久しぶりに好敵手(と僕が勝手に思っている)1970さんが戻って来てくれたことを祝って、彼も大好きなサッカーのこのシリーズを即書いてみることにした。日本のサッカージャーナリズム、マスコミに日頃僕が痛感してきた批判を。
さて、かねてから言いたかったことだが、日本サッカー記事は、まったく面白くない。その内容を上げてみよう。
①点取り屋ばかりを追いかける。バレーボールなどでも、こういう格言があるというのに。
『素人はアタッカーを観る。ちょっと分かってくると、優れたアタッカーの背後には良いセッターがいると気づいて、セッターを観る。もっと分かった人は、その名セッターの背後にはサーブ・レシーブやアタック・レシーブの技術や、良いフォーメーションがあると見えて来る』
ところで、日本のサッカー記事には、得点へのアシスト者の名前さえきちんとは出て来ないのである。バレーボール・セッターの、1点がどうしても欲しい時の絶好トスに当たるのがサッカーのアシストなのに。
②アシストの名前さえ出て来ないのだから、ましてバレーの好レシーブに当たる守備の資料などは、スポーツ記事にも皆無だ。個人のボール奪取回数や、守備含みで走り回った距離、ダッシュ回数など、例えばドイツでは当たり前に出てくる数字が、どこにも見られない。これだと、例えば今年英レスターがめっきり弱くなった理由もさっぱり分からないことになる。中盤守備でほとんどの数字がリーグナンバー1のエンゴロ・カンテが抜けたからだと、英国識者は指摘するのである。攻撃陣は、バーディーもリャド・マレズも全く入れ換わっていなくて、むしろ大きく補強している。
③チーム球技では何よりも大事な監督への総合評価等の記事がなかなか見られない。ネルシーニョとかオシム、手倉森とか、ヨーロッパではクロップ、ポテッチーノ、シメオネとか、弱小チームが急に優勝争いに絡んで来るような時には、必ず名監督が存在しているのに。
④ネットの外国サッカー記事でも、いつもいつも「レアル、レアル」で、ロナウド、メッシにバティと点取り屋ばかり。一体、「巨人、大鵬、卵焼き」や「王、長島」連呼時代とどこが変わるというのか。10年1日進歩がないお子様用のようなマンネリズムとさえ感じる。
これでは、サッカー記事と言っても、サッカー(文化)理解をより深く、より楽しくしてくれるようなものとは、到底思えない。まるで、その競技劣等生のミーハーの感想文みたいじゃないか。それとも、10年1日スポーツ記事は読者を馬鹿にしているのか?
さて、かねてから言いたかったことだが、日本サッカー記事は、まったく面白くない。その内容を上げてみよう。
①点取り屋ばかりを追いかける。バレーボールなどでも、こういう格言があるというのに。
『素人はアタッカーを観る。ちょっと分かってくると、優れたアタッカーの背後には良いセッターがいると気づいて、セッターを観る。もっと分かった人は、その名セッターの背後にはサーブ・レシーブやアタック・レシーブの技術や、良いフォーメーションがあると見えて来る』
ところで、日本のサッカー記事には、得点へのアシスト者の名前さえきちんとは出て来ないのである。バレーボール・セッターの、1点がどうしても欲しい時の絶好トスに当たるのがサッカーのアシストなのに。
②アシストの名前さえ出て来ないのだから、ましてバレーの好レシーブに当たる守備の資料などは、スポーツ記事にも皆無だ。個人のボール奪取回数や、守備含みで走り回った距離、ダッシュ回数など、例えばドイツでは当たり前に出てくる数字が、どこにも見られない。これだと、例えば今年英レスターがめっきり弱くなった理由もさっぱり分からないことになる。中盤守備でほとんどの数字がリーグナンバー1のエンゴロ・カンテが抜けたからだと、英国識者は指摘するのである。攻撃陣は、バーディーもリャド・マレズも全く入れ換わっていなくて、むしろ大きく補強している。
③チーム球技では何よりも大事な監督への総合評価等の記事がなかなか見られない。ネルシーニョとかオシム、手倉森とか、ヨーロッパではクロップ、ポテッチーノ、シメオネとか、弱小チームが急に優勝争いに絡んで来るような時には、必ず名監督が存在しているのに。
④ネットの外国サッカー記事でも、いつもいつも「レアル、レアル」で、ロナウド、メッシにバティと点取り屋ばかり。一体、「巨人、大鵬、卵焼き」や「王、長島」連呼時代とどこが変わるというのか。10年1日進歩がないお子様用のようなマンネリズムとさえ感じる。
これでは、サッカー記事と言っても、サッカー(文化)理解をより深く、より楽しくしてくれるようなものとは、到底思えない。まるで、その競技劣等生のミーハーの感想文みたいじゃないか。それとも、10年1日スポーツ記事は読者を馬鹿にしているのか?