九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 僕の「死生観・人生観」  文科系

2021年11月30日 10時07分58秒 | 文芸作品
 

 僕は、「あの世」、つまり死後の僕が存在しこれが行くべき世界があるとは考えていない。僕の肉体とともに僕の心も死滅し、死後の魂は存在しないと考えるからだ。ちなみに、肉体を離れてその心が存在すれば、この世以外の心の来し方、行く末が存在することになり、それがこの世ならぬ神(の世界)なのだとなる理屈だろう。と語ると、昔からすかさずこんな反論が返ってくるもの。
「ということは、牛飲馬食だけで、罪や愛は存在しないと?」
 これに対してはこう答えることにしてある。「飲食は大事だが、例えば、罪や愛はもちろん、真善美なども存在する」と。これを言い換えればこういうことか。人生に予め決まった目的などはないが、これまで生きてきた人々は皆それぞれ何かを求めてきて、そういう人々の生活、歴史の中には、真善美、あるいは偽悪醜と言えるようなものは存在してきたと。その上で自分自身は、前者寄りに生きたいと考えてきた。

 この真善美に関わって、話は変わるが、三つの学問(対象)がある。例えば日本の旧帝大学制などではこれを自然、社会、人文と分けて、三種の科学の名を冠してきた。自然科学は自然とその応用の学問、社会科学は経済、政治など人間社会の学問、人文科学は哲学、歴史学、文学など人間文化を研究対象とする学問というように。そして、善や美は、直接扱う学問がそれぞれ倫理学、美学であるにしても、医師の倫理とか社会的正義つまり公正とか、全ての学問に不可分なものと言えるだろう。

 さて、以上を理論的前提とした僕の死生観だが、上のように生と死を観ているから現生をこう生きてきたし、今後もそうしていく積もりだ。

 活動年齢を延ばし、できるだけ長くしなやかな身体でありたいという目的を含めて生涯スポーツを意識したのは48歳の頃だった。これは今、「八十路ランナーの手記」や100キロサイクリングという形で続いている。この二つの関係は、こういうものだ。若い頃からサイクリングをしていたから、59歳にして容易にランナーになれたと。ちなみに、(長距離)サイクリングは最高の有酸素運動スポーツである。

 楽器をやろうとも若い頃から準備していたのだが、これが2003年からのクラシックギター教室通いになっている。そして定年を意識した55歳頃、文章を仕入れようと考えてある同人誌に加わり、小説、随筆などを学び始めた。これも現在継続しているわけだが、この同人誌執筆活動が2006年以来のこのブログ参加にも役に立つことになっていく。ちなみに、同人誌やブログでは、僕なりにこの日本社会に関わっているつもりだ。また、このグローバル時代には日本だけ観ていても良い政治にはならないと考えてきて、特にアメリカの国連無視悪政を批判してきた。ここ20年の日本政治は、アメリカの経済的・軍事的暴力政策への追随が酷すぎると考えている。

 なお、ギターやスポーツに込めた僕の思い(人生目的と言っても良いような思い)などは、明日から各一回ここに書いて行くつもりでいる。

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八十路ランナーの手記(390) 11月を振り返って  文科系

2021年11月30日 07時42分34秒 | スポーツ

 月間目標140キロのところ29日現在146・1キロまで来られたから、12月の150キロ目標ももう達成が見えた。ただし、今月始めたフォアフット走法は、その日の出だしなどには左右の脚のリズムが揃わぬ時も多くて、まだまだ不安定だ。だが、29日のジムではリズムが整った後半はLSDをやめて久しぶりに思い切り走り、30分で4・6キロ行った。その心拍数も145以下と出ていたから、僕としてのシーズンインの当面まだまだ速くできるだろう。9・5キロ時を超えた時も楽に走れていたから、そう判断できた。この夜の疲労感も全くなかったところから、この調子だと随分久しぶりの10キロ時越えでも150bpm前後に収まって来るかも知れないなどと夢想していた。これで30分走れれば、半年にわたる前立腺癌治療の前、2016年春以来のこととなる。この年で5年前の走力に戻るとしたらと、何か俄然やる気が出て来た。月間目標を設定したLSDの効果って、それだけ大きいのかも知れない。
「9月から月間目標を設けて10キロづつ上げてきたが、ちゃんとできていったら来年5月には200キロ!」

 

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八十路ランナーの手記(389) 137・5キロまで来た  文科系

2021年11月29日 08時42分42秒 | スポーツ

 11月月間目標140キロに対して、27日現在標記137・5キロまで来たが、フォアフットのフォームがまだまだ全く不安定と痛感している。59歳にランニング入門をした僕には、身体の筋肉的弱点と、それに合わせたような走りの悪癖があるからだと、これは最近気づいたこと。これら一連の悪癖が、走法を換えてみて初めて明確に自覚でき始めたものばかりだからだ。それでも、以下のような注意を守ることができ始めて、マシン走で「時速9キロちょっとで30分」まではなんとか到達してきた。
・右膝の膝下は振り込まずその膝の曲げも少なくしたうえで、左脚は強めに踏み込むことによって膝をもっと前に出しフォアフットをやりやすくする。
・その上で、ピッチ数170以上で走る。
・それを保障するためには、上半身を立てて、よく腕を振る。

 この三つができればフォアフットが安定して、時速9・5キロ時でも心拍数は150切って走り続けていける見通しも立った。なお、僕の外走りなどの一定持続最高心拍数は160ちょっとである。これから予定通りに月間150キロとか160キロと増やしていったら、僕の場合はてどうなるだろう。ただし、フォアフットを覚えたせいなのか、この程度ではまだ無理をしていないと分かってきたのは、最近の特に大きな収穫である。

 別の話だが、昨日の孫崎享「つぶやき」に、こんな記事が載っていた。
『米国国家癌研究所の「肉体活動と癌」紹介。高い肉体活動と癌リスクを関連図ける証拠は主に観察研究、膀胱・大腸・子宮・食道・胃・ 腎臓等:運動者は非運動者に対し、19%胃がんの可能性減の報告。望まれる運動は毎週、150-300分の中強度有酸素運動』
  これで言えば、僕のランニング生活は身体にとって理想的なものらしい。これに加えて「最強の野菜スープ」でポリフェノールなどファイトケミカルも十分に摂って活性酸素対策もしているのだから、やはり90歳まで走れる? ちなみに、活性酸素とは、酸素とともに体内に取り入れてしまう、最凶の細胞老化物質であって、相撲、自転車、ボクシングなどの選手が短命である理由になっているものだ。これへの対策になる「最強の野菜スープ」については、7月11日のこの手記360回目に紹介した通りである。日本有数の抗がん剤研究者が書かれたある本の内容紹介だが、日付の分かった旧稿への入り方はこうする。なお、このスープが肌の健康つまり美容にとっても効果絶大だとそんな理由も書いてあることになる。

 右欄外の今月分カレンダー下の「バックナンバー、年月欄」で2021年7月をクリック。すると直上のカレンダーがその月の分に替わるから、その11日をクリック。すると、エントリー画面がその日のエントリー画面だけに替わるから、お求めの物をお読み願える。

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新自由主義は誤り、それで?  文科系

2021年11月28日 11時34分06秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 いまでこそ言われ始めた「新自由主義経済体制は誤り」とは、経済学の常識から言えば、初めから分かっていたことだ。ちなみに、これを言い換えて金融株主資本主義の正しさなどは、最初から説明、説得などなにもされていず、ただ「世界的な金融活動国家規制緩和」として強引に進められ、昔ながらの「自由競争賛美」が形を変えて復活しただけのことである。だから弱小国は為替や株の空売りなどで貪り取られるだけ、人件費を削る会社の株が上がって、色んな格差がひどくなり、世界的に弱者はとことん貶められた。

 さて、これを正すとなると、これがとても難しい。世界を暴力的に席巻してきた流れであるから、世界的規制で制しなければならないからだ。ちょうど初期資本主義が生まれたイギリスで「10数時間労働の野放しには、国家的な8時間労働『制度』が生み出された」ように。今の金融株主資本主義に対して、こんな事ができるのだろうか。現に、世界は金融株主から正しく税を取ることでさえできずに居るのである。パナマ文書とか、最近のナントカ文書のように。

 こういうグローバリゼーション規制は国連の出番なのだと思うが、その国連をアメリカが無視を続けてきたとは、誰でも知っていることだ。もっとも、最近の「米国デフォルト近し」状況を見ると、この国の影響力は弱化の一途だろう。いや、この影響力はすでになくなっている。国連総会決議などではもう負けてばかりだからだ。が、彼に命じられて中国相手に「GDP2%へと倍増」の軍隊を目指すという馬鹿な国もある。アメリカ自身が「一つの中国」「台湾独立はこれを認めない」と中国に約束した時代になっているのに、自分だけハシゴを上っていくのだそうだ。近く外されるハシゴとは、分かってきたはずだが。

 

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米が中国に低姿勢、続々  文科系

2021年11月26日 22時37分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 19日エントリーにおいて、米中首脳会談で「『一つの中国』を確認」「台湾独立を今後も支持せず」というバイデン発言のニュースを報じた。その後これに関わる米中折衝ネット記事を色色検索していたが、中にはこんなニュースも見つけられた。

『米商務省は、2020年11月~2021年4月の間、制裁の象徴、ファーウェイ向け部品に614億ドルの輸出許可を与えていた。莫大な金額だけに、各方面へ衝撃が走り、日本の“蚊帳の外感覚”は強まった。日本企業はどうすればよいのだろうか。』(Record China  高野悠介)

  さらには「北京五輪外交ボイコット」というのも、声だけは強いが「検討中」と言う文字が付いていたのを観ると、いち早く「選手は参加します」と約束したに等しいと、ここで述べてきた。これら一連の首脳会談以降のニュースを見るとにかく、米が何か中国にしきりに軟化姿勢を示してきたということなのだ。この同じ趣旨のことが本日の新聞にもまた二つ載っている。『米中国防高官の対話合意 米報道、衝突回避 長官級模索か』というのと『石油の備蓄放出 中国明言避ける 対米優位強調』である。

 何かしきりに米が中国にさえもお願いをしているらしいのだが、これについてはこんなニュースもあると、ここでも書いてきた。米国が今緊急に中国を含めた各国からなんとか早く集金をしたいのだと。財務省の国庫が空になって支払いが出来ず、米国デフォルトを避けようとしているのだとのニュースである。議会から「国庫はこれ以上もう借金してはいけない」と上限が決められていた枠を何度か広げてきたが、それももう守れなくなっているということなのである。

 この動き、今後も目を皿にして見つめていきたい。

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南野がリバプールのプレミア戦で得点  文科系

2021年11月26日 19時38分02秒 | Weblog

報知新聞社』

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八十路ランナーの手記(388) 初の月150キロもフォアフットのお陰  文科系

2021年11月25日 00時09分39秒 | Weblog

 月間走行距離目標なるものを初めて9月に120キロから、10月130キロ、11月には140キロとして、その24日現在127・0キロまで来ているので、この達成も見えた。12月目標は150キロになるが、この11月実績から観たら、達成目途は十分に立っている。それもこれも、長期間かけたミッドフット走法習得、そしてこの11月からフォアフット走法へとたどり着いてきたお陰。何歳になっても努力は報われるものと、充実した幸せの真っ最中である。なんせ、この走法改善から、今までほとんど1時間しか走っていなかった59歳入門の10キロ・ランナーが、少なくともジムマシンの時速8~9キロなら2時間でも走れて、このスピード程度なら中一日あれば十分連続して走れるというようになったのだから。中1日なら一か月15日、各10キロ走るだけでも、150キロ行けるのだ。

 ところで、リアフット、ミッドフット、フォアフットと走りの効果は何が、どう違うのか。若い「自然生えランナー」よりも59歳からのランナーである僕の方がうまく説明できるかもしれない。普通の本の説明と僕の説明とを対比させてみよう。僕のような若い頃長距離経験がない老人の場合はという限定を付けて。

・リアフットなどはよく「ブレーキが掛かる走り方」と書いてあるが、これは前脚の着地が突っ張ること以上に、両足の着地時間が、地面をポンポンと弾んでいく他二走法よりも長くなるからだ。さらには、大きく曲がった膝を伸ばす分、あと二つの走り方に比べて腰を持ち上げるために大腿部筋肉を無駄遣いしているから、普通の人や特に老人などでは疲れる走り方になるのだと思う。
・では、ミッドとフォアはどう違うのか。ミッドの方がフォアよりも地に踏み込んだ衝撃が大きくなりがちなうえに、ミッドの方が幾分ストライドも小さくなると愚考した。もちろん、フォアと同じ入力でそれだけの短所があるということだ。

 ただ、どの本にも書いてあるようにフォアフット走法が最も難しい。本などには短距離全力疾走のやり方でこれが身につくなどと書いてあるが、とてもとても。「前足前部で軽く地に触れた瞬間に踵をトーンと落として弾んだ力で離陸」という動作を、できるだけ短い両足着地時間でやるのが難しいのである。短距離全力疾走に比べて、ゆったりした長距離走では着地が多少長くなっても気づきにくく、両足の同一リズムも取りにくいからだ。ましてや年寄りはおおむね左右両足の力に差がある人が多くて、道路の白線上をスタスタ歩ける人も少ないはずだし。

 さて、これから12月150キロ、1月160キロ、2月170キロと月目標が上がっていくわけだが、どこまで行けるか楽しみだ。地面走を入れたら確実に短い距離になると思うから、当面はほとんどマシン走LSDでフォアフットのフォームを固めていくことになる。11月は24日現在11日走って、外走りは、2日計20・7キロだけだった。

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「石油放出」?? 近視眼マスコミ  文科系

2021年11月24日 10時16分38秒 | 国内政治・経済・社会問題

 石油が超高値になったから、初の備蓄放出? それも世界協調して? それでも値下げ効果は不透明? この手の記事を読むといつも思うのが、世界の石油価格は独占禁止法違反だということ。それも、極めて手前勝手な悪辣政治によって作り出された違反だ、と。このことを、どのマスコミも書かないのだなーという義憤もまた、僕はいつもいつも感じ続けて来た。
 現に、アメリカの「政治」によって勝手に超高値にされているではないか。そのことをマスコミはなぜ書かないのだろう、と。

 世界原油埋蔵量1位のベネズエラの原油はどうなっている? 同4位のイランの原油は? と考えてみるだけですぐに分かるのだが、アメリカによるこの両国への「経済制裁」こそ、この超高値の最も根本的な原因とさえ言える。このことをなぜ日本のマスコミは報じないのか。この報道姿勢はそもそも一体どういうことなのだ? 大げさに言えば、原油の値段によって物価が左右されるようなわが国は、この問題の政治的解決こそ経済の生命線と言えるはずなのに、日本では政治家も経済人も、マスコミ界も一体何を考えているのかと言いたい。こう考えてみれば誰でも分かることだが、日本の石油の値段は国際政治力によって決まるのである。日本の国際的政治力が近視眼であり、無能を通り越しているから、他国の良いようにされるのである。そのしわ寄せは全部、庶民に降りかかってくる。

 ちなみに、アメリカが現在世界一の産油国になったとかは、シェールガス原価に「国際的目途」がついたから。と言っても、まだまだその値は高くって、ベネズエラ、イランが自由に販売できたら世界価格は一挙に下がって、シェールは採算が合わなくなるはずだ。「シェールを売るために、国際価格を上げるためのベネズエラ制裁?」と言いたくなる。

 かくして僕は感嘆する。アメリカの「政治的イノベーション」は、凄いもんだ! それに比べて日本の国際政治力、国際政治的イノベーションは下の下。だからこそ、購買力平価の一人当たりGDPは、下がって来るばかり、今や33位。日本政治家の国際政治力がない分、日本国民にしわ寄せが来ている。  

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八十路ランナーの手記(387) 八〇歳のランニング改造  文科系

2021年11月23日 00時09分07秒 | スポーツ

 随筆  八〇歳のランニング改造

 空も空気もからっとしたある秋の日、二〇年も通い慣れた市営スポーツセンターのトレーニング室に入っていく。すると、一面の壁一杯に大鏡が付いた柔軟体操コーナーから立ち上がり、近づいて来た男性が嬉しそうに僕に声をかけた。「楽に三〇分は走れるようになりました。この通り汗も十分かけますし・・・」。六五歳ちょっとに見えるこの花井さんは三か月ほど前からここに通い始めた方で、最近何回か走り方を話し合った人なのだ。ランニングマシンで走っている彼を観ていて、初め思わずこんな声をかけた。
「綺麗なフォームですねー。ただ、一言言って良いですか?」
「どうぞ、どうぞ、言って下さい」 
「そのスピードでは一五分も走れないでしょう。ランニングって自分のスピードの七割ほどで走るその距離を伸ばして行ってこそ、継続できるスピードも上がっていくもの。それも、ウオームアップ歩行を最低一五分はしないとすぐ疲れちゃうから汗もかかないでしょ」
 こんな押しつけの声かけから始まった会話を、もうどれほどの方とやったことだろう。初めは迷惑そうな影が受け取れる人も居ないではないが、後には全員に感謝されて、花井さんのように僕を観ると向こうから嬉しそうに報告に来られるようになる。その人なりに走りが全く変わっていくからだが、このみんなが友人になっていく。
 さて、今年五月で満八〇になった僕自身が、この二年にかつてない「ランニング改造」を遂げた。この改造に注いだ苦労の量も予想外だったが、その成果の方はさらに大きくって、九〇になっても走っていられる感触なのだ。

 この改造の始まりは忘れもしない一昨年の年末、ブログ上のランニング友とのある会話だ。何気ない彼の一言「前脚膝下はあまり前に振り出さない方が良い」が、当時の僕の問題意識「どうも足の着地時間が長すぎてスピードが出ず、それも左右の着地時間も異なるようだ」に触れたところから始まっている。この改造内容はやがてこんな説明になっていく。「後ろ足を蹴って、前脚をできるだけ前に出し、地面を跨ぐようにして走っていく」から「前脚の踵を地面にトーンと弾ませたその反発力で腰を前に移動させていく走法」へというものだ。「地面を跨いで進む」から「地面を踏みつけた反発力で進む」へと呼んでおくが、最初にこの「地面反発力走法」を試みた時すぐに、二つのメリットが感じ取れた。以前と同じ速度でも心拍数が五%ほど下がるのと、脚の筋肉使用がより少なくて済む自然な走り方だというものだ。「これは良い!」とのめり込んでいったわけだが、そんな改造が二年もかかったって、流石に「慣れ親しんだ走法は換えるな」と語り継がれてきただけのことはある。改造の詳細は省いて、一点だけに触れてみよう。

 僕は三〇歳直前に左脚付け根の椎間板ヘルニア手術をしていて、その再発などから左脚が右に比べて弱いのだが、この弱点をカバーしてくれる走り方なのだ。片膝で身体全体を持ち上げることがない走り方だからなのだが、その分左右の足の着地がほんの一瞬のことになるそのタイミング、リズムが難しい。〈そもそもそれまでの走り方そのものがもう左右のバランスが取れていなかったのだ〉とドンドン思い知らされていく改造になっていったのだから、あれこれの試行錯誤も多かったのだなーと、これは今振り返るから分かることである。

 この改造の威力の方は、改善を重ねるにつれて大変なものと分かってきた。普通に道を歩く歩き方さえ、以前とは異なって来た。道路の白線上を歩いてみると分かるのだが、案外踏み外さないでは歩けないものだ。今は以前とは見違えるようにこれが容易になっている。改造が僕の身体の特徴にぴったり嵌まったということだろう。
 そんなこの九月、新しいランニング生活に踏み出してみようと思い立った。十年前に慢性心房細動を二回のカテーテル手術で完治させて以来レースには出ず、活動年齢を延ばす健康ランニング専門になった僕が、ランナーらしく月間走行距離目標をやってみようかと。こうして、九月百二十キロは一二一キロに、十月一三〇キロは一三四キロ、十一月一四〇キロは二二日現在一一五キロまでと、月一〇キロずつ増やした目標をやり切っている。このままどこまで行けるかという趣向なのだ。スピードはともかく、距離だけをとれば過去には一二〇キロ実績さえなかったはずだから、なんか楽しみが大きくなった感じ。思った通りに疲れ方がずっと少なく、それでいて同一スピードの心臓負担が減ったからスピードも出るというわけで、月目標もまだまだ増えていくだろう。この新走法、今のやり方はフォア・フット走法と呼ぶらしい。前足裏前部から優しく着地した瞬間に踵をトーンと落としたその反発力によって腰を高い位置で運んでいくやり方である。
  そんなこんなを経た昨日、体組成計諸数値の推移を改めて見直してみた。僕の身体が十年前とほとんど変わっていないのである。筋肉量は四九・〇が四八・一キログラム、体脂肪率一一・六が一〇・三%とあった。変な病気さえなければ、やはり九十歳まで走れるだろう。

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北京五輪で米早々に、「選手は派遣」??  文科系

2021年11月20日 06時31分41秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 昨日も今日も、標記のことが鳴り物入りでマスコミを賑わせている。が、僕は逆の意味で驚いた。「外交ボイコット」って、政府外交要員が出ないだけ? これは言い換えれば、「選手は出る」と確約したということだ。しかも、この外交要員不参加でさえ、「これを検討中」?? 随分下手に出たもんだ。だって、「ボイコット」という強い見かけの大音声とは逆に、「北京五輪、アメリカは参加しますよー!」といち早く内外に表明して、世界の懸念を払拭したに等しいのだから。

 さて、この「五輪参加確約」はむしろ、昨日のエントリーで観た『米中首脳会談で、バイデンが「一つの中国」政策を確約』と同根のものである。この「ボイコット」はむしろ、この軟化政策を隠す陽動作戦でしかないと観る。それも「北京五輪には参加しますよー」という陽動作戦??  バイデンが習との電話会談で「一つの中国」、「台湾独立は今後支持しない」と約束したことと、このことがほとんど中国側からしか伝わってこないのを米側が否定しないこととから様々なことが判断できるのである。この「五輪参加確約」もバイデンが習に約束したことの一つであって、それをこんなひねくれた形で出したのであろう。アメリカはとにかく、何か大変な「対中軟化政策」を取り始めている。

「対中先制攻撃的防衛論」を盛んに吹き回っていた高市早苗ら安倍ご一統はこれから一体、振り上げた拳をどこへ持っていくんだろう。

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対中姿勢急軟化、本年当初から米、密かに  文科系

2021年11月19日 19時56分00秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 直前のエントリーにおいて、米中首脳会談で「『一つの中国』をバイデンが確認」「台湾独立を今後も支持せず」というバイデン発言のニュースを報じた。その後これに関わる米中折衝を色色検索していたが、中にはこんなニュースもあるから、日本は全く「蚊帳の外」「置いてけぼり」になってしまったようだ。高市早苗や安倍ご一統がこの総裁選挙中にも「対中先制攻撃的対中防衛論」をやって来たのが、まるでピエロのように見え始めた。このこと、寺島実郎が前から「ありうる」と述べていた、ある歴史的結末かも知れない。

『米商務省は、2020年11月~2021年4月の間、制裁の象徴、ファーウェイ向け部品に614億ドルの輸出許可を与えていた。莫大な金額だけに、各方面へ衝撃が走り、日本の“蚊帳の外感覚”は強まった。日本企業はどうすればよいのだろうか。』(Record China  高野悠介)

 このニュース、ここの読者の皆さんがドンドン追っていくことを勧めます。株とか商売などでも、とんでもない目に遭うかも知れない。この事態の背景がどうも以下のことにあるというニュースもしかるべきところから出ているようですから。

「アメリカ国家財務省のお金が底をついて、国家デフォルトを中国に、密かに、救ってもらおうとした」。この「救ってもらう」は、例えばこのように解説した論説もあった。「アメリカは日本へのFー35の武器販売等で金策を行ってきたが、それももうネタが尽きている。バイデンの習近平への屈辱的にも見える譲歩は、アメリカには中国へ支払うおカネがないからだ」(Tanto  Tempo)

 アメリカの国家累積赤字がGDPの4倍と、2015年に元会計検査院長、デイブ・ウオーカーが報告したというニュースは、当ブログで再三書いてきた通りです。

 

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「一つの中国」、バイデンが確認   文科系

2021年11月19日 00時57分52秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 米中争覇は、今や世界の焦点。そこから、日本外交、特に国防問題では台湾を巡って逆上せあがったような論調も最近特に多くなっている。高市早苗や前統合幕僚長・河野克俊らの、敵基地先制攻撃国防論はその典型だろう。「6年以内に中国が台湾に侵攻すること確実だから」で始まる、あの議論だ。アメリカでは一司令官の「見通し」に過ぎぬものを、日本では自民党政調会長までが大音声で警告しているのである。この議論が実は、戦後世界公認の「中国領土問題」常識を忘れ去った逆上せ上がりようだと、つい最近アメリカ大統領が改めて教え諭しててくれたと言えなくもない。

 15日に米中首脳電話会談が行われ、翌16日にはこの会談についてバイデン大統領が記者会見を行った。その場に於いてバイデンが語ったある言葉は、日本ではもっともっと大きい話題になっても良いはずだ。バイデンが明確に「(中国と台湾は)一つの中国」政策を採っていくと認めたからである。もちろん同時に、「一方的な現状変更は、これを認めない」という条件も付けてのことだが。

 そもそもこの問題は、あの大戦時の中国における国共戦争に端を発したもの。敗れた国民党が台湾に逃れ、この国民党政府が中国の国連代表権を長い間持っていたのを、大陸政府を正当と認めて台湾代表権を「剥奪した」というのが国連における中国問題の基本中の基本なのである。この度のバイデンの言明はその再確認なのだ。もう一度まとめると、「中国は一つ、代表権は大陸政府」が第一原則で、第二原則が「一方的な統合、つまり戦争などは許されぬ」ということだろう。

 振り返って日本政府要人の「敵基地先制攻撃国防」論議は、上記第一原則を一切無視しているという意味で、あまりにも無原則、無責任な論と言える。中国が第一原則を語る度に「明日にも台湾侵攻が・・」と発想する式の短絡思考であって、まるで戦争を煽るような挑発的外交にもなりうるものだ。これには少々皮肉も込めて、安倍首相が18年秋に訪中した日中首脳会談において「確認」しあった「日中3原則」を提示しておきたい。
『競争から協調へ』
『互いに脅威とならない』
『自由で公正な貿易体制を発展』

 この三原則を両国が今後守っていく限り、台湾侵攻はありえない。「互いに脅威とならない」という約束から観たら、高市早苗らの「敵基地先制攻撃国防」論議は戦争放棄国家の発言としては恥ずべきものとなる。なお、台湾が中国の領土だとの国連原則を認めれば中国の領海の「解釈」も全く変わってくるはずだと、ここは特に強調しておきたい。

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八十路ランナーの手記(386)「ためしてガッテン」の「朝たん」  文科系

2021年11月18日 09時29分28秒 | スポーツ

 前回書いた2日続きの10キロは今の僕には難しいと16日の4キロリタイアーで分かった。15日に12・5キロ走って翌日も走るという実験をしてみたのだが、時速8キロで汗が凄かったから、30分走るだけで辞めてきたのである。そのあくる日休養日の17日、NHKで標記の良い情報を得られたから、またまたランニングにもある知恵が付いたというその話をしよう。朝タンパク質を摂れば、筋肉量が最も適宜に増えていくという知恵である。

 筋肉は夜寝ている間に保有するタンパク質を他の生命装置に放出してしまい、一夜にして何百グラムか細くなるのだそうだ。だから朝食でタンパク質を摂る。それによって筋肉量がどの年齢でも増えていくという知恵を昨夜のあの番組が伝えていた。

 ちなみに僕は以上の知識はなかったが、朝食タンパクはちゃんと摂っていたと振り返ることができた。こんな知恵をどこからか得ていたからだ。
『三度の食事では、朝食が一番大切』
 それで、僕はずっと朝食にボリュームを求めてきた。朝から、好物の肉も魚も食べる。最近のここにも書いた「最強の野菜スープ」に焼き肉を入れたり、今朝などは最近美味しいチリ産の養殖甘塩鮭を二切れも食べたりというように。そんなわけで、昔から変化、推移を記録している「体組成計」諸数値推移表を急いで見直してみたもの。お目当てはそこの「筋肉量」推移欄である。こうあった。

 最も古い12年9月28日49・0キロから、その後最低が20年11月4日の46・7キロで、現在は47・2キロ。ちなみに、この間の最高が18年8月24日の48・7キロだから、今のランなどを続けて朝のタンパク質をもっと意識すればこの10年の最高にまた戻れると、そんな感触が得られたのだった。ちなみに、僕の現在の体重は56キロちょっとというところ。体脂肪率は10~14%と、この10年のこの数値にはかなりの上下動があった。最も最近の体脂肪率数値はこの9月18日の10・3%である。

 

 ランの話に戻って、17日現在の月間走行距離は89・0キロになった。17日は休んだから18日には走って、100キロを超えられるだろう。ちなみに、11月から始めたフォアフット走法はまだまだ不安定である。左足の置き所が一定していない。ストライドも、右足に対する左足の位置も。 

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随筆 死に因んで  文科系

2021年11月17日 13時27分23秒 | 文芸作品

 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中頃友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識した。間もなくこれが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向付けていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、習慣、虚飾が嫌いで、何かそんな寄り道をしなかったというのも同じこと。自分に意味が感じられることと、自分が揺さぶられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年付き合ってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」といつも評してきたものだ。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、今の僕のこの「症状」ははてさて、いつとはなしにこんなふうに落ちついてきた。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」

 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生を楽しめているからだろう。特に老後を、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができて、それぞれそれなりに楽しめてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。自身で音楽することには、いや多分自分の美に属するものを探り、創っていく領域には、どういうか何か魔力がある、と。その魔力ぶりは僕の場合、こんな風だ。
 この二月から、ほぼある一曲だけにもう十ヶ月も取り組んでいる。南米のギター弾き兼ギター作曲家バリオスという人の「大聖堂」。楽譜六ページの曲なのだが、この曲だけを日に一~二時間練習して先生の所に十ヶ月通ってきたことになる。長い一人習いの後の六十二の手習い七年で上級者向け難曲なのだから、通常ならとっくに「今の腕ではまーここまで。上がり」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕の希望で続けてきた。希望するだけでは、こんなエネルギーが出るわけがない。やればやるほど楽しみが増えてくるから、僕が続けたかったのである。「この曲はもっと気持ちよく弾ける、その為には」。ギターの構えから、長年の悪癖までを、この半年ほどでいくつ苦労して修正してきたことか。こんな熱中ぶりは、自分でも訝しいほどである。
 ギターを習い始めて、これと同類の事をもういくつも体験してきたように思う。

「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころの最大の望みだった。これが、気心の知れた友だちたちとの挨拶言葉のようにもなっていたものだ。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。

 

(2010年所属同人誌に書いた物)

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八十路ランナーの手記(385) 11月、85キロまで来た  文科系

2021年11月16日 00時52分11秒 | スポーツ

 ランナーらしく月間目標距離をこの9月に初めて120キロと定め、月10キロずつ増やしてどこまで行けるかやってみようと思い立った。9月はギリギリ121キロ、10月が134・4キロで、この11月は15日現在85・0キロまで来られた。11月のこの伸びを振り返ると、フォア・フット走法に踏み切ったお陰だと分かる。前脚前部で地面に触れた瞬間に踵をトーンと下ろして地面をつつくやり方が衝撃が少なくてすむようで、その分疲労も少なくなるようだ。15日もジムのマシンを90分掛けて12・5キロ走ったのだが、どういうか今の疲労度なら明日16日には走れる感じに戻っているだろうから、実験として走ってこようかなと思っている。ただ、今はフォア・フットのフォーム固めをしている段階なので、当面はフォームを観察、自覚しやすいマシン走中心になるだろう。

 15日はこんなフォーム改善ができた。右に比べて左足がミッド・フット気味であることに気づいてあれこれと修正してみたのだが、一番無理なく修正できたのは左膝をやや前に出せばよいということ。これは僕の場合には、左脚の地面つつきを強めなくとも可能だと分かって来たのが大収穫だった。これでもってまた、以前から悩んでいた「左のストライドの方が狭い感じ」まで治ってしまって、これはとても嬉しい驚きになった。ただし、左膝を前に出すためには、強い方の右脚の離陸法を(真後ろよりもやや外目に離陸する様に)少し変えねばならなかったが、こちらの方はもう10月から気づいていたことである。左の着地位置を正しくしてそのストライドを広げるためには、右の離陸を今よりやや外側に向けてやる様にと気づいて、10月に苦労してきたのだった。この苦労があったから、「左膝を幾分前に出すことによって左足のフォアフットが確保できた」ということなのだ。

 これで多分中1日置きなら常に15キロは走れる感じになっていくだろう。ただ、この15キロはマシンの場合であって、外走りは別もの。フォーム固めがしやすいマシンであと数日フォア・フットを固めてから、外でも確かめてみるつもりだが、これはこれでまた全く別の困難が待っていると考えている。

 よく晴れた今日は、自分の布団を太陽に曝した。その後パン・パーンと叩いてからベッドメークをしたから、オゾンの匂い一杯の布団で今夜は大変気持ち良く寝られる。もし明日も10キロ走れるなら、いや8キロでも、二日連続平均10キロというのが、59歳から入門した僕のラン人生では初めてのことと思う。1日1時間、少なくとも中1日は置くことが、僕の健康ランのやり方だったからである。なんか急に持久力が付いてきた感じがするけど・・・フォア・フットってそういうものなのかな?

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