「(宗教とは)霊や神のような不合理な存在の働きを前提とする文化の様式」
このことについて僕は、ここにもこう書いてきた。人間は昔、自分の体を離れて、これとは別に自分の魂が存在するとか、ある人間の体が朽ち果てることははっきりしているが、それとは別にこの人の魂は存在し続けると考えた、と。すると、体とは別の「この魂の来し方行く末の世界」も存在するという理屈になって、それが神の世界となるはずだ、と。
そればかりか、原始宗教では、すべてのものに霊が宿ると考えられていたようだ。この思想をアニミズムと呼ぶ。アニマというのが、ラテン語の霊とか魂とかの意味だからだ。太陽の神、海の神、地の神、月の神、戦争の神、美の神、商業の神・・・などなどは、ギリシャ神話で世界によく知られた神々である。そういうそれぞれの神が存在するとしたら、これらの霊を作った大元の神もいるという理屈になり、そのようにして後に生まれたのが一神教なのではないか。
「唯一の霊が万物の背後におり、この世界を作った」
こう考える人々は、死は怖くないと思おうとするように僕には見える。自分の霊は永遠なのだと。ここに例えば、輪廻転生のようなことも考え出されることになる。「信仰と科学的認識・知見とは全く別のものである」として、創世記を丸々信仰するアメリカ人もプロテスタントに多いようだ。対して、日本人には特にこういう人々も多いだろう。自分の体が死んだら、自分はきれいさっぱり何も存在しない。その方がよほどすっきりする、と。
ただし、科学と信仰は両立できるとして、神の根拠を地球誕生のビッグバンにまで遡って説いている最先端の理論物理学者も存在する。「科学者はなぜ神を信じるのか」(講談社BLUE BACKS 名古屋大学名誉教授、素粒子物理学専門・三田一郎著)。ちなみにこの先生は名古屋大学理論物理学の坂田昌一教室の後継者だった教授。この本には「カトリック教会はビッグバンを歓迎した」との帯がつき、こんなことを語っている。
「科学法則は「もの」ではないので偶然にはできません。宇宙創造の前には必然的に科学法則が存在したはずなのです。では、科学法則は誰が創造したのでしょうか」
「私自身は、科学法則の創造者を「神」と定義しています。ルールが存在するということは、その創造者である神が存在するということだ、と考えるのです」
美術制作にせよ音楽演奏にせよ、芸術は鑑賞以上に自分が作ったものを自分が味わい、それがだんだん向上し、より楽しくなっていくという楽しみがある。加えて、「音楽」としてのギター演奏には何よりも「和音楽器」の楽しみというものが重なってくる。曲の旋律を和音であれこれと飾って、曲の流れにより感じよく生かしていく楽しみだ。和音楽器は、その王様はピアノだが、ほかにはギター、琴、ハープと、案外少ないもの。ただ、旋律の装飾にあれこれの和音を使っていく楽器演奏は難しくて、この演奏を本当に楽しむためには暗譜で弾けることこそが大事だと退職後の習い始めから決意してきた。年寄りが、楽譜をたどりながらやっと弾けているというのでは、音楽の楽しみも何もあったもんじゃなかろうと予測したからだ。ちなみに、ピアノを習って来た人でも「今ここで一曲弾いて」と言われても案外弾ける曲がないものだと、僕は知っている。
そこで、習い始めから非常に特殊なならい方をとってきた。
①各曲の習い始めは、最初の一小節から、丸暗記弾きに務めていく。少しずつ覚えるまで何回でも弾いて、その次に行き、暗譜部分を増やしていくというやりかただ。すると、普通の楽譜なら一週間に一ページほどを覚えられる。
②の際、その当時は弾けない技術的難点はそのままにしておき、とにかくまず一曲丸暗譜、それから欠点修正、弾き込みに入るというやり方だ。
③暗譜してからの弾き込みは、音楽の楽しみが全部詰まっている感じがするやりがいのあるものである。
④そうして暗譜した曲の中から、「これは暗譜としてずっととっておこう」という曲を「僕のギター曲暗譜群」の中に繰り入れる。
⑤この暗譜群は、新曲を入れたくなったら旧来のどれかを出すとかしてきて、現在大小24曲ほど。時々の新曲レッスンのほか、暗譜群曲をも定期的にずっと常時弾き回してきたわけだ。
⑥そして今年に入っては、この暗譜群のうち僕の今までの腕には余って発表会で弾いたことがない難曲を総復習している。先ず、アルベニスの「アストリアス」、バリオス作曲「大聖堂」、次いで、ソル作曲「モーツアルトの魔笛による変奏曲」などだ。
さて、このやり方はいつも、この楽器の代表曲と歴史的に認められてきたものに、直接するというもの。楽しい訳である。きょうも「モーツアルトの魔笛による変奏曲」を3時間は弾いていたかな。まだまだ難点が多く、発表会で弾ける曲ではないなと思いながらだが。
今日、心配してくれた親友、ギター友達のメールに、こう答えた。
『ごめん。
さらに、この手術が取りやめになったことも知らせなくって、ごめん。
この手術(心房細動に対する、カテーテルアブレーションという手術。足の付け根の血管などからカテーテルを入れて心臓に届かせ、心臓内壁の余分な心拍を生み出す電気通路を低温で焼き閉ざすもの)には、ワーファリンなど出血血液凝固力を解く薬が不可欠であって、ストーマからいくらかの出血がある僕にはこれが使えないので、結局、手術中止になった。以上が分かっていて手術を申し出て、万端準備を進めてきたのだったが。
なお、ストーマからの出血で貧血になっていて、この10日ぐらい、医者の指示でこの薬もやめている。そしたら見事に、ストーマの尿に血も混じらなくなった。となると、心房細動が起こった場合におこりうる血栓による脳梗塞などが心配になるのだが。細動は今のところ薬で極めて順調に調整されている。
22年の9時間という長い膀胱摘出手術後入院中に2度も感染症にかかって(多剤耐性菌の)、その時に腎機能が普通人の2分の1以下になったままなのだ。僕の手術の詳細を端から付き添ってきた医者である兄の言葉によれば、「あの時お前は死にかけたのだぞ。たまたま年齢の割に体力があったから生き残ったが、その後遺症が腎臓内の異変として残っているのだ」
この腎機能低下がもたらす症状なのだと思っているが、体がだるく、すぐ、というよりも常時、眠くなる。昨日などは昼も含めて二度寝したのだが、その夜は今朝まで11時間近く寝られた。
頭も働かず、物事にやる気も起きないしして、ブログも書けない。ただし、ギター練習は違って、結果がすぐ分かり、楽しいからか、何とかやっている。今は、数か月「アクエリアス」に励んだ後、僕の暗譜曲群から、「郷愁のショーロ」、次いで今は「大聖堂」をやっているが、この計3楽章は弾いていて特に楽しい曲だ。今の僕には、ギターがあることが本当に救いになっているよ。
今日はここまで、また書くね。』
以上は、22年9月に第2~3ステージの膀胱がんから膀胱全摘手術を経て、今に至っている僕の現状です。ここにずっと書いてきたランニングは、去年23年5月までは1時間8キロ近くまで復活させたのに、ストーマ内にまじる血が多くなるので以降ランニングもやめているものです。ただし、体力維持には勤めていて、家の18階段を50往復程度はできています。
ブログ記事を書くためには、本の一~二冊も読むのが僕のやり方だが、その気力が湧かなくなった。毎日弾いていたギターも、周に2~3度に減って、11月は特に長く弾かなかった保ってきた保ってきた暗譜群20数曲の暗譜が一部崩れていると、12月になって分かった。ここにも長く書いてきた教室の「ギター宴会」を1月21日にやってくれる人がいるので、それまでに取り戻しておかないといけない。その中のどれかを弾くのか、今やっているアルベニスの「アストリアス(伝説)」をやるのか?
5月にはまだ、10キロ走れたのだが、病気の事情で6月から走れなくなったのだ。身体が崩れるのは早いもので、それとともに、心の活気まで。もっとも膀胱癌の転移を防ぐ薬剤、オプチーボの影響もあるのだろう。癌が作る免疫抵抗障壁を打ち破るという、京都大学の本庶佑さんがノーベル賞をもらった、新型の抗がん剤だ。これを月1で注入しているのである。
ここまで体力が落ちると、82歳の僕に5月の半分ほどの復活も難しいが、階段往復で維持に努めてきたのを、どこかでもう一歩進めたいとは目論んでいる。まー、このままで死を従容と受け入れる道も全く抵抗はないが、心の衰えが適わない。これじゃ活きていても?という感じなのだ。
ただ、今年は、年賀状を早く書いた。病気のため2年出さなかったので、その取り返しを付けているわけだ。
そうこうしているうちにインフルエンザに罹って、タミフルのお世話になったりもした。
そんなこんなで身体作りの方がおろそかになり、そちらが心配な状況である。
このブログは2005年11月29日に、「名古屋市昭和区憲法9条の会」の姉妹ブログとして始まった。始めたのは、この9条の会の幹部の1人K・T君と、M・K君である。いずれも僕文科系の大学時代からの親友であって、お互いのお連れ合いさん共々、結婚式の実行委員会をやり合ってきた仲であり、僕自身は発足直後に彼らに誘われて参加した。
以来3人が依頼したいろんな人がエントリーを書いてきたが、K・T君、へそ曲がりさん、只今さんら3人の書き手が亡くなり、M・K君など病気や怪我で書けなくなった人も多い。これらの人々の努力で、今日現在までの累計アクセス1,168,536、累計閲覧数6,118,732となっている。ここは非常に長文のエントリーが多いのが特徴だが、その割に閲覧数がアクセス数の5倍を超える多さとずっと示されてきた。これは、「このブログの人気記事、ベスト10」とかカテゴリー欄から入ったり、「バックナンバー」欄のカレンダー日付から入ったりして、過去ログを遡って読まれる方々が多いのだろうと推察して来た。
ちなみに、週間累計アクセス数の過去最高は4,631(2020年8月30日~9月5日の週)で、その週の累計閲覧数は14,755となっている。また、直近の2021年7月11日~17日ではそれぞれ2,257の6,865である。
また、他のブログのことは分からないが、このブログのエントリー名称それぞれを青転して「Web検索」にかけるとほぼすべてが、Microsoft Bingの検索面に紹介されているから、それなりの内容と認められているのだと、勝手に解釈してきた。なお、この「Web検索」の意味が分かる方がいらっしゃったら、是非教えを請いたいと思って来た。
僕も今年5月で80歳になった。いつまで書き続けられるか分からないが、K・T君らの遺志を継いで、書ける間は書いていきたいと決意している。それもずっと示してきたように、ほぼ毎日、多領域に渡るそれなりの内容の長文を。
今までここを読んで下さった多くの皆さん、今後もご愛顧のほど、よろしくお願いします。
今日これから午後に、僕の年に一度のギター教室発表会に行ってくる。もっとも、長い断続的な一人習いから定年後に先生について18年目という腕前とて多寡が知れたものなのだが、現代ギターの祖とも言われるタレガ作曲になるアデリダとマリエタ、および古い映画主題歌で有名なヒマワリを弾く。ちなみにこのタレガは、彼の晩年に、有名なセゴビアが10代で出会い、教えを受けたというスペイン人。
このヒマワリは、難しい編曲なのだが気に入ったもので、発表会では2度目の演奏になる。僕は元々あがり症で、いくら練習を工夫しても自分の普段演奏力の5割出せれば良いと思っているのだが、なかなかそこにも届かないできた。まー、先輩方が残念ながら皆どんどん止めて行かれる中で、ランナーである強い身体でギターもなんとか続けられているというだけだが、とうとう80歳になってまた舞台に出るということで、ちょっと感慨がある。
ただ今年は、ちょっと易しい曲を選び、練習もいろいろ工夫したから、5割には届くかも知れない。こんな事が楽しみになる年齢があるのだ。
表記のことを、改めてまた載せたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここ「9条バトル」に書いてきたか。
僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。
さて、だとしたら政治論やこれに関わる思想開陳だけをやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。
なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。
なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。
ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。
もうお気づきの方も多いと思いますが、ブログ方針を一つ換えました。
①誰のコメントも載せるという方針から、選択制に。
②これに伴って、「編集画面へ誰もが入れる、つまり、誰もがエントリーできる」という方針をもまた、なくしました。
その理由は以下の通りです。
このブログ創設以来16年目ですが、ほぼ初めから一人の「名無し君」がづっと居着いて人として恥ずかしい文章も乗せ続けていました。「あんなお人は、ここの品を落とす。それが目的なんだから、弾き出せ!」という声が常に出ていたのですが、「誰でもコメントだけでなく、エントリーもできる」という亡くなった「管理人」、この親友の意思を尊重したかったからです。ですが最近になって、こんな事が二つ起こりました。だれかが編集画面をいじったのです。「コメント選択制」にしたのに、また「コメント全て掲載」に戻した人が居る。コメント選択制にしたのは、名無し君を一つの名前で描かせようと考えて、goo本部と相談したその結果からなのでしたが。なお、選択制と言っても、亡くなった親友の意思を活かして、書かれた全てのコメントを今後も掲載するつもりです。「名無し」君と、その変名が疑われるもの以外はほぼすべて。ただし、明らかにオフザケ、冷やかしとしか読めぬものは、カットします。名無し君は、これまで通り「通りすがり」で書くならば原則載せますが、「冷やかし、おふざけ」はカットとします。よろしく。
「鼻づまり解消のためのセルフケアとは」というサイトを紹介されて、試してみました。「おぢのニセコ山暮らし」という遙か遠い北海道の住人さんが書く愛読ブログが紹介してくださったものでしたが、この「セルフケア」の内容がお医者さんが書いた物で、凄くいい。昨夜読んで、昨夜もう助けられた。なんせ鼻が詰まり出すと口呼吸になって口が就寝時にカラカラ、夜何度も起きて、寝られないという僕だ。この「ニセコのおぢ」さんも僕と全く同じ症状で困っていたらしく、鼻洗浄器などですっかり解消と書いてあったことに惹かれて読んだわけ。その「セルフケア」にこんなことが書いてあった。
「目から下の鼻一帯を、レンジで40度ほどに温めた蒸しタオルで温めつつ空気をスーハーしていると、鼻腔の中一体の血管が収縮して息が通りやすくなる」「詰まった鼻の反対側の脇の下にテニスボールを挟んでぐりぐりやると通りが良くなるのは、脇とは反対側半身の交感神経が高まってそちらの鼻の血管が収縮するから」。
さてそんなわけで、今から鼻洗浄器を買ってくるところです。ニセコのおぢさん、有り難う。
また、これは僕が知っていることですが、嚥下が下手な人は、舌を鍛えると良い。嚥下困難とは、よくむせる人。末は、嚥下性肺炎で死ぬ人ですよね。舌の鍛え方は、思いっ切り舌ベラを突き出すだけ。力強く何回も出し入れしたり、10秒ぐらい同じく出しっぱなしにしたり。すると、飲み込む喉入口際の空気出入りを舌で上手く止められるようになって、唾などでもすっと飲み込めるようになるんです。これを覚えると、飲み込むという動作がいかに複雑なものかよく分かります。長年飲み込む時に無意識にやって来た舌の動かし方のどこかを、年を取ると忘れることがあるらしいとか、それには、口や歯茎などの肉が痩せてくることも関係しているとかなのでしょうね。
2012年1月15日のここに初めてのせた、僕の旧稿を改めてまた転載させていただきます。これはまー、僕がここに携わってきた所信表明みたいなものとて、よろしく。
【 改めて、「僕が政治論以外も書くわけ」 文科系
僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。
さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。
なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。
なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。
ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。】
去年11月後半から本年度にかけては、コロナ問題渦中の3月前後以外は3000越が当たり前と、発足以来15年の最盛期と言えるのですが、4,000を超えたのはこの15年でも初めてです。読んで下さっている方々、今後もよろしくお願いいたします。
①「この手術、やると『世界』が変わるよ!」とは、経験者全てが語るのを聞いてきた。僕は5日の入院で両目を一度にやったから、それが特によく分かる。以下のように。
②このパソコン画面も含めて全てがくっきりとよく見えるようになる。その理由はとにかくこの事。薄い色合いも含めた明暗が鮮明に見分けられるようになったから。その様子は例えば、自分の腕の肌の色が場所によってこんなに細かく違うもんだったと、初めて知ったこと。今までは全部薄茶色一色に(近く)見えていたのが、白っぽい点や燻べたような濃茶班がこんなに多いのかと知った。ましてや、白内障者が苦手な夜の高速道運転の前の車との遠近感覚などは、もう何も怖くなくなったはずだ。白内障に伴う僕の乱視のような症状も消えてしまったから。眼鏡視力が0・7から相当上がったのではないか。
③この手術自身は、片目だけならわずか10分、それも、ちっとも痛くない。それで両目手術、5日入院の費用1割負担が、諸経費全て含めて5万円足らず。
皆さん、白内障手術をすると人生が変わるよ。地球上の全てが、線も色も含めてくっきりと見え直すのだから。