1か月以上にわたってアキレス腱周囲炎を抱えてきた前回6月20日は、こんなことを書いていた。
【 こういう状況を踏まえて19日には、20日ぶりほどになるジムランニングに出かけた。怖々と走り始めた最初の30分は、速歩きの時間を長く取ってから走り始め、そのスピードもセーブにセーブを重ねて合計3.7キロ。痛みはないしまだ走れるとも分かったから、もう一度走り始めた。時速7.5キロから始めて後半8キロ時にしても意外に長続きして、結局30分を痛みもほとんどなく終えることが出来た。これが3.9キロで、合計60分、7.6キロ。故障明けの試行錯誤としてはこの上ない結果とあってほっとしたし、】
さて、いったん治った右アキレス腱周辺を又痛めた。
6月23日のサイクリングを経て、25日に外走りを試みた時のことである。歩きからゆっくりと走り始めて、それが好調だったせいか、今思えば1.5キロを過ぎた辺りで無意識にスピードを上げすぎたようだ。突然問題の右アキレス腱の外側、ちょっと上の方に軽い、不思議な痛みが走った。今までとはちょっと違う箇所、それも小さな筋肉のそのまた一部が切れたらしい。ゆっくりと歩いて家に帰ってきた。歩くのが辛いとまでは行かない小さな箇所だが今度は何日かかるかななどと自分に問いながら。
ちなみに、23日のサイクリングは極めて好調だったのだ。あんなに長く心地良い最大限度の激走を2度も敢行したのはずい分久しぶりというほどで、我がパナソニック・レーサー”プレスティージ(1997年物)”も近年にないほど身を震わせて喜んでいたはずなのである。サイクリングはアキレス腱痛からの根気良いリハビリで強くなった箇所だけを使って走れるからこうなったのであって、この日のこんな栄光と一日おいた再度の挫折とが今でも我が身に見えるからこそ、いつもまた頑張れるのである。
以降翌26日は階段20往復、27日は70往復、30日には30分ほどの散歩と階段50往復というように患部が痛まないような運動に励んできた。アイシング、ストレッチ、痛まない程度の片脚毎つま先立ち運動などに毎日努めながら、膝や大腿などが衰えないようにするための運動のつもりなのである。再発の失意は言うまでもないし、年寄りの冷や水感などはもう感じすぎている。でも、そこからスタートしていくしかないって、28日のギター教室発表会の情け無さすぎる出来と同じ事なのである。指が弦にきちんとかからず日頃の3割も行かないと感じて、演奏後なんか惨めな気持ちだった。それでも僕はまた努力を続けていくつもりだ。歳を憎むのではなく、歳と付き合っていく積もりなのである。一進一退が一進三退になったとしても音楽は音楽であるように、たとえ歩くのと変わらないスピードでもランニングはランニングであると自分に言い聞かせるのである。数日こんなふうに過ごしたら、また走れるようになるだろう。年を取るということは、我が身をじたばたと日々新たな実験にさらすようなもんだ。
【 こういう状況を踏まえて19日には、20日ぶりほどになるジムランニングに出かけた。怖々と走り始めた最初の30分は、速歩きの時間を長く取ってから走り始め、そのスピードもセーブにセーブを重ねて合計3.7キロ。痛みはないしまだ走れるとも分かったから、もう一度走り始めた。時速7.5キロから始めて後半8キロ時にしても意外に長続きして、結局30分を痛みもほとんどなく終えることが出来た。これが3.9キロで、合計60分、7.6キロ。故障明けの試行錯誤としてはこの上ない結果とあってほっとしたし、】
さて、いったん治った右アキレス腱周辺を又痛めた。
6月23日のサイクリングを経て、25日に外走りを試みた時のことである。歩きからゆっくりと走り始めて、それが好調だったせいか、今思えば1.5キロを過ぎた辺りで無意識にスピードを上げすぎたようだ。突然問題の右アキレス腱の外側、ちょっと上の方に軽い、不思議な痛みが走った。今までとはちょっと違う箇所、それも小さな筋肉のそのまた一部が切れたらしい。ゆっくりと歩いて家に帰ってきた。歩くのが辛いとまでは行かない小さな箇所だが今度は何日かかるかななどと自分に問いながら。
ちなみに、23日のサイクリングは極めて好調だったのだ。あんなに長く心地良い最大限度の激走を2度も敢行したのはずい分久しぶりというほどで、我がパナソニック・レーサー”プレスティージ(1997年物)”も近年にないほど身を震わせて喜んでいたはずなのである。サイクリングはアキレス腱痛からの根気良いリハビリで強くなった箇所だけを使って走れるからこうなったのであって、この日のこんな栄光と一日おいた再度の挫折とが今でも我が身に見えるからこそ、いつもまた頑張れるのである。
以降翌26日は階段20往復、27日は70往復、30日には30分ほどの散歩と階段50往復というように患部が痛まないような運動に励んできた。アイシング、ストレッチ、痛まない程度の片脚毎つま先立ち運動などに毎日努めながら、膝や大腿などが衰えないようにするための運動のつもりなのである。再発の失意は言うまでもないし、年寄りの冷や水感などはもう感じすぎている。でも、そこからスタートしていくしかないって、28日のギター教室発表会の情け無さすぎる出来と同じ事なのである。指が弦にきちんとかからず日頃の3割も行かないと感じて、演奏後なんか惨めな気持ちだった。それでも僕はまた努力を続けていくつもりだ。歳を憎むのではなく、歳と付き合っていく積もりなのである。一進一退が一進三退になったとしても音楽は音楽であるように、たとえ歩くのと変わらないスピードでもランニングはランニングであると自分に言い聞かせるのである。数日こんなふうに過ごしたら、また走れるようになるだろう。年を取るということは、我が身をじたばたと日々新たな実験にさらすようなもんだ。