たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『モンゴメリと花子の赤毛のアン展』

2014年06月29日 16時34分17秒 | 『赤毛のアン』
5月27日に三越で開かれていた『モンゴメリと花子の赤毛のアン展』に行ってきました。

モンゴメリさんと村岡花子さんの生い立ちには、色々と共通点があるんですね。

『赤毛のアン』との出会いは、高校生の夏、昭和29年7月20日発行の村岡花子訳『赤毛のアン』(新潮文庫)でした。
原題は、『Anne of Gables』(グリーンゲイブルズ農場のアン)。
『赤毛のアン』と翻訳のタイトルがなったのは、花子さんの娘さんの発案によるものという紹介もありました。

手元にある本を見ると、帯に「フジテレビ系放映中」とあります。テレビアニメで放送されて
いた頃でもあるんですね。
夢中になって、シリーズ10巻を読破し、モンゴメリさんの自叙伝『険しい道』を繰り返し、繰り返し読みました。モンゴメリさんの教員生活を送りながら、詩や小説を書き続ける姿に憧れ続けました。

18歳で銀行に就職してからも海外に行くなど夢のまた夢のようで、いつかプリンス・エドワード島に行きたいと思いながらも全く現実感はありませんでした。

家族の中がざわざわしてくるようになって、いつの間にか『赤毛のアン』は心の奥の方にしまいこまれていきました。

母の病気と妹との突然のお別れ。必死に生きる日々でした。

モンゴメリさんの孫のケイト・マクドナルド・バトラーさんが、モンゴメリさんはうつ病のため睡眠薬の過剰摂取で自殺したと正式に発表したという記事を数年前に雑誌で偶然読みました。この記事を読んだ後、あれほど繰り返し繰り返し読んだ『険しい道』を手放しました。二度と『赤毛のアン』に触れることはないと思いました。
(今手元に持っている『険しい道』は、インターネットの中古販売で購入したもので、高校生の私が読みこんだものは、どなたかが大切にしてくださっていればと思います。)

再会したのは、英会話「『赤毛のアン』への旅」を偶然みたことがきっかけでした。
それから、原書で読むセミナーに参加するようになり今に至ります。
仕事量オーバーワーク状態のきつさもかなり限界に来ていた頃で、振り返ってみると土曜日の午後早めの時間に都心に出るのはきついものがありました。忙しさから申し込んだつもつもりが実は申し込んでいなかったのに、申し込んだつもりで単語帳が届かないと連絡して主催されている方に迷惑かけたこともありました。(今さらですが申し訳なかったです。)
体はきつかったですが、原文を読むことは私の心の糧になっていきました。

心のお休み時間を求めて2009年7月には初めてプリンス・エドワード島への旅にも出ました。大手旅行会社の個人プランを利用して、往復は一人、現地の日本人ガイドさんがお世話をしてくださいました。

この時、モンゴメリさんが『赤毛のアン』と『アンの青春』を書いた家の跡で、ジェニー・マクニールさんにたまたまお会いしました。
(ジェニーさんの夫のジョンさんは、モンゴメリさんを育てた祖父母のひ孫にあたります。
JTBパブリッシング、松本侑子著『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』41頁を参照。)

おぼつかない英語で声をかけさせていただいて本当に失礼でしたが、マクニールさんが話してくださった中に、ジャーナルという言葉が繰り返し出てきました。モンゴメリさんはこの家でジャーナルを書いたということを話してくださったのだと思います。そのジャーナルが今回展示されていて、大きな日記帳のことだったとようやくわかりました。マクニールさんは、一緒に写真も撮ってくださいました。

プリンス・エドワード島の穏やかな景色は、ささくれだった心のエネルギーを満たしてくれました。(そろそろ旅日記を載せて行こうと思いながら、なかなかです・・・。)


テレビを処分してしまったので、『花子とアン』のドラマは観たことがありませんが、
オープニングで毎回プリンス・エドワード島の美しい景色が映るとのこと。
そう私に教えてくださる方には、島に行けば本当にそんな美しい景色が広がっていますよ、
と答えています。


気がついたら長くなっていました。


今さらどうでもいいことですが、三越で洋食器販売の仕事をしたことがあります。今回行った三越だったかどうかはよく思い出せませんがたぶんそうだったと思います。妹とのお別れが訪れる前、愚かだった頃のことでした。







赤毛のアンを原書で読むセミナー(第36章栄光と夢)

2014年06月07日 21時15分58秒 | 『赤毛のアン』
"Well now,I,d rather have you than a dozen boys,Anne,"said Matthew patting

her hand."Just mind you that--rather than a dozen boys.Well now,I guess it

wasn,t a boy that took the Avery scholarship,was it? It was a girl--my girl--my

girl that I,m proud of."


He smiled his shy smile at hear as he went into the yard.Anne took the memory

of it with her when she went to her room that night and sat for a long while

at her open window,thinking of the past and dreaming of the future.Outside

the Snow Queen was mistily white in the moonshine;the frogs were singing in

the marsh beyond Orchard Slope.Anne always remembered the silvery,peaceful

beauty and fragrant calm of that night.It was the last night before sorrow

touched her life;and no life is ever quite the same again when once that cold,

sanctifying touch has been laid upon it.


「そうさな、でもわしは、1ダースの男の子よりも、アンの方がいいよ」マシューはアンの手をとり、掌でぽんぽんと優しく叩いた。「いいかい、1ダースの男の子よりもだよ。そうだよ、エイヴリー奨学金をとったのは、男の子じゃなかっただろう。女の子だよ。わしの娘だ、
わしの自慢の娘だよ」

 マシューは、はにかんだ笑顔をアンにむけると、裏庭へ入っていった。
その夜、部屋に上がっても、アンの胸には、彼の笑顔がやきついていた。そしてアンは開けはなった窓辺に、長い間、腰かけて、過ぎ去った日々を思いかえし、未来の夢に想いをはせていた。
窓の外には、≪雪の女王様≫が、月の光を浴びて、白い霞のような桜の花をまとっていた。
果樹園の坂のむこうの沼地からは、蛙の声が響いていた。
アンは、いつまでもおぼえていた。銀色の月明かりに照らされ、平和で、美しく、空気はほのかに香り、静寂にみちていた、この夜のことを。
それは、哀しみの手が、アンの人生に触れる前の最後の夜だったからだ。
ひとたび、その冷たく神聖な手に触れられると、人生は、もう二度と元には戻らないのだ。

L.M.Montgomery 『Anne of GreenGables』
松本侑子訳『赤毛のアン』(2000年、集英社文庫発行)423-424頁より引用しています。

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パソコンを持ち歩きながら彷徨い歩く一週間がまた過ぎ、少しほっとできる週末、松本侑子先生の『赤毛のアン』を原書で読むセミナーに行ってきました。


クイーン学院の卒業試験を終え、今の日本円で一千万円ぐらいの大学進学の奨学金を獲得したアンは5カ月ぶりに帰郷し、いろいろな変化に直面します。マシューが年をとり顔色がよくないことに気づいたのもそのひとつでした。


夏の夕暮れ、(緯度が高いので陽が落ちて暗くなるのは9時頃)、血のつながりのないアンとマシューが≪恋人たちの小径≫を歩きながら、ほんとうの親子となって互いを思いやり、心通わせます。慈愛の人マシューは誰よりもアンを愛してくれました。
この翌朝、マシューは永遠の旅に出ることとなり、二人が会話を交わした最後の場面となるのでした。
アンが手にした栄光(大学の奨学金)と夢(文学士号)は束の間の輝きであることが暗示されている章です。
松本先生の朗読を聞きながら、涙がにじんでいました。
心あらわれたひとときとなりました。


今の混乱で、こんなことがなければ知ることのなかったことをたくさん知りました。
グレイなものをみてやりきれない思いがしています。
これからどこに希望を見出せばいいのか、今はわかりません。

信じることができるのは温もりのある人とのつながりと自分自身の感性でしょうか。

こういう困難にぶちあたった時、今までに積み重ねてきたものが試されるものなんですね。
私には妹の分まで生きるという大切な役割があることを忘れなければ大丈夫。
ようやく気持ちの整理もできてきました。
精算が終わったらきっと自ずと妹が次に進むべき道を教えてくれる-
漠然とですがそう信じて今はこのまま進んでいこうと思います。

平日の図書館はなかなか不思議です。
男性が多い中坐ってパソコン作業するのもちょっと大変。
ネクタイした人がずっといたり・・・。
この人なにしているんだろうってお互いなんとなく思っているんでしょうね。
いろんな方がいらっしゃいます。






赤毛のアンを原書で読むセミナーのことなど徒然に

2013年12月22日 13時45分43秒 | 『赤毛のアン』
昨日は松本侑子さんの『赤毛のアン』を原書で読むセミナーに参加し、第32章「合格発表」の中から読みました。
土曜日の夕方、大混雑の新宿まで行くのはそれだけでかなりのエネルギーを要しますが、行けば心のエネルギーが満たされる時間を過ごせます。

クリスマスプレゼントに手作りのお菓子をくださった方がいらっしゃって、妹の写真の前にお供え。あとでわたしがいただきます。

最後の文章が本当に美しいので書きたいと思います。

季節は春から夏へと移り変わった頃、アンが初めてグリーン・ゲイブルズにやってきた時から4年が過ぎ、クイーン学院を受験したアンはギルバート・ブライスと同点の一位で見事合格。合格の知らせを親友のダイアナから知らされたアンの一日の終わりの場面です。


That night Anne,had would up the delightful evening with a serious little

talk with Mrs.Allan at the manse,knelt sweetly by her open window

in a great sheen of moonshine and murmured a prayer of gratiude and

aspiration that came straight from her heart.There was in it

thankfulness for the past and reverent petition for the future;

and when she slept on her white pillow her dreams were as fair and

bright and beautiful as maidenhood might desire.


「このめでたい夕べのしめくくりに、アンは牧師館に出かけて、アラン夫人と短いながらも真剣に語り合った。そして夜、アンは自分の部屋に入り、幸せに満ちたりた気持ちで窓辺にひざまずいた。開け放った窓から、月の光が煌々と射しこみ、アンを照らしていた。アンは、心の底から湧き上がる感謝と抱負をこめて、祈りの言葉をつぶやいた。過ぎ去りし日々への感謝と、未来への敬虔な願いが込められた祈りだった。そしてアンは眠りについた。真っ白な枕の上で見る夢は、乙女らしい清らかさ、輝かしさ、美しさに、満ちあふれていた。」

L.M.モンゴメリ『Anne og Green Gables』
松本侑子訳『赤毛のアン』(381-382頁、集英社文庫、2000年5月25日発行)より。

アンが感謝しているのは神様、そして孤児だった自分を引き取って育て、お金を工面してクイーン学院まで行かせてくれるマシューとマリラだという松本先生のお話でした。涙がにじみました。
この少し前、アンを心の底から愛するマシューのやさしさを垣間見る場面があります。
マシューのモデルになっているのは、モンゴメリさんのお父さんだという話もあると、初めてプリンス・エドワード島を訪れた時に現地の日本人ガイドさんからお聞きしました。
色々な思いが重なりあって心に沁み入ります。何度もかみしめていきたいと思います。


講座が終ってから向かいのホテルのティールームでお茶会があり、ケーキセットをいただきました。ありがたく幸せなことです。
同じテーブルになった方々と少し、今の私たち食べ過ぎ、贅沢し過ぎているよね、という内容の話になりました。
個人的なことに触れるので詳細は自分のことだけ書きます。
自分の生活をこの頃反省しています。

わたし、しばらく前まで夕方になると毎日職場の近くのコンビニに行ってはペットボトルとおやつを買って残業していました。たまったレシートを整理してみてびっくり。なんと無駄使いをしてきたことか。
だいだい9-10時間労働の日々、残業していることに変わりはないのですが、店員さんがマニュアル対応のコンビニはやめました。朝作ったお茶を飲み干したらあとはペットボトルにお湯か水を注いで、おやつがほしい時はお昼の帰りに近くの昔ながらの八百屋さんのようなお店で買います。ポイントありませんが、毎度ハンで押したようにポイントカードは?と聞かれるより気持ちよく買い物できます。

夜は閉店間際のお店に駆け込んで値引きになった惣菜を買いこんでは食べていましたが、これもレシートを整理してみてびっくり。売っている総菜は味が濃すぎますね。お店の人はアルバイトのマニュアル対応で気持ちよくないし、できるだけ控えるようになりました。
ごはんは休日に一週間分焚いておいて冷蔵庫へ。にんじんなど温野菜は何もつけなくてもおいしく食べられるので、あとは魚など少しとスープで十分。
なんとも情けない生活ですが、労働時間が長いので今はこれで精一杯。

できればお昼をこれまたマニュアル対応のファーストフードカフェに行って高いお金を出して、さほどおいしいわけではないパスタなど食べるのをやめたい。でもお昼は職場の建物の外に出たいので今のところ変えるのは無理かな・・・。

都心は人が集中し過ぎているし、震災前よりは暗くなったけれどあちらもこちらも煌々と電気がついていて贅沢し過ぎている感じがなんともたまらなくなるこの頃です。
パリにはコンビニがないと2008年に行った時現地の日本人ガイドさんからお聞きしました。
たしかにみかけなかった。
日本も24時間お店が開いてなくても、もういいんじゃないかなという気がします。
わたし自身まだまだ頼ってしまってはいますが・・・。


先日、専門職の協会に退会連絡の手紙を出しました。2007年に国家試験に合格して、熱い思いがあって協会に入会して、年齢が高いので気おくれしながらも研修にも一生懸命参加しました。
でも自分の居場所はわからなかった。研修と自分が当事者あるいは当事者の家族としてのたうちまわるような日々を過ごしてきたという事実との間の距離は埋まらなかった。
2010年の夏、自殺予防対策の研修に参加したのを最後に全く顔を出さないままになってしまいました。その翌月には父親との突然のお別れとなりました。

通信教育で大学を卒業した後、カウンセリングスクールに通い、それからまた専門学校の通信教育で勉強した。非正規でありながら2人分ぐらい働きながら職場には一言も言わずに小さい体をすり減らすような思いでがんばり続けた。今振り返れば信じられないような無理を自分にさせ続けた。
母の精神疾患のこと、妹の自死のことを受け入れたい、その思いで必死だった。一途だった。
それが自分の人生にとってどんな意味をもつのか。それがわたしの中に落ちてくるまでにもう少し時間が必要なのかもしれません。

妹とのお別れの後の日記、母への思い、このブログに書き切っていきたいと思っています。
まだまだわたし、自分の中に言葉がたまっています。
書きたいこといっぱい・・・。
忘れるわけではない、わたしの人生の時間にも限りがあるので、本当にわたし自身を生きていくための一歩を踏み出していきたいと思います。


よろしかったら引き続き読んでやってください。









『赤毛のアン』最終章-前向きに生きる力

2013年07月20日 21時42分36秒 | 『赤毛のアン』
 次の日の夕方、アンは小ぢんまりとしたアヴォンリ-の墓地へ出かけていった。マシューのお墓に新しい花をそなえ、スコッチローズに水をやった。そして彼女は、この小さな墓地の穏やかな静けさを心地よく思いながら、薄暗くなるまで、佇んでいた。ポプラの葉が風にそよぎ、そっと優しく話しかけるように、さやさやと鳴った。思うにままに墓地に生いしげっている草も、さわさわと揺れてささやきかける。アンがようやく立ち上がり、≪輝く湖水≫へ下っていく長い坂道をおりる頃には、すでに日は沈み、夢のような残照の中に、アヴォンリーが横たわっていた。それはまさに、「太古からの平和がただよえる故郷」だった。クローヴァーの草原から吹く風は、蜂蜜のようにほの甘く、大気は、すがすがしかった。あちらこちらの家々に明りが灯り、屋敷森をすかして、ゆれていた。遠くには、海が紫色にかすみ、潮騒の音色が、絶え間なく寄せてはかえし、かすかに響いている。西の空は、日の名残にまだ明るく、柔らかな色合いが微妙に混じり合っていた。池の水面は夕空を映して、さらに淡く滲んだ色に染まっている。このすべての美しさに、アンの心はふるえ、魂の扉を喜んで開いていった。
「私を育ててくれた懐かしい世界よ」アンはつぶやいた。「なんてきれいなんでしょう。ここで生きること、それが私の歓びだわ」

 丘を半分ほどおりていくと、すらりとした青年が、口笛を吹きながら、ブライス家の木戸から出てきた。ギルバートだった。彼はアンに気づくと、口笛をやめ、礼儀正しく帽子をとってあいさつをした。もしアンが、立ち止まって手を差し出さなかったら、彼はそのまま無言で通り過ぎていっただろう。
「ギルバート」アンは顔を真っ赤にして言った。「学校を譲ってくれて、ありがとう。お礼を言いたかったの。本当に親切にしてくれて・・・。感謝していることを知ってほしかったの」
 ギルバートは、さし出されたアンの手をしっかりと握った。
「アン、別に親切というほどのことじゃないよ。何かして君の役に立ちたいと思ったんだよ。僕たち、これからは友だちになろうよ。前に君をからかったこと、もう許してくれたかな?」
 アンは笑って、手を引っこめようとしたが、彼はまだ握っていた。
「池の船つき場に上げてもらった時には、もう許していたのよ。でも自分では気づいていなかったの。なんて頑固なお馬鹿さんだったのかしら。それに、思い切って白状すると、あれ以来、ずっと後悔していたの」
「僕たち、大親友になれるね」ギルバートは見るからに嬉しそうに言った。「君と僕は、いい友だちになるために生まれてきたのに、アン、その運命を君が邪魔してきたんだよ。僕らはお互いに、いろいろなことで助けあえると思うよ。勉強は続けるんだろう?僕もだよ。さあ、家まで送っていくよ」
 アンが台所に入って来ると、マリラは、好奇心の塊のようになってアンを見つめた。
「アン、小道を一緒に上がってきたのは、誰だい」
「ギルバート・ブライスよ」アンは、顔が赤くなっているのに気づいて、うろたえた。「バリー家の丘であったのよ」
「門のところで三十分も立ち話をするほど、ギルバートと仲良しだったとは知らなかったね」
 マリラは冷やかすように笑った。
「今までは仲良しじゃなかったわ、競争相手だったもの。でも、これからは仲良くした方が賢明じゃないか、ということになったのよ。本当に三十分も話していた?ほんの二、三分だと思っていたわ。でも、マリラ、五年間も話さなかった分を、取り戻さなければならないのよ」

 その夜、アンは満ち足りた気持ちで、長のらく窓辺にすわっていた。風は桜の枝をそよそよと優しく揺らし、薄荷(ミント)の香りをアンのもとまで運んできた。窪地の尖ったもみの上には、満天の星がまたたき、いつもの方角に目をむけると、ダイアナの部屋の灯が森をすかしてちらちらと輝いている。
 クィーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからたどる道が、たとえ狭くなろうとも、その道に沿って、穏やかな幸福という花が咲き開いていくことを、アンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情は、アンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や、夢みる理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道には、いつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
「『神は天に在り、この世はすべて良し』」アンはそっとつぶやいた。


 L・M・モンゴメリ 
 松本侑子訳『赤毛のアン』第38章、(2000年発行、集英社文庫)より。

 
 長い引用になりましたが上記の場面を、松本侑子さんの「『赤毛のアン』の謎とき-英文学と幸福の哲学」の講座に参加して、先生の朗読で聴きました。マシューのお墓に花を供えたアンが静かに心揺れ惑い、最後にはこの場所で生きていこうと決意する場面、そして一番最後の窓辺にすわっている場面は大好きで元気をもらえるので、原文と翻訳をノートに書いていつも持ち歩いています。そして朝の通勤電車の中で、職場が近くなった頃に必ず読んで電車を降りるのが日課になっています。今日は、原書のペーパーバックに目をやりながら、先生の美しい声で聴いてあらためて心に深く入ってきました。ちょっと涙が出そうになりました。


 冒頭のブラウニングの詩と最後を飾るブラウニングの詩「ピッパが通る」の紹介、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』からの引用の場面(第5章、アンの生い立ち)の紹介、『赤毛のアン』の幸福の哲学-いつも夢と希望をもって生きるアン、衣食住を丁寧に堅実に生きるマリラ、家族を愛する・いつも味方でいるマシュー、地元の活動に参加・地域の一員となるリンド夫人-、ロバート・バーンズ作詞のスコットランド民謡「わが恋人は赤い赤いバラにのせて」を流していただきながらアンにゆかりの場所の写真のスライドショーも拝見し、幸せなひとときでした。モンゴメリに『赤毛のアン』を称賛する手紙を送ったマーク・トウェインは、独学で英文学を学び、アンには数多くの引用があることを理解して読んでいたというお話もうかがいました。



 マシュー・マリラの兄妹と、アンは血のつながりがないからこそ、一緒に暮らしていく中で互いを思いやり慈しむ心が生まれ本当の家族になれたのかもしれない、そんなことをふと思いました。血のつながりってむずかしいですね。

 これからもこのブログに母や妹のことを書き続けていくつもりです。自分の中にたまっているものがたくさんあって外に向かって表現していきたい、まだまだ書き足りない、そんな思いが強いからです。
 
 でももう自分を責めたり、因果関係を追い求めたりすることはこれ以上やめようと思います。十分過ぎるぐらいにのたうちまわってきました。自分の感性を信じて、その分まで一生懸命に生きていこうと思います。私はまだ出会うべくして出会うべきもの(人)にまだ出会っていない、これからまだ幸せになれる時間はある、そんな気持ちになれた一日でした。


 松本侑子さんは、著書の中で最終章をこんなふうに紹介されています。


「進学、就職といった人生の岐路において、思いがけず不本意な結果になっても、今ここで生きることに最善を尽くす・・・。そうすれば、いつかきっと最善の収穫が返ってきて、次なる未来の扉は自然に開かれるだろう、すべては天の神が守り、導いてくださる・・・。アンはそう信じて、また前向きに生きていこうと決意するのです。
 こうして長編小説『赤毛のアン』は、神へ信頼と感謝、未来への希望に満ちあふれた明るさのなかで、静かに幕を下ろしていきます。」

 松本侑子著『赤毛のアンへの旅-秘められた愛と謎』、(NHK出版、2008年発行)より。

 
写真は、春のプリンス・エドワード島、バルサム・ホロウ・トレイルの中を流れる小川です。
長い文面を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。