九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

討論報告、性奴隷否定問題  文科系

2014年08月29日 00時22分09秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 8月17日のエントリー「国際経済最大問題、さりげなく」で、標記のコメント討論がなされた。今大事なことと考えるので、再掲する。文春や新潮が、実に非論理的かつ愚かなデマにシャカリキきになっている折りだ 。朝日新聞の済州島強制事件が虚報だったというだけで、性奴隷そのものが否定されるというような非論理、愚かぶり、やり方なのである。本当にアホらしいためにする議論と言う他はない。以下のように。

 Unknown (日韓基本条約)2014-08-19 14:25:25
 現在発売中の週刊現代(八月三十日号)でも読め。
なんで謝罪をしないんだろう?……もう、何回も何回も何回も何回も謝罪しただろうがああああああ!
「一回だけ謝罪してくれれば」で、何回謝罪したと思っているのか。
もう朝鮮人の言い分は相手にしない。
日本国民が右翼化したのではなく、「何回も謝罪したのに、謝罪を求め続ける」から、日本人がうんざりしただけ。
うぜー相手にイライラすることが右翼化なら、人類全員が右翼じゃよ。
(強制連行の)確証が得られないにもかかわらず謝罪したし金も出した。
お前らの大統領も今後問題化しないと言った。

 強制否定問題 (文科系)2014-08-20 15:25:05
 ここで論じているのは、国際経済問題だったが、名無し君が強制否定問題をここに絡めてきた。それでやむをえずの応戦ということですよ。謝罪問題ではなく、強制問題である。

 Unknown (日韓基本条約)2014-08-22 20:34:08
 河野談話。朝鮮系日本兵(朝鮮系志願兵とも)の動員242341人。将官にまで昇進した朝鮮系日本人は9人もいます。当時に談話のような事実があれば朝鮮系は反乱を起こしていますよ。

 条約さん (文科系)2014-08-22 21:33:38
 条約さん、それなりのご応答を深謝。国際経済問題ではなく、強制問題をあらためて出されたんですね。
 でも、これへの答えは簡単。これは論理であって実証ではない。実証がすべての裁判所なら、何言ってるのってなりますよ。同じ論理でも、僕のすぐ上の日朝史を踏まえた論理に比べて、失礼ながらダントツに稚拙な論理である。むしろこんな論理よりも、現実はこうでしょ。
 現実は朝鮮の軍人さんでさえ慰安所を活用したでしょう。日本人も朝鮮人もそこにいたでしょう。上で僕が述べたような意味での朝鮮人への強制が事実としても、そのことはご本人からは誰も言いませんよ。そして、日本人がいたなら、朝鮮人問題は問題にならないはずです。
 以上のこんなこと、当時としては当たり前でしょ。だからといって、強制がないということにはなりません。上のようなあなたの文章は、想像力がなさすぎの形式論理と思いますね。当時の世の中をあまりにも想像できていない。だからまるで、同じ論理でも小学生のような論理だ。日本人でも女衒に騙されて強制ということはあったに違いありません。いずれにしても、この問題では右の人々の負けは明白。当時の朝鮮が日本より一段低い国であったのは事実で、慰安婦召集もそう扱われたはずだから。
 失礼。

 Unknown (単なる売春婦)2014-08-22 23:03:40
 広義の強制なんてどうでも良い(今でもある)。
国(軍)による狭義の強制……「強制連行された」「性奴隷」……こんなもの絶対に認められるかー!(お前らは在日だから平気かも知れんが)
実際に起こっていること……米国では日本人の子供が韓国や中国の子供にいじめられている!

 性奴隷部屋です (文科系)2014-08-23 02:50:18
 性奴隷だし、奴隷部屋ですよ。
 国軍に制度としてあって、女衒がいてご本人には騙して連れて来ることも多く、逃げられないように管理されていたはずだからです。これらの条件は少なくとも全てそろっていたはずだ。これを「今でもある」などと簡単に語られているが、今こんなことやったら大犯罪になるはずだ。騙して連れてくることも、逃げられないような管理も。こういう召集も管理も、軍がやっていたのはまちがいないのです。
 こういう総体的事実を、なぜ狭義の強制の一つが虚報だったというだけで否定できるのです? なぜそこだけに目を付けて、上のように言う僕らが「お前ら」などと言われねばならぬのです? 

 さらに・・・ (文科系)2014-08-23 06:38:12
 さらに一言。
 上のような意味での性奴隷を性奴隷ではなかったなどと日本人のほうから大声で言うから、植民地にして苦しめた事への日本人の態度も大きすぎたりするから、その子どもがいじめられるのかも知れませんよ。米国で本当にいじめられているとするならね。
 また「在日、在日!」と大声で品もないし、そもそも五月蠅すぎます。これも無恥、無知で恥ずかしい限りだ。
 日本人は歴史的には、みんな在日じゃないですか。貴方ももちろんね。縄文人は南から、弥生人は北からの、と言われています。北からの在日は、韓国人と兄弟であることを示しています。元々今の地球上の現生人類は全て、15万年ほど前アフリカを出た一人ないし数人の女性の子孫だと、この説はDNA追跡から証明されているもの。よって、在日在日って、馬鹿みたいな言葉ですよね。なぜ、朝鮮植民地化以降の歴史だけで物を語るんでしょう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞の片隅に載ったニュースから(164)    大西五郎

2014年08月28日 19時40分48秒 | Weblog
来年10月再増税「困難」 本田・内閣参与景気懸念で慎重 (14.8.28 中日新聞)

安倍晋三首相の経済政策のブレーンで内閣官房参与の本田悦朗・静岡県立大教授は二十七日、共同通信のインタビューの応じ、消費税率を予定通り二〇一五年十月に10%へ引き上げることは「難しいのではないか」と慎重な見方を明らかにした。
今年四月に消費税率を8%に挙げた後の景気の落ち込みを踏まえ、再増税は「リスクが大きい」と懸念を表明。「七~九月の(経済統計の)数字を見たい」としながらも、経済の情勢次第で、実施時期を半年から一年半程度延期することも検討すべきだと指摘した。
首相は10%への再増税を今年十二月に判断する方針で、本田氏の慎重姿勢が影響を与える可能性がある。
本田氏は最近の景気に関し「非常に厳しい状況が続いている。消費と設備投資の落ち込みが激しい」との認識を示した。その上で、四月に消費税率を8%に上げてから再増税判断までの期間が短すぎるとし「2回目の増税によって相当消費マイインドが落ち込んでしまう」と語った。
消費税の再増税には、デフレ脱却にめどがつき、経済が安定することが必要だと強調した。こうした環境が整うと期待され、予算年度の始まる月でもある十六年四月か十七年四月に実施時期を遅らせる案を選択肢に挙げた。
増税を延期しても「(財政再建に向けた)説明責任を国際社会に果せば国債の信認が傷つくことはあり得ない」と述べ、国債が売られて金利が急騰するとの懸念は当たらないとした。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

内閣府が13日に発表した4~6月期のGDP速報値は、前期比1.7%減、年率換算で6.8%減となりました。4月の消費増税前の駆け込み需要の反動で、個人消費が過去最大のマイナスになったことが主因。設備投資や住宅投資も下落に転じており、1997年の消費増税直後を大幅に上回る刑期の冷え込みを示した(毎日新聞)。
最近の政府の月例経済報告(8月26日公表)では、景気の基調判断を「緩やかな回復基調が続いており」としながらも、個人消費や生産に弱さが残っていることを踏まえ、景気下振れのリスクの要因として「駆け込み需要の反動の長期化」を新たに盛り込み、先行きへの警戒感を示した(毎日新聞)。
政府は7月下旬、今年度のGDPを1.2%増という見通しを発表しましたが、民間の調査会社各社は当初の今年度1.0%増の見通しを軒並み0.5%に引き下げており、政府見通しの1.2%増は実現困難とみています(毎日新聞)。
今年4月の消費税率引き上げがわが国の経済にマイナスの影響をもたらしているようです。一時マスコミからも持て囃された感のあるアベノミクスですが、民間投資を喚起する成長戦略という第三の矢もあまり働いていないようで、首相の経済ブレーンからも疑問符を突きつけられた格好ですね。
                                          大西 五郎
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我々はなぜ金太郎飴だったのか」後編  文科系

2014年08月28日 07時26分21秒 | 国内政治・経済・社会問題
 さて、以上のような全体を振り返った時、従来の正統な「変革の哲学」、科学的社会主義思想には、客観主義という重大な欠陥があったということに突き当たります。古今東西多くのマルクス主義(的)哲学者達が、こういう批判を行ってきました。戦前のヨーロッパでは、ルカーチ、グラムシ。戦後すぐの日本でも、マルクス主義の客観主義的理解を批判する「主体性論争」が有名です。古在由重、真下信一、丸山真男、村松一人、清水幾太郎などなど、そうそうたるメンバーが岩波の雑誌、「世界」などで論争しました。この論争において客観主義批判を行ったのは、真下、丸山の両氏です。清水氏らの科学(万能)主義や古在、村松氏らの「正統派」弁証法的唯物論者に対して、「人間の主体性というものはどこ行っちゃったの?」という論争だったと言われています。さらに比較的近くでは、戦前からのマルクス主義哲学者・古在由重氏の追悼論文集「転形期の思想」(梓出版社、1991年刊行)にも、そのような批判論文が多く収められています。

 過去に全般的危機論こそ誤りとして退けられましたが、貧困、困窮が変革を起こすという発展途上国型変革論、視点が今でもまだまだ暗黙の主流なのではないでしょうか。重ねて言いますが、困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、労組や変革の陣営が力を減じているということが説明できません。それどころ、労組の方が労働者を獲得できないこんな時代に、逆に体制側が労働者の「自主的」組織化を進めえてきたという例は、この数十年山ほど存在しているのではないでしょうか。自主管理活動、QC活動、提案活動などは「経営者主導の大衆運動」という側面さえありました。「アメだけでなくムチもあっただろう!」と言ってみても、始まりません。そんなことは当たり前の話ですから。
「経済、『土台』が人々の生活を困難にしている。そのことを『学び、知らせ、宣伝する』ことに努めれば議会で多数を占め、やがて世の中が変えられるはずだ」という理論は人々を獲得できていないのです。それは、変革方針を考える哲学が以下のような誤りを持っていたことに呼応するものだと、僕は考えるに至りました。マルクス主義哲学、科学的社会主義のいわゆる土台と上部構造の関係の捉え方に客観主義的な誤りがあったと、そういう哲学で政治戦略を考えることしかできなかったからだと。
以下次に、そういう哲学にかかわる批判的まとめを数点にわたって行い、結びとしていきます。

1 土台が上部構造を規定すると言い、他方で上部構造が土台に反作用すると言います。そして、いわゆる社会主義的変革においては、後者の上部構造の「相対的独自性」が極めて重要になってきます。政権を取ってから土台を変えていくという、過去の国家の歴史にはなかった過程をたどると規定されているからです。つまり社会主義的変革においては、上部構造でイニシアティーフが取れなければ政権がとれず、新しい社会は来ないはずだと言いうるわけです。

2 上部構造の相対的独自性とか、その土台への反作用とか言われたもの自身については、古典の中には僅かですが、こんな論述が残っています。土台は上部構造諸領域に直接に何かを作り出すということはなく、それらの中の歴史的に与えられた独自の枠組み、諸条件を、外から間接的に変えうるだけだと。しかしながら、階級性とか「労働者的」とかいう表現、考え方には、こういう上部構造諸領域の独自な発展に対して外から土台的な物を持ち込みがちだという傾向が含まれていたのではないでしょうか。「階級性が科学性を保障する」という「方法論」は機械論の一種にもなりうるもので、客観主義の危険性を常にはらんでいます。土台を重く見過ぎる政治(主義)が政治学、哲学、文学などと絶えず摩擦を起こしてきた過去の世界的・歴史的姿は、極めて悲しむべきその証明であったとは言えないでしょうか。

3 1、2からすると、政治学、哲学、文学など専門学者たちの尊重ということが極めて重要になってきます。しかしながら従来の政治は、これらの方々からは学ばず、逆にこれらの方々への統制ばかりが目立ちました。その結果として多くの人材を失ってきたというのも明白な事実だったと思います。ましてや、外部の学者などとの討論などは、狭められるばかりではなかったでしょうか。こうして残った人々の作る政策、方針はますます、機械論、客観主義の色彩を帯びてくることになったと言えるのではないでしょうか。

4 客観主義は、戦略を考え、政策を作る過程で、「土台の上部構造への規定性」という視点から見たその都度の社会認識、その宣伝を重視しすぎて、実践的契機を軽視するという特徴をも有することになります。こうして、社会変革が結局、認識・宣伝の問題に矮小化されていなかったでしょうか。「客観的に明日がそこにあるのだから、それを知らせるだけでよい」と表現できるような姿勢です。しかしながら、そういう「正しい」認識、宣伝が進まないならば、その元である実践的世界を重視しつつ、そこからもう一度戦略を練り直すという努力が必要だったのではないでしょうか。人々が認識を進め、深めれば社会が変わるという側面は確かに存在するでしよう。しかしながら、2の諸側面も含めて、様々な生活点、生産点で実際に日々人々が変わりあい、生活を改善しあっていなくとも社会への認識を深め、広めあうことができる考えるならば、それはやはり客観主義の一種という誤りなのだと考えます。「改善の感性は十分にあるのだから、あとはそれを整理し、認識、宣伝すればよい」というのではなく、「改善の感性自身を実践的に育て合わなければ、必要な認識も生まれないし、広がらない」と言い換えても良いと思います。

 終わりにさて、こんな事を何故今むしかえすのかというご批判もあるかも知れません。今こそもう哲学よりも行動の一致だろうとも言われ、政治の表面に見える姿は既にこんな論議を必要とはしないはずだとも指摘されそうです。でも、世界観政党が、己の世界観の根本をなし崩しソフトランディングさせていくというような姿には、一種やはり根本的に胡散臭いものを感じざるを得ません。そう見ている人々は多いと思うのです。
 また、客観主義のままでしかもそれを表面上は隠しておいて、将来「正しかった」と強弁できる日が来るだろうなどという姿勢であるならば、それは二重の意味で論外というものではないでしょうか。
 いずれにしても歴史に汚点を残すことになります。過去の文献は残っているのですから。世界観政党が、自らの公式世界観解釈史に汚点を残す。それこそ、取り返しのつかないことだと考えます。

(終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞の片隅に載ったニュースから(163)     大西五郎

2014年08月27日 19時02分50秒 | Weblog
首相、A級戦犯を哀悼 4月の民間法要「祖国の礎なられた」(14.8.27 朝日新聞)

安倍晋三首相が4月、BC級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを書面で送っていたことが朝日新聞の調べで分かった。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する高野山真言宗の奥の院にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。元将校らが立ち上げた「追悼碑を守る会」と、陸軍士官学校や防衛大のOBで作る「近畿偕行会」が共催で毎年営んでいる。
追悼碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に1994年に建立。戦犯として処刑されたり、収容所内で病死や自殺をしたりした計約1180人の名前が刻まれている。靖国神社に合祀される東条英機元首相らA級戦犯14人も含む。
首相のメッセージは司会者が披露。「今日の平和と繁栄のため、自らの魂を賭して祖国の礎となられた昭和殉教者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げるとし、「今後とも恒久平和を願い、人類共生の未来を切り開いていくことをお誓い申し上げる」とした。
安倍首相は昨年と04年の年次法要にも主催者側の依頼に応じ、自民党総裁、幹事長の役職名で署面を送付した。首相経験者では森喜朗氏が首相退任後に一度衆院議員の肩書きで送付してきたが、ほかに例はない。安倍首相の事務所は取材に「お答えするつもりはない」、自民党総裁室は「党としては関与していない」と答えた。
※ 記事は少し長文でしたので、一部を省略しました。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□

BC級戦犯というのは第二次大戦後連合国によって決められた「極東国際軍事裁判所条例」の犯罪のうちB項「(交戦法規違反など)通例の戦争犯罪」やC項「(非戦闘員に対する大量殺人や捕虜の虐待、非人道的行為など)人道に対する罪」に問われて裁判を受けた人たちです。軍刀で捕虜を惨殺する模様が公開されてもいますが、上官の命令に従ってB級戦犯に問われたり、現地の人のあやふやな証言や人違いによる冤罪などもあり、戦後ずっと問題になってきました。
安倍首相が「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要にメッセージを贈った問題は靖国神社参拝と同じ問題をはらんでいます。東条英機首相らA級戦犯の名前も刻まれた追悼碑にメッセージを挙げるということは、A級戦犯を顕彰することになるからです。例え内閣総理大臣ではなく、自民党総裁名でメッセージを送ったとしても、諸外国からは「日本の総理大臣が戦犯の追悼碑に頭を下げた」と見られます。
安倍首相の歴史認識(つまりアジア諸国に対する日本軍国主義の侵略の否定)を示す結果になっているのです。安倍事務所が取材に対し「お答えするつもりはない」と答えたのは、被爆者代表に集団的自衛権を認めないと言われて「見解の相違ですね」と答えたのと同様、国政の責任者として、国民に向き合って説明するという態度の欠如で、政治家としての資質が問われます。
                                           大西 五郎
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島、子ども甲状腺癌で新発表  文科系

2014年08月27日 08時10分10秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 25日の中日新聞に標記の新たな数字が報道され、悪性癌とその疑いとが各57人、46人とあった。この数字は過去1年で3ヶ月ごとに発表されてきたが、当ブログでもその都度必ず報告・論評してきたようにこんな推移をたどっている。
13年 8月 18、24、合計42人
13年11月 26、33、合計59人
14年 2月 33、41、合計74人
14年 5月 50、39、合計89人
14年 8月 57、46、合計103人

 一見して従来の学問的知見からすれば、凄い数字だし、大変な増加率だと分かる。子どもの甲状腺癌の発現数は100万人に1人~9人などと言われてきたのに、この100万人に当たる福島の該当子ども総数は34万人だからである。なのに今回の調査委員会も例によって、こう解説している。「現時点で放射線の影響が見られないことが裏付けられた」などと。調査委員会はこの大きすぎる矛盾を「発生率と発現率」という用語を使って、言い逃れを続けてきた。今までもここで述べてきたように、こんなトリックである。
「従来の子ども甲状腺癌発生の数字は、病院に来てたまたま発見された子どもの総人口比だが、今回は希望者全員を検診して出てきた数字だから通常では拾われない人々も拾っているので、多くなるのだ」
 この考え方は、素人考えでは全く理解できないと、今までも述べてきた。「しらみつぶしに検診すれば(こんなにも)発生率が多くなる」と、そういう理屈が理解不能なのだ。通常の通院診察で引っかかる子ども以外の患者でも要手術段階が過ぎてなお診察に行かずに外っておくということはないだろうにとか、そういう子どもも含めた調査が今まではなかったとするならばそんな数字と今回とを比較すること自身が誤っているだろうとか、そういう反論を思いつく。

 いずれにしても、福島の子ども甲状腺癌は、このままで済むわけがない時点まで来ていると言いたい。福島の「発生率」がこれだけ大きいのだから、放射能の影響が推論されざるをえないはずだ。福島の甲状腺癌は、乳頭癌(放射線由来はこの癌になると言われてきた)が圧倒的に多いとも発表されている。とすればチェルノブイリの例が示したように事故後4~5年以降に癌発生がピークに達することになるはずだ。福島の事故後4~5年とは、2015~2016年である。この時期目指して調査委員会からどんな数字が出てくるのだろう。この委員会は、発足当初に事前秘密会議を重ねて恣意的運営を疑われたことがあるように、また誤魔化しをするのかも知れないと僕は本気で思うのである。ちなみに、安倍政権の学者、ブレインは誤魔化しばかりやってきた。立憲主義や解釈改憲のごまかしは、反「安保法制懇」のそうそうたる憲法学者達たちによって憲法学のイロハの欠如ないしは無視と非難されてきのだし、川内原発の規制委判断は関係学者たちによってこう反論されたばかりだ。「新燃岳噴火の降灰を安易に捉えすぎだ」とか、「火山一般に当てはまるものではない証拠が入っている」とか。こんな珍論、奇論ばかりに押し、押されて、安倍政権は一体どんな未来を目指していくのだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我々はなぜ金太郎飴だったのか」前編  文科系

2014年08月26日 19時15分38秒 | 国内政治・経済・社会問題
 日本共産党についての議論が起こっていて、僕、文科系はどう考えるのかというご質問もあった。僕は現在も左翼であると自己認識をしているが、日本共産党の支持者とは言えない。この党の大きな理論的限界を以下のように見るからである。このブログ発足1年足らの06年9月19日から29日にかけて4回書いたエントリーを2回にまとめて、再掲させていただく。

「我々はなぜ金太郎飴だったのか」前編  文科系 2006年09月19、22日

1 1980年前後から、今までのタイプの活動が時代に合わなくなったと考えます。言うならば、「窮乏革命論」に基づく「政治主義」の活動が。要するに「諸困難を除く為に、政治をこう変えようと『宣伝』すれば、議会で多数を得られて、困難は打開できる」というような活動だったかと思います。発展途上国型変革論とでも言いましょうか。
2 新たに必要になった視点は、「専門性」、「文化性」、「人間性」などではなかったでしょうか。つまり、貧困、困窮問題もさりながら、それ以上に生活点、生産点における質の改善、それによる人の評価と、繋がりあいなどが時代の魅力になったのだと。
3 1と2では、対応する組織が自ずから違ったものになってくると考えます。1は「階級闘争」という概念に典型的に付随するような、厳格な、かつ「寸暇を惜しむ」団結が要請されました。他方2に対応するのは、もっとゆるやかな組織ではないでしょうか。上意下達の『注入』は控え、それぞれの内発性と、話し合い、学びあいとに基づくような組織。昔批判された「討論クラブ」、そういう人の輪。こういうものを長期にわたって作り上げていくというやり方でなければ、専門性、文化、人間性などは熟していかないのだと考えます。
4 以上の変化を遂げる妨げになった哲学的背景というものも、また存在したと思います。ちなみに、日本の革新政党は世界観政党でしたから、単なる政党ではありません。人生観にも関わっています。それなのにその世界観、哲学に欠陥があった。一言で言えば「客観主義」ということでしょうか。広辞苑によればこう述べられるものです。「人間の実践的活動の如何にかかわらず歴史が進行すると考える宿命論的態度や傍観主義的態度」と。窮乏を除くための「実践」が、宣伝・認識と議会とに偏っていたし、「専門性」、「文化性」、「人間性」に関わる実践は実質、政治の手段、それへの入り口のように理解する哲学ではなかったでしょうか。僕の経験ではそのようにしか、見えなかったのです。

 戦後絶対主義天皇制から解き放たれた日本は、その民主主義的開放感に充ち満ちて、焼け野原から国土建設に邁進しました。官民、労使、老若などなど全てが少し後の「所得倍増計画」などに示されるように、「貧困からの脱出」を目指していました。
そんな中で、総評を中心とする労働組合が中心部隊となって、社会党、共産党などと共に、民主日本を建設するものと期待されていました。70年代には革新自治体が全国に林立し、民主主義的政府樹立間近かというまでに、この雰囲気が高揚していきました。各種の住民団体なども70年代には全盛期を迎えていましたが、当時の生活向上、政治革新の希望はやはり「労働者階級」とその背後にある社会主義思想だったと思います。
 しかしながら、80年代に先進国に現れたユーロコミュニズムは注目に値します。ソ連型ではない民主主義的な共産党、その政治が目指され始めました。その批判に呼応するように、90年前後に社会主義世界体制が消滅し、あわせて「社会主義冬の時代」を迎えました。これは本質的に、旧社会主義の民主主義欠如に起因するものだったと言って良いと思います。なお、この反省、総括は現在まで、全く不十分にしかなされていないと考えます。
 ユーロコミュニズムの出現にも示されているように、1のような窮乏革命論的活動は大戦後までの形式的民主主義さえ全く不十分な政治に対して有効だったのであって、70~80年代からの先進国にはそれに替わるものが求められていたと言うべきではないでしょうか。労働組合の変革イニシアティーフは先進国どこでも弱体化していましたし、替わって環境保護、フェミニズム、福祉・医療、国際協力などなどの新しい分野に活気が見られました。こういう中で力を維持し、あるいは新たに生まれた運動は2のような特徴を持ったものではなかったでしょうか。先進国では労働組合でさえ賃上げ要求はそんなに大きくならず、労働者としての専門性も高めあい、文化要求も重んじた所が、力を維持してきたと言えるのではないでしょうか。「教師論」、「文レク活動」、「自治研活動」、「要求別子組」などなどです。確かにこれらはどこでも、言葉では強調されていました。しかしながら、生きていくのにも忙し過ぎる現代生活においてますます自由な時間が限られる中で、「窮乏革命論」的な政治主義がこれらの活動の充実を妨げていたという面は拭えなかったと思うのです。また私たちは、政治(主義)と文学の摩擦、政治(主義)と政治学者や哲学者との摩擦などなども数々目にすることがありました。文学や学問への政治的干渉の問題です。これらをめぐっても、根本的・理論的な発想の転換が、80年代のどこかで必要だったのではないでしょうか。
 これに関連して、誰が世の中を変えるのかという問題もあります。窮乏革命論の主体は労働者です。ニートは昔流に言えば「ルンペンプロレタリアート」ですね。しかし現在、彼らこそ世の中を変えると言いうるのでしょうか。僕はそうは思いません。困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、変革の陣営が力を減じているということが説明できません。
「鉄の団結」で「闘い」、一朝政権を獲得するというような遅れた国の「戦時共産主義」的時代は、先進国にはもう来ないと考えた方がよいのだと思います。イタリアのアントニオ・グラムシの言葉ですが、「長期に渡る陣地戦」の構えで、気長に、社会的・文化的・道徳的な領域で実践的にイニシアティーフを獲得していく、そんなイメージが今後の「闘い」なのだろうと考えています。

(続く)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共産党が元気なのは     らくせき

2014年08月25日 09時26分38秒 | Weblog
産経がこんな記事を載せています。

日本共産党が党勢拡大に向けて全党に号令をかけた
党創立92周年をめぐる「躍進月間」で、
「空前の前進」(党関係者)を果たした。
集団的自衛権の行使容認はじめ安倍政権の政策をことごとく
「反動的暴走」と決めつけ、それにブレーキをかけようと
喧伝(けんでん)するキャンペーンが奏効したとみられる。
しかし裏を返せば、党勢拡大を続けるには同党がいう
「暴走」を安倍政権に続けてもらわなければ困るわけだ。

共産党大嫌いな産経の記事ですから本当でしょうね。



コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島原発事故でこれまでに国民が負担した金額     らくせき

2014年08月25日 09時10分55秒 | Weblog
一体、幾らかかっているんだろうか?
かねがね抱いていた疑問に答えてくれる記事が赤旗に。

立命館の大島堅一教授の試算によれば、なんと11兆円。
賠償費用がおよそ5兆円。
除染など原状回復費用が3兆円。
事故収束などが2兆円。
行政費用など合わせて11兆円。
とてつもない金額ですね。

この金額は東電が自力で賠償できなくなっているので
支援機構を通して税金が使われているそうです。

それから原発は停止していても、水で燃料棒を冷却しており
これに運転時の3分の2の維持費がかかっているそうです。
これも電気代として国民が負担。

こんな大切な数字、なぜもっと報道されないんでしょうか?



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(63) また、こつこつと・・・ 文科系

2014年08月23日 04時18分06秒 | 文芸作品
 30分走行で、15日4.2キロ、17日4.3キロ、そして18日が4.5キロと、一本調子の上り方で本年4月辺りの走力に近づいてきた。17~18日は近年に覚えのない二日続きのうえに、18日は計6キロを走っている。疲労を心配しつつ帰ってきたが、一夜明けた19日に疲れも残っていないどころかむしろ快調、体脂肪も11%台になっていたし、嬉しくて堪らない。

 ここまでは先回に書いたが、その後はこう。20日には5月以来初めての1時間走をやって、8キロまで行った。その日の疲労は激しかったが、翌日にはやはり疲れはとれている。が、次に走ったのは1日おいて22日。30分で4.6キロだった。この4・6キロは、最高速度が9・5キロ時だったから、今はもう10キロ時でしばらく走れる僕としては、まだまだ距離を伸ばせたのである。だけど自分に言い聞かせた「コツコツ」を守ってきた。30分の走行距離を、0・1キロずつ上げていく。ゆっくりコツコツが年寄りマラソンのやり方だと決めたからである。循環機能も含めて体力をゆっくりと無理せず高めていくような走り方が身体を痛めないから最も年寄り向きだし、故障も少ないから結局遠くまで行けると考えてのこと。

 22日にはもう、事後に右アキレス腱痛へのアイシングはしなかった。3ヶ月続いた違和感がほとんど消えているからだ。身体の快調とともに頭も快調になったのか、ギター・レッスンも好調である。22日には先生のところへ行ったのだが、この年にして一つの質的変化が起こり、習い始めてからの11年で今が僕のピークになったと感じられる。先生もそのように言ってくれたのが嬉しかった。「右手指が柔らかくなって、その調節で曲の表情が豊かになった」。今習っている曲は、ソルのエチュード、セゴビア編20曲の内、第14番のおさらいである。次はまた、大好きな17番をやろうと思う。ギター仲間もこれを読んでくれているので、ちょっと詳しく書いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発電気独占価格、いつまで?   文科系

2014年08月23日 03時47分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この記事も、22日中日新聞12面右上の要約ですが、酷い話です。大見出しは「原発の電気価格保証  経産省 自由化に逆行する案」とありました。

 現行の家庭用電気料金は、総括原価方式といって原発などの発電費用も全て回収できるような独占価格になっている。他方、2016年4月に始まるとされていた電力完全自由化方向を受けて、この総括原価方式も18~20年には廃止方向が目指されていた。そしてこのたび、経産省がこれを無限の彼方へ改めて先延ばしにするということなのである。
 この問題を論議している経産省の下の専門家作業部会でも、「極端な優遇策」との批判も出たのにと、この記事はこのように要約できるだろう。
 かねてから言われ、呆れられてきた事故補償費用も込みの、大変なことだと思う。

 一方で自由化、規制緩和と言い、他方でこれと正反対のこんな「後追いの社会主義施策」をとっているのであれば、この日本ではどんな失敗をしても官僚らのやりたい放題ということじゃないか。半ば確信犯的な失敗、犯罪を未必の故意と言うが、世が世であればそういう犯罪者たちの、やりたい放題! ちょうど、バブル弾けの後に大枚の税金でいつでもどの国でも銀行救済をしてきたというような、あのやり方を思い出すのである。

 かくして「1%と99%の格差はどんどん広がっていく」。上のような施策を振り返る時、敷衍して言えばつまり99%は人ではないのだ。どんどん厚くなる99%の税金でもって、1%にはこんな厚遇を行っていくのだから。1%の大失態を補う費用を、99%に後からどんどん付け回すのだから。これでは消費税も、切りなく上げられていこう。何が新「自由」主義か。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介 『神坂峠への思い』    文科系

2014年08月22日 18時02分51秒 | 文芸作品
 神坂峠への思い      M・Aさんの作品

 五月下旬の夏日、神坂(みさか)神社と周辺に出かけた。カルチャーセンターの講師による現地講座で、テーマは「神坂神社と古典文学」。参加者は十人にも満たない小グループの旅で、和気合いあい。マイクロバスで出発した。
 神坂神社周辺はすでに数回行っており、今年も花桃の盛りの季節に夫と車で行ってきたばかりだ。この講座に関心がなく、観光スポットだけのことなら参加しないが、今回は講師との打合せもあった。又何より上代文学と古代史に関わりのある所なので、何度訪ねても飽きることがない。
 むろん、観光スポットも緑や川のせせらぎなど、自然が心を癒してくれる場所もあり、それだけでもいいのかもしれない。ただ私の場合、その土地の歴史的な背景を理解し、人々の生活の営みに思いを馳せてみたいのだ。

 この日の主たる目的地神坂神社へは、名古屋方面から中央自動車道の国原インターで降り、「ヘブンそのはら」をやり過ごしてさらに上って行くと、三十分もかからずに資料館「ははき木館」に着く。そこから徒歩四十分で神社に出る、と案内道標がある。前回は散り始めた「駒止の桜」を見るために、雨の中を歩いた。神社までのちょうど中間点で、私の足で片道三十分かかった。
 今回は神社までマイクロバスで上ったので、楽な行程だった。だが、そこから「神坂峠二㎞」の道標と石だらけの鬱蒼とした山道を見ただけで、体力と脚力のない私には無理難題で、足を踏み出せない道と分かる。
 この先の神坂峠(標高一、五七六㍍)は、古代東山道の難所の一つ。恵那山(二、一九一㍍)と富士見台(一、七三九㍍)の間の鞍部で、木曽谷から伊那谷へと向かう折の最大の難所であった。古代東山道は全長約千キロに及ぶ険しい山の道だが、古く縄文時代から中世まで重要な役割を果たしてきた。軍事の道であり、税を都に運ぶ人々の物資運搬と交易の道でもあった。
 「大宝律令」の施行によって「駅(えき)制(せい)」が定められ、通常は約十六キロごとに駅家(うまや)が設けられた。だが、阿智の駅(今の国原)と美濃国の坂本駅の距離は千メートル以上で、急峻な坂道、尾根歩きと沢越えの山道で、気象環境も苛酷であった。馬も両駅に最多の三十疋を置いたとする記述も頷ける。
 現代の整備された高速自動車道を使い、行楽にでかける私たちは、古代人が受けた艱難辛苦を想像したり思いを感受するのは難しい。古代人は官道を歩くしかなく、必要に迫られて往来したのであろう。『古事記』と『日本書紀』には、日本武尊の窮地脱出の神坂峠越えが記されている。又、『万葉集』には、防人として東国から派遣された人たちの歌や題詞(詠まれた事情などを記した言葉)として残っている。

ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ(いはふ)いのちは母父(おもちち)がため
(巻二十ー四四〇二・埴科郡神人部子忍男(かむとべのこおしを)

 周知のことだが、防人とは辺土を守る人。古代多くは東国から徴発され、難波から出航して遠く旅に出た人たちが、この難所の峠を越える。家の両親を思い、旅の安全を祈願して神坂神社に幣を奉った決死の思いが歌から伝わってくる。もう祈りしかない──そう思うと、想像を絶する難渋に気が遠くなりそうである。
その後、平安時代以降になっても、この神坂峠の麓にある園原の名は『源氏物語』(箒木)に、『新古今和歌集』の藤原輔伊の歌や詞書に記されていく。他にも『狭衣物語』や『梁塵秘抄』などにも残されている。

 神坂神社周辺を何度訪ねてみても、実際には峠越えどころか、園原からロープウエーで上がり、約一キロのトレッキングで富士見台にやっと辿り着いたくらいの体験しかない。現在、峠越えをするには中津川側からもできるコースや他の行程もある。が、なにせ老いの始まりを痛感する今、こと更に古代人の難渋、苦行を思うたびに胸が痛くなる。できないことへの未練か、ただ周辺をうろうろしているだけである。

〈参考文献〉
 『東山道の峠の祭礼』市澤英利・新泉社
 『古代東山道園原と古典文学』和田明美・(株)あるむ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和憲法を守る活動に「アジア平和賞」        らくせき

2014年08月19日 19時10分18秒 | Weblog
2014年8月15日、新華社によると、第1回「アジア平和賞」に、
平和憲法を守る活動を続けるすべての日本人が選ばれたと。
主催するマレーシア第2次世界大戦歴史研究会は、
選考理由として戦争防止や世界の平和維持に貢献したことを挙げた。
反戦活動家の石垣義昭氏と星野恒雄氏がクアラルンプールで同日、
代表して賞を受け取った。

石垣氏は「平和を愛する世界中の人たちとともに
日本の平和憲法を守っていきたい」と述べた。
また、「安倍内閣は民意を無視し、独断専行で
集団的自衛権の行使容認を決めた。
これは歴史の流れに逆行する行為だ」とも語った。

YAHOOニュースより。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(62) こつこつと・・・ 文科系

2014年08月19日 12時22分41秒 | 文芸作品
 自転車転倒の怪我からラン再開以降、急に調子が上がっている。30分の距離で見ても、9日3.9キロ、11日4.0キロ、13日4.2キロ、15日4.2キロ、17日4.3キロ、そして18日が4.5キロである。特に17~18日は近年に覚えのない二日続きで、18日は計6キロ走っている。疲労を心配しつつ帰ってきたが、一夜明けて今日疲れも残っていないどころかむしろ快調、体脂肪も11%台になっていたし、嬉しくて堪らない。どうも、アキレス腱痛の3ヶ月ブランク以降に計画的に身体を点検し鍛えざるを得なかったのが大いにプラスに働いてきたようだ。なんせ3年のブランクの後、半信半疑のラン再開以降1年半は、走れる喜びだけで無我夢中、身体のケアなど脇に置いてきたのである。それが今では、右アキレス腱にいまだに違和感が残っていたりしてトレーニング前後のアップとダウンをまだまだ慎重にやっているという、こんなことも好調の原因なのかも知れない。
「人間の身体は機械と同じ、やっぱりメインテナンスが大切」。この故障の間のメインテナンス、苦労、体験を体系化して根気よく自分に生かしていけばもっともっと伸びると、そんな希望が湧いてきた。具体的に例えば、こんな風に。
①走る前後のアップとダウンは、とにかく根気よく。
②走った後ちょっとでも筋肉痛を感じたら、すぐに部分アイシング。
③走らない日は、膝と足首のストレッチや補強運動を忘れるな。
④これらを忘れなければ、まだまだ毎日走ってよし。無理なく毎日走れれば、さらに飛躍できる。
⑤こうして毎日走れるならば、7割ぐらいの力でゆっくり、長く走る日を多くしたほうが伸びる。(これは昔知ったことだが)

 さて、以上を押さえていけば1時間10キロは間違いなくできると思えてきた。僕のラン再開後の夢である。ただし、無理なく達成するにはとにかく急加速は禁物で、持続できる速度をこつこつと積み上げていく。昨日が9.5キロ時であれば、翌日9.6キロ時という感じで。
 以上が、この一か月ばかりで気づいた僕の場合の年寄りランの要諦だ。もっともこんな事はランナーなら皆現にやっていることかも知れない。何せ僕は60にして初めてランナー入門を遂げて、以降一人でこつこつとやってきた井の中の蛙にすぎない。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 こんな死に方も  文科系

2014年08月18日 21時32分12秒 | 文芸作品
 こんな死に方を選んで、近い終末への途上にあるYという友がいる。僕の高校時代の100余名の同期生のうち8人でここ5年ほど2~3ヶ月おきに酒宴を持ってきた仲間の一人だ。男女半々で一学年わずか100名ほどの皆が友人みたいなものながら在学当時はさほど親しいとは言えなかったが、この五年でとても面白い人物だと分かってきたお方である。非常なグルメであって、若い頃からお父さんに連れられたりして吉兆などなどで食べ尽くして来られたお人だ。また、無類の話好きで、会話自身で人生を楽しませ合うというそんな意味でも人生のディレッタントと感じさせられてきた。話し出したら止まらないのである。それも全く嫌みのない話で、座を楽しませる会話だった。

 さて、そんな彼、去年9月に肺癌が発見された。数年苦しんできた腰痛について精密検査をしてもらったところ、肺癌が元で腰椎にも移転していると告げられたのである。これに対して彼は、こういう死に方を選んだ。いや、こういう場合にはということで、前から準備していたらしい。10年ほど前にお連れ合いに大腸癌が分かって、それからわずか7ヶ月で亡くされていることも、彼の中にこういう決断を生む要因になったようだ。
『 腰の癌には、痛いのが嫌だから放射線治療をします。が、その治療の方が一段落したら肺癌の方はそのままで、あるホスピスにもう予約が取ってありますから、空きが出次第そちらへ移る積もりですから、よろしく』

 このホスピスへ移ってから1ヶ月ちょっと経った。歯医者さんである一人息子さんからも、自分の決意に理解、許諾をきちんと取り付けている。日常生活はというと、一応毎日起きて身体は動かすがほぼ寝たきり、痛みの緩和中心の終末アパート暮らしという、そんな感じだ。入所一時金はほとんど不要で、「個室家賃」や医療その他のサービス料込みで、彼の年金月額ならお釣りが来るらしい。僕はたまたまこの3週ほど毎週お見舞いに行っているが、全く普通の会話を一時間ほどして、帰ってくる。彼が、訪問大歓迎と喜んでくれるからだが、その「平常状態」には驚いている。僕として、この正反対の例を多く知っているからである。たとえば、こんな。
 僕よりも20歳近く若い30年来の親友といえる人が、数年前に食道癌発見手遅れで、確か50そこそこでなくなった。彼から、名古屋でも有数の大病院癌病棟の様子を聞いたことがあるが、その話が凄まじいのである。大の男が、医者にまで文句を言う、本当に身も世もあらず周囲に泣きつき、毒つく。特に、手遅れとか治癒不可能とかで退院させられる時の様子が凄まじかったと語っていた。
 この若い友人もY君と同じように落ち着いて見えたお人だが、普通の人はなかなか彼らのようには行かないようだ。人間、死を覚悟して生きるって、当たり前のことなのだが。


(このY君は、次の当ブログ・エントリー小説におけるのっぽさんのこと、このモデルです。本年1月1日から3日までの連載「死にちなんで」。今思えば、この小説を彼を含めて7人に渡した時には、この肺癌全てついて本人はもう分かっていた。以降上に書いた方向への覚悟も済んでいたということです。それを誰にも気づかせないで1月30日の飲み会に出ていたって、やっぱり凄い人だ) 
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際経済最大問題、さりげなく   文科系

2014年08月17日 19時25分39秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 原発への警鐘、立憲主義の強調など中日新聞の最近の記事をよくここに紹介してきた。地方紙の見識ある記事を全国に発信したいという意図もあってのことだ。16日に朝刊、夕刊に期せずして、新たな見識が見える思いがする同類の記事があった。世界経済(調整)機関のことを扱っている。朝刊には社説で『国際金融の悪弊を正せ』と題して、『新興国の新機関』などを。これは、ここで最近何度か強調してきたBRICS開発銀行のことなのである。
 夕刊では1面右下にさりげなく『日本の構造改革 早急な実行提言 IMF』という記事があった。こちらは、4~6月期の日本経済急落ち込みへの「対策」なのだから、今最も必要な要チェック記事なのである。
 さて、この二つの記事を並べて観ると、世界の人々の生活にとってのこの最大問題をいろいろと考えさせられるのである。通貨危機やリーマンショックでは必ず叫ばれるヘッジファンドへの世界的規制は、全く進んでいない。バブル破裂でつぶれては、大国の税金投入でまた不死鳥のように蘇って、世界の労働者、消費者から搾取をくり返してきた「1%」の大元、元凶である。

 まず、前の記事の趣旨で、冒頭のこの一文に注目した。言わば、半世紀単位の重要な提言と言えるはずだ。
『戦後とともに確立した国際金融秩序は、もう時代錯誤だ。振興五カ国による独自の開発銀行は現状への問題提起となり得る』
 この「時代錯誤」部分についてのみ記事紹介をしてみると、こう書かれている。戦後国際金融秩序の二つの機関、国際通貨基金(IMF)と世界銀行とには問題が多すぎるとしてのことである。
『両機関のトップは前者が欧州、後者は米国から選ばれるのが常だ。またIMFでは、発言権に直結する出資比率について新興国分を引き上げ、理事会への登用を増やす改革案が2010年に合意されながら、影響力を維持したい米国の議会が批准せず、棚上げ状態が続いている。新興国側が不満を抱くのは当然である』
『IMFの金融支援の条件一つをとっても、緊縮財政や規制緩和、国営企業の民営化など、米国流の価値観の押し付けは通用しないはずだ。韓国やインドネシアのようにIMF支援後に国民生活が疲弊する例が目立つのは、その証左である』

 夕刊の記事『日本の構造改革 早急な実行提言 IMF』は、上のようなIMFが15日に、4~6月期大幅マイナスに落ち込んだ日本へのこういう提言をまとめたという、今時とっても重要な、興味深い報告記事なのである。
『日本企業が社内に積み上げている資金は主要先進国の中で突出して多く、活用が成長の鍵になると強調。社外役員を増やすなど外部の目を取り入れることで積極的な投資が進むとの見方を示した。(中略)
 消費税を10%に引き上げた後も、日本は税制再建に向け大幅な歳出削減が必要になると分析。「2015年以降の具体的な財政戦略を早急にまとめる」ことで、投資家の不安を拭い去り市場金利の急騰を抑える必要があるとも指摘した。
 日銀に対しては、物価が狙い通りに上昇しない場合、速やかに追加緩和に踏み切るよう求めた』

 以上に僕はこんな感想、連想を抱くが、皆さんはどうだろうか。
 今や、ここまで世界経済機関が各国経済に介入しているのである。つまり、それなりに「世界経済計画」があるわけだ。が、今の「計画」とはそもそも一体どんなものか。ここに言う「成長」とは、アメリカ流の「1%と99%」をどんどん進めていくだけのことに思える。特に、BRICS諸国とアメリカ(・日本)との対立が示しているように、物経済に対する金融の支配体制をあくまでも貫いていくのが良い世界経済と言えるのかどうか。

「金融がいつでもどこでも自由に競争して資本投下をすれば、それが(先進国労働者の賃金は減るだろうが)世界の労働者や消費者のためにもなるのだ」という理論は、実際に存在するこんな例で、今や十分な批判ができるはずである。
 金融と結びついた集荷(販売)業者が、生産業者を支配して独占(価格)が生まれてきた。アメリカの養鶏・食肉業や、民間健康保険を通じたアメリカの一部の州の独占医療体制にもそんな例が見られるようになった。コンビニを通じた小売業独占もどんどん進んでいる。先物買いを含んだ石油や穀物もそうなっているはずだ。日本の原子力発電(料金)も同様であろう。このように、自由競争の下でどんどん独占(価格)が進む時、これは消費者のためにもなる合理的経済だとはとうてい言えなくなっている。つまり、市場に任せたら合理的だというのは今や明白な嘘になっている。金融業者がいろんな独占産業部門、小売業部門を育成して、独占価格が形成され始めているのである。生産部門や小売り部門が儲かるというのではなく、金融部門がいろんな産業部門、小売り部門に借金をさせて(「合理的」)生産・販売体制を敷き、広げていけば、金融部門こそが儲けられるという形の「独占価格」ということである。こんな体制は、「99%と1%」をさらに進めるだけであろう。そして、1%が付ける値段で食糧が買えない人々が世界にどんどん増えていく。彼らは国家救済の対象にならざるをえないはずだが、国際金融がそんな国家救済を易々と認めるわけはないのである。「ただ、怠け者なだけ」と、食うや食わずのぎりぎり状態で扱うかどうかさえ怪しいのである。東南アジアやアフリカの諸国などは特にそうだろう。

 こうして、今の世界経済機関には、以上の悪循環への改革をこそ切に期待して未来への一つの窓口にしたいものだが、現状では先ず全く期待できないはずである。なぜならば、こういうアメリカ流の金融、生産、小売り独占体制が、どんどん世界に伝播し始めていくからである。IMFなどは、そういうやり方を広げている。
 以上、これと同じグローバリズム批判を中日新聞がまもなく始めるだろうということを、僕は信じ疑わない。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする