帰宅出来なかったために、反論が遅くなってしまったが、 それにしても、言う度に主張がころころ変わる人とどう付き合ったらよいのだろうか。
今度はポツダム宣言について述べたら(9月10日)“ポツダム宣言など糞喰らえ”とやってきた。それまでは何と言っていたか。
宣言の受け入れを世界に発表した人を「糞まみれ」にしてしまったとは。今頃「高天が原」で苦笑いしていることだろう。
「保守系」氏の眼は「透明」なガラス細工のようなウツロなものであろう。“まるで駄目”である。
それよりも、こんなのはどうだろうか。ずっと以前から探していたものである。いずれも1946年であることに注目したい。
※1 9条についての衆議院帝国憲法改正特別委員会での「吉田 茂」首相(麻生太郎氏の祖父)の答弁
“戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。
従来、近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜戦争またしかりであります。今日我国に対する疑惑は、日本は交戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないともわからないというのが、日本にた対する大なる疑惑であり、又誤解であります。
まずこの誤解を正すことが今日我々としてなすべき第一のことであると思うのであります。
またこの疑惑は誤解であるとは申しながら、全然根拠のない疑惑とも言われない節が、既往の歴史を考えて見ますると、多々あるのであります。
ゆえに我が国に於いてはいかなる名義を以てしても交戦権はまず第一、自ら進んで放棄する、放棄することによって全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意を、まずこの憲法において表明したいと思うのであります。(拍手)
これによって我が国に対する正当なる了解を進むべきものであると考えるのであります。”
(1946年8月26日 衆議院帝国憲法改正特別委員会)
※2 9条についての枢密院本会議での「三笠宮 崇仁」(昭和天皇の弟)の賛成論
“まず対外的問題として第一は、満洲事変以来日本の表裏、言行不一致の侵略的行動については世界の人心を極度に不安ならしめ、かつ全世界の信頼を失ってゐることは大東亜戦争で日本がまったく孤立したことで明瞭である。
従って将来国際関係の仲間入りをするためには、日本は真に平和を愛し絶対に侵略を行はないと言う、表裏一致した誠心のこもった言動をして、もって世界の信頼を恢復せねばならない。
もちろんこれには単に憲法條文だけでは不十分であり、国民の一人一人が徹底した平和主義者にならねばならぬが、とにかく憲法に明記することは確にその第一歩であるといふことが出来る。”
(1946年6月8日 枢密院本会議)
※3 9条についての貴族院本会議での「幣原 喜重郎」(国務大臣で日本国憲法の起案者のひとり)の答弁
“実際この改正案の第9條は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位をしむることを示すものであります。
今日の時勢になお国際化関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは過去における幾多の失敗を繰り返す由縁でありまして、もはやわが国の学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう。
私は斯様な新年を以てこの憲法改正案の起草の議にあずかったのであります。
(1946年8月27日 貴族院本会議)
扶桑社版の歴史教科書の初めには「歴史の学び方」についての記述がある。“歴史を学ぶのは過去の歴の事実を知ることではなく、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである”とか、“今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じことではない”とも言っている。
過去には過去の善悪の基準があったのだから、その基準を認めよ、ということである。
このブログに登場する「誰かさん」も全く同じことを言っている。“当時の人々の熱い思いで語れ”なんて言われたものである。
そこで、上の3つの演説を取り上げてみた。“占領下だったから無理矢理言わされたのだ”ろうかって?冗談ではない。当時の人々の《熱い思い》を代弁した演説なのである。
特に「※1」の吉田茂首相の答弁など、当時わたしの兄たちが学校で学んだ「新しい憲法のはなし」の副読本(文部省制作)の内容そのままである。
だからこそ、当時の国民から圧倒的に支持されたのである。「誰かさん」もこの《熱い思い》で「9条」を語ったらどうだろうか。
ところが、そうではない。彼は「現在」の、しかも彼独特の特異な歴史観で語っているに過ぎない。天皇を「糞まみれ」にした歴史感と同様である。【支離滅列】としか言いようがない。
今度はポツダム宣言について述べたら(9月10日)“ポツダム宣言など糞喰らえ”とやってきた。それまでは何と言っていたか。
宣言の受け入れを世界に発表した人を「糞まみれ」にしてしまったとは。今頃「高天が原」で苦笑いしていることだろう。
「保守系」氏の眼は「透明」なガラス細工のようなウツロなものであろう。“まるで駄目”である。
それよりも、こんなのはどうだろうか。ずっと以前から探していたものである。いずれも1946年であることに注目したい。
※1 9条についての衆議院帝国憲法改正特別委員会での「吉田 茂」首相(麻生太郎氏の祖父)の答弁
“戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。
従来、近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変しかり、大東亜戦争またしかりであります。今日我国に対する疑惑は、日本は交戦国である、何時再軍備をなして復讐戦をして世界の平和を脅かさないともわからないというのが、日本にた対する大なる疑惑であり、又誤解であります。
まずこの誤解を正すことが今日我々としてなすべき第一のことであると思うのであります。
またこの疑惑は誤解であるとは申しながら、全然根拠のない疑惑とも言われない節が、既往の歴史を考えて見ますると、多々あるのであります。
ゆえに我が国に於いてはいかなる名義を以てしても交戦権はまず第一、自ら進んで放棄する、放棄することによって全世界の平和の確立の基礎を成す、全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意を、まずこの憲法において表明したいと思うのであります。(拍手)
これによって我が国に対する正当なる了解を進むべきものであると考えるのであります。”
(1946年8月26日 衆議院帝国憲法改正特別委員会)
※2 9条についての枢密院本会議での「三笠宮 崇仁」(昭和天皇の弟)の賛成論
“まず対外的問題として第一は、満洲事変以来日本の表裏、言行不一致の侵略的行動については世界の人心を極度に不安ならしめ、かつ全世界の信頼を失ってゐることは大東亜戦争で日本がまったく孤立したことで明瞭である。
従って将来国際関係の仲間入りをするためには、日本は真に平和を愛し絶対に侵略を行はないと言う、表裏一致した誠心のこもった言動をして、もって世界の信頼を恢復せねばならない。
もちろんこれには単に憲法條文だけでは不十分であり、国民の一人一人が徹底した平和主義者にならねばならぬが、とにかく憲法に明記することは確にその第一歩であるといふことが出来る。”
(1946年6月8日 枢密院本会議)
※3 9条についての貴族院本会議での「幣原 喜重郎」(国務大臣で日本国憲法の起案者のひとり)の答弁
“実際この改正案の第9條は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位をしむることを示すものであります。
今日の時勢になお国際化関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは過去における幾多の失敗を繰り返す由縁でありまして、もはやわが国の学ぶべきことではありませぬ。
文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう。
私は斯様な新年を以てこの憲法改正案の起草の議にあずかったのであります。
(1946年8月27日 貴族院本会議)
扶桑社版の歴史教科書の初めには「歴史の学び方」についての記述がある。“歴史を学ぶのは過去の歴の事実を知ることではなく、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである”とか、“今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じことではない”とも言っている。
過去には過去の善悪の基準があったのだから、その基準を認めよ、ということである。
このブログに登場する「誰かさん」も全く同じことを言っている。“当時の人々の熱い思いで語れ”なんて言われたものである。
そこで、上の3つの演説を取り上げてみた。“占領下だったから無理矢理言わされたのだ”ろうかって?冗談ではない。当時の人々の《熱い思い》を代弁した演説なのである。
特に「※1」の吉田茂首相の答弁など、当時わたしの兄たちが学校で学んだ「新しい憲法のはなし」の副読本(文部省制作)の内容そのままである。
だからこそ、当時の国民から圧倒的に支持されたのである。「誰かさん」もこの《熱い思い》で「9条」を語ったらどうだろうか。
ところが、そうではない。彼は「現在」の、しかも彼独特の特異な歴史観で語っているに過ぎない。天皇を「糞まみれ」にした歴史感と同様である。【支離滅列】としか言いようがない。