たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『Anne of Green Gables』より_第21章A New Departure in Flavourings

2020年05月03日 08時14分10秒 | 『赤毛のアン』
 「isn,t it nice to think

  that tomorrow is a new day

 with no mistakes in it yet?

  明日はまだ何の失敗もない新しい一日だと思うと、嬉しいわね。



アンは、お茶会で、親友ダイアナに間違ってスグリの果実酒を飲ませてしまいますが、ほかにも、痛み止めの塗り薬入りのケーキを焼いたりします。けれどアンは、いつまでも落ちこんでいません。マリラに言います。

isn,t it nice to think that tomorrow is a new day with no mistakes in it yet?

この文も、It~to不定詞の構文です。

実質的な主語の「to不定詞の部分は、to think that~で、「~と思うこと」、そしてthat以下は、

tomorrow is a new day「明日は、新しい1日です」

with no mistakes in it yet「まだそこ(新しい1日)に何の失敗もともなっていない」

そこで全体を訳すと、「明日は、まだ何の失敗もない新しい1日だと思うと嬉しいわね、そうでしょう?」となります。

たとえ今日は失敗しても、明日はまだ何の失敗もしていない新しい1日だ!

そうしたアンの前向きに生きる姿勢、楽天的な考え方が、私たち読者を惹きつける大きな魅力だと思います。」

(『3カ月トピック英会話ー『赤毛のアン』への旅』2008年テキストより)






『Anne of Green Gables』より_第38章The Bend in the Road

2020年04月24日 09時00分52秒 | 『赤毛のアン』
「Now there is a bend in it.

I don,t know what lies around the bend,

but I,m going to believe that the best does.


成長したアンは、人生は、先の見通しがきくまっすぐな一本道ではなく、思いがけない曲がり角が訪れることを悟ります。それが上記のアンの台詞です。

松坂慶子さんは、『赤毛のアン』で一番、感銘を受けた言葉だとおっしゃっていました。わたしも同感です。

誰の人生にも、予測しない曲がり角が訪れます。このまま人生が続くと思っていたのに、考えもしなかった方向へ曲がることがあります。

アンの「曲がり角」は、マシューが急死したため、大学と奨学金をあきらめて、島に残って先生になることでした。

そうした予想もしなかった「曲がり角」を前にすると、私たちはとかくやる気をなくしたり、先々を悲観的に考えたりしがちです。

しかしアンは言います。 I,m going to believe that the best does(around the bend).「(曲がり角のむこうに)最高のものが待っていると信じよう」未来には最高の人生が待っている。そう信じる明るい心が、良い未来を創り出していく・・・。それは、この小説にモンゴメリがこめた最大のメッセージです。と同時に、幼い頃に母と死別し、父とも生き別れて育ち、自力で人生を切り拓いてきたモンゴメリ自身を支えた信念でもあったと思います。」


(『3カ月トピック英会話ー『赤毛のアン』への旅』2008年テキストより)

『Anne of Green Gables』より_第4章Morning at Green Gables

2020年04月23日 08時12分56秒 | 『赤毛のアン』
「All sorts of mornings are interesting,don,t you think?

You don,t know what,s going to happen through the day,

and there,s so much scope for imagination.

 どんな朝でもわくわくするわ、どうでしょ?
 これからの一日、何が起きるのか誰にもわからないもの。
 想像の余地がたっぷりわるわ。

 グリーン・ゲイブルズへ来たアンは、本当は男の子を頼んでいたと知らされ、「絶望のどん底」だと泣きながら眠りにつきます。しかし一夜が明け、目をさましたアンは、明るい表情でマリラに言います。

ふつうの女の子なら、自分はグリーン・ゲイブルズにいられないのだと悲しい気持ちのままかもしれません。しかしアンは違います。たとえ、つらいことがあっても、今は新しい1日が始まる朝、今日の1日、どんないいことが起きるかわからないとアンは話します。

All sorts of mornings are interesting,
「どんな種類の朝も、面白いわ」sortは種類という意味です。
don,t you think?
「あなたは、そう思わない?」
You don,t know what,s going to happen through the day,
「今日の1日、何が起きるのか、誰もわからないもの」
You don,t know「人は誰もわからないもの」
what,s going to happenは、「これから何が起きるのか」、
be going to + 動詞は「近い未来」でしたね。
through the day,
「今日の1日を通して」、つまり「朝から夜までを通して」
and there,s so much scope for imagination.
「想像の余地がたくさんあるわ」
scope for imagination「想像の余地」は、アンの口癖で、この英語は物語には何度も出てきます。

朝起きた時、今日も変わりばえのしないつまらない1日が始まるだろう、と思うのではなく、すてきなこと、新しいことが起きるかもしれないと、アンは楽しみに想像します。人生をできるだけ、ほがらかな気持ちで生きようと心がけるアンの前向きな姿勢が表れています。」

(『3カ月トピック英会話ー『赤毛のアン』への旅』2008年テキストより)


『Anne of Green Gables』より_Motto

2020年04月21日 08時27分29秒 | 『赤毛のアン』
「The good stars met in your horoscope,

Made you of spirit and fire and dew.


BROWNING

あなたは良き星のもとに生まれ

精と火と露より創られた 
 

           ブラウニング

 19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングRobert Browningが書いた短い詩「エヴリン・ホープ」からの引用です。

モンゴメリは「赤毛のアン」の冒頭に、この2行を題字mottoとして掲げています。

前半は、The good stars met in your horescope,

直訳すると「あなたのホロスコープに良い星たちが集まり」。ホロスコープは星占いで使う占星図です。「あなたは良き星のもとに生まれ」と訳します。

後半は、Made you of spirit and fire and dew.「あなたは、精神と火と露より創られた」

「精と火と露」は英文学では次のような意味があります。「精」spiritは豊かな精神、「火」fireは情熱、活気、熱意、「露」dewは朝露のような純真さ、みずみずしさ、さわやかさ、です。

そこで後半は、「あなたは豊かな精神と情熱と純真さから創られた」という意味です。

もともとのブラウニングの詩では、エブリン・ホープという16歳の少女を描写した2行です。しかし『赤毛のアン』の題字としての意味は、主人公アンの未来と人となりについて、これから読んでいく読者に、象徴的に伝える役割を果たしています。

つまり、前半の「あなたは良き星のもとに生まれ」はアンの未来の幸福の予感、そして後半は、主人公の豊かな内面性を表現しています。」

(『3カ月トピック英会話ー『赤毛のアン』への旅』2008年テキストより)



久しぶりに『赤毛のアン』

2017年03月12日 22時11分10秒 | 『赤毛のアン』
 ようやく久しぶりに『赤毛のアン』を原書で読むセミナーの資料の読み返しました。

 2014年11月に読んだ第37章「死という命のかりとり」
 (The Reaper whose Name is Death)


 When the calm night came softly down over Green Gables the old

house was hushed and tranquil.


(「赤毛のアン」を英語で楽しもう、単語帳より引用しています。)


マシューが急逝した日の夜、弔問客でごった返していたグリーン・ゲイブルズに静かに夜がやってきて穏やかに包み込んでいく、というほどの意。モンゴメリさんの文章の美しさを感じさせてくれる一文です。このあとこれからどうやってごはんを食べていけばいいのだろうと途方に暮れたマリラとアンは、お互いがいるじゃないかと励まし合い、突然マシューとのお別れが訪れた哀しさを二人だけで分かち合います。父とのお別れ、母とのお別れの時のことを思い出します。

 このセミナーから2年以上が過ぎていることに驚きました。わたしカイシャとの闘いで半端ない緊張感の日々の中でもセミナーに参加していたんですね、我ながらびっくり。なんか壁にぶち当たることの連続なのにひん曲がらないでいる自分、えらいなって思いました。アンが教えてくれている自分を信じることの大切さをあらためてかみしめています。先のことはわかりません。今を生きるのみ。それでいいじゃあないですか。

 二日間ひきこもってなんとか生き返りました。先々週の訪問の疲れがきていて動けませんでした。今週もまた二回訪問あるし、水曜日の朝は雪の予報。大変な一週間が予想されます。なんとか生き延びていければと思います。また週末になったら原文も少しばかり読みたいなー。断捨離もあるし。明日から金曜まではまた長々とグチ日記しか書けません。無事に書けるといいです。よろしかったらまた訪問してください。





小さな幸せ_映画『赤毛のアン』

2016年07月17日 23時05分22秒 | 『赤毛のアン』
 朝からどんより曇り空。外に出ると霧がかかったようにもあっ。昼間に大きな地震があったし、なにか大きな自然災害が起こる前触れなのかな。いたずらに不安になるのはよくないですが鉄筋コンクリートの建物がゆっくり、みしみし大きく揺れると東日本大震災の時の恐怖感をどうしても思い出してしまいます。はやくおさまりますように、これ以上大きな揺れがきませんようにと祈りながら、なす術なく過ぎていくのを待つことしかできません。たぶん数十秒だったと思いますが数分に感じられました。東日本大震災とそのあとに繰り返しやってくるゲリラ豪雨のたびに感じた、近くに知る人がいないひとりぼっちの心細さもまたよみがえってきます。遅めにお昼を食べた後お昼寝で元気を取り戻して、夕方ようやく買い物とお茶するために外出。少し前から気になっていたレモンジュレムース(正確な名前は思い出せません)と紅茶をいただきながら、映画『赤毛のアン』のシナリオを読み始めました。

 10年ぐらい前に購入しながら、なかなか手をつけられずにいました。難易度は最上級。『赤毛のアン』を原文で読むセミナーに何度も参加て、原文を少しずつ読み進めた今なら、対訳もついているし、なんとかかんとか大丈夫かな。あくまでも映画なので原作の文章そのままというわけではありませんが、原作のエッセンスをうまく凝縮した作品になっているので、原作を読んでいるときのような幸せ感にしばし満たされました。

 ブライト・リバー駅に孤児院からやってくる男の子を迎えに来たマシューが、これはなにかの手違いだと言いかけるものの瞳をきらきらさせている女の子を前にして、男の子を迎えに来たとは言い切れず、馬車に乗せてグリーン・ゲイブルズに連れて帰れて帰る場面。撮影場所は、オーウェル・コーナー歴史村かな?!大好きな場面です。

 シャイなマシューおじさんに出会って、家に帰る喜びにあふれたアンはこんなふうにおしゃべりを始めます。

We,ve got a long piece to drive yet,haven,t we?

Oh,I,m glad,because I love driving.

It seems so wonderful that I,m gonna live with you
and belong to you.

I,ve never really belonged to anyone before.

「道のりはまだ長いんですよね?ほんと良かった、だって馬車に乗るのが大好きなんです。
 あなたの家族になって一緒に暮らせるなんて本当に素敵ですわ。今まではずっと家族が
 いなかったんですもの。」

(外国映画英語シナリオ スクリーンプレイ・シリーズ 赤毛のアン 1996年9月10日第一刷 (株)フォーイン クリエイティブ プロダクツ より)

 生後三か月で両親がなくなり孤児となったアンを支え続けたのは、豊かな想像力、夢見る力でした。


No,I prefer to sit here.

There,s so much more scope for the imangination.

「いいえ、ここに座ってた方がいいんです。うんと想像力がめぐらせられますから。」

 原作にはないブライト・リバー駅でマシューを待つアンの様子を映画は描いています。
想像の余地があるという言葉は原作に繰り返し登場します。映画はうまく取り入れているなと思います。

 1歳で母が病死。再婚した父と離れ、母方の祖父母に育てられた作者のモンゴメリさんを支え続けたのは豊かな想像力だったにちがいありません。アン・シャーリーという実在しない、豊かな想像力をもつ女性をうみだしたのは、モンゴメリさんの豊かな想像力に他なりません。言語を文字で追っていくとぐっとせまってくるものがあります。

 連休なのでこんな余裕も少しあり。いつ読み切れるかわかりませんがぼちぼちといきます。言語で味わえるなんて、小さな幸せのひとつ。


トップの写真がなぜかうまく表示されていませんが、春のオーウェル・コーナー歴史村です。まぶしい緑と赤土。アンがPEIにやってきたのは春(6月)でした。

こちらは、オーウェル・コーナー歴史村の中にあるワンルーム・スクール。
カナダの国家元首はイギリスのヴィクトリア女王だったのでイギリスの国旗が飾られています。


Gilbert Blythe

2016年07月02日 15時02分23秒 | 『赤毛のアン』
 昨日から7月、今年後半戦、雨が降らないとどかっと暑い陽射し、不気味な風の音、厳しい夏の予感、二週間ぶりの連休。体がおもくってものすごく疲れていることをずっしりと感じます。夕方から帝劇を往復するのがやっとみたいです。他の出かける気力なし。無理は禁物。健康な体があってこそ。生きていればこそ。

 昨日このブログを訪問してくださった検索キーワードからネットの記事にたどりつき、映画『赤毛のアン』三部作でギルバートを演じたジョナサン・クロンビーが昨年の4月に他界されていたことを知り驚きました。ほぼ同世代。48歳は若すぎます。人生の時間には限りがあるのだということをあらためて思わないわけにはいきません。

こちらの記事。

http://www.cinematoday.jp/page/N0072568


『続・赤毛のアン アンの青春』のパンフレットにはこう紹介されています。

「ジョナサン・クロンビー JONATHAN CROMBIE

 「赤毛のアン」の感動的なラストで、遂にアンの心を開かせ、この続編では彼女に深い愛情を注ぐギルバート役を好演するジョナサン・クロンビー。
 
 モントリオールのマックギル大学の学生時代、学生演劇の舞台に立っているところを見出され、オーデションに臨み、この役をつかんだ。以来CBC、ABC、CTVなどの人気番組に次々と出演。俳優としてのキャリアを確実に重ねている。」

 真冬のモントリオールを訪れたとき、マックギル大学の前も通りました。雪が深くていまひとつわかりませんでしたが荘厳な佇まい。地球の歩き方には、医学部は世界最高峰と紹介されています。ギルバート役のジョナサンが通った大学というだけで嬉しかったことを思いだします。映像の中のギルバートは永遠に生き続け、わたしたちの胸をときめかせてくれます。

He(Gilbert Blythe) was a tall boy,with cury brown hair,roguish hazel eyes, and a mouth twisted into a teasing smile.

彼(ギルバート・ブライス)は背が高く、茶色の巻き毛に、茶目っ気のあるはしばみ(へーぜる)色の瞳をしていて、ひねった唇には、人をからかうような笑みが浮かんでした。

(松本侑子訳『赤毛のアン』第15章学校での一騒動、集英社文庫より。)


 銀の森屋敷で購入してパムさんのサインもいただいた映画『赤毛のアン』三部作の外箱をスキャンしてみました。


 

『赤毛のアン』がおしえてくれること

2015年03月18日 22時23分17秒 | 『赤毛のアン』
頭の中がずっと緊張している状況が続いていて、苦しい感じで日々が過ぎていきます。
自分ではどうすることもできないのでなおいっそうきついですが、こんな落ち着かない中、
久しぶりに松本先生の『赤毛のアン』のお話をきく機会があり、元気をもらうことができました。何度かうかがっているお話ですが、あらためてそうだったといろいろと思い出すことができて、束の間の心のお休みでした。

以前にも書いていると思いますが、私、一生懸命働いていた頃本当にハードワークでした。
毎日カバンの中に『赤毛のアン』の最後の場面の原文と翻訳を書いたノートを入れていて、
朝職場の最寄り駅が近づくと、降りる一つ手前ぐらい前の駅から読み始めて、最寄駅を降りる頃に読み終わり、職場へと向かわなければならない自分を励ましていました。

『赤毛のアン』は、ブラウニングの詩に始まり、ブラウニングの詩で幕を閉じます。


 The good stars met in your horoscope,

 Made you of spirit and fire and dew.

 Browning

「あなたは良き星のもとに生まれ、
 精と火と露より創られた
 ブラウニング


モンゴメリは、小説の冒頭に、19世紀英国詩人ロバート・ブラウニングの詩「エヴリン・ホープ」の2行を掲げ、アンの誕生から、物語を始めています。この2行は、アンが幸福を約束された星のもとに、豊かな精神、火の情熱、朝露の純真をたずさえて生まれて来たことを告げる祝福の詩です。」

(松本侑子著『英語で楽しむ赤毛のアン』より)


Anne sat long at her window that night companioned by a glad content.

The wind purred softly in the cherry boughts,

and the mint breaths came up to her.

The stars twinkled over the pointed firs in the hollow

and Diana,s light gleamed throught the old gap.

Anne,s horizons had closed in since the night she had sat there after coming

home from Queen,s;but if the path set before fer feet was to be narrow

she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it.

The joys of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship

were to be hers;nothing could rob her of her birthright of fancy

or her ideal world of dreams.And there was always the bend in the road.

"God,s in His heaven,all,s right with the world,"

whispered Anne softly.

「その夜、アンは満ち足りた気持ちで長らく窓辺にすわっていた。風は桜の枝をそよそよと優しく揺らし、薄荷(ミント)の香りをアンのもとまで運んできた。窪地の尖ったもみの上には、満天の星がまたたき、いつもの方角に目をむけると、ダイアナの部屋の灯が森をすかしてちらちらと輝いている。
 クイーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからたどる道がたとえ狭くなろうとも、その道に沿って穏やかな幸福という花が咲き開いていくことを、アンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情は、アンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や、夢みる理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道にはいつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
「『神は天に在り、この世はすべてよし』
アンはそっとつぶやいた。」

(松本侑子訳『赤毛のアン』より)

「神は天に在り、この世はすべてよし」と神への信頼と希望をうたう名句は、
ブラウニングの劇詩『ピッパが通る』からの引用だと松本先生は紹介されています。


目の前がもう行き止まりになったかのように見えても希望を見失わない。
豊かな想像力や夢みる力を失わない。
今自分にできることを一生懸命に考えて、最善と思われる道を選んでいく。
この場面は、ひたむきに生きることの大切さ、自分を信じる気持ちの大切を教えてくれています。

苦しい時の終わりはまだ見えてこないけれど、きっと大丈夫と自分に言いきかせます。
今月3日に自死遺族としてはじめて人前で話をさせていただきました。
そのために自分の歴史を時系列に振り返って資料を準備しました。
一個人の歴史が外に出たことで、ほんの少しでも社会に還元できていれば嬉しいし、
私の中で客観化されてきたことは大きな節目だったと思います。
長い間自責の念がありました。
ようやく本当に自分を肯定できるようになったのかもしれません。
これからまだ生き直しの時間はあります。
自分の感性を信じつづけるしかありません。
もう無理なのかなあ・・・。
そんなことない、きっと大丈夫。



モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡。

お庭を歩いていると、風の音がきこえます。
ざわざわ、ざわざわ、緑の木々の葉が風にゆれる音がきこえます。
空を見上げると、遠く遠く雲が流れていきます。

モンゴメリさんがアンに込めた思いが今も息づいているように感じます。








赤毛のアンを原書で読むセミナー(第37章死という命の刈りとり)

2015年03月08日 22時21分51秒 | 『赤毛のアン』
去年の12月20日に第37章「死という命の刈りとり」を読みました。
マシューとの突然の別れが訪れる場面で、父親とのお別れの時を思い出してしまいました。

さらなる緊張を強いられる場面にいかなればならないのか、その前に苦渋の選択を強いられて終わることができるのかのどちらか、緊張の日々が続いています。
思わず肩に力が入ってしまいますが、昨日体にアプローチして心の緊張をといていく方法を
教えてもらえる機会があったので、呼吸を整えながらようやく書いてみようと思います。



The news spread quickly through Avonlea,and all day friends and neughbors

thronged Green Gables and came and went on errands of kindness for the dead

and living. For the first time shy,quiet Matthew Cuthbert was a person of

central importance;the white majesty of death had fallen on him and set him apart

as one crowned.

「訃報は、またたくまにアヴォンリーに広まり、終日、グリーン・ゲイブルズは、お悔やみに訪れた友人や近所の人々が耐えなかった。弔問客は、亡き人と残された二人のために、何くれとなく世話をやいてくれた。人見知り屋で無口だったマシューが、初めて、人々の関心をひき、その的となった。死という青ざめた王者の威厳がマシューにそなわり、彼に王冠を載せ、生ける人々と引き離したのだ。」

When the calm night came softly down over Green Gables the old house was

hushed and tranquil.In theparlor lay Matthew Cuthbert in his coffin,

his long gray hair framing his placid face on which there was a little kindly smile

as if he but slept;dreaming pleasant dreams.

「やがて夜の静寂が、グリーン・ゲイブルズにそっと訪れた。古い家に人声はとだえ、ひっそりと静まりかえった。マシューの棺は、客間に安置された。安らかな顔は長い白髪にふちどられていた。まるで楽しい夢を見て眠っているように、微かに優しく微笑んでいた。」

In the night she awakened,with the stillness and the darkness about her,

and the recollection of the day came over her like a wave of sorrow.

She could see Matthew,s face smiling her as he had smiled when they parted

at the gate that last evening--she could hear his voice saying,

"My girl--my girl that I,m proud of."

Then the tears came and Anne wept her heart out.

Marilla heard her and crept in to comfort her.

「夜ふけ、アンはふと、目が覚めた。あたりは静まりかえり、真っ暗だった。すると、今日一日の出来事が、悲しみの波となって一挙に押しよせてきた。昨晩、木戸のところで別れぎわに、アンに微笑んでくれたマシューの笑顔が、目にありありと浮かんできた。「わしの娘だ、わしの自慢の娘だよ」と言ってくれた声も、耳によみがえってきた。そのとたんに、涙があふれ、アンは胸が張り裂けんばかりに泣いた。マリラはその泣き声を聞きつけると、アンを慰めようと、そっと部屋に入ってきた。」

”There--there--don,t cry so dearie.

It can,t bring him back.

It--it--isn,t right to cry so.

I knew that today,but I couldn,t help it then.He,d always been such a good,kind

brother to me--but God knows best."

「「さあ、さあ、そんなに泣くのはおよし、いい子だから。泣いても、マシューは帰ってこないんだよ。そうだよ、そんなに泣いちゃいけないよ。それを私もわかっていたけれど、今日は堪えきれなくて泣いてしまったよ。私にとってマシューは、いつも心根の優しい、いい兄さんだった。でも、これは神様のおとりはからいだからね」」

”Oh,just let me cry,Marilla,"sobbed Anne."The tears don,t hurt me like that ache

did.Stay here for a little while with me and keep your arm round me--so.

I couldn,t have Diana stay,she,s good and kind and sweet--but it,s not her sorrow

--she,s outside of it and she couldn,t come close enough to my heartto help me.

It,s our sorrow--yours and mine.Oh,Marilla,what will do without him?"



「「ああ、マリラ、でも今は泣かせて」アンは泣きじゃくりながら言った。「涙は私を楽にしてくれるの。悲しい時のあの胸の傷みは、私を苦しめるけれど。もう少しここにいて、私を抱いていて、そう、ありがとう。ダイアナには、いてもらうわけにはいかなかったの。親切でおもいやりのある友だちだけれど、でも、これは彼女の悲しみじゃないもの。ダイアナは、悲しみの外にいるに、だから、私の心に近づいて慰めることはできないのよ。これは私たちの悲しみよ、マリラと私の悲しみよ。ああ、マシューがいなくなって、これから私たちどうすればいいの」」

"We,ve got each other Anne.I don,t know what I,d do if you weren,t here--

if you,d never come.Oh,Anne,I know I,ve been kind of strict and harsh

with you maybe--but you mustn,t think I didn,t love you as well as

Matthew did,for all that.I want to tell you now when I can.

It,s never been easy for me to say things out of my heart,

but at times like this it,s easier.I love you as dear as if you were my own flesh

and blood and you,ve been my joy and comfort ever since you came to Green Gables."


「「私がついているよ、それに私には、アンがいるんだね。ああ、もしあんたがいなかったら、もしもこの家に来ていなかったら、私は途方に暮れていたよ。私は頑固者で、あんたに厳しかったと我ながら思うよ。だからといって、マシューほどあんたを愛していないだなんて、想わないでおくれ。今なら言えそうだから、言うよ。自分の気持ちを口にするのはどうも苦手だけれど、こういう時なら、言えそうだからね。私はあんたのことを、血と肉を分けた実の娘のように愛しているんだよ。グリーン・ゲイブルズに来たときからずっと、あんたは私の歓びであり、心の慰めだったんだよ」」

『Anne of Green Gables』L.M.Montgomery
(松本侑子訳『赤毛のアン』2000年、集英社文庫427-430頁より)



the calm night came softly down over Green Gables-
夜が静かにおりてきてグリーン・ゲイブルズを包み込む-

原文だからこそ味わうことのできるモンゴメリさんの美しい表現。
翻訳するのはむずかしいという松本先生のお話でした。


Oh,Marilla,what will do without him?"-
私たちこれからどうすればいいの?

農場の担い手だったマシューがいなくなって私たちこれからどうやってごはんを
食べていくの?とアンはマリラにたずねている、という松本先生のお話でした。


映画『赤毛のアン』でコリン・デュハート演じる、気むずかしいけれど本当は豊かな愛情と優しさを内側に秘めている、ごつごつっとした感じのマリラがアンを抱きしめながら、初めて素直に愛情を伝える場面は印象的です。
自分の思いを言葉にして相手に伝えることがなかなかできないマリラの不器用さに
共感できるものがあります。そんなマリラが、アンとの出会いによっていつしか変わっていき、素直に気持ちを言葉で表現する姿に心が動かされます。
アンとマシュー、マリラは血のつながりがないからこそ、より深い愛情で結ばれて本当の家族になることができたのかもしれません。


「それまでのマリラはアンを大事に思っていても、素直に愛情を伝えられませんでした。しかしマシューが急逝した日、マリラは初めてI love youとアンに語ります。アンを育てることで愛情表現のできる成熟した女性へと変わったのです。
第36章では、マシューが「わしの自慢の娘だよ」とアンに語りました。第37章では、マリラも「血肉を分けた子どものように大事に思って愛している」とアンに言います。こうしてグリーン・ゲイブルズの3人は本当の親子でなくとも、情愛で結ばれた父と娘、母と娘になったことを、物語の終盤で、作者は感動的に伝えています。」

(松本侑子著『英語で楽しむ赤毛のアン』㈱ジャパン・タイムズ、2014年7月、184頁より)

写真は、グリーン・ゲイブルズの居間。
亡くなった人の髪の毛をリースに編み込む習慣があったそうです。
金髪だと違和感がないですね。

『赤毛のアン』を原書で読むセミナー(第2章マシュー・カスバートの驚き)より

2014年10月24日 21時37分14秒 | 『赤毛のアン』
先週の土曜日(18日)のセミナーから、あっという間に一週間が過ぎようとしています。
お隣の電話の話し声だけじゃなくて内容まで聞こえてきてしまうような落ち着かない環境の
なか、パソコンの重さが体にきていることもありきついですが、今週もなんとか乗り切りました。苦労して家賃払っていてなんだかなあと思いますが、今は仕方ないです。
今まで積み上げてきた引き出しを総動員して、丸ごとの自分で、全身でぶつかっていかないと乗りきって行くことができない困難なこと。きっとこれからは好転していくと信じています。

アンはいつだって全身丸ごとのアンでどんな人にもどんなことにも全力でぶつかっていって、泣いたり笑ったり怒ったり・・・、そんな女の子なんだとあらためて感じるものがあります。

どんな人と出会うかによって人生は変わりますが、手違いによって、マシューとマリラに出会ったことで、アンも、マシューとマリラの人生も好転していきます。

第2章は、春の日、マシューが孤児院からプリンス・エドワード島へやってきた「男の子」を迎えに馬車を走らせる場面から始まります。
マシューは駅で待っているのが、女の子(アン)とはまだ夢にも知らず、この章ではアンの名前も明かされません。
原文を写経のようにルーズリーフに書き写していますが長い章です。
モンゴメリさんは、本当に楽しみながら書かれたんだろうなと思います。


”The little birds sang as if it were

The one day of summer in all the year."

「小鳥たちは歌っていた。あたかも今日が
 一年でただ一日の夏の日であるかのように
   ーローウェル『サー・ローンファルの夢想』より

 晴れわたった春の午後、よく手入れされた農園、すがすがしく香るもみの林、白い花をつけたすもも、いい匂いがする林檎園をすぎゆき、馬は気持ちよく進んでいく。

 ジェイムズ・ラッセル・ローウェル(1819-91)、マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。アメリカの詩人、批評家、外交官。

 この詩『サー・ローンファルの夢想』は、サー・ローンファルが聖杯探索に出かけるところから始まる。
 
 聖杯とは、キリストが最後の晩餐につかった杯だ。キリストが磔(はりつけ)にされた後、
十字架の下で、アリマタヤのヨセフがキリストの血を受けたとされる神聖なものだ。中世のアーサー王伝説では、円卓の騎士たちは、この聖杯を探し出すことを悲願としていた。だから騎士サー・ローンファルも、意気ごんで出かける。

 マシューがアンを迎えに行くときの、うららかな日よりの描写として使われている美しい二行は、騎士が聖杯探求に出発する前の晩に見た、夢の場面だったのだ。

 詩では夢の続きで、サー・ローンファルは乞食で出会う。寒い冬の日、キリストのためにと思って、凍った氷をくだいて乞食に水を与えたところ、それは赤いワインに変わる。金貨をやり、持っていたパンを半分にわって与えたところ、まばゆい光がさし、天の扉がひらいてキリストが現われる。なんとその乞食は、キリスト本人だったのだ。

 キリストの聖杯は、特別な場所に特別な物としてあるのではなく、困っている人に、親切心から物を分け与えるすべての器こそが聖杯になるのだとキリストに教えられる。そこでサー・ローンファルは聖杯探索に出かけるのをやめる、という内容だ。

 詩の内容をつかんでみると、アンを迎えに行くマシューは、キリストの聖なる杯を探しに行く騎士と重ねられていることがわかる。また貴重な聖杯は、この地上に身近にいるアンである、という示唆もある。

 聖地エルサレムや欧州各地を探さなくても、日々の暮らしのなかで、困っている人に対して、優しさと慈愛の気持ちで物を分け与える器、その心がけこそが聖杯なのだと教えられる。

 その観点からすると、サー・ローンファルが乞食に出会い、施しをして真の愛を知ったように、マシューもまた、アンという愛に飢えた貧者に出会い、引き取るという施しをすることで、逆にマシュー自身が、キリストのいう真実の愛にめざめ、神とアンの愛をうけていく、という暗示がある。」

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』2001年集英社発行、301-306頁より抜粋しています。)


 本当は男の子を迎えに来たことを言い出せなかったマシューは、ひとまず女の子を馬車に乗せてグリーン・ゲイブルズへと戻ります。春真っ盛り、花にあふれた島の美しさに感激した女の子(アン)のおしゃべりは続き、原文ではいろいろな文法が入りまじっています。アンは難しい文法を使って話す言語感覚にすぐれた女の子として描かれている、マシューはこういう英語を全く喋っていない、という松本先生のお話でした。

 おぼつかない英語力ですが、原文でしか味わえないものがあるので、12月の講座も楽しみです。11月は学会の日程と重なってしまい残念ですが、欠席になってしまいます。


写真は、グリーン・ゲイブルズの台所です。