九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介 万葉からだ歌(むすび)   文科系

2015年12月31日 11時49分26秒 | 文芸作品
 万葉からだ歌(むすび)  N・Rさんの作品です


 からだの部位を表す言葉こそが基礎語。人のからだの形や機能は変わるものではない。千数百年前の万葉人が手、指といえば現代人も手も指も同じものをさす。
 そこで『万葉集』を読む時、基礎語で重ねていけば古典歌の一首、一歌の理解がすすむはず──これを視点に、この一年、目、眉、手、足、指、胸などを数えながら歌を検証してみた。

 特に「生活用語にこそ基礎がある」と、性にかかわる歌まで紹介してしまった。おかげで、万葉人の活気あるおおらかで、ためらいのない真っ正直な生活空間に触れることが出来た。

 結びにきて、万葉の人々が親しんだ”からだ言葉”は、時代の変化に対応しながら、今に息づいていると知らされた。なかでも、後年の小説『坊っちゃん』では、主人公が万葉人とほとんど同一の言葉でしゃべっているあたりも面白かった。髪だけが出てこないと思ったら、マドンナを「ハイカラ頭の、背が高い美人だった」と髪型のモダンさを描いていた。

 いま一つ、名古屋と岐阜の一部では子守歌にからだ言葉でうたう詩があった。母たちは、目、鼻、口と指でかるく触れながらうたい、子どもに大切なからだの部位を教えていた。
─────────
 あつたさん(熱田神宮)まいって頭をさげ
 松原(まつ毛)越えて目医者へ寄って
 鼻一本折られ
 みっともない(耳)ことよ
 ほうぼう(頬)で笑われ
 口おいしことよ、むね(胸)んなことよ
 知り(尻)もしないに
 おへそが笑う
   ──────────
 節回しは、手鞠歌に似ていて、私はいまもふと口ずさむことがある。


 
 この連載はこれで終わります。なお、この作者は僕等の同人誌の創設者にして、主宰であられたお方でして、2014年に亡くなられています。ここの読者の中にお心当たりの方がいらっしゃるかも知れませんので、略歴を少々。ただし、以下の内容は全く僕個人の主観に依存したものとお断りしておきます。

 あの敗戦を、鹿屋の特攻隊基地で迎えられました。その頃の事をたびたびこう語られていたものです。
「死に損なった。天国、雲に向かって詫びてばかりいたよ」
 当時までは軍国少年を自認されていましたが、その反動からか文学を志し、某国立大学の国文科を卒業されたかと記憶しています。職業は中日新聞の記者で、確か文芸部であられたとか。「テレビドラマなどの脚本の原稿料などが給料よりも多くなった時期がある」ということで、定年まで数年を残して退職されたと聞きました。そのころのプロ脚本家時代のことを度々こう語られていたのを、僕はとても印象深く想い出すのです。
「あのころは、浮かれて、売文、駄文ばかりを書いていたなー」
 それもあってか、このささやかな同人誌には心血を注いでおられたと、ずーっとそんな気がしていました。
 ここまで転載してきたものは、僕等の月例冊子に2013年2月まで15回ほど連載されたものです。この冊子は今月で実に289号まで出ています。この間24年と1か月、ずーっと1度の欠刊もなかったはずで、ここにも主宰の執念が乗り移っていたかとふり返っています。
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慰安婦問題、旧軍部通達  文科系

2015年12月31日 00時36分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 慰安婦問題「決着」なるものについて、天木直人のブログにこんな文章があったが、この認識は誤っている。以下に先ず、天木の文章自身を見ておこう。

【 軍の関与を認めてお詫びした安倍首相の衝撃> 2015年12月29日 天木直人のブログ

 日韓外相の共同記者会見における岸田外相の発言を知って驚いた。
 次のように明確に語ったという。
「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題で、かかる観点から日本政府は責任を痛感している。安倍首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する・・・」(12月29日日経)
 これは安倍首相とその子分たちが繰り返してきた従来の主張の全面的撤回であり豹変だ。
 きょうの朝日新聞の社説もまっさきにこの発言を取り上げて次のように書いている。
「きのうあった外相会談の後、岸田外相は慰安婦問題を『軍の関与のもと多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題』と定義し、『日本政府は責任を痛感している』と明言した・・・安倍首相は日本の首相として元慰安婦に対し、『心からのおわびと反省』を表明した。かつて慰安婦問題をめぐる『河野談話』の見直しに言及した事もある安倍首相だが、岸田外相を通じてとはいえ、談話の核心部分を韓国で表明したことには大きな意味がある・・・」
 大きな意味どころではない。
 これまでの方針の全面否定であり、完全な転換である。
(以下略)


 この天木の認識は、この点で誤っている。慰安婦設置への軍の関与などは、既に歴史家が証明済みの事なのである。当時の軍部のこんな文献さえ再発見・公表されているのだから。拙稿で恐縮だが、去年の9月22日エントリーの転載をまたぞろしなければならない。

【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系 2014年09月22日
 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』

 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】

 後者の文献に関わって、今回の一言。
「募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ」
 陸軍省が上記不祥事を認めたということと、今後起こらないようにこの通達を出すということとの両方を述べているわけである。つまり「誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」ことははっきりしていたのである。つまり、例え後にこれを禁じた(文書を出した)としても、誘拐に類する不祥事があって、それが陸軍省の責任になる事は明らかなのであった。
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原発終わった、その理屈   文科系

2015年12月30日 20時49分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今日の中日新聞二つの特報記事をよく読むと、原発はもう終わっている。そういうその理屈が、二つを合わせてよく読むと分かるようになっている記事なのである。
 アベ政権による「原発回帰路線」は、以下のようにもう続行不可能となっている。中日新聞は中央紙と違って、はっきりとそういう証明をして見せたと言える。それと明示していないにしても、二つの記事を合わせ読むと、そんな結論にしかならないという事がよく分かるのである。同一経営と言って良い東京新聞と同じ論調のはずだから、関東の方々には、政府寄り記事垂れ流しの全国紙は止めて、この新聞に換える事をお勧めしたい。全国紙はもう、いくら言葉だけが過激に見えるものも含めて、実質政府に懐柔され終わってしまった。新聞ももう、地方の時代である。全国紙は全国的企業の広告で喰っていくから、自民党「例の脅しの言葉」に示されているように統制しやすいのに対して、地方紙は地方会社広告を多数そろえればなんとか喰っていけるのかも知れない。関東の人々には、こんなことを勧めてみたい。全国紙と東京新聞との広告主の比較をしてみて欲しい。


 さて、本論であるがまず、例によって国外、世界から反原発の火の手が上がった。「プルトニウムはもう増やすな」というパグウォッシュ会議の声明である。普通の原発から出た使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し再利用するとされてきたが、そうやって取り出したプルトニウムは世界に増えるばかりなのだ。そういうプルトニウムを使った新たな燃料を作り燃やすとされた高速増殖炉やモックス燃料使用のプルサーマル計画などが日本では上手く行っていないからである。使えなくなったフクイチの一つも、モックス燃料使用の原発だった。

 次には、この問題。使用済み燃料を再処理できないとすれば、その貯蔵の問題が生じる。この貯蔵地について、ほとんどの候補地域から忌避するという反乱が起こってくるはずなのである。福井のお隣・京都などで既に火の手が上がっているから、原発立県・福井県は全く困ってしまった。つまり、原発がある県以外からは、「貯蔵地お断り」という地方の反乱が現在進行中ということだ。つまり、原発立地県以外はフクシマ症候群が当たり前であって、余程補助金を貰ってももう割に合わないと認識されているようだ。今まで補助金漬けにされてきた自治体以外が反乱を起こすというのは、いまや当然の情勢ということであろう。貯蔵をお願いして回る原発立県はこうして困窮し尽くし、どんどん肩身も狭くなっていくだろう。そうして、既存の貯蔵地はもうすぐ全て満杯になっていく。
 辺野古をめぐる地方の反乱一つ処理できない「上から目線」の中央集権・自公政権が、こんな必然性のある地方の反乱に上手く対処できるとは到底思えないのである。


 世界の専門家からの警鐘と、地方の反乱と。こうして、アベ自公政権の「原発回帰路線」は、既にもう終わっているのである。日本の原発は終わったという声明を出すことは、各電力会社の原発関連投資の損益転換計上額が凄まじいものになって株価が暴落するから今は出来ないだけ。あとは世界から騒がれないで自然に消えていくのを待つという道しかあり得ないはずだ。時には、「まだまだ続ける」というスピーチを広めつつの事となろうが、ドイツなどの動向を見ても原発の道は既に閉ざされていると愚考する。
 ましてや、自国で終わったような物を輸出しようなどは詐欺同然の行為であって、これも経済政策上の「続けるよ」スピーチに近いのかも知れない。
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安倍さんの外交的勝利   らくせき・愛知自民を落とそう

2015年12月29日 19時14分49秒 | Weblog
安倍さんが「いわゆる」慰安婦問題で道徳的、政治的責任を認めた。
日本、韓国両国内に合意に反対する人々もいるが、成果の方が大きい。
これで安倍さんの評価は国際的にもあがり、韓国よりもメリットは大きい。
安倍さんの勝利は憲法改悪にも勢いを与えそうです。


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随筆紹介   万葉からだ歌(十五)  「からだ」痩せと太っちょ   文科系 

2015年12月29日 12時01分20秒 | 文芸作品
万葉からだ歌-(十五) 「からだ」痩せと太っちょ  N・Rさんの作品です 
    

 石麻呂に我物申す夏痩せに
 良くというものそ鰻捕り喫せ
ーーあなた、痩せすぎです。どうぞ鰻でも食べて大切な体を太らせて下さいーー

 ほかにも、朝影のように細くなった私の体、あなたに恋い焦がれているからですーーなどと太った、痩せこけてしまった体の歌は多い。それでも手足、指、胸、髪のおしゃべりに比べると「体」表記は無口にちかい。これは体のことらしいと感じさせるくらいのこと。
 これについて宮地敦子さんの『身心話の史的研究書』によると、「からだ」は「から」のこと。漢字で書けば「殻」で、内部の魂が抜けてしまった「からっぽ」を言う。だから、万葉、平安末期の文章言葉だと、死体、「亡骸」=なきがら=。喜んで使われなかったのは当然だと力説する。

 そうなんだ、英語ではボディ、車なら車体のこと。中身を包む周りのもの。ラテン語、これも、何かが抜けてしまった「コープス」=死体という意味=。・日本古語に多く現れなくて当然かも。

「体」「身体」「躰」と書いて「からだ」と読ませ、「肉体」「体を張る」「体格」「体力」などの慣用語が生まれて日常語になったのは、いつごろからだろう。
 これぞ明治の「国民皆兵」「富国強兵」の思想によるものだ。「体格」「体力検査」をして運動能力を調べ、国民すべてを甲乙丙丁とふり分けて、これを“体力は国力なり”とした。国策だからと学校教育、スポーツを通して軍事国家への道をひたすら押しすすめてきた。
 身体一つ我がものにあらずーーそんな怖い時代が長かった。
 それなら万葉集の恋の歌一首の方がやさしく、平和でよい。

 わけがため我が手もすまに
 抜ける茅花そ召して肥えませ
 ーーこの薬草ツバナは、あなたのために春の野で摘んできました。これを食べてもっと太って下さいませーー

 わが君に我は恋ふらし賜りたる
 茅花を喫めどいや痩せに痩す
 ーーせっかくの薬だから、ありがたくいただいた。でも、君に恋い焦がれている私は、さっぱり太りませんーー
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随筆紹介 万葉からだ歌(十四)「気心」気ごころ知れず  文科系

2015年12月28日 22時45分48秒 | 文芸作品
 万葉からだ歌(十四)「気心」気ごころ知れず  N・Rさんの作品です
  
 秋山の樹の下がくり逝く水の
 吾こそまさめ御心よりは
── 私の恋心は、木の下を流れる水のように、目には見えぬが、君の心よりも深いのです──
 
 玉くしげみむろの山のさなかづら
 さ寝ずはついにありかつまじし
──あなたとの共寝を私の心は、いつも夢に見て願っております──

 前歌は、鏡王女の恋歌。これに対して後歌は藤原鎌足大臣が、あっけらかんと返歌した心歌の一首。
 今回は、万葉からだ歌の「心」に迫ってみようと思った。それなのに、万葉全歌四千五百余首は、いずれも“人恋う心言葉”ばかり。心にもない歌は、一首も詠まれていない──と知らされた。
 ただ一つ問題があるとしたら、「気」と「心」の分け詠みがない点だ。「気」と「心」は一つのものか、二つなのか。どうちがうのか、その関係はどうなっているのか──さっぱりわからないこと。
 古代では、きっと「気」も「心」も「魂」「精神」「肝っ玉」までが一つのものだった。現代、身近に、何気なく口にしている「その気になる」「気がすすまない」「気がせく」「気を落とす」「気が抜ける」「生意気」「人気」「気立て」「勇気」「和気」「気疲れ」「気を休める」などの言葉は現れない。
 さらに「気が多い」「気が散る」も心、霊、魂、精神の言葉になっている。現在でも「狂気」「気がへんになる」は「乱心」ですませているから、“気心”どちらでもよいかもしれない。
 加えて「情」「肝っ玉」「念」までもが思いと読ませて、“心言葉”に入っている。たしかに「気を入れろ」は「魂を入れろ」で事足りるけど。だから区分けの出来ない“気心言葉”には、ちがいない。
 
 現身の人なる吾や明日よりは
 二上山を弟背と吾が見む
──弟大津の皇子の死に対して、姉の大来皇女(おほくのひめみこ)が、心から呼びかけて山に向かって詠んだもがり歌も秀歌に入っている。
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原発差し止め仮処分取り消し    大西五郎

2015年12月27日 18時57分31秒 | Weblog
福井地裁の高浜原発差し止め仮処分取り消しに対する新聞の論調

                     2015.12.27 JCJ東海 大西 五郎

 福井地裁(林潤裁判長)は24日、関西電力高浜原子力発電所3、4号機の運転を差し止めた同じ福井地裁(樋口英明裁判長)が再稼働を認めないとした仮処分決定を取り消しました。
 4月の仮処分では、原子力規制委員会が東北大地震を受けて原発の地震に対する安全性について
以前よりも厳しい原発稼働を認めるかどうかの新しい基準を満たしていないと再稼働を差し止めたのにたいし、福井地裁の今回の決定は新しい基準は合理性があり、高浜原発はそれを満たしていると、
一転再稼働を認めました。
住民側は金沢高裁に抗告しましたが、この決定に対する新聞の評価が分かれました。朝日、毎日、中日は疑問を呈し、読売、日経、産経は決定を評価ししています。各社社説のポイントを見てみます。

【朝日新聞】司法の役割はどこへ(12月25日)

4月の決定は05年以降四つの原発に5回も耐震設計の目安となる基準地震動を超える地震が来 たことや、使用済み核燃料プールの設備も堅固でないと指摘した。これらの点も今回の決定は「危険性は社会通念上無視し得る程度に管理されている」と述べた。
 原子力専門家の知見を尊重し、安全審査に見過ごせないほどの落ち度がない限り、司法は専門技術的な判断に踏み込まない――。92年四国電力伊方原発訴訟で最高裁が示した判例だ。この考え方を踏襲したといえる。
 だが、この枠組みで司法が判断を避け続ける中で、福島事故が起きたのではなかったか。原発はひとたび大事故を起こせば広範囲に長期間、計り知れない被害をもたらす。専門智に判断を委ね、深刻な事故はめったに起きないという前提に立ったような今回の決定は、想定外の事故は起こり得るという視点に欠けている。

【毎日新聞】絶対安全の保証でない(12月25日)

過去の訴訟で裁判所は原発の安全性を自ら判断するのに消極的だった。ところが福島原発事故は、国の審査に合格しても事故は起き、多数の住民の生命が脅かされることを明らかにした。行政側の判断について裁判所は、より厳しく審査する必要があるのではないか。
関電大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁判決は高浜原発の運転差し止めを命じたのと同じ裁判長だが、住民の生命を守る人格権を優先して「具体的危険性が万が一でもあれば差し止めが認められる」と述べた。大津地裁は昨年11月、大飯、高浜原発差し止め仮処分を退けつつ「避難計画策定が進まなければ再稼働はあり得ない」と釘を刺した。しかし川内原発の再稼働差し止めを却下した鹿児島地裁決定は、(原子力規制委の)新基準に不合理な点はなく規制委の審査も妥当と判断した。今回の福井地裁決定も規制委の裁量を広く認めており、従来の消極的姿勢に戻る傾向が見られる。今回の決定は「過酷事故が起きる可能性が全く否定されるものではない」とも述べ、国や電力会社に避難計画を含めた重層的な対策を求めた。そうした対策を取らない限り再稼働はできないはずだ。

【中日新聞】安全は“神話”のままだ(12月25日)

 逆回転が加速し始めたということか。「原発ゼロ」の歯止めが、また一つ外された。
今回の福井地裁の決定は、安全対策上規定すべき最大の揺れの強さ、その揺れや津波に対する関電側の対策、使用済み核燃料保管の危険性・・・。どれをとっても規制委の審査に「不合理な点はない」として、原発が周辺住民の人格権や、個人が暮らしや声明を守る権利を侵害する恐れはないと判断した。
 だがよく考えてもらいたい。裁判所は事業者の取った対策が「新規制基準に適合する」という規制委の判断を「合理的」としただけだ。規制委が何度も表明しているように、その判断は「安全」を保証するものではない。(再稼働に同意した)福井県西川知事の判断も同じである。安全確保は事業者の責務。事業者の規制は国の責務。県は監視するだけという、及び腰の最終同意である。事業者にも国にも“責任能力”などないことは、福島の現状を見れば明らかではないか。
 安全性も責任の所在もあいまいなまま、再稼働にひた走る。その状況は何も変わってはいないということを、忘れてはならない。

【読売新聞】差し止め覆す合理的決定だ(12月26日)

 専門性が極めて高い原子力発電所の安全審査について、行政の裁量を尊重した妥当な決定だ。(高浜原発)3、4号機は今年2月、東京電力福島原発の事故後に厳格化された新規制基準に基く安全審査に合格した。ところが4月に福井地裁の当時の樋口英明裁判長が「新基準は緩やかに過ぎる」と独善的な見解を示し、再稼働を差し止めた。「ゼロリスク」に固執した不合理な決定だったと言うほかない。
 今回、林潤裁判長は「新基準や規制委の判断に不合理な点があるか否かの観点から審理・判断するのが相当だ」と指摘した。その上で、「危険性は社会通念上無視できる程度にまで管理されている」と結論付けた。
 原発の安全審査について、最高裁は1992年の四国電力伊方原発訴訟で、「最新の科学的、技術的、総合的な判断が必要で、行政側の合理的な判断に委ねられている」との考えを示した。司法の役割を抑制的に捉えたこの判例が、原発訴訟での司法判断の基準となっている。今回の決定も、判例に則った常識的な内容だと言える。
 一方で、林裁判長は決定の中で、関電と規制委が安全神話に陥ることなく、高い安全性を目指す努力を継続するよう求めた。全ての電力会社に当てはまる注文だ。

【産経新聞】差し止めの解除は当然だ(12月26日)

 極めて妥当な判断だ。これを受け、3号機では来年1月下旬の再稼働目指しての燃料装荷が25日から始まった。それを可能にした仮処分命令の取り消しを、電力安定供給や地球温暖化防止につながる賢明かつ順当な決定として歓迎したい。
 林潤裁判長も指摘しているが、原子力発電には常に科学技術の最新知見を反映し、高いレベルでの安全性の追求を継続する努力が欠かせない。これを肝に銘じることが重要だ。

【日経新聞】注文受け止め万全の再稼働を(12月26日)

 (今回の決定が)原子力発電所に絶対の安全はないとしたうえで、リスクを最小限に抑えるよう求めたことは、現実的な判断といえる。争点となった安全審査の妥当性についても「専門性や独立性が確保された規制委が十分に審査しており、不合理な点はない」とした。過去の原発訴訟で最高裁が出した判例を踏まえたものだ。
 一方で、国や電力会社が重く受け止めるべき点も多い。地裁は「規制基準は安全神話に陥らないよう最新の知見を反映し、高い水準の安全性をめざす努力が求められる」と注文をつけた。
 一方で、同原発から30キロ圏には京都府や滋賀県の一部が含まれ、事故が起きたときの住民避難などになお課題が残る。国や関電は再稼働に万全を期すべきだ。
  
 
 
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随筆紹介  万葉からだ歌(十三)  「身」こころとひとつ   

2015年12月27日 11時47分07秒 | 文芸作品
万葉からだ歌(十三) 「身」こころとひとつ  N・Rさんの作品です
 
 朝影に吾が身はなりぬたまかぎる
 ほのかに見えて去りにし人ゆえ
 ──あなた恋しさゆえに、わが身はやつれて朝影のようにやせ細りましたわ──。

 万葉集に、あふれるほど多様に出てくるのが「身」という表記。日本人は古代から”身と心はひとつのもの”として使い込んできた。「身を入れて」は、心をこめて──の意。「身」の字は、女が身ごもり、体内に子どもがいる実のあるかたちで生まれた文字。社会への一歩も”身を立て名を挙げ”の歌詞で踏み出した。
 「身分」「出身地」「自分自身」「身のほど知らず」とか「身を捨てる」「身を粉にして」「肌身離さず」など。さらに「転身する」「独身」「身支度」「身辺整理」「身投げ」「この身にかえ」と、それこそ身のまわりには整理しきれないほどの歌ばかり。
 そんななかでも「身のこなし」「身につける」と頭より身についたものの大切さを表記したものが一番多い。

 あしびきの山の雫に妹待つと
 わが立ちぬれぬ山の雫に
 ──待ちわびて、わが身は山の雫にぬれてしまいましたよ──
 これに対し相手の女性からは〈私は山雫になって恋しいあなたにまとわりつきたいね〉と返歌がくる。この身を何々にかえてでも的な表現が連発。

 後年、樋口一葉の名作『たけくらべ』のなかでは、主人公の少女のことを〈身のこなし活き活きとして、色白く声も清くさわやか〉と身だしなみの美をこまごまと描き語っている。
 つまり、頭でおぼえたものではなく、からだでおぼえる、身のついてこその”美”なのである。”身のこなし”という言い方は、近ごろあまり使われなくなってしまったが……。
一葉のいう「身のこなし」は、語源からみて”身を粉にする””熟す””こなす”という字にあてはめていたにちがいない。”着こなす”がそれ。

 験なき物思わすは一杯のにごれる酒を
 飲むべくあるらし
──か弱い人の身、くよくよ物思いにしずむより、酒に身をゆだねた方が楽しいぞ──
 大伴旅人、酒の歌集中の第一首の秀歌。

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琉球新報より  らくせき 愛知・自民を落とそう

2015年12月25日 15時48分58秒 | Weblog
けさ子どもたちの枕元にサンタさんからの贈り物は届いただろうか。今でこそ国民的行事のクリスマスだが、庶民まで広がったのは戦後だ。沖縄では1947年、軍政下で初めて年7日の公休日が制定され、その1日がクリスマスだった

▼浸透には年月がかかったようだ。50年代前半の琉球新報は「庶民には外国の風習にすぎず」と書く。57年の社説でやっと「今年から一般家庭も参加するようになった」
▼沖縄にとっては、苦い思い出のクリスマスも多い。普天間飛行場の移設先としてキャンプ・シュワブが挙がった97年。クリスマスイブに当時の名護市長が首相と会談し、受け入れを表明、翌日辞任した。3日前に名護市民投票で移設反対の結果が出たばかりだった。民意を裏切る混迷の始まりとなった
▼2011年のクリスマス翌日には、沖縄防衛局が環境影響評価書を県に提出しようとして市民に阻まれた。28日午前4時に夜陰に乗じて搬入するというぶざまな姿をさらした
▼13年のクリスマスには上京中の前知事と首相が会談。「有史以来の予算」「いい正月になる」と褒めちぎった揚げ句、2日後に辺野古埋め立てを承認した。普天間問題に関しては聖夜の前後に県民だましの茶番劇が繰り広げられてきた
▼ことしは法廷闘争の中の年の瀬だ。県民に「基地のない島」というプレゼントが届く日を信じたい。




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「よたよたランナーの手記」(147) 老化?  文科系

2015年12月25日 14時30分37秒 | スポーツ
 理由は分からないが、12月4日をピークにして不調である。時速11キロが苦しくって、ウオームアップも含んだ1時間の距離にすれば9キロそこそこが続いている。特に呼吸関連で、疲れ気味になる。
 外走りもやり、ジムでも色々工夫しているのだが。年末の慌ただしさから走るのが不規則になっているからかも知れないが、回数はまーやっているのだから、「それにしても」という感じ。原因が分からない不調はいつも、「そろそろ高齢化による身体の限界かな?」などと、頭をかすめるから、ちょっときつい。
 僕にとって精神的に近年ちょっと珍しいほど大変なことがあったから、その影響かも知れない。心身症は、僕にずっとまとわりついてきた性癖、持病みたいなもんだし。

 でもまー、走るしかない。老化なら老化で、少しでも衰えを止める積もりで。
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随筆紹介  万葉からだ歌(十二) 「髪」黒くすがすがしく   文科系 

2015年12月25日 10時06分16秒 | 文芸作品
「髪」黒くすがすがしく   N・Rさんの作品です
 
 朝寝髪我れは梳らし美しき
 君が手枕触れてしものを
 ──朝の乱れ髪、私は櫛を通さず共寝の一夜を大切に思い出しております。なんと甘美な女心の一首──

 万葉集の髪は、胸の想いをきちんと語り伝えてくれる確かなものになっている。「髪の乱れは心の乱れ」、「髪をさかたてる」、「髪の先まで怖い思いをした」等々。面白いのは、頭を詠んだ歌より髪の方が五十余首多いこと。
 そのほとんどが官能的な相聞歌の素材で、植物の山スゲ(ユリ科ジャノヒゲ)がしなやかな髪になぞらえられている。細い青葉のしなやかさが女性の美しい髪だという。”スゲ、スガ”の音から、すがすがしさ、きれいな女性の黒髪を連想させたからだろうか。

 あしひきのヤマすげの根のねもころに
 われにぞ恋うる君の姿に
──草の根がしっかりと絡むように、私はあなたを恋い慕っております──

 嘆きつつますらおのこの恋うれこそ
 我が結ふ髪の清くぬれけれ
──強い男のはずのあなたが、恋しがって泣かれるので、私の髪までが濡れてほどけてしまいましたわ──

 黒髪のやさしさ、恋しさについては『古事記』の仁徳天皇が若い娘子によびかける愛の詩にも「一本スゲは子を持たずや、あたらうるわしき山スゲのごとき美女なのに──」と、女性をたたえている。さらに『上代風土記』にも「スガ山のごとき、しなやかなる娘子よ」という名説話までも。
 これらが、やがて現代短歌集『みだれ髪』にたどりつく。

 罪多き男こらせと肌清く
 黒髪ながくつくられしわれ
 
 みどり髪を京の島田にかえし朝
 ふしていませの君ゆりおこす
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ハリルジャパン(42) 香川、円熟!  文科系

2015年12月24日 00時20分14秒 | スポーツ
 香川が、いよいよ円熟の境地に入ったのではないか。ドイツの専門サイトにおいて本年度前半戦ベスト11に選ばれた。それも、本人が最も希望するトップ下という位置で。

 また、世界のスポーツメディア『football.observatory』が5大リーグを網羅した各ポジション別ベスト10ランクを発表したが、「攻撃的MF部門で第8位」になっている。アシスト部門でも、10アシストを取っているアシスト・ランク1位のメスト・エジルなどと並んで、世界5位。これらを判断材料にした「攻撃的MF部門で第8位」だから、凄い。世界5大リーグの全チーム攻撃的MFすべてで、8位なのだ。イニエスタ、アザール、デブライネなども選考対象なのだし。

 この機会に、香川の才能に初めて驚嘆した時の過去ログを再掲してみたい。2010年と非常に古い物だけど、今読んでも「正に彼自身」と思うのである。


【 日本サッカー・希望の星」と、ザック監督など(1)  文科系 2010年09月17日 | スポーツ

 新生ザッケロー二代表の対外戦が、もうすぐだ。10月8日にはアルゼンチン戦、12日には韓国戦がある。折しも日本は、この15日発表の9月世界順位で30位に上り、更に上昇していく要素も多い。そんな今「日本サッカー希望の星」としてまずドイツはドルトムントで早くも「エース格トップ下」に抜擢された香川真司(21)を語り、合わせて新監督ザッケローニなどにも、資料を掻き集めて触れていきたい。

 僕はW杯の代表総括で、6月30日のここにこう書かせていただいた。
『最後に今後の攻撃、点取りの方向である。「人もボールも走るサッカー」とは、オシムの造語だ。そのオシムは、この「人もボールも走るサッカー」の基礎を教え、これを攻撃法、点取り法にも適用しようとした矢先に倒れた。そのオシムは今、こう述べている。そういう日本的サッカーの確立には、もっとスピードのある選手を発掘すべきだと。技術的スピードは日本にはある程度の水準があるのだから、瞬発走力としてのスピードのことなのである。例えば、岡崎やオランダのロッベンのような。岡崎の大化けの原因は「走り出しで勝負」にあるのだし、ボールを持って走り出したロッベンは止められないというようなものだ。今や世界的強豪クラブのエースと言われる選手ならば、ロッベンのような選手か、メッシやジダンのようなターンなど技術的スピードに特に優れているか、どちらかである 』
 次に、新生代表パラグァイ戦から、守備の要・細貝萌に次いで、新エースと呼ぶに相応しい香川真司の点取りをここでこう、評させていただいた。
『 次いで目に付いたのが、香川だ。同じMFの本田より、現時点で既に良いと思う。日本人が弱いシュート力と人並み外れた技術的スピードとの優秀さは既に同格で、違いはここ。本田の強みが体全体の強さであるのに対して香川には絶対的スピードがあり、このスピードに乗ったシュート技術なども日本人離れしているのではないか。タイプとしてはブラジルのカカーかな?』(サッカー代表、パラグァイ戦雑感 9月06日)

 さて、これと同じ香川への評価を、パラグァイ戦得点をアシストした中村憲剛が、スポーツグラッフィック・ナンバー最新号でこう語っている。ちなみにあの得点場面を再現描写しておくと、僕の観戦記にはこんな感じで表現されている。敵ゴールに向かってやや左30メートルほどにいた香川が、その右横のゴール正面25メートルほどにいた憲剛にボールを預ける。と同時に、するすると右斜方向のゴール正面へと走り込んでいく。初めはゆっくりと、そしていきなり全速力で、ゴール正面のDF数人の中へ走り込んでいく勢い、感じだった。そこへ憲剛のスルーパス。3~4人の敵DFの間を縫うような速く鋭い、長めの縦パス・アシストである。香川はスピードを落とさずにこれを、ワンタッチコントロールから右足シュート。
 さて、憲剛の「表現」を聴こう。
『ああいうのは、センスだよね。実は真司が初めて代表に来たときから、2人で今回のようなプレーをしていたんだ。走っているあいつの足元にパスを出すっていうね。真司の特徴は、動きながらボールをコントロールできること』
『日本代表もパラグァイ戦のようなプレーができれば、もっと楽しくなるんじゃないかなと思う。あれだけ人が密集していても、2人で崩せちゃうんだから』
「あれだけ人が密集していても、2人で崩せちゃう」、憲剛は簡単に語っている。が、相手は世界15位。ブラジル、アルゼンチンの点取り屋を日頃の相手にしてきたDF陣である。上記の得点に二つの超難度技術が必須であったのは明白。一つは憲剛が述べているように「動きながらボールをコントロールできる」選手だが、その直ぐ後で憲剛は「まだ日本には(香川以外は)ほとんどいない」とも語っている。そしてこの必須要素の今一つは、上の表現で言えば、これ。「3~4人の敵DFの間を縫うような速く鋭い、長めの縦パス」。敵ゴール前にこのようなスルーパスを進められる選手は、憲剛の他には長谷部しか僕には名前が挙げられない。2人ともいないときの代表が「敵ゴール40メートルほどに迫ると、横パスばっか」となるのは、そういうことだと理解してきた。

 こうして、結論。これはナンバー同号同記事の冒頭の表現であって、憲剛・香川によるこの得点への評価として、僕も大賛成。木崎伸也の表現なのであるが、分析力、表現力も含めて、優れたスポーツ記者だと思う。
『一瞬のプレーに、日本サッカーが目指すべき方向性が凝縮されていた』
 ゲームで僕がこのプレーに感じた事が木崎と一緒だったので、我が意を得たりと感じたものだった。】


 こういう香川のプレーが、ここ数年のドルトムント革命が世界に広がった事によってますます優位を占め始めたのだと思う。進んだボール奪取組織・技術からショートカウンター全盛という時代には、香川のように「動きながらボールをコントロールできる」プレーで密集を切り裂く技術が、とても生きるのだと思う。ただ、高速で走りながら時に両脚とも浮かせてどちらの足でもボール操作ができる香川のようなドリブルは、成人になってから身につけられるものでもない。苦手だった守備について、スライディングタックルなどでもチーム有数の成功率になった事だし、まだまだその活躍は伸びていきそうだ。
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随筆紹介  万葉からだ歌(11) 「胸」豊かに美しく   文科系

2015年12月23日 16時20分50秒 | 文芸作品
随筆 「胸」豊かに美しく  N・Rさんの作品

 さ雄鹿の胸別けにかも秋萩の
 散り過ぎになる盛りに去ぬる
── 若々しく大きな鹿が豊かな広い胸で萩の花をしなやかに分けて行く ──

「胸を張る」「胸が騒ぐ」「胸が痛む」など、万葉集は「胸のうち」と「心のうち」を一つのものにして、大切にしてきた。だから胸賛美の歌が多い。

 胸別の広き我妹腰細のすがる
 娘女のきらぎらしきに花のごと
── 今でいう大きな美しい胸と、蜂のように腰が細くくびれた娘女よ、それに私はあこがれてきた。

 後年、井原西鶴は『世間胸算用』の文中で「物思うは心のうち」と胸文化を語っている。現代の健康法の一つ、ラジオ体操の歌中でも「朝だ希望の青い空、胸をひらいて空あおぐ」やはり胸を反らして大きく張ろうとすすめる。
 万葉集の「たらちね」表現も、母、女の胸、乳は足りたる愛と美しきもののきわめつけにしてきた。
 ── 子どもが乳を求めて夜泣きしている。私も、あなたの足が遠のいたので夜泣きしております ──と詠む女たち。さらに、こんな歌までも。
 みどり子のためこそ乳母は求むもの
 乳飲めや君が乳母求むらむ
── お乳はみどり子のもの、それを乳飲まぬあなたが、なぜほしがるの ──と男を軽く叱っている面白い一首も。この歌には”ハハノチチワチチのチチナリヤ”というおおらかな歌意まで付いている。

 私ごとだが、軍隊教育をされていたころ「起立、胸を張って直立不動」と、絶えず号令をかけられ、胸むかつく思いをしていたことだ。

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本日中日新聞に「福島子ども癌」特集   文科系

2015年12月22日 13時18分09秒 | 国内政治・経済・社会問題
 本日、この問題で中日新聞にとうとう一大特集記事! 26面全部を使った「特報」で、こんな大見出しを付け、来年3月の事故後5周年に出るはずの中間報告周辺を報道したものだ。

『放射線と健康 議論後退』
『福島事故 県有識者会議中間報告集』
『「甲状腺がん多く見つかる」記述省く』

 記事中の小見出しで、内容を追ってみよう。
 先ず「タブー」では、上記三つ目の見出しのこと。子ども甲状腺癌が多いと見始めた上にそんな文章を書こうとしながらも、この記述を省く策動が成功したようだ。つまり、福島事故との因果関係づけを避けた。

「教え子」という小見出しもあって、こんな内容である。子ども甲状腺癌の部会長である県医師会副会長が、県立福島医大教授である「癌と原発との因果関係分析の中心担当者」の下の大学院博士課院生(社会人院生)なのである。「弟子が先生に『この分析は不十分だ』などと、果たして言えるのか」と、この記事は問うている。

「記者会見では質問制限」
 検討委員会閉会後毎回開かれる記者会見における、質問制限問題も批判されてあった。1人1問、再質問1回などの制限下で、長々だらだらと回答された上、いつも核心がぼやかされるとの感想が多いとあった。まるでアベ首相の答弁のようではないか。

 これでは「国境なき記者団」から、こんな判定、警告が出るのも当然だろう。
「報道の自由度がどんどん落ちている国」
「民主党政権時代には11位にまで上がったものが、今や61位と、先進国最低」

 1986年に起こったチェルノブイリ事故、その被害を最も多く受けたベラルーシにおける社会主義政権と大同小異の「報道統制」をしていくのであろうか。こんな折には、今年のノーベル文学賞作品「チェルノブイリの祈り」は、日本人必読書になろう。このグローバル時代に、福島の隠蔽や報道統制など貫けるわけがない。ただでさえ、広島・長崎の国なのである。
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ハリルジャパン(41) 祝、各大陸代表クラブ杯、広島3位  文科系

2015年12月21日 08時18分53秒 | スポーツ
 ここまで広島のことをここで激賞してきたが、案の定我が意を得たりとばかりに、世界各大陸代表による世界クラブカップ戦で第3位になった。それも、アフリカ代表クラブ、アジア代表クラブを破って、堂々たる3位である。このアジア代表・広州恒大にはWCブラジル代表MFパウリーニョなどもいて、ガンバ大阪がアジアクラブカップ準決勝で敗れているなど日本勢が歯が立たなかっただけに、広島の強さはお見事、際立っていると言いたい。

 僕としては願わくば、準決勝の南米代表・リーベルプレート戦も是非勝って欲しかった。アルゼンチンのこのチーム・リーベルプレートって、今をときめくライオネル・メッシが13歳の時に「背が足らない」という理由で加入希望が叶えられなかった南米で100年以上続いた名門チーム。これに勝って、決勝でバルサと当たる事が出来るチャンスが大いにあっただけに、広島GK林の誤判断によるキャッチミス1失点が、今返す返すも残念に思われるのである。今から5年ほど前まで、日本3位は浦和とガンバの2度ほどあったが、決勝進出となれば史上初のことだから。

 ともあれ、広島のこの快挙は、Jリーグの明日に繋がるものが非常に大きいと観た。
①何よりも、柔軟にして強力な守備。それも、どうしてもここは譲れないという局面で発揮された、諸個人の闘争心、強靱な身体に裏付けされたボール奪取技術。
②同じ事なのだろうが、「ここで1点」と意思一致した時の鋭さ、迫力にも惚れ惚れしたもの。ハリルジャパン代表選手青山らが放つ、長短のカウンター・パスなどが実に鋭く、危険なチームなのである。
③この広島は、浦和などにどんどん選手を取られても、それを補う若手が育っているというのも、大きな特徴。育成面でもJリーグの模範ということで、高校名選手をどんどん取っても一向に伸ばせられないグランパスなどが模範とすべきチームといえよう。ちなみに、このグランパス、J1で最も走れないチームとか。

 広島を中心にJリーグがもっと盛り上がって、来年は是非アジア代表を勝ち取った上で、世界クラブ杯決勝にも勝ち残って欲しいものである。僕の感じでは来年のヨーロッパ代表はイングランドから出てくるような気がしているのだけれど。 
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