1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。
「「木靴の樹」を観る機を逸してしまってから10年の歳月が流れてしまった。
都会の喧騒の中で暮らしていると、その時間の永さが歪みの曲線となって進行するが、この映画の主人公たちは貧しくとも、自分たち家族の手をしっかと握り、黙々と生きている。
その時の流れのゆるやかさは直線の美学である。
ドラマはトウモロコシの収穫の季節から始まる。1本づつトウモロコシのつぶをほどいて袋につめ、地主の処に運ぶための作業をする中庭は石造の塀に囲まれた、収容所のような集合住宅である。
扉や手すりや窓の桟に至るまで、まるであつらえて造られたような、疲れ具合である。
その壁のくずれや、汚れのしみや、漆喰壁が落剥の中から身をひそめるようにしてあらわれている煉瓦の割れ目が映る時、それは無言のうちに、これらの貧しき人々の生活苦を表現していることになる。
飼育されている牛や馬の眼付までが弱々しく哀れさをふくんでいるが、たった一頭の気の荒い馬の表情が、見事にドラマの伏線となっている。
秋から冬へ、その雪の降り出して来る状況も、仲々のキャメラアイである。ある時には暗部がそのままに灯火のあかりだけがたよりと思わせる程のライティングであり、より一層の貧しさを見せてくれるが、汚れたガラス窓からの風景が、底深いリアリズム画調となってせまって来る。
俳優の演技よりも上手な、昔話や伝説の語り口、その子供の頃から、何度も語りつくした言葉のうま味、その表情までが一体となって、画面を引き締める。
教会の牧師が、真実味のある説教であり、その人柄が、村人との関連性をたしかなものにしている。主への祈りが演技ではない。毎日、毎日の祈りのつぶやきが身についていて心の底よりの祈りと感銘をうける。
灯皿の燈火が、ぼんやりとあたりをてらしている。
なぜか私は、はるか昔、少年時代の折にみた英国映画、「アラン」を思い出していた。
荒れる海の孤島、アラン島の中に、ひっそりと漁師の夫の安全を祈る妻の表情、サメのハラワタからとった油が唯一の光源である灯火。にぶい光、岩石だらけの島、その岩をくだいて粉にし、海草を肥料にして苗をうえるとぼしい野菜作り。出演者は現地人とか。ロバート・フラハティの傑作である。
そのようなことが二重だぶりとなって胸にせまる。
労働する人々の、妻たちや少年の衣服までがいつの世のものか、現代とも思えるが、はるか年代のものと思わせる程の、定かでない処が逆にこの年月の深さを表現している。
祭りや、街の風物が映り、軍隊が出動して荒々しく馳け、貴婦人や紳士の、あわただしい動き方が都会
の表情と分り、初めて十九世紀末年のヨーロッパの風俗と判明するのである。それ程、時代の流行から、隔離された農民達の姿なのである。
病んだ牛が起き上がれず、その眼付きが臨終と思わせ、教会に行って祈る主婦の恵みを乞う姿が胸を打つ。
空瓶に川の水を入れる処から、なぜか私は感動して、きっと牛は癒されるに違いない、と思う程の想いであった。
水車小屋の中の製粉機の構造がはっきりと映り、私には得がたき参考資料となった。まさに十九世紀的産物である。
村人達の連帯感と、その隣人愛、が何気なく会話し、その思いやりの精神が、この映画を気高いものにしている。
地主だだけがふてぶてしく、怒りを感じさせる程の存在感である。
少年の一家が離村してゆくその夜のシーンは淡々として、無言の表情である。
だがしかし、馬車にうずくまり、じっと物かげから、一点を凝視している少年のひとみを想う時、必ずや将来、ひとかどの青年となって、家族の面倒をみるに違いない、という事を感じさせる程の表情であった。
エルマンノ・オルミ監督は、ドキュメントの手法をとりながら、見事なドラマへの結合をなし得た。
この作品の風格は、しっかと大地を踏みしめた上で、じっと天の一角をみつめているような巨大なる姿である。
木村威夫(映画美術監督)」
**********
今よりももっともっと一日一日を生き抜いていくことが大変だった人たちがいる。
一見平和な日本にいるとわからないけれど、世界の中には今もそういう国もある。
こうして今生かされていることへの感謝を忘れてはいけない。
私たちは自然のサイクルの一部にすぎない。
謙虚さを忘れて傲慢になってはいけないのだとあらためて思います。
強烈な負のエネルギーに負けそうでふらふらしていますが、吐き気しますが、
ぶれないで自分の足元をちゃんとみていくように気持ちを整理しています。
ブログを書けそうにないと思うぐらい気持ちがぼきっと折れましたが、励ましをもらって
また起き上がれそうです。
「「木靴の樹」を観る機を逸してしまってから10年の歳月が流れてしまった。
都会の喧騒の中で暮らしていると、その時間の永さが歪みの曲線となって進行するが、この映画の主人公たちは貧しくとも、自分たち家族の手をしっかと握り、黙々と生きている。
その時の流れのゆるやかさは直線の美学である。
ドラマはトウモロコシの収穫の季節から始まる。1本づつトウモロコシのつぶをほどいて袋につめ、地主の処に運ぶための作業をする中庭は石造の塀に囲まれた、収容所のような集合住宅である。
扉や手すりや窓の桟に至るまで、まるであつらえて造られたような、疲れ具合である。
その壁のくずれや、汚れのしみや、漆喰壁が落剥の中から身をひそめるようにしてあらわれている煉瓦の割れ目が映る時、それは無言のうちに、これらの貧しき人々の生活苦を表現していることになる。
飼育されている牛や馬の眼付までが弱々しく哀れさをふくんでいるが、たった一頭の気の荒い馬の表情が、見事にドラマの伏線となっている。
秋から冬へ、その雪の降り出して来る状況も、仲々のキャメラアイである。ある時には暗部がそのままに灯火のあかりだけがたよりと思わせる程のライティングであり、より一層の貧しさを見せてくれるが、汚れたガラス窓からの風景が、底深いリアリズム画調となってせまって来る。
俳優の演技よりも上手な、昔話や伝説の語り口、その子供の頃から、何度も語りつくした言葉のうま味、その表情までが一体となって、画面を引き締める。
教会の牧師が、真実味のある説教であり、その人柄が、村人との関連性をたしかなものにしている。主への祈りが演技ではない。毎日、毎日の祈りのつぶやきが身についていて心の底よりの祈りと感銘をうける。
灯皿の燈火が、ぼんやりとあたりをてらしている。
なぜか私は、はるか昔、少年時代の折にみた英国映画、「アラン」を思い出していた。
荒れる海の孤島、アラン島の中に、ひっそりと漁師の夫の安全を祈る妻の表情、サメのハラワタからとった油が唯一の光源である灯火。にぶい光、岩石だらけの島、その岩をくだいて粉にし、海草を肥料にして苗をうえるとぼしい野菜作り。出演者は現地人とか。ロバート・フラハティの傑作である。
そのようなことが二重だぶりとなって胸にせまる。
労働する人々の、妻たちや少年の衣服までがいつの世のものか、現代とも思えるが、はるか年代のものと思わせる程の、定かでない処が逆にこの年月の深さを表現している。
祭りや、街の風物が映り、軍隊が出動して荒々しく馳け、貴婦人や紳士の、あわただしい動き方が都会
の表情と分り、初めて十九世紀末年のヨーロッパの風俗と判明するのである。それ程、時代の流行から、隔離された農民達の姿なのである。
病んだ牛が起き上がれず、その眼付きが臨終と思わせ、教会に行って祈る主婦の恵みを乞う姿が胸を打つ。
空瓶に川の水を入れる処から、なぜか私は感動して、きっと牛は癒されるに違いない、と思う程の想いであった。
水車小屋の中の製粉機の構造がはっきりと映り、私には得がたき参考資料となった。まさに十九世紀的産物である。
村人達の連帯感と、その隣人愛、が何気なく会話し、その思いやりの精神が、この映画を気高いものにしている。
地主だだけがふてぶてしく、怒りを感じさせる程の存在感である。
少年の一家が離村してゆくその夜のシーンは淡々として、無言の表情である。
だがしかし、馬車にうずくまり、じっと物かげから、一点を凝視している少年のひとみを想う時、必ずや将来、ひとかどの青年となって、家族の面倒をみるに違いない、という事を感じさせる程の表情であった。
エルマンノ・オルミ監督は、ドキュメントの手法をとりながら、見事なドラマへの結合をなし得た。
この作品の風格は、しっかと大地を踏みしめた上で、じっと天の一角をみつめているような巨大なる姿である。
木村威夫(映画美術監督)」
**********
今よりももっともっと一日一日を生き抜いていくことが大変だった人たちがいる。
一見平和な日本にいるとわからないけれど、世界の中には今もそういう国もある。
こうして今生かされていることへの感謝を忘れてはいけない。
私たちは自然のサイクルの一部にすぎない。
謙虚さを忘れて傲慢になってはいけないのだとあらためて思います。
強烈な負のエネルギーに負けそうでふらふらしていますが、吐き気しますが、
ぶれないで自分の足元をちゃんとみていくように気持ちを整理しています。
ブログを書けそうにないと思うぐらい気持ちがぼきっと折れましたが、励ましをもらって
また起き上がれそうです。