さてそうなると、この「手記」は一体どうしたもんだろうということになる。「不整脈ランナー」で始まり、「カテーテル手術で慢性心房細動完治」なども経てきた464回が、ウオークかバイクのことを書いていくことになるのなら、もはや連載は不要だと思う。ギター記事と同様に、たまに随筆にする程度で十分だ。
とても寂しい気持になっているが、この手記はこれで「さようなら」になる。最終的には、癌手術をやった名古屋市立大学病院泌尿器科の月例の診察・(癌に対する免疫強化剤・オプチーボ)投薬の日であるこの8日に決めることになるが、こちらは腎臓内科医(腎臓外科ではあるんだが)ではないから余程のことがない限り僕の心は決まっている。なお、セカンド・オピニオンをくださった医師の名を出すつもりはないともここに付記しておきたい。
先ずお知らせしたいのはこのこと。普段の僕はもちろん、ジムで走っている僕を見た人でさえ誰もストーマを付けているとは気付かないはずだ。ランナーとしての僕の服装は、膝上までのサイクリング・パンツの上に半袖シャツを着ているだけなのだが、おヘソの右あたりに付けたポリ袋のストーマ(尿の袋)をよくフィットする弾力性パンツがしっかり押さえてくれているからだ。パンツで押さえれば、尿が袋の中で均等に広がっていてくれるのである。ストーマの大きさは五本の指を除いた掌の部分程度のものだし、それが尿でいっぱいになったとしても200CC程度であって、これを早めに放出しておいて走るのだから、ほとんど目立つようなものではないのである。
こうして、僕が現に走っている1時間程度なら走るのにほぼ支障はないと言って良いと思う。2時間近くでも大丈夫だろうと僕は思うが、その人のスピードとか違和感への感受性とかがあろうから、これは人によると申し上げるしかない。ただしいっぱいになっても、あらかじめトイレを探しておいて走行途中で放出すれば良いだけの話だ。
さて、せっかく走力が戻り始めたのに、風邪の後遺症が残っていてジムを控えているのが、ちょっと残念。コロナでもインフルエンザでもないという検査結果を掛かり付け医院から得ているが、喉や気管支も痛いから控えている。定期点滴中のオプチーボという癌への免疫強化薬の副作用に肺炎が入っているから、大事を取っているのである。
ラン復活がやっと軌道に乗って来たところだから、かなり残念だ。でも、ストーマ・ランナーとしてここまで希望をつなぎ、膨らませてきただけでも幸せだ。また、ランナー復活のために培ってきた体力が、ギター教室通いや同人誌活動に大いに生きていると痛感できるという幸せこそ、今最も大きいものがある。
26~29日まで入院した経尿路内視鏡的削除手術後の診断結果・今後方針が、26日に削除手術をした傷口からの血が混じった尿がほぼ納まってきた昨日3日に、出た。
診断結果は、尿路上皮癌(膀胱癌)が筋肉層に浸潤した「第2期〉第3期」、「悪性度G1~3では、G2〉G3」というものだった。「第2期〉第3期」というのは、「MRI画像では第2期だが、今回削除できなかった部分まで切ってみないと分からない」ということ。こうして、5年生存率は4~6割ということになる。転移などの状況から2年で死ぬこともあるということになるのだが、まー仕方ない。
今後方針の方は、膀胱全摘手術、化学療法、放射線療法ということで、これらは、今回の病院の親病院である名古屋市立大学病院で行われ、13日月曜日がその第1回診断日となった。この13日以降の推移は、先ず2~3回抗がん剤治療期間2~3か月、その後に手術になるのではないかと言われた。
手術後の尿路には、尿管を直接外に出すか、腸の一部を使って外部への導管を作るかの二つの道があって、いずれもストーマという体外尿袋を装備することになる。後者は腸をもいじるから泌尿器科で最も大きい手術になって麻酔のダメージも大きく、最近話題のロボット(ダヴィンチ)手術だと手術時間がさらに長くなるということのようだ。前者の尿管排出口法はダメージが少ないので高齢者向けと言えるが、血管が少ない尿管の出口をメインテナンスする必要が生じるらしい。今回これらを自分で選べるかどうかが分からないのだが、まーそういう道があるということを頭に入れておく。
ちなみに、ネットで膀胱癌の症例、手術などの資料集めをしてみても、宣伝ものなどが多すぎて実に玉石混淆。以下が最も良かった。『「国立がんセンター」、「膀胱癌」、「治療法」』である。
同年齢の友人女性につい最近胃癌のダヴィンチ手術をした人が居るし、同じく白血病で抗がん剤をやってきた方もいるから、それぞれその後の悩み、経過などをすぐにお聴きしたいと目論んでいる。また、ラン友の友人にストーマを付けてテニスをやっている人が居るとも聴いたから、その運動程度、悩みなども聴けることになる。
ここに書いてきた膀胱癌は、厄介なことになりました。厚い膀胱のその筋肉層にも浸潤していて内視鏡削除術では取り切れぬ部分があり、今後間もなく膀胱を取る手術になっていく方向です。癌の度合いは第2~3期の進行癌ということから、5年生存率は50%内外、と。現在大きな転移は見つかっていないとしても、いろんな転移がありえて、闘っていくことになるだろうということです。さて、そんなわけで僕は、この手記の題名を今後は「膀胱癌患者の手記」と変えることにしました。この日本では、癌で死んでいく人が最も多いということから、癌患者がどういうもので、どう闘って週末を迎えるかを詳細に残すことが、今の僕にできる社会貢献になるだろうという思いです。幸いというとおかしいですが、ここにも書いてきたように、自分の死を青年時代からずっと意識しつつ生きてきたものですから、この今も割と冷静に迎えることができていますし。また、どんな進行癌でもいずれ死を迎える場合には、転移との闘いは同じようなものになるようですから、記録の意味は大きいと考えました。今日は先ず、僕が失敗した予防について書いてみます。僕については、掛かり付け医師のこんな「失敗」があったということを。
僕はここにも書いてきて2017年初めに終了した前立腺癌陽子線治療(完治)以来5年間、定期的にこれの予後観察通院をしてきました。この陽子線治療病院に紹介状を書いてもらった、家の近くの掛かり付けの泌尿器科医師と合わせてのことです。この掛かり付け医師からは、この間ずっと「尿を出しやすくする薬」をもらっていたことですし。そして、この医師には軽い排尿痛をこの1年近く訴えてきました。ほぼこの期間にはここで通院ごとに尿検査をしていて、医師自身も「尿に潜血がある」といつも通告してくれたものでした。それなら普通、膀胱近辺をエコーで検査するはずで、それによって一発で癌は見つかったはずなのです。
と、これが、今回手術をした大病院の方の医師にこれまでの経過を話したら教えられたことでした。
なお、家庭医学事典のような物の本を読んでも、膀胱癌についてはこう書いてありました。「尿潜血があれば、医師はその原因を早急に究明するはず」と。なのにこの医師は、僕の排尿痛訴えを聞き流して、「尿に潜血があっても炎症細胞が出ていないから癌はない」と告げつつ、「抗生物質を出してみましょう」などと対応し、早期発見の時を失してしまったのでした。
こんな事があるものなんですね。僕の連れ合いや家族などは、猛烈に怒っています。
なお、今回26日から今日までの入院では、多くの本が読めました。ここにも紹介した「隷属なき道」と、芥川龍之介、ツルゲーネフ、プーシキンの三作品集拾い読みです。作品集それぞれで面白かったのは、芋粥、地獄変と、ルージン、大尉の娘などです。芥川は、人と世の中とを斜に見たその「高踏」が芸術至上主義と言われるのだろうが、流石にその短編のいろんな奇想は面白い。高踏的ストーリーテラーと読めた。ツルゲーネフのルージンは、19世紀前半のあるロシア・インテリゲンチャーの生涯を描いている。スタンダールの「赤と黒」と同様のモチーフだが、フランス第2共和制を生んだ1848年のパリ二月革命で終わっているところがこの主人公の時代というもの。大尉の娘は、18世紀後半のプガチョーフの反乱を部隊とした一種の活劇物でもあり、僕にはとても面白いストーリー小説でした。