生きる術 S.Yさんの作品です
朝六時、目覚めると二階の自室のカーテンを開け、真っ先に隣家のベランダを見る。シーツや布団がいっぱい干されていると、ほっとする。隣家の奥さんの月子さんは今日も元気そうだ。そうやって私は密かに月子さんの生存確認をしているのだ。
連日の異常とも思えるこの暑さだ。外の世界は熱風とじりじりと焼けるような陽射しにさらされている。早朝から彼女は呆けた婆さんの汚れた寝具を洗ってベランダに干し、それから大人数の家族の洗濯物を広い庭に干している。時々この庭と、うちの裏庭の塀越しに私とほんの数分会話をするのだが、私は彼女が気の毒でならない。常に働き通しなのだ。
先日、唯一息抜きは日曜日の朝、近所の友達と喫茶店でお茶をするときだと聞いた。「それはいいわね。ゆっくりしたついでにランチもしてきたら」と言った私に、「とんでもない。週に一度、四十分だけよ。じきに昼食の買い物と支度があるから」
そうなのだ。月子さんには九十代の婆さんの食事の世話がある。七十代の旦那、四十代の引きこもりの息子二人の世話もあるのだ。朝、昼、晩と三食を毎日、毎日作り続けている。雨の日は上下の雨合羽を着込んで買い物やコインランドリーに自転車を走らせている。なぜ旦那は車で彼女を送らないのか。家族のために汗だくで自転車の前と後ろに大荷物を積み込んで走っている彼女の姿に何も感じないのか。月子さんは大柄だが私とほぼ同年齢で七十歳は超えている。世間一般では高齢者なのだ。無理は効かなくなってきている。
そこへきて今年の夏の暑さは尋常ではない。毎日が体温より高い気温なのだから体力も気力も萎えそうだ。熱帯夜も続いている。我が家は夫に息子、私と犬もそれぞれにエアコンの効いた部屋で過ごしている。メディアも命にかかわる暑さだというし、高齢者は特に熱中症対策をしろとうるさい。現実に暑さで亡くなる人も増えてきているからか。
なのに、月子さんの家はエアコンがないのだ。築七十年の古い家屋で、何年か前に増築した二階家の方にはエアコンはついている。そこは息子二人と婆さんの部屋、旦那もそちらにいるらしい。
月子さんが寝ているのは古い母屋の二階、西日の当たる部屋で四十度ぐらいになるそうだ。布団は干したようにポカポカに温かいという。家事一切、何もしない旦那と呆けた婆さん、部屋にこもっている中年の息子たちが終日涼しい部屋にいて、彼女は熱帯夜が続く中、扇風機だけで睡眠もあまりとれてない。これでは月子さんはまるでこの家の奴隷じゃないか。私はひとり憤慨している。
引きこもりの息子のひとりが「おふくろ、夜はクーラーがないと死ぬぞ」と言うらしいが、旦那は二言目には「そんな金はない!」と言うそうだ。
この旦那は大バカだ。月子さんが倒れたら、呆けた車椅子の母親と、引きこもりの息子たちの世話をだれがするのだ。それを声を大にして言いたい。それどころか、婆さんがウナギを食べる日には彼女は専門店に買いに走り、毎朝、旦那の読むスポーツ紙もコンビニに買いに行っている。
私には考えられない。「自分のことは自分でやってもらったら」と助言しても「昔から、私が嫁に来てから五十年、ずうっと変わらないから…… 仕方がないわ。でも、まだ楽になった方よ」そうだった。もう亡くなったが五年ほど前までは、爺さんも旦那の弟も同居していたのだった。ここの爺さんと婆さんは薄情な評判の悪い夫婦だった。近所に住む旦那の妹も頻繁に来ていたが、婆さんが呆けると途端に来なくなった。
月子さんの人生ってなんだろう? 自分自身の趣味はおろか、自分の時間がほとんどない生活。彼女から聞いているだけで、私は自分が恵まれていると思い知らされる。
私が他人の夫婦のことをどうこう言う資格などないが、それでも月子さんの旦那選びは失敗だろう。自分の妻をあれだけこき使えるものだろうか。手のかかる婆さんも、ディサービスなどにも行かせずに月子さんに世話をさせている。感謝など一切ない。女は連れ添った伴侶で人生は決まってしまうのか。
そして経済力も重要かもしれない。彼女は嫁いだこの家で旦那のもとで衣食住を賄っている。家を出されたら生活に困るのだろうか。一昔前の女の生き方だ。
私はこんな生活はイヤだ。本も読めず、美術館や音楽会、旅行やデパート、ランチにも行ったことがない月子さん。行動範囲は自転車で動ける範囲のみで車の免許も敬老パスも持っていない。もしも私がその立場だったら、他の生き方を模索していたような気がする。