福島原発事故汚染水放流問題が世界を騒がせている今、改めてこの問題を振り返ってみたい。日本原子力ムラ政治が、子どもらの甲状腺癌問題などを沈静化させることができても、外の「信用できぬ」と言う声は抑えられない。このブログで過去に書いた「この問題性のまとめ」四つの内、その第一、二番目を転載してみよう。
『 保安院の大罪(89) 「フクシマ」、悪行一覧表(1) 文科系
2012年11月12日 09時46分56秒 |
福島原発「事故」。これは同じレベル7のチェルノブイリと並べてこの世界に30年に一度もなかった大事故ということになる。人類の悪行も軽重、多種多様いろいろだが、これだけの悪行も戦争のない日本ではちょっと少ないという、そういうまとめを記しておきたい。あまりにも楽観的かつ断片的な擁護論などが巷にばらまかれすぎると考えていて、ここまでの拙稿「保安院の大罪」をざっと見直してきた、その末の産物だ。
事故と言って済ませられない戦争にも匹敵するような意識的悪行、未必の故意と言える側面が存在すると思う。どれだけ多くの人々が故郷や家財を奪われたかとか、被爆地から避難所に立ち退きを迫られて命を縮めた人々の多さとか、予想される後遺障害の深刻さとかは、戦争を思わせる。また、この原因・背景に思いを馳せるなら、国権の最高機関国会が選んだ国会事故調査員会が「この事故にはいわゆる『規制の虜』が存在していた」と断言していることに注目すべきだろう。「規制の虜」、つまり原子力村への「規制側」の嘘、隠蔽、そういう世論工作などには、事故と言って済ませることができない犯罪的側面も多かったのではないかということだろう。事故以降無数に起こった嘘・隠蔽による事故の拡大などがまた、これを何よりも傍証していると思う。
人の過失、未必の故意、犯罪などには軽重がある。権力者のそれはいかに重大なものになるか。政治がだらしない今、是非忘れてはならぬ事だと思うのだ。
1 直接の害悪の数々
①無数の人々の故郷や家財を奪った。子どものいる家庭には、「成人するまでは帰れない」と決意している人も多いだろう。
②避難生活を強いられた家族の多くの高齢者、病人などが、その命を縮めた。
③スピーディの非公開で浴びなくても良い放射能を浴びた人々も多い。
④後遺障害予測について、半減期の短い放射性物質や、線量が低くとも出る晩発性障害とかのことがほとんど論じられていない。
⑤高濃度汚染水を垂れ流した。これが海に沈んで、今でも高濃度汚染魚類が北20キロとかの遠隔地からさえ揚がっている。
⑥地下水汚染のことも、害の質、大きさが分かるのは遙かに遠い先の話だ。
⑦この垂れ流しについて、過失の度合い、つまり確信犯かどうかさえも、なにも明らかにされていない。
⑧吉田所長の「水蒸気爆発だ!」というテレビ画面音声も、その後きちんと訂正なり、追求なりの処理がなされたとは聞いていない。
⑨この水蒸気爆発は、毒性の高いプルトニュームMOX燃料を使った3号機についてのことであり、水素爆発よりも遙かに遠くまで重い物質を飛ばすから、極めて重大問題なのである。ちなみに、テルル132などという金属製の重い放射性物質が、7キロ先の浪江、大熊、南相馬まで飛んでいるとも報道された。』
『 2 事故処理経過での「失敗」とか「工作」とか
(11月13日掲載分です)
今回の一覧表は事故処理経過における数々の「失敗」とか「工作」とかをあげてみたい。こんなに違う2つの言葉を並べなければならぬのは、こういうことなのである。福島の事故処理経過を観ていくと、失敗なのか確信犯つまり隠蔽などの工作なのか、その区別が全く付かないのである。単なる天災のようなものならば、こんな執拗に僕も追わなかったろう。「失敗と言い合わせてはいるものの実は確信犯」ばかりに見える。こんな重大事故処理にあまたの頭脳が関わっていて、失敗と言うには単純すぎることばかりが目立ち過ぎるのである。すべてが責任回避とか、ガス抜きのように思えて、あまりにも国民を国民と扱っていないような無責任な政治ばかりが目だって、どんどん腹が立ってきたのである。
①スピーディの非公開は、北西方面に逃げた人々に多大な放射能を浴びさせた。該当町長の一人が、「これは殺人ですよ!」という有名な言葉をのこした事件である。国の責任者は後にこう述べている。「公開という考えが及ばなかった。反省している」。
ところで、中日新聞がこの2月頃情報公開請求で入手した文科省資料にはこんな文章があったと報道された。
『文書には「世界版SPEEDIの試算結果は、関東および東北地方に放射性雲が流れるという結果。これらをみて、三役(文科相、副大臣、政務官)は一般にはとても公表できない内容であると判断」と記されている』
②高濃度汚染水の垂れ流しも過失ということになっている。それも、こともあろうにこんな言い訳が開陳されたものだ。海への流出口の目視箇所が瓦礫に覆われていて長く気付かなかった、と。これらの「失敗」が、最近の次の報道の大元になったのは間違いないだろう。原発から北20キロも遠くでとれた海底棲息魚などの放射能濃度が一向に下がらないのである。
昨年5月13日の拙稿を抜粋する。
【 以前2号機が高濃度汚染水を垂れ流しにしていたと、大問題になったことがある。ところが、その2号機の垂れ流し目視点検が、4月20日で打ち切りになったのだという。そして酷いことに、こんなことが書いてあるではないか。
『福島第1原発3号機から11日、高濃度の放射能に汚染された水が海に流出していることが分かり、ほぼ同じ状況で流出した2号機の二の舞となった』
『11日昼に作業員がこの立て坑に水が流れ込んでいるのを見つけた。水位は上がっておらず、近くの海に漏れ出していると判断した』
そして、今回の何よりも唖然とした話が、こうだ。
『3号機の立て坑は開口部にがれきが積み重なった状態で、11日に取り除くまでそもそも目視確認を一度もしていなかったことも分かった』 】
一体この高濃度汚染水垂れ流しは、、いつから5月11日まで続いていたのだろうか。
③福島県立医大の副学長が本年1月、日本甲状腺学会会員の医師にこんな文書を出したらしい。
【2次検査の対象にならない子どもの保護者からの問い合わせや相談には「次回の検査を受けるまでの間に自覚症状が出現しない限り、追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます」】
これは、事故時18歳以下であった子ども36万人対象のうち、線量が高かった警戒区域13市町村、38,114人の子どもの検査結果発表にまつわるものである。チェルノブイリに詳しい医師などから大きな反論を喰らった文書だった。
被爆児童の甲状腺追跡をなるべく福島だけに囲い込みたいということなのかなどと、勘ぐりたくなる。
④これは最近のことだが、「東北地方計約700カ所の放射能測定ポストすべてに10%ほど測定値が低くなるような過失があった」と報道された。原因は、計測器組み立て方のミス。なんでも脇に置いた電池関連の鉛が一部の周辺放射能を遮っていたというのだ。個人などの測定値に比べるとあまりにも数値が低いと話題になったところから調査、発見させられた「ミス」ということであった。10%低かっただけとは誰にも信じられていないのが、悲喜劇的な光景に見える。
(この項2は、⑤以下まだ続く) 今回の注。この後、2012年11月15,17日と続いて、終わっています 』