九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

人類痛切の歴史的教訓、「戦争への一里塚」  文科系

2025年01月05日 10時07分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日鉄のUSスチール買収阻止にアメリカ政府が乗り出してきた。トランプ政権になればこの姿勢はさらに強硬になっていくだろう。トランプはさらに、アメリカ高関税設定に関わって諸国を脅しているのだから。ここまで他国に迫り続けてきた「自由主義経済の旗手」が聞いて呆れる所業の数々だ。
 さらには、14年にウクライナ問題によってG8から追い出されたロシアがBRICS強化に励み、そのG7はウクライナ、イスラエルを熱烈擁護している。この二つの戦争では、諸国に憎しみ合い・分断の連鎖がどんどん増幅されていく真っ最中だ。
 こうして、世界諸国の経済分断、友好分断、ブロック化が異様に進んでいるが、「世界の経済分断は、戦争前夜、戦争の前提」ではなかったのか? この命題は、二つの世界大戦などから人類が痛切に学んだ遺訓だったはずだ。世界一致の場・国連は、あからさまに無視され始めている。ちなみに、イスラエルが国連職員を何百人も殺しているというのは、世界周知の事実である。国連のような組織が強化されねば、地上から戦争はなくならず、核兵器使用の恐怖も増すばかりというのも、人類が20世紀に学んだ教訓だった。

 と、こんな歴史知識はとうにご存じのはずのマスコミも、世界の感情的分断をどんどん増幅させているやの昨今である。世界史的知識など端から期待できぬ最近の貧素な政治家らはいざ知らず、昨今のマスコミは「世界分断・憎しみ合いの連鎖」を無自覚に報道、増幅するばかりしていてよいのであるか?

 ここでもう一つ、気になる世界分断をあげたい。宗教分断もどんどん強化されているのではないか? トランプの支持者最大勢力の一つがキリスト教・福音派だということは、今や世界の知る人ぞ知っている。福音派もユダヤ教徒も信じている旧約聖書とイスラム教徒との分断が「影で進められている」のではないか。それも意外に深く深く。トランプの最大助言者・娘婿クシュナーは、イスラエルの熱烈支持者だとも聞いているし。宗教者こそ、世界分断に抵抗すべき存在だと思うのだが。人間を神の似姿と見るならば。なおさらのことではないか。

 今人類は、20世紀二つの世界総力戦と、国連創出とから生み出された歴史的教訓を改めて思い出すべき時である。
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イランなどアラブの命運に関わって   文科系

2025年01月04日 13時50分56秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 新年おめでとうございます。長いエントリーなしへのお詫びとともに、そう申し上げます。

 探していた内容の記事が見つかった。パレスチナ関連のシリアに関わる記事だ。以下の記事は、イランを含んだアラブの命運などがうかがわれるものだ。
「マスコミに載らない海外記事」のニュースを見ていると、シリア崩壊の状況がやっとよく分かった気がする。アサドらの「裏切り」というその背景に始まる、シリア一司令官の「シリア崩壊とこれから」についての談話は、現在深刻すぎるパレスチナがらみでもあって、世界が知るべきことと思った。この司令官の名前は伏せられて、ラムと言う偽名が使われているが、その一部を抜粋しよう。西側の記事では、パレスチナ、ウクライナの情勢は全く何も分からないと教えてくれたものである。


『 ソレイマニ、ライシ、ナスララ。誰かが裏切ったのだ

 「2020年に、私が若い兵士として知っていたソレイマニ将軍(イランの革命防衛隊司令官だったが、イラク政府に招待されたバクダッド空港でドローンで爆破暗殺された)がアメリカの悪魔に殺された時、何かがおかしくなり始めているとすぐに感じた。彼は単なる将軍以上の存在だった。彼は真の人間で、指導者で、生きた模範だった。残念ながら、彼の後、抵抗枢軸には、様々な国や宗教や民族の何千人もの兵士を同じように調整できる兵士がいなかった。これは非常に大きな戦略的不利だった。」我々は抵抗枢軸の歴史を簡単に振り返り、中東全体への地政学的影響について一緒に考えた。

 「ライシ(去年5月になくなったイラン大統領)の死を聞いた時、信じたくなかった。あり得ないことのように思えた。その瞬間から、全てが悪化していった。私は毎日、更に恐ろしいことが起こるかもしれないという恐怖を抱きながらニュースを見ていた。そして実際に起きた。ヒズボラとハマスの指導者全員が次々と殺害されたのだ。」それは悲劇的真実で、私にはそれを確認することしかできなかった。

 敵がレバノン抵抗軍の軍事指導者を次々抹殺した速度は信じられないほどで、CIA、MI6、モサドなどの機関が素晴らしい仕事をしたことを証明している。これは議論の余地のない事実だ。数か月間に、中東の政治地理全体が、何年も試みても成功しなかった変化を経験したのだ。

「ナスララ(レバノンのシーア派組織、ヒズボラの書記長。去年9月イスラエルの空爆で死亡と、発表された)のバンカーの座標を知っているのは誰だ? おそらく世界で3人、ハメネイ、ソレイマニ、アサド。ハメネイは裏切るくらいならライフルを手に死を覚悟しているはずだ。ソレイマニは既に排除されている。残るのは一人だけだ…」。この言葉を聞いて私は口をあんぐり開けた。この司令官は大統領の悪口を言ったことはなかったが、政治的に全てを支持しているわけではないことは知っていたが、国全体の利益のために常に指導者の戦いを支持していた。怒り、失望、痛みが真実の言葉を引き出した。賭けではあったが、真実だった。

 なぜなら、未解決の大きな疑問の一つは一体「誰が」ナスララの正確な居場所を明かしたのかということだ。諜報員? スパイ? 金で手に入れた情報? それとも裏切り者? 事実ナスララはもういない。そしてラムの言葉によれば、これは次に陥落するのはレバノンで、その結果、パレスチナは世界中に散らばった最後のアラブ人の記憶の中にしか存在しなくなることを意味する。

 「数日のうちにシリアは陥落した。なぜならシリアは既に国を裏切った支配者連中の意のままに陥落していたからだ。7万人の兵士が数時間で移動し、軍用車両ではなくタクシー(高額な費用がかかる)に乗ってイラク国境に向かった。全て計画通りだった。この侵攻で銃弾は一発も撃たれなかった。これは私が知るシリア軍ではない。この『もの』は品位のない倒錯だ」

 彼は後ろの写真を指差した。軍服を着た兵士がちらり見えた。兵役に就いた際に両親に送ったはがき写真の一枚だ。「あそこの22歳の青年を見てくれ。喉を切り裂いたんだ」。彼は数分間固まり目には涙が浮かんでいた。それは彼の親しい友人の息子だった。
  
これから何が起きるのだろう?

 ラムは、これからの数日、数週間、数か月について話す気はない。アラブと世俗シリアは、もはや存在しない。敗者の言葉にはほとんど価値がない。

 「最近、考えられないようなことが起きている。とても生々しいことなので、このことについてメディアは何も報道していない。70年間の民族的、文化的、宗教的憎悪を想像願いたい。彼らは報復しているのだ。この言葉を発するのは、ほとんど恐怖だ。彼にはイスラム教聖職者の兄弟や甥や姪が何人かいるのを思い出し、少し心配しながら、彼らはどうなのかと尋ねると、彼はこう答えた。「親族をシリアから連れ出そうとしているが、12月8日以来、連絡すら取れない。あの土地の何千人もの人々が受けている悲劇だ。」

 約一時間続いた会話の締めくくりに、ラムはあえて、ほぼ「予言的」予想をした。「私はこう言いたい。昨日はパレスチナ、今日はシリア。明日はレバノンが永久に陥落する。そしてイエメン。イエメンとレバノンが陥落したら次はイランだ。その間には何も残らない。イラクはアメリカ武装集団に包囲されたガソリンスタンドで、簡単に陥落する。トランプ大統領はイランを破壊する準備ができている。既に諜報機関はこれを知っている。ハメネイが死ねば、イランは崩壊する。」数秒の沈黙。ハメネイは、最後に残った「世界的」イスラムの権威で、抵抗枢軸最後の後援者だ。

  「次はロシアの番だ。過激主義の匂いを漂わせた何百万人ものスンニ派イスラム移民が既にロシア都市の街頭にいる。無差別に入国させた国は、その悪影響を味わうことになるだろう。次はローマの番だ。その次は北京の番だ。『長ひげ』連中が赤の広場やサン・ピエトロ広場に行進してくる日を私は待っている。その恐ろしい日が来る前に死にたい」』
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慰安婦問題、当時の当局文書二通   文科系  

2024年11月26日 02時44分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 名無し君がまた相変わらず、「慰安婦は普通の売春婦」などとコメントしてきたから、このことについての旧稿を載せることにした。以下2通いずれも「従軍慰安婦」に関わる当時の当局文書である。

『 慰安婦問題の当時の政府文書二通   文科系
2018年01月27日 07時28分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 日朝関係史、南京虐殺と続けてきましたから、慰安婦問題でもある決定的資料をそのまま再掲しておきましょう。以下の文書には、強制のことも軍がこのように認めています。このように。

『故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ』


【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』

 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】


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南京大虐殺の史実   文科系

2024年11月25日 12時11分30秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 名無し君があまりにも酷い擁護、弁解を繰り返すから、南京と慰安婦について、旧稿を再掲します。慰安婦は明日、当時の軍部通達、二文書を紹介することになります。

南京虐殺史実の決定版   文科系
2019年09月14日 15時30分47秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある。
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

【 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍である。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。】


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”ウクライナ戦争のオカシサ”、解禁   文科系

2024年11月01日 14時46分14秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 これは、去年の九月、「ウクライナ反転攻勢」が大々的に喧伝・報知されていたときに書いたもの。その後これ大大失敗に終わって、新たにウクライナ側がロシア領に進出し始めたものだ。この戦争はどう見てもおかしい。当然ロシアも酷いのだが、これに対するG7の対応が狂気に近いものに見える。「兵器はどんどん出す。兵士をどんどん募集してくれ!」などとけしかけるのは、G7以外の国々に支持などされるわけがない。2023年09月07日に書いた物に、後の筆を加えた。

 外務省の元国際情報局長・孫崎享氏がその「つぶやき」ニュース紹介に、去年秋頃から「この戦争の本質を疑い、怪しむ」世界ニュースが多くなったその文章一部を以下に紹介してみよう。ウクライナ戦争についての「ロシア残虐」、「ウクライナへのエール・賛美」、「G7とアメリカの支援賛美」について、日本の情報はアメリカ以上に「賛美」ばかりだったのが、変わって行く雲行きに。こんな今は、この戦争の最初のころに台中戦争に結びつけられて日本軍備が急に進んだことをも思い出している。台中戦争は米中戦争にもなるから、あきらかに「こういう世論操作」をす日本に根強く日本に根強く存在していたのである。NHKも含めてのことと、僕には思える。他方で、少数だが、この戦争をアメリカが2014年政変以前から永年かけて人為的に作り出したと述べる人々もいる。佐藤優、鈴木宗男、東欧関連専門学者らを含めて、東欧情勢に通じている人々の中に「ロシアがアメリカに引っ張り出された戦争だ」と。

『 日本にもとうとうこういう報道が出始めたか。「ウクライナ支援に反対が過半数 揺れる米の“潮目”(TBS NEWS)“ウクライナを支援する予算を承認すべきでない”。これに米国民の55%が賛成したのだ。民主党支持者でも38%。共和党支持者71%がウクライナ支援に消極的  2023-09-07 06:405 』

『 ウクライナ国防相を交代。後任のウメロフ氏はタタール系、元投資銀行家。ロシアとの穀物交渉に従事。戦争の真最中、非軍人の国防相就任は通常は不可思議。主要理由は汚職関連。米国で対ウ軍事援助制限の動き。その論拠がウ軍汚職、米国先週汚職撲滅に向けウ高官3人と会談。2023-09-05 07:29 』

 ちなみに、ノルトストリーム2の完成寸前にこの海底石油パイプ爆破(後に、ウクライナがやったことと判明)によって西欧にロシア石油が無期限に来なくなったり、対ロシア制裁(ロシア海外資金没収も含めて)、円安などで、アメリカの「石油=ドル」体制は莫大な利益を上げている。さらに因みに、イラク戦争の時は「アメリカへの制裁」などは全く問題にもならなかったはずだ。アメリカだけは戦争をしかけても避難の外、許容される例外であると証明されているわけだ。ということが分かっているから、G7以外のインドや南米、グローバルサウスらが国連ロシア非難決議に賛成しないのである。世界各国におけるアメリカ、G7の信用こそ、これからもっと地に落ちていくはずだ。

 戦車対策や制空権含めて、準備期間を十分に使った万全のウクライナ東部ロシア防御体制・塹壕に突っ込んで、突破の見込みなど、最初からなかったのである。なのにずっと「東部占領地へのウクライナ反転攻勢」が大々的に宣伝されていた。これが到底無理と分かったからこその、「ウクライナ西部に近いロシア領をウクライナ占拠」へと世界の目が向けられて来たわけだ。「ウクライナ結構やるわい」という方針なのだろう。が、これからさらにウクライナの若者を何十万人殺していくのか? こんな戦争を導いておいて、自国はどんどん保護貿易主義を取っているアメリカ。株主・株価資本主義の軍事拡大路線終末期として、こういうアメリカ賛美・再興路線という本質が暴露された戦争なのだと僕は考えている。ちょうど、暴虐イスラエルをアメリカが擁護し続けているのと同じ背景があるのだろう。

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「聖徳太子は日本人ではなかった」  文科系

2024年08月28日 15時11分43秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 この文章は、網野善彦元名古屋大学助教授「歴史を考えるヒント」(新潮文庫)の冒頭部分の要約である。日本という「国号」、日本人という「国民」、その決まりに関わる「国の法制」などの歴史上の理解がいかに難しいかという事を示す好例となる記述なのだ。表題のように述べ、その説明をすると屁理屈のようにも聞こえるが、意外に大事な議論と思う。

 先ず初めに結論。日本という概念がきちんと決まったのは、天武天皇が編纂を開始し、その皇后・持統が689年に施行した浄御原令(きよみはらりょう)においてのことであるというのが、大方の学者の認めるところである。そこで倭国が日本国に換わって、遣唐使も中国に対してそう名乗り始めた、と。聖徳太子は6~7世紀の人だから、この法令前に死んでいて、この概念は用いられない。

 というように、そもそも国号、その領土、国民の歴史的論議自身が大変難しいものなのである。上記結論には今から見ればさらに、こんなことも付け加わってくる。
 この浄御原令当時には、東北北部、九州は日本の国土とさえ言えなかったと。つまり、そこの住民は、まだ日本人ではなかったのである。という記述もこの本にはあった。よって、これらの土地の住民には、天皇などいなかったことになるとも。
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「ウクライナ戦争をめぐる『が』について」 文科系文科系

2023年12月21日 10時55分10秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 これも旧稿再掲だが、大事なことだから、載せる。こういうミスは、学者としては致命的なもの。学者とはそう言うもので、過去論文から引用して自説を補強するというのも、学者としての積み重ねなのである。

『 小泉悠論文に一言  文科系
2023年09月16日 08時23分26秒 | #ウクライナ戦争#マウリポリ陥落#アゾフ大隊

 岩波の雑誌「世界10月号」に、ウクライナ問題で小泉悠の論文「ウクライナ戦争をめぐる『が』について」が載った。この雑誌に多い「ロシアの侵攻は大きすぎる罪だ『が』・・・」という内容の論文を意識して、この「が」を批判するものだと言って良い。「大罪だが・・」などと前置きしてあれこれと語るのは、ロシアの罪を軽減しているとの批判と言えよう。以下は、彼の論文の骨格に関わる部分に、アメリカの過去について重大過ぎる見落としがあると指摘したい。この見落としによって小泉の論議の骨子が、米ロ比較で冷戦後最大の戦争犯罪国、米の罪を減じたことによって、ロシアが冷戦後世界で唯一最大の誤りを犯した国になっている。
『アメリカという、時に残虐性を孕んだ戦争を行う大国との同盟に関して倫理的な忌避感はないではないが、少なくともアメリカは民間人を無差別に殺傷する戦争を過去半世紀にわたって行っておらず、まして占領地域の住民を選別キャンプに集めて拷問・レイプ・殺害するような行為にも(少なくとも冷戦後には)及んでいないという点では、現在のロシアと全く同列に論じるべき存在でもない』(同誌52ページ)
 この一文を読んだ時にすぐに大きな疑問が浮かんだ。この論文全体の論理の筋における骨格に当たる部分への疑問だから、この疑問は大きい。
 まず、アメリカによる民間人無差別殺傷だが、史上有名な例が存在する。ウイキリークスでこれをすっぱ抜いたからこそジュリアン・アサンジは米政府に執拗に追いかけられた末に、終生監獄の憂き目に遭うことになったのではなかったか。米ヘリコプターからのイラク人無差別射殺映像を世界に流したのだった。というほどに、アメリカは自らの民間人無差別虐殺を世界史から意図的計画的に隠してきたのである。
 また、キューバ・グァンタナモ基地における、中東の人々の監禁、拷問はつとに有名な話ではなかったか。
 この二つを無視して上のように語るのでは、小泉氏語るところの「が」への反論は、あまりにも弱いものになるというべきだろう。と、このように僕が述べたとしても、ロシアによる民間人無差別虐殺や選別キャンプ・拷問を許すものではないというのは、言うまでも無いことだ。ただし、「少なくとも冷戦後に」もしそれがあればの話だが、ウクライナ戦争でこのことが世界白日の下に証明されたということではない。ブチャの大虐殺なるものも、アメリカのイラク一般市民への機銃発砲・虐殺のような場面そのものが証明されたわけではないのである。ちなみに、自らの虐殺を上記のように組織的・大々的に隠してきたアメリカは、他国による虐殺などはいくらでも作り、宣伝してきたと覚えてきた。
 
 なお、上記「米ヘリコプターからのイラク人無差別射殺映像」には、このような証拠もある。2010年4月7日に出た「2007年米軍ヘリによるロイター記者とイラク市民銃撃映像」だ。その映像に付いた文章は、以下のようなものだった。
『米軍ブラボー2-16部隊の元隊員に聞きます。ウィキリークスが公開した軍所蔵ビデオにある、ロイター従業員2人を含む12人の死者を出した 2007年の米軍ヘリによるイラク民間人爆撃事件は、米軍部隊のブラボー2-16が起こしました。
この部隊に所属していた帰還兵ジョシュ・スティーバーは「このビデオの兵士たちを直ちに非難したり批判するのが自然なことでしょう。でも、彼らの行動を正当化するわけではありませんが、軍隊の立場からいえば、彼らは訓練された通りに行動したのです・・・もしこのビデオを見てショックを受けるのなら、より大きなシステムを問題にするべきです。なぜならば、兵士たちの行動は、このように行動せよと訓練されて行ったことだからです」
 
 



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旧稿の再掲「ウクライナ戦争」  文科系

2023年12月12日 06時08分40秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 ウクライナ戦争がやっと終結に向かい始めたように見える。そこで、今一度この戦争についての僕の見方を提示し直したいと思う。旧稿の再掲だが。・

「ウクライナ戦争の起こり方」総集編   文科系
2022年05月04日 12時58分50秒 | #ウクライナ戦争#マウリポリ陥落#アゾフ大隊

 ウクライナ戦争の起こり方について改めて総集編をまとめてみる。以下の歴史的経過は、アメリカ発ニュースで覆い尽くされている西欧、日本マスコミ社会ではほぼ無視されてきたものと言える。これらの経過の無視がどうして起こっているかを論じたものも併せて紹介する。これはちょうど嘘の理由で始まったイラク戦争に本当の理由が別に存在したのと表裏の関係になるだろう。と言っても、プーチンの世界史的戦争犯罪が軽減されるわけでは全くない。これはイラク戦争が国連(総長)によって真っ向から非難されていたのと同じ理由であるはずだ。
 
 二月二四日に始まったロシアのウクライナ侵攻は、人類戦争史を半世紀前に戻したような酷い蛮行と観る。アメリカは二一世紀に入ってもこの野蛮を繰り返しているが、それ以外の大国のこんなあからさまな戦争は近年珍しいからだ。それだけに、戦争嫌いの僕はこの戦争までの彼の地の紛争経過を知りたくなった。この地の紛争と言えばまず、二〇一四年ウクライナ東南部を巡るロ・ウの暴力応酬、戦闘にまで遡らねばならない。
『(二〇一三年から一四年にかけての反政府運動において)二〇一四年二月に突然、暴力革命の様相を帯びるに到り、ヤヌコビッチ(二〇一〇年の選挙でウクライナ南部、東部を基盤として選ばれた同国大統領)は国外逃亡に追い込まれます。その背後の事情は明らかではありませんが、整然たる市民運動のなかに過激な暴力を持ち込む極右勢力が紛れ込んだようであり、そのなかにはネオナチ的な人たちもいたようです。このような「マイダン運動」の暴力革命化は、ロシア語系住民の多いクリミアやドンパス二州の住民を刺激し、前者のロシアへの移行、後者における「人民共和国」樹立を引き起こしました。これは国家秩序の非立憲的な変更であり、諸外国から強く非難されました。もっとも、当事者たちからすれば、その前にキエフで非立憲的な暴力革命があったということが正当化根拠とされるわけです』(月刊誌「世界 五月号」の塩川伸明東大名誉教授「ウクライナ侵攻の歴史文脈と政治理論」)
 次いでこの時の状況を、岩波新書「アメリカの制裁外交」(杉田弘毅元共同通信論説委員長、現在国際ジャーナリスト著。二〇二〇年二月第一刷発行)から、紹介する。以下のこの事件によってロシアがここから追放され、G八がG七になったのである。
『(二〇一四年の)クリミア併合とその後の(ロシアへの)制裁は、ロシアと米国の関係を決定的に悪化させ、中ロを接近させた。その結果、北方領土返還の道筋も見えなくなった。地政学的に大きなインパクトを持つ対ロシア制裁とはどんなものなのだろうか。
 クリミア半島は帝政ロシア時代の一九世紀から保養地として知られ、ロシア系住民が六〇%を占め、ウクライナ人は二五%と少数派だった。黒海に突き出ている半島にはロシア黒海艦隊の基地があり、ロシア海軍が地中海に出る戦略的要衝である。(中略)
 ウクライナでは二〇一三年一一月から親ロシアのビクトル・ヤヌコビッチ政権への激しい市民デモが起こり、翌一四年二月には政権が崩壊。これを受けて親ロシア派の武装勢力がクリミア半島の議会や空港を占拠し現地の政治権力を奪取し、さらには半島全域で行われた住民投票で九六・七七%がロシアへの編入を支持し、欧米が猛反発する中、三月一八日プーチンはクリミアの編入を宣言した』
この後のことについては、この三月二四日の朝日新聞に、元国連難民高等弁務官事務所職員、千田悦子氏がこういう文章を寄せていた。
『一四年以降のドンパス地域は、ウクライナ政府の非制御地(NGCA)と制御地(GCA)との境界線を中心に戦闘が常態化し、人々が西へ逃げていた。親ロ派によるロケット弾発射や発砲、それを迎え撃つウクライナ軍の砲撃戦で、家や学校、病院、公共施設などが破壊されたそれらの修復を初めとするプロジェクトの進行調整を私は担当した。日中、砲弾の音を間近に聞きながら仕事をする日もあった・・・・ロシアの歴代大統領が恐れてきたNATO拡大についてロシアの言い分を聞きつつ、今後の緊張を緩和する方向性をNATO全体で探る必要があるのではないだろうか』
  この境界線戦闘によって以降一九年までに双方一万人を超える死者が出ているという資料もあったうえで、今年二月二四日のロシア侵攻である。ついてはこの侵攻直前まで、こういう事実があったと明記しておきたい。ウクライナの大統領はあくまでもNATOには加盟すると、それでも「ロシアは攻めて来ない。来るという人はその証拠を見せて欲しい」と表明し続けていた。なぜ、どういう根拠でこの表明があったのか。
BSフジ・『プライムニュース』三月二八日放送」のネット記事から、真田幸光 愛知淑徳大学教授の見解を以下に紹介してみよう。三菱UFJ銀行出身の国際金融学者である。
【 英米が真に狙うはロシアの先の中国叩きか。日本は慎重に様子見を
(前略)
新美有加キャスター 国際的な信用を落としてまでも各政策を行うプーチン政権。経済的にはどういう利益が出るものですか。
真田幸光 基本的にはない。むしろ、そこまでロシアが追い込まれ、貶められている。
反町理キャスター プーチンがそうするように仕向けていると。その主体は誰ですか?
真田 英米だと思います。今の覇権争いにおけるアメリカの一番の敵は中国。中国とロシアがくっつくことは極めて怖い。まず、ロシアの力である資源と軍事力を徹底的に落とす。最近の国際金融筋は、ウクライナ問題においてプーチンの力がかなり落ちていると見ている。そろそろ落としどころを探し、金融で中国の首を絞めることが始まるのでは。
反町 なるほど。ロシアに対して英米は、経済制裁や国際世論、武器供与も含めて追い込み、プーチン大統領が愚策を打たざるを得ないようにした。すると、武力をもってウクライナを救うつもりは最初からなく、ロシアを潰して中国を叩くことに向けたステップとしてウクライナ侵略を見ていたと聞こえるが?
真田 そう申し上げました。ウクライナが、そして大陸ヨーロッパが踊らされた部分が結構あるのでは。
反町 怖い話だ。畔蒜さんは?
畔蒜泰助 笹川平和財団主任研究員 これまでの米露の交渉を見ると、アメリカはロシアがウクライナに侵攻する危険性を相当感じていて、かなり警告をしたと思う。一方、私が知っているロシア人の専門家は皆、ウクライナへの侵攻などあまりにも愚策でやるはずがないと言っていた。今は当惑している。プーチンにはもっと別の手もあった。
反町 英米が本当に睨んでいるのがロシアの先の中国であるとすれば、日本はどのようについていけばよいのか。
真田 難しい。日本最大の同盟国はアメリカで、価値観の共有という意味できちんと合わせる必要があるが、先んじて対露制裁や中国への何らかの動きをし過ぎると、はしごを外される危険性がある。また場合によっては、世界の中でかなりの実体経済を握る中国の側が勝つ可能性もある。どう転ぶかわからず、とりあえず様子を見るのが生き延びる手だて】
  戦争嫌いの僕は例によって、この戦争を起こしたプーチン・ロシアを今でも、どれだけでも非難する。だからこそそれだけでは済まず、一般マスコミ物の他にもここまでの詳しい経過などをいろいろ読むことになった。そこで出会ったのが「プーチンもウクライナも英米によってこの『あまりにも愚策』へと追い込まれた」論なのである。すると、これを傍証するようなものをどうでも探したくなって、やっと一つ見つけた証拠が、これだ。
『「ヤツェニュクには政治と経済の経験がある。クリチコが入るとうまくいかないだろう。国際的に信頼されている人物を招いて一役買ってもらえるといいが・・・」
 政変のさなか、アメリカのヌーランド国務次官補とキエフ駐(ちゆう)箚(さつ)のパイアット大使のふたりが、この政変を支持し、暫定政権の人事について電話で話し合う様子がリークされたエピソード(BBC、二〇一四年二月七日)も、いまでは忘れられた感がある。
 果たしてその後、ふたりが描いた筋書きどおり、クリチコはキエフ市長になり(プロボクシングの元世界チャンピョンで、ロシア軍と戦う現キエフ市長である)、ヤツェニュクはマイダンで開かれた勝利集会で〝革命〟政権の暫定首相に指名される。』
 この文章の出典は、月刊誌「世界」四月臨時増刊号「続・誰にウクライナが救えるか」。二〇一四年マイダン革命当時のウクライナ政権人事をアメリカが握っていたと示されている。筆者はエコノミスト・西谷公明氏。早稲田の大学院を出て、長銀総合研究所、ウクライナ日本大使館専門調査員、その後トヨタロシア社長という経歴の東欧専門家である。


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ケネディ、アナン、習近平の国連「理論」   文科系

2023年10月29日 06時57分32秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このウクライナ戦争でも、国連は大きな役割を二つ果たした。一つは、マリウポリ・アゾフスターリ製鉄所落城時の人道回路の成功。この時、実質人間の盾だった一般人の解放だけでなく、「ネオナチ」司令官らの解放もあって、彼らは最近捕虜として囚われていたロシアからトルコ経由でウクライナに帰還した。今一つは、二国の穀物輸出。今は頓挫しているが、制裁が原因で代金支払いがないロシアが「欺された」といって離脱したから。さらには、国連という場でこそ当事者が話し合いの場を持てていることは意外に重要なことだ。


 さて、ここに多く訪れた右の方々と話していて、つくづく感じたのがこのこと。国連を語らない、国連が20世紀人類に初めて生まれた世界平和目的の組織だということさえ知らない。その上で国防を語るから、国防論も9条(改定)問題も、未来に向かうほど大穴開いた議論になる。これに反論してこちらが国連を語ると、相手の応えはこうだ。
「無力すぎて話題にもできない」
「常任理事国に拒否権があって、何も決まらないではないか!」
 例えばこのたび国連に出席したゼレンスキーも同じように「(ロシアの)拒否権」を嘲笑う演説をしたが、この拒否権の果たす大きな意味も、考えたことがないのだろう。何よりも、第二次大戦は日独が当時の国際連盟を飛び出す事態になって初めて起こったもの。「対話の決裂に到ってさえ、あくまでも同席の集団外交討論場を重視する」ことが大事なのだ。

 何よりも先ず、米ケネディ大統領の61年国連総会演説を思い出すべきだ。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』


 次いで、イラク戦争勃発時のアナン事務総長の演説。ウクライナ戦争を今改めて考えるためにも、この演説内容は重要だ。2003年9月23日第58回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋だ。
「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された1945年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去58年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」

 次いで、中国がいかに国連を重視しているかというその思想。15年9月28日の習近平国連演説から、その末尾を抜粋する。
『ここに、私は以下の点を宣言いたします。中国は期間10年、総額10億ドルの中国・国連平和発展基金を創設し、国連の取り組みを支援し、多国間協力事業を促進し、世界平和と発展のために新たな貢献を行う旨を決定しました。中国は新たな国連平和維持力待機メカニズムに加わり、そのために常設編成平和維持警備隊を設置し、8000人規模の平和維持待機部隊を組織することを決定しました。また、中国は今後5年間に、アフリカ連合に対し総額1億ドルの無償軍事援助を提供し、アフリカ常備軍と危機緊急対応部隊の設置を支援することを決定しました。
議長とご列席の皆様
国連が次なる10年を迎えるに当たって、私たちはいっそう緊密に団結し、手を携えて協力・ウインウインの新パートナーを作り、心を一つにして人類運命共同体を築こうではありませんか。「剣を溶かして鋤と為し」、二度と戦争を起こさないという理念を深く人々の心に植えつけ、発展と繁栄、公平と正義の理念が広く実行されるようにしていきましょう!
ご清聴ありがとうございました。』

 こう言うとここの右の人々は笑い出すのだが、僕は真面目に述べてきた。日本の戦国時代は、徳川幕府の(警察権の)日本統一で終わり、以降300年の平和が明治以降の日本発展の礎となったが、世界も同じ事。今米中が国連警察軍一本で結集できれば、地球から戦争はなくせるのだ。ケネディとアナン、習近平というここまで三者の国連構想もそういうものだったと確信している。


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日本右人士の盲点・国連  文科系

2023年10月01日 09時17分33秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このウクライナ戦争でも、国連は大きな役割を二つ果たした。一つは、マリウポリ・アゾフスターリ製鉄所落城時の人道回路の成功。この時、実質人間の盾だった一般人の解放だけでなく、「ネオナチ」司令官らの解放もあって、彼らは最近捕虜として囚われていたロシアからトルコ経由でウクライナに帰還した。今一つは、二国の穀物輸出。今は頓挫しているが、制裁が原因で代金支払いがないロシアが「欺された」といって離脱したから。さらには、国連という場でこそ当事者が話し合いの場を持てていることは意外に重要なことだ。


 さて、ここに多く訪れた右の方々と話していて、つくづく感じたのがこのこと。国連を語らない、国連が20世紀人類に初めて生まれた世界平和目的の組織だということさえ知らない。その上で国防を語るから、国防論も9条(改定)問題も、未来に向かうほど大穴開いた議論になる。これに反論してこちらが国連を語ると、相手の応えはこうだ。
「無力すぎて話題にもできない」
「常任理事国に拒否権があって、何も決まらないではないか!」
 例えばこのたび国連に出席したゼレンスキーも同じように「(ロシアの)拒否権」を嘲笑う演説をしたが、この拒否権の果たす大きな意味も、考えたことがないのだろう。何よりも、第二次大戦は日独が当時の国際連盟を飛び出す事態になって初めて起こったもの。「対話の決裂に到ってさえ、あくまでも同席の集団外交討論場を重視する」ことが大事なのだ。

 何よりも先ず、米ケネディ大統領の61年国連総会演説を思い出すべきだ。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』


 次いで、イラク戦争勃発時のアナン事務総長の演説。ウクライナ戦争を今改めて考えるためにも、この演説内容は重要だ。2003年9月23日第58回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋だ。
「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された1945年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去58年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」

 次いで、中国がいかに国連を重視しているかというその思想。15年9月28日の習近平国連演説から、その末尾を抜粋する。
『ここに、私は以下の点を宣言いたします。中国は期間10年、総額10億ドルの中国・国連平和発展基金を創設し、国連の取り組みを支援し、多国間協力事業を促進し、世界平和と発展のために新たな貢献を行う旨を決定しました。中国は新たな国連平和維持力待機メカニズムに加わり、そのために常設編成平和維持警備隊を設置し、8000人規模の平和維持待機部隊を組織することを決定しました。また、中国は今後5年間に、アフリカ連合に対し総額1億ドルの無償軍事援助を提供し、アフリカ常備軍と危機緊急対応部隊の設置を支援することを決定しました。
議長とご列席の皆様
国連が次なる10年を迎えるに当たって、私たちはいっそう緊密に団結し、手を携えて協力・ウインウインの新パートナーを作り、心を一つにして人類運命共同体を築こうではありませんか。「剣を溶かして鋤と為し」、二度と戦争を起こさないという理念を深く人々の心に植えつけ、発展と繁栄、公平と正義の理念が広く実行されるようにしていきましょう!
ご清聴ありがとうございました。』

 こう言うとここの右の人々は笑い出すのだが、僕は真面目に述べてきた。日本の戦国時代は、徳川幕府の(警察権の)日本統一で終わり、以降300年の平和が明治以降の日本発展の礎となったが、世界も同じ事。今米中が国連警察軍一本で結集できれば、地球から戦争はなくせるのだ。ケネディとアナン、習近平というここまで三者の国連構想もそういうものだったと確信している。


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何度目かの「慰安婦、当時政府の2文書」   文科系

2023年09月27日 01時03分01秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 以下も、このブログで定期的に載せている報告、歴史文書の紹介。14年9月22日に当ブログ初出以来、続けて来たことだ。長い安倍政権の下で歴史修正主義が押し出され、過去の悪行を帳消しにしようとの企みが絶えなかったからだ。「第二の戦前」などと一部で言われている昨今、当時を思い出すことは必要になるばかりと考えて・・・。

 『 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

「 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署  」


「  本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。

まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス 」

 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。 』
 
 
 存在した歴史事実をない事にするとか、それが難しいと分かると、こう応える。「当時はどの国でもあったこと。合法だったのだ」。過去に目をつぶるものは、また同じような過ちを繰り返すようになっていくものだ、何度でもそう強調したい。「過ちを繰り返す」というのも、例えば或る有力者がすべてを意図してやったとかいうのではなく、「集団による成り行きでそうなっていった」という人間疎外現象の方が多いものなのだろうが。
 
 
 
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何度目かの随筆  右の人々の戦争哲学  文科系

2023年09月26日 09時55分12秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。・・・以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。

 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。
 これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。


 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこういうものだ。「このような闘争本能戦争論は誤りである
」「戦争をめぐって存在するものは戦争の歴史しかない」「戦争史では戦争はどんどん減ってきたばかりではなく、二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれた」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。

 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。


(2016年1月の同人誌に初出)
 
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何度目かの 「南京虐殺の史実」  文科系

2023年09月25日 19時38分06秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 
「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある。
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)

 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

【 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。

大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。なんせ、上の手記にあるように師団長すら虐殺の全貌は知らないのだから。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍である。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。】
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ウ戦争が続けられない諸様相  文科系

2023年09月22日 00時03分33秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

  ウクライナ戦争の終わりがなぜか急に、見えてきたのではないか。いくつかの理由から、そう思う。

・第一は、9月上旬にあったG20インド会議の共同宣言にウクライナ問題が扱われなかったこと。これに関連して、G20国の中から、BRICSにサウジとアルゼンチンが新たに加盟したこと。そのBRICSから、ブラジルと南アなどグローバルサウス代表が以下のように述べて、停戦交渉に前のめりになっていること。

・ゼレンスキーが初めて実際に出席しておこなった国連総会演説に、世界が意外に冷めていたこと。これは上記を踏まえてのものだと思う。新聞はこんな情報も伝えた。
『「和平を達成することの難しさを過小評価するつもりはない。だが、対話に基づかない解決策はいつまでも続かない」。グローバルサウスの代表格であるブラジルのルラ大統領は演説で、和平交渉の開始の必要性を強調し、米欧による軍事支援を念頭に「大金が開発にはほとんど使われない」と不満も示した。ロシアとの関係が深い南アフリカのラマポーザ大統領も、紛争や開発などアフリカ大陸が抱える課題に演説時間の多くを割いた。』(毎日新聞)

・世界から支援を受けているウクライナにおいて、その支援自身に関わって大変な不祥事が生じている。先に、各省の徴兵責任者が全員解任された上に、この度6人いる国防次官が全員解任されたこと。これではゼレンスキーの国連総会演説にもかかわらず、ほとんど彼だけが丸裸で戦っているも同じではないか。

アメリカ国民の55%がウクライナ戦争支援予算に対して不承認という調査結果も出てきた。これに加えて、来年の米大統領選挙は、新春に両党の候補者選び各州選挙が始まり、夏には両党の候補者選び全国大会があるのだ。


 最後に、「1か月後には雨期に入るから、それまでに東南部戦線で決着を」というアメリカの猛烈すぎる発破に対して、ウクライナ軍部がこんな応答しかできないことが付け加わる。
『ウクライナ国防省のブダノフ情報総局長はイギリスの「エコノミスト」誌のインタビューでロシアとクリミア半島をつなぐ陸上の補給路を遮断する作戦が冬の前に実現するかもしれないと語りました』
「作戦が冬の前に実現するかも知れない」? 

 これから、ウクライナ(南東部戦線)で人が死んでいく程に、兵器を送り込んでいるNATOが批判されることになっていくだろう。ウクライナの戦死者について西欧で何の発表もないのも意図したものと思われてならない。このままでは、来年の米大統領選挙における共和党からの民主党攻撃に政権が耐えられないと考えるのが普通ではないか。異論を排してまで「ウクライナ正義」一色だった日本マスコミも、これから急に変わっていくのではないか。

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”ウ戦争のオカシサ”、解禁   文科系

2023年09月07日 12時27分30秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 外務省の元国際情報局長・孫崎享氏の「つぶやき」に、最近「この戦争の本質を疑う」世界ニュースが多くなった。ウクライナ戦争についての日本の情報はアメリカ以上に「賛美」ばかりだったのが、変わって行く雲行きに。こんな今は、この戦争の最初のころに台中戦争に結びつけられて日本軍備が急に進んだことをも思い出している。あきらかに「こういう世論操作」をする一大勢力が存在していたのである。NHKも含めてのことに、僕には思える。他方で、少数だが、この戦争をアメリカが人為的に創出したと疑う識者も多かった。佐藤優や鈴木宗男を含めて、東欧情勢に通じている人々の中に「ロシアがアメリカに引っ張り出された」と。

『 日本にもとうとうこういう報道が出始めたか。「ウクライナ支援に反対が過半数 揺れる米の“潮目”(TBS NEWS)“ウクライナを支援する予算を承認すべきでない”。これに米国民の55%が賛成したのだ。民主党支持者でも38%。共和党支持者71%がウクライナ支援に消極的  2023-09-07 06:405 』

『 ウクライナ国防相を交代。後任のウメロフ氏はタタール系、元投資銀行家。ロシアとの穀物交渉に従事。戦争の真最中、非軍人の国防相就任は通常は不可思議。主要理由は汚職関連。米国で対ウ軍事援助制限の動き。その論拠がウ軍汚職、米国先週汚職撲滅に向けウ高官3人と会談。2023-09-05 07:29 』

 ちなみに、ノルトストリーム2の完成寸前における爆破によって西欧にロシア石油が無期限に来なくなったり、対ロシア制裁、円安などで、アメリカの「石油=ドル」体制は莫大な利益を上げている。さらに因みに、イラク戦争の時は「アメリカへの制裁」などは全く問題にもならなかったはずだ。アメリカだけは戦争をしても例外なのであると証明されているわけだ。ということが分かっているから、G7以外のグローバルサウスが国連ロシア非難決議に賛成しないのであろう。世界各国におけるアメリカの信用こそ、これからもっと地に落ちていくのではないか。

 戦車対策や制空権含めて、準備期間を十分に使った万全の防御体制を整えて来た塹壕に突っ込んで、突破の見込みなど最初からなかったのである。ウクライナの若者をこれからさらに何十万人殺していくのか? こんな戦争を導いておいて、自国はどんどん保護貿易主義を取っているアメリカ。株主・株価資本主義の終末として、この本質が暴露された戦争なのだと僕は考えている。

 

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