九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆  またまた開催、教室音楽パーティー    文科系

2024年10月04日 21時23分55秒 | 日記
 ここへも何回か書いてきたけど、標記のことがこの6日、日曜日午後にある。中区伏見のある貸し会場を借りて。こういう企画は、僕の晩年への一つの夢だったこと。遡れば2008年から何らかの形でこれを開いて、あるいは開いてもらってきたことになる。
「美味しい料理と良い酒と、そして、音楽を皆で奏で合う」
 僕の教室は先生が二胡も教えているからこれを習う人も含んで、出席総勢12人予定だ。この日に向けて僕は牛肉赤赤ワイン煮とラム酒として世界に名高いロンサカパ・センテナリオを持ち込もうと目論んでいて、牛肉は黒毛和牛の腿400gを注文済みだ。明日作る予定だが、上手くいくかどうか。
 僕が弾く曲だが、一つは先生との二重奏でソル作曲の「月光」、今ひとつはバッハの超有名なチェロ組曲第一番(バッハ作品番号BWVの1007番)のプレリュード。イギリス人ジョン・デユアルテという人のギター用編曲物を予定している。月光二重奏はもう一人のある女性がやると分かっているのだが、これは全く違う編曲物であって、二つ揃って、はてどうかという面白い趣向になっている。

 音楽と美食と酒とは、古から高貴な人々らにとっても最高の楽しみ方の一つ。それを参加享受者自ららの演奏でやるわけだから、楽しさ至極と、若い頃から自分の老後に向けて思い描いてきたものである。料理も酒もそれぞれ皆の持ち寄りだというのも、興味深いことなのだ。女性が多いから料理も面白いし、それが面倒な人は何かのつまみを買って参加すれば良いわけで、その趣向も楽しみになる。

 第2ステージ癌から膀胱摘出で走る楽しみがなくなって、僕に残った音楽と同人誌活動とが人生の支えになっている。この三つのことを晩年活動として準備してきて幸せだったと、色々振り返っているところだ。

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随筆  「失せ物」探し、その思考能力   文科系

2024年10月02日 11時37分09秒 | 日記
 連れ合いの「失せ物」家探しを長く笑っていたが、いつの間にかこれが僕にも伝染してきた。先ず眼鏡である。亡くなった連れ合いの母さんが眼鏡の蔓二本に首掛け紐を付けていた理由が今になって年々よーく分かって来るのだ。でもこれは原因思考を繰り返すと探し慣れてくる。「置き忘れた」場所を忘れても、その場所が決まっているからだ。新聞・書物読み、パソコンの近く、そしてトイレなど、主として活字を読む場所である。ただこれも、そこから落ちて床などにあると、知らぬうちにスリッパに引っかけたりして、「訳の分からない所」に飛んでいたりするから、とんでもない難儀をする。

 さて、耳穴式耳穴式補聴器となると、困難は何倍にもなる。小さくて、転がりやすいからだ。ただ補聴器は一個十ウン万円もするから、どれだけ時間をかけても探し続けることになる。先日もこんなことがあった。
 居間でテレビを見ていて右の機器を外し、座っていたソファの右肘掛け材上に乗せた。それがコロッと下に落ちてしまったのを、「明日探せばよい」とそのままにしてしまったのがいけない。翌日どれだけ探しても見つからぬ。周囲のカーペットの上「すべて」や家具の下などは懐中電灯で照らし回っている間には、日頃の物忘れの多さから、こんなことさえ頭をかすめる。
〈ここで、こうなくしたというのが夢か思い込みだったかも知れない〉。
 連れ合いが手伝ってくれても見つからぬままに、3日ほど過ぎた頃、今度は左耳のをなくした。あまつさえ、このたびはどこでどうなくしたかの記憶もあやふやを通り越して、探し方も浮かばなかった。右のをほぼ諦めてから一週間近くたって「両方なくしたら、大変だ。30ウン万円!」、連れ合いも一緒になって必死に探していたら、先ず左が見つかった。僕の書斎の机の上から落ちたらしい全く意外な場所からちょこんとのぞいていたのに偶然目が行ったのである。それからまもなく連れ合いの声「あったよーっ!」で駆けつけると、居間の端っこ、縦長の小さな四つ足飾り台を移動させたら、そこにあったと言う。多分、懐中電灯の光から外れた四つ足窪みのどこかに沈んでいたのだろう。こんな遠くの台を移動させなければ見つからないような形にまで、飛んでいたのである。
 家の修繕など出費が多く小遣いがないときだったので、もう嬉しかったこと、活動力が落ちてきた最近としては珍しい人生の幸せ、歓喜だった。
 捜し物はやはり思考では手に負えない。連れ合いのような試行錯誤の努力、苦労を厭わぬ者こそ、得意な技になる。
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随筆 発表会一二回目、初めて快演   文科系

2024年09月23日 15時04分51秒 | 日記
(何度も同じ随筆を済みません。僕にとっては大事すぎる体験ですから、御笑止のほどを) 

 照明だけが明るい演奏椅子に出ていき、弾き貯めた曲を詰め込んで重い楽譜の該当ページを開き譜面台に載せて、冷や汗対策に握ったタオルを椅子の後方に置き、そこに座る。そうして初めて、ギターを構えた。後から思えば頭に行き交うなんの想念もなく、そのまま弾き始めていた。家での練習と変わらぬ平静のままに淡々と弾き続けられて、途中一カ所の度忘れ中断があったが、慌てることもなくそこを弾き直して、いつも通り最後を盛り上げて終わった。初めての「求めて止まなかった発表会の出来」のはずなのに、なんの感激もなかったのはどうしてだったのか。未だにその訳は分からない。

 これはこの八月、僕の一二回目のギター教室発表会の様子だが、リタイアー後の六二歳に教室に通い始めて「音出し」から習い、二一年目にして「初めての快演」なのである。それも、習い始めて九年までは、「出演なし、ただ聞くだけ」という自己選択を経て、やっと出始めてからの一二年目なのだ。何よりも、初めて手や指が震えなかったのである。ギターを弾いていて手指が震えたら、演奏にはならない。特に、弦を爪弾く右手の指が震えたら雑音も出るしして、曲の表情も何もあったものではないのである。それが今回は「何気なく演奏に入れて、練習時の通りに普通に弾けた」のである。弾き終わって、嬉しいと言うよりも何かポカーンとした自分があって、なんのそれらしい実感もわかなかったが、終わって少しずつ嬉しさがこみ上げ始めたのである。それも日を追ってその実感が濃くなっていく調子で。
曲目は、バッハの「リュートかチェンバロのための組曲 ハ短調」のプレリュードと言って、クラシック・ギター仲間ではバッハ作品番号で「九九八番のプレリュード」と呼ばれているものだ。長い間に弾きためてきた僕の「暗譜曲群」の内の一曲なのだが、発表会で弾くとなると色々と直さねばならぬ点が気になって、当日まで細々と直して来た。
すぐ後に休符がついた装飾低音が多いから、その長さを全体的にちゃんとする。これはいちいち消音技術と呼ばれるものを施さねばならない。また、高音旋律を低音伴奏できれいに響かせることが特に必要と感じる曲だから、その際の雑音を減らす努力がとりわけ必要と考えて来た。和音楽器で高音旋律を装飾低音できれいに響かせられなかったら、はなはだ気分が悪いのである。ただ、全体的に音が小さいクラシック・ギターという楽器でそれ相応の音量を出そうとすると、雑音が増えるのである。ある弦を爪弾いた右手の指や爪が他の弦に触ったり、左手押弦の押さえが甘いと音がびびったりする。このびびりをなくすためには、指版のフレット(横にはめた音程を造る金属棒)の直ぐ下に左手指を持って行く必要があるのだ。それらの修正にも今回は特に苦闘の日々を過ごしてきた。そういうことどもすべてがこの日に限ってなぜ上手くいったのか、そもそも手指が震えるまで上がるというのはどういうことだったのか? これらは未だになにも分からないから、特別な対策もなく出ただけで・・・・、八十三歳というこの年になって初めて!

 さて、かと言って来年同じように上手くいくとは限らないとみている。これから、今年の成功をさらによくよく分析しておく事だが、まずはとにかく良かった。
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随筆   ブランデー梅酒が美味い  文科系

2024年08月16日 12時32分16秒 | 日記
 今年も5月末にブランデー梅酒ばかりをいっぱい作った。5リットル以上はあるだろう。皆さんご存じかどうか、5月後半頃になるとスーパーの梅酒作り材料コーナーには、梅酒用の焼酎の他に、最近は梅酒用ブランデーも並んでいる。僕の庭の梅の古木2本からとれる梅には、3年前からこれ専門でやってきたが、これが美味い。このブランデーの箱には、この梅酒の作り方が、梅:ブランデー:砂糖の割合なども含めてちゃんと書いてあるから、誰でも美味く作れるのだ。
  ワインの蒸留酒・ブランデーには元々葡萄の甘い香りがあって、それに蒸留酒のアルコールが混じってキュッと飲みやすいのだが、それに梅の味、酸味が混じると明らかに柔らかい飲み口になる。スピリッツと呼ばれる蒸留酒はアルコールが強くって、もともと女性には向かないのだけれど、このまろやかなブランデー梅酒は女性にも好まれる。女性でもオンザロックで飲めるのである。これは、周囲の人々に進呈して証明済みの話だ。僕のギターの先生の妻子両方がそう語ってくれた。社会人になったばかりのお嬢さんのお気に入りなのだそうだ。と言う人が居ると、作るこちらも嬉しい力が入って来るというものだ。今はまだ、去年までのものを飲んでいるが、まもなく24年製を開封できるだろう。その出来具合が、今から楽しみで仕方ない。
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今年のギター教室発表会は・・・  文科系

2024年08月01日 23時08分24秒 | 日記
 今年も標記の催しに出る。まだ教室に通っているからだ。8月31日開催なのだが、出演曲はバッハの「リュートかチェンバロのための組曲 ハ短調」のプレリュードを弾くことにして、懸命に練習中だ。クラシック・ギター仲間ではバッハ作品番号で「998番のプレリュード」と呼ばれているものだ。長い間に弾きためてきた僕の「暗譜曲群」の内の一曲なのだが、発表会で弾くとなると色々と直さねばならぬ点が気になって、細々と直し始めた。
  すぐ後に休符がついた装飾低音ばかりだから、その長さを全体的にちゃんとすること、これはいちいち消音技術と呼ばれるものを施さねばならない。また、高音旋律を低音伴奏できれいに響かせることが特に必要と感じる曲だから、その際の雑音を減らす努力がとりわけ必要と考えている。和音楽器で高音旋律を装飾低音できれいに響かせられなかったら、はなはだ気分が悪いのである。ただ、全体的に音が小さいクラシック・ギターという楽器でそれ相応の音量を出そうとすると、雑音が増えるのである。ある弦を爪弾いた右手の指や爪が他の弦に触ったり、左手押弦の抑えが甘いと、音がびびったりする。それらの修正に苦闘中の日々なのである。

 僕のように、癌手術の後遺症でランナー断念をした者には、ギター音楽があることがとりわけ慰めになっている。知らぬ間に2時間も弾き続けていて、首や肩が痛くなっていると気づくことがあるが、これ自身がランナー断念による体力低下の顕れなのだと思い知るのである。でもまー、83歳というこの年齢で2~3時間も弾き続けられるということこそ、幸いと言うべきだろう。ただし、それだけに身体のケアには注意していきたい。ランはできなくとも、階段往復とかロードバイク・ツーリングとかは辛うじてなんとか続けている・・・・。
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