも批判しているのだが、このこと自身が自社の中長期計画の誤りを正当化しているに過ぎぬと僕には思われてならないのである。ちなみに、トヨタほどの力があれば、政府にこう迫って成果を上げることも十分にできたはずなのだ。「自動車もCO2なしにしていくから、できるだけ早く火力発電を再生エネルギーに切り替えよ。そうでないと、我々の大きな裾野も含めて、雇用が守れなくなる」
ひょっとして、社内にもそういう声があったが、それを社長が抑えてきた? それでちょっと興奮している?
日本学術会議会員選考について、今回新たに学んだ法的な重大問題性というものを追加させていただきます。
国家公務員一般の人事法規を持ち出して、内閣総理大臣が任命却下を出来ると強弁したのが、今回。対して、法律専門学者らが、こう反論している。内閣からは独立しているべきとして特別に配慮が必要な国家公務員については、国家公務員一般の人事法とは別の特例法を定めてある。この特例法が、一般公務員法規よりも優先するからこそわざわざ作られたものということである。例えば、検察官。これについて安倍は、黒川氏の定年延長という異例を、一般公務員扱いと弁明しつつ行った。さらにその前には、集団安保問題で内閣法制局長官。慣例を破って、内部昇格をせずに外務省国際条約局長だったかを連れてきた。そして今回は、「学問の自由」に関わる学術会議人事特例法を無視した異例の人事介入である。
これら全て、内閣から独立性が必要な部門ばかりで、そういう部門へのかつてない強引な介入なのである。検察・司法とか、学会の「国会」とか、内閣内で相対的に独立しているべき憲法・法律解釈部門とか、これらへの強引極まる異例な内閣介入連発は、「内閣と、その独裁が手を付けた部門の忖度深化との悪循環」がどんどん進んでいくことを示している。これを、ファッシズムの開始でなくて何と言うべきだろうか。議院内閣制をとる国でこんなことをやり始めている時には、司法でさえその独立は陰でどんどん損なわれてきたに違いないのである。まず、密かに行う。それが発覚しても、理由は公表しない。いやいや公表させられた時には、理屈にもならない詭弁論法を暴力的に通していく。今回も明らかになったこういうやり方もファシズムの臭いに満ち満ちている。後継内閣がこんなことをするって、いったんは退いて尻についた火を消してから第三次内閣を作って、日本会議が目指す国家を作り上げていく算段なのだろうかなどとさえ、訝っている。
新生児は、目に見え、手で触れるものの言語、その知覚、知識からまず発達していく。それが小学中学年になると、目に見えず、手で触れない物事の言語、知識で飛躍していく。そのころには「僕は何何しました。そして次にまたこれを・・・」等という文章をいくら長く細かく書き連ねられても良い作文とは言えず、接続詞、形容詞とか抽象名詞などがどんどん入ってこなければならない。こういう文章を因果関係に目を付けて書くのが「論理国語」の走りなのだろうが、こういう因果関係というのは、まだまだ目に見える世界に近いのである。例えば、「地面が全部ぬれているから雨が降ったのだろう」とか、小学校の算数とかは、まだまだ目に見える世界の範囲とも言える。
では、本当に目に見えない人間の世界とは、何か。その典型は人の心の世界だ。目に見え、手で触れる対象がない世界、学問分類でいえば、哲学、史学、文学など、人間文化を扱う世界である。「文学国語」らしいそれとはまさに、この人文科学領域の国語遣いを言うのであろう。心を表すどんな言葉も、目には見えないし、手でも触れない。「あれがまさに誠実を表す行動だ」などとは言えても、それで誠実という言葉が分かったことにはならない。ちなみに、旧制帝大以来の大学の学問は、この人文科学と、社会科学、自然科学の三分類があったはずだ。こうして、こんなことが言える。
論理国語がどれだけ優秀でも文学国語(の世界)に弱ければこうなる。営業が出来ない。組織を動かせない。力のある政治家にはなれない。そもそも、人育て、子育てさえ苦手になるはずだ。なお、このブログでも書いてきたが「国語科は学問であるか」というよく出る問いは、この世界のある部分の学問性を疑うものである。ちなみに、こういう問いの底深さは哲学上の大問題にも行き着いてきたものだが、それについてもこういう回答でたりると考えてきた。
文学国語の世界には数学のような答えが出ない問い、領域もあるが、それでも人はそれぞれの総合判断力によって蓋然性でも何でも、結論を出し、決断していかねばならない問題ばかりを抱えていくものである。進路、就職、職場の人間関係、結婚、子育て、離婚、・・・人生の重要なことこそ実は全て文学国語がらみである。他人を知り、自分を知る事を通して、人間に通じていくのは、文学国語を駆使していく作業そのものだと言える。
この23、24日、自民党広報の標記のことが新聞を賑わせている。自民党や(おそらく世界中の)右翼とこの論議とは昔から親密なのであって、日本でのその歴史は明治期までさか上ることができると、当ブログでは幾度も繰り返してきた。明治の東大総長・加藤弘之がこんな議論を展開して、戦前日本外交戦略の基礎理論としたからである。
『ダーウィン進化論における「優勝劣敗」の人類闘争のなかで、我々東洋人は現在の優者たる白人国家にどう対処していきうるか。天皇の下に一致団結して富国強兵を図ることによってのみ、その道が開かれるであろう』
これが世に言う社会ダーウィニズム。これと同類の思想を自民党広報が今回また憲法改定目指して掲げ直したわけだが、二階幹事長はマスコミ批判に対してこう開き直って見せたものである。「ダーウィンは喜んでいる」。こういうダーウィン「誤用」に対して当ブログでは、ずっとこんな批判を繰り返して展開してきたので、一部をご紹介したい。
『・・・・さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。
以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。』
①事件がかなり進んでからもしばらく(事件後数日?)、「私がやらせたと言って良い」と周囲に語り回っていた事が知られています。
②それなのに記者会見で一転、「選手が我々の言葉を誤解したのが原因」と吹聴し始めました。①の後でこれが通ると考えていたやのこのお馬鹿ぶりは、一体どういうことなのでしょう!
③こうして、①も馬鹿だが、これに重ねてさらに輪を掛けたようなお馬鹿ぶりが②という関係になります。①をやりまわった後でも②の言い逃れが通っていくと考えているこの大馬鹿!こんな事を重ねればもう、入院に逃げ込むしか道はありません。
このような独りよがり思考は、世間知らずの唯我独尊思考とも言えるはずで、誰からも批判されたことがないような人物特有の特徴と言えないでしょうか。
こんな人物が学生78,000人という巨大学校法人の人事担当常務理事と人事部長、運動部全体の予算を握る『保健体育審議会局長』という顔を持っている。呆れてものが言えません。
【 あんころもちさんへ、改めてお礼と、お詫びです。
お礼はこのこと。ご紹介頂いたWIKIを読みました。他の関連マスコミ記事(アクセス先)が無数に資料としてついているし、長い本文もよくまとまって全貌がとてもよく分かるものでした。主だった資料まですべて目を通しました。とにかく深謝です。
おわびはこのこと。僕の上記コメントであなたへの意見として出した「事件性?」は、ほぼ僕の誤り、貴方のいうとおり警察が大変悪い。血を流していたり、一目瞭然の半病人・裸で街をうろついている人がいる、あの家は暴力的に占拠されているなどなどと通報されているのに、警察がなにもしなかった。例えば、T家の生きている父親とか、殺されたその兄とかは警察にも訴えていたらしい。特に兄は最後には監禁致死させられましたが、それまでは姪の救出などのために必死に動き回っていたとても正義感の強そうな方です。硬骨漢だから殺されたとも言えるほどだ。
さて、この事件ですが「日本がここまで来た!」という感じがして、とうてい他人事ではいられませんでした。少年の「虐めや脅しから、金品要求へ。これが発展して、金品目的の虐めへ。そしてその常習化」という事件が全国的に頻発していますが、その「極めつけの発展形態」という気がするからです。この64歳の主犯の報道されはじめた学生時代は、こういう傾向の先駆けだったとみることもできるのではないでしょうか。そう思えば例えば、この事件で明らかになり始めているのは主犯50歳前後以降のこと、その前の同類犯罪が何もなかったとはとうてい思えないのです。今判明しているこの6家族事件の最初の家でも、25年前に母が亡くなっていますね。この方の死体遺棄も疑われていますから、殺したとすれば主犯が40歳の時になります。と、それほどに想像を絶する事件だからこそ、警察も「事件性」をとらえられず、長く放置する結果となったとも言えるほどに「世の最先端、かつ極めつけ」を感じるのです。中学生の酷い虐めを「遊びの延長」、「強制性というよりも、被害者の任意性、同意もあったのでは?」と処理しがちな教育界のように警察もとらえたのではないかと述べたら、言い過ぎでしょうか。としたら、教育界だけでなく、犯罪に精通しているはずの警察の世界も世に追いついていないというか、世間を捉えがたくなっているというか、とにかく世の中の加速度的退廃に誰も追いついていけてないのじゃという危機感があります。一般人ならもっと追いついていませんよね。とくに、我々のような他人をリスペクトする昭和世代は。これは、大変怖いことではないでしょうか。まだまだ今の日本にこういう被害者が一杯増えつつあり、放置されているのではないかと推測できるからです。
角田美代子が人を人とはまったく思っていないこの感覚って、真っ先にヒットラーやスターリン、毛沢東を思い出してしまいます。これに関連して最後に、貴方も述べた大事な一言に。この事件自身にかぶせた「朝鮮人ウンヌン」の論議がネット上にいかに多いかも分かりました。こういう彼らは「ヒットラーと同類」、「その卵」という自覚など全くありませんよね。これも大変怖いと感じていたものです。フランス、ドイツなどでも移民を叩く風潮が右翼世界で膨張していますが、若者の失業など生きていくのさえ大変なグローバリズムの中で、誰かを叩きたくなるのでしょうか。弱者同士が相乗的・加速度的に非人間的になりあうって、さらにさらに怖いことと感じています。長々と、失礼しました。】
この場では、ほとんどの皆さんが共通にご存知の事実です。
しかしこれらは、只今さんがご指摘のように大部分のメディア(その代表がNHK)によって無視され続けてきたものです。
こうした事実を、海外のメディアによって報じられてから慌てて追随する報道関連の人たちは自らを恥ずべきです。
また、もしそれが、ギリギリまで報道を管制するという「原子力ムラ」の有言、無言の圧力によるものであったとしたら(その疑いは濃厚なのですが)、日本のメディアは二重、三重に恥ずべきですし、また、私たちはより一層、メディアリテラシーの能力を身につけなければならないと痛感した次第です。
少し長くなりますが、全文を再掲します。
=======================================
「原子力とあじさいの花」
一ヶ月前から毎週金曜日、日本では忘れ去られていた習慣が復活している:デモ。それも週を重ねるごとに参加人数が増えていく。大手メディアはほとんどこの事実に触れない。公共の放送局であるNHKは完全に無視している。一方で警察は、主催者によれば10万から15万人であるという参加人数を十分の一に減らして発表している。
いったい何が首相官邸前に梅雨時の悪天候にも関わらず若者や若くはない者、家庭の主婦 、サラリーマンやアルバイト、僧侶、有名人や一般人を駆り立てるのか? 福島原発事故から一年と少しが経過した時期の原子力発電所再稼動への反対である。2011年3月11日の津波をきっかけに原発惨事を招いたのは特に人間の職務怠慢であると先日国会の委託を受けた専門家による調査は結論付けたばかりである。既知の事実を公認する形となったこの重たい報告は国家と原発を経営する大企業との間の対立を鋭くしている。
何十年にも渡って反対者の声は鎮圧され、マスコミに無視されてきた。しかし今日、その一部は人々の耳に届くほどに大きくなってきている。現在行われているデモは、1960年の日米安保条約再調印に対する(遥かに規模の大きかった)デモや沖縄の米軍基地に対して何十年にも渡って続いてきているデモ以来最大規模のものである。それは果たして「紫陽花革命」(紫陽花の花はこの季節に咲く)につながるのだろうか? 7月16日には「さよなら原発」による呼びかけで別のデモが予定されている。船首に立つのはノーベル文学賞受賞者大江健三郎。10万人の参加が期待されている。
デモの参加者人数をめぐる論争は政府の困惑ぶりを露見させる。行政サイドによる参加人数の過小評価を論破するため、7月6日に反対者側がチャーターしたヘリコプターから撮影された映像は驚異的な参加者数を証明した。異常なほどの警察動員やデモ開催地への最寄り駅である地下鉄出口の封鎖は、参加者を意気消沈させることを目的としている。また大手メディアの「慎重」な報道姿勢は、国にあまりに劇的な反対運動のイメージを与えることを阻止する効果があった。しかしながら参加人数問題を越えて、不満の雰囲気は明らかに感知される。
世論調査によれば日本人の3分の2は脱原発に賛成している。「さよなら原発」が脱原発のために始めた署名運動は既に7百50万、また原発の是非を問う地方市民投票を求める署名運動は30万を集めている。しかし後者は東京と大阪の行政にはねつけられた。反原発運動は、野田佳彦首相による7月5日大飯原発(西日本所在)の再稼動の決定によって火をつけられた。さらに二基目が18日に稼動されることになっている。他の物もそれに続く予定だ。2011年3月11日以来日本にある50基余りの原発は定期検査のために一基また一基と停止されてきた。この二ヶ月間は全基停止した状態が続いていた。
専門家達は、今回の再稼動を安全対策不足のため時期尚早であるとする。大飯原発は政府が危険を過小評価する活断層の真上に建っていると言うのだ。福島原発事故前同様、関西電力(Kepco)は大地震の再発しないことを天に祈るのみである。
反原発運動は社会の発展を反映している。今までの仕組みが破綻し、デモへの参加は個人個人によって行われ、闘争の色は薄い。 人々は社会的ネットワークを介して集まるようになった。1960年70年代の反原発運動の中心は農業や漁業従事者(原発は海沿いに建っている)であり、彼らは自分達の生活様式を守るために闘っていた。さらに1986年チェルノブイリ事故後には女性達が環境保護運動の先鋒となった。
福島原発事故以来、新たな反原発層が現われた。近年急速にその数の増えた臨時雇用者達である。若者が多く、フレキシブルな労働力という立場から時間に拘束されない彼らは、反原発運動の中に自分達をマージナルな存在に追いやる現在の社会経済体制に対する不満を表現する場を発見したのだ。彼らはまた原子力発電所現場で最も危険な仕事を負っている自分達の同類に共鳴する。ある若いデモ参加者は「停電?自分は貧乏だから電気代未払いのせいで知ってる」と話していた。やや短絡的な論議だが、原発安全神話の崩壊に呼応する「日本の底辺層」の不満を露見させるものである。
フィリップ・ポンス記
私は何故、郵政を民営化しなければならないのかよくわかりませんでした。
しかも、当時を思い出せば、民営化問題は、衆議院で可決しましたが、参議院で反対されました。しかし、衆議院を解散するという暴挙をに出たのです。
アノ頃は、新聞・TVも刺客・刺客の大騒ぎで、結局、自民党は、現在の議席があります。その後、田舎の簡易郵便局が無くなったという報道もされるようになりました。麻生が、次の衆議院選挙を有利にしたいのはわかりますが、それにしても民主党は、どういう考えがあるのでしょうか?共産党もどうなのでしょうか?
簡保の施設の売却問題もありますが、問題は、地方の簡易郵便局の問題が大きいのです。日本の郵便局の人達は真面目ですから、田舎では、一生懸命になって手紙や宅急便も、簡易保険や貯金も勧めているのでしょうが・・。
確か、ドイツも国営と民営を共存させてしたようですが?ポストが二つあったそうです。
また、例のアメリカからの年次要望書で、アメリカの保険業界が、日本の郵貯・簡易保険に対して日本への圧力を掛けたのです。NTTもそうです。平成16年4月発行の「拒否できない日本」文春文庫ー関岡英之著ーを読んで下さい。
現在でもアメリカ大使館の広報をヤフーでひけば出てきます。
「夫の方からの『夫婦論』が、日本は決定的に少なかったと思います。妻が『水か空気』になっているからなのでしょうね。しかも、社会的に地位の高い男ほど、『妻は水か空気』度合いが高いから、余計に『夫からの夫婦論』が社会の表面に出てこなかったようです。
一昔前は『妾の存在は男の甲斐性』などとうそぶいた政治家もいて、社会的地位のある人ほどそういうことも多かったようです。
こういう日本的夫婦史は子供たちにも決定的に悪いことだと思います。そういう夫婦をみて育つのですから、結婚に実のある夢が描きにくいのではないでしょうか。結婚や結婚式の、マスコミが作る『夢』や『ノウハウ』に踊らされる消費者である若者ばかりが多いようにも見えます。
僕は連れ合いの方が僕よりも早く逝くと思ってきました。僕がもうすぐ68歳になる今でも、10キロランニングをやれて細胞と循環器が若いのに、対して連れ合いには糖尿病がありますから。連れ合いは、長生きできにくい先天性の病気であって、僕の細胞と循環器の若さは、ガンや脳卒中になりにくいということです。
僕は相当わがままで、時には自分勝手なようにも生きてきたし、それに対して、完全共働きの連れ合いが相当がんばって、また生活の力もあり、いろんな幸せをくれた分、母をしっかり看取ったようにしっかり看取りたいと思ってきました」
ここに書いたことは、とても大事なことだと思ってきました。なお、連れ合いに頼らず僕が母を看取ったときのことは、このブログの07年2月15、17日の小説「歩く」をご覧下さい。
みなさん、ちょっと断片的でも良いから、夫婦論を聞かせてくれませんか。