自民党を先頭に改憲の動きが進んでいるのに対抗して、平和憲法を護ろうとする市民の側の動きも広がりを見せている。改憲国民投票法案の強行採決スケジュールを背景に、市民グループが開催準備にかかった「9条世界会議」がそのひとつ。2008年5月のゴールデン・ウィークに、幕張メッセで1万人を集めて国際会議を開催する。
長渕やサザンのコンサートではない、<憲法>で1万人!「戦争の放棄」が冷笑される今日の状況では、何といっても<9条>に集うひとの数にものをいわせねばならない。旧来の<護憲派>の枠を大きく超えて、憲法をひとごとと思いかねない若者なども引きつけられるようにと、3月末に発足した実行委員会のメンバーは、そのための“ことば”“イベント”“グッズ”の企画に知恵を絞っている。
「9条世界会議」の呼びかけ人には、広島平和研究所所長の浅井基文、歌手の加藤登紀子、経済同友会終身幹事の品川正治氏など約30人が、また実行委は、ピースポートの吉岡達也、国際法律家協会の新倉修の両氏が、とりあえず共同代表の任務を担っている。約1年後の5月4日の集会には、吉岡氏らの働きかけで、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズさん(米国、地雷廃絶世界キャンペーン)が講演者として参加すること決めている。加えて、同じくノーベル平和賞受賞者女性、シリン・エバディ(イラン、女性人権活動家)、マイレッド・マグワイア(北アイルランド、平和運動家)、ワンガリ・マータイ(ケニア、グリーンベルト運動)さんらにも参加の呼びかけが行われている。会場費とこれらのゲスト招聘費などで必要なのは、約5000万円。ひとを集めることと、この予算確保が背中合わせの難題となっている。
「日本の平和運動は、憲法9条を枕に昼寝をしてきた」と平和学のリーダー、ヨハン・ガルトゥングは言う。「9条世界会議」は、憲法条文の墨守を超えて、市民が自ら平和を積極的に創っていくことを目指す。その眼目は、日本国憲法が謳う平和的手段による平和構築の理念を、世界各国がこぞって現実的な安全保障策に活かしていくことをアピールするところにある。先ずは日本が、そして世界各国が【戦争の放棄】を確実にしていくことを訴えようとしている。
日本の平和憲法の国際化は、1999年5月、オランダのハーグで開催された<平和アピール国際市民会議>で明確に示されている。「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議をすべきである」という呼びかけである。さらに、コフィ・アナン前国連事務総長の呼びかけで2002年に発足した国際NGOネットワーク、<武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ>(GPPAC)は、2005年2年2日の「東北アジア地域行動宣言」(東京アジェンダ)で、「日本国憲法9条は、日本の軍事主義を封じ込めることで地域の民衆の安全を確実なものにするための規範であるとされてきた。とくに、紛争解決の手段としての戦争およびそのための戦力の保持を放棄したという9条の原則は、普遍的価値を有するものと認知されるべきであって、東北アジアの平和の基盤として活用されるべきである」と銘記している。
GPPACは、この5月24、25日モンゴルで東北アジア地域会議を開催し、<市民による六カ国協議>や<東北アジア非核地帯構想>に取り組む。ここには、地元モンゴルや、北京、上海、ウラジオストク、ソウルなどの他、台北、香港、さらにはモンゴルと近い外交関係にある北朝鮮からの市民参加が期待されている。「9条世界会議」を、日本に最も近い地域で予行することができよう。
<9条>は、肝心の日本国内で明らかに劣勢に向かってきた。何より<北の脅威>が、国内世論に大きく響いている。冷戦終結を経てじわじわと増えてきた日本の有権者の改憲支持が、北朝鮮による拉致問題を背景により強固なものとなり、さらに2006年の北朝鮮によるミサイル、核実験で不動のものとなった感がある。改憲の布石となる国民投票法案は、そうした流れに乗って“あっという間に”成立に向かっている。
政府(内閣法制局)が違憲とする<集団的自衛権の行使>に触れる可能性のある日米共同のミサイル防衛システムも、海上、陸上双方、配備がすんなりと進んでいる。実質的に改憲が先取りされてしまった感もある。改憲案の国会決議と国民投票への発議も、「北」がさらなる“冒険”を試みるタイミングを計って行われるだろう。
「9条世界会議」に向けて、この会議が何を目指し、何をしようとしているかを、短い“ことば”(キャッチコピー)で示さねばならない。それによって、<9条の輪>を、過半数を割り込みそうな護憲勢力の外へと大きく広げることができなければ、9条は本当に枉げられてしまう恐れがある。たとえば「9条第1項の【戦争の放棄】は堅持します。しかし、拉致犯・テロ国家、北朝鮮の核ミサイルから日本を守るには、第2項の【戦力の不保持】を少し修正する必要があります」といった自民党の改憲PRに負けてしまうかもしれない。
実行委のメンバーはいま、「日本発、世界へ。9条」「PEACE CODE 9」といったキャッチコピーの候補を次々に挙げて競い合っている。実行委の末端に連なったわたくしも案を出さねばならないのだが、なにを隠そう、そうした“ことば”を考えるのが何より苦手。それは、自分の<護憲>が、独りよがりの甘さを持っているためでもあろう。
JanJanの読者、記者の皆様、どうぞお知恵をお貸し下さい。JANJANへ、はっとするような、にっこり笑いたくなるような、元気の出るようなコピーを、じゃんじゃんお送り下さい。
長渕やサザンのコンサートではない、<憲法>で1万人!「戦争の放棄」が冷笑される今日の状況では、何といっても<9条>に集うひとの数にものをいわせねばならない。旧来の<護憲派>の枠を大きく超えて、憲法をひとごとと思いかねない若者なども引きつけられるようにと、3月末に発足した実行委員会のメンバーは、そのための“ことば”“イベント”“グッズ”の企画に知恵を絞っている。
「9条世界会議」の呼びかけ人には、広島平和研究所所長の浅井基文、歌手の加藤登紀子、経済同友会終身幹事の品川正治氏など約30人が、また実行委は、ピースポートの吉岡達也、国際法律家協会の新倉修の両氏が、とりあえず共同代表の任務を担っている。約1年後の5月4日の集会には、吉岡氏らの働きかけで、ノーベル平和賞受賞者のジョディ・ウィリアムズさん(米国、地雷廃絶世界キャンペーン)が講演者として参加すること決めている。加えて、同じくノーベル平和賞受賞者女性、シリン・エバディ(イラン、女性人権活動家)、マイレッド・マグワイア(北アイルランド、平和運動家)、ワンガリ・マータイ(ケニア、グリーンベルト運動)さんらにも参加の呼びかけが行われている。会場費とこれらのゲスト招聘費などで必要なのは、約5000万円。ひとを集めることと、この予算確保が背中合わせの難題となっている。
「日本の平和運動は、憲法9条を枕に昼寝をしてきた」と平和学のリーダー、ヨハン・ガルトゥングは言う。「9条世界会議」は、憲法条文の墨守を超えて、市民が自ら平和を積極的に創っていくことを目指す。その眼目は、日本国憲法が謳う平和的手段による平和構築の理念を、世界各国がこぞって現実的な安全保障策に活かしていくことをアピールするところにある。先ずは日本が、そして世界各国が【戦争の放棄】を確実にしていくことを訴えようとしている。
日本の平和憲法の国際化は、1999年5月、オランダのハーグで開催された<平和アピール国際市民会議>で明確に示されている。「各国議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議をすべきである」という呼びかけである。さらに、コフィ・アナン前国連事務総長の呼びかけで2002年に発足した国際NGOネットワーク、<武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ>(GPPAC)は、2005年2年2日の「東北アジア地域行動宣言」(東京アジェンダ)で、「日本国憲法9条は、日本の軍事主義を封じ込めることで地域の民衆の安全を確実なものにするための規範であるとされてきた。とくに、紛争解決の手段としての戦争およびそのための戦力の保持を放棄したという9条の原則は、普遍的価値を有するものと認知されるべきであって、東北アジアの平和の基盤として活用されるべきである」と銘記している。
GPPACは、この5月24、25日モンゴルで東北アジア地域会議を開催し、<市民による六カ国協議>や<東北アジア非核地帯構想>に取り組む。ここには、地元モンゴルや、北京、上海、ウラジオストク、ソウルなどの他、台北、香港、さらにはモンゴルと近い外交関係にある北朝鮮からの市民参加が期待されている。「9条世界会議」を、日本に最も近い地域で予行することができよう。
<9条>は、肝心の日本国内で明らかに劣勢に向かってきた。何より<北の脅威>が、国内世論に大きく響いている。冷戦終結を経てじわじわと増えてきた日本の有権者の改憲支持が、北朝鮮による拉致問題を背景により強固なものとなり、さらに2006年の北朝鮮によるミサイル、核実験で不動のものとなった感がある。改憲の布石となる国民投票法案は、そうした流れに乗って“あっという間に”成立に向かっている。
政府(内閣法制局)が違憲とする<集団的自衛権の行使>に触れる可能性のある日米共同のミサイル防衛システムも、海上、陸上双方、配備がすんなりと進んでいる。実質的に改憲が先取りされてしまった感もある。改憲案の国会決議と国民投票への発議も、「北」がさらなる“冒険”を試みるタイミングを計って行われるだろう。
「9条世界会議」に向けて、この会議が何を目指し、何をしようとしているかを、短い“ことば”(キャッチコピー)で示さねばならない。それによって、<9条の輪>を、過半数を割り込みそうな護憲勢力の外へと大きく広げることができなければ、9条は本当に枉げられてしまう恐れがある。たとえば「9条第1項の【戦争の放棄】は堅持します。しかし、拉致犯・テロ国家、北朝鮮の核ミサイルから日本を守るには、第2項の【戦力の不保持】を少し修正する必要があります」といった自民党の改憲PRに負けてしまうかもしれない。
実行委のメンバーはいま、「日本発、世界へ。9条」「PEACE CODE 9」といったキャッチコピーの候補を次々に挙げて競い合っている。実行委の末端に連なったわたくしも案を出さねばならないのだが、なにを隠そう、そうした“ことば”を考えるのが何より苦手。それは、自分の<護憲>が、独りよがりの甘さを持っているためでもあろう。
JanJanの読者、記者の皆様、どうぞお知恵をお貸し下さい。JANJANへ、はっとするような、にっこり笑いたくなるような、元気の出るようなコピーを、じゃんじゃんお送り下さい。