九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

訪日米人の検疫を  文科系

2020年07月31日 10時56分43秒 | 国内政治・経済・社会問題

 アメリカ・ヒューストンの中国総領事館閉鎖命令は、中国による渡中米人検疫開始に対する報復のようだ。そしてこの問題は今、日本でも大きなものになっている。米軍人の検疫問題として。そこで言うのだが、訪日米人らの検疫は日本に当然認められて良い措置ではないか。アメリカやブラジルのような国からの来日を自由にしておいては、日本人でいくら自粛命令とか検査を増やしても、大きすぎるザルで小さい菌をすくい獲ろうとするようなものだ。こんな措置すら躊躇するようでは、日本は本当に独立国とは言えない。何を遠慮しているのか?

 皆さん、こういう声をどんどん上げていきましょう。日本の老人多数の命に関わる問題です。 

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喜寿ランナーの手記(297) ぼつぼつ再開  文科系

2020年07月30日 09時23分19秒 | スポーツ

 両目白内障手術退院から20日が過ぎた。医者には、1か月は走るなといわれているがそうも行かない。加減を見つつ、ぼつぼつ走り始めようと考えている。今日は、ここまでの走る体力維持・回復に何をやってきたかを書き止めておきたい。年寄りランナーには病気、ケガ、ランニング故障などは付きもの。そういう病欠からの自分にあった合理的回復法の確立が、いつまでも走れるこつなのだと思う。いつか来るもう永久に走れなくなる時というのも結局は長期病欠の末のことなのだろうから、病欠ブランクからの回復の知恵が大事なのだと考えてきた。

 まず、長いブランクによって最も速く衰えるのは、下半身の血管を含めた心肺機能。この対策は、最大心拍数の7割ほどの運動を30分以上続けること。これを僕は、片脚爪先立ちとか、正式なスクワットをゆっくりと50回以上やることに階段往復運動を加えて、退院後10日ほどから実行して来た。そして、手術跡への影響も含めて運動後の様子を見ながら、階段往復時間、強度を次第に増やしてきた。20日が40往復、22日70往復、27日80往復とやって来た。27日にはゆっくりの2段上下も加えて心拍率8割以上へと強度を上げてもみたが、全く異常なし。この間、週2回は目医者の検診もあって、ここでも「順調です」。よって、これだけのことで走れる基礎体力は既に回復、確認できているわけである。ちなみに、踵を付けない片脚爪先立ち連続40回ずつとスクワット50回も入っているので、走るのに必要な筋力も既に回復確認ができている。

  そして昨日29日、上記のようなやり方で階段往復100回、合計運動時間を1時間近くとやってみたが、やはり全く異常なし。明日か明後日にはちょっと走ってみたい。時速8キロ近くまでの心拍数(僕の場合だとこれが135~140になる)を既に確認済みなので、十分に走れると考えている。ただし、ジムでコロナが心配になっているけど・・・。

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大東亜共栄圏という言葉の嘘   文科系

2020年07月29日 01時59分13秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 ゆえあって、太平洋戦争関連の旧稿を再掲します。大東亜共栄圏という言葉の嘘、「アジアのために白人と戦う」から「アジアのために、アングロサクソンと戦う」となっていった訳などが書いてあります。ついでに、フランスはビシー政権が生まれてからの変化も。

 

【 太平洋戦争、右翼のデマに(4)  文科系 2010年11月18日 00時07分36秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

4 太平洋戦争の三つ目の性格 「アジアのため」?

 右翼は、大東亜戦争という言葉が好きです。「大東亜共栄圏」とも語るように、白人の横暴からアジアを守る闘いだったと言いたいわけです。著者はこういう主張をいくつかの点から批判していきます。
 最初は、この戦争に際してマスコミなどを「白人対アジア人とは、語るな」と統制していたことをあげています。独伊がお仲間だったからです。また、フランスに対独協力派ヴィシー政権が誕生すると、40年8月にはこんな協定を結んでいます。
『フランスが極東における日本の優越的地位を認め仏印への日本軍の進駐を容認する、それと引き換えに、日本は仏印全土に対するフランスの主権を尊重する』
 「白人の仏印全土への主権」を、日本はいつまで認める積もりだったのでしょう? 作者はこんな事を語って見せます。
『このことは、インドシナ地域の民族運動の側から見れば、日本とフランスは共犯関係にあることを意味する』
 
 それどころか、そもそも開戦理由などは後付けであったと、その経過を著者は明らかにしていきます。
・『41年11月2日、昭和天皇は東条首相に、戦争の「大義名分を如何に考うるや」と下問しているが、東条の奉答は、「目下研究中でありまして何れ奏上致します」というものだった』
・宣戦の詔勅では、「自存自衛の為」と、述べられています。
・12月8日開戦後、7時30分のラジオでは、情報局次長によって、こういう放送がされたということです。
『アジアを白人の手からアジア人自らの手に奪い返すのであります』
・このラジオ放送には、こんなおまけが付いています。この概容を掲載した翌日の朝日新聞では、「白人」という言葉はどこにも見当たりません。かわりにあるのが、「アングロサクソンの利己的支配」。すり替わった理由は、上に述べた通りです。
・12月10日に「大東亜戦争」という呼称を、大本営政府連絡会議で決定。次いで12日に「大東亜戦争」の意味を説明して「大東亜新秩序建設を目的とする戦争」と宣言されました。この「新秩序建設」は、後で述べる11月5日の御前会議決定にも出てきます。

 日本利権と軍事優先ですべてが決定され、理由は後からくっつけたということは、明らかでしょう。このことは、41年10月18日に近衛文麿内閣が総辞職して東条英機内閣が成立したその事情にも、示されています。近衛内閣は、41年4月から始まった日米交渉において、アメリカの最大要求であった『日本軍の中国からの撤兵』を『何らかの形で撤兵を実現することによって交渉の決裂を回避しようとし』ていました。これが軍部に拒否されて近衛内閣は総辞職し、以降2ヶ月弱で日英・日米戦争に勇往邁進していったわけです。関連して、開戦決定御前会議は従来言われていたような12月1日ではなく、11月5日だったと著者は述べています。なお、この5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者は解明していました。
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随筆 「気品あるサッカー選手」  文科系

2020年07月29日 01時10分13秒 | スポーツ

 もう一つ岡崎慎司の旧稿を再掲します。イングランドにいってすぐに岡崎というサッカー選手がどう見られ始めたかという内容です。こういう「見方」は、スポーツ、サッカーが長く根付いた文化になっている国の特長と言えると思うのです。ちなみに、以下の場面は、岡崎がレスターに行ったばかりの頃のこと。こういうスタートから、翌年16年初夏まで、2部リーグ以下が常連チームによる奇跡の勝利、初優勝が世界を沸かせていったのでした。

 

【 ハリルジャパン(22) 随筆 「気品ある選手」 文科系 2015年08月24日

随筆 「気品ある選手」

 イングランドのフットボール界で、十八年ぶりのある珍事が起こっている。二部降格が常で一部にはたまにしかいないレスター・シティーが十八年ぶりにプレミアリーグ開幕二連勝を収めて、強豪相手の第三戦目も引き分けに持ち込んで、暫定ではあるが首位に立っている。なんせ選手給料総額で二十チーム中十九位という貧乏チームのこと、地元レスター市では大変な大騒ぎだ。日本でいえば野球とサッカーとを合わせた規模をも遙かに超えるイングランドサッカー界のこととて、大騒ぎの程度も違うのである。

 さて、この大躍進の立役者・攻撃陣三人のうちの一人が今期新加入の日本人だとは日本の人々は案外知らないようだ。今期ドイツからここに移ってきた我が日本代表FW、岡崎慎司。いつかはイングランドでやりたいという幼い頃からの夢をとうとう今年叶えたのである。リーグ開始後の三戦を先発した彼のプレーは何と生き生きと見えたことだろう。

 点取り屋として前にいるだけではなく、守備時にはかなりの距離を後ろに下がって行くのは彼のいつものプレーだ。下がっていくゆっくり走行が相手ボール保持者の視野の外に出た辺りから得意の猛ダッシュが始まって、あっという間に相手とボールの間に身体か脚をねじ込んでいる。その時の一メートル七四センチが、すぱっと思い切りよくって、一歩も引かない強靱さを示すのである。一九〇センチの大男相手にも迷いなど一切ない。相手ボールが浮いたある場面では、こんなプレーさえ観られた。相手の長い脚が、高く浮いたボールを迎えに上がらんとする。その脚とボールとの間に岡崎が得意のダイビング・ヘッドで飛び込んだ。短い足で競り合ってもボールを奪えないという窮余の判断なのだが、次に何が起こるかは誰にも想像が付く。スタート地点が高い頭でジャンプしていけば相手の脚は最後の一瞬緩むことにもなり、紙一重の差で頭が競り勝つ。そんなことまでを岡崎は計算済みなのだ。頭が奪ったボールが左前方の味方へと飛んだときには、当然頭と脚の衝突である。相手反則でプレーが止まり、蹲る岡崎、すぐに飛んでくるドクター。頭に流血があるらしく、吹き付ける血止めで髪の毛が真っ白だ。ちょっと頭を抑えた岡崎、ドクターの制止素振りを振り切って、すたすたと歩き出す。こんな彼のプレーがイングランド人には堪らないのである。

 後先を考えないような全力疾走とぶつかり合い。天空に頭を突き出し合う跳躍合戦。こういった果断、勇気にどっとわくのが、真冬にも詰めかけるイングランド観衆だ。かくして、岡崎のプレーにはこんな寸評が付される。第三戦に『ロンドン・イブニング・スタンダード』(相手の本拠地ロンドンの新聞である)に実際に書かれた表現である。
『気品ある疲れ知らずのランナー。素晴らしい獲得であると証明できた』
 別の新聞にはこんな問答もあった。
「凄い勇気ですが、怖くないんですか?」
「いいえいいえ。これがやりたくてプレミアリーグに来たんですから」

 さて、こんな岡崎を見ていると今年に入ってからは特に、日本国内ゲームが何とぬるく見えることか。サッカーという競技を足技サーカスと勘違いしているようだ。そんな日本人の締めとして、往年の代表FW武田修宏の相応の岡崎評を上げておく。
『日本代表で最多得点記録を持つ釜本邦茂さんには申し訳ないけど、日本人(歴代)最高のストライカーだと思っている。……現代サッカーで必要な技術はすべて兼ね備えている選手じゃないかな。』】
 
 
 上で「足技サーカス」と書きましたが、ここ数年日本のサッカーも随分変わりました。これではアジア・チャンピオンズ・リーグでさえ勝てなくなって10年近く。その反省から、今は日本のゲームもこうなっています。「サッカーはまず、格闘技である!」。「1対1で負けていては、まず、どうしようもない!」。これは、日本のキャプテン長谷部誠の言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岡崎慎司の軌跡から二つ  文科系

2020年07月28日 01時09分47秒 | スポーツ

 標記の通り、岡崎慎司追っかけ旧稿から、二つを再掲する。一つはまだ日本にいた当時の岡崎の、チームと自分を分析したその賢さを示すインタビュー記事。もう一つは、奇跡のレスター優勝(の立役者の1人)が間近に近づいていた頃の、これまた極めて興味深いサムライブルー岡崎の記事である。

 

【 代表・岡崎慎司が成長を語る  文科系 2009年07月10日 

岡崎慎司のことは、去年からここで何回も書いてきた。代表の代表・「点取りの顔」が生まれるという予感からだった。そんな時、スポーツグラフィック・ナンバー最新号に彼へのインタビューが載った。その内容は、最近の自分が成長したと思う点を語っていて、それもかなり深いと感じた。そこを、彼の言葉として要約する形式で紹介し、いくらかのコメントをつけたい。サッカーの最新点取り術紹介というところだろう。

①「自分が動けば良いパスが来る」
去年11月、シリアとのテストマッチで先発しましたがある反省がありました。「自分は、味方のパスに合わせて動いているだけのFWだ」と。これに対して、今年の1月ごろにこう決心したんです。「自分は止まった状態で足元にボールを受けても何もできない。自分から動き出そう」と。すると、良いパスが来るんです。だから、パサーがパスする前に「ここに欲しい」というのを示すんです。もう身振り手振りを入れながらね。

②迷いをなく動くこと
「僕はこっちに行きたいけど、パサーはなんか違うところを見てるんじゃないかな」、なんてやってると、遅れてしまい、相手より先にボールにさわれなかったりします。自分を信じて、とにかく迷いを捨てて自分から動くことにしました。

③自分の長所と、これから身につけたいプレー
去年の代表戦でも確かに、自分は運動量があったし、チャンスも作れていたと思う。今年のチリ戦では、フィジカルコンタクトでも負けていないなと感じた。(その上で、上記の変化があったということなのだ)
僕のゴールを目指す姿勢は、相手のDFラインを下げさせると思うんです。すると、相手の、DFラインとボランチの間にスペースが生まれます。そこで僕がボールを受けられるようになって、さて何ができるかと。これが、次のステップへの課題です。


さて僕、文科系は以上の内容から、中田英寿と中山雅史の間にあったこんな会話を思いだす。多分、まだ中田が日本にいた97年頃のことだ。20歳の代表新人が、日本のエースアタッカーの1人に堂々と助言した話であって、いわゆる「体育会系」組織ではあり得ないようなエピソードとして、強烈な印象を受けた覚えがある。

英「中山さん、あんなに敵DFを背負ってちゃパスを出せませんよ。何でも良いですから、敵のいないところへ全力で走ってってください。そこにパスを出しますから」
中山は、半信半疑ながら言われるとおりにやってみたら「すげー!」と目から鱗だったと述べている。ぎりぎり届くあたりに、厳しいパスが来たのである。ゴール枠に入りやすい絶好の場所で、かつ自由にシュートが打てるということなのだ。
ちなみにこの話が多分、全盛期の磐田を作るのに生きたはずなのである。磐田のパスサッカーはこれ以降に、点とり屋の中山の動きに合わせて組織全体が動くようになったという磐田選手の話を聞いたことがあるからだ。この時の磐田がどれだけ強かったかは次のことで分かる。02年に中山の相棒・高原がJリーグ得点王になったのだが、これ以来日本人得点王は出ていない。

なお、中田・中山のこの歴史的やりとりにも関連することだが、当時の中田にはサッカー関係者の大多数からずっと、こんな批判が集中していたことも思い出す。
「不親切なパスばかりを出す奴」
「アタッカーに『全速力でそこまで動け。届くはずだ』という生意気で、不遜なパスだ」
そのすぐ後には、「中田のパスこそ世界標準である」と変わっていったというおまけが付く話であった。代表での相棒トリオを形成した名波、山口や、岡田監督が中田のこのパスを高評価したからである。
中田へのこの批判から、当時の僕は、評論家とか専門家とかが案外当てにならぬなと思ったものだった。20歳の中田が、日本サッカー関係者全体を大変革したというエピソードでもあって、非常に興味深い。】


【 ハリルジャパン(61)岡崎、今夜、衛星第一生中継 2016年04月03日

 岡崎のレスターが、奇跡の優勝にまた一歩近づいた。2位のトットナムが、昨夜第32節でリバプールと引き分けたのである。勝ち点を1積み上げただけで、62。そして今夜、レスターは吉田麻也のいるサウザンプトンと第32節を闘い、これに勝てば69になる。残るゲームは最終の38節まで、あと6つ。イングランドというよりも、ヨーロッパ全体を大騒ぎさせている歴史に残る奇跡の優勝が、果たして実現するのだろうか。歴史的にほとんど2部リーグ以下に在籍してきたチームが久々に1部に上がって2年目のこの快挙なのである。英国、ヨーロッパ全体にも判官贔屓は多いと見えて、優勝を争うチームの関係者以外はみんなレスターの優勝を待ち望むという熱烈一大パノラマが現出している。

 そんな今夜また、NHK衛星第1で11時から、レスター・サウザンプトン戦が生中継されることになった。この観戦に僕が被り付きだと知っているお婿さんが「一緒に観よう!」と1週間前から申し出てくれた。嬉しかった! 二人でワインを傾けながらの観戦になる。   

 さて、この快挙とともに岡崎の話題が日本スポーツマスコミにもこれでもかとばかりに躍り出てきた。代表のシリア戦でも代表100ゲーム達成記念とかでキャプテンマークを付けたし、ハリルも岡崎をベタ褒めだし、長年の岡崎「追っかけ」としてはもうウハウハだ。

 ところで、先日のアフガニスタン戦で、こんな「見所」があった。ツートップを張り合った金崎は、同じ神戸滝川第2高校サッカー部1年生として3年生の岡崎と同時在籍期間があったのだ。それかあらぬか、凄く息が合っているように見えた。前で鋭く猛烈に突っ込んでいくアグレッシブな金崎と、一歩引いてボールを繋いだり抜け出したりと駆け引きに励んでいる岡崎。目を見張るようなコンビに見えたのは気のせいではない。と、この二人に触れ始めたのは、或るとても興味深いエピソードを語るため。

 岡崎と金崎の滝川高校監督が「二人はとても似ている」と語ったものを読んだ。この結論だけなら、僕にはエッという感じしかない。同じように闘志を燃やしていても、これを内に秘めた岡崎と「ギラギラ」と発散する金崎とで、何が似ているのか。見るからにスピードもあって運動神経の塊に見える金崎と、もとは鈍足に加えて「不器用」な岡崎。この二人が実は、「課題発見能力」と「課題解消能力」とが高校在学時代から取り分け目立っていたのだそうだ。当たり前すぎる後者はともかく、僕は前者に目を見張り、すぐに納得。どんな学問研究に於いても、こういう最大の格言が一つあると聞いてきたからである。「問題、課題を自分に対して正しく提起できれば、もう解決は見えたも同じことだ」

 プロになってからすぐに、プロ最底辺選手から全日本クラスへという急激な上達を示して行った二人。その原因がここにあったのかという思いだった。清水入団時は6番目だかのFWだった岡崎。神戸の高校から九州は大分まで下って行った金崎。「鳴り物入り」入団選手とは全然違うこの二人が今やナショナル・チームの、しかも、近年の代表としては珍しい2トップを張ったのである。こんな二つのサクセスストーリーが、同じ高校と、そこの監督の「課題発見能力」解説とに帰結したというのが、僕にも凄く面白かった。

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サッカー、早熟の天才と自己分析型努力家   文科系

2020年07月27日 11時37分29秒 | スポーツ
 これは、2015年3月15日に書いた、僕のサッカー選手論の一つ。日本はなぜか、早熟の天才ばかりに目を付け「時の人」とするが、それで大成した選手は意外に少なく、他方世界的名選手になった日本人に「早熟の天才」は少ない(但し、小野伸二は例外)。筆頭は中田英寿だが、高校時代までの彼は当時の天才、財前から「パスが下手、トラップも止まらない」と言われていた。
 今1人の典型がここのところ2回彼のことを書いた、岡崎慎司。その古い拙稿を再掲させていただきます。34歳だったかになった彼が先日、スペイン移籍一年目に所属チームを1部に昇格させたそのチーム得点王という功績を記念して。神戸の高校から清水に入った時の岡崎はFWでは4~5番目の控え選手だったのです。
 この旧稿をサッカーが再開された今、改めてお読みいただければ嬉しい、よろしくお願いします。
 
【 いよいよハリルジャパン誕生ですね。ついては、第1回目(当時の連載で)にある質問(というか批難?)があったことから、それに応える形のエントリーを一つ。またまた、岡崎慎司のことです。題名も長くって「早熟の天才と、自己分析型努力家」。
 宇佐美が天才であることは僕の上記記述でも当然の前提。だから、岡崎と比べる例に使わせて頂いたのです。木崎伸也の宇佐美の近況文章は僕も読んでいます。僕がここでずーっと最も推薦してきたサッカーライターでもあるしね。僕のここに書かれたドルトムントの知識は、ほとんど木崎の労作によったものです。
 さて、岡崎には08年から注目してきました。08年10月8日、このブログの僕の当時のサッカーシリーズ第3回目の文中に、こんな文章があります。
『日本人の有望監督も一人あげておこう。清水エスパルスの長谷川健太である。今季前半は試行錯誤もあってか珍しく下位に付けていたけれど、秋の声を聞くとともに点取り術を一新させたように成果を上げて、上位に食い込んできた。ここでは、岡崎慎司が遠からず日本人FWには珍しいアスリートに育っていくように思う。タイプとしては中山雅史だが、その中山よりもはるかに屈強なうえに、スピードも豊かで、精妙かつ多様なシュート力をも備えている。日本人FW最新版のような点取り屋に育つのではないか』

 この時の岡崎、22歳。このころから南アワールドカップ各大陸予選段階の「世界得点王」になっていきました。おっしゃる通りの「鈍才」岡崎が清水でレギュラーを取って間もなく日本代表に出て、即座に代表レギュラーFWをとっただけではなく、世界的にも頭抜けた得点力を示したわけです。この次第は、以降ここでずっと彼を追ってきたからご覧下さい。

 そう言えば、この頃ちょっと前から、鈍足岡崎が元オリンピック短距離選手の杉本コーチに通いつめて「走り出し」と「身のこなし」などを鍛えていたというのも、ここで書いてきました。賢い人は自分に本当に大事なことをあらかじめ十分に準備していて、チャンスに「間に合う」。これを逃がさない。ヒデも、柴崎もそうです。

 僕は、若くして天才中の天才と言われた選手よりも「賢い自己分析型努力家」を押します。
 ガンバ育成史上最大の天才が宇佐美と言われてきましたが、宇佐美が尊敬してやまなかった先輩天才はご存知ですよね。家長昭博だったかと。家長は同じガンバ育成で落第した本田圭佑が当時全く勝てなかった人物です。この時以降の本田は、家長と比較して自分が落ちた原因になった「力強さ」を、徹底して目指していくことになる。岡崎に似ています。
 若い頃にキツイ挫折経験があって、そこから徹底的に学んだ人間が、若い頃の天才度は多少落ちても、世界的大物になるような気がしています。ヒデはちょっと違うかも知れませんが、俊輔も挫折・自己分析型。本田と同じようにマリノス・ユースを落ちていますから。ユースに上がる時の「身体の完成度」は、晩熟の男子には参考にならぬようです。そう言えば、日本中盤の一方の雄、中村憲剛も晩熟タイプに見えますが。

 ところで皆さん、開幕したばかりのJリーグの優勝予想ですが、あまたの評論家、ライターで唯一グランパスを押しているのが、上記の木崎伸也。こんな大胆な予想しちゃって、彼、大丈夫なんですかね。既に、松本に引き分け、甲府に敗北ですが。カウンター得点から繋ぎ得点に変革中で、迷いがあるようです。

 (当時ドイツ・マインツの)岡崎またも10得点目。得点順位7位になりました。】
 
 
 ちなみに岡崎はこの直後の2015年6月にイングランド・プレミアリーグ、レスターに移って、15~16年シーズンには、あの「レスター奇跡の初優勝」のレギュラーFWを務め仰せています。そして今年2020年のついこの前、1年目のスペインで、2部のウエスカを1部に昇格させた、チーム得点王! とこんな次第だから、2015~6年の僕は、レスターの岡崎をここでもずっと追いかけていくことになりました。その旧稿も明日以降いくつか紹介してみます。
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太平洋戦争、日米同罪論は正しいのか?  文科系

2020年07月26日 20時40分16秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 ゆえあって、旧稿を再掲します。太平洋戦争の起こり方を描いた4回連載の旧原稿から。ここに、番外編として天皇の太平洋戦争開戦決意の瞬間の史実とか、東條英機への当時の熱狂ぶりとかがあります。その2、3回目が以下ですが、日米同罪論は正しいかというものです。

 

【 2010年11月16、17日  | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 
2 太平洋戦争の二つ目の性格
『二つ目の論点は、日米戦争における戦争責任の問題である』

 この日米戦争責任論の第1として吉田裕氏は、先ずこういう議論を紹介し、これに反論を加えている。
『アジア・太平洋戦争には、植民地を保有する帝国主義大国である欧米列強と、同じくアジア最大の帝国主義国である日本との間の植民地再分割戦争という側面があり、帝国主義国家相互の戦争という側面に限っていえば、日本はアメリカ、イギリス、オランダに対して戦争責任を負ういわれはないという主張』
 これに対する反論を吉田氏は、家永三郎氏の考え方に賛同して、この文章を紹介している。
『日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』

 日米戦争責任論の第2は、日本の開戦決意の時期にかかわる問題である。当時アメリカが出した有名なハル・ノートとの関係を、吉田氏は語っていく。まず、右翼側の戦争責任論をこうまとめてみせる。
『日米交渉の最終段階でアメリカの国務長官ハルから提出された、いわゆるハル・ノートは、日本軍の中国からの撤兵、汪兆銘政権の否認、三国同盟の空文化など、日本政府が決して受け入れることのできない厳しい対日要求をもりこんだ対日最後通牒だった。そのため、日本政府は自衛権の行使に踏み切らざるをえず、12月1日の御前会議で対米英開戦を決定した、というものである。この場合は、「日米同罪論」というよりは、むしろ一歩踏み込んで、アメリカ側に戦争責任があるという主張である』
 これへの反論を要約すれば、こういうことだ。日本軍はハル・ノート以前から、開戦準備を密かに急いでいたのであって、ハル・ノートは単に無視されていたというだけではなくて、日本によるこれへの応対、交渉は、不意打ち戦争を隠すための道具に使われた、と。

 日本の対米開戦、ここまでの違法性などをまとめると、こういうことだろう。
「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「イギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
「アメリカに対しては、交渉するふりをして、密かに電撃的開戦準備を進めていった」

 
3 太平洋戦争の二つ目の性格、日米同罪論に対して(その2)

 ここでまとめるのはこういうことだ。
『「日米同罪論」あるいは自衛戦争論の第3の問題点は、それが日本が戦った戦争の国際法上の違法性を無視ないし軽視していることである』
 この違法性は、まずこのように展開されていく。
 戦争に関わる当時の国際法には、第1次世界大戦の痛切な反省が色濃く反映されている。まず第1は、戦争の違法化の論議が起こり、あい次いで植民地における民族運動の高揚、民族自決原理の台頭があった。たいして満州事変以降の日本は、22年に中国関連で日本も加わって結ばれた9カ国条約への違反を重ねており、これを事実上棚上げしていたと言える。この条約は当時の戦争違法化、民族自決権を盛り込んだアジア・中国版とも言える国際法であったのに。先回に見たハル・ノートもこの9カ国条約を基としているが、日本軍は正にこの条約内容においてこそ、ノートに反発していたのだ。
『 参謀本部戦争指導班の11月27日付の業務日誌は、ハル・ノートの対日要求の中に「4原則の無条件承認」が含まれていることにも言及しながら、「米の回答全く高圧的なり。而も意図極めて明確、9カ国条約の再確認是なり」と記しているし(軍事史学会編『機密戦争日誌(上)』) 』
 つまり、当時の日本軍部は自らも参加した9カ国条約を守る意思など無かったということだ。

次いで、こう語り進められる。
『同時に、開戦にともなってさまざまな国際法上の違法行為が発生したことも忘れてはならない』
『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』
 もう一つの違法性はイギリス、オランダに対するもので、イギリスに対してはこう展開されている。
『日米間の場合には、事前の外交交渉が存在し、戦争開始後とはいえ交渉打ち切りの通告がともかくもなされた。しかし、日英戦争の場合には、外交交渉も最後通牒もないままに、真珠湾攻撃の1時間ほど前に、いきなりマレー半島への強襲上陸を開始しているのだから、国際法上の違法性はこちらの方がきわだっている』
オランダに対しては、このイギリスよりもさらに酷く、こうまとめられている。
『イギリスに対しては、真珠湾攻撃後に発表された天皇による宣戦の詔勅の中で(宣戦布告がなされているとも言えるが)、オランダに対しては宣戦布告をせず、豊富な石油資源を有するオランダ領インドネシアを「無疵で手に入れたいという意見」が強かったからである』

 こうして著者は、まとめる。
『日本政府は宣戦布告の事前通告問題の重要性をほとんど認識していなかったといえよう』

(続く)】
 
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米威信失墜、中・イ互恵協定  文科系

2020年07月26日 01時24分32秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 アメリカ制裁の真っ只中にあるイランと中国との間で、標記のことが起こったとニューヨーク・タイムズがすっぱ抜いた。今後25年間のインフラ支援など相互協力を今唄ったのだから、米によるイラン制裁が全く無意味になってしまう。これは、中国によるあからさまな米世界戦略無視・崩壊への第一歩と言える。こんなニュースが流れたのだ。

『イランが米国による石油輸出の妨害に対抗するため、同様に制裁を受ける中国やベネズエラに接近している。複数の報道によると、イランは中国に石油を安価で輸出し、かわりにインフラ投資を得る25年間の協定を結ぶ計画。ベネズエラにはガソリンを供給し「反米経済圏」の構築を狙う。
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は22日までに、中国とイランの協定案を入手したと報じた。イランの港湾、高速鉄道、次世代通信規格「5G」を含むインフラ整備などに中国側が25年間で4000億ドル(約43兆円)相当を投資する。中国はイランを広域経済圏構想「一帯一路」の重要なパートナーとして位置づけている。協定案は両国軍の合同訓練、兵器開発、情報共有などの協力を深めることも盛り込んでいる。中東における中国の影響力拡大につながる』

 これは、全く道理のないアメリカ・トランプの暴力的新戦略・「イラン制裁」(というよりも、意に沿わぬ国にすぐに戦争ならぬ制裁と叫ぶ制裁暴力外交一般)に対していつか起こるはずだった動きと言える。国連の下のイランを巡る国際的協定から勝手に抜け出してトランプが制裁に走ったという意味で暴力なのであり、この暴力に対する反米確信犯の行動と言えるものだけに、中にベネズエラも含んでいることとてさーアメリカはどうすると、そんな瀬戸際が今アメリカに突きつけられたわけだ。

 まさか戦争もできまい。未だに続いているアフガン戦争、イラク戦争、シリア内戦策動と、戦争に明け暮れてきたアメリカである。その国がちょっと前、対イラン戦争有志国募集を呼びかけた時、日本も含めて応じる国はほとんどなかった。EUはアメリカに対してすっかり背を向け始めた昨今だし。

 これから、アメリカの威信が公然と反発されてどんどん地に落ちていく、これは、その大きな第一歩になるものだと、僕は観た。香港も、南シナ海も、そしてウイグル問題も、本来はアメリカが出しゃばって出て来る幕ではないのだ。国内問題、二国間問題に他国が口を出すのは国連レベルから観れば、紛争の種であって、余計なお世話というもの。こんな出しゃばり等はもう取りやめにして、自国のコロナ沈静にこそ励むが良いのである。アメリカが世界に示した、米医療体制の激しすぎる沈没の引き上げに。また、世界二番目のコロナ沈没国ブラジルの惨状は、過去アメリカ金融の良いようにされてきた超格差国の末路、悲劇ではないのか。

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J1 川崎、名古屋が激しく抜け出たが・・  文科系

2020年07月25日 10時50分54秒 | スポーツ

 川崎、名古屋が抜け出た。ともに高い位置から激しくプレスをかけていくチーム。川崎が1位で、得失点は17の5とダントツだ。が、名古屋も11の4で、ここまで3ゲーム連続完封とこの監督得意の守備に加えて、ショートカウンター得点までと、チーム戦術が完璧に機能している。人数をかけたカウンターなので、後ろ目の選手まで得点しているという特徴がある。ただし、この高位コンパクトプレスという戦い方は選手に負担が多くかかり、疲れが出てくる時期には去年の名古屋のように急失墜もありうる。選手層の厚さが問題になるわけだが、その点川崎は大丈夫だろう。去年は後退した川崎だが、今年はまた優勝だろう。憲剛と家長、前では小林と、自他共に認めるこれだけの重鎮が、J随一の名手と言って良い大島僚太を見守るようにどんと座って選手層も厚いこのチームは、今年はもう盤石だろう。名古屋は心配だが、特に米本と、センターバックの丸山、中谷に何か起こらねばよいがと、願うばかりだ。

 対して、去年好調だった神戸、横浜Mが意外な低迷を示している。去年の急台頭から、各チームのマークが急に厳しくなったということか。鹿島の大低迷は、ついに・・という感じで、ちょっと寂しいものがある。

 やっとプレー再開した今。これからまた、大好きなサッカーの記事もぼつぼつ書いていきたい。

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米、対中冷戦開始宣言  文科系

2020年07月25日 00時55分46秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 アメリカが、米ヒューストンの中国総領事館閉鎖命令を出した。例の、知的財産も関わったスパイ行為があったと述べて。このことに関わる演説で現在、ポンペオ米国務長官が不吉すぎる言動に飛び回っている。中国の政権交代を中国人民に呼びかけ、米国と同じ考えをもっている国々が中国共産党に共同の圧力を加えるべきで、それを米国が主導するとまで訴え始めたのである。それも、アメリカ従来の中国関与政策は手ぬるすぎて全て失敗であったと宣言した上で。
「中国共産党から我々の自由を守ることはこの時代の使命であり、米国はそれを主導する完璧な立場にいる」
 これは、かねて懸念されてきた中国への革命輸出の新たな露骨すぎる呼びかけである。これに合わせるかのように日本国内でもこんな文言が飛び回り始めた。例えば、JBプレスは、こんな論調である。
『コロナ問題の最大の教訓は何か? 日本の対中認識の甘さではないだろうか。国民ばかりではない。政府・自民党も野党も、経済団体も知識人も含めたすべてにおいてである。』

 さて、こんな激しい動きが米大統領選挙を前にして始まったことについて、僕は非常な不安を覚えざるを得ない。トランプ陣営の絶対的不利という選挙情勢の中で一挙に強められた動きとも見えるからである。トランプが消えたら、ポンペオの将来も消えるのだし。この先選挙までにここで一体何かが起こらないものだろうか? 

 米の対中行動激化は、日本にも必ず何事かが要求されてくるもの。そして、日本現政権にはこれに対する主体的判断力があるようには思えないのは、コロナ対策とか米保護主義への対応とかを見ても明らかである。馬鹿な、ただ傍観というだけなら、まだ良いのだが・・・・? 
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書評「検察暴力」佐藤福島県知事不当逮捕②  文科系

2020年07月24日 09時33分26秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 昨日の続きで、この書評の6回目、「むすび」の「この事件以前にあった、佐藤知事が形成した原発対策チームによる原発攻防」の部分を描いておきます。こうなると、後の福島事故について検察も同罪だとういことになります。

【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(6)逮捕直前の原発攻防と「むすび」  文科系 2011年09月15日 05時24分52秒 | Weblog

 前回最後は、こうだった。東電の社長、会長、相談役2人というトップ計4人が02年9月に引責辞任した。こういう社会的大事件の成り行き・結末について、佐藤が言わば先導したとも言えるのである。なお、この相談役の1人、平岩外四が元日本経団連の会長だったということが、この事件の大きさを示している。

 日経が見た佐藤栄佐久

 さて今回は、以下を見ていく。その後、06年10月の佐藤逮捕までを。日本の原発問題をめぐって、とくに福島県が当面白紙撤回を内外に表明し続けたプルサーマル問題をめぐって、佐藤がどう振る舞っていったか。原発推進者から見れば、彼はどういう存在であったか。
 まず、これらのことを白日の下に晒している象徴的な資料が存在する。03年6月5日の日経新聞にこんな記事・文章が載っている。以下『 』はすべて、本文からの抜粋である。
『すると6月5日付の「日本経済新聞」に、「最悪の電力危機を回避せよ」というタイトルの社説が載った。
「5月はじめに運転を再開した柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が運転再開に対して地元と県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」これが「東京」の本音だろう』(P97)

 国内最大の原子力事故をめぐって

 こうした状況下でまたしても原発大事故が起こる。04年8月9日、関西電力美浜原発で作業員4名がやけどで死亡、7名が火傷。
『死者の数ではあのJCOの事故を上回る、国内最大の原子力事故』。説明は省くが、当時の佐藤らは関西電力をこう見ていたということだ。『「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ』(P102)。
 この「関西電力の企業文化」に関わって04年12月22日、佐藤はこんな言動にも撃って出ている。その日にあった原子力委員会の「福島県知事のご意見を聞く会」で、委員構成をめぐってこんなことを発言している。
『「11人の死傷者を出した関西電力の会長が、安全に関する部会に出ているのはおかしい」』
 これに反論した1女性委員に、佐藤はこんな批判も敢行している。
『「原子力政策決定についてフランスは16年、ドイツは20年もかけているのに、あなたが4~5か月で結論を出さなきゃいけないなんて思ったのは、誰に刷り込まれたのですか」
 と反論した。二、三回「失礼ね」という言葉が耳に入ってきたが、反駁はなかった。』(P104)
 
 逮捕前年

 逮捕前年、05年を迎えて、6月には『福島内原発、全基稼働再開』という出来事があった。こうして、東電との関係はやや改善されていたということだが、経産省とはさらに激しいやり取りになっていく。
『10月11日に開かれた国の原子力委員会で「原子力政策大綱」が承認され、14日の閣議で国の原子力政策として決定されることとなった』
『10月18日、国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は、地元への交付金をカットする方針を決めたようだ。さっそく原発立地自治体を恫喝してきたのである。
 これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。県として県民の「安全・安心」のためこれまで通りやって行くだけだ。
 記者会見でこの件について問われてこう答えた。
「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」
 国からの交付金が来る来ないにかかわらず、県が独自に原発ごとの安全を確認する方針に変更はないことを強調した』(P107)

 さてこのころ、福島の言わば「同僚」に当る青森と佐賀は『「陥落」』していたと語られる一方で、福島と国とのやりとりは、言わばその頂点に達していた。
 06年新春、先述の国大綱実施ということで、東電も自社原発の3,4基でプルサーマル実施を表明する。対する福島は、『私は記者たちにこう答えておいた。「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」』

 むすび

 「佐藤栄佐久家宅捜査、天の声はあったのか」、こんなマスコミ大劇場の開始は、この年の秋だ。ご記憶の方も多かろうが、あれほどの大騒ぎに、「公正」の一欠片でもあったろうか。マスコミとは、なんとすっとぼけた存在だろう。無数の大の大人が、佐藤と同じたった一度の人生を賭けるようにして、夜討ち朝駆け、仕掛けられた幻想劇で大暴れを演じていたわけだ。

 さて、このシリーズの結びを、佐藤の叫びで締めたい。タイトル『「佐藤栄佐久憎し」という感情』の中にある一節である。
『もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。
 それは、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。繰り返しになるが、原発は国策であり、知事をはじめ立地自治体の長には何の権限もない。しかし、世論(県民の支持)をバックにすると原発が止められるのだ。むろんこれは、緊急避難である。
 私が主張したことは、そんなに無理なことだっただろうか。その二点さえ経産省と東京電力が押さえていれば、これほどのこじれ方にはならなかったと考えられる』


 この紹介シリーズを終えた、僕の感慨。文字通り、命を賭けた渾身の一作だと読んだ。それも理念と言い、構成と言い、非常な名作だとも読んだ。そんな気持ちであちこちを読み直してきた。過去にこれほど読み込んだ本は、累計七年もかけた末の卒業論文関係以外にはないのではないか。この本、あるいはこのシリーズをもし福島の方が読んでくださっていれば、事故後半年どんな思いになられるだろうかと、そんな気持ちでここまで書き進んできた。著者の血の叫び、エネルギーが僕に憑依したのかも知れない。
 
(終わり)】
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書評 「検察暴力」佐藤福島県知事不当逮捕   文科系

2020年07月23日 11時41分47秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 最近ここで、小沢一郎陸山会問題、村木厚子冤罪の酷すぎる一端を扱ったのは、最近の検察庁が歪みすぎていると感じるから。そんな今、改めて、標記のことをもう一つ告発しておきたい。「賭け麻雀常習犯の黒川氏が、訓告?」という検事総長大騒動の結末、モリカケ・赤木さん・理財局不問の問題、桜収賄問題・・・酷いニュースもすぐ忘れさせる日本マスコミの流れだが、検察暴力だけは何があっても忘れてはいけないと注釈を付けたい。検察とは「日本国家の良識と正義の顔」なのだから、ここが歪めば国全体が歪むというのが古来からの常識と言える。ちなみに、政権絡み不正をこれだけ野放しにしているからこそ、既に世が歪み、アメリカ共々死刑だけを増やさざるを得なくなったとさえ言えるのではないか。今回紹介するのもまた、国策捜査。後に福島原発悲劇にも繋がった側面さえあるという福島県知事「収賄」辞任問題である。

【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(1) 文科系 2011年09月09日 13時30分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
 
 改めて今世の話題になっている前福島県知事のこの本を、昨日買ってきた。初版第1刷が09年9月、初版第6刷が本年5月とあって、東電(福島原発)を舞台とし今や悪名高い検察特捜が引き起こした事件の報告なのだから、話題になるのは当然の話だ。要約すれば「東電福島原発を巡る長年のやり取りに絡んだ、国策捜査」ということになるのだから。ハードカバー全340ページのうち206ページを昨夜一挙に読んでしまった。それほどに興味深い、大事な事件と読んだ。詳しい内容は、後に何回かに分けてでも是非要約したいと予告しておいて、今日はこの本の周辺事情とか、貴重な価値などを巡って、書評めいたことを書いておきたい。
 
 この本に書いてあることを周辺予備知識など何もなくてただそのまま読んだだけとしたら、この内容はにわかには信じがたい。それほどに酷い冤罪ということだから。この内容が真実ならば、僕がここでも近ごろよく使う言葉で言うと「必殺仕置き人かゴルゴ13がこの日本に存在するならば、あの検事たちへのこの恨み、命に替えても晴らして欲しい」というものだろう。佐藤栄佐久氏がそのように、血を吐く歯ぎしりをしていることは間違いない。なんせ、現職知事の周辺捜査、依願退職、即事情聴取もない逮捕と進展していった異例の大事件だったのだから。
 そして、僕はまた、ここに書いてあることは全て事実だろうと確信する。事件・容疑の概要はこういうものなのだが。

『この頃になると、私も、特捜部がどんな事件を描いているのかが、だいたいわかってきた。
 前田建設が水谷建設を手先に使い、官製談合の謝礼として郡山三東スーツの土地取引の対価を支払ったという構図なのだ。つまり、ストーリーはこうだ。
「木戸ダムの発注で官製談合が行われており、県側は祐二が窓口になって話をまとめた。発注権者の知事が祐二に隠れる形で、県職員に働きかけて前田建設が発注できるように便宜を図った。ダムの受注に成功した前田建設は、謝礼として、郡山三東スーツの土地を水谷建設を迂回して高く買った」』(196ページ)

 なお、郡山三東スーツとは佐藤前知事の家業の会社、祐二とは知事の弟でここの社長である。ここがつまり、「検察が描いた構図が成り立ったとしても、ご本人は一銭ももらっていない収賄事件」と語られるゆえんである。収賄罪とは、公務員でないと成立しない事件なのだから。なお、この木戸ダムというのが、東電福島原発絡みなのである。『2008年4月に竣工し、福島第2原発、広野火力発電所が使用する水の供給源の役割も担う』とあった。なお、ここの水谷建設とは三重県に本社があって、確か陸山会事件でも小沢告発の検察側証言人になっていたかと思う。
 
 この事件は、村木厚子厚労省局長冤罪事件、陸山会(冤罪)事件をその後に体験してきた我々にとっては、既にもうこんな既視感がある。だから、これは事実だと確信するのだ。
「検察の構図に合わせて、先ず周辺を『自白』させる」「その自白でもって強行に迫り、焦点のご本人に『検察のお見立て通りでした』と『白状』させる」「本人はたとえ濡れ衣だと分かっていても、結局『白状』せざるをえない。周辺の親しい人々がどんどん拘留され、自殺者も出るほどに迫られるのだから」。また、事件の背景が「国策捜査」であることも同じだ。村木事件、陸山会事件は民主党政権対策であったが、この知事抹殺の国策とはズバリこの二つだ。「知事・福島県による長年の原発村批判への国策」「地方分権・闘う知事たちに対する国策」。 なお、東電は佐藤前知事に恨みがあると言って良い。2002年9月2日に現・前・元ら4人の社長経験者が引責辞任をさせられているのである。佐藤らが問題にした「原発検査記録改ざん事件」による引責であって、会長と、平岩外四ら2人の相談役との辞任までが含まれていた。なお、村木厚子事件に関しては当ブログ10年3月15日、28日、31日拙稿に詳しい。このエントリーは、前田検事によるフロッピー改ざんや、冤罪判明のかなり前に書いたものだ。

 「知事抹殺」の帯文章を紹介しておこう。
 表「特捜検察に失脚させられた前知事は東電・経産省の天敵だった。原発『安全神話』のウソを見抜き、驚くほど正確に悲劇を予見したのに、口を封じた国家の恐るべき『冤罪』」
 裏「『知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する』(東京地検特捜部検事)」

 今回分の最後になるが、佐藤栄佐久の公式サイト・アドレスをご紹介しておこう。
 http://eisaku-sato.jp 】

 この原発事故に繋がる側面をも示した著書の書評は、2011年9月15日の第6回目まで続きます。が、今回、以下は省略します。読まれたい方は、右欄外の今月分カレンダー下「バックナンバー」欄で「2011年9月」をクリックしてから、例えば15日分エントリーを出してお読みいただけます。よろしく。
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村木厚子冤罪、検察の「脚本」  文科系

2020年07月22日 03時00分33秒 | 国内政治・経済・社会問題
 この際だから、古い拙稿から、検察暴挙の歴史的事件をもう一つご紹介しよう。これも小沢一郎陸山会事件と並んで、民主党政権を貶める冤罪事件なのである。

【 もう1つ、検察暴挙を  文科系 2010年03月15日 16時13分24秒 | 国内政治・経済・社会問題

 注目してきた検察の暴挙をもう一つご紹介しよう。偽の障害者団体「凛の会」に障害者団体証明書を発行したとして虚偽有印公文書作成・同行使の罪に問われた村木厚子厚労省女性局長逮捕事件である。莫大な郵便料金詐欺に繋がった事件であって、先回報告した「女性秘書監禁・恫喝事件」以上に奇っ怪なものだ。週刊朝日12日号「免罪はこうしてつくられるのか 法廷で暴露された大阪地検特捜部の手口」から抜粋する。

 村木局長の逮捕は、偽造の実行犯とされる上村勉元係長と「凛の会」関係者の「証言」のみを証拠として実行されたものだが、最有力証言者上村係長の前言全てが法廷でひっくり返されたという奇っ怪な事件である。民主党議員が背後で動かしたとされる点まで、「女性秘書監禁事件」と同じだ。村木被告が、石井一議員、厚労省部長のラインによって動かされたと、検察側が主張していたのであるから。上村被告は、こんなふうに陥れられたと暴露している。この記事は、法廷に映し出された上村氏の「被疑者ノート」の文言などを紹介するという手法が取られている。

『そこには、当初は自身の単独犯行を自白したにもかかわらず、
〈(検事は)どうしても村木と私をつなげたいらしい〉
〈私の供述は(他の関係者の供述から)浮いている〉
 など苦悩が書かれている。
 5月29日の記述では、明確な記憶がない上村被告に、国井検事が
〈上村さんだけがうそをついている〉
 と詰め寄り、
〈(上村さんは)全然覚えていないから、他人の力を借りるしかない。多数決でまかせて〉
 とでっち上げ調書作成に同意するよう強要される様子も書かれている。
 さらに、5月30日には、まったく上村被告の主張に耳を貸さず、ストーリーを作り上げようとする国井検事の調書について
〈検事のいいトコどり、こういう作文こそ偽装ではないか〉
 と訴えているのだ。
 しかし、取り調べが進むにつれ、上村被告は窮地に追い込まれていく。
〈調書の修正はあきらめた〉
〈早く両親の元に帰りたい〉
 その理由を、
「隣の部屋で人が殴られているようなすごい音がし、国井検事に『何の音ですか?』と聞いたら『河野が言うことを聞かないからとっちめている』と言われた」
 と言い、拷問の可能性もあると思い、身に危険を感じたようだ。
 その結果、村木被告や石井議員がかかわった「厚労省の組織的犯罪」とする、記憶にない調書にサインせざるをえなくなったという。(中略)

 上村被告は、保釈間近に、再び村木被告の関与を否定したが、
「これが組織的犯罪でないのなら”余罪”についても考えなければならない」
 と国井検事から言われ、
「話がこじれたら再逮捕で保釈されないかも知れない」
 と裏取引に応じ、検察のストーリーに沿った調書にサインしたと語った。これが”特捜名物”の「虚偽の自白」というものだ。』

 さて、上村係長が改めて嘘をつき直したのか、元々検察のでっち上げ狙いだったのか。昨日14日毎日新聞にこんな記事があった。見出しが『枝野氏「検察の間違いが濃厚」 郵便不正操作批判』、一部を抜粋する。
 『「検察の間違いだろうという疑いが濃厚になっており、そのプロセスにおける手法に問題があることが裁判でも出てきている」などと述べ、検察を批判した。』 

 最後に、週刊朝日記事はこう結んでいる。
『それにしても、検察特捜部はなぜここまで無理して事件をでっち上げる必要があったのか。やはりこの事件も解散総選挙がいつ行われてもいい時期の、昨年6月にいきなり村木被告らを逮捕し、当初から民主党国会議員の関与の情報も流れた。どうしても、小沢事件同様、民主党の「政権奪取阻止」を目指して仕組まれたものとしかみえない。』。】
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岡崎慎司・柴崎岳、この明暗に思う   文科系

2020年07月21日 10時48分36秒 | スポーツ
 スペインサッカーで、「岡崎と久保の明暗」をここに描いたばかりだが、標記のことはもっともっと酷い。柴崎は元々、久保よりも上の日本中盤の顔なのだから、日本人選手はすべからく、行くべき外国チームをよく選ぶべきと強烈に教えてくれている。この柴崎、既に28歳。成長の機会をすっかり失ってしまったのではないかと、可哀想でならない。彼なら、イングランド中堅チームでも、長谷部にも劣らぬ中盤の顔になれたはずなのだ。

 岡崎ウエスカが二部優勝で一部昇格に花を添えたのに対して、柴崎のディポルティボは三部降格である。この日本お得意の中盤における名選手をスペインは飼い殺しにしてしまった。おそらく、高く売るところを探している内に。
 今の日本ならもう、こう言えること間違いなしだ。西欧五大リーグの名もないチームも含めて、下手な外国チームに行くよりも日本にいた方がはるかに成長できる良い時代になった。遠藤、中村憲剛は日本にい続けてあそこまで育ったのである。また逆に、日本サッカーの重大欠点について、サッカープロ選手としては鈍才・鈍足だった岡崎がこんなことも教えてくれた。プロ選手としての全般的な高度技術など不要である。一芸に秀でていて、何よりもチーム戦略をいち早く理解・実践出来る力こそ大事と。走り続けられることも含めて守備文化がないと言われた日本の前目の選手には、特に、現代守備に対する観察、理解、適応の力が必要になっている。
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検察の暴力、小沢一郎裁判絡みの一例  文科系

2020年07月21日 10時06分02秒 | 国内政治・経済・社会問題
 検察の醜聞が後を絶たない。賭け麻雀の常習犯が訓告で済んだとか、その人物が「日本国家の正義。その第一の顔」検事総長になる寸前だったとか。「何が社会正義の国家代表機関か、恥ずかしすぎる」というような。ところで、こんな事件は過去には無数なのだ。証拠偽造問題でも騒がれた厚労省・村木厚子冤罪事件とか・・・。その最も酷い一例を以下に紹介する。小沢一郎の政治生命を奪った陸山会事件がらみのものであるが、こんな冷酷非道な検察官事件もちょっとないというようなもの。これがまた、国策捜査の一つだからこそ起こったもの。国策が絡むと、こんなに怖い国なのだ。こんな小沢への国策、一体誰が起こしたのか。「アメリカがやった」と、孫崎享ならそう言うこと間違いなし。

【 検察、週刊朝日に猛抗議。その記事の抜粋  文科系 2010年02月04日 11時05分43秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 昨日ここに、こういうコメントがあった。月光仮面さんからだ。
『「週刊朝日」の山口編集長に東京地検から「本日(3日、文科系)、出頭されたし」との要請があったので、「出張中なので今日は無理」と答えると、検事は絶句』
 調べてみたら、この出頭理由はある記事のことだと判明。当該の記事をご紹介したい。まず冒頭に、文科系として記事周辺の事情を書いておく。

 以下に「週刊朝日2月12日号」の記事の抜粋だけを載せる。容疑も何もない若い母親秘書を騙して呼び出し、10時間も「監禁」して尋問したのだという。今話題の石川知裕議員の秘書で、保育園児2人の母親とある。この記名記事、書き手はジャーナリスト、上杉隆。検察の向こうを張って『「関係者」の証言をもとに再現しよう』と、初めに断りがあった。以下、『 』の文章は全て週刊朝日本文抜粋である。なお、『文中敬称略』と末尾にあることも、初めにお断りしておく。まず、記事の見出しだが
『 暴走検察 子どもを”人質”に 女性秘書「恫喝」10時間 』

 この内容、真実なのかと、未だに半信半疑だ。週刊朝日とか上杉氏とかを、罠にかける、何か企みでもあるのかも知れないなと、そんな心配さえした。

 『1月26日(火)の昼ごろ、石川事務所に「タミノ」と名乗る男から電話があった。女性秘書に検察庁に来てほしいという。
 女性秘書が「きょうも押収品の返却ですか?」と確認すると、タミノは「そうです。あとちょっと確認したいこともあるので」と返した。よく聞き取れなかったので、もう一度確認すると「返却です」と答えた。
 女性秘書は、1月15日の石川逮捕以来、2度検察庁から呼び出しを受け「押収品」の返却に応じている。今回も同様の案件だと信じた女性秘書は、ランチバックひとつで検察庁に向かった。(中略)
 検察庁に着くと前回までとは違う部屋に案内される。するとそこに民野健治という検事が待っており、いきなりこう言い始めたのだ。
「被疑者として呼んだ。あなたには黙秘権があるので行使することができる。それから……」
 事情を把握できずパニックになった女性秘書が、他の秘書か弁護士に連絡したい旨を告げると、民野検事はそれを無視して、逆に、携帯電話の電源を切るように命じ、目の前でスイッチをオフにさせたのだ。それが昼の1時45分、だまし討ちの「監禁」はこうして始まった。任意の事情聴取は、文字どおり「任意」である。よって、被疑者であろうが、参考人であろうが、当事者の同意が必要なのはいうまでもない』
 
 『民野検事は、女性秘書に小沢と石川が共謀していたことを認めるよう迫り続けた。だが、彼女がそんなことを知る由もない。
 女性秘書は石川が小沢の秘書をやっているときは、別の民主党議員事務所に勤めていたのだ。しかも、当時は与野党に分かれており、自由党の小沢事務所の石川秘書についてはその存在すら知らなかった。そんな彼女が、小沢事務所の会計事務のことを知る術もない。その旨を正直に述べると、検事は次のような言葉を述べるのだった。
 「いいんだよ、何でもいいから認めればいいんだよ」
 「早く帰りたいなら、早く認めて楽になれよ」
 「なんで自分を守ろうとしないの。石川をかばってどうするの」 』


 『取調室では時刻もわからない。もうずいぶん時間も経過したのだろう。ふと見るとそれまでブラインドから差し込んでいた外の光が暗くなっている。3歳と5歳の子どもが待っている保育園に迎えに行かなければならない。(中略) 女性秘書は検事に対して、繰り返しお迎えの許可だけを懇願する。一時的でもいい、必ず戻ってくる、せめて電話を入れさせてほしいと哀願し続けたのだ。
 そして、母親の子どもを想う気持ちが昴ったそのとき、検事の発した言葉が先の「(なに言っちゃってんの。)そんなに人生、甘くないでしょ」という台詞だったのだ 』
 
 『一方、昼間に出かけた女性秘書の帰りがあまりに遅いため、石川事務所のスタッフたちもさすがに心配になってきた。ちょうどそのころ、検察庁から一本の電話が入った。「○○さん(女性秘書の名前)からの伝言です。きょうは用事があるので事務所には帰らないとのことです」と、男の声で名前も名乗らず、それだけ言うと一方的に切れたという(中略)
 あの小沢一郎の事情聴取ですら、準備に準備を重ねて、弁護士を連れ、自らのホテルの部屋という条件で行われたのだ。しかも4時間半である。一方、女性秘書の「監禁」時間はすでにこの時点で5時間を超えている』

 『弁護士が、検事と「聴取」の中断を交渉し、午後10時45分、事務所を出てから約10時間ぶりに女性秘書は「監禁」から解放されたのだった。
 結局、「押収品」は一つも返却してもらえなかった。
 つまり、東京地検特捜部は、最初からこの若い母親をだまして、「監禁」することが目的だったのだ。』
 

 さて、「関係者によると」、検察の抗議書に対する週刊朝日編集部の応対はこういうものだったと言われている。
『 編集部では特に検察に出向く必要はないと判断している様子で、山口一臣編集長は「2月12日号『子ども「人質」に女性秘書「恫喝」10時間』の記事に対し、3日、谷川恒太次席名の『抗議書』を受け取りました。記事は、丁寧な取材を重ねたものであり、自信を持っております」とのコメントを発表した。』

 この拙稿の最後になるが、この女性秘書の事件も、検察が週刊朝日に「抗議書」を出したそのいきさつも、新聞などには何も出てこないが、これはなんということだろう。こっちもまた何か、とても気味が悪い国に思える。】
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