イギリスへの旅の思い出-エジンバラ2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2e0fa1d3b33cef216ab7a32280df056d
以下、2014年4月に投稿した記事ですが、旅の時系列にそっていくために投稿し直します。
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「嵐が丘」(ワザリングハイツ)というのが、ヒースクリフ氏の住居の名だった。ワザリング(Wuthering)というのは、この地方の特色的な形容詞であり、悪天候のときにこの場所がさらされるところの、大気の揺動を意味している。まったくのところ、あの丘上では、一年じゅう、清冽できびしい空気の流れが絶えないにちがいない。家屋の一端のところの、いく本かのいじけたもみの木の、いちじるしい、かしぎようから見ても、また、一列のやせこけたさんざしの木々が、まるで太陽の恵みを乞うかのように、その枝を一方にさしのばしていることから見ても、この崖ぶちに吹きつける北風の強さを思い知ることができよう。幸いなことに、建築師は、そのことを予見して、堅牢につくっている。壁の窓は小さく、深く彫りこまれており、四隅は突き出した大きな石で守られている。
(エミリ・ブロンテ作 阿部知二訳 『嵐が丘(上)』1960年発行 岩波文庫 23-24頁より引用しました。)
以前にも少し書いたことがありますが、1992年5月に二週間程イギリスを一人で旅しました。一泊目のヒースロー空港近くのホテルだけを日本で決めて、あとは行き先とB&Bを現地で見つけながらロンドンからスコットランドのエジンバラまで行きました。
その二年後に妹との突然のお別れが訪れようなどとは思いもよらず、統合失調症の急性期の症状が出ていた母から逃げて一人暮らしを始め、まだバブルがはじける前、お気楽に派遣社員やアルバイトを行き当たりばったりでやっていました。
その頃の自分を振り返ってみると本当に愚かで、あまり思い出したくありません。でも自分の中で本当に精算して前に進んでいくために、このブログで触れていこうと思います。自分は馬鹿だったと責めるためではなく、ほんの少しずつ一歩前に踏み出していくために・・・。
たいしたものではありませんが、小説「嵐が丘」の舞台、
ハワースを訪れた日の旅日記から書いてみます。
「1992年5月21日(木)
エディンバラはくもり空、しとしと雨。未練がましく重い荷物をさげながら買い物をしてしまった。カッコわるいけどサ、コットンのセーター£16、肌ざわりの良さについつい手がのびてしまった。調子にのって買い物をしていたら小銭を使っちゃったの、マヌケ-。
スコットランドはまたじっくり訪れるということで、とりあえずエディンバラをはなれ、イングランドへ戻ってくる。2時間余りの列車の旅を楽しみ(車窓からの景色はリバァプールからエディンバラへと向かった時の方がよかったかな。車輌もものすごく古かったし)。
YorkからLeeds→Keighlyと乗り継ぎ、バスでHaworthへと夕刻辿り着いた。
MATRO TRAINというようだが枝線となると自分でドアをあけなくちゃいけないのかなあ、なんて小さなことが不安になり、バスに乗ったはいいが、どこで降りたらいいのかわからない。
アナウンスもないので要領がさっぱりわからない。
汗だくでインフォメーションにつけばちょうどClosed。
メインストリートは急な坂なので重い荷物を抱えながら泊まる場所をさがすのはつらいものがある。
またロンドンのようにどうしていいのかわからなくなるかと冷や汗ものであったが、どうやら居心地のいいB&Bをみつけることができた。
ここまで辿り着くのに四苦八苦、多くの人に行き先をたづね、親切に教えられながら来た。
ここHaworthはおだやかな田舎街、公園の芝生の上ではなにやらボールを使ってゲームらしきことをしていた。
エディンバラは北の大都会だったものね。
苦労しないとのんびりとした場所に行けないのは日本も同じだね。
本当に不器用で要領が悪く、ドンくさく、でもなんとかここまでやってきた。
無駄もかなり多いが、こうして旅をしていることそのものに大きな意味がある。
無事に日本に帰ることができたらものすごく嬉しいだろう。
ほめてやってねー。」
「1992年5月22日(金)晴
朝のうちくもり、寒いかなとセーターを着たが、歩いているうちにあたたかくなってきた。
ブロンテ博物館をみたあと、ブロンテの滝を経て、「嵐が丘」の舞台ヒースの丘を通りぬけてきた。4時間ほど歩いた。
本当に広陵として寒々しく、古い建物の跡と楓の木がぽつりぽつりとある以外はなにもない。
羊が草をはんでいるだけ。腰をおちつける間もなく、戻ってきた。たんぽぽと白いひなぎくが咲きほこるハワースの5月は本当に美しい。
とても疲れた。すっかり歩き疲れた。いい一日だった。今夜はよく眠れるだろう。
昨夜は、ブラックteaをのんだためもあったかもしれないが、布団に入ってから妙に気持ちが高ぶってきてねつけなかった。豆腐がたべたいなあとふと思い、10日がすぎたこの旅のことを思いめぐらした。
一生懸命やってきた。
ちがう習慣、ちがうことば。
頭の回転のにぶいわたしのいられる場所ではないのかもしれないが、たくさんの人の親切をうけながらここまでやってきた。
イングランドの人々は本当にさり気なく親切でにこやかでのびやかにゆるやかに暮らしているようだ。
こうしてのんびりと公園にいると、自分はなんと多くのものをかかえ、せまい自分の殻にとじこもり、肩で息をして肩のこる生活をしてきたのだろうと、心の底からほがらかに思う。
意思表示がはっきりできない。うれしい気持ちを素直に表情にあらわせなくてはにかみ屋でヘンに謙遜して、Japaneseとだけでは片づけられないわたしの性格ー
少しずつ肩の力が抜けていくようだ。
帰ったらまだ同じ生活を繰り返すだけかもしれないが、やはり無謀だったかとめげたりもしたが、たぶん来てよかった。明日は土よう日。
ロンドンへ戻るのに一日がかりだろう。
ホテルさがしもまた大変だ。
今日もまた芝生の上ではゲームが始まるようだ。PM6時45分。
B&Bのオーナーが申し訳ないぐらいよくしてくれる。
ツインの部屋をひとりで使わせてくれて豪華な朝食、その他いろいろと気づかってくれる。
言葉が話せないのがもどかしい。
(「嵐が丘」を歩くと言ったらお昼のパンと困ったら連絡しなさいと電話番号を書いた紙を渡してくれたことを思い出します。)
ここメインストリートのお店も5時には殆どClosedだったが、おいしそうなチョコレートやパンにまたもや目移りしてしまった。どのお店もかわいいものばかりでワクワク。
正直なところ食生活にはまいっているけどね。
スコットランドではチップスが食べたくなり、今は果物がおいしい。
小さなリンゴが売っているんだ。
空気が乾燥しているのでのどがかわくばかりで、パンはあまり食べられない。
後6日-
あっという間だろうなあ。楽しもう。
二泊して£25
本当によくしてくれた。
十分にお礼が言えなかったのが残念だ。
Main street West Bank 39/41」
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
読んでつもりで読んでいなかった「嵐が丘」を読んでいます。
今の私で、またこの場所を訪れたいですね。
自分で撮った写真は後日あらためてアップしようと思います。
私の今の状況は労働者を守る仕組みになっていない日本社会への絶望感と無力感におそわれており、これからどこに向かっていけばいいのか今はわかりません。もう少し先落ち着いたら、きっとどこかに希望の灯りも見出せると信じて今しばらくふんばってみます。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より台所です。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より食堂です。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より父親が過ごした部屋です。
ブロンテ博物館です。
絵葉書の裏にはこう書かれています
"The house is old,the trees are bare And moonless bends the misty dome But what on
earth is half so dear,So longed for as the hearth of home?"-Emily Bronte.
ロンドンのケンジントン宮殿で購入した絵葉書よりダイアナさんのウエディングドレス姿です。
せつなくなりますね。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2e0fa1d3b33cef216ab7a32280df056d
以下、2014年4月に投稿した記事ですが、旅の時系列にそっていくために投稿し直します。
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「嵐が丘」(ワザリングハイツ)というのが、ヒースクリフ氏の住居の名だった。ワザリング(Wuthering)というのは、この地方の特色的な形容詞であり、悪天候のときにこの場所がさらされるところの、大気の揺動を意味している。まったくのところ、あの丘上では、一年じゅう、清冽できびしい空気の流れが絶えないにちがいない。家屋の一端のところの、いく本かのいじけたもみの木の、いちじるしい、かしぎようから見ても、また、一列のやせこけたさんざしの木々が、まるで太陽の恵みを乞うかのように、その枝を一方にさしのばしていることから見ても、この崖ぶちに吹きつける北風の強さを思い知ることができよう。幸いなことに、建築師は、そのことを予見して、堅牢につくっている。壁の窓は小さく、深く彫りこまれており、四隅は突き出した大きな石で守られている。
(エミリ・ブロンテ作 阿部知二訳 『嵐が丘(上)』1960年発行 岩波文庫 23-24頁より引用しました。)
以前にも少し書いたことがありますが、1992年5月に二週間程イギリスを一人で旅しました。一泊目のヒースロー空港近くのホテルだけを日本で決めて、あとは行き先とB&Bを現地で見つけながらロンドンからスコットランドのエジンバラまで行きました。
その二年後に妹との突然のお別れが訪れようなどとは思いもよらず、統合失調症の急性期の症状が出ていた母から逃げて一人暮らしを始め、まだバブルがはじける前、お気楽に派遣社員やアルバイトを行き当たりばったりでやっていました。
その頃の自分を振り返ってみると本当に愚かで、あまり思い出したくありません。でも自分の中で本当に精算して前に進んでいくために、このブログで触れていこうと思います。自分は馬鹿だったと責めるためではなく、ほんの少しずつ一歩前に踏み出していくために・・・。
たいしたものではありませんが、小説「嵐が丘」の舞台、
ハワースを訪れた日の旅日記から書いてみます。
「1992年5月21日(木)
エディンバラはくもり空、しとしと雨。未練がましく重い荷物をさげながら買い物をしてしまった。カッコわるいけどサ、コットンのセーター£16、肌ざわりの良さについつい手がのびてしまった。調子にのって買い物をしていたら小銭を使っちゃったの、マヌケ-。
スコットランドはまたじっくり訪れるということで、とりあえずエディンバラをはなれ、イングランドへ戻ってくる。2時間余りの列車の旅を楽しみ(車窓からの景色はリバァプールからエディンバラへと向かった時の方がよかったかな。車輌もものすごく古かったし)。
YorkからLeeds→Keighlyと乗り継ぎ、バスでHaworthへと夕刻辿り着いた。
MATRO TRAINというようだが枝線となると自分でドアをあけなくちゃいけないのかなあ、なんて小さなことが不安になり、バスに乗ったはいいが、どこで降りたらいいのかわからない。
アナウンスもないので要領がさっぱりわからない。
汗だくでインフォメーションにつけばちょうどClosed。
メインストリートは急な坂なので重い荷物を抱えながら泊まる場所をさがすのはつらいものがある。
またロンドンのようにどうしていいのかわからなくなるかと冷や汗ものであったが、どうやら居心地のいいB&Bをみつけることができた。
ここまで辿り着くのに四苦八苦、多くの人に行き先をたづね、親切に教えられながら来た。
ここHaworthはおだやかな田舎街、公園の芝生の上ではなにやらボールを使ってゲームらしきことをしていた。
エディンバラは北の大都会だったものね。
苦労しないとのんびりとした場所に行けないのは日本も同じだね。
本当に不器用で要領が悪く、ドンくさく、でもなんとかここまでやってきた。
無駄もかなり多いが、こうして旅をしていることそのものに大きな意味がある。
無事に日本に帰ることができたらものすごく嬉しいだろう。
ほめてやってねー。」
「1992年5月22日(金)晴
朝のうちくもり、寒いかなとセーターを着たが、歩いているうちにあたたかくなってきた。
ブロンテ博物館をみたあと、ブロンテの滝を経て、「嵐が丘」の舞台ヒースの丘を通りぬけてきた。4時間ほど歩いた。
本当に広陵として寒々しく、古い建物の跡と楓の木がぽつりぽつりとある以外はなにもない。
羊が草をはんでいるだけ。腰をおちつける間もなく、戻ってきた。たんぽぽと白いひなぎくが咲きほこるハワースの5月は本当に美しい。
とても疲れた。すっかり歩き疲れた。いい一日だった。今夜はよく眠れるだろう。
昨夜は、ブラックteaをのんだためもあったかもしれないが、布団に入ってから妙に気持ちが高ぶってきてねつけなかった。豆腐がたべたいなあとふと思い、10日がすぎたこの旅のことを思いめぐらした。
一生懸命やってきた。
ちがう習慣、ちがうことば。
頭の回転のにぶいわたしのいられる場所ではないのかもしれないが、たくさんの人の親切をうけながらここまでやってきた。
イングランドの人々は本当にさり気なく親切でにこやかでのびやかにゆるやかに暮らしているようだ。
こうしてのんびりと公園にいると、自分はなんと多くのものをかかえ、せまい自分の殻にとじこもり、肩で息をして肩のこる生活をしてきたのだろうと、心の底からほがらかに思う。
意思表示がはっきりできない。うれしい気持ちを素直に表情にあらわせなくてはにかみ屋でヘンに謙遜して、Japaneseとだけでは片づけられないわたしの性格ー
少しずつ肩の力が抜けていくようだ。
帰ったらまだ同じ生活を繰り返すだけかもしれないが、やはり無謀だったかとめげたりもしたが、たぶん来てよかった。明日は土よう日。
ロンドンへ戻るのに一日がかりだろう。
ホテルさがしもまた大変だ。
今日もまた芝生の上ではゲームが始まるようだ。PM6時45分。
B&Bのオーナーが申し訳ないぐらいよくしてくれる。
ツインの部屋をひとりで使わせてくれて豪華な朝食、その他いろいろと気づかってくれる。
言葉が話せないのがもどかしい。
(「嵐が丘」を歩くと言ったらお昼のパンと困ったら連絡しなさいと電話番号を書いた紙を渡してくれたことを思い出します。)
ここメインストリートのお店も5時には殆どClosedだったが、おいしそうなチョコレートやパンにまたもや目移りしてしまった。どのお店もかわいいものばかりでワクワク。
正直なところ食生活にはまいっているけどね。
スコットランドではチップスが食べたくなり、今は果物がおいしい。
小さなリンゴが売っているんだ。
空気が乾燥しているのでのどがかわくばかりで、パンはあまり食べられない。
後6日-
あっという間だろうなあ。楽しもう。
二泊して£25
本当によくしてくれた。
十分にお礼が言えなかったのが残念だ。
Main street West Bank 39/41」
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
読んでつもりで読んでいなかった「嵐が丘」を読んでいます。
今の私で、またこの場所を訪れたいですね。
自分で撮った写真は後日あらためてアップしようと思います。
私の今の状況は労働者を守る仕組みになっていない日本社会への絶望感と無力感におそわれており、これからどこに向かっていけばいいのか今はわかりません。もう少し先落ち着いたら、きっとどこかに希望の灯りも見出せると信じて今しばらくふんばってみます。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より台所です。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より食堂です。
ブロンテ博物館で購入した絵葉書より父親が過ごした部屋です。
ブロンテ博物館です。
絵葉書の裏にはこう書かれています
"The house is old,the trees are bare And moonless bends the misty dome But what on
earth is half so dear,So longed for as the hearth of home?"-Emily Bronte.
ロンドンのケンジントン宮殿で購入した絵葉書よりダイアナさんのウエディングドレス姿です。
せつなくなりますね。