たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

イギリスへの旅の思い出 _ 小説「嵐が丘」の舞台ハワース

2022年07月05日 12時05分43秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-エジンバラ2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2e0fa1d3b33cef216ab7a32280df056d

以下、2014年4月に投稿した記事ですが、旅の時系列にそっていくために投稿し直します。

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「嵐が丘」(ワザリングハイツ)というのが、ヒースクリフ氏の住居の名だった。ワザリング(Wuthering)というのは、この地方の特色的な形容詞であり、悪天候のときにこの場所がさらされるところの、大気の揺動を意味している。まったくのところ、あの丘上では、一年じゅう、清冽できびしい空気の流れが絶えないにちがいない。家屋の一端のところの、いく本かのいじけたもみの木の、いちじるしい、かしぎようから見ても、また、一列のやせこけたさんざしの木々が、まるで太陽の恵みを乞うかのように、その枝を一方にさしのばしていることから見ても、この崖ぶちに吹きつける北風の強さを思い知ることができよう。幸いなことに、建築師は、そのことを予見して、堅牢につくっている。壁の窓は小さく、深く彫りこまれており、四隅は突き出した大きな石で守られている。


(エミリ・ブロンテ作 阿部知二訳 『嵐が丘(上)』1960年発行 岩波文庫 23-24頁より引用しました。)



 以前にも少し書いたことがありますが、1992年5月に二週間程イギリスを一人で旅しました。一泊目のヒースロー空港近くのホテルだけを日本で決めて、あとは行き先とB&Bを現地で見つけながらロンドンからスコットランドのエジンバラまで行きました。

 その二年後に妹との突然のお別れが訪れようなどとは思いもよらず、統合失調症の急性期の症状が出ていた母から逃げて一人暮らしを始め、まだバブルがはじける前、お気楽に派遣社員やアルバイトを行き当たりばったりでやっていました。

 その頃の自分を振り返ってみると本当に愚かで、あまり思い出したくありません。でも自分の中で本当に精算して前に進んでいくために、このブログで触れていこうと思います。自分は馬鹿だったと責めるためではなく、ほんの少しずつ一歩前に踏み出していくために・・・。

 
 
たいしたものではありませんが、小説「嵐が丘」の舞台、
ハワースを訪れた日の旅日記から書いてみます。

「1992年5月21日(木)

エディンバラはくもり空、しとしと雨。未練がましく重い荷物をさげながら買い物をしてしまった。カッコわるいけどサ、コットンのセーター£16、肌ざわりの良さについつい手がのびてしまった。調子にのって買い物をしていたら小銭を使っちゃったの、マヌケ-。
スコットランドはまたじっくり訪れるということで、とりあえずエディンバラをはなれ、イングランドへ戻ってくる。2時間余りの列車の旅を楽しみ(車窓からの景色はリバァプールからエディンバラへと向かった時の方がよかったかな。車輌もものすごく古かったし)。
YorkからLeeds→Keighlyと乗り継ぎ、バスでHaworthへと夕刻辿り着いた。

MATRO TRAINというようだが枝線となると自分でドアをあけなくちゃいけないのかなあ、なんて小さなことが不安になり、バスに乗ったはいいが、どこで降りたらいいのかわからない。
アナウンスもないので要領がさっぱりわからない。
汗だくでインフォメーションにつけばちょうどClosed。
メインストリートは急な坂なので重い荷物を抱えながら泊まる場所をさがすのはつらいものがある。
またロンドンのようにどうしていいのかわからなくなるかと冷や汗ものであったが、どうやら居心地のいいB&Bをみつけることができた。
ここまで辿り着くのに四苦八苦、多くの人に行き先をたづね、親切に教えられながら来た。
ここHaworthはおだやかな田舎街、公園の芝生の上ではなにやらボールを使ってゲームらしきことをしていた。
エディンバラは北の大都会だったものね。
苦労しないとのんびりとした場所に行けないのは日本も同じだね。
本当に不器用で要領が悪く、ドンくさく、でもなんとかここまでやってきた。
無駄もかなり多いが、こうして旅をしていることそのものに大きな意味がある。
無事に日本に帰ることができたらものすごく嬉しいだろう。
ほめてやってねー。」


「1992年5月22日(金)晴

朝のうちくもり、寒いかなとセーターを着たが、歩いているうちにあたたかくなってきた。
ブロンテ博物館をみたあと、ブロンテの滝を経て、「嵐が丘」の舞台ヒースの丘を通りぬけてきた。4時間ほど歩いた。
本当に広陵として寒々しく、古い建物の跡と楓の木がぽつりぽつりとある以外はなにもない。
羊が草をはんでいるだけ。腰をおちつける間もなく、戻ってきた。たんぽぽと白いひなぎくが咲きほこるハワースの5月は本当に美しい。

とても疲れた。すっかり歩き疲れた。いい一日だった。今夜はよく眠れるだろう。
昨夜は、ブラックteaをのんだためもあったかもしれないが、布団に入ってから妙に気持ちが高ぶってきてねつけなかった。豆腐がたべたいなあとふと思い、10日がすぎたこの旅のことを思いめぐらした。
一生懸命やってきた。
ちがう習慣、ちがうことば。
頭の回転のにぶいわたしのいられる場所ではないのかもしれないが、たくさんの人の親切をうけながらここまでやってきた。
イングランドの人々は本当にさり気なく親切でにこやかでのびやかにゆるやかに暮らしているようだ。
こうしてのんびりと公園にいると、自分はなんと多くのものをかかえ、せまい自分の殻にとじこもり、肩で息をして肩のこる生活をしてきたのだろうと、心の底からほがらかに思う。
意思表示がはっきりできない。うれしい気持ちを素直に表情にあらわせなくてはにかみ屋でヘンに謙遜して、Japaneseとだけでは片づけられないわたしの性格ー
少しずつ肩の力が抜けていくようだ。
帰ったらまだ同じ生活を繰り返すだけかもしれないが、やはり無謀だったかとめげたりもしたが、たぶん来てよかった。明日は土よう日。
ロンドンへ戻るのに一日がかりだろう。
ホテルさがしもまた大変だ。
今日もまた芝生の上ではゲームが始まるようだ。PM6時45分。

B&Bのオーナーが申し訳ないぐらいよくしてくれる。
ツインの部屋をひとりで使わせてくれて豪華な朝食、その他いろいろと気づかってくれる。
言葉が話せないのがもどかしい。
(「嵐が丘」を歩くと言ったらお昼のパンと困ったら連絡しなさいと電話番号を書いた紙を渡してくれたことを思い出します。)

ここメインストリートのお店も5時には殆どClosedだったが、おいしそうなチョコレートやパンにまたもや目移りしてしまった。どのお店もかわいいものばかりでワクワク。

正直なところ食生活にはまいっているけどね。
スコットランドではチップスが食べたくなり、今は果物がおいしい。
小さなリンゴが売っているんだ。
空気が乾燥しているのでのどがかわくばかりで、パンはあまり食べられない。
後6日-
あっという間だろうなあ。楽しもう。

二泊して£25 

本当によくしてくれた。
十分にお礼が言えなかったのが残念だ。

Main street West Bank 39/41」


ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
読んでつもりで読んでいなかった「嵐が丘」を読んでいます。
今の私で、またこの場所を訪れたいですね。
自分で撮った写真は後日あらためてアップしようと思います。

私の今の状況は労働者を守る仕組みになっていない日本社会への絶望感と無力感におそわれており、これからどこに向かっていけばいいのか今はわかりません。もう少し先落ち着いたら、きっとどこかに希望の灯りも見出せると信じて今しばらくふんばってみます。


ブロンテ博物館で購入した絵葉書より台所です。



ブロンテ博物館で購入した絵葉書より食堂です。



ブロンテ博物館で購入した絵葉書より父親が過ごした部屋です。



ブロンテ博物館です。

絵葉書の裏にはこう書かれています

"The house is old,the trees are bare And moonless bends the misty dome But what on
earth is half so dear,So longed for as the hearth of home?"-Emily Bronte.



ロンドンのケンジントン宮殿で購入した絵葉書よりダイアナさんのウエディングドレス姿です。
せつなくなりますね。


イギリスへの旅の思い出-エジンバラ2日目

2022年05月23日 01時00分36秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-エジンバラ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643

「1992年5月20日(水)晴

昨夜は十分に眠れなくて、結局ぼうっとした一日だった。
どこへいくということも決めていなかったので、歩き疲れただけで終わってしまった。
なにかをみたわけでも、買い物したわけでも、どこかでのんびりしたわけでもない。
バスで郊外にも行かなかった。
ちょっと残念な過ごし方をしたようだ。
そんなになにかをしようとムキにならなくてもいいんだけどね。

何しろ明日はまた列車に乗るというだけで緊張気味なのだ。
慣れない海外、カタコト英語。
一つ一つに一生懸命なのだ。
無駄も多いことと思うが、これもまた旅だ。

明日にはスコットランドをはなれ、南へと下っていく。
買い物に心残りがある。
せめておいしそうなお菓子やパンだけでも買いたいなあ。
もうあれこれと買ってるけど、まだいろいろとほしいようなんて欲張り。

それにしても、手足が長いせいもあろうが、ゆとりをもって暮らしているように見える人々をみていると、わたしはなんと肩のこる生活をしていることかと思い知らされる。
あまりにも空気がかわいているので、のどがかわくばかりで食欲をなくしている。
昨日今日とスーパーで買い物して、部屋で食べた。
それもまた楽し。
いろんなB&Bに泊まってみたくて、今日は場所を変えてみた。
£3高くなった分、それなりだ。

バッグパッカーでもない、所詮ただの中途半端な旅行者だ。
それでいいじゃないか。
明日はどんな一日になるのか。
おやすみなさい。
B&B£18」

エジンバラ駅



セント・マーガレット教会堂(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A%E5%A0%82

記憶が定かでありませんが、セント・マーガレット教会堂においてあったものを無料で持ち帰ってきたのでしょう。
スコットランド女王マーガレット、
ようやく読み始めています。



















イギリスへの旅の思い出-エジンバラ

2022年05月08日 20時48分30秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ストラットフォード⇒リバプール⇒エジンバラ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643

「1992年5月19日(火)晴のち雨のちくもり

エジンバラ城

 High St.を通って

ホーリルード宮殿

 Parkから丘に登る

Princes ST.を歩いて

 Street Gardenへ

Fania&Guest House泊 £15
半袖の綿セーター £9.99
ビニールコーティングの手さげ £5.5

夕暮れ時、突然のどしゃぶりの雨、
9時を回っても明るいのでついついのんびりしてしまう。
ここスコットランド、エジンバラに来て、やっとわたしらしく落ち着いて過ごしている。
ちょっと寒いけど、いい一日だった。

今朝は目がさめてみたら9時30分、
breakfastはすでに終わっていたが、おばさんがコーンフレークとTeaを出してくれた。
疲れていたから、よく眠れてよかった。
タータンチェックとバグパイプの地スコットランド、
城と宮殿をつなぐStreetにはお店がいっぱいで目移りしてしまう。
ほしいものばかりだ。セーター、ブラウス、小物類。
おいしそうなチョコレートやそのほかお菓子類、パンケーキ、
ついつい買い物をいくつかしてしまった。
セーター、カード類、バッグ・・・、
楽しかった。
Streetを歩くのが、買い物をすることがおだやかな北の大都会、
街全体が歴史と伝統を感じさせてくれる。
B&Bの部屋もまあまあかわいいし、来てよかった。

少しずつ肩の力が抜けて、楽になっていくような気がする。
緑にあふれたEnglandは本当に美しい。
緑ってこんなに大きく、おだやかで美しいんだったなと、あらためて思う。
来てよかったね」


 街を歩いていると、何百年もそこに建ち続けているであろう、木造の教会が点在していたことを思い出します。丘の上にあるエジンバラ城からホーリルード宮殿へとものすごく歩きましたね。
この時購入した、スコットランドの国花、アザミがデザインされたトートバッグは使い込んだ末断捨離してしまいました。タータンチェックのヘアバンドは引っ越しの時失くしてしまったかな。綿のセーターは今も持っています。大好きな淡いピンク色、毎年夏になると登場します。ここまできたら一緒にあの世へいきますかね。

日本は凋落へと傾き始めていましたがそんなことには気づいておらず、まだ若く右股関節の軟骨の摩耗が進行していたはずですが全くわかっておらず、妹の死の前で人は本当に死ぬのだということも知らず。愚かでしたが、今になってみれば、こうして一人旅ができたことはとてつもなく幸せなことだったのだと思います。














エジンバラ城のチケット



『Welcome to Britain 1992 SUMMER』より、


イギリスへの旅の思い出-ストラットフォード⇒リバプール⇒エジンバラ

2022年04月25日 22時02分32秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ストラットフォード
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5c5adc27ec9a9c0e7990895a7b813ab1



「1992年5月18日(月)晴

Stratford ⇒ Birminghamで乗り換え ⇒ Liverpool ビートルズツアー 14時40分~16時30分

Prestonで乗り換え ⇒ Waverly Edinburghに21時30分頃着 Tania Guest House泊  £15」



 リバプールといえばビートルズ、あまりにも有名なAbbey Road、渡りました。高級住宅街の一角という印象だったと思います。日本人向けのツアーだったわけではなく、英語なのでほとんどわかりませんでしたが、とにかく街をめぐり、Abbey Roadとスタジオを訪れました。



ビートルズツアーのチケット、




ビートルズツアーのパンフレット、
(4ページありますが、2ページ目と4ページ目は解像度高すぎてアップロードできず)






イギリスの鉄道路線図、






リバプールからスコットランドの首都、エジンバラへ向かった列車のチケット、





イギリスへの旅の思い出-ストラットフォード

2022年04月21日 00時01分23秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-オックスフォード⇒ストラットフォード
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4eb179a513027b06f325e6c5efa345cd


 ストラットフォードはシェイクスピアの生まれ故郷、劇場前で撮ってもらった写真、自分が写ってしまっているのでアップしませんが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の劇場があります。

 ミュージカルファンにはお馴染みになったレ・ミゼラブル』オリジナル版演出のジョン・ケアードさんは、RSCの名誉アソシエート・ディレクター。2011年の『レ・ミゼラブル』プログラムによると、シェイクスピア等の古典から新作まで20本以上の作品を手がけています。



「旧演出のレミぜは白黒、アンティーク、暗いと言われたのは、照明も小さな劇場で使うようなシンプルで地味なもの、光をかなり落としていた。演出家のジョン・ケアードのこだわり。シェイクスピアの手法をとりいれている。さすが、ロイヤルシェイクスピアカンパニーの演出家・・・」


2013年9月27日の朝日カルチャーセンターでの、バルジャン役吉原光夫さんのお話でした。
『レ・ミゼラブル』オリジナル版
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/20464872ca3653dfff849dab9a708e4a



(2011年『レ・ミゼラブル』帝国劇場公演プログラムより)
「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)は、創立以来100年を超える歴史をもつ、イギリスの国立劇団である。シェイクスピア生誕の地ストラットフォードと、ロンドン市内バービカン劇場にて、計5つの劇場を運営するほか、世界中でツアー公演を行っている。俳優はもとより、演出・美術・照明・衣装などの製作部門にいたるまで、現代最高のスタッフをかかえている。」


 ストラットフォードの劇場、ググってみると、残念ながら現在はコロナにより休業となっているようです。伝統の灯りが消えませんように・・・。

 いつかこの世にいる間に、言葉はわからなくても本場の劇場でシェイクスピア劇をみてみたいものです。いつか、いつか。もう叶うことのない願い。


ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのプログラム(1992年)
























お土産店の包装もシェイクスピアでした。



イギリスへの旅の思い出-オックスフォード⇒ストラットフォード

2022年04月18日 12時59分32秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ロンドン⇒オックスフォード
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643

「1992年5月17日(日)晴

 Oxford⇒Stratford
 
 シェイクスピアの生家などを見る。メルヘンの世界のような街並み。
  
 B& B all season泊 £15 
 夜、香港飯店 £10

 U.Kに来てからずっと晴れやかな日が続いている。
 今日で6日目。
 おだやかな街、ここStratfordに来てやっと落ち着いた。
 ロンドンのけん騒をはなれ、人も街もさりげなく、よりゆるやかに空気が流れている。
 慣れない異国の地、予想以上に疲れている。
 空気がとてもかわいているので食欲はないし(3日連続中華)、
 なにもかも日本のようなこまかく律儀なところがないのでとまどってしまう。
 列車が1分たがわず到着するなんてないらしい。
 アナウンスもないし、列車に乗ることさえ大変だ。
 結局見ず知らずの他人の世話になってここまで来てしまった。
 でも、わたしはここにいる。
 こうしてちゃんと生きている。
 明日の夜はエジンバラにいたい。
 ホテルさえうまく見つかればall right

 ランチョンマットとバスビーンズ購入 £7.19」





現地で購入した絵葉書。帰国後帰省した時、妹にあげました。
2年前整理した遺品の中に残っていました。





シェイクスピアが生まれたとされる家



シェイクスピアの妻、アンの生まれた家





若かったですね、自分、若かった。愚かさも含めて、若かったので無鉄砲なことができました。戻ることのない時間、この頃どの程度右の股関節が摩耗していたのかわかりませんが、若かったの全く平気でした。ずんずん歩いていました。いつ歩けない日が来るかわからないとわかった今となっては、愛おしくさえあります。

イギリスへの旅の思い出-ロンドン⇒オックスフォード

2022年04月12日 01時59分09秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ロンドン⇔ケンブリッジ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/9ec1b1dc226cf02f08670ec7eae28643

「1992年5月16日(土)晴

 London Paddington St.⇒Oxford B&B £16 夜中華およそ£10

 Londonに来て5日目。

 時差ボケはなかったものの、慣れない異国の地、かなり疲れている。

 なにもかも不器用でわからないことだらけで、なかなか落ち着けない。

 昨日いったケンブリッジは、落ち着いた佇まいの学生街だったけれど、ここオックスフォードは雑多なイメージで、さほど美しくない。

 さて明日はどうなるやら。

 もう思考力がなくて、わけがわからない。いつになったら落ち着けるのだろう。

 どこに行ったというわけでもない、これもまた旅なのだろう。

 とにかく眠りたい。」


 オックスフォードは、『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロル(1832-1898)が少女アリスと出会った街、クライストチャーチ学寮に入り、卒業後は数学講師として、終生この学寮にとどまりました。(コトバンクを参照)



ロンドン市内地下鉄のチケット、1992年5月16日(土)と印字されています。




 もう訪れることはできないであろう地球の裏側への旅、愚かなりし人生のささやかな成果品です。振り返れば、わたしのような者でもこうして旅ができた歳月のあったこと、奇跡と思います。行っておいてよかったです。旅は5月28日まで続きます。この世にいる間に整理していきます。

イギリスへの旅の思い出-ロンドン⇔ケンブリッジ

2022年03月10日 16時22分18秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ロンドン3日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6e06f9250023a99a390a578a3b3296e0


 苦い記憶と共に時々思い出すイギリスへの一人旅、成田空港からソウル経由でロンドンに到着して4日目、日帰りバスツアーだったと思いますが、ケンブリッジへ行きました。ケンブリッジ大学で有名なケンブリッジ。緑豊かな、美しい街でした。ここからここまでが大学の敷地ですという区切りはなく、小さな街全体がキャンパスといった雰囲気でした。1209年設立の大学、歴史ある建物は、ここに入ったら勉強しないではいられないような佇まいと思いました。

「1992年5月15日(金)晴

ホテル £15
ロンドン⇔ケンブリッジ £6 

夜、中華レストランで食事、

ロンドン郊外は、絵葉書になるような光景だった。

日本でいえば北海道のような場所が、一時間もいけば広がっている。

なあんにも余分なものがないんだよね、広告も自販機もない。

日本の便利さときたなさに慣れすぎているようだ。

日本だとすぐに公衆電話がるような場所に、公衆電話がない。

それが本来なのだろう。

空気がかわいている。

かわいた緑が広がっている。」


ケンブリッジのパンフレット、









ロンドン市内地下鉄のチケット、1992年5月15日(金)の日付が印字されています。



 20代の自分、ものすごく愚かでした。今振り返ると顔から火が出そうなほどあほなことばかりでした。同時に、日本から予約した宿はヒースロー空港に到着した日のホテルだけ、あとは旅しながら当日B&Bを探して泊まるという、こわいもの知らずの旅ができるだけの若さがありました。よく無事だったと思います。高齢者に足の指先が入り始めた今、こんなことができる体力、気力はもうありません。すでにブログに書いていますが、『嵐が丘』の舞台となったハワースを訪れたときは、バスを降りたとき最初歩く方向間違えていて、少し前を歩く男性が教えてくれなかったら気づきませんでした。観光案内所は夕方17時ぎりぎりでクローズ、宿は自分で探しなさいと言われ、「地球の歩き方」をみながらいこうとしていたB&Bはなくなってしまっていたようで見つかりませんでした。結果的にたどり着いたB&Bのオーナーがとてもよくしてくれたのは楽しい思い出です。

 この世にいる間にもう一度だけイギリスに旅したい、湖水地方にも行ってみたいという思いはほぼほぼ叶うことはないだろうとわかった今、苦い記憶と共に愛おしくもある旅の思い出。また少しずつ辿っていきます。

イギリスへの旅の思い出-ロンドン3日目

2021年01月15日 23時52分31秒 | イギリスへの旅
イギリスへの旅の思い出-ロンドン2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c6be555bd4727c98e51e6633d766c292


「1992年5月14日(木)晴

Hotel:15£
The Phantom of the Opera:15.5£

 今日もおだやかな天気だ、風が気持ちいい。Londonにきて3日目。
ちょっとは慣れてきたかな。お金には余裕なくとも、気持ちには余裕をもっていたい。
東京と変わらないLondonだが、人々は肩の力を抜いて自然に暮らしているようだ。
さしずめこの辺りは丸の内、日比谷、銀座といったところだろうが、ネクタイ姿とショートパンツが同居していて、それがとても自然なのだ。リラックスするのが上手なんだろうね。
こうして街の空気を肌で感じとることができるのもひとり旅のメリットかな。
迷って余分なお金と時間と労力を費やしたりもしているけれど、それもまた旅のひとつだ。

今日は朝いちばんに『オペラ座の怪人』のチケットを手に入れ、ピカデリーサーカスをウロウロして、今はSt.James,s Parkでぼうっとしている。
昨日は大変だったけど、今夜は帰るところが決まっているからほっ・・・
疲れてるのだろうけれど大丈夫、乗り切れるよね、うん-OK」


イギリスへの旅の思い出-ロンドン2日目

2020年08月03日 09時59分31秒 | イギリスへの旅



「1992年5月13日(水) 晴れ

 ヒースロー空港からUnder ground(地下鉄)でVictoria stationへ行くつもりが、乗り換え駅のGreen parkで降りてしまったからさあ大変。重い荷物を抱えたまま宮殿あたりをうろつき、どうやらピカデリーサーカスあたりを迷っていたようなのだが、今St.James Parkにいる。時差ボケはあまりない。
飛行機の中でちょくちょく眠っていたので、ロンドンの時刻で11時ぐらいまで起きていて、今朝は6時ぐらいには目ざめてしまった。2度ほどトイレに立ったが熟睡できたので、まあまあ疲れがとれたと思う。

つたない英語で今のところなんとかなっている。
地下鉄の中で、道で、Cafeで、紳士だなと思う。
宮殿で衛兵の行進と交代なのかなあ、よくわかんないけれど儀式をみて伝統を感じて、今はぼうっとしている。

昼下がりの公園、風は心なしか涼しい。チェアにねそべってのんびりしている人々が多い。
ゆとりを感じる。
日光浴や読書を楽しんでいるこの人々はどんな職業なのかなあ。
不思議だ、遠い異国に来ているのに、今のところあまり違和感がなくてぼんやりしている。

さていちばんの問題は今夜泊まるところである。そろそろさがさなくちゃと思いながら、もうしばらくぼんやりしていたい。

************

ロンドンに着いて2日目。
そうそう要領よくいくはずがないよね。
バッキンガム宮殿の前を通り過ぎてやっとVictoria stationへ行く。インフォメーションでホテルを紹介してもらったのだが、ウロウロ迷っているわたしにとっとと行きなさいという感じで実際最寄り駅に行ってみるのだがどうも気に入らない。どういっていいのかもわからず、ずいぶんと迷った。TELの使い方もわからない。どうしよう、時刻はどんどんおそくなっていく。
『地球の歩き方』を信じて、South Kensingtonに来てみる。いきなり行ってみようとするが当然のことながら道がわからない。きけそうな人もいない。どうしよう、TELもやっぱりかけられない。今にも泣き出しそうな顔をしていると、小柄な東洋人らしきおじさまが助けてくれた。ホテルにTELを入れ、場所まで連れて行ってくれた。
そう今このノートを開いているところだ。15ポンド、最低に近い部屋だけど安心していられそうなのがいい。一応清潔だし、もう一泊しようかなー。

重い荷物を抱え、英語はカタコト、道がわからない。疲れた一日だった。ホテルをさがすことすら大変だ。でもこうして無事にいる。
食事もままならず、おなかがすいて下手にお金を使ったりするだけだったけれど、迷うこともまた楽しだ。日本でだと当然のようにできているということが精一杯のことになる。
旅をしているのだ、異国の地に。
ひとりぼっちでUKの空気の中にいるのだ。」