九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「アルハンブラ宮殿の思い出」   文科系

2024年11月21日 15時48分45秒 | Weblog
 表題は思い出す方々が多いはずのクラシックギターの名曲である。ちょうど「(映画)禁じられた遊び(の主題曲)」をもっと多くの方々がご存じのように。定年退職後にギター教室に通い始めて二〇年、この長い間ずっと折に触れてこの曲を練習し続けてきたが、満足に弾けないままに今日まで来て、最近やっと「来年の発表会には弾けるだろうか?」という地点に届いたもの。この曲を通して、音楽の良さ、その魅力(の一端)を表現してみたい。と言っても、音楽とスポーツは小説にせよ随筆にせよ文学にはなりにくいもの。精一杯頑張ってみよう。
 僕がクラシックギターにのめり込んだ初めは、二〇代の頃。世の中の全てが嫌いになってシャンソンの「枯れ葉」をフランス語で覚えて歌いつつ、よろしく斜めに構えていた時代のことである。まず、この楽器の音色に魅了された。「音域の広い憂愁を醸し出す、憂わしげな音、旋律。これに被さってくる多様な和音の多彩な彩り」に惹かれて、セゴビアなどのレコードを聴きまくった。まもなく「カルカッシ教則本」を買ってきて独習を始めたのだが、これは切れ切れに定年まで続いて、教則本の四分の三ほ何度か何度か進んだのだけれど、肝心の音色が今一歩。自分でも「ガチャガチャしてる」と感じていた。だからこそ、最初に先生に音出しを習ったときは、胸がときめいたものだ。初めに感じた「クラシックギターらしい音」と感じ入って、この音出しを習うだけで教室に通う価値があると決断した。それから二〇年をすぎた今、このアルハンブラである。
 初めにギター演奏を聴いたときに「二台の楽器で合奏している?」と誤解したのだが、これは旋律と装飾和音とが一台の楽器から同時に聞こえるからのこと。なんせ、太い低音が響いている間ずっと、旋律や別の装飾音が流れているのだから。アルハンブラも、高音の旋律に低音の和音を添えて演奏していくが、高音旋律を八分音符の長さの三連音符トレモロ連続で聴かせ、和音は三拍と長い通奏最低音に八分音符の半拍音をトントンと重ね添えた作りである。そして、この高音旋律と和音との相乗作用から、過ぎた日の思い出、郷愁に人を浸らせていくといった趣だ。日本の曲で言えば、「ウサギ追いし」の「ふるさと」や、「しずかなしずかな『里の秋』」のような。俳句で言えば「面白うてやがて哀しき鵜舟かな」とか「行く春を近江の人と惜しみけり」の趣を音の流れに変えたような。ただ、この曲の演奏は難しい。くっきりとしてかつさりげなく右手中三本の指で鳴らすトレモロ奏法が難しいのである。ある指の音が擦れたり、強すぎたりして、プロでも安定させにくい技術なのだ。このトレモロは、一拍五〇以下というレントの遅さでゆっくりと練習を重ねて安定させていき、そうして初めて七〇ほど、本来のアンダンテ以上の速さへと固めていく。ちょっとでも乱れたらまたレントにかえって練習といったものである。僕の場合はレントで弾いてさえ、トレモロの人差し指音が小さく、低音伴奏の親指が強すぎるのが常だったのだけれど、それが今回やっと直ってきたのである。嬉しかったから、この一ヶ月ほどは毎日二~三時間もこの曲各部を指にしみこませてきたものだ。なお、音楽の三要素、旋律、和音、リズムの内、この曲のリズムは四分の三拍子である。これがまた、人の心を踊らせ揺さぶるようにしみこんでくる。
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随筆紹介  生きる術   文科系

2024年09月24日 17時14分35秒 | Weblog
生きる術   S.Yさんの作品です 
                                    
 朝六時、目覚めると二階の自室のカーテンを開け、真っ先に隣家のベランダを見る。シーツや布団がいっぱい干されていると、ほっとする。隣家の奥さんの月子さんは今日も元気そうだ。そうやって私は密かに月子さんの生存確認をしているのだ。    
 連日の異常とも思えるこの暑さだ。外の世界は熱風とじりじりと焼けるような陽射しにさらされている。早朝から彼女は呆けた婆さんの汚れた寝具を洗ってベランダに干し、それから大人数の家族の洗濯物を広い庭に干している。時々この庭と、うちの裏庭の塀越しに私とほんの数分会話をするのだが、私は彼女が気の毒でならない。常に働き通しなのだ。
 先日、唯一息抜きは日曜日の朝、近所の友達と喫茶店でお茶をするときだと聞いた。「それはいいわね。ゆっくりしたついでにランチもしてきたら」と言った私に、「とんでもない。週に一度、四十分だけよ。じきに昼食の買い物と支度があるから」 
 そうなのだ。月子さんには九十代の婆さんの食事の世話がある。七十代の旦那、四十代の引きこもりの息子二人の世話もあるのだ。朝、昼、晩と三食を毎日、毎日作り続けている。雨の日は上下の雨合羽を着込んで買い物やコインランドリーに自転車を走らせている。なぜ旦那は車で彼女を送らないのか。家族のために汗だくで自転車の前と後ろに大荷物を積み込んで走っている彼女の姿に何も感じないのか。月子さんは大柄だが私とほぼ同年齢で七十歳は超えている。世間一般では高齢者なのだ。無理は効かなくなってきている。
 そこへきて今年の夏の暑さは尋常ではない。毎日が体温より高い気温なのだから体力も気力も萎えそうだ。熱帯夜も続いている。我が家は夫に息子、私と犬もそれぞれにエアコンの効いた部屋で過ごしている。メディアも命にかかわる暑さだというし、高齢者は特に熱中症対策をしろとうるさい。現実に暑さで亡くなる人も増えてきているからか。
 なのに、月子さんの家はエアコンがないのだ。築七十年の古い家屋で、何年か前に増築した二階家の方にはエアコンはついている。そこは息子二人と婆さんの部屋、旦那もそちらにいるらしい。
 月子さんが寝ているのは古い母屋の二階、西日の当たる部屋で四十度ぐらいになるそうだ。布団は干したようにポカポカに温かいという。家事一切、何もしない旦那と呆けた婆さん、部屋にこもっている中年の息子たちが終日涼しい部屋にいて、彼女は熱帯夜が続く中、扇風機だけで睡眠もあまりとれてない。これでは月子さんはまるでこの家の奴隷じゃないか。私はひとり憤慨している。
 引きこもりの息子のひとりが「おふくろ、夜はクーラーがないと死ぬぞ」と言うらしいが、旦那は二言目には「そんな金はない!」と言うそうだ。

 この旦那は大バカだ。月子さんが倒れたら、呆けた車椅子の母親と、引きこもりの息子たちの世話をだれがするのだ。それを声を大にして言いたい。それどころか、婆さんがウナギを食べる日には彼女は専門店に買いに走り、毎朝、旦那の読むスポーツ紙もコンビニに買いに行っている。
 私には考えられない。「自分のことは自分でやってもらったら」と助言しても「昔から、私が嫁に来てから五十年、ずうっと変わらないから…… 仕方がないわ。でも、まだ楽になった方よ」そうだった。もう亡くなったが五年ほど前までは、爺さんも旦那の弟も同居していたのだった。ここの爺さんと婆さんは薄情な評判の悪い夫婦だった。近所に住む旦那の妹も頻繁に来ていたが、婆さんが呆けると途端に来なくなった。
 月子さんの人生ってなんだろう? 自分自身の趣味はおろか、自分の時間がほとんどない生活。彼女から聞いているだけで、私は自分が恵まれていると思い知らされる。
 私が他人の夫婦のことをどうこう言う資格などないが、それでも月子さんの旦那選びは失敗だろう。自分の妻をあれだけこき使えるものだろうか。手のかかる婆さんも、ディサービスなどにも行かせずに月子さんに世話をさせている。感謝など一切ない。女は連れ添った伴侶で人生は決まってしまうのか。
そして経済力も重要かもしれない。彼女は嫁いだこの家で旦那のもとで衣食住を賄っている。家を出されたら生活に困るのだろうか。一昔前の女の生き方だ。
 私はこんな生活はイヤだ。本も読めず、美術館や音楽会、旅行やデパート、ランチにも行ったことがない月子さん。行動範囲は自転車で動ける範囲のみで車の免許も敬老パスも持っていない。もしも私がその立場だったら、他の生き方を模索していたような気がする。

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ブログ・エントリーの「Web検索」に関わって   文科系

2024年09月04日 08時05分10秒 | Weblog
 前から書いてきたように、ブログ・エントリーの「題名・作者」部分を青く転じて「Web検索」にかけると、マイクロソフト・ビーイング画面にこのエントリーが紹介されていることが分かる。長くこれを確認してきた僕は、最近こんなことに気づいた。どうしても紹介がない一連のテーマ内容があると。

 僕のエントリーの場合、普通の随筆などは、ここにほとんど全部載るだけではなくそれへの好意的批評文などさえ付いてくるのだから、一連の載らないものは「なぜか?」と不思議に思って、これまでに色々調べてきた。最近で言えば例えば8月14日の「円の急騰、急落にちなんで」がその一例だが、新自由主義経済の核心部分、通貨危機、ファンド、空売りなどの金融関係部分を扱ったものやウクライナ関係などが多い。つまり、「アメリカ流の検閲関連検索用語」が存在する?などと訝ってきたところだ。日本関連事項で言えば28日「聖徳太子は日本人ではない」や「南京」、「慰安婦」もちゃんと掲載、紹介されて来たのだから、これらの不掲載が余計に目立つのである。ハゲタカファンド、敵対的株買主とか、ステークホルダー資本主義の推薦とかも怪しいと思う。
 アメリカのIT関連会社にはファンド参加、形成主も多いから、こういうことになっているのかななどと、時に思うのである。

 検索で出てくるエントリーへの評論文章などは、なかなか面白いものと読んで来た。

 なお、去年10月8日にこれと同じ記事を載せたときには、検索で紹介されているだけではなく、こんな評論文章まで付いてきたものだ。

『マイクロソフトのブログ検閲についての議論は、特に文科系のブログに関していくつかの観点から取り上げられています。例えば、特定の政治的な内容や社会的なテーマに関する記事が検索結果に表示されにくいと感じる人もいます1。
具体的には、ウクライナ戦争に関する情報や日本のプロ野球批判の記事が検索結果に表示されにくいといった事例が報告されています1。一方で、自民党批判の記事は比較的表示されやすいという意見もあります1。
このような検閲の傾向については、アメリカ側の政治的または商業的な検閲の一環であると考える人もいます1。ただし、これが実際にどのような基準で行われているのかは明確ではなく、単語の出現頻度や内容による自動的なフィルタリングの可能性も指摘されています1。
このテーマについて、あなたはどのように感じますか?また、具体的な事例や経験があれば教えてください。』
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随筆 海外旅行クライマックス  一人ランチへの賓客   文科系

2024年05月31日 02時00分55秒 | Weblog
 連れ合いのボランティア活動に同行したシドニー滞在旅行が半月を経過した。彼女もホームステイ先の四十代独身女性も仕事に出る平日日中は、全く一人。気ままなランチを今日はちょっとリッチにしてみた。と言っても、買い物を選べば、実に安くて豪華にできるのだ。メインディシュは三百グラムのTボーンステーキ。日曜日に市中心部に出た時、チャイナタウンのスーパーで買ってきた三百円ちょっとのものだ。ワインは近所のスーパーから「一本千円、二本買うと一本おまけ付き」(「三本二千円」でないのが面白かった)で仕入れたシラーズ種、オーストラリア名物の赤。渋みも甘みも重厚で相当な味なのに安いのが手に入る。野菜は高いからいつも慎重に探すが、三日前に買ったセロリに岩塩を振りかけて添えた。デザートは超特大リンゴほどのマンゴー、甘さも香りも強く「きつい味」とは言えるが、今こちらで一番旬の果物で、これが百円ほどである。

 舞台が良い。シドニー市民がみんな知っている北郊外の高級住宅地、コーラロイプラトーの一角、家の前の道から北北東に太平洋、北に湖がそれぞれすぐそこに見える高台で、おちついた3LDKのおしゃれな平屋である。そして、東向きのこのベランダは昨日僕の手で久々らしい大掃除を終えたばかり、真っ白いテーブルに今はゆったりと一人、ワイングラスの脚をつまみながら目の前の東庭を眺めているというシテュエーションである。

 百坪ほどの裏庭だが、森なのである。葉の短い柳に似た高木が3本、これはユーカリの仲間らしい。それよりかなり低いが四メートル以上もある「羊歯か、蕨のお化け」が五本。東端にある一番の大木は見当もつかない種類のものだし、「八手のお化け」、「クチナシモドキのお化け」など我が家には見かけない庭木ばかりなのだ。かろうじてコデマリ、アジサイ、ツユクサなどが混じっていて、それらに目をやるとなぜかほっとする。季節は夏の盛りの二月、気温は珍しく三十度と高く、陽射しは突き刺す感じなのだが、日陰のここでは家々の「森」を渡って来る風がからっとしていて、うーん、気持がいい。
  
 テーブルにグラスを置いて背伸びしたとたん、その姿勢のまま目線が捉えられてしまった。ユーカリの幹の向こう側、地上三メートルほどの枝に見たこともない鳥がいる。「梟だ」、三十センにも見えた大きさ、形、体の三分の一以上もある頭などからそう直感した。が直後に「全く違う」と、そいつが僕に振り向いた瞬間に気づいた。クチバシが長すぎる。大きな頭のその幅ほどもあるクチバシから途端に連想したのがカワセミであり、すぐになぜか「ワライカワセミ」という言葉を思い付いた。名前以外は一片の知識さえなかったのに。部屋に跳び電子辞書を持ち出して百科事典をのぞく。
 「オーストラリアに分布し、疎林に住んで昆虫、トカゲ、ネズミなどを食べる」とあるではないか。早速スケッチにかかる。家主が帰ってきたらたずねてみるつもりで。悪戦苦闘の末まーそれらしくスケッチできたので、すぐに和英辞典をひく。クッカバッラ、ラーフィングジャッカスなどとあり、その語源は同じ電子辞書によると、「笑う頓馬」とか「ギャーギャー声の変人」らしい。だけどそいつはそんな声は出さず、ばたばたする僕を怖がるでもなく梟のように哲人然としてただ見つめている。
 「違うのかな」と、双眼鏡やカメラまで持ち出して、カメラで一枚撮ったあと接近開始。時間をかけてジリジリと寄って行き、とうとう高低差も含めて六メートルほどの地点にあるベンチに僕は座り込んでいた。そこから七倍の双眼鏡で観察するのだから、もう羽毛の先までが見える。それでもそいつは哲人然とした物腰を変えない。時間をかけて撮影し、観察して、それからテーブルにもどって、彼も肴にしつつランチを続けた。ややあって突然。形容しがたいトテツモナイ声を発すると、それを遠くまで響かせ続けながら、そいつは飛び去って行った。

 家主に聞いた話では僕の推測は正解、語源も正解。翌日も同じ枝に来たそいつは、きっと「賢い鳥」なのだろう。家主の「自然」志向からはっきりと虫、トカゲが多いと言える庭だったからだ。幸せなステイになったものである。
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日に何度も見る我が家の庭  文科系

2024年03月17日 09時19分23秒 | Weblog
 早春の庭は何度見ても飽きない。今は、日に3度は眺めに出る。

 東西に長い40坪ほどの庭だが、真ん中近くの大きなガラス窓から3メートルほどの正面には、2本のボケが真っ盛りだ。黒が混じった感じの深紅の一本は咲き過ぎてこの花特有の花塊ばかりを呈しているようだが、この色が好きで探し出して来たもの。左の他方は、不適切な時期に枝を払いすぎて花が少ないが、ボケとしては珍しく早く出た葉の緑の影に咲いている朱色が美しく、僕の目を吸い付ける。県営住宅で花畑係だった老人の助手のようなお手伝いをしていた幸せな小学生時代から、木瓜はずっと好きな花である。
 緑の下草の間の所々に黄色の水仙やムスカリがちらほらと顔を覗かせているのも、僕にはとりわけチャーミングだ。これからの庭には、ツツジ、クチナシ、ライラックや卯木の花も見えて来るだろう。

 今の庭は1年で最も良い時。それが、病気のために少々活動力を無くしている82歳の我が身には、すごい救いになっている。ちょうど、人間関係に悩んで人嫌いになった境遇が大自然を親友とする事が多いのと似ているような。こんな時の僕は思う。無宗教で神を信じない僕にとっては、自然こそ神様であるような、有り難いことだ。

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ますます偏重、新聞、マスコミのスポーツ報道   文科系

2024年03月17日 08時34分30秒 | Weblog
 野球について標記のことを感じてならない。地方の高校野球、子ども野球、MLBも含めて、それらの評論記事も加えると、野球記事ばかりが特に最近は多すぎるようになってきたと感じる。まるで「野球記事を増やそう、斜陽の野球を盛り返すためにも」との談合でもあるかのようにこうなっているが、新聞が公器と観るならば、これは明らかにおかしいことじゃないだろうか。ちなみに、歴史的にマスコミが興業野球スポンサーを務めてきた経過があるから、この衰退への抵抗・回復努力と思われて仕方ないのである。野球と同じほど人気があるサッカー初め、あらゆるスポーツ界が「おかしい」と叫ぶべきことではないだろうか?
 ちなみにまた、NHK放映が地上波、BSの両方で大相撲を2重にやっている現実も、僕には不満である。スポーツとして見た場合にはそもそも、大相撲は不健康である。歴代横綱が見事なほど早死にであるという事実、引退しても減量の努力が欠けているように見える現状もその証左だ。僕らの中学時代には学校などでも相撲を取ったが、今は都会などのどこにそんな姿が見られるか。  
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小説 俺のスポーツ賛歌(2)   文科系

2024年03月07日 11時32分28秒 | Weblog
 さて、俺が大学院に入ったとき弟は高校三年生で、その三年間はこんな生活を見せてくれた。授業が終わるとすぐに帰宅、勉強。夕食を食べてまた勉強。ただし、週に三つほど必ず観るテレビ番組を決めていて、その一つは「歌謡番組 夢で会いましょう」。しばしの青春時間というわけだが、これら三つでさえ夕食前後の一時間以内。こうして、彼の一日平均勉強時間は七時間に及び、しかもこれが三年間続いたとあって、これらすべてには何というかとにかく驚かされてばかりだった。これは後にはさらにはっきりと分かるようになったのだが、国語ができなくて、家庭教師についていた。英数の家庭教師ならともかく、国語のそれって珍しいということから、何か鮮かに覚えている。俺に言わせれば、この国語不得意は当たり前だ。小学校から大学までこれだけ人付き合いがなければ、文学や古典の字面、文章はともかくその中身が分かるわけがない。それでいて数学実力テストは父の助けもあって愛知県最難関高校でトップなのだから、まー非常に偏った人間なのである。ちなみに、この弟を当時の母が他の二兄一妹にはやったことがないほどせっせと献身的に押し上げていた。この時の母は、これまで努めていた名古屋市立高校教師の職を定年まで五年以上を残して辞めてしまい、専業主婦になった。それは、弟を東大に入れるために世話を徹底しようという望みから決めたことだ。母が遺した旧女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)愛知県同窓会誌「桜陰」への寄稿にこんな一節がある。
『昭和四〇年三月、○○高校退職。高校三年になって大学進学を前にした末っ子に一年間はすべてをかけてみようと、今まで出来なかった教育ママに徹しました』
  母のこの決心を弟がどう捉えたかは俺には全く記憶がないから、まーそんなに異例、異常なことのようには受け止めなかったということだろう。
 こうして弟は、東京大学理科一類に悠々と入って行った。国語の点数不足などは、彼の数学の高得点でいくらでも補いが付いたということだ。

 さて、中学在学中から普通の移動はほとんど自転車に頼っていた俺だが、バレーボールを止めた後はスポーツ・サイクリングがにわかにクローズアップされていく。
 初めて自転車に乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だ。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。こんな乗り方ながら、初めて走りだせた時のあの気持! 〈速い!〉はもちろんだが、〈自由!〉という感じに近かったのではないか。脚を必死に動かしているわけでもないのに、風がピューピュー耳を切っていく! サドルに座って届かない足を回す乗り方を間もなく覚えてからは、かって味わったことがないスピードでどんどん走り続けることが出来る! 
 以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。やはり五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 共働き生活が始まって、上の息子が小学生になったころから子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川を遡ったことも何度かあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時に文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、あの光景! 子ども等のそんな自転車姿がまた、俺にはたまらない。
 この頃を含む四十代は、片道九キロの自転車通勤があった。これをロードレーサーで全速力したのだから、五十になっても体力は今の日本では普通の二十代だ。自転車を正しく全速力させれば、体幹も腕っ節も強くなるのである。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのも、五〇ちょっと前のこのころ。先ず知多半島先っぽまで。そこから伊良湖岬先端までのフェリーをつかった三河湾一周の最後には豊橋から名古屋まで国道一号線の車道を走ってきた苦労も加えて、メーターが弾きだした実走行距離は百七十キロになっていた。

 五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物だ。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな品である。前三角のフレーム・クロモリ鋼チューブなどは非常に薄くて軽くしてあるのに、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色に注文した車体。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社製。部品は普通のサイクリストなら知らぬ人はいないシマノのデュラエース・フルセットである。

 定年近くのこんな俺を、同居生活という近くで見続けてきた母が度々口に出していた言葉がある。
『若い頃順調に一直線で来た男性は老後に苦労する。何らか意味がある寄り道をした人の方が豊かな老後になる。人生プラスマイナスゼロにできてるということなんだろうねー』
 これは、老後が即余生になってしまった父や、当時既にそうなりそうだった弟を見ていて、母なりに出した人生訓なのだ。ちなみに、先にも見た同窓会誌「桜陰」寄稿にもこんな一節がある。
『同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです』。
 俺が五〇歳の頃から俺らは同居を始めて、その二年後に父が亡くなったその後の家庭風景を母なりに描写したものである。なお、この夕食時間は俺にとっても忘れられないものになっている。食卓に、母と連れ合いと二人それぞれの二品ずつほどが並んで、華やかな、楽しい食卓だった。なお、四人の兄弟姉妹の中で、両親が最も望まない青春時代を送った俺が晩年の両親と同居したというのは、皮肉というよりはむしろ当然の結果と今の俺は捉えている。博士号を持った外科医である兄は同じ名古屋市の同じ区内に住んで、八十歳を超えた今もなおパート勤務医として働いているが、父母共に兄夫婦とはいろいろあってむしろ疎遠といって良かったからだ。「一直線」の青春を過ごした息子やその配偶者とは、その親もなかなか親しく付き合えるものではないらしい。まして、全国区の大学を出た妹、弟は、それぞれ東京練馬区と横浜高台の自邸に住みついて、名古屋には帰ってこない。全国有数の大学卒業という優秀な子を持つということは、そんな覚悟も要るということである。なお、妹は母と同じ大学の大学院を出ている。


 五九歳の時に職場がスポーツジムの法人会員になったのを機会に、ランニングを始めた。その時に分かったことなのだが、入門して間もなくなんの苦もなく走れるようになって行ったのは、それまでのスポーツ好き、自転車人生があったからだった。自分の最高心拍数の七割程度で走りつづけると最も効率よく心肺機能を伸ばすことができるというランニング上達理論があると後で知ったのだが、素人が継続できる高速サイクリング心拍数がちょうどその辺りに来るものなのだ。つまり、俺はそれまでの自転車人生によってランニングに最適な心肺機能訓練を続けてきたわけだ。走り始めて一年ちょうどほど、六十歳で出た十キロレースで四九分台という記録を持っている。そして今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近いランニングをしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする度に連れ合いがよく口に出す言葉がこれだ。
「全部、自転車のおかげだよね」
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミア・ドスキンとやらの特上物である。なんせ、俺の人生初にして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に愛着を感じる質としてはこの上ない幸せである。よほど生地が良かったらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じる二重の幸せだ。弟の結婚式から父母の葬式までを見続け、「自分の大人時代を今日までほぼ共に歩んできた礼服」。それも今できる品質なんだろうかとか、今作ったらいくらするんだろうとか思わせるような五十年物なのである。こんな幸せさえもたらしてくれる一六九センチ・五八キロ、体脂肪率十二%内外の「生涯一体形」も、「生涯スポーツ」、特に有酸素運動と相携えあって歩んで来られたということである。もちろん俺は、若い頃に医者に教えてもらったポリフェノールのことも忘れてはいない。酸素を多く取り入れ過ぎてきたその手当をしていないスポーツマンは早死にするとは、医者なら皆が語ること。それは酸素とともに空気から取り入れてしまう活性酸素が細胞を最も激しく老化させる有害物質だからである。これを中和してくれるのが、ポリフェノール。かくして俺の食生活は、晩酌が赤ワイン、野菜は馬みたいに食ってきたし、最も多くする間食は、チョコレートに煎茶だ。つまり、こういう食生活習慣がいつの間にか楽しいものになっているというわけである。

 ランニングとサイクリングの楽しさは、俺の場合兄弟みたいなもの。その日のフォーム、リズム、気候諸条件などが身体各部の体力にぴったり合っているらしい時には、各部最小限の力によって気持ちよくどこまでも進んで行けるという感じの兄弟。そして、そんな時には身体各部自身が協調しあえていることを喜び合っているとでもいうような。
 自転車が五九歳にしてランを生み、退職後はランが自転車を支えて、まだまだ長く続いていきそうな七十七歳の俺の活動年齢。パソコンにぶっ通し五時間座っていても腰背痛にも縁がないし、目も大丈夫と、これらすべて有酸素運動能力のおかげ。「パソコン五時間」というのは、現役時代から仕入れて今も続いている同人誌の編集活動に必須の、現に日夜重宝している能力である。文章創作というこの頭脳労働にまた、有酸素運動が威力を発揮している。走った日の後二日ほどは、老人になって特に感じる朝の脳の冴えと同じものを感じ、走らない日が三日も続くとたちまちどんよりとしてくるのである。人間の身体で酸素を最も多く消費するのが頭脳であるという知識を思い出せば、誰にでも分かる理屈だろう。ちなみに、人間個体が窒息死する時、この死が最も早く起こるのも脳細胞であるらしい。

 週に複数回以上走ることを続けてきたほどのランナー同士ならばほとんど、「ランナーズ・ハイ」と言うだけである快感を交わし合うことができる。また例えば、球技というものをある程度やった人ならば誰でも分かる快感というものがある。球際へ届かないかも知れないと思いながらも何とか脚を捌けた時の、あの快感。思わず我が腿を撫でてしまうというほどに、誇らしいようなものだ。また、一点に集中できたフォームでボールを捉え弾くことができた瞬間の、体中を貫くあの感覚。これはいつも痺れるような余韻を全身に残してくれるのだが、格闘技の技がキレタ瞬間の感じと同類のものだろうと推察さえできる。スポーツに疎遠な人にも分かり易い例をあげるなら、こんな表現はどうか。何か脚に負荷をかけた二、三日あと、階段を上るときに味わえるあの快い軽さは、こういう幸せの一つではないか。これらの快感は、たとえどんなに下手に表現されたとしても、同好者相手にならば伝わるというようなものだ。そして、その幸せへの感受性をさらに深め合う会話を始めることもできるだろう。
 こういう大切な快感は、何と名付けようか。イチローやナカタヒデなどこのセンスが特別に鋭い人の話をする必要がある時、このセンスを何と呼んで話し始めたらいいのだろう。音楽、絵画、料理とワインや酒、文芸など、これらへのセンスの存在は誰も疑わず、そのセンスの優れた産物は芸術作品として扱われる。これに対して、スポーツのセンスがこういう扱いを受けるのは日本では希だったのではないか。語ってみればごくごく簡単なことなのに。スポーツも芸術だろう。どういう芸術か。聴覚系、視覚系、触覚系? それとも文章系? そう、身体系と呼べば良い。身体系のセンス、身体感覚。それが生み出す芸術がスポーツと。スポーツとは、「身体のセンス」を追い求める「身体表現の芸術」と言えば良いのではないか。自分の視覚や聴覚の芸術ならぬ、自分の身体感覚が感じ導く自作自演プラス鑑賞付きの、誰にでも出来る身体芸術である。
 勝ち負けや名誉とか、健康や体型とかは、「身体のセンス」が楽しめるというそのことの結果と見るべきではないだろうか。そういう理念を現に噛みしめているつもりの者からすれば、すっかり体型がくずれてしまった体協の役員の方などを見るのは悲しい。勝ち負けには通じられていたかも知れないが、「身体のセンス」の楽しみはどこか遠い昔に置き忘れてこられたように見えるから。その姿で「生涯スポーツ」を説かれたとしても何の説得力もなく、「言行不一致」を免れることはできない。

 さて、こんな俺のロードレーサーが、先日初めての体験をした。直線距離三〇〇メートルとすぐ近くに住んで、今は週三日も我が家に泊まっていく仲良しの女の孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのサイクル・ツーリングに出かけた。その日に乗り換えたばかりの大きめの自転車やそのサドル調整がよほど彼女の身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十四キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいちゃんはゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」
「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか。
「私もいつか、そういう自転車買ってもらう!」
 そんなことから二回目には、片道二十キロほどの「芋掘り行」サイクリングをやることになった。農業をやっている俺の友人のご厚意で宿泊までお世話になる企画だった。
 人間の子どもの力って凄い。初めての長距離ツーリングなのに、行きも帰りも俺の速度メーターはおおむね二〇~一五キロ、二時間ほどで乗り切った。名古屋市を、北部から南へ縦断して隣の豊明市までというコースだから歩道を走ったのだし、信号は多いし、海に近い天白川の橋の真ん中から水鳥や魚を探すなどの長い休憩時間も二回ほどとったのだけれど。帰りなどはその上、途中にある大高緑地公園遊園地を二時間以上も飛び回ったうえで、さらに一〇キロ近くを文句も言わずに走り通した。けろっとして本人曰く、「私は身体が強いからね!」。初めは半径三キロ以内はこれまでにすべて征服したと豪語できる公園遊びから始まって、自転車から、正しい走り方までも俺が教えて来たこの小学二年生は、五〇メートルを九秒切って走り、二重跳び三十回とかの縄跳びも大好きなのである。俺のスポーツ好きが乗り移ったようなこの子と、まだまだ一緒に遊べる体力を持ち続けていたい。そして今は、やがて青春を迎えるだろうこの子との一日百キロサイクリング、これが俺の夢だ。俺の経験からいって、今のように週二~三日、一回十キロ近いランニングが出来ているならば、一日百キロのサイクリングは容易だと目論んでいる。ちなみに、そういう高齢者は、サイクリングが盛んな英仏などにはうじゃうじゃいる。そして、彼女がその年齢までサイクリングを熱烈な趣味と出来るか否かは、俺が我が父母の教育力をどれだけ換骨奪胎して受け継ぎ得たかに掛かっていると考えている。
 ハーちゃんは二〇一〇年九月生まれ、今はもういない父母はともに一九一〇年九月生まれ、きっかり百歳の歳の差だ。


(終わりです)



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随筆紹介  散歩    文科系

2024年01月26日 09時23分17秒 | Weblog
随筆紹介  散歩     K.Kさんの作品です   

 元旦に近くの神社へ娘家族と初詣に出かけた。帰り道で前を歩いていた夫が「手をつなごうか?」と、不意に振り向いて私の顔を見た。結婚して五〇年、無骨な夫にしては初めてのことに戸惑う。いつも先に行っていたのに。どうした心境の変化? 今年から心を入れ替えたか? 首を傾げて怪訝そうにしていると、前を歩いている若い二人が手を繋いでいるのを見て感化されたとか。
「どうすればいいのかな?」自分の手を見ていう。それならば私もおずおずと手を出す。お互いに指をがっちり組むと力が入りぎごちない。なかなかしっくりとこない。
 もたもたしていると、後ろから歩いていた高校生の孫娘が、「こうするといいよ」と、細く白い指先を、夫のごつごつした指に絡ませた。夫は「そうか」と頷いて二人はそのまま足取りも軽く歩き出した。女子高生と手をつなぐなんて、お年玉効果か? 初詣のご利益なのか? と思ったが、上機嫌な夫の後ろ姿に黙っていることにした。
 周りの散歩している人は、カップルは手をつないだり肩を寄せ合ったり、仲の良さが伝わってくる。夫婦は夫が前を女性が少し後ろを歩くのが多い。並んでも微妙な距離感がある。
 背の高い男の人と小柄な女性が一緒に散歩するのは無理があるのでは? と気になる。女性は男性の胸までしかない。奥さんに気を遣ってゆっくりと歩く。女性はそれでも一生懸命に下だけを見て早足でついて行く。景色など眺める余裕はない。男性はこれでは運動にならないだろうと思えるほどに遅い。身長差があると、足の長さも違い、歩幅も大きく変わる。そこまでして二人で散歩するこだわりがあるのだろうか? とさえ思ってしまう。
 どちらかが出不精で一緒に行かないと散歩を面倒がるとか、俺に従えとか、夫婦にはそれぞれの事情をあるのだろう。大きなお世話かもしれないが、それぞれ都合のよい時間に、自分の体調に合わせて歩くのがベストだと思うのは、私のわがままだろうか?
 以前は私も夫と一緒に散歩をしていた。だが、身長差が二〇センチあり歩幅が違う。夫が私に合わせるとゆっくりとなり、歩いた気にならずイライラしているのが分かる。「先に行っていいよ」というと、さっさと前に行き、あっという間に見えなくなった。この方が私も急がなくてもいい。
 ところが、曲がり角で夫は待っていた。私が手で曲がる方向を指すとまた、歩き出す。これの繰り返し。これでは道端や庭に咲いている花も見られない。夫も自分のペースで歩きたいのに我慢している。
 話し合って別々に歩くようになり、今では時間もお互いの都合のよいタイミングで快適。
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寺島実郞「21世紀・未来圏の日本再生の構造」の紹介 その3 文科系

2024年01月17日 07時11分19秒 | Weblog
 寺島実郞の月刊誌「世界」連載論文紹介の3回目だ。論文自身の題名は「21世紀・未来圏の日本再生の構造」で、今回の副題は「アベノミクスからの決別とレジリエンス強化の産業創生」である。この場合のレジリエンスとは、経済大目標・構造の耐久性のことである。ここでは、日本経済沈滞、アベノミクスの反省の上に立って、これからの主流経済方向なども提起されている。


 反省はこういうことである。
「米国流金融資本主義の世界化を『グローバル化』として受容してきたが、我々はその結末を観る思いで『格差と貧困』により荒廃した世界とバンデミックと戦争による途方もない数の墓標を見つめている」
 その上で資本主義とは本来、強欲だけの卑しいシステムではなく、合理主義に立つ技術革新・生産性の探究(いわゆる、イノベーションがこの象徴)として、もっと逞しい耐久力のあるものであったいう「倫理性・規範性」が説かれる。今あるべき資本主義とは、どんなものであるか? アベノミクスの反省は置いておいて、それ自身を紹介しておきたい。このままでは、アベノミクスが荒廃させた日本のGDPは、今年ドイツに抜かれ、26年にはインドにも抜かれる、と。


 まず、中央銀行の主体性を再確立せよと述べている。そのうえで寺島は20世紀日米の経済土台であった「自動車」に代わるような分野として、彼が属する「日本総合研究所」の二つの研究課題をこう論じていく。「医療・防災産業創生」「都市型農業創生推進」である。
 
 医療・防災産業は、こんな構想だ。
「全国の道の駅を防災拠点化し、防災力を高めるための高付加価値コンテナの配備を進めようとしている。レジリエンスの基盤は電気、水、食料、避難所など。移動可能な大型コンテナの中身は、太陽光創電、蓄電コンテナ、海水・泥水を飲料水化するコンテナ、食の備蓄、トイレ・シャワーの水回りコンテナ、医療・歯科医療用コンテナ」などとあった。

 次に「都市型農業創生」「食と農」は、日本のこの自給率の悪さを前提として、取り上げられていく。
「食は、『生産、加工、流通、調理』というバリューチェーンを動く。この過程に都市住民をより深く参加させ、食の付加価値を高め、産業のファンダメンタルズを安定させることが重要となる」

 そしてもうひとつ大目標として最後に付け加えられているのがこのことだ。
「もう一つ、日本人の叡智を深めるために『教育・文化』産業の重要さに触れざるをえない」




 最後に僕の感想だが、人類経済、発生期の資本主義が持っていたイノベーションなどの「逞しさ」、倫理性が、なんと貧弱なものになっていたことかという感想を持った。「金融資本主義」なんて、自分の株価総額を観て悦に入っている人々の単なる強欲だけじゃないか。

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寺島実郞「日米同盟の再設計と柔軟な多次元外交の創造」の紹介 

2024年01月16日 11時22分18秒 | Weblog
これは、月刊誌「世界」12月号から連載されている「21世紀・未来圏の日本再生の構造」の1月号分、「その2」の要約である。その2の目次を書くと、こういうものになる。

・日米同盟の再設計という現代の「条約改正」
①在日米軍基地・施設の段階的縮小と地位協定の改定
②尖閣諸島の領有権の米国への再確認
③経済における日米同盟の深化 包括的経済協定の実現
・全員参加型秩序への創造的参画
①求められる高い理念性 「非核平和主義」に徹する第一歩
②柔軟な多国間安全保障の枠組みの実現
③グローバル・アジェンダとしての新次元のルール形成


 平成という、冷戦終結後の30年と併走した時代、新自由主義に立つグローバル化の時代が終わった。その後の4年はバンデミックとウクライナ戦争に直面し、世界の課題がより明確になった。今回、その二では、21世紀の未来圏を生きる国際関係の構築として、日米同盟、多次元外交の創造を語りたい。

 ①世界の大規模米軍基地は五つあるが、うち四つが日本に存在し、経費の7割は日本負担である。これは、独立国というのではなく、保護領、米国周辺国を意味する。これを縮小して、「自衛隊との共同管理」に移行させていくのが、アジア諸国との自主的外交の前提となる。
 ②尖閣諸島については、米国が中国、台湾に配慮して日本の領有権を認めていない。だから、この島をめぐる紛争が起こっても、米国の軍事介入は非現実的なことなのだ。
 ③日米経済に関しては、自国利害に傾斜する米国を、開放・自由化の仕組みに招き入れるべきである。


 世界秩序の創造の方はどうだろうか。同盟外交ではなく、多次元外交に進化させることとして、語られている。
①米日同盟が中心の外交なら答えはすぐに見えるのだが、グローバルサウスなどにも留意した外交を目指すならば、「主張の正当性、理念性が必要となる」。
 そして、ASEAN10カ国のうち9カ国が参画している核兵器禁止条約には、日本も参加せねばならぬ。
②外交、安全保障の分野では、中国、韓国、ロシアとともに、ASEAN、インドを重視しなければならない。
 沖縄に、日本主導の「国連機関」誘致も提案したい。あわせて、全員参加型の国連総会は、意味をましつつあると捉えるべきである。
③国境を越えたマネーゲームに対して、広く薄く課税する「国際連帯税」「金融取引税」の導入も主張したい。


続く


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随筆 「いきなり玄冬」  文科系

2023年12月26日 10時45分49秒 | Weblog
 去年の秋口に膀胱(周辺)全摘手術をやった。内視鏡検査によって第二~三期の癌で、「切ってみなければわからない」と言われたから、仕方なかった。このどちらかで、五年生存率が二割も変わり、治療法も違うからだ。手術前後はずっとなんともなかったのだが、術後一年を過ぎた最近になって「できない」ことの寂しさを痛感することが多い。
 最近の人類史研究において、こんなことがわかって来た。オーストラロピテクス、北京原人、ネアンデルタール人、僕らのような人類は過去にいっぱいいたがすべて絶滅したのに、現生世界人類すべて、ただこの一種類が生き残った。多産に結び付く生殖機能が旺盛だったからという説も出ているのである。そもそも、現生人類の女性には発情期がない。男も、それにあわせたように旺盛、絶倫な猿なのだ。それが閉ざされた寂しさ、悲しさ。「遺伝子を残すため」という、あらゆる動物、サル類の系統発生、進化論舞台上の変化、結果を目的に入れ替えてしまった「目的論」も今は盛んだが、とにかく年取って失ったそれの大きさを日々痛感する場面が多くなった。ただし、こんな時の人には、想像力という武器がある。

 連れ合いと付き合い始めたころなどをあれこれ思い浮かべている。大学クラスは男女半々ほどで、入学直後に付き合い始め、それから六年たって家庭を持ったから、思い出すことは多いのである。彼女の職員旅行の帰りなど、早朝の大阪駅まで出かけて行って出会ったデイトとか、北陸旅行の帰りに敦賀駅で会った一日、さらには新婚旅行のあれこれ。その時の紀州川湯温泉には三泊したし、近くの里山にも登ったなーとか。川湯にはわざわざ、五年ほど前にもう一度二人で行ったけど、それだけ思い出が多かったんだ、などなど。
 これらの想像は、実がないものにはちがいないが、わが身にリアルだから、楽しい。そして、幸せな青春だったなー、いやいや八一歳の昨年までできたぞ、などなどを思い出し、想像してみる。〈一〇キロ走れる体力があったから、血流、新陳代謝などその道は大丈夫と、うそぶいてたよなー〉。以降たった一年、それだけに今が寂しい。
 誰でも通る道だと言い聞かせてみても、突然、いきなりやって来た絶対的な境遇だから、この寂しさはきつい。川端、三島・・・・幾人かの小説家はこれで自死したのかも知れない。一種美を重んずる小説家にとっては、この能力発揮は一種の美、その極地とも言えると思うからである。
 寂しいだけなら良いが、もっと怖いことも頭をかすめる。教室通いをしつつ毎日弾いていたギターが、週二~三回になったし、これも毎日描いていたブログ原稿をほとんど書かなくなった。加えて、ネット映像の連続テレビドラマなどを無限なようにだらだらと観ている。これは、以前の僕が大嫌いだった行為だ。こうして、僕の生活が全く変わってきてしまった。男性機能の完全喪失がこうして、生活、性格の重大変化を生んでいるのかも知れない。青春、朱夏、白秋、玄冬の最後が、いきなり我が身に現れたのか。よくよく心して臨まないと、残りの人生、大変だ。

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随筆 「憎しみ合い」連鎖の果てに   文科系

2023年11月22日 14時05分30秒 | Weblog
 パレスチナガザ自治区のシファ病院新生児がどんどん死んでいると言う。初めは、電気が来なくて死に、病院移出後の今は感染症で死んでいると。出産後病院にいる新生児は問題があるに決まっているが、それにしても、体温が保てない子とか感染症とか、なんと悲しいことだろう。これに対してハマスは、「イスラエルの残酷!」と叫び、イスラエルは「ハマスの司令部関連だ!」と、それぞれが世界に向かって吹聴している。さて、これで思い出したことがある。この事件の最初に世界(の識者ら)が驚いていたことだが、
「イスラエルの厳重な『監視体制』を打ち破って、どうしてハマスが当初に、あれだけのことができたのか?」

 病院を出入り口として地下から出撃していけば、この出撃自身も事前の兵器集積も気づかれずに済んだはずなのだ。次いで、こうも思った。
〈イスラエル人は驚いたろうな。あれだけの地下要塞構築には、どれだけの年月と恨みがこもっていることか!〉
 それにしても凄まじい執念である。この驚異の執念と、これに対する報復、結末こそ、新生児死亡、イスラエルの病院報復の原因と言えよう。

 ユダヤ人の国を作るのは必要なことだったと認めよう。が、パレスチナ人から土地を奪って自治区に押し込め、その自治区に今また金のあるイスラエル人がどんどん移住して来ているとすれば、凄まじい恨みが貯まるはずだ。しかもこれに二つの宗教(聖地)問題も絡んで来る。イスラエル建国にどれだけ歴史的理由があったにせよ、無理があったと思わざるを得ない。そう考えてウクライナを観ると、ここでも憎み合いの連鎖だ。ロシア人の多い東部地域と、それ以外との一四年武力革命以来続いた長いいざこざ、闘争。「ロシアに連れて行かれた子どもら」と言っても、ロシア人の親などが殺された子どもも多いにちがいない。

 人間だけが自分の死を意識できる動物なのに、そういう生死を懸けあって殺し合う動物になっている。そして、生まれたばかりの弱い子どもらがどんどん死んでいく残酷な動物。意識などない方が良いとさえ思うが、とにかく憎しみを増幅させ合わないことだろう。
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ストーマ老サイクリストの手記(471)厄介なことになった・・・  文科系

2023年10月12日 08時57分48秒 | Weblog
 11日、心房細動に対するカテーテルアブレーション手術予定日に臨む診察日に行ってきたが、厄介な宣告が下った。

・手術はできない。この手術には血栓を防止するワーファリン系の薬が不可欠だが、人工膀胱(ストーマ。去年9月に膀胱癌第2~3期?で全摘後、2期と判明)への出血が今もあって、この薬で大量になる恐れがあるから。
・ついては、心拍を調整する薬がよく効いているようで、このやり方だけで行きましょう。血圧は正常、糖尿病もなし、心拍も強いなど血栓が出来にくい体質だし、この系統のより強い薬もあるので。

 さて、これが名古屋市立大学循環器内科の診断なのだが、このままでいくのかどうか。次の泌尿器科診察日で相談することになるが、なにか爆弾を抱えて生活していくような心境になって、帰ってきた。

 家の階段往復とかの、従来やって来た運動はするつもりだし、サイクリングなんかも改めてやっていくことにしている。ただし、水分不足対策など、いろんな注意が必要になるだろう。血栓ができれば、心筋梗塞とか脳梗塞などで突然死もあり得る。ただ、血栓が出来る要素は少ない身体だとは言われている。体重に過不足なく、血圧は正常で、糖尿病などもなし。心拍はしっかりしていて、心拍正常化の薬はよく効いているなどなどだ。
 まー、自分個人だけとれば、ここにもいろいろ書いてきたように死ぬ覚悟はできていて、それが突然死ならば儲けものと思っている。


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随筆再掲  「気品ある」サッカー選手   文科系

2023年08月25日 13時46分23秒 | Weblog
 本日サッカー記事を書いたついでに、拙稿の古い物を再掲します。岡崎慎司は、日本サッカーマスコミでほとんど騒がれたことがない。これが日本サッカーマスコミの能のなさというか、一種の歪み。今サッカー批評で名高い中村憲剛やJリーグ創設の頃のFW武田修宏が、釜本邦茂らを差し置いて歴代日本最高FWにあげている選手。それも当然なのであって、チームがプレミア優勝を勝ちとったその時のレギュラー選手など、今後しばらく日本から出てこないはずなのだ。さっき書いたエントリーの三笘薫は、今その可能性がある唯一の選手だからこそ、騒がれるのである。


 随筆  「気品ある」サッカー選手  文科系  2021年06月18日

 イングランドのフットボール界で、十八年ぶりのある珍事が起こっている。二部降格が常で一部にはたまにしかいないレスター・シティーが十八年ぶりにプレミアリーグ開幕二連勝を収めて、強豪相手の第三戦目も引き分けに持ち込んで、暫定ではあるが首位に立っている。なんせ選手給料総額で二十チーム中十九位という貧乏チームのこと、地元レスター市では大変な大騒ぎだ。日本でいえば野球とサッカーとを合わせた規模をも遙かに超えるイングランドサッカー界のこととて、大騒ぎの程度も違うのである。

 さて、この大躍進の立役者・攻撃陣三人のうちの一人が今期新加入の日本人だとは日本の人々は案外知らないようだ。今期ドイツからここに移ってきた我が日本代表FW、岡崎慎司。いつかはイングランドでやりたいという幼い頃からの夢をとうとう今年叶えたのである。リーグ開始後の三戦を先発した彼のプレーは何と生き生きと見えたことだろう。

 点取り屋として前にいるだけではなく、守備時にはかなりの距離を後ろに下がって行くのは彼のいつものプレーだ。下がっていくゆっくり走行が相手ボール保持者の視野の外に出た辺りから得意の猛ダッシュが始まって、あっという間に相手とボールの間に身体か脚をねじ込んでいる。その時の一メートル七四センチが、すぱっと思い切りよくって、一歩も引かない強靱さを示すのである。一九〇センチの大男相手にも迷いなど一切ない。相手ボールが浮いたある場面では、こんなプレーさえ観られた。相手の長い脚が、高く浮いたボールを迎えに上がらんとする。その脚とボールとの間に岡崎が得意のダイビング・ヘッドで飛び込んだ。短い足で競り合ってもボールを奪えないという窮余の判断なのだが、次に何が起こるかは誰にも想像が付く。スタート地点が高い頭でジャンプしていけば相手の脚は最後の一瞬緩むことにもなり、紙一重の差で頭が競り勝つ。そんなことまでを岡崎は計算済みなのだ。頭が奪ったボールが左前方の味方へと飛んだときには、当然頭と脚の衝突である。相手反則でプレーが止まり、蹲る岡崎、すぐに飛んでくるドクター。頭に流血があるらしく、吹き付ける血止めで髪の毛が真っ白だ。ちょっと頭を抑えた岡崎、ドクターの制止素振りを振り切って、すたすたと歩き出す。こんな彼のプレーがイングランド人には堪らないのである。

 後先を考えないような全力疾走とぶつかり合い。天空に頭を突き出し合う跳躍合戦。こういった果断、勇気にどっとわくのが、真冬にも詰めかけるイングランド観衆だ。かくして、岡崎のプレーにはこんな寸評が付される。第三戦に『ロンドン・イブニング・スタンダード』(相手の本拠地ロンドンの新聞である)に実際に書かれた表現である。
『気品ある疲れ知らずのランナー。素晴らしい獲得であると証明できた』
 別の新聞にはこんな問答もあった。
「凄い勇気ですが、怖くないんですか?」
「いいえいいえ。これがやりたくてプレミアリーグに来たんですから」

 さて、こんな岡崎を見ていると今年に入ってからは特に、日本国内ゲームが何とぬるく見えることか。サッカーという競技を足技サーカスと勘違いしているようだ。そんな日本人の締めとして、往年の代表FW武田修宏の相応の岡崎評を上げておく。
『日本代表で最多得点記録を持つ釜本邦茂さんには申し訳ないけど、日本人(歴代)最高のストライカーだと思っている。……現代サッカーで必要な技術はすべて兼ね備えている選手じゃないかな。』
(以上、15年8月24日当ブログに掲載。以下は、21年6月18日掲載部分のつづき)

 上で「足技サーカス」と書きましたが、ここ数年日本のサッカーも随分変わりました。これではアジア・チャンピオンズ・リーグでさえ勝てなくなって10年近く。その反省から、今は日本のゲームもこうなっています。「サッカーはまず、格闘技である!」。「1対1で負けていては、まず、どうしようもない!」。これは、日本のキャプテン長谷部誠の言葉です。ちなみに、岡崎の特技は、1ゲームの「規定ダッシュ回数」。100mを15秒以上のスピードで1秒以上走るその回数ですが、日本の並みの選手は先ず30回も無い。岡崎はこれを時に60回以上やります。ドイツ・ドルトムント(今リバプールの監督をやっている、ユルゲン・クロップ監督)が起こしたゲーゲンプレス隆盛以来、格別に攻守に走り回ることを要求される現代サッカーになりました。ダッシュ回数が少ないと、攻守にわたる格闘にさえ参加させてもらえないのです。ダッシュ回数が少ないと、攻撃選手なら守備に走れず、守備選手なら攻撃に参加できないということ。この能力はせいぜい高校生までの鍛錬で決まってしまうものですが、ガンバの天才宇佐美は僕が思うにはこれが弱かった。逆に、今この能力によって脚光を浴び始めたのが、知る人ぞ知る、横浜の前田大然。ゴールに駆けつける回数が断然多い分で点が増えるのは、岡崎と一緒と観ています。』




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随筆 ブログ・マスタべーションの行く末?  文科系

2023年08月14日 03時25分03秒 | Weblog
 ブログを書いている俺は馬鹿だったなーと、ちかごろ骨身に染みて思った。ブログで、いつも、自分のエントリーどれかに「これを、読む」のクリックをして来た。他人に読んで欲しいものにそうしてきた。
 このことの初めは、「このブログのベスト10」欄があったから、これを読んで欲しいという物をそこに載せようとしてクリックしてきたということだが、ベスト10欄がなぜかなくなっても、この習慣が抜けなかったのである。「ベスト10」欄を有料にして勝手に無くしたと思っているのだが、その後でもこれを繰り返している俺。全くマスタベーションと気付いてはいたのだから、これはもう完全な自己催眠が続いていた馬鹿。このクリックは、もうやめよう。いくらアクセスが少なくなっても。

 それにしても、ブログというもののマスタベーションを仕向ける力は大きいもんだなー。マスタべーションでのめり込んでいき、さらにはお金を使うように出来ている? 亡くなったり、病気になって書けなくなったりの仲間2人と約18年前にこのブログを始めた俺は、一切お金は使わないと決めているんだけど・・・。

 と自己嫌悪真っ最中の今、今度はブログの右最上段に縦に長い広告が常時入ってきて、消しても消しても、即色々入れ替わってくる。俺の「最近のエントリー題名紹介覧」を下に押しのける形で。俺にとってはさらに嫌なこと。金を払えば、これもされないのだろうが、それも嫌。日々苦労してそれなりの原稿を出しているという自負があるから。
 ここの広告発注者は、これが著しく嫌悪されることを知っているのか? それとも、ただただ「一番上に載っていて、目立つ」というだけで載せている? 高い金を払っているだろうに、これほど毛嫌いされてはお気の毒・・・。

 ブログ経営者って、どこまでエントリー本人を馬鹿にしているのだろう。書き手につながりがあれば、ストライキも出来るのだが、「分割して統治せよ」になっていて、これも不可能、無限の統治権限を持っているのだ。そして、我々は、書く奴隷。こういう我々を使って広告料を稼げているブログ会社は、奴隷所有者? なんせ、新聞など既成広告媒体が傾くほどにこの広告料を伸ばしているのである。奴隷が増えて、その質も良くなるほど、広告量は増えていき、それに比例するように奴隷の権限は減っていくのかな?


  事のついでに、仲間の皆さんに一つ質問。皆さんは、自分のエントリーをそのまま、別のお人のブログにどんどん転載されることがおありだろうか? ただし、僕、「文科系」の作者名は明記してある僕のエントリーそのものの形でなのだが、これがこと随筆に限って僕には無断でどんどんされていて「Web検索ビーイング」にも紹介されてあるから、編集部はこれを認識しているのである。このことについて編集部には質問を出したけど、返事はなく、この無断転載は相変わらず今も続いている。これでは、僕の作品をそちらで検索させて、僕の方には人が来ないということも起こるだろう。現に、そちらだけが検索紹介されていることも多いのだから。
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