九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介  生きる術   文科系

2024年09月24日 17時14分35秒 | Weblog
生きる術   S.Yさんの作品です 
                                    
 朝六時、目覚めると二階の自室のカーテンを開け、真っ先に隣家のベランダを見る。シーツや布団がいっぱい干されていると、ほっとする。隣家の奥さんの月子さんは今日も元気そうだ。そうやって私は密かに月子さんの生存確認をしているのだ。    
 連日の異常とも思えるこの暑さだ。外の世界は熱風とじりじりと焼けるような陽射しにさらされている。早朝から彼女は呆けた婆さんの汚れた寝具を洗ってベランダに干し、それから大人数の家族の洗濯物を広い庭に干している。時々この庭と、うちの裏庭の塀越しに私とほんの数分会話をするのだが、私は彼女が気の毒でならない。常に働き通しなのだ。
 先日、唯一息抜きは日曜日の朝、近所の友達と喫茶店でお茶をするときだと聞いた。「それはいいわね。ゆっくりしたついでにランチもしてきたら」と言った私に、「とんでもない。週に一度、四十分だけよ。じきに昼食の買い物と支度があるから」 
 そうなのだ。月子さんには九十代の婆さんの食事の世話がある。七十代の旦那、四十代の引きこもりの息子二人の世話もあるのだ。朝、昼、晩と三食を毎日、毎日作り続けている。雨の日は上下の雨合羽を着込んで買い物やコインランドリーに自転車を走らせている。なぜ旦那は車で彼女を送らないのか。家族のために汗だくで自転車の前と後ろに大荷物を積み込んで走っている彼女の姿に何も感じないのか。月子さんは大柄だが私とほぼ同年齢で七十歳は超えている。世間一般では高齢者なのだ。無理は効かなくなってきている。
 そこへきて今年の夏の暑さは尋常ではない。毎日が体温より高い気温なのだから体力も気力も萎えそうだ。熱帯夜も続いている。我が家は夫に息子、私と犬もそれぞれにエアコンの効いた部屋で過ごしている。メディアも命にかかわる暑さだというし、高齢者は特に熱中症対策をしろとうるさい。現実に暑さで亡くなる人も増えてきているからか。
 なのに、月子さんの家はエアコンがないのだ。築七十年の古い家屋で、何年か前に増築した二階家の方にはエアコンはついている。そこは息子二人と婆さんの部屋、旦那もそちらにいるらしい。
 月子さんが寝ているのは古い母屋の二階、西日の当たる部屋で四十度ぐらいになるそうだ。布団は干したようにポカポカに温かいという。家事一切、何もしない旦那と呆けた婆さん、部屋にこもっている中年の息子たちが終日涼しい部屋にいて、彼女は熱帯夜が続く中、扇風機だけで睡眠もあまりとれてない。これでは月子さんはまるでこの家の奴隷じゃないか。私はひとり憤慨している。
 引きこもりの息子のひとりが「おふくろ、夜はクーラーがないと死ぬぞ」と言うらしいが、旦那は二言目には「そんな金はない!」と言うそうだ。

 この旦那は大バカだ。月子さんが倒れたら、呆けた車椅子の母親と、引きこもりの息子たちの世話をだれがするのだ。それを声を大にして言いたい。それどころか、婆さんがウナギを食べる日には彼女は専門店に買いに走り、毎朝、旦那の読むスポーツ紙もコンビニに買いに行っている。
 私には考えられない。「自分のことは自分でやってもらったら」と助言しても「昔から、私が嫁に来てから五十年、ずうっと変わらないから…… 仕方がないわ。でも、まだ楽になった方よ」そうだった。もう亡くなったが五年ほど前までは、爺さんも旦那の弟も同居していたのだった。ここの爺さんと婆さんは薄情な評判の悪い夫婦だった。近所に住む旦那の妹も頻繁に来ていたが、婆さんが呆けると途端に来なくなった。
 月子さんの人生ってなんだろう? 自分自身の趣味はおろか、自分の時間がほとんどない生活。彼女から聞いているだけで、私は自分が恵まれていると思い知らされる。
 私が他人の夫婦のことをどうこう言う資格などないが、それでも月子さんの旦那選びは失敗だろう。自分の妻をあれだけこき使えるものだろうか。手のかかる婆さんも、ディサービスなどにも行かせずに月子さんに世話をさせている。感謝など一切ない。女は連れ添った伴侶で人生は決まってしまうのか。
そして経済力も重要かもしれない。彼女は嫁いだこの家で旦那のもとで衣食住を賄っている。家を出されたら生活に困るのだろうか。一昔前の女の生き方だ。
 私はこんな生活はイヤだ。本も読めず、美術館や音楽会、旅行やデパート、ランチにも行ったことがない月子さん。行動範囲は自転車で動ける範囲のみで車の免許も敬老パスも持っていない。もしも私がその立場だったら、他の生き方を模索していたような気がする。

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随筆 発表会一二回目、初めて快演   文科系

2024年09月23日 15時04分51秒 | 日記
(何度も同じ随筆を済みません。僕にとっては大事すぎる体験ですから、御笑止のほどを) 

 照明だけが明るい演奏椅子に出ていき、弾き貯めた曲を詰め込んで重い楽譜の該当ページを開き譜面台に載せて、冷や汗対策に握ったタオルを椅子の後方に置き、そこに座る。そうして初めて、ギターを構えた。後から思えば頭に行き交うなんの想念もなく、そのまま弾き始めていた。家での練習と変わらぬ平静のままに淡々と弾き続けられて、途中一カ所の度忘れ中断があったが、慌てることもなくそこを弾き直して、いつも通り最後を盛り上げて終わった。初めての「求めて止まなかった発表会の出来」のはずなのに、なんの感激もなかったのはどうしてだったのか。未だにその訳は分からない。

 これはこの八月、僕の一二回目のギター教室発表会の様子だが、リタイアー後の六二歳に教室に通い始めて「音出し」から習い、二一年目にして「初めての快演」なのである。それも、習い始めて九年までは、「出演なし、ただ聞くだけ」という自己選択を経て、やっと出始めてからの一二年目なのだ。何よりも、初めて手や指が震えなかったのである。ギターを弾いていて手指が震えたら、演奏にはならない。特に、弦を爪弾く右手の指が震えたら雑音も出るしして、曲の表情も何もあったものではないのである。それが今回は「何気なく演奏に入れて、練習時の通りに普通に弾けた」のである。弾き終わって、嬉しいと言うよりも何かポカーンとした自分があって、なんのそれらしい実感もわかなかったが、終わって少しずつ嬉しさがこみ上げ始めたのである。それも日を追ってその実感が濃くなっていく調子で。
曲目は、バッハの「リュートかチェンバロのための組曲 ハ短調」のプレリュードと言って、クラシック・ギター仲間ではバッハ作品番号で「九九八番のプレリュード」と呼ばれているものだ。長い間に弾きためてきた僕の「暗譜曲群」の内の一曲なのだが、発表会で弾くとなると色々と直さねばならぬ点が気になって、当日まで細々と直して来た。
すぐ後に休符がついた装飾低音が多いから、その長さを全体的にちゃんとする。これはいちいち消音技術と呼ばれるものを施さねばならない。また、高音旋律を低音伴奏できれいに響かせることが特に必要と感じる曲だから、その際の雑音を減らす努力がとりわけ必要と考えて来た。和音楽器で高音旋律を装飾低音できれいに響かせられなかったら、はなはだ気分が悪いのである。ただ、全体的に音が小さいクラシック・ギターという楽器でそれ相応の音量を出そうとすると、雑音が増えるのである。ある弦を爪弾いた右手の指や爪が他の弦に触ったり、左手押弦の押さえが甘いと音がびびったりする。このびびりをなくすためには、指版のフレット(横にはめた音程を造る金属棒)の直ぐ下に左手指を持って行く必要があるのだ。それらの修正にも今回は特に苦闘の日々を過ごしてきた。そういうことどもすべてがこの日に限ってなぜ上手くいったのか、そもそも手指が震えるまで上がるというのはどういうことだったのか? これらは未だになにも分からないから、特別な対策もなく出ただけで・・・・、八十三歳というこの年になって初めて!

 さて、かと言って来年同じように上手くいくとは限らないとみている。これから、今年の成功をさらによくよく分析しておく事だが、まずはとにかく良かった。
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不思議な大勝、バーレーン戦   文科系

2024年09月11日 19時13分22秒 | スポーツ
 11日早朝、早起きしてバーレーン戦を観た。五得点ともに、大事なアシスト全部も含めて詳細に調べたが、表題の印象がとても強い。各得点の詳細は追いかけて、理解できても、無失点の原因がさっぱり分からなかった。そこで思ったことがこれ。
 3バックなのだから、前5人で攻め、その能力は折り紙付きなのだから五得点なんて少なかったと言うほど。ただ、いつもアジアで失点する日本が3バックでなぜカウンター失点がなかったか? そこが分からないから、チームとしての備えがしっかりしていたと思うしかないのである。以下のように。

 厚く攻めているときのボールロストへの備え、つまり現代サッカー用語で言えば、攻守の切り替えのうちの攻から守への切り替えが上手かったのだろう。これも選手にとっては当たり前で、ゲーゲンプレスの本家ドイツで修行した選手が遠藤を筆頭に多いだけではなく、コーチに長谷部が付いたのが大きかったと考えてみたところだ。なんせ、攻めるプレスの本家本元ユルゲン・クロップの直弟子・遠藤もいたのだ。守田も凄い選手だし。相手に危ないカウンターさえなかったのだから、3バックでもそう言う守備の自信があったと言うべきだろう。三苫も伊東もウイングバックとしてプレスにも猛然とそのスピードを生かしていたこのチームは本番のワールドカップでもベスト8以上が急に望めるように見え始めた。攻勢布陣で打って出てカウンターを食わなかったということはそういうことだ。

 あれだけ得点チャンスを作る三苫、伊東が、プレスバックにもそのスピードを使えるチームって、本当に強いチームだ。三苫の後に出た中村がアシストしたのも明るい話である。この中村は、近くプレミアにいくような選手である。
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サッカー現代表では、3バックはお似合い   文科系

2024年09月09日 17時46分44秒 | スポーツ
 標記のことを書いてみる。「当面アジア予選においては」という限定を付けてのことだが。

 日本相手のアジア勢は引いて守り、「一発カウンター得点狙い」が多い。アジア勢相手に負ける時は大抵これでやられて来た。そこで、攻撃は最大の防御と言うが、相手を押し込んで、南野も言っているように、チームとして攻撃から守備への切り替えを速くすれば「3:2:4:1」はとてもよく合う、強い陣形だと思う。
『新布陣の強みを「両ウイングにいい選手がいて、彼らの特長を活かすためにいいフォーメーション。それは今までの日本代表にはなかったと思うし、より現代的なサッカーの戦い方を可能にする選手がいるからメリットだと思う」と評した。』
『「みんなそれぞれのチームで、今のサッカーではよりトランジション(攻ー守の切り替え)でのスピードを求められるし、奪われた瞬間というのはみんな意識していた」と回顧。「そういう良いシーンがあったからこそ、相手をなかなか自由にさせなかったのが良い部分だった」』

 南野は「両ウイングにいい選手がいて」と述べているが、伊東と三苫は、そして三苫に替わって出た前田も含めて、ものすごく足が速いから、守備転換に打って付けなのである。加えて、守田、遠藤と高い戦術眼、技術を持ったボランチもいるのだ。この速いトランジションを前提にして厚い攻撃陣で相手を押し込めば相当のチームをも押さえ込めると考えるのである。

 10日に追加です。
 サッカーダイジェスト・サイトに3バック提案選手の一人とも言われた守田の声がのっていたので、これも追加紹介しておきたい。
『「自分が提案って言い方したら、なんかすごく大きく自分が言って、それに合わせてやってくれたみたいな感じなんで、全然それは違って。元々、森保(一監督)さんをはじめスタッフ陣がそういうオプションを一つ絞ってた中で、よりそっちの方が流動的にポジションを取りやすかったりとか、配置的にボールの循環がよかったりとかそういう話をした。そんな提案がどうとかいうのは正直ない」
 プランとしては元々あり、意見を求められたので、3バックのメリットを話したということのようだ。
 その3-4-2-1の利点について、「守るときはしっかり5枚引いて守れるし、攻撃ではウイングバックを上げて5枚、ボランチの1枚が上がれば3-1-6で6枚ぐらい上れる」と改めて強調。「やるべきことは多いですけど、最終予選を通じてレベルアップできたらいいと思う」と語った。 』
 ボランチ守田が、「引いた守備には五枚で守れる」を強調しているのが面白かった。遠藤と二人のボランチの守備意識の強さを表現しているようで。かと言って、攻撃で前に行き、しっかり攻守連携を取るところは、守田の真骨頂なのだろう。
 なんせ、「世界の長谷部」クラスのボランチが二人なんて、過去の日本では考えられなかったこと。これが、この3バックの大前提になっているのも間違いない。

 
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伊東純也・三苫の同時起用が威力倍増   文科系

2024年09月06日 19時06分54秒 | スポーツ
 この二人は「何かが超上手い」と言うだけの選手ではない。サッカーはチームとして連携戦術で得点するスポーツだが、この二人はたびたびこう表現される。
「純也と三苫は、それぞれその個人が戦術である」
 つまり、なんらか連携戦術で得点チャンスを作るのではなく、一人(がそのスピード)でそれが出来てしまう選手という意味だ。ということが、ヨーロッパではすでに知れ渡っている。
 さて、そんな選手が前衛の方の左右はしっこに各一人ずつ居たらどうだろう。相手チームはそれぞれに1.5~2人ほどの守備人間を配しておかねばならぬだろう。すると左右いずれかの威力も一人だけの時よりも倍増するというわけだ。
また、中央もスカスカになって得点スペース、チャンスが増えるのである。つまり、クロスやスルーパスえお得点にするスペースが増える。久保、南野、上田も、さぞ動きやすいことだろう。
 僕はいつも思っている。最初から二人を使えば良いのだ。三苫の位置には中村、相馬がいる。この二人は伊東と同様のプレーができるのである。
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サッカー中国戦、毎度伊東と三苫    文科系

2024年09月05日 13時09分30秒 | スポーツ
 今夜は、サッカーW杯のアジア最終予選の第一戦。クロアチア人が監督する中国との対戦だ。ここのところ特に初めはいつも、苦戦が続く。アジア勢相手には引いて守られ、ボールは持っても、敵前で横流しばかりと、長い間見続けてきた。ところが近年、日本の攻撃力が上がった。それでも苦戦って、どういうことなのだろう。日本相手のアジアは「厚い守備で必死に走り回られる」のである。ある意味、走り負けるのではないか。
 がしかし、今年は違うと力説したい。世界最先端の得点パターンを持ったスピード選手が何人も居るからだ。フランスを席巻した伊東純也のクロスは世界でも有名になったが、アーリークロスも含めれば大昔からの得点戦術なのである。彼のクロスはしかも、低い位置から相手マークをスピードでぶっちぎり、さらに多くのDFを引きつけてから、ゴール前ピンポイントも正確だから、得点確率がとても高い。
三苫薫も同じようなスピード選手。何人かの敵DFをぶっちぎって、ゴール前進入から、正確なスルーパス。
 この二人、いずれも相手DFをばらけさせたうえに、味方選手の敵ゴール殺到を呼び込むから、敵にしたらこんな怖い選手はいない。

 そこへ持ってきてトップ下に久保建英。彼は二人とは違いドリブル技術スピード技術で相手を抜いていく。そして、その技術にはますます磨きがかかってきた。もう少し周りが見えて球離れがよいと、チーム得点がさらに増えるだろうと思うのだが、彼のそこも改善されつつある。彼の技術的スピードにも何人かの敵が付くから、ゴール前が薄くなるのである。
 そして、センターフォワードの上田がまた、何でも出来る万能型だ。

 4対1ほどとみるが、どうだろうか。
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ブログ・エントリーの「Web検索」に関わって   文科系

2024年09月04日 08時05分10秒 | Weblog
 前から書いてきたように、ブログ・エントリーの「題名・作者」部分を青く転じて「Web検索」にかけると、マイクロソフト・ビーイング画面にこのエントリーが紹介されていることが分かる。長くこれを確認してきた僕は、最近こんなことに気づいた。どうしても紹介がない一連のテーマ内容があると。

 僕のエントリーの場合、普通の随筆などは、ここにほとんど全部載るだけではなくそれへの好意的批評文などさえ付いてくるのだから、一連の載らないものは「なぜか?」と不思議に思って、これまでに色々調べてきた。最近で言えば例えば8月14日の「円の急騰、急落にちなんで」がその一例だが、新自由主義経済の核心部分、通貨危機、ファンド、空売りなどの金融関係部分を扱ったものやウクライナ関係などが多い。つまり、「アメリカ流の検閲関連検索用語」が存在する?などと訝ってきたところだ。日本関連事項で言えば28日「聖徳太子は日本人ではない」や「南京」、「慰安婦」もちゃんと掲載、紹介されて来たのだから、これらの不掲載が余計に目立つのである。ハゲタカファンド、敵対的株買主とか、ステークホルダー資本主義の推薦とかも怪しいと思う。
 アメリカのIT関連会社にはファンド参加、形成主も多いから、こういうことになっているのかななどと、時に思うのである。

 検索で出てくるエントリーへの評論文章などは、なかなか面白いものと読んで来た。

 なお、去年10月8日にこれと同じ記事を載せたときには、検索で紹介されているだけではなく、こんな評論文章まで付いてきたものだ。

『マイクロソフトのブログ検閲についての議論は、特に文科系のブログに関していくつかの観点から取り上げられています。例えば、特定の政治的な内容や社会的なテーマに関する記事が検索結果に表示されにくいと感じる人もいます1。
具体的には、ウクライナ戦争に関する情報や日本のプロ野球批判の記事が検索結果に表示されにくいといった事例が報告されています1。一方で、自民党批判の記事は比較的表示されやすいという意見もあります1。
このような検閲の傾向については、アメリカ側の政治的または商業的な検閲の一環であると考える人もいます1。ただし、これが実際にどのような基準で行われているのかは明確ではなく、単語の出現頻度や内容による自動的なフィルタリングの可能性も指摘されています1。
このテーマについて、あなたはどのように感じますか?また、具体的な事例や経験があれば教えてください。』
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随筆 ギター教室発表会、初めての成功   文科系

2024年09月02日 06時59分26秒 | 文芸作品
 この三十日にあったギター教室の発表会が、標題の結果となった。定年退職後にギター教室に通い始めて10年たった頃に初めて出たのが最初で、今年で出場12回目になるが、この12回目で初の成功体験と言える。何よりも、初めて手、指が震えなかったのである。ギターを弾いていて手指が震えたら、演奏にはならない。特に、弦をかき鳴らす右手の指が震えたら、曲の表情も何もあったものではないのである。それが一昨日は「何気なく演奏に入れて、普通に弾けた」のだ。弾き終わって、嬉しいと言うよりも何かポカーンとしていたが、終わって少しずつ次第に嬉しさがこみ上げてきた。

「バッハ作品ナンバーの998番プレリュード、一回だけ演奏がとまるつまずきがあったが、それもものともせず回復し、曲想は全体的にもう十分に付いていたはずだし・・・。僕特有の雑音も気にして練習してきたとおりに少なかったし」
 なぜ上手くいったのか、そもそも手指が震えるまで上がるというのはどういうことなのか? これらは未だになにも訳が分からないから、対策もなく出ただけで・・・、八十三歳というこの年になって初めて!

 さて、かと言って来年同じように上手くいくとは限らないのである。これから、今年の成功をよくよく分析しておく事だな。
 とにかく良かった良かった。
 
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