たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

9月の雨上がりの夜に・・・

2014年09月07日 21時34分50秒 | 祈り
どうしても肩に力が入ってしまう状況なので、ちょっときつい感じで続いています。
自分の気持ちと正直に向き合っていくことは勇気のいることなのでなかなかできなかったなあとあらためて思います。忙しい、忙しいでずるずると先送りにしたままきてしまった自分の中途半端さもいけなかったですね。ドライな仕組みにのっかっていても、なんとなく暗黙の了解があるようなところにいつの間にか甘えてしまっていました。

ずるずるとしているうちに、本当にドライな社会へと変わってきていることに気づいていなかった自分が甘かったと思います。マクドナルド式のマニュアル社会に変わってきていることに違和感を感じながら、自分の足元には気づいていませんでした。

気持ちに区切りがついたら見えてくるものもあるだろうと、今は信じ続けていくしかありません。まだ大丈夫、仕切り直しはできる‐そう言い聞かせます。

20年前の自分を振り返ってみると、今と変わらないと言えば変わらなくて笑ってしまいます。妹とのお別れからまだ一年も経っていませんでした。必死にもがいていた自分が愛おしかったりもします。かなり情けない状況ではあります。


「1995年7月30日(日)
自分はそこで必要とされない人間だとわかった時のショックが消えたわけではない。が、反面かなり精神的にきつくなっていたので、ほっとしてもいる。明日、決まった時間に起きなくてもいい、というのはとても嬉しい気がしている。
黒姫高原に出かけたのが、やはりよかったみたいだ。夜は涼しくて、なにもない、なにもすることのないログハウスの空間がなつかしくて、まだぼうっとしている。
具体的に、次は何をしたらいいのかわからない。
ただ、風のように、流れるままに、自然に気負わず歩いていけたらいいな。
過去を振り返ったって戻りはしない。
ただ、前だけみよう。
自分に忠実であれば、きっと、きっと、それでいい。」



「大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち、大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の感じがあたえられるものだ。つまり、神はこれによってわれわれをその苦難に堪えうるほどに強めようとされるのである。私はすばらしい成功をおさめる前ほど不幸だったことはなく、また最も困難な出来事に出会う前ほど、喜ばしい、力づよい気分にみたされたことはなかった。」

(ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために(第一部)』岩波文庫、157頁より)



プリンス・エドワード島は、緩やかな丘を上って下って、さらにその先へと道は続いていきます。