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世界比較、日本の若者のテレビ    文科系

2016年07月31日 16時26分20秒 | Weblog

 阿修羅掲示板で興味深い世界比較情報を見つけました。ロイター通信の調査とありましたから、それなりのものなのでしょう。ここに書いてあるニュースへの評価への僕の判断は抜きにして、そのまま提示します。資料だけを読んでいただくために・・・ということです。

『 恥かしい! 世界に日本の若者のバカぶりが露呈
http://79516147.at.webry.info/201607/article_174.html
 2016/07/28 半歩前へⅡ
▼娯楽ニュースへの関心度
  ロイター通信社が毎年発行する「デジタル ニュース レポート」の2016年版が公表された。政治や経済など硬派ニュースに関心を寄せる割合では日本が49%と最低だった。ところが、芸能やスポーツなどの軟派ニュースでは逆に日本が突出。ロイターは「極めて特異な現象だ」と首をかしげている。 ニュースの硬派とは、政治や国際、経済などのニュースだ。一方、軟派とは、エンターテイメントをはじめとした文化・芸能、スポーツといった分野を指す。

 硬派の割合はギリシャが81%、スペイン77%、ドイツ76%、米国74%と高いのに対し、日本は49%と調査した26か国の中で最低。 ギリシャのように金融危機、失業、難民など切羽詰まった身近な問題を抱えた国では、硬いニュースをもっと知りたくなるのは当然かもしれない。だが、日本も、高齢化、財政破綻、格差社会など多くの問題が山積しているはずだが、とロイター。

 その反面、日本では軟派ニュースに関心を持つ人の割合が34%と、26か国の中で最も高かった。さらに注目すべきは、若者の割合が日本では極端に高いことだ。 18~24歳の若者で軟派ニュース寄りの割合を国別で比較すると、英国が17%、スペイン18%、ドイツも18%、米国23%、イタリア29%に対し、日本は58%と断トツの値を示した。

 ロイターに指摘されるまでもなく、日本の異常さが目立つ。日本は政治や社会の問題に無関心な者が多過ぎる。これだから国粋主義者の安倍政権が高支持率を続けるわけだ。 それにしても、いつまで経っても幼児化から抜け出ることが出来ない日本の若者たち。スマホ片手に朝から晩までゲームに熱中している若者。本の一冊もまともに読めない若者。 これから国際化の波をどうやって、乗り切っていくのだろう?基礎的な常識、教養を身に着けていないと、後で苦労すると思うよ。

 今回の調査結果は、いみじくも日本の現状をさらけ出した。こんな「異質なニッポン」を、世界は「魔訶不思議な国」と思っているだろう。』

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国連欠落、ネット右翼諸氏    文科系

2016年07月30日 22時03分03秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 読者の皆さんへ
 昨日までの拙稿「日米世論とネトウヨ諸君、最大の歴史誤認識」におけるトンチンカンなコメント遣り取りを是非お読み願いたい。ネットウヨク諸氏の盲点が日本の戦争責任誤認識にあるということがとても良く分かる。

 大平洋戦争を裁くのに、20世紀に人類史上初めて出来た反戦世界組織・国際連盟(の裁き)が、彼らの歴史認識には全く欠落しているのである。これは、以前からここの遣り取りで常に僕等が確認できたことだった。彼らの戦争責任論には、反戦世界組織は常に出て来ない。これはつまり、こういうことだろう。彼らの日本戦争責任論には、国際組織が全く欠落しているのである。彼らの種本が、そういうことなのであろう。そこで今日の僕はこんなコメントを書かなければならなかった。以下は、昨日と本日朝に応答したコメントの一部の文章である。

 『何を述べているか分からない文章だから、僕の言い分をもう一度書く。
① 国際法と国際連盟があった。
② ①でもって、日本の満州事変・満州国建国が裁かれて反対1票(日本だけ)で、連盟を脱退している。
③太平洋戦争は、1931年満州事変からの「15年戦争」という概念もあるように、「アジア・太平洋戦争」と満州事変から一続きの物として見る。そのようにして東京裁判でも満州事変から裁いた。
④満州事変から裁くと分かった瞬間に、近衛文麿は自殺した。真珠湾の直前まで「外交交渉継続派」だったから太平洋戦争には責任は薄いが、それ以前には責任ありと認めていたからである。』

 そして、彼らが国際反戦組織のことをあまりにも知らないので、こんな文章も付けた次第だった。
一つは、
『国連を出ても既に国連法で裁かれているということね。満州事変以降は裁かれた「既得権」を手放さず、確信犯としてさらに罪の積み重ねを行っていったということになる。満州事変以降、中国南進とインドシナまで、さらに罪を重ねていったのだから。
 こうして結局、東京裁判を認めねばならぬというのが、これら全ての僕の理屈なのね。
 満州事変による国連の裁きを拒否するのは、君たちでしょ(そんなことは考えた事もないらしいけど  これは今文科系が付けました)』

もう一つはこれ、
『ところで今度は僕が聞くが、中国を裁いたのは国連司法裁判所で、国連海洋法を基準にしてのことじゃなかったかな。これがなければ、南沙諸島問題でさえ、何の理屈の応酬もないままに、結局は暴力だけが飛び交うことになる。紛争を裁く基準の存在も、戦争を防ぐために凄く大事だと言うことだろう。世界反戦組織があって初めてこれが存在するのである。君はそもそも、中国のあの行動を何でもって裁いているのか?』

 これも付け足しておこう。

『戦国時代を終わらせて警察権を一手に握ってなされた徳川三百年の鎖国平和は、そこで築かれた資本が外に出て行くこともなく内需に向けられたことによって、世界でも有数の民生、識字率向上などの教育や、世界有数の二大都市(文化)などを生んだ。これがまた、アジアでも唯一の近代化日本の土台なった。これは、日本史を見る場合の一つの定説だろう。良くも悪くも、日本人は、全体組織による平和を望む民族だと、僕は理解してきた。
 これと同様に、世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい。冷戦が終わった時にアメリカが上のケネディの言葉のようにこちらよりに舵を切っていたら、今の世界はどれだけ平和になっていたことだろうかと思う。ユーゴ内戦、9・11、アフガン・イラク戦争、シリア内乱、イスラム国、アラブの春、難民、イギリス離脱などもなかったと思うのである。』

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新聞の片隅に載ったニュースから(232)   大西五郎

2016年07月29日 20時22分40秒 | Weblog

正社員の一部手当て 契約社員にも支給を 浜松の会社に高裁命令(16.7.26 朝日新聞)

 同じ労働で正社員にだけ支給される手当があるのは不当だとして、東証1部上場の物流会社「ハマキョウレックス」(静岡県浜松市)の契約社員の男性(54)が、給食手当などの支払いを求めた訴訟の控訴審判決が26日、大阪高裁であった。池田光宏裁判長は一部手当を契約社員に支給しないのは違法として同社に77万円の支払を命じた。

 支給手当について、高裁で違法判決が出るのは初めて。代理人弁護士は「同様の訴訟に与える影響は大きい」と評価した。

 2013年4月施行の労働計約法20条は、無期雇用の正社員らと有期契約で働く契約社員らとの不合理な差別を禁じている。判決は、正社員は広域の転勤や組織の中核を担う可能性があると指摘。各手当について転勤の有無など立場にかかわるかどうかに基き、判断すべきだと指摘した。

 そのうえで、給食と無事故、通勤、作業の四つの手当は正社員の職務内容などとは無関係で、契約社員に支給しないのは違法と判断し、会社の責任を認めた。

 □―-―――――――――――――――――――――――――――――――――――□

  最初にこの記事読んで疑問に思ったのは、浜松の会社の事案なのに浜松とは管轄外の大阪高裁が控訴審判決を下したことです。インターネットで検索してみましたら、時事通信の報道では提訴した契約社員の人は滋賀県の彦根支社に勤めていたので、大津地裁に提訴しましたが敗訴したので、大阪高裁に控訴したのだと分かりました。(読者に疑問を持たせるような原稿は良くありませんね)

 安倍内閣は一億総活躍社会を目指すと宣言しました。少子高齢化に歯止めをかけ、人口1億人を維持して、家庭・職場・地域でだれもでも活躍できる社会を作り出すというのです。

三本の矢の成果として平成28年1月の雇用統計では、役員を除く雇用者5332万人のうち、正規の従業員が前年同期に比べ60万人増加し3325万人になった。完全失業者も213万人で前年同期に比べ15万人減ったと“アベノミクスの成果”を誇りました。

 しかし総務省統計局の雇用統計を見てみますと、非正規の職員・従業員は28万人増えて2007万人と全従業員の37.6%に及んでいます。非正規の従業員うち男性では「正規の職員・従業員の仕事がないから(仕方なく非正規の従業員になった)」が前年同期に比べ2万人増えています。アベノミクスによる好調な雇用情勢の実態は“仕方なく低賃金の非正規従業員になった人”が数字上で作り出したものです。

 日本の多くの企業では、問題になった企業と同様、正規の従業員と同じ仕事をしていても手当(賃金)に差がつく非正規従業員を雇っていますが、政府はこのような実態には目をつむり、見かけの数字上の“作られた労働事情の安定”に目をつむってはなりません。

「差があることの不合理」を戒めたこの判決が、代理人弁護士が言うように「全国の裁判」に広がって欲しいと思います。                                  

                             大西 五郎

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日米世論とネトウヨ諸君、最大の歴史誤認識   文科系

2016年07月29日 12時39分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 これは、昨日エントリー「お答え」の続きである。25日の拙稿「ならず者国家」にお二人からこんなコメントが付いた。

【 Unknown (sica)2016-07-28 05:54:14>  >世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい<
「世界平和組織」などという、存在しておらず、また将来作られる見通しの全くない組織の必要性や役に立つかどうかなどを議論しても、全く無意味だと思います
それは政治というより宗教の部類の話です。】

【 Unknown (sagakaoruzeisyu)2016-07-28 07:19:37  ならず者国家?(エントリーはアメリカのことを書いているのだが、ここにおけるsicaさんとのコメント遣り取りで、太平洋戦争に至る日本を同じようにそう呼ぶことに同意し合っている。文科系注) 当時の日本人が、あの戦争を戦ったからこそ、今の日本も世界もあるんです。アフリカ諸国の独立も第二次世界大戦後のことですし、日露戦争がなく、第一次・第二次大戦に日本が参戦していなければ、世界は“今よりもずっと”白人上位のひどい世界でしょうね。】

 このお二人に対して反論したのが、昨日のエントリ-だが、日本の戦争責任を認めているという意味でネトウヨとは思われないsicaさんも、国際連盟、国際連合について(の歴史を)知らないのは、同じなのである。そして、上の後者のような歴史認識をネトウヨ諸君が平気で書いてくるのも、事態は同じことなのである。そこで昨日も、また16日にも、僕はこんな文章を書いた。

【戦争責任と言うからには、道義的責任よりも法的責任が重いのは明らだろう。そして、20世紀の戦争には、国際連盟が出来て史上初めての法的枠組みが生まれていた。この枠組みが唯一当時の法的責任基準と言えよう。満州事変の国連リットン調査団報告によって日本はこの基準で裁かれて、これへの反対1票ということから国連を脱退している。もしこれ以外の基準があるならば、「こちらの方が重要な基準だ」という形で、これによってこの法的責任をこのように否定するというように論ずるべきではないか。
 大平洋戦争は、「15年戦争」とよく語られることがあるが、満州事変の帰結とも言えるのだからまとめて「アジア太平洋戦争」と観て、日本に国際連盟法上の戦争責任があった。東京裁判もそのように裁いた。国連を脱退したのだから、その法では裁けないということにさえならない。これはこと戦争ということに関しては、こんな理屈を語るのと同じではないか。
「僕は人を殺した。が、日本国民をやめると宣言した。だからそれ以降は日本の法律を適用できない」。次いでこの言葉の先の議論もやってみよう。「そういう僕は、今後どの国にも属さないことにする。よって、誰にも死刑にされないはずだ」。と、こういうお方はたちまち誰かに殺されるはずだ。彼の命を保護する国家が居ないからである。絶好の臓器提供者とみなされるかも知れない。】

 なお、25日エントリー「ならず者国家」には、こんなコメントも付けさせていただいた。こう言う僕の命題を前提として、上記お二人はコメントを書いている。

【 『世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題なのである。』
 これは日本人が苦手な、すぐれて論理的な問題である。特に、ここの『「名実ともに」』ということを今は強調してみたい。
 言うまでもなく、次の二つは別の事を語るはずだ。「国連なんか平和組織として何の役にも立っていない」、「世界平和組織は要らない」。
 戦国時代を終わらせて警察権を一手に握ってなされた徳川三百年の鎖国平和は、戦国時代以降築かれた技術、流通、資本が外に出て行くこともなく内需に向けられたことによって、世界でも有数の民生、識字率向上などの教育や、世界有数の二大都市(文化)などを生んだ。これがまた、アジアでも唯一の近代化日本の土台となった。これは、日本史を見る場合の一つの定説だろう。良くも悪くも、日本人は、全体組織による平和を望む民族だと、僕は理解してきた。
 これと同様に、世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい。冷戦が終わった時にアメリカが上のケネディの言葉のようにこちらよりに舵を切っていたら、今の世界はどれだけ平和になっていたことだろうかと思う。ユーゴ内戦、9・11、アフガン・イラク戦争、シリア内乱、イスラム国、アラブの春、難民、イギリス離脱などもなかったと思うのである。】

 現代日本人はどうしてこれほど、国際連盟、国際連合について無知なのだろうか。小学生でも習うのに、僕には本当に不思議だった。国際連盟を無視すれば日本の戦争責任が随分軽くなることは確かだろうが。そして、今日米が同一歩調を歩むためには、アメリカと同じように日本も国連を無視しなければならない局面も多くなるはずなのかな?

 

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改めて「僕が政治論以外も書くわけ」 文科系

2016年07月29日 12時19分12秒 | その他

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった時からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

  僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
 「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
  こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

  さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けるからナンセンスということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
  やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいことがあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。人生が生きるに値すると自ら示せなくって、どんな政治が語れるというのか、と。

  なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある誠実な論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
  そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学学生自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。かと言って、文化を重視しているかに見えたいわゆる新左翼には、僕は近づいた事はない。

  なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

  ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、孫のハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。

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お答え  文科系

2016年07月28日 12時07分59秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 25日の拙エントリーに、お二人の方から批判、質問があった。とても大事なことで、長い答えにもなるから、エントリーとしてお答えしたい。まず、質問文章は・・・、

【 Unknown (sica)2016-07-28 05:54:14>  >世界平和組織の必要不必要論と、役に立っているか否かとは、別の論議であると言いたい<
「世界平和組織」などという、存在しておらず、また将来作られる見通しの全くない組織の必要性や役に立つかどうかなどを議論しても、全く無意味だと思います
それは政治というより宗教の部類の話です。】

【 Unknown (sagakaoruzeisyu)2016-07-28 07:19:37  ならず者国家?(エントリーはアメリカのことを書いているのだが、ここにおけるsicaさんとのコメント遣り取りで、太平洋戦争に至る日本を同じようにそう呼ぶことに同意し合っている。文科系注) 当時の日本人が、あの戦争を戦ったからこそ、今の日本も世界もあるんです。アフリカ諸国の独立も第二次世界大戦後のことですし、日露戦争がなく、第一次・第二次大戦に日本が参戦していなければ、世界は“今よりもずっと”白人上位のひどい世界でしょうね。】

 

 さて、僕のお応えです。sicaさんのも「saga・・・」さんのも、真面目なお答えだとは思えません。上記エントリー文中の以下のことに触れないのならば、反論にはならないでしょう。以下の抜粋や25日エントリーこの後に書いてあるアナン事務総長総会演説などをこう否定するという文章を頂きたいもの。

【 アメリカは、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだと思う。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』 】

 国連の前には、世界平和組織・国際連盟が第一次世界大戦の後に世界史上初めて出来ている。太平洋戦争を「アジア・太平洋戦争」と一続きのものと見る有力な歴史説があるが、これによると満州事変から事は始まった。満州事変は国際連盟リットン調査団によって裁かれて、反対1票で可決された。これが世界平和組織でなくて何だろうか。僕は16日エントリーでこう書かせていただいたが、改めて転載しておく。

【 戦争責任と言うからには、道義的責任よりも法的責任が重いのは明らだろう。そして、20世紀の戦争には、国際連盟が出来て史上初めての法的枠組みが生まれていた。この枠組みが唯一当時の法的責任基準と言えよう。満州事変の国連調査団報告によって日本はこの基準で裁かれて、これへの反対1票ということから国連を脱退している。もしこれ以外の基準があるならば、「こちらの方が重要な基準だ」という形で、これによってこの法的責任をこのように否定するというように論ずるべきではないか。
 大平洋戦争は満州事変の帰結だったのだからまとめて「アジア太平洋戦争」と観て、日本に国際連盟法上の戦争責任があった。東京裁判もそのように裁いた。国連を脱退したのだから、その法では裁けないということにさえならない。これはこと戦争ということに関しては、こんな理屈を語るのと同じではないか。
「僕は人を殺した。が、日本国民をやめると宣言した。だからそれ以降は日本の法律を適用できない」。次いでこの言葉の先の議論もやってみよう。「そういう僕は、今後どの国にも属さないことにする。よって、誰にも死刑にされないはずだ」。と、こういうお方はたちまち誰かに殺されるはずだ。彼の命を保護する国家が居ないからである。絶好の臓器提供者とみなされるかも知れない。 】

 なお、国際連盟規約とか国連憲章とかでは、その冒頭に戦争を無くすという目的が掲げられている。それについては、17日拙エントリーに冒頭など原文一部が上げてあるのでご参照下さい。

 

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随筆紹介  断捨離でござる    文科系

2016年07月27日 12時38分43秒 | 文芸作品

 「断捨離でござる」     H・Sさんの作品

 信子と同居していた姑さんが死んだ。葬式の後しばらくしたある日、信子が、段ボール箱を抱えて私宅にやってきた。
「これみんな貴女にあげる」、無造作に段ボール箱を玄関先に置いた。箱の上には二枚の押し絵作品も乗せられていた。「祖母ちゃんの形見なんだけど、家に置きたくないの。押し付けて悪いけど受け取ってね」と、私の返事を聞く事もなく走り去った。

 二枚の押し絵(藤娘と潮汲み)を手に取りかわるがわる見つめた。こんな素敵な作品を作った信子の姑さんの技術の高さに仰天した。段ボール箱を開けた。十五、六個の飾り糸で作った手鞠が出てきた。八十歳の姑さんが手慰みで作ったなんて恐れ多くてとても言えない。ここまでの仕上がりなら立派な芸術作品だ。ガラスケースに入れて床の間に飾ればいいのにと私は思うのだが、長年一つ屋根の下で暮らし我慢を強いられた生活を送った信子にとっては、姑さんから解放され、やれやれという思いから姑さんの作ったものは、見たくもない心境なのだろう。こんなに美しく気品のある作品を、手放したことを、悔しく思う日がきっと来るだろう。預かっておこうと段ボール箱のふたを閉じ床の間に置いた。

 三日がたった。案の定。信子が駈け込んできて手鞠を返してほしいと言う。「手鞠はどうしたのだ。あれは誰にもやるな。家に置いておけ」と、連れ合いが信子に言いおいて仕事に出かけた。一言の相談もせず処分したとは言えば喧嘩になる。やばいと、信子は私宅に手鞠があることは、連れ合いには話さなかったと言う。
「貴女が持って来たまま手は触れていないから、御主人が会社にいる間に持って帰ったらいいよ」と、段ボール箱と押し絵を返した。「押し絵の方は、立派な羽子板があるからいらない」と言って信子は、私の手に残した。姑さんは、連れ合いにとっては実母だ。彼にとっては、背筋を伸ばし凛として気品があり身ぎれいな人で、そのうえ見事な作品を作り上げる高い能力を持った母親は、人に誇れる存在だったはずだ。その人の手が生み出した作品の手鞠は、母親と息子を繋ぐ大事なものだった。息子にとっては凛とした誇るべき自慢の母親は、嫁の信子にとっては絶えず緊張を強いられる手強い相手だということを息子が気づく事はなかった。

 姑さんから食費をもらっているとはいえ、工業用ミシンで既製服の縫製の仕事をしながら、毎日二人分の昼食を作り、午後三時には和菓子とお茶を用意する。休日はない。姑は、体が丈夫ではないからと家の中で好きなことに熱中して家事を手伝うことはしないが、掃除が行き届いていない、服装がだらしない、同じ菓子ばかり食べさせると、小言の雨。
 家族のだれもが自分の都合を優先出来るのは、信子が気を配り段取りよく家の中を回しているからだと私は受け止めていたが、信子自身もそれが自分の役割だという思い込みが強かった。家事と仕事で時間に追いかけられる生活をしていた信子は、いつも割烹着を着用していた。姑の言い分に口返答の出来ない信子は、細切れの時間を見つけては、私の家の裏木戸から声掛けをして、人目につかないように台所にいる私に会いに来た。
 舅と十二年同居経験のある私に愚痴るのが、一番気が休まると言っていた。
 三世代同居で大変なことは、忙しい息子世代が、暇を持て余している舅世代に合わせて行動しなければうまくやっていけないことだ。そうしなければならなかった理由に、私が行きついたのは、舅が亡くなり、自分の時間を持てるようになった時だ。昨日まで「明日はどこにも行かず家にいる」と言い張っていた舅が、朝一で親戚宅を訪問したいと言う。今日の段取りをしてしまった時に予定を変更させられるのは、私としては大いに困るのだが、全て舅の要求が優先された。舅はその日の体調を危惧して、体の不具合が表に出て相手に迷惑をかけることを警戒していたのだ。
「嫁と姑の日常の関わりは、何方かが亡くなるまで続くことだ」と、私は信子に話し、
「長い戦争だから、へこたれないことだよ」と、明言。二人でお茶を飲んだ。

 あの日から二十年がたった。今、近くに住む息子と息子のお嫁さんが、一言の相談もなく信子の箪笥から上等の晴れ着を持ち出し、どこかに売ろうとしている。信子にすれば、母親が大金かけて作ってくれた逸品だ。日頃は割烹着の信子が、息子の入学式、卒業式の晴れ着として着用したものだ。大事な日を信子が着るものの心配をすることなく迎えられたのも、心の中に満ち足りた思い出を作れたのも、母親が誂えてくれたこれらの逸品のおかげだ。昔、信子が姑の遺品を処分した事と同じことが、今息子たちに、してやられているのだと言ってしまえばそれまでだが、私には引っかかるものがある。

 遺品整理は、お金がかかるので困る。ゴミにかけるお金はない。そう言われる時代だが、せめて父や母が、楽しく生きるためにはこれだけの品物が必要だったのだと、息子と娘には納得してもらえないだろうかと、私は願っている。

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随筆 「ならず者国家」   文科系

2016年07月25日 16時46分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 「ならず者国家」という言葉をちょっと前に使ったのは、ブッシュ大統領。ところが、アメリカこそが今一番そう呼ばれるに相応しいと、愚考する。このように。

 一、9・11を起こしたと言われるイスラム原理主義一派・「アルカイダ」は、その元をたどればアメリカが育て上げた鬼子、「レーガン(元大統領)の聖戦士」と呼ぶ米知識人もいるほどだ(例えば、ノーム・チョムスキー)。アフガニスタンを反ソ連勢力にするためにアルカイダを育て上げ、そこにアルカイダ政府を作ったのも、その後9・11画策者を匿ったとかで、アフガニスタン戦争を起こしてこの政府を潰したのも、アメリカだ。これではまるで、いわゆるマッチポンプではないか。アメリカにとって不本意にも結果的にそうなったのか、最初から予期していてこうなったかはまだ分からないのだけれど。とにかく、ソ連があたっ時となくなってからと、イスラムへのアメリカの態度、戦略が180度転回したのは、誰の目にも明らかなこと。

 二、今、中国の南沙諸島問題などで国際仲裁裁判所の決定が出たことが世界の大問題になっているが、国連の司法機関である国際司法裁判所の数々の判決を最も手厳しく無視し続けてきた国は誰あろうアメリカである。中米の国ニカラグアがアメリカをこの司法裁判所に訴えて全面勝利判決を何度勝ち取っても全て無視したという、中南米では有名な歴史的事件が存在する。一九八〇年代、ここに反政府軍を組織して時の政府を潰す過程において、争われた裁判だ。当裁判所は「不当な武力行使」という言葉まで使って、アメリカのニカラグアに対する国際テロ行為に有罪判決を何回か下したが、全て無視した。無視したと言うよりも事態はもっと酷くって、こんなことすら敢行したのである。裁判の一つで敗訴した後に、反政府軍育成金一億ドルを議会決定して見せたのである。さらには、一七〇~一八〇億ドルと算定された賠償命令も鼻であしらった。

 因みに、今回中国を裁いたその基準である国連海洋法条約にはアメリカは加わっていない。自分は例外にしてくれと無視してきた条約で中国を非難しているのである。大国だから許されていると見るならば、それ以上の大きな問題、鋭い対立がここには潜んでいることを、人は知るべきだと思う。世界平和組織の存否を巡る、世界史的対立と述べても良いだろう。これは、19世紀以前までの「弱肉強食」無政府的戦争世界を「名実ともに」もたらしてもよいと考えるか否かという、世界観的対立、問題である。

 三、「私たちはいまや大きな岐路に立たされています。国連が創設された一九四五年にまさるとも劣らない、決定的な瞬間かも知れないのです」
「今日に至るまで、国際の平和と安全に対する幅広い脅威と戦い、自衛を超えた武力行使をすると決める際には、唯一国連だけが与えることの出来る正当性を得なければならないという理解でやってきました」
「いかに不完全であれ、過去五八年間、世界の平和と安定のために頼りにされてきた大原則に根底から挑戦する、単独主義的で無法な武力行使の先例を作ってしまうものなのです」
  これらは、二〇〇三年九月二三日第五八回国連総会開会日における、アナン事務総長の冒頭演説からの抜粋。「単独主義的で無法な武力行使の先例」を作ってしまった「決定的な瞬間」。その年に起こったイラク戦争を批判した言葉なのである。

  さて、アメリカこれだけの国連無視は、一九九〇年前後の冷戦終結後には更に激しくなったと見ている。これだけ国連無視を続けるのにここから脱退しようとしないのは、都合の良い時に利用したいだけとも見てきた。そして、こういうアメリカの姿は日本人に報道されること少なく、問題にされることはもっと少ないのだが、これは日本のマスコミ、ネット社会にバイアスがかかっているからだろう。アメリカは、ケネディ大統領の六一年国連総会演説を思い出すべきだと思う。
『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです。……国連はこのあと発展し、われわれの時代の課題に応えることになるかもしれないし、あるいは、影響力も実力も尊敬も失い、風と共に消えるかもしれない。だが、もし国連を死なせることになったら──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』

 『戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させること・・・・、──その活力を弱め、力をそぎ落とすことになったら──われわれ自身の未来から一切の希望を奪うに等しいのであります』と語り出された言葉の後半、「国連の力をそぎ落とすこと」は、アメリカ自身が正に今、行っていること。そんなケネディのダラス暗殺事件は、この演説の二年後のことだった。そしてこの暗殺は、アメリカ産軍複合体の仕業と言われている。

(これを読まれた方々へ。23日の「僕の九条堅持論」を是非お読み下さい。お願いいたします。右の方々には特に、こう申し上げたい。今の日本政治は、近年のアメリカの所業をきちんと知らなければ、何も分からないに等しい、と。こういう国の「安全」のために、他国まで共に攻め入っていくべく安保法制を新たに結び直したという、その意味を僕は問いたいのです。

 イラク戦争突入時のアメリカ! あのマスコミぐるみの熱狂を是非思い出していただきたい。あれはマスコミが作った全体主義、ファッショの様相ではなかったでしょうか。そしてその結果は、「米国国旗にも、国家にも、その軍隊にも真っ黒な泥を塗りつけたニセ愛国の熱狂」だったのです。今度イラク戦争のようなことがまた起こされたら! 日本も間違いなくあのようになるはず・・・・。)

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僕の九条堅持論   文科系

2016年07月23日 12時49分01秒 | 国内政治・経済・社会問題

 思う所あって、以下の文章を何回目かの掲載とします。

【 僕のブログへ訪問してきたある方が、そこでおかしなコメントを述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』 
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。一国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、以下のようにあり得たのである。まず、自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった九十年頃。次いで、サブプライムバブル弾けによって百年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込み、諸国家に赤字がどんどん増えた〇七年頃。そういう絶好の機会において、日本が国連において、軍拡を続けたアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは実に情けないことだった。なお、この恐慌は持ち直したという声があるが、暴論だと思う。世界にこれだけ失業、不安定雇用がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがない。それが民主主義の観点というものであろう。

 一 古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 二十世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、十八世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 二十世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、ヒトラーのように人類史に悪名を残すこんな無謀行為を敢えて犯すだろうか。

 二 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも四人に一人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと言うのである。 

 三 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には九条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

 四 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、三の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも三十年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想はかっての民主党小沢派、鳩山派などが持っていた考えに近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想がこれに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないか。むしろ、米中等距離外交とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれてきた理由だろう。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成するだろう。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。こういう国連構想と同類のものとして、この九月、習近平・中国国家主席が国連で以下の提案を行った。「中国は永遠に覇権を求めない」という説明を付けての提案であった。
①十年間で十億ドル規模の「国連平和発展基金」を創設。
②中国が国連の新しい平和維持活動即応体制に加わり、常駐の警察部隊と八千人規模待機部隊を立ち上げたい。
③今後五年間でアフリカに一億ドルの無償軍事支援を行い、アフリカ常備軍・危機対処部隊の設立を支持する。
こう述べたからと言って、僕は現在の中国政府を支持する者ではない。あの国の一党独裁と中国共産党内の民主集中制とを、絶えざる諸悪の根源と観ている。

 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に戦争、内乱が起こっている以上、相当強力な国連常設軍が当面はまだまだ必要だと思う。】

(これを読まれた方へ。是非25日エントリー「ならず者国家」をお読み下さいと願っています。25日に付け足した文章)

 

 

 

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随筆 「ギター、難曲卒業と新しい挑戦」   文科系

2016年07月22日 23時11分37秒 | 文芸作品

 ギター中興の祖の1人ソルの膨大なエチュードからセゴビアが選んだ20選曲集の第18番を2か月かかってやっと今日先生から「卒業」を貰った。ただでさえ読譜弾きが苦手な僕がギターとしては非常に珍しい♭が三つも付いた曲をやるのはもう至難の業であって、お得意の暗譜主義に頼るしかなかったのだが、この2ページの楽譜を暗譜でつっかえつっかえでも弾けるようになるのに40日近くかかった。三つ♭があるというギターでは希有の曲だから難しかったのか、僕75歳の暗譜力が落ちたからなのか、とにかく大変な苦労だった。でも、我ながらまるで自虐的なようだなと苦笑いしつつ励み続けて、とうとうここまで来たという感じ。かなりの充足感がある。

 さて、この曲をここまで弾き込んだ以上はということから、次に選んだのがこれ。バリオスの「郷愁(「悲しみ」とも訳される)のショーロ」。20世紀の前半に南米で活躍し、パリなどヨーロッパにも呼ばれて大評判になったギタリスト兼ギター作曲家の曲である。「ショーロ」というのは、ブラジル民謡のある形式というか一つのリズムというか、そういったものらしい。僕としてはこの曲への2度目の挑戦になる。09年の春に着手して以降に暗譜群(ほぼ暗譜していて、月に最低3回りほどは弾き回してきた時々出し入れもある20数曲の群である)に加えたが、どうも「難しすぎて一応の完成も出来ないだろう」と諦めて、未練を持ちつつ暗譜群から外した曲だ。外した年月日は13年11月27日。以来、3年ぶりに今日弾いてみたが全く忘れていると判明して暗譜のやり直しにかかったのだけれど、この年齢で3年のブランクは白紙の状態からの再スタートなんだなとも思い知らされたもの。
 なお、今この曲を選んだ理由は、今ならこれが弾けるなという実感があること。この曲も♭が2つついていて、おまけに低い方の弦2本をいずれも1音下げて弾く。この2本の押えが1音ずつ変わってくるというわけだ。今日まで苦労してきた前記18番と同じような複数♭楽譜暗譜の苦労をもう一度やってみようという積もりもあったし、この3年ほどで僕の奏法上の基本的悪癖二つを直した今ならこの大好きな曲を一応完成できるかも知れないという期待もある。

 この曲を完成できたら来年春の教室発表会に弾いてみようかと、これも今の大きな望みにしている。この望みが叶うかどうかは全く未知数だが、自分の中にこんな声が聞こえるのも本当なのだ。
「なーに、二つの悪癖を直してから同じバリオスの『大聖堂全3楽章』も随分楽になったことだし、何とかなるかも知れない」。ちなみに、この「大聖堂」は同じ作曲家の「郷愁のショーロ」よりも、一般には難しいとされているのである。

 日本のギターコンクールをほぼ総なめにした末にドイツでギターを学びながら、今は南米ギター曲にはまっている日本人若手ギタリストもいる昨今だが、この「郷愁のショーロ」と「大聖堂」などは、僕もとてつもなく惹かれるのである。

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『「同じ土俵」 or 「何でも反対」』 の続き    文科系

2016年07月20日 08時58分33秒 | 国内政治・経済・社会問題

『同じ土俵、例えば最近では集団的自衛権の話。これは国防の話。日本の陸・海・空の防衛に関わる話になる。つまりこれが土俵。だから、野党は与党には無い防衛のアイデアを先ず出すことが求められる。それは、戦争反対でも9条改正反対でも無い。防衛案を出す必要がある』

 さて、この「土俵」(①と述べておきましょう)に行き着くまでの日本の外交防衛戦略論争史の中には、こんな例、考え方もあったはずです。現にあった勢力と言うよりも、そういう論理という点に比重を置いて聞いて下さい。

 まず、②旧自民党の日米安保政策(従来の内閣法制局見解のような、自国隣接防衛だけに限った考え方)。次いで、③民主党新内閣が取ろうとした「米中等距離外交・防衛戦略」様のもの。そして、90年の冷戦終結前後には、「テロとの戦い」が激化する前には特に、次の④の考え方も論理的にはクローズアップされたはずです。この考え方はずっと昔からあったが、この時には最も現実的なものになっていたという意味です。アメリカでも軍事費を半減しようという意見が多数出ていたときでしたから。④自衛隊縮小から、戦力不保持へという外交・防衛戦略。③は多分、将来的にはこの④を目指していたとも、僕は観たものでした。小沢は国連警察軍にしきりに触れていましたしね。僕がここで述べた拙論「僕の9条堅持論」は、この④の一例とも言えるでしょう。日米等距離外交を含みつつ、そのちょっと先を見たつもりです。
 また、この4つは典型的な例示ですが、これらの相互間にはまた、いろんな中間形態もありうると思います。

 さて次に、この4つを例にとって、これらの「論理的な相互連関」を考えてみます。
 ③、④は間違いなく、こういう論理的前提を持っています。
「地球上から戦争は無くせるし、この目標も100年先などと言う遠いスパンのことでもないだろう。現に、世界史上、国際連盟が出来て初めて戦争違法化が起こったのは1920年のこと、ほんの百年前にも満たない話でもあるし。これがあらためて更に具体化されたのは、戦後1945年、わずか60年前のことだ」
 ここで論理として最も大切になのが、この事。このように考える人はまず、貴方の土俵には上がれないということです。攻めてくる国の可能性も貴方のような「土俵」論者よりも、外交なども含めて遙かに少なくできると観ていることでしょうし。言い換えれば、貴方の土俵とこの論議との分かれ道での是非論議をするしか無い人々とも言えます。そして、こういう論争だけが必要と考える人は、あなた方を間違いなくこう観ているはずです。「戦争は無くせないと観過ぎているのだろうし、攻めてくる国は必ずあるとも決め込んでいるのだろう」。
 こうして、貴男が言う土俵以前に論理的な分かれ道が二つも三つもあると観るのであれば、これだけが問題になるわけであって、この土俵を論ずる意味もないわけです。

 さて、これらをまとめて言えばこういうことになりましょうか。この土俵以前に、この土俵を作っている論理的大前提の分かれ道で別の選択をすべきという人にとっては、その土俵には上がれないということです。と言っても、この土俵が現に存在するということにについては、こういう見方をするということになりましょう。現実をもう少し長い目で観て、この現実そのものを換えていこうと。現に戦争が起こる可能性についても、あなた方よりも遙かにゆったりと現に構えていることですし。

 なお、以上のことのリアリティーについて最後に一言。冷戦終結の後、アメリカでも軍事費半減が議論になったと色々読んできました。あの時点が③、④方向の最近で最も現実的な時だったと考えます。ところが、あの時点から一気に世界がきな臭くなった。湾岸戦争は90年からですし、ユーゴ内戦も91年から。同じ1991年にソマリアの戦乱がありましたし、コンゴ、チェチェン、東チモールもね。そして2011年、9・11とアフガン戦争です。「それまでの均衡が崩れた隙間の乱れ」という見方もありますが、僕はこれらほとんどに何らかの画策があったと観ています。かくて、それまで100年近い「冷戦」が終わっても、米軍事予算はうなぎ登りになった。こうして僕は、その後から今の難民・英国分離までの動乱世界は、作られた物という側面が強いとも観ています。そういうことを、弱化させられつつある国連レベルも含めて抑えていくこと、これも9条堅持にとって不可欠の課題だと、愚考しています。「この国連レベル」に関して最後に一つ付け加えます。

 僕が、17日エントリー「反戦取り決め、思想の世界史的端緒を見る」に書いたことです。国際連盟規約もこの国連憲章冒頭部分も、現実の歴史的産物には違いないと考えますが、どうでしょうか。これが存在していて、冷戦が終わったときには、アメリカさえその気になればこの実現に大きく近づけたのではないかとも思ってみるのです。ところが現実のアメリカは、当時よりもっとどんどん国連憲章無視を強めてきたと見ています。だからこそ、国連総会でアメリカとイスラエルだけが賛成のような強烈な横紙破りが現に強められてきたのだとも。アメリカは総会列国から、面従腹背はあっても、もはや強烈に嫌われていますよ。

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「同じ土俵」 or 「何でも反対」   文科系

2016年07月18日 18時01分20秒 | 国内政治・経済・社会問題

15日エントリー「三つのあり方」において僕が1970さんに出したコメントに、真面目な応対があった。それへのお応えをエントリーとして書きたい。

 『同じ土俵、例えば最近では集団的自衛権の話。これは国防の話。日本の陸・海・空の防衛に関わる話になる。つまりこれが土俵。だから、野党は与党には無い防衛のアイデアを先ず出すことが求められる。それは、戦争反対でも9条改正反対でも無い。防衛案を出す必要がある』

「防衛の具体的アイデアという土俵」を設定し、これ以外はただ単に「反対反対」と語られたように読めた。
 これは防衛省レベルのより短いスパンの軍事的防衛概念であって、政治全体のレベルでは外交も含んだ広義かつもっと長いスパンの防衛概念があるはずだ。それが政治的国防という同じ土俵になるはずである。「軍隊不保持論」も、その変形としてここに僕が書いた「僕の9条堅持論」(16年2月19日エントリー参照)のようなものも、論理としてはここに含まれるはずである。もっと具体的には小沢一郎幹事長時代の新民主党政権が目指したような、米中等距離外交(国防)論もあり得るだろう。これらを単に「何でも反対」と一言で切って捨てているように僕には思われるが、いかがか? つまり、軍事的国防論よりも「長いスパンの広義の防衛論議」をたった一言「何でも反対」という言葉で切り捨てているような防衛論議と。

 例えを上げて論じてみよう。満州事変が終わった段階で「防衛という同じ土俵」を語る場合、「防衛の具体的アイデア」と言う論議はどういうことになるのだろう。国連命令に従った撤退という道が無くなるのではないか。つまり、関東軍独走、陸軍独走に政治が引っ張られることにならないか? 僕らはアベ政権がこのままだと近く作るはずの国際的防衛課題事態が、このようなことを生んでいくと危惧している。例えば『「駆け付け警護」は誰の真似?』という07年の古いエントリーで今日いくつかのコメントが交わされ合っているが、そういう事態を僕は危惧している。経済も含めた諸困難が多い世界、時代には、事態が進むほどに、論議の幅が狭くなるというのが防衛論議の歴史ではなかったか。

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反戦取り決め、思想の世界史端緒を見る   文科系

2016年07月17日 18時30分35秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 アメリカによる確信犯的な国連無視、国際的犯罪行為に関わったエントリーを、7月に入ってからもう10本も書いてきたろう。中心にアメリカ人大学者ノーム・チョムスキーの著作「覇権か生存か」所収の告発文章を入れて。この事は当然、戦争違法化の国際的取り組みについても触れることになっていた。16日のエントリーでは、日本の戦争犯罪と東京裁判とに関わって国際連盟にも言及した。そして、この日のエントリー文末でこう述べさせていただいた宿題に着手程度のことを試みたい。
 戦争派になるか否かの分かれ道は、過去300年ほどの世界史をどう見るかという知見からの未来予想にあるということにしかならないはずだと述べた、そのことに触れてみたい。

 先ず、戦争違法化に世界史上初めて手を付けた国際連盟の規約前文と現国連の前文とについて、その冒頭部分を振り返ってみる。

『 国際連盟規約 
締約国は、戦争に訴えざるの義務を受諾し、
各国間における公明正大なる関係を規律し、
各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、
組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、
以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、
ここに国際聯盟規約を協定す。
(発効 1920年1月10日、 解散 1946年4月19日)

国連憲章 
われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語を絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小国の同権とに関する信念をあらためて確認し、(以下、文終止丸なしで、組織目的を、「社会進歩」「生活水準の向上」「国際の平和及び安全」「共同の利益の場合を除く外は武力を用いないこと」「すべての人民の経済的及び社会的発達を促進」などなどと列記して、その文末はこうなっている。)
「を決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することを決定した」
(45年10月24日効力発生)』

 見られる通り、前者はほぼ戦争防止とその目標としての平和のことだけが組織目的とさえ読める。世界各国がそれだけ史上初の国家総力戦と言われた第一次世界大戦に懲りたということだろう。
 他方、後者の前文が触れる所は、国際連盟規約よりも遙かに幅が広い。これも「われらの一生のうちに二度まで言語を絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍」に関連して、世界への問題意識が大きく広がっていったというように読めるのである。そして、この広がった表現の中にフランス革命以来の思想の進展を読み取るのは、ごく自然なことだろう。「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小国の同権」、「すべての人民の経済的及び社会的発達を促進」などがこれに該当すると言いたい。

 僕はここで自戒を込めて言うのだが、この二つの国際組織やフランス革命以来の基本的人権思想と国際平和組織の発展、衰退を詳しく知らずして、憲法、平和、戦争を語ってきたことが恥ずかしくなった。今後ここの折々にこの部門を学びつつ、これにどんどん触れていきたい。

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 戦争、軍事力保持、アメリカ  文科系

2016年07月16日 15時01分16秒 | 国内政治・経済・社会問題

 らくせきさんが昨日行った当ブログ参加者に見る対立分類は、言うならば、対立しやすかった問題、立場による区別。僕はここの意見の違い、「平行線」の原因をこんなことに求めてきた。②以降は、自分も含めてのことである。以下は、反戦論者が、「慣れない」戦争不可避論にであった場合の必須の知識と思うから、今の日本で極めて大切なものだと強調したい。僕がここで戦争不可避論者と10年討論してきて、「目から鱗が取れたような・・・」も含めて学んだことばかりである。

①第一に、何よりもこれがあるだろう。無意識の「証明されざる前提」か、「(ディベートのような)自覚されたポジショントーク」か。このうち、後者は討論する相手としては先ず論外になる。論議自身に忠実になれないことが明らかなのだから。ただ、ブログ論議ではこの見分けは先ず無理、難しい。

②人の人生・世界観がある時急に変わることがある。これは、自分の過去のその大前提が替わったということだろう。宗教に回心、カルトなどに洗脳、政治信念に転向などの言葉があるが、今までの人生の大前提を崩してそこに新しいものを入れることと言える。この作業には必ず次のことが伴う。過去の前提を言葉で提示して、その否定物と入れ替えたという意味で、多少とも自覚が進んだというような(なお、この前進とは自覚の前進であって、なんらか人倫的な前進というものではない)。こういう無意識の証明されざる前提という観点に関わって、らくせきさん提出の三つをここでの過去論争を振り返りつつ僕なりに眺めてみたい。

③まず、戦争責任。
 責任と言うからには、道義的責任よりも法的責任が重いのは明らだろう。そして、20世紀の戦争には、国際連盟が出来て史上初めての法的枠組みが生まれていた。この枠組みが唯一当時の法的責任基準と言えよう。満州事変の国連調査団報告によって日本はこの基準で裁かれて、これへの反対1票ということから国連を脱退している。もしこれ以外の基準があるならば、「こちらの方が重要な基準だ」という形で、これによってこの法的責任をこのように否定するというように論ずるべきではないか。

④対米従属・自立 軍事力(不)保持
 軍事力保持論者は「戦争は無くならない」「攻めてくる国はある」という前提を必ず持っていた。そこにも、永久にまたは「当分は」無くならないと、二つの意見があったように思うが、この両者に共通の点が一つ存在した。「戦争を無くす」という言動、というよりもそういう方向の思考そのものがないことである。そんな論議は非現実的と考えて、頭から振り払っているように僕には見えた。なお、「永久に無くならない」と堂々と語る人がおられたが、これはその証明などを無視した議論つまり、狂信ということになる。さらになお、このように「戦争をなくすという思考そのものがない方」と、「無くせるものならそちらに与したい」という方とは、天と地ほどの開きがあるはずだ。現にある戦争を無くすということは、人類の実践行動にかかっていると考える他はないからである。ご自分がこのどちらであるか、人は細心の注意を払って自覚された方がよいと申し上げたい。前者は軍事増強論にしかならないが、後者は全く違うからである。

 対米従属論の方は、「戦争不可避論」が生む日本国防論の一変種と観る。「経済的に得」なり「1国では守りきれない」なり、「アメリカが攻めて来ないのだからまだマシ」と述べるなり・・・。よってこの立場は、「戦争は(当分)無くならない」という論争相手と見て良いと思う。

⑤以上を踏まえて僕について述べればこういうことになる。
 大平洋戦争は満州事変の帰結だったのだからまとめて「アジア太平洋戦争」と観て、日本に国際連盟法上の戦争責任があった。東京裁判もそのように裁いた。国連を脱退したのだから、その法では裁けないということにさえならない。これはこと戦争ということに関しては、こんな理屈を語るのと同じではないか。「僕は人を殺した。が、日本国民をやめると宣言した。だからそれ以降は日本の法律を適用できない」。次いでこの言葉の先の議論もやってみよう。「そういう僕は、今後どの国にも属さないことにする。よって、誰にも死刑にされないはずだ」。と、こういうお方はたちまち誰かに殺されるはずだ。彼の命を保護する国家が居ないからである。絶好の臓器提供者とみなされるかも知れない。 
 戦争は人間の世界政治が起こすもの。いつか人間が止められるものと僕は考えている。ただ、この「いつか」の解釈が大変重要だろう。それによって戦争派になるか否かの分かれ道もできるような。そのスパンはどのくらい長く見うるだろうか。この論議は、過去300年ほどの世界史をどう見るかというそんな論争と、その知見からの未来予想いうことにしかならないはずだ。つまり、この世界史を見ぬものには、このスパンは語れない。この命題は当然、僕の自戒も含めて語っているつもりだが、今日ここでは論じない。

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3つのあり方    らくせき

2016年07月15日 19時13分53秒 | Weblog
このブログで議論している人たちをおざっぱに分けると3つの分類できそう。
 
①親米保守    対米従属  軍事力保持   戦争責任なし
 
②左翼・リベラル 対米独立  軍事力不保持  戦争責任あり
 
③反米保守    対米独立  軍事力保持   戦争責任なし
 
この3つの間の論争は、10年近くつづいているが、非生産的、意味がなく
時間の無駄。
 
21世紀の後半になると、アメリカの力が弱くなって、
親米のメリットがデメリットに等しくなり、さらにデメリットのほうが
より大きくなるかも知れない。
そんな事態に生産的な議論をしないと時間が勿体ない。
 
そこで対米関係、軍事力、戦争責任について、それぞれの立場をあきらかにして
議論を進めたい。
 
らくせきは、「さよ」と呼ばれて②に分類されている。たしかに対米独立。
しかし軍事力は保持。戦争責任は「あり」であり「なし」でもある。
 
 
 
 
 
 
 
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